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「赤 い数珠」(長 編)
LE CHAPELET ROUGE

<ネ タばれ雑談その2>

☆「数珠」の話

 タイトルにもなっている「赤い数珠」と は、被害者が発見された時に手にしていた血染めの「数 珠(chapelet/シャプレ)」に由来する。日本では「数珠」といえば葬式の時などに使う仏教スタイルのものを連想する が、もちろんこの小説に出てくるのはキリスト教、とくにカトリック信者が使用するもので、祈りの回数を数えるために「珠」がつながれ、真ん中に十字架をつ けるのが一般的。「ロザリオ」と呼ば れることが多いが、フランス語でそれにあたる言葉は「rosaire (ロゼール)」という。「chapelet」を辞書で引くとやはり「ロザリオ」と訳されているのだが、「chapelet」は ロザリオそのものよりも「数珠状のもの」を指すニュアンスが強いようだ(例えば「en chapelet」で「数珠つなぎ」の意)
 日本のカトリック信徒の間ではキリシタン時代以来「コンタツ」(ポルトガル語の「数える」に由来する)と いう呼び方が広く使われているそうで、カトリックであった南洋一郎も訳題は「血ぞめのロザリオ」としながら本文中では「コンタツ」と表記している。

 被害者リュシエンヌの遺体が発見されたとき、ボワジュネが血染めの数珠を見つけて「祈りの最中を襲われたんだ」と 口にする。これは敬虔なカトリック教徒が日課にしている「就寝前の祈り」を数珠を手にしながら行っていたと推測されるため。カトリック信徒の祈祷のしかた については時代により、宗派により、また個人個人の傾向により千差万別のようだが、個人の祈りは朝目覚めたときと就寝前に祈るのが基本となっているらし い。

 フランスは現在でも国民のおよそ7割がカトリック信徒とされる国だが、ルパンシリーズを通してカトリック的なものが印象深く描かれた記憶はほとんどな い。せいぜい『ルパンの結婚』で 相手が修道女になってしまうとか(ルパ ンがローマ法王に会見しようと口にする場面もある)『カリオストロ伯爵夫人』の お宝が修道院の財宝だとか、『金歯の 男』で教会で盗難が起こる、といったものしか思い浮かばない。これはフランス革命以来フランスでは政教分離が強く志向されたこ と、20世紀初頭の「科学の時代」には宗教の力がますます低下していたことなどが理由に挙げられそうだ。
 そもそも主人公のルパン自身が反社会的・不道徳的存在なので教会と縁遠いのも無理はないのだが…南版のルパンはよく稼いだ金を慈善事業に寄付するなどや や「道徳的」な行動をするのだが、これは南が児童向けを意識したこと、そして自身がカトリックであったことが背景にあると思われる。


☆その他いろいろ

 この小説で、脇役でありながら妙に印象に残ると言えば……そう、小間使いのア メリーだ。誰もが一目で惚れこんじゃう美人である上に、当人がかなりの浮気性(笑)。人妻でありながら来客、憲兵、少年まで、 どこまで本気かはともかく手当たり次第に相手をしている印象だ。事件の核心とはほとんど無関係なのに要所要所で登場し、しめくくりのラストシーンまでがこ のアメリーの描写であることが、このいささか重苦しい殺人事件の物語に息抜きの効果を与えている。
 このアメリーが初登場する場面で、彼女が「水着姿」だったことに注目。「ぴったりとした水着につつんだみごとなプロポーショ ン」を披露し、ボワジュネも彼女が水からあがる様子を見て「きみのからだがまったくもってすばらしい」と ほめちぎっていた。はっきりとした記述はないが彼女の体の線がはっきりと分かるワンピースタイプの水着であったと思しい。20世紀初頭まで女性の水着とい えば上下別々で肌の露出も少なくスカートもついた、一見普通の服と変わらないようなものが使われていて、1905年に英仏海峡を初めて泳いで渡ったオース トラリアの女性スイマー、アンネット=ケラーマン (Annette Kellerman、1887-1975)が体にフィットしたワンピースの水着を着た時には「わいせつ」と して論議を巻き起こしたほどだ。『赤い数珠』の時代である1920年代には女性の権利拡張と共にこうしたワンピースで肩や首まわりを露出した水着がすでに 定着していたようである。

 事件発生前にレオニー=ブレッソン「コーヒー占い」をして殺人 を予言、一同に恐怖の予感をもたらす場面がある。ここでは飲み終わったコーヒーカップの底に残ったコーヒーの模様を見て占いをしているが、国や地方により カップをひっくり返してテーブル上のしみを見て判断するものなどバリエーションはかなり多いらしい。コーヒーはもともとオスマン・トルコ帝国で普及し、そ こからヨーロッパに広がったもので、その過程でコーヒー占いもトルコからヨーロッパに伝わったものらしい。それにしてもレオニーの占いの的中率には驚かさ れるが、どういう風に占っているのかは良く分からない。
 このコーヒー占いで登場人物および読者に不安を呼び起こさせ、続く一連の謎めいた描写により「殺人事件が起こった」と読者に確信させる。これこそが実は この小説のキモとなる心理的トリックであり、晩年とはいえルブランのストーリーテリングが衰えを見せていなかったことを思い知らされるところなのだ。

 場面が館一つに限定され、登場人物も少ない本作、舞台劇向きだと誰もが思うところで、実際に1935年に戯曲化され、劇場で上演されている。『L'homme dans l'ombre(闇の中の男)』と題されたこの3幕ものの戯曲はピエール=L=パロ(Piere.L.Palau)と ルブランの共著という形をとっており、1935年9月14日に「二つの仮面座」で初演されている。またこの戯曲そのものも翌1936年3月号から6月号に かけて「レクチュール・プール・トゥ」誌上で連載されている。下の画像はその連載第一号が載った同誌の目次ページで、巻頭に「アルセーヌ・ルパンの父ルブラン」(左)とパロー (右)の写真が大きく掲載されており、この号の目玉記事扱いであったことがうかがえる。




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