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「緑の目の令嬢」(長編)
LA DEMOISELLE AUX YEUX VERTS

<ネタばれ雑談その2>

☆「緑の目の令嬢」パリ散策
 
 「緑の目の令嬢」は、うららかな春四月、ラウールことルパンが上機嫌でパリを散策するうち、青い目と緑の目の美女をみかけてあとをつける(ストーカー?)ところから物語が始まる。ラウールにならって、緑の目のお嬢さんを追いかけつつパリを散策してみよう。

 ラウールが最初にベークフィールドとマレスカルを見つけるのがジムナーズ座(Théâtre du Gymnase)の前だ。現在は1960年代以降オーナーとなっていた女優の名をとって「ジムナーズ・マリー=ベル劇場(Théâtre du Gymnase Marie Bell)」となっている。そこからベークフィールド嬢はオペラ座の広場を突っ切る際に邪魔した荷馬車の御者にパンチをくらわせ、そこからオベール通りに入って、ここでケンカしていた二人の子供を投げ飛ばして金貨を与え、オスマン大通りの菓子店に入って、ここでトーストを4枚たいらげる。ここでオーレリーも登場することになる。
 菓子店を出たベークフィールドはマドレーヌ広場からロワイヤル通りへ、さらに角を曲がってサン・トノレ通りに入って、ここで「コンコルディア」というホテルに入る。ここで荷造りをして車に乗り、モンテ・カルロ行きの列車に乗るべく南仏方面へのターミナル駅であるリヨン駅へと走っている。ホテルの場所もリヨン駅へのルートも判然としないが、大雑把に地図にまとめてみると右図のような感じだ。
 なお、この地図中にあるリボリ通りにはマレスカルの自宅があることになっていて、ラウールもその自宅の家探しをしている。また内務省はマレスカルおよびブレジャックの勤務先で、ラウールはこちらも捜索している。
 地図上部に見えるモンマルトルは当時キャバレー「ムーラン・ルージュ」が最盛期を迎え、ピカソモディリアーニら芸術家の住処ともなっていた場所だが、この小説ではこの地区で悪党の一人ジョドが古道具屋を開いている。当時は比較的地価が安い低所得者層の町だったようで(だから芸術家が多く住んでたわけだが)、この物語から14年ほど前、20歳前後の駆け出し時代のルパンが『アンベール夫人の金庫』でこのモンマルトルに居を構えている。

 物語の中盤ではモンテ・カルロやピレネー山脈のふもとのサン・ソブールが舞台となるが、それは後に回して、再びパリに戻ってきてからの登場人物たちの動きを追ってみよう。
 ブレジャックとオーレリーが住む家はクールセル通りにある。ラウールはその通りの反対側に空き家を見つけて住み込んだ。ある日、ブレジャックはジョドを尾行し、自宅からモンソー地区を横切り、城壁をくぐってビノー大通りを通ってヌイイのセーヌ川河畔にたどりつく。ここに列車で殺されたルボー兄弟の別荘があるのだ。
 この別荘で見つかった「ジュバンズの水」のはいったびんの争奪戦も読みどころ。セーヌ川の近くでブレジャックがジョドからびんを奪って、パリ城壁へ逃走。テルヌ門をくぐって市電に乗ったところで今度はマレスカルがブレジャックからびんを奪って、テルヌ門に平行する曲がりくねった道を逃走。ワグラム通りに入ってエトワール広場の近くまで来たところで、今度はラウールにびんを奪われる羽目になる。
 思えばルパンシリーズではこのテルヌ門が何度か登場する。このシーンにも出てくるように当時はパリを囲む城壁がまだ残っていて、門には入市税の徴収所があったことがわかる。この入市徴収所は『アンベール夫人の金庫』にも登場していた。『続813』ではレオン=マシェがテルヌ門をくぐってヌイイに出ているし、『八点鐘』のうち『水びん』でもテルヌ門付近の映画館が出てきた。テルヌ門ではないが『ユダヤのランプ』ガニマールホームズ(ショルメス)がルパンを追跡するのもヌイイ。あくまで想像だが、現在は高級住宅地となっているヌイイも当時はパリ郊外でやや治安悪げなイメージがあったんじゃなかろうか、と一連の描写を見ていて感じる。


