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「奇岩城」(長編)
L'AIGUILLE CREUSE

<ネタばれ雑談その3>

☆「エギーユ・クルーズ」はフランス史そのもの!?


 『奇岩城』の魅力のまた一つの要素が、壮大な歴史設定だ。古代から20世紀初頭まで、おそよ2000年にわたるスケールで、これはもう「推理小説」の枠を超えてしまっていると言っていい。これまでも『獄中のルパン』『女王の首飾り』『おそかりしシャーロック=ホームズ』でチラチラと見えていた、ルブランの歴史趣味が全開になった感がある。
 僕自身もそうだったが、子ども時代に本作を読んでもその歴史背景の壮大さを実感できる日本人はほとんどいないのではないだろうか。子ども向けの訳本ではこういうところは難しいから適当にカットしてるし、大人向けの全訳本だって書いてこそあるもののちゃんと解説してくれているものは皆無なので、知らないままに大人になっちゃった人も多そう。こういう外国の歴史の絡んだものはちゃんと解説をつけるべき、と僕は思うんですけどねぇ。
 ジャンルはまるっきり違うのだけど、その後歴史学専攻に進んだ僕(専門が「東アジア海賊史」というあたりに「ルパン」を引きずってる気もする(笑))としては、『奇岩城』の歴史物語としての側面をきっちり解説してみたいと以前から思っていたのだ。

 『奇岩城』本文は、その歴史背景がバラバラに出てくるため歴史の流れがつかみづらい。それを少しでも分かりやすくするため、「フランス史年表」の形式をとって年代順に並べて解説してみよう。

年 代
史 実
「エギーユ・クルーズ」関連事件(フィクション)
前57年
カエサルのガリア遠征が前年から開始、この年カエサル軍は大西洋沿岸諸地域征服を進める
サビヌスに敗れ捕われた首領ウィリドウィックスが、カエサルに身代金がわりに「エギーユ」の秘密を明かす(『ガリア戦記』第三巻)
8〜9世紀初頭
フランク王国のシャルルマーニュ(カール大帝)による西ヨーロッパ征服。
シャルルマーニュが「エギーユ」の中に滞在?
843年
ヴェルダン条約でフランク王国が3つに分裂。西フランクがフランスの原型となる。

885年
ノルマン人ヴァイキングの一族長ロロがフランスに侵攻、この年にセーヌ川をさかのぼってパリを攻略。

911年
セーヌ川河口付近を征服したノルマン人ロロ(ロル)を、フランス王シャルル3世(単純王)が「ノルマンディー公」に封じるサン=クレール=シュール=エプト条約が結ばれる
サン=クレール=シュール=エプト条約中、ロロに与えられた称号の中に「エギーユの秘密をにぎる者」というものが含まれていた。
987年
フランス王家カロリング朝断絶、ユーグ=カペーが即位しカペー朝創始。

1066年
ロロの子孫のノルマンディー公ギョームがイングランドを征服、イングランド王ウィリアム1世として即位、ノルマン朝をおこす
ウィリアム1世(征服王)の軍旗のさおの先端がするどくとがり、針の穴のような割れ目があった(『サクソン年代記』ギブソン版134ページ)
12世紀
イングランド王リチャード1世が十字軍やフランス遠征に明け暮れる
イングランド王リチャード1世がエギーユに滞在?
1328年
カペー朝断絶、ヴァロワ伯フィリップが即位しヴァロワ朝創始。

1337年
イングランド王エドワード3世、フランス王位を主張し宣戦。百年戦争の開始。

1431年
ジャンヌ・ダルクが宗教裁判にかけられ、異端としてルーアンで火刑に処される
ジャンヌ・ダルクシャルル7世にエギーユの秘密を明かす。ジャンヌは裁判の中で「フランス国王に教えておきたい秘密がある」と述べるが裁判官は「お前はその秘密のために死刑になる」と答えた。
1453年
イングランド勢力がフランスから駆逐され、百年戦争終結。

