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「水は流れる」(短編、「バーネット探偵社」第1編)
LES GOUTTES QUI TOMBENT
初出:1927年10月「レクチュール・プール・トゥース」誌 
他の邦題:「滴たる水滴」(保篠訳)「したたる水滴」(新潮・創元)「おそろしい復讐」(ポプラ)

◎内容◎

 アッセルマン男爵の若き夫人バレリーは、夜中に怪しい物音を聞いた。何者かが侵入して何かをしていたように思えるのだが、警察の捜査でも何も盗まれた形 跡がないばかりか、外部から侵入した痕跡すらみつからない。ただ、直前に洗面台の蛇口の工事をした鉛管工の錐が現場に残っていたことに不安を覚えたバレ リーは、ベシュ刑事が紹介した私立探偵ジム=バーネットを自宅に招いた。「調査無料」の看板を掲げるうさんくさげな男・バーネットはたちまち真相を見破っ てしまうのだが…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アッセルマン男爵
銀行家の老人。心臓発作を起こして寝たきりになっている。

☆公証人
アッセルマン男爵の遺言状をあずかる。

☆ジム=バーネット
私立探偵。「調査費無料」を掲げる。

☆テオドール=ベシュ

国家警察部の刑事。ガニマール警部の直弟子。

☆バレリー=アッセルマン

アッセルマン男爵の若く美貌の夫人。夫からは財産目当ての結婚とみられている。


◎盗品一覧◎

◇真珠のネックレス
アッセルマン男爵のすすめで、バレリーが他の宝石を売ってまで買った50万フランの価値があるネックレス。


<ネタばれ雑談>

☆前代未聞のピカレスク・ユーモア探偵小説の開幕!

 『バーネット探偵社』(L'Agence Barnett et Cie)は、ルパンシリーズのみならず、推理・探偵小説史上においても特異な位置を占めるシリーズだ。
 事務所を構える私立探偵が、持ち込まれる難事件をその明晰な推理力で次々解決、というだけならシャーロック=ホームズ以来、探偵小説の典型といえる。この『バーネット探偵社』も一見その定石をふまえているのだが、探偵ジム=バーネットはなんと「調査費無料」の看板を掲げる見るからにうさんくさい男。そして確かに毎回見事に事件を解決してくれるのだが、常に事件の陰でしっかり「ピンはね」をし、「調査費無料」どころか莫大な利益をせしめてしまう。事件を依頼するベシュ刑 事をはじめ、周囲の人物はみな怒り狂うが、毎度ちゃんと逃げ道が用意してあって手が出せない。「名探偵」ではあるのだが、かなりの悪党。そのワルっぷりを 読者も楽しみながら読んでしまうという、ブラックユーモアにあふれた異色のピカレスク探偵小説シリーズだ。ハードボイルド系をのぞけば、こういうノリの探 偵シリーズというのは他に例が思いつかない。同じ作者が『三十棺桶島』『八点鐘』を書いてるのが不思議なぐらいで、ルブランという作家の引き出しの多さを思い知らされる。

 そのピカレスク探偵ジム=バーネットの正体は怪盗紳士アルセーヌ=ルパンにほかならない。と、明かされてしまえばその悪党ぶりにも「なるほど」と思ってしまうのだが、作者のモーリス=ルブランがこのシリーズを最初からルパンものとして構想したわけではない可能性もある。単行本ではその巻頭にある作者自身のまえがき「カエサルのものは…」のなかで「バーネット=ルパン」ということが明示されているが、全9編のバーネット・シリーズの短編の本文中ではバーネットがルパンであるとの明言はない。ベシュがガニマール警部の教え子であること、フォルムリ予審判事が『ジョージ王のラブレター』で再登場すること、そしてルパンの名前が何度か言及されることから少なくとも同じ世界の話であることは明らかだが。次回作の長編『謎の家』でバーネット(の変身)とベシュが引き続き登場し、ここでようやく小説中では初めてバーネットの正体がルパンであると公式に明示されるのだ。
 