  テルヌ門の入り口でブレジャックが大混雑の市電(トラムウェイ)に乗り込む場面がある。パリの市電は第一次大戦をはさむこのころが最盛期だったようで、パ リじゅうに縦横無尽に市電(路面電車)網がはりめぐらされ、パリ郊外の路線も含めるとなんと128系統もの路線が存在していた。その後はバスと地下鉄に とってかわられる形で1930年代までにパリから市電は姿を消すが、20世紀の末から21世紀にかけて環境面から市電が見直されるようになり、パリでも一 部に市電が復活している。
 調べてみたところ、ブレジャックが乗ろうとしたのは「第37系統」の 路線の市電だったようだ。これは郊外のヌイイからテルヌ門を抜け、テルヌ大通りからオスマン大通りを経由、パリ中心部のマドレーヌに向かう路線だ。本文中 にもパリ市内に帰ろうとしている乗客たちの描写がある。もっとも「市電」と訳しても「電車」だったとは限らないようで、このころは圧縮空気を利用して走る ものも多かったそうだ。
 ところで「市電の車掌が乗車番号を呼んだ。ところが混雑があまりにひどいので…」(大友徳明訳)というくだりがある。この混雑にまぎれてマレスカルがブレジャックからびんをすりとるのだ。この何気ない一文のなかで「乗車番号って、なんだろう?」と疑問を感じてしまった。そのあとに続く「ところが」という接続詞も気にかかる。創元推理文庫の石川湧訳でも「車掌が乗車番号を呼んだ。しかし、混雑がひどいので…」となっている。原文をあたってみると確かに「車掌が番号(数字)を呼んだ(叫んだ)。しかし…」と いう意味の文だ。あくまで他の国の交通機関の例からの推測なのだが、市電には乗車できる人数制限があり、待っている行列のうち何人まで乗れるか人数を車掌 が呼びかけているのではなかろうか。ブレジャックは数字のうちに入っていたので電車に乗りこめたが、その混雑のためすりとられたことに気づかなかった、と いうことなんだろうか。そのあとびんをすりとられたことに気づいてあわてて降りようとしている描写もある。
 なお、南洋一郎のポプラ社版ではこの場面、なぜか市電ではなくバスに変更されている。


☆南フランス、東へ西へ。

 さあ、それではパリを離れて「緑の目の令嬢」を追いかけて地方への旅に出よう。
 南フランスへ向かう列車の一等車、ベークフィールドと同じコンパートメントにあつかましくも乗り込んだラウールは、ラロッシュ(Laroche)の駅を過ぎたあたりで強盗に襲われてしまう。列車が停止し、捜査が行われるのがボークール(Beaucourt)駅。ラロッシュとボークールという二つの駅、ネット地図や検索をかけまくって探してみたのだが、どうしても見つからず「緑の目の令嬢」の原文ばかりがヒットするので、やはり架空の駅名なのだろうか。近くに警察のあるロミヨ(Romillaud)という町があるというのだが、これも発見できない。ただ、そのロミヨからさらに先にあるという検事局のあるオセール(Auxerre)という町は実在するので、おおよその位置はつかむことができる(地図参照)

 ボークール駅から貨物列車にただ乗りしたラウールはマルセーユ駅で飛び降り、ここから急行に乗り換えてニースへと向かう。ニースと言えば地中海に面した、世界的にも有名な観光地・保養地だ。ルパンシリーズではすでに『水晶の栓』でも舞台になっている。
 第二の事件現場となるファラドニ荘はニースのシミエ(Cimiez)地区に ある設定。このシミエ地区はニース市街地の北東部の丘の上にあり、古代ローマ時代の遺跡が残る歴史ある高級別荘地だ。ファラドニ荘はローマの闘技場の近く にあると書かれているが、なるほど航空写真でシミエ地区を探索してみるとニースからの街道(シミエ通り)の右手に大きな闘技場跡が実在していることが分か る。
 ファラドニ荘から出た車にラウールが乗り込み、谷底を見下ろす断崖すれすれの道路上の、路面電車の線路内に入り込ませてしまうシーンがある。このニースの路面電車も1953年に廃止されたが、パリ同様に近年見直されて2007年から新たな路線で復活しているとのこと。

