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「ジェリコ公爵」(長編)
LE PRINCE DE JÉRICHO
<ネタばれ雑談その2>
☆「ジェリコ公爵」で地中海観光!
それでは地図を片手に『ジェリコ公爵』の舞台を確認して行こう。
物語の最初の舞台となるのは、ヒロイン・ナタリーが南仏の海岸
(コート・ダジュール)にもつ別荘
「ミラドール館」だ。もちろん架空のものだろうが、本文を読めばそのおおよその位置は推定できる。まず
エストレル山地の海に面した断崖に位置している。映画祭でも有名な観光地
カンヌが一番近い都会であり、そのカンヌからタクシーを拾ったナタリーが別荘に戻るときに
「ル・トラヤスの2km先」と指示している。そのル・トラヤスから警官が来る記述もあるし、エラン=ロックから逃げ出したナタリーが列車に乗り込むのも
「ル・トラヤス駅」だ。
これらの情報をもとに地図をあたっていくと左図のようになる。ル・トラヤス駅は実在するものであり、海に面した風光明美な駅として、現地の別荘の紹介サイ
トでは「世界でもっとも美しい駅」などと紹介されていた。このあたり一帯は世界中から人々が集まる別荘地になっているのだ。
怪人物エラン=ロックの名前の由来となったのは
アンティーブ岬の「エラン=ロック公園」。アンティーブ岬は地図にもあるようにカンヌの東に南に向けて突き出している岬で、地図では確認できなかったのだが、
エラン=ロック(Ellen-Rock)という公園は実在するらしい。
ル・トラヤス駅から列車に乗り込んだナタリーは南仏の
トゥーロンで下車し、ここの港から持ち船でスペインの
バレアレス諸島へ向かう。ところがエラン=ロックがモーターボートで追いかけてきて、船から船へ飛び移る離れ業を演じて船を事実上乗っ取り、針路をイタリアの南、
シチリア島の
パレルモへと向けてしまう。
物語の第二部はこのシチリア島の
セジェスタのギリシャ神殿の周辺、
カステルセラーノ村を舞台に展開される。「カステルセラーノ」という地名は少なくとも現在の地図では確認できないのだが、作中に出てくる
セジェスタの神殿というのは実在するギリシャ風神殿で、有名な観光地となっている。
シチリア島には紀元前8世紀からギリシャ人の入植がはじまっており、のちにカルタゴに征服されるまでギリシャ文化が花開いていた。このセジェスタにはドーリア式の神殿があり、紀元前5世紀の建造とみられている。作中で登場する野外円形劇場も実在するものだ
(下写真参照)。
物語ではシチリア娘の
パスクァレッラが
姉の復讐を果たすことに執念を燃やす。こうした「仇討ち」の感情自体は日本の時代劇でもおなじみだし、古今東西人類共通のものではあるが、シチリア人に特
にその執念が強いというイメージは確かにある。こういうことを書くと「偏見」とも言われてしまうのだが、シチリアと言えば「マフィア」の本場であり、小
説・映画で有名な「ゴッドファーザー」でも「仇討ち」の要素がそこかしこに登場する。映画の一作目で出てくるコルレオーネ村なんて報復合戦をしすぎて人が
いなくなってしまった、なんてセリフがあったものだ。シチリア人は「ゴッドファーザー」でそうしたイメージがふりまかれることを迷惑がっているとも聞く
