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「女王の首飾り」(短編)
LE COLLIER DE LA REINE
初出:1906年4月「ジュ・セ・トゥ」誌15号 単行本「怪盗紳士ルパン」所収
他の邦題:「ぼくの少年時代」(ポプラ)「王妃の首飾り」(ハヤカワ)

◎内容◎

 マリー・アントワネットゆかりの名品「女王の首飾り」が所持者のドルー=スービーズ伯爵の屋敷から忽然と姿を消した。事件は迷宮入りとなり、十数年の時 が流れる。伯爵の屋敷のパーティーで事件の謎解きが行われるが、出席者の一人・フロリアーニ勲爵士が事件の意外な真相を解き明かしていく。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン(Arsène Lupin)
青年怪盗紳士。

☆アンリエット=アンドレジー(Henriette)
ドルー=スービーズ伯爵夫人の修道院時代の友人。家を飛び出してまで結婚した夫と死別し、6歳の息子ラウールと共に伯爵邸に小間使い兼裁縫係として居候している。

☆エサビル裁判長(le président d’Essaville)
ドルー=スービーズ邸の昼食会の招待客の一人。

☆クリスティアン9世(le roi Christian)
デンマーク国王。カスティーユ宮殿の夜会でドルー=スービーズ伯爵夫人の美貌に目を奪われる。

☆ドルー=スービーズ伯爵(le comte de Dreux-Soubise)
マリ=アントワネットに思いを寄せたスービーズ大司教の一族の子孫。伝説の「女王の首飾り」を先祖伝来の家宝として執着し、これを守るために生活のレベルも下げている。高級住宅地であるサン・ジェルマン通りに古い邸宅を持っている。

☆ドルー=スービーズ伯爵夫人(la comtesse de Dreux-Soubise)
スービーズ伯爵の美貌の妻。晴れの場では「女王の首飾り」を身につけ華を添える。居候している元同級生のアンリエット母子に対してつらくあたる。

☆バロルブ氏(M. Valorbe)
警察署長。

☆フロニアーニ勲爵士(le chevalier Floriani)
ドルー=スービーズ伯爵とシチリア島で知り合い、昼食会に招かれた青年。父親がパレルモで裁判官をしていたので事件に関わることが多く、「女王の首飾り」事件の謎についてもすらすらと解いていく。

☆ボシャ代議士(le député Bochas)
ドルー=スービーズ邸の昼食会の招待客の一人。

☆ラウール(Raoul)
アンリエットの6歳になる息子。

☆ルジェール侯爵(le général marquis de Rouzières)
ドルー=スービーズ伯爵がクラブで馴染みとなった将軍。昼食会に招かれるが、機会さえあれば伯爵をからかおうとする。


◎盗品一覧◎

◇女王の首飾り
 18世紀に宮廷細工師ボメールとバサンジュの手により、ルイ15世の愛人デュ・バリー夫人のために作り出されたもの。しかしルイ15世が亡くなり、ロアン=スービーズ大司教(枢機卿)がルイ16世の王妃マリ=アントワネットに接近するためこの首飾りを彼女に献じようとした。しかし大司教と王妃の仲介役をつとめていたラ・モット伯爵夫人ことジャンヌ=ド=ヴァロワがこの首飾りを横取りし、1785年2月にジャンヌとその夫、そして愛人のレトー=ド=ヴィレットにより首飾りはバラバラにされ、座金からダイヤが全てはがされて売り飛ばされた。この「女王の首飾り」事件は革命直前のフランスの大スキャンダルとして有名。(ここまでが史実)

 その後レトーが座金をスービーズ大司教の甥・ガストン・ド・ドルー=スービーズに売り払い、ガストンは売り飛ばされたダイヤをイギリス人宝石商ジェフ リーズからいくつか買い戻した他は大きさは同じながら見劣りするダイヤでおぎなって「女王の首飾り」を復元した。その子孫は一世紀にわたってこの首飾りを 家宝として伝え、当代のドルー=スービーズ伯爵はリヨン銀行にこれを預けてパーティーなどで妻が使用する時だけ銀行から引き出している。


<ネタばれ雑談>

☆ルパンの「初仕事」はなんと6歳!