1461年
イングランド王ヘンリー6世、ヨーク公エドワード(エドワード4世)に王位を奪われる。
ヘンリー6世の退位によりイングランド王家に伝わっていた「エギーユの秘密」は闇に葬り去られる。
15世紀後半
ルイ11世の治世(1461-1483)
ルイ11世がエギーユに滞在?
1520年
ヴァロワ朝第9代国王フランソワ1世の治世(1515-1547)
フランソワ1世がル・アーブルの名士を集めた演説で「歴代のフランス国王は諸国の経綸と諸市の死命を制する秘密をにぎっている」と述べる
1562年
カトリックとプロテスタントの対立からフランスが内戦に突入(ユグノー戦争)。

17世紀初頭
ブルボン朝初代のアンリ4世が、ナント勅令(1598)でユグノー戦争を終結させる
名君アンリ4世は「エギーユの利益にかけて」という誓いの文句をしばしば口にした。
17世紀前半
ルイ13世の治世(1610-1643)
ルイ13世が「エギーユ」の暗号文を記す。
1669年
後世「鉄仮面」と呼ばれる謎の囚人がルイ14世の命で投獄される。

1679年

3月17日、一青年が「エギーユ・クルーズの秘密」と題する小冊子を百部作り宮廷で配布。ルイ14世は彼を捕縛して小冊子を一冊以外焼却。青年は「鉄仮面」をかぶせられ幽閉。
鉄仮面の捕縛にあたった親衛隊長ラルベリーがひそかに冊子を入手、何者かに暗殺されるが内容のメモが残る。
1680年

ルイ14世、クルーズ川のほとりにエギーユ城を建設させる。
1698年
鉄仮面、バスチーユ牢獄に移される。

1703年
鉄仮面が獄死。

1789年
フランス革命勃発。

1793年
1月21日、ルイ16世処刑。10月16日、王妃マリ・アントワネット処刑。
ルイ16世が親衛隊長ラルベリーの曾孫の士官ラルブリーを通して王妃マリ・アントワネットに「エギーユの秘密」の暗号を書いた羊皮紙を届けさせ、王妃はそれを祈祷書の中に隠す。ラルブリーは曽祖父のメモを見つけ、秘密の研究を始める
1804年
ナポレオンがフランス皇帝に即位。

1815年
ナポレオンがワーテルローの戦いで敗北。
ラルブリーがエギーユの秘密に関する小冊子を刊行。
1894年?

アルセーヌ・ルパンジョゼフィーヌ=バルサモからマリ・アントワネットの「フランス諸王の富」という言葉を知らされる。それから数年のうちに「エギーユ・クルーズ」を発見。
1908年?

アルセーヌ・ルパン、エギーユを放棄。

 上記の解説を全部やっちゃうと、そのまんまフランス通史講座になってしまうので(笑)、以下、ほどほどに補足を。

 一番古い紀元前1世紀のカエサル(英語でシーザー、仏語でケーザル)とはもちろんローマ帝国の実質的建国者であるあの人だ。彼のガリア遠征とは紀元前58年から紀元前51年まで行われたもので、「ガリア」とは現在のフランスに相当する地域を指し、この遠征によりローマの支配下に入ることになった。この遠征の記録はカエサル自身の手による『ガリア戦記』として後世に伝えられ、ラテン文学の古典的名編・歴史研究の最高の資料の一つとしてあまりにも名高い。
 さて『奇岩城』で書かれているように、『ガリア戦記』に問題の記述はあるのだろうか。『ガリア戦記』の手軽に読める日本語訳として岩波文庫の近山金次訳をあたってみると、第3巻に確かにウィリドウィックスという族長に率いられたガリア人がカエサル軍の部将サビヌスの計略によって敗れる記述が出てくる。しかしウィリドウィックスが捕らえられたとか身代金の代わりに秘密を教えたなんて話は出てこない。ルブランもヌケヌケと大ボラを吹いているわけなんだけど、『ガリア戦記』自体もいくつか異本があるので「なんとなく本当っぽい」と思わせる効果はあるだろう。