 『バーネット探偵社』シリーズは発表の経緯がやや複雑だ。第1作『水は流れる』が「レクチュール・プール・トゥース」誌(住田忠久氏の解説によるとルパンの古巣「ジュ・セ・トゥ」のライバル誌だったという)の1927年10月号に掲載され、翌11月号に2作目『十二枚の株券』(単行本では第5話)が、ひと月おいて1928年1月号に3作目『偶然が奇跡をもたらす』(単行本では第6話)が 発表された。そしてその翌月の1928年2月に、いきなり全8編を収録した単行本『バーネット探偵社』が発売され、その巻頭に「バーネットはルパン」と明 記する「カエサルのものは…」が追加された。つまり、バーネットシリーズはおそらく連載開始時点で全てのエピソードが完成していたと推測され、単行本にす るまでルパンシリーズであるかははっきりしてなかったかもしれないのだ。この辺の事情は『八点鐘』にも共通している。
 さらに…これはその作品の雑談のところで詳しく触れることにしたいが、1929年に刊行された英語版『バーネット探偵社』にはフランス原書には存在しない一編『壊れた橋』が存在している。このためルブランは一連のバーネットシリーズを全部書き上げてからフランスより先にアメリカの雑誌で発表していた、あるいは英語版翻訳者に原稿を渡していた可能性が高い。
 確証はないのだが、こうした少々複雑な経緯があったので、その創作過程で当初はルパンものではなかったシリーズが、商売上の理由からルパンものということにされちゃったんじゃなかろうか、という気もするのだ。1924年に発表された短編『プチグリの歯』のように当初ルパンものではなかったのに英語版ではルパンものに書き改められた例もある。

 なお、ルブランによる冒頭文の「カエサルのものはカエサルに返そう」というフレーズは、新約聖書「マタイによる福音書」からの出典。イエス「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返そう」と語ったというものだ。ここでいう「カエサル」とは、ルパンシリーズでもおなじみのユリウス=カエサル個人のことではなく、その後継者であり「カエサル」を称号として名乗っていたローマ帝国皇帝たちのことを指している。


☆「悪漢探偵」バーネット

 さて、このジム=バーネットなる人物について。
 名前からするとイギリス系の設定と思われる。本文中とくに明記はないが、私立探偵と言えばシャーロック=ホームズが代表だし(偶然ながらこの1927年にホームズシリーズ最後の一編が発表されている)、私立探偵=イギリス人というイメージでもあったのかもしれない。フランス人の目線からは「イギリス系の私立探偵」というだけで「うさんくさいキャラクター」と受け止められたのかも。ジョルジュ=デクリエール主演のTVドラマ版の『バーネット探偵社』でもバーネットは秘書から「オフ・コース、ミスター・バーネット」と英語で声をかけられる場面があり、自身も英語なまりと思われるフランス語を話していた。
 保篠龍緒はそのままフランス語風に読んで「ジム・バルネ」と表記している。これにならったのか南洋一郎も児童向けリライトのポプラ社版で「ジム・バルネ」として『七つの秘密』(「ルパンの告白」がベース)の中にそのエピソードを混ぜていたが、のちに『ルパンの名探偵』のタイトルで独立させた際に「バーネット」表記に改めている。イギリス人でもフランスにいれば「バルネ」と呼ばれることもあるかな、とも思うのだが、TVドラマ版を見た限りではやはり「バーネット」と発音しているように聞こえる。

 ジム=バーネットの初登場時の外見は、次のように描写されている。

 腰 のくびれたすらりとしたからだつきだが、肩はがっちりして、いかにも頑強そうに見える。黒のフロックコートを着ているのだが、これが雨傘の絹地みたいにて かてか光って緑色に変色しているのだ。ほりの深いエネルギッシュな顔は若々しいのに、肌はれんがのように赤くてざらついている。そして嘲笑するようなひや やかな目が、いたずらっぽくきらきら輝いて、その目の右かと思えば左にというふうに、ひっきりなしに片眼鏡(モノクル)をかけなおしているのである。(偕 成社版、矢野浩三郎訳)