 怪盗アルセーヌ=ルパンが「初仕事」を行ったのは、なんと彼が6歳の時だった。しかもそのお宝は上記説明にもあるような、まさに歴史そのものと もいえる国宝級の逸品である。そしてこの「初仕事」はまったく解明されない「完全犯罪」となってしまい、少年ルパンは完全にその道にハマってしまうことに もなった。

 逮捕→獄中→脱獄→逃亡の展開を描いてルパンのキャラクターを確立させた作者ルブランは、ここでルパンの「過去」を初めて語ることでルパン・シ リーズを彼の一代記にしようという野心を抱いたものと思われる。そこでルパンの決して幸福ではなかった少年時代を設定し、なぜ彼が泥棒人生を歩みだすこと になったのかを語ることにしたわけだ。ルパンの少年時代については本作と『カリオストロ伯爵夫人』を合わせ読むといっそう明白となってくる。

 ルパンの母は本作にも登場するアンリエット=アンドレジーで、「労働者のような人と結婚するために、ご両親と仲たがいして、家を飛び出された」と伯爵夫人が言っているように彼女自身は貴族階級の出身であったと思われる(『ルパン逮捕される』でルパンが化けた親戚のベルナール=ダンドレジーはポワトゥー地方の伯爵となっていた)。成人したルパンがしばしば貴族に化け、趣味も高尚なのはこの母親の薫陶によるところが大きいのだろう。また貴族出身の女性らしく幼児期の子育てには乳母をやとっていたはずで、それがシリーズでは『ルパンの冒険』以降に登場するルパン・シリーズのレギュラーキャラの一人ビクトワールだった…ということになるのだろう。ルブランが当時そこまで構想していたかは不明だが。
 彼女が実家から勘当されてまで結婚した相手は本作では名が出てこないが、『カリオストロ伯爵夫人』によればテオフラスト=ルパンと いうフェンシングやボクシングの教師だった。体を資本にはたらく労働者といえばそのとおりで、貴族階級からすればおよそ結婚相手としては不釣合いと思われ たのだろう。しかもテオフラストは犯罪にも手を染めていたらしく、詐欺罪に問われて逮捕され獄中で死んでしまう。未亡人となったアンリエットはラウールと ともに同級生の縁を頼ってドルー=スービーズ家に住み込むことになった。そんな時期の物語がこの『女王の首飾り』というわけだ。

 ルパンが1874年生まれという通説に従えば「女王の首飾り」の紛失は1880年ごろ。本文に(事件は今世紀初頭にまでさかのぼる) という注釈があるが、これはスービーズ邸で昼食会が開かれたのが1901年ごろであることを示しているのだろう。その昼食会が開かれたのが「五日前」とあ り、その四日後に「女王の首飾り」がルパンから伯爵に返却され、その翌日に「エコー・ド・フランス」紙にルパン美化記事が載り(笑)、本作の執筆時点もそ の直後という設定である。ただ「一昨日」に新聞各紙に掲載されたこの事件に関する「ふしぎな手紙」というのがなんのことなのか、読んでいて判然としない。


☆不幸な不幸な少年時代

 のちに怪盗ルパンとなる少年ラウールの境遇は絵に描いたように不幸だ。両親は周囲に決して祝福されない結婚をしたあげく、父親は獄死、母親は同級生を 頼って召使同然の居候に。しかもその母親が頼った同級生は明らかにこの母子をさげすみ、いずれ追い出してやろうとしていた。少年ラウールが「グレる」条件 はかなりそろっていたと言っていい。フロニアーニ勲爵士として少年時代の住処に帰って来たルパンはそういう環境におかれた母親を救うべく「女王の首飾り」 を盗むことを考えたのだと語っている。

 結局屋敷を追い出されたアンリエットとラウールが住んだ場所は「片田舎」とあるだけでどこであるかは判明していない。ここで少年ラウールは盗んだ首飾り からダイヤを切り売りして母親を助けるが、絶対に送り主を突き止められないように用心深い方法を繰り広げているあたり、さすがルパンの少年時代と思うばか りだ。
 しかしラウールの奮闘にも関わらず母親は6年後、つまりラウール12歳の時にこの世を去ってしまう。ルパンが1874年生まれであるとする通説に従うと 1886年ごろということになるだろう。天涯孤独となったルパンだが、さすがに12歳ではまだひとり立ちも出来なかったろうから、乳母のビクトワールを頼ったと考えるのが自然だろう。あくまで推測だが、やはり『ルパンの冒険』に登場するシャロレのような年配の部下はもともとルパンの父もしくは母と関係があり、少年時代のルパンの面倒を見ていたのかもしれない。なお、この首飾りを盗んだ少年ラウールの成長を、「カリオストロ伯爵夫人」こと女盗賊ジョゼフィーヌ=バルサモはちゃんと追跡していたことになっている。