 ニースを出たラウールはベークフィールドの父親の様子をうかがうべく、その滞在先のモナコ公国・モンテカルロへと向かう。モンテカルロもまた世界的に有名な観光地、国営カジノで有名なところ。余談ながら、ルパンのお孫さんが「カリオストロの城」の冒頭で「一仕事」しているカジノはあきらかにモンテカルロである。
 ここで「緑の目の令嬢」を救ってやったラウールは、はじめは「あとは知らん」と放っておく態度を見せるが、いつの間にやら令嬢を追いかけて列車を乗り継いでいく(笑)。
 モンテカルロからマルセーユへ、ここで乗り換えてトゥールーズへ。ここの劇場で緑の目の令嬢が歌っているのを見て驚き、市内中央の円形広場グラン・ロンギョームに襲われていた令嬢を救っている。そしてさらに令嬢のあとを追って、トゥールーズを真夜中の12時45分に出る列車に乗ってルルド(病や傷を治すという「ルルドの泉」で有名)を経由し、終点のピエールフィット・ネスタラ(Pierrefitte-Nestalas)に到着する。そしてここから馬車に乗って、最終目的地、ピレネー山脈のふもと町・リュズ(Luz)に到着するわけだ。

 現在の地図で確認してみると、当時はあったルルドからピエールフィット・ネスタラまでの鉄道はすでに廃止されているようだ。そしてリュズも現在はリュズ=サン・ソヴァール(Luz-Saint-Sauveur)という名前になっている。『緑の目の令嬢』でもサン・ソヴァールは 隣の温泉地として出てくるが、これは今もそのまま存在しており、リュズと町村合併でもしたのかもしれない。サント・マリー女子修道院が本当にあるのかは確 認できないのだが、サント・マリーの城跡というのは実在するようだ。Wikipedia仏語版に掲載されていた写真(下)を見ても、ピレネー山脈の風光明 美な自然に包まれた美しい田舎町だ。

googlemapの地形図。かなりの山奥なのがよくわかる。スペイン国境まであと20kmほどだ。Google Earthで立体的に。ルルド上空から南のスペイン国境方面を見下ろすとこんな感じ。

Wikipedia仏語版に掲載されていピエールフィット・ネスタラの風景。Wikipedia仏語版に掲載されているリュズの風景。

 この美しい山奥の村を舞台に、「緑の目の令嬢」ことオーレリーの正体が明かされ、ラウールと彼女の恋愛感情 がはぐくまれていくことになる。思えばルパンシリーズで山奥が舞台になっているのは珍しい。ニース・モンテカルロから、トゥールーズ、リュズへと、紀行ミ ステリーとしてこの作品を楽しむのも一興だ。
 おっと、フランス国内だけではない。最後の部分で珍しいことにフランスから飛び出して、隣国ベルギーの首都ブリュッセルも二人の恋の舞台になっている。オーレリーとラウールが再会するのがブリュッセル市街の南にあるカンブル公園(Bois de La Cambre)だ。オーレリーが出演し、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を演じた「王立劇場」がどこなのかは明確には書いてないが、おそらくブリュッセルでは有名な伝統ある王立劇場「モネ劇場(De Ment la Monaie)」のことではないだろうか。


☆湖底のローマ遺跡

 クライマックス、秘密が明かされる名場面の舞台となったのはフランス中部・オーベルニュ地方の中心都市、クレルモン=フェラン(Clermont-Ferrand)の近くだ。ルパンシリーズでは『八点鐘』の一編『雪の上の足あと』がこの都市の近くを舞台にしているのでは、と考察したことがある。
 クレルモンはフランス史の歩みと共に発展してきた古い歴史をもつ都市だ。紀元前にはすでにここに都市が形成されていたといい、紀元前52年にはあのカエサルがガリア(当時のフランス)征服戦争のなかで、この地方でガリア人たちと決戦を行い、この地をローマの領土に編入した。小説中にもあるようにクレルモン周辺にはローマ時代の遺構がよく残っているようで、ラウールがオーレリーに語るように「フランスの田舎の片すみへいけば、どこでもこれとよく似た遺跡や、カエサルがつくった道路があるんだ」(大友徳明訳)という状況だそうだ。ルパンシリーズ的にはこのときカエサルは「エギーユ・クルーズ」の存在も知ったことになる(笑)。
 この町が「クレルモン」と呼ばれるようになったのは中世になってからで、1095年にはここで「クレルモン公会議」が開かれ、ローマ教皇の命により聖地エルサレムを奪還を唱える「十字軍」が発動されることになった。1248年には市のシンボルとなるノートル=ダム=ド=ラサンプシオン(被昇天聖母大聖堂)の建造がはじまり、小説中で朝目覚めたオーレリーが目にした「黒っぽく壮麗な大聖堂」というのがこれだ。