 10世紀にフランスに侵攻した「ノルマン人」というのは「北の人」ということで、現在のデンマーク・スウェーデン・ノルウェーあたりにいた北欧の海洋民族、いわゆる「ヴァイキング」だ。この時期彼らはイギリス・フランスなど西ヨーロッパ各地に活発に侵攻し、一部は地中海まで進出してシチリア王国なんてものまで作ってしまっている。
 フランスに侵攻したロロは巨漢で馬に乗れないため「徒歩王」なんてあだ名がついた人物で、セーヌ川をさかのぼってパリまで侵攻し、手を焼いたフランス王シャルル3世(純粋な人柄から「単純王」とあだ名された)はむしろ領土を与えて手なずけた方が得策と判断し、ロロを「ノルマンディー公」(日本の戦国大名みたいなものを想像すればいい)に封じてフランス国王の臣下の一封建領主とした。これが911年のことだが、その条約に「エギーユの秘密保持者」と書いてある、ってのは当然ルブランの創作だろう。

 ロロの子孫はノルマンディー公国の支配を続けたが、ヴァイキングの征服欲求の血はおさまらなかったようで、ついに1066年、ノルマンディー公ギョーム(英語でウィリアム)が海を渡ってイングランドに上陸、へースティングスの戦いに勝利してイングランド王ウィリアム1世となる。彼の血筋が(いろいろ紆余曲折はあるが) 現イギリス王室にまでつながっているわけだが、このイングランド王家は同時にフランス王家臣のノルマンディー公であるという状態が続き、このイングランド王家の大半がフランスで生まれ、生活している。のちに起こる「英仏百年戦争」もその観点を見落とすと実態が理解できない。
 それはそうと、『サクソン年代記』、そのギブソン版134ページとまでもっともらしく書いているが、これもホラだろう。『サクソン年代記』については僕は知らないのだが、実在する『アングロ・サクソン年代記』のことかもしれない。

 あまりにも有名な百年戦争の英雄ジャンヌ・ダルクまでが「エギーユの秘密」にからんでくるのは、読者サービスといったところだろうが、さすがに無理があるような(笑)。オルレアンの農民の娘がそんな重大事を知ってるってのがそもそも不自然。まぁノルマンディー公からイングランド王家に引き継がれた「エギーユの秘密」を、フランス王家に伝える必要からジャンヌを引っ張り出すことになったとも思える。なお、ジャンヌが火刑に処されたのはルブランの故郷ルーアンなのだ。

 百年戦争に敗北したイギリスでは「ばら戦争」と呼ばれる王位を巡る内戦が勃発する。そこでこの物語の中でもふれられている、狂王ヘンリー6世ヨーク公エドワード(エドワード4世)に王位を奪われるという事態が起こり(その後暗殺される)、この混乱の中でイングランド側での「エギーユの秘密」は失われたということになる。

 その後フランスでは16世紀後半にカトリック対プロテスタントの宗教戦争の一つである「ユグノー戦争」が起こり、サン・バルテルミの大虐殺など史上有名な事件を経て、最終的にナヴァール公アンリがカトリックに改宗してアンリ4世として即位してブルボン朝をひらき国内を統一する。アンリ4世は信教の自由を認めた「ナントの勅令」などで「名君」として評価が高く、『奇岩城』中のマシバンの文章でもそれが冠せられている。
 まぁ「エギーユの利益にかけて(名にかけて)」と言っていた、というのはやっぱり創作だろうけど。気になるのはヴァロワ朝の王家に伝えられていた「エギーユの秘密」をアンリ4世がどの経路で知ったのか?だ。