が…ともあれ、ルブランもまた「シチリア人」のそんなイメージをパスクァレッラに反映させているわけだ。
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セジェスタのドーリア式神殿。 (Wikipediaより拝借) | セジェスタの野外円形劇場跡。 (やはりWikipediaより拝借) |
シチリアから舞台はパリに移る。ここで6月14日の一日だけでいろんなことが起こるのだが、パリ探索はさんざんルパンシリーズでやってるのでここでは割愛。
そして物語の最後の舞台は一転して大西洋に面したブルターニュ半島の突端にある
プルバネックの領地になる。プルバネックという地名はやはり実在しないようだが、最寄りの都市
ブレストは当然実在する。ルパンシリーズでブルターニュが舞台となった作品には
『ルパンの結婚』『三十棺桶島』『女探偵ドロテ』があるが、半島の先端付近が舞台になったことはない。
『八点鐘』の
『ジャン=ルイ事件』の舞台がかなり近い土地を舞台にしていたが。
☆「ジェリコ公爵」の秘密 タイトルにもなっている大海賊の名前「ジェリコ(Jericho)」とは現在のパレスチナ、死海のほとりにある町
「エリコ」のことで、キリスト教徒には『旧約聖書』のなかで
モーセの後継者
ヨシュアが
カナンの地を征服する中で、このエリコの城壁を笛で崩した、という逸話でおなじみだ。読者ははじめのうちは聖書由来の名前を使ってるんだな、ぐらいにしか
思わないだろう。ところが終盤になるとタイトルの「ジェリコ公爵」というのがまさに文字通り、「エリコの領主」を意味することが明らかになって来る。
海賊ジェリコの先祖、その名も同じジ
ャン=ド=プルバネックは
第3回十字軍(1189-1192)に参加し、その功績により「聖ルイ」すなわちフランス国王
ルイ9世(在位1226-1270)か
ら「ジェリコ公爵」に封じる勅命を受けたことになっている。十字軍は占領したパレスチナに西欧型の封建国家をいくつか建国し、エリコ(ジェリコ)はそのう
ち「エルサレム王国」の領地となっていた。そこの公爵に封じられた、というわけなのだが、そもそも第3回十字軍というのはイスラム側の英雄
サラディンの
登場によりエルサレムが奪回され、それをまた奪い返すために派遣されたもので、結局エルサレムの再奪回はできずに終わった。ここでいう「ジェリコ公爵」は
実質を伴うものではなく、名誉称号ということなのでは、と思える。ちなみに勅命をくだしたルイ9世自身も第7回、第8回と二度も十字軍を起こしている。
物語を通してのキー・アイテムになっている謎のメダル(ロケット)には
「二本の水平線がある十字架」が刻まれている。これを保篠訳では
「順次配列の十字形」、井上訳では
「まんじ」、大友訳では
「鉤(かぎ)十字」と表現している。「まんじ」といえば漢字の「卍」のことだし、「鉤十字」といえばその反対向きのナチスのシンボルマークのことになってしまうのだが、原文では
「croix de Lorraine」、すなわち
「ロレーヌの十字架」と書いてあるのだ。フランスではおなじみのマークのはずなのだが、どうしてこれを「まんじ」「鉤十字」と解釈したのだろうか?