 クレルモンで二十日間静養したオーレリーを、ラウールは謎解きのドライブに連れ出す。クレルモンから西へゆき、ロワイヤの湯治場を通って、さらに西に見える火山ピュイ・ド・ドーム(Puy-de-Dôme)のふもとへと向かう。Google Mapの地形図で確かめると下図のようになっている。


 
 ピュイ・ド・ドームのふもとで車を止めたラウールは、そこから山のふもとをめぐるようにして歩き、狭い山道を南へ進んで台地に出てジュバン(Juvains)の村に出て、その上にある湖にたどりつく。さすがにジュバンの村や湖はまったくの創作のようで、地図や航空写真でいくらさがしてもこのあたりにそれっぽい湖は見当たらなかった。

  例のアニメのラストシーンにもそのまんま流用された「お宝」の正体。湖の底に眠るまるごとのローマ遺跡という答えは、一度読んだらもう忘れられない衝撃を 読者に与えるはずだ。『緑の目の令嬢』はミステリとしては、また「怪盗ルパン」の冒険話としてもイマイチかなぁ、と内心思っている僕でも、このラストには 脱帽せざるを得ない。直前の大ピンチのあと、夜が明けると目の前に広がる驚くべき美しき光景、という展開が実に心憎い。直前とはいえ周囲にローマ遺跡が多 いことに触れて伏線も張ってあるしね。
 湖の底のローマ遺跡でラウールが拾った貨幣にはローマ皇帝コンスタンティヌス1世(272-337)の 肖像が刻まれている。コンスタンティヌス1世はいったん東西に分裂したローマ帝国を再統一し、なおかつそれまで弾圧されていたキリスト教を公認したことで 「大帝」と敬愛されることになった大物だ。つまり4世紀まではこの「ジュバンスの泉」が湯治場として機能していたことになる。ラウールが語るようにその後 統一ローマ最後の皇帝となったテオドシウス1世(347-395)の死により、帝国は再び東西に分裂した(偕成社版は「滅亡」と訳してしまっているが、創元版のように「没落」と訳すのが正しい)。やがて現在のフランスを支配していた西ローマ帝国は5世紀に入ると北方からのゲルマン人などの異民族の侵入をたびたび受けて、最終的に480年に滅亡してしまうことになる。

 この小説の設定では、最後のゴール(ガリア)総督・ファビウス=アラッラ(Fabius Aralla)「スキタイ人やボルシア人の侵入に備えて」ジュバンスの泉を湖の底に隠してしまったことになっている。調べた限りではファビウス=アラッラなる人物もまったくの創作らしいし、ラウールがみつけた「秘密の記録」なる古文書も当然ルブランの捏造史料だ(『奇岩城』その他でさんざんやってる常套テクニック)
 この文書でいう「スキタイ人(Scythes)」とは、ヘロドトスも記録しているカスピ海方面にいた遊牧木場民族のことだが、5世紀ごろでは本来の「スキタイ人」はもう存在しておらず、5世紀に西ローマにまで侵攻してきた騎馬民族「フン族」のことを指しているのではないかと思われる。実際、東ローマでもずっと後の時代まで東方や南ロシア方面の遊牧騎馬民族のことを大雑把に「スキタイ」と呼んでいる例がある。また「ボルシア人(Borusses)」とは現在のバルト3国あたりにいた古プロイセン人を漠然と指す言葉だ。こうした異民族の侵入から泉を守るために大がかりな仕掛けを作って(ローマ人はこの手の工事が確かに得意だった)湖の底に沈めたという設定も、それなりに歴史的裏付けがなされてはいるのだ。

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