 アンリ4世の子がルイ13世。デュマの『三銃士』の時代の国王、という説明が一番ポピュラーという王様である(笑)。どうも例の暗号文はもともとこの人が書いたものらしく、ルパンが見つけた「エギーユ」の仕掛けが作られたのもこの時期ということになるのだろう。
 暗号文中に出てくる「19」をボートルレがはじめ「19m」と解釈して距離を測って失敗する描写がある。ボートルレもすぐに気付いたが、そもそもメートル法はフランス革命の際に新時代にふさわしい新しい単位体系をつくろうと、地球の大きさをもとに1795年に作られたもので、ルイ13世の時代に存在するわけがないのだ。この時代にはトワーズという単位が使われており、1トワーズはボートルレも換算したように約2m、細かく言えばおよそ1.949mに相当する。

 ルイ13世の子が太陽王・ルイ14世。ヴェルサイユ宮殿を建設、フランス絶対王政の絶頂期といわれる治世を築きあげたが、その時代の暗黒面、フランス史上最大のミステリーとも言われるのが「鉄仮面」だ。『奇岩城』ではなんとこの鉄仮面は「エギーユの秘密」の暴露をしようとしたために捕囚の身となったことにされている。
 この「鉄仮面」、レオナルド=ディカプリオ主演の映画「仮面の男」というのが「タイタニック」大ヒットの直後にあったから、それで知った方も多いだろう。この「鉄仮面」なる謎の囚人がいたというのは史実で、1669年に投獄され1703年に死亡している。実際には「鉄」ではないベール状の仮面をかけていたと言われるのだが、いつしか「鉄仮面」ということで定着してしまった。史実で分かっているのはそれだけで、この囚人の正体については当時からあれこれと推理が行われ、今なお謎のままだ。

 もっとも早くその正体に迫ろうと推理した有名人が啓蒙哲学者のヴォルテール(1694-1778)。これについては『奇岩城』中に歴史学者マシバン(実はルパンの変装だったけど)のセリフでも言及されているが、ヴォルテールはこの「鉄仮面」はルイ13世の王妃アンヌと宰相マザランとの間に生まれた不義の子、ルイ14世の異父兄と推理した(このヴォルテール説の言及部分、どの訳でも「異母弟」と訳しているが、誤訳と思われる。実際異母兄弟説もあるが)。国王と兄弟ゆえに顔を隠させた…というわけ。この説を変形して小説化したのがアレクサンドル=デュマで、『三銃士』から始まるダルタニャン物語の中で「鉄仮面」の語を書き、そこでは「鉄仮面」の正体はルイ14世の双子の兄弟とした。これが例の映画の元ネタである(映画のほうはさらに変形したけどね)

 その後もいろんな説が出て、『奇岩城』中のマシバン(実はルパン)のセリフによると20世紀初頭には「鉄仮面の正体はイタリアの大臣マティオリ」と言う説があったらしいが詳細未確認。まぁこういう歴史ミステリーは決定的新史料でも出てこない限り確定はできず、なおかつ、まず確定することはない。だからこそ想像の幅が広がって面白いわけで、ルブランもそれにちょいと乗ってみた形だ。
(注意:ここで触れているルパンが変装したマシバンのセリフも、原書のバージョンによる違いがある。創元・新潮・集英各文庫が底本とした原書では鉄仮面の正体について具体的言及はなく、その代わり「ジャンヌ・ダルクの処刑の真相」について触れている。この変更がなぜ起こったのかは不明)

 フランス革命で処刑されたルイ16世マリ=アントワネット夫妻については、これまでも『女王の首飾り』『おそかりしシャーロック=ホームズ』で言及されている。『ルパンの冒険』の宝冠もマリ=アントワネットの友人のランバール公爵夫人のものだった。
 この二人についてはフランス革命関係の本でも読んでもらったほうが早いのでここでは略すが、マリ=アントワネットがエギーユの秘密に関する暗号文を祈祷書に隠したというのは当然フィクション。しかし彼女の祈祷書を確認するためにボートルレたちが訪れる「カルナバレ(カルナヴァレ)博物館」は実在するもの。本文中にもあるようにかつてセビニエ夫人(17世紀の人。書簡集で知られる)の館だったものを博物館に改装したもので、フランス史関係の資料を保管・展示していることで有名だ。