「ロレーヌの十字架」は
第一回十字軍(1096年)の時にロレーヌ公
ゴドフロワ=ド=ブイヨンが旗印に使ったことからこの名がある。そのためフランス人には「聖戦」「ロレーヌの奪還」といった愛国心高揚のイメージとして使われ、
ジャンヌ=ダルクや、第二次大戦時にナチス・ドイツからフランスを解放しようとする
ド=ゴールの自由フランスの象徴としても使われた
(だから「鉤十字」では立場がアベコベである)。もっともこの小説での「ロレーヌの十字架」はあくまで主人公の先祖が十字軍に参加したからであって、フランス愛国とはほとんど無関係だ。
このメダルの中には、なんと
「キリストがはりつけになった十字架の一片」が
収められていることになっている。どうも先祖の「ジェリコ公爵」その人がエルサレムから持って帰って来た、という設定らしい。一緒にある羊皮紙にそれを証
明する内容が書かれているというのだが、第3回十字軍の時点ですでにキリスト処刑から1100年以上の歳月が流れているのだから、「本物」とはとうてい信
じられない。
ただ、十字軍がらみではこの手の「聖遺物」の話は多い。キリストの十字架から、はりつけに使った「聖釘」、遺体をおおった「聖骸布」、最後の晩餐に使われ
た「聖杯」など、十字軍時代にこの地方から持ちだされて、「本物」と称するものがヨーロッパ各地に残っている。十字架の木片や「聖釘」を集めると一本の木
や釘のサイズを超えてしまうと言われており、当然本物のはずがないのだが
(インド以東でやたら増殖しているお釈迦さまの遺骨=仏舎利みたいなものだ)。
このかなり怪しげなアイテムを家宝として伝えたために、プルバネック家は「過度の傲慢さ」を持ってしまい、かえって身を滅ぼすことになった、とエラン=
ロックは語る。そして彼が海賊などという途方もない冒険に乗り出してしまったのも、そうした先祖の血が騒いだためなのだと。
そうした血が目覚め
るきっかけとなったのが、第一次世界大戦だった。ジャン=ド=プルバネックは1914年8月に捕虜になったというから、まさに第一次大戦開戦の直後であ
る。そして2カ月後に何の手違いか彼が捕虜収容所で死亡したとの誤報が故郷に届き、母親はショックで亡くなる。その知らせを捕虜収容所で知ったジャンは歩
哨二人を殴り倒してドイツから脱走、帰国はせずにロシアやトルコで略奪を重ね、船を奪って海賊となる。その動機を彼自身はこう語る。
「戦争があったおかげで、わたしはヒロイズムに酔い、気ちがいのように戦ったが、そのかわり、戦争は、わたしの本能が眠っていた心の底から、そこにひそむ野蛮で残酷なものをすべて目ざめさせた。わたしが悪に興味をいだいたのも、(…中略…)すべて戦争の狂気のせいなんだ」(大友徳明訳) ここには
『三十棺桶島』に
もみられた「戦争の狂気」への否定的姿勢がみられる。第一次世界大戦の多大な犠牲はさすがに戦争への嫌悪と国際平和希求のムードをヨーロッパに広げた。
1920年代はそういうムードの時代ではあったのだが、この作品が発表された直後、1929年の10月にアメリカで株価の大暴落が起こり、やがて「世界恐
慌」へと拡大してゆき、世界は再びさらなる大戦の悲劇へと向かっていくことになる。その直前までアメリカの景気が異常によかったことは、この小説のヒロイ
ンの父・
マノルセン氏がフランス大好きでフランスの物品を買いあさる大富豪として描かれていることにもうかがえる。
物語の最後でエラン=ロックは自身の本来の姿を取り戻すため、植民地で地道に生活してくるから待っていてくれとナタリーに言い残して立ち去っていく。フラ
ンスの植民地というとアルジェリアなど北アフリカか、東南アジアのインドシナと思われるが、なんとなくアルジェリア方面ではないかという気がする
(過去のルパンシリーズでも「植民地」というとだいたいアルジェリア)。いずれにしてもその後の歴史を思うといろんな意味で大変だったのでは。
ところで、長年待たせたフィアンセをあっさり捨て去っちゃうのって、いいんですかね?
最後にこの小説の節々で引用され、おそらくこの小説の創作のモチーフとなったであろう、イギリスの詩人
バイロン(George Gordon Byron、1788-1824)の詩
『海賊(The Corsair)』について。岩波文庫で翻訳が出ているのだが、白状するとこのコーナーの執筆公開時点でまだちゃんと読んでいない(汗)。調べてわかった範囲で書いてみる。
発表されたのは1814年だから、『ジェリコ公爵』の発表時点より百年以上も前の作品だ。バイロンが東方を旅して当時のオスマン帝国領内での体験をヒント
にまだ二十代半ばのうちに書いたもので、海賊コンラッドとトルコ太守との戦いと恋愛話をからめたロマン、と聞くと確かになんだか『ジェリコ』を思わせるも
のはある。
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