 なお南洋一郎訳のポプラ社版「全集」では、本作は「ぼくの少年時代」というタ イトルで単行本『怪盗紳士』に含まれており、例によって細かい相違やセリフの追加、ルパン自身による語りがあるものの、大筋で原典に忠実である。ただ、 スービーズ邸を追われたアンリエット母子のもとに乳母ビクトワールが訪ねてくる場面がオリジナルで追加されている。

 この作品は一種の「密室犯罪もの」に分類できる内容を持っている。もっとも真相を解き明かす探偵役が犯人自身なので「推理小説」とは言いがたいが…(笑)。ただ「子どもが犯人だった」という意外パターンは推理小説では時おり見かけるものではある。
 この物語でフロリアーニ勲爵士(名前とシチリア出身ということで分かるようにイタリア人に化けているわけだ) ことルパンは、かつて自分たちをひどい目にあわせた伯爵夫妻に対する「復讐」のために少年時代の思い出の地にやってくる。これが相当の執念で計画されたで あろうことは、彼がパレルモの裁判長の息子としてスービーズ伯爵と「偶然」知り合う段取りをつける手間を考えると実感できる。
 不幸な生い立ちを持ち、その復讐の執念にひそかに燃えるスーパーヒーローというパターンは結構多い。全然違うジャンルのようでいて手塚治虫『ブラック・ジャック』の生い立ち設定にもルパンとの共通性を強く感じたものだ。


☆ルブランの歴史趣味?

 ルブランは本来、娯楽嗜好の探偵小説ではなく、純文学や歴史小説の執筆を志していたといわれる。シャーロック=ホームズの生みの親コナン=ドイルも同様で(そういえば「女王の首飾り」でもホームズの名が出てくる)、やはり当時「探偵小説」は人気こそあれ「小説家」の王道とは思われていなかったところがあったのだろう。
 ルパンは泥棒であるから、彼が狙うお宝の設定が必要となり、そこで歴史ばなしが絡められる―という部分もあったろうが、ルブラン自身の歴史小説嗜好もそ の傾向をいっそう強めていたように思える。早くも『獄中のルパン』でいくつか歴史ばなしが絡んでいるが、この「女王の首飾り」はちゃんと有名な史実が背景 におかれている。この史実の「女王の首飾り」事件のほうは最近「マリー・アントワネットの首飾り」の邦題でアメリカで映画化されており、カリオストロ伯爵まで登場するのでルパンファンとしてはぜひ鑑賞しておきたい一本だ。
 またルパン生誕100年を記念してフランスで製作された映画「ルパン」でも、この「女王の首飾り」と「カリオストロ伯爵夫人」がミックスされた物語が描 かれている。数あるルパンシリーズの「お宝」の中でも「女王の首飾り」はまさに最高級の逸品で、それを6歳の子どもがまんまと盗んで泥棒人生のデビューを 飾ってしまったんだから、格好の素材なのは確かだろう。

 ところで本文中に、「女王の首飾り」で着飾ったドルー=スービーズ伯爵夫人の美貌に目を奪われているデンマーク国王クリスティアン9世とはもちろん実在の人物(在位1863-1906)。即位直後にユトランド半島南部のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国の併合をはかったが、ビスマルク 首相のプロイセンとオーストリアが軍隊を進めてこれを占領し、デンマークはその割譲を余儀なくされている。クリスティアン9世は長女がイギリス王妃、次男 がギリシャ国王、次女がロシア皇后、三女がハノーヴァー公妃にと、ヨーロッパ各国の王族と婚姻関係を結んだため「ヨーロッパの祖父」という異名も取った。 まさにVIP中のVIPというわけだが、なぜこの小説で顔を出すのかよく分からない。本作発表の直前に死去しているので、それも関係あるかも知れない。


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