 ルブランの歴史趣味の発露は『奇岩城』で一つの頂点を示す。しかしその後もその傾向はチラチラと続き、ブルターニュ地方の古代史を背景とする『三十棺桶島』や、実在した有名詐欺師の話と修道院財宝伝説を組み合わせた『カリオストロ伯爵夫人』、そして準ルパンもの『女探偵ドロテ』にもその趣味が色濃く出ている。いま名前が挙がった三編と『奇岩城』は実は一つに結びつくものだった…というのは『カリオストロ伯爵夫人』で明かされるのだが、ルブラン自身これらの作品にはひときわ愛着があったのではなかろうか。
 ホームズの生みの親・コナン=ドイルにも同様の現象が見られるが、ルブランは成り行きで冒険推理小説を書く流行作家になったものの、それは本来自分が目指した文学ではないというコンプレックスがあったようだ。そこで逆に「ルパン」という素材を使って「歴史物語」を書いてみようとした…という見方も出来る。実際、ルブランのフランス文学史上の位置づけについてはミステリー作家というよりも大デュマのような歴史小説、伝奇小説作家の系統に入るという意見もある。それを自身も自覚していたのかどうか、『虎の牙』冒頭ではルパンが扮するドン=ルイス=ペレンナについて「ダルタニャンで、ポルトスで、モンテ=クリスト」という表現があったりする…


☆「謎の微笑をもつ女」とルパンの微妙な関係。

 『奇岩城』はシリーズを代表する名編だけに語りつくせぬところがあるが、以下ダラダラと思いつくところを。

 最終章でルパンがボートルレに「奇岩城」内を案内するところで、世界の名画の「本物」がズラリと集められていてボートルレをビックリさせる描写がある。ここで注意したいのは、ルパンはこれらの絵を個人コレクションにしているわけではない、という点だ。最高の逸品である『ジョコンダ(モナ=リザ)』などは別に「財宝の部屋」に置いてあり、「今まで君が見ていたのは、どれも売り物さ。たえず出たり入ったりしている。それが私の商売だからね」とルパンがちゃんと言っている。そしてこの「奇岩城」にはパリ・ロンドンへの直通電話回線まであり、そこを中継して全世界の「代理店」と情報のやりとりをして美術品を売っていると説明している。「いわば非合法の貿易商社さ。美術品と骨董品の大市場、世界見本市だ!」とルパンは胸をはる。
 事件の発端となったジェーブル邸強盗事件で盗み出した美術品も、明らかにアメリカに売り飛ばそうと工作していたし、「怪盗ルパン」も趣味で仕事をしているように見えて実はしっかり「商売」しているのだ。なんとなく趣味で美術品を収集し、悪人から巻き上げ善人にほどこす「義賊」と思われがちなのだが、よく読めばなかなか堅実な「事業家」であったりもするのだ。

 ところで『奇岩城』の財宝の部屋に納められていた最高の逸品『ジョコンダ(モナ=リザ)』について。
 言うまでも無く、これはルネサンスの巨匠レオナルド=ダ=ヴィンチ作の名画で、恐らく世界でもっとも有名な肖像画であろう。日本では「モナ=リザ」の名で知られるが、イタリアやフランスではこの絵のモデルとなったとされる「ジョコンダ夫人(La Gioconda)」の名の方で呼ぶのが一般的。
 ところでこの名画の歴史をたどっていくと、面白いほど「ルパン」と関わってくる。この絵が描かれたのは1503年ごろのこととされるが、ダ=ヴィンチはこの絵をフランスに持ちこみ、フランス国王フランソワ1世が1510年に買い上げている。そう、ル・アーブル市民に「歴代のフランス国王は諸国の経綸と諸市の死命を制する秘密をにぎっている」と演説した、あの王様だ(笑)。
 その後「ジョコンダ」はフランス王家に所有され、ヴェルサイユ宮殿内に置かれていた。フランス革命が起こるとルーブル美術館(これももともとフランソワ1世が作ったもの)に移され、一時ナポレオンが自室に置いたり、普仏戦争時に避難したりといった事態もあったが、基本的にルーブル美術館内に、同美術館の目玉商品として展示が続いていく。