 この一見風采の上がらない怪しげな外見が「変装」であることは『水は流れる』のラストで明示されている。バーネットが顔にクリームをぬりたくり、「つやつやとした健康な肌をした、若々しい顔」に 変身し、服装もいきなりダンディなものに変わるのだ。ルパンが変装を解くシーンの描写は意外に珍しく、それも堂々と人前でやってしまっていることに驚かさ れる。このシーンから、ルパンの変装というのが基本的に俳優のメーキャップのレベルのものであることも確認できる。「ルパンと言えばモノクル」というイ メージが定着しているが、本文中でモノクルの存在が印象的に語られているのは実はこのバーネットだけだったりする。
 ジョルジュ=デクリーエルのTVドラマ版ではバーネットは丸眼鏡をかけ金髪、縦縞の派手な衣装をつけた「見るからに詐欺師」風な変装になっていた。

 「バーネット探偵社」は原文では「Agence Barnett et Cie」。「Agense」が「事務所、紹介所」で、「Cie」が「会社」を表す(英語で言う「Co」)。「会社」と名乗ってるくせに社員はバーネット一人だけである(笑)。それだけでも十分うさんくさい。なお、ドラマ版では女性秘書を雇っていて、少しは「会社」っぽくなっていた。保篠龍緒は「バルネ探偵局」と訳し、やや個人事務所風の印象を与えている。
  「調査無料」の看板を掲げているバーネット探偵社は「ラボルド街の質素な建物」(偕成社版、矢野浩三郎訳)の中にあった。ラボルド街(Rue de Laborde)とはサン・ラザール駅から西へ抜けてオスマン大通りに通じる狭い通りだ。下に地図と、Google Mapの「ストリートビュー」による現在のラボルド街の眺めを掲載しておく。それにしても「営業2時から3時まで」とは、ずいぶん短い。他の時間は別の「仕事」をしていたのかな?

 

 『バーネット探偵社』は「ルパン史」のなかで年代特定が難しい。序文「カエサルのものは…」の中で「世界大戦のすこしまえ」と書かれているだけだ。「すこし」といっても多少の幅があるのだが、1908年の『奇岩城』から1912年の『813』ま での間の、「ルパン空白の4年間」の時期に入ることは確かだ。『八点鐘』が1908年秋のことではないかと推定する僕としては、『バーネット探偵社』はそ の翌年の1909年の話ではないかと仮に決めている。『八点鐘』『緑の目の令嬢』に続く「ベル・エポック回顧シリーズ」とみることもできるだろう。

  回顧は時代だけではない。主人公バーネットのキャラクターはシリーズ初期のルパンにぐっと近くなってきている。第一次大戦中の話で「国民的英雄」となって しまい、『八点鐘』『緑の目の令嬢』と「いいひと化」が進んでいたルパンだが、バーネットシリーズでは本来の「悪党キャラ」に立ち返り、けっこうえげつな いやり方で「ひと稼ぎ」をしている。直接的な泥棒ではなく、半ば合法的(?)に稼いでいるところがミソだ。「不正をこらしめ、すべてをその正しい場所にかえす正義の味方」(矢野浩三郎訳)などと言いつつ、その「正しい場所」とはほかならぬ自分のポケットである、というあたり、まさに初期の「怪盗ルパン」、「他人のものはオレのもの、オレのものはオレのもの」のノリの復活だ!
 ルパンがなんでわざわざ私立探偵業を始めるん だ、と思っちゃうところだが、まさに趣味と実益を兼ねた活動。もしかすると『奇岩城』の結末によりそれまで築き上げた泥棒ビジネスネットワークがオジャン になってしまったので、「地道に稼ぐ手段」として「ピンはね探偵業」を始めることにしたのかもしれない。

  なお、南洋一郎版の『ルパンの名探偵』は、やはり例によって「悪人からまきあげ、貧しい人や孤児に寄付するルパン」像に改変されているが、原作が原作なの で大幅に改変するわけにもいかなかったか、マイルドにはされてるけどそこそこワルさを残している。この『水は流れる』では第二の遺言状により遺産を相続す ることになる二人の従姉妹が「おそろしく強欲で冷酷で、貧しいものや孤児たちにつめたい老女」ということになっていて、それにいくよりはマシだろう、という論法が使われている。


☆蛇口をひねれば水が出る

 一方、今回の事件の舞台となるアッセルマン男爵の大邸宅はセーヌ川の左岸、サン・ジェルマン通りにあった。こちらはかなり長い大通りなので男爵邸の候補地はしぼりきれないが、『虎の牙』ドン・ルイス=ペレンナ邸がフォーブール・サン・ジェルマンにあり、当時そのあたりが高級住宅地であったというから、サン・ジェルマン通りの西側の方じゃないかな?と漠然と推測。