 ルパンが「ジョコンダ」を盗んだのがいつのことかは分からない。『奇岩城』が1908年の話なので、だいたい20世紀初頭…?と考えたいところ。で、ルパンが『奇岩城』を退去する際に収集品はフランス政府に寄贈され、ルーブル美術館内の「アルセーヌ・ルパン室」に展示されることになった…?というオチになるのだが、その後(笑)、1911年に本当に「ジョコンダ」が盗まれるという事件が発生するのだ!
 事件が起こったのは1911年8月22日。ルーブル美術館内から「ジョコンダ」が、まさに忽然と消えちゃったのである。容疑者として若き日のピカソが逮捕されるという珍事も起こるが、「ジョコンダ」の行方は全く不明となる。面白いことにこの事件の直後、ラフィット社刊行の新聞「エクセルシオール」に「アルセーヌ・ルパンはジョコンダの行方を知っているのか?」と題するルブランへのインタビュー記事が載る。しかもインタビュー場所は『奇岩城』の舞台であるエトルタ。そこにはこんな問答が載っているという。

ルブラン「ジョコンダですって?私は何も知りませんよ。大体、警察にも解くことが出来ない謎を、どうして私が知りえるというのです?」
記者「どうしてですって?だってあなたの友人のアルセーヌ・ルパンは、この手の盗難に、広く通じているではありませんか」

 いやはや、フランス人らしいジョーク記事である(笑)。
 それから2年後、「ジョコンダ」は発見された。盗んだ犯人ヴィンチェンツォ=ペルージャが「ジョコンダ」をフィレンツェの画商に売りつけようとしたところを逮捕され、名画は無事に回収されたのだ。ペルージャは大工で、ルーブル美術館で「ジョコンダ」に保護ガラスを取り付ける際に雇われており、「ナポレオンがイタリアの美術品を奪い取ったことへの復讐をしようとした」と証言した。そういえばルパンも「奇岩城」内にイタリアの名画を収集していることについて「ナポレオンがイタリアでやったのと同じ事をしたまでさ」と言っていたっけ。しかし実際にはペルージャはアルゼンチンの詐欺師マルケス=バルフィエルノの指示で盗みをはたらいたもので、マルケスは「ジョコンダ」盗難後にその偽物を複数作成してアメリカの富豪6名に売りつけていたのである。
 …「怪盗ルパン」も案外「本当にありそうな話」だというのが分かるでしょ?

 なお余談を続けると、1970年代にボワロ=ナルスジャックが執筆した新ルパンシリーズの一作『アルセーヌ=ルパン第二の顔』(南洋一郎版では「ルパン二つの顔」) は『奇岩城』の後日談の形をとっており、ルパンがフランスに寄贈しようとしたコレクションは世論の反対にあってルーブルに直行せず、一時「奇岩城」内で保管を続けていたら、「ラ・グリッフ(爪)」なる盗賊団にそのコレクションが盗まれてしまい、ルパンが奪回を目指す…というお話になっている。
 ルパンの宿敵(笑)、シャーロック=ホームズは原作では「モナ=リザ」と無関係だが、1980年代に製作されたTVドラマシリーズ(ジェレミー=ブレット主演)の「最後の事件」の回では、モリアーティ教授が「モナ=リザ」盗難&偽物販売計画をたて、ホームズがそれを阻止したため命を狙われる…という脚色がついている。これも1911年の実際の事件をヒントに作ったのだろう。


☆その他、あれこれ

 シャーロック=ホームズといえば…名編『奇岩城』の一つの汚点、と思える件にも触れておこう。
 あくまでホームズではなくエルロック=ショルメスとしての登場ではあるが、日本のように「ホームズ」に直さなくても、誰もがこの人物を「ホームズ」本人、あるいは「ホームズもどき」と認識している。『金髪の美女』のころはまだ敬意を持って扱われていた気もするショルメス(ホームズ)だが、だんだん扱いが悪くなり、『奇岩城』ではルパン一味にロンドンから誘拐されるわ、ぐるぐる巻きにされて警視庁前にさらされるわ、最後にはルパンの乳母ビクトワールをダシにルパンを脅迫するわ、意図せざるところ(ルパンに先に腕を撃たれてるので正当防衛ともいえる)とはいえルパンの妻レーモンドを射殺してしまい、ルパンに殺されかかった上に、またもやぐるぐる巻きにされるわ…と、かなり散々な扱いである。
 これについてはルパン派の僕としても「そこまでしなくても」と思うところで、子ども時代にこの箇所を読んでかなりショックを受けた覚えがある。実際子ども向けにはショッキングと思われるためか、児童向け訳本の一部にはこのくだりをまるまるカットし、潜水艦でルパンが逃走するところで終わりにしているものもある(僕が最初に読んだ「ルパン」が、この手の児童向けの漫画挿絵入りのものだった)

 確かにこのラストの大悲劇は唐突感ありありで、なくても話は成立するように思う。だけど一方でルブランとしては最初からその計画だったんだろうと予想もつく。戯曲『アルセーヌ=ルパン(ルパンの冒険)』のラストで、ルパンは全ての投げ打ってソニアと共に逃走したが、その後も泥棒稼業をやめなかったし、ソニアは悲劇的な死を遂げた(どういう死かは不明だが、「仕事上」のことというニュアンスも感じる) 。その一年後の冒険『奇岩城』でもルパンはさらなる情熱的な恋をして、あの手この手で合法的に結婚し、奇岩城もコレクションも全て投げ出し、泥棒稼業も廃業して愛妻と平和に暮らそう…と計画して最後に全てがオジャンになる。この結末は、読み返すと最初から計画され、伏線が張られているのが明らかだ。その結末にもっていくためにホームズが使われてしまうのは、気の毒といえば気の毒だが、設定上ボートルレにはその役はできなかったろうしなぁ。

 ルパンはあれでいて「引退願望」を繰り返し表明し、結局はそれはかなえられない。恋多きルパンではあるが、特定の女性と添い遂げようとすると、たいてい相手が死んでしまう(もしくは相手が危険を察知して(笑)逃げてしまう) 。これは裏事情を言えば人気作をやめさせす、新たな冒険を続けさせようとする編集者および読者の意向が強く働いているためで、何やらルパンの引退願望の表明の繰り返しはルブラン自身の気持ちの表れではなかったか…と思えてくる。でもやっぱりやめられない、止まらない…(笑)。
 それでも『奇岩城』がルパンの人生の一つの区切りとなっていることも確か。本文中でボートルレが言うように、「怪盗ルパン」の活躍の力の源がこの「エギーユ・クルーズ」の秘密基地にあったわけで、これを放棄したことでルパンはそれまでのような活躍は当然できなくなる。4年後の事件となる『813』では、その間しばらく動静が世間には聞こえてこず、死亡説も広まっていたことが書かれており、ルパン自身もしばらく「おとなしくしていた」ことを明かしている。もっともその後に書かれた『緑の目の令嬢』『バーネット探偵社』から始まる一連の作品がこの時期のことらしいのだが…そういえばいずれも「泥棒」ばなしではないんだよな。
 ともあれ、『奇岩城』によって『怪盗紳士ルパン』(後の作品も入れれば『カリオストロ伯爵夫人』)から始まるルパンの「青春時代」は終わったのだと見ていいだろう。