 さてこの『水は流れる』の一編は、水道が重要な役割を担っている。不貞をはたらいた若い妻を罰するべく死にかけた夫がしかける意地の悪い復讐が、蛇口をひねって水を流すだけで成し遂げられるという、結構怖いお話なのである。
  現代の近代的な生活を送る人間にとって、「蛇口をひねれば水が出る」というのはごく当たり前のように感じてしまうが、生活用水、ことに飲料水を家庭に持っ てくるまでに大変な苦難の歴史があったことを忘れてはいけない。パリはセーヌ川沿いに発達した都市だから昔からセーヌ川の水でまかなえたらしいが、人口が 増大し大都市に発展してくると水事情は凄まじく悪くなった。この水問題解決にとりくんだのが皇帝ナポレオン1世で、彼の命により19世紀前半のうちにウルク側から運河を引いてパリに水をもたらしただけでなく、町の各所に給水泉を設置して近場で水を採取できるようにした。さらにナポレオン1世の甥・ナポレオン3世による第二帝政期に、セーヌ県知事となったジョルジュ=ウジェーヌ=オスマン(Georges-Eugène Haussmann、1809-1891)が パリを近代都市に変貌させる大改造を行い、ヴァンヌ渓谷から水をひいて貯水池を作り、そこから水道管をひいてパリに上水道を整備している。このおかげで 「蛇口をひねれば水が出る」という生活が実現することになるが、当然全市民がその恩恵にあずかるには長い時間がかかり、20世紀初頭の「ルパンの時代」ま で水を桶に入れて売り歩く「水売り商人」がパリ市内に残っていたという。アッセルマン男爵のような大金持ちはとっくに「蛇口をひねれば水が出る」生活をし ていたのだろうけど。
 ただパリでは水道の水を飲むものじゃない、とよく言われる。世界的に見ればパリだけの話ではなく、フランスを含めたヨー ロッパで飲料用のミネラルウォーターが発達したのもそういう理由。「安全と水はタダ」とつい最近まで言われていた日本の方が変わっているというべきなの だ。もっとも近年パリではお役所が「水道水はおいしく飲めます」というキャンペーンをやってるそうで、多少は改善しているのかもしれない(笑)。

 上水道の話が出たところで、ついでに下水道の話も。
  19世紀の中ごろまでパリでは下水道は路上にむき出しの排水溝しかなく、各家庭の汚物が窓からホイホイと捨てられる凄まじく不衛生な状況だった。下水道の 地下化もやはりオスマンのパリ大改造の時に一気に進められ、1870年代までにはパリの下水道はあらかた地下にもぐり、非常に衛生的な状況となった。
  ただ…トイレのほうはそう簡単には衛生的になってくれなかったらしい。オスマンのころのフランスでは「東洋にならって『人肥』を農業に使おう」という考え 方が強かったそうで、水洗トイレよりも汲み取り式トイレの普及が進められていたのだそうだ。1880年の夏にパリ全体に異様な臭気がたちこめる事態が発 生、これはトイレのせいだということになって、パリ市当局は水洗トイレとそこから下水道へ放流するシステムの普及につとめることになる。反対意見根強かっ たためようやく1894年になって水洗トイレと下水道を結ぶ配管工事を家主に義務付ける法律が成立することになるが、それでも家主組合の反対が根強く、パ リの水洗トイレの普及はなかなか進まなかったとか。「ルパンの時代」である1910年の段階でパリ市内のトイレの水洗:汲み取りの比率は4:3ぐらいだっ たという。1923年にパリを訪れた日本の無政府主義者・大杉栄はホテルの汲み取り式トイレを見て「そのきたなさはとても日本の辻便所(公衆便所)の比じゃない」と驚いたそうである。(以上、パリ近代の上下水道事情については饗庭孝男編「パリ 歴史の風景」(山川出版社)および鹿島茂「パリ・世紀末パノラマ館」(角川春樹事務所)を参考にしました)
 ルパンシリーズの小説中、トイレが出てくる場面があった記憶はないのだが、そんな事情も知っておくと、いっそう楽しめるかもしれない?


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