 シリーズ前作とのつながりでは、戯曲『アルセーヌ=ルパン(ルパンの冒険)』で初登場した、乳母ビクトワール、部下シャロレが再登場している。とくにシャロレは前作でもワイン醸造業者に変装したり、貴族の執事役をつとめたりしていたが、本作では食事を丁寧に運ぶ忠実な召使いを演じたかと思えば、潜水艦(「ハートの7」事件で頂戴した設計図をもとにルパンが建造したもの)の操縦までこなしており、なかなか多才なやつである。
 シリーズ第一作からの宿敵ガニマール警部も登場しているが、ボートルレのせいでいまいち影が薄い。そして時系列ではこの『奇岩城』がガニマール登場の事実上最後となっており(『ルパンの告白』での登場はそれ以前の出来事)、間もなく定年退職でもしたのではないかと思われる。以後ルパン・シリーズでは、後期作品でレギュラー化するベシュがガニマールの教え子とされることと、『ルパンの大財産(ルパン最後の事件)』でルパン死亡の報にガニマールがコメントを出していることぐらいでしか登場していない。

 そういえばルパンの伝記作者である「わたし」も時系列では本作が最後の「登場」になる。『ルパンの告白』では何度か登場しているが、それは『奇岩城』の前のことと考えられ、ルパンとボートルレの対決に立ち会った場面が、物語の中に登場したケースとしてはこれが最後となった。その後は前書きなどでコメントをしているだけだ。
 この対決場面で良く分かるが、ルパンはこの伝記作者に対しても「素顔」を見せておらず、部屋に入ってきた当初「わたし」は相手が誰だか分からなかった。「告白」の中でもそのたびに違う顔で登場しているようで、あらかじめルパンの訪問を知らされないと「わたし」も相手をルパンと認識できていない。
 なお南洋一郎版『奇厳城』では「わたし」を登場させるとややこしいと考えたか、ルパンがボートルレに会見を申し込む手紙を出し、「ルパンの知人の家」で会うだけで、「わたし」は一切登場していない。

 気になるのがボートルレ少年のその後。あれだけの才能を持ってるんだから、警察官か私立探偵にでもなって以後のシリーズに登場しそうなものだが、完全に本作きりの登場となっている。ルパンファンの間では、あんな悲劇を目の前で見ちゃったから、それがトラウマになって探偵業から足を洗った(?)、という意見が多いようだ。まぁ本人も七月に大学入試を控えている、って言ってたし、事件に首を突っ込みすぎたことで浪人しちゃって、その後転落の一途をたどっちゃったとか…(汗)。

 ボートルレ君は本文中にもあるようにパリのジャンソン=ド=サイイ高校(Lycée Janson de Sailly)の三年生。もちろんパリ16区に実在する名門高校である。この高校は1884年に創設された、「フランス共和国」としては最初の高校で、始業式には近くに住んでいたヴィクトル=ユーゴー(「レ・ミゼラブル」の作者) がスピーチを行ったという。ルパンの時代である「第三共和国」時代ではまさに名門中の名門校となり、「郷土に尽くせ、書物と剣で」というモットーをかかげていたことから軍隊に入る卒業生も多かったらしい。第二次大戦末期にはここの生徒たちがフランス自由軍に加わり、占領しているドイツ軍との戦闘に加わったという歴史もある。
 ボートルレ少年在籍時には男子校となっていたらしいが、現在は共学で3200人もの少年少女が学ぶマンモス校だ。ちゃんとwebサイト(フランス語のみ) も存在する。

 なお、ジョルジュ=デクリエール主演版のTVシリーズでは『奇岩城』のエピソードはジェーブル伯爵邸事件とエトルタの「針の岩」を舞台にした話とにニ分割され、明るく楽しい話に変えてドラマ化されているが、ボートルレ君は高校生ではなく青年新聞記者に変更されている。もとのモデルのルールタビーユに近くなったわけだが、演じる俳優さんが醸しだす雰囲気はボートルレ少年のイメージ(ちょっと小生意気なところとか(笑))にピッタリマッチしていた。


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