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「麦わ
らのストロー」(短編)
LE FÉETU DE PAILLE
初出:1913年1月「ジュ・セ・トゥ」誌96号 単行本「ルパンの告白」所収
他の邦題:「見えざる捕虜」(保篠龍緒訳)「麦がらのストロー」(新潮)「麦藁の
軸」(創元)「麦わらの茎」(角川)「わら屑」(集英社)「わら男」(青い鳥文庫)など
◎内容◎
農場主グーソ親方の屋敷に泥棒が入った。犯人は浮浪者のトレナール老人で、6千フランの札束を盗んだところをグーソの妻に見つかったのだ。グーソ親方と
息子たちはトレナールを追跡、農場から外に出られないよう封鎖するが、トレナールは忽然と姿を消してしまう。どこを探してもまったく見つからず、検察も事
件性なしとして手を引いてしまい、そのまま4週間が過ぎた。そこへ村にふらりとやって来た青年が謎を解いてみせると言い出した…
◎登場人物◎(アイウエオ順)
☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。
☆グーソ親方
エベルビルの農場主。欲深で悪知恵がはたらき、息子たちどもども村人に恐れられている。
☆グーソの妻
グーソ親方の女房。強盗にあい、格闘する。
☆グーソの息子達
四人兄弟。いずれも父親同様に欲が深く乱暴で、村人に恐れられている。
☆トレナールじいさん
村をうろつく浮浪者。グーソ親方の屋敷に盗みに入った。
☆青年
村を通りかかったところで車が故障したため、宿屋で昼食をとるうち事件を聞く。
◎盗品一覧◎
☆千フラン札6枚
トレナールじいさんがグーソ親方の屋敷から盗み出したもの。ルパンがじいさんを発見、引き渡す際にちゃっかり頂戴していった。
<ネタばれ雑談>
☆探偵にして泥棒、田舎にもマメに登場。
「告白」シリーズの後期に発表されたこの一作だが、
『うろつく死
神』同様に田舎の小事件にルパンが首を突っ込む。ただし『死神』が人の命がかかった事件だったのに対し、この作品はたかが6千
フランぽっちの窃盗事件で、犯人も最初から分かっている。ただ犯人が姿を消してしまうところが謎なのではあるが、こんな事件にもマメに首を突っ込んで謎解
き趣味を満足させつつ、カツ
カツと稼ぐルパンさんなのである(笑)。まぁ後でトレナールじいさんに三ヶ月ごとにルイ金貨3枚を「謝礼」のようにめぐんでやってるところをみると、趣味
の方が大きかったんだろうな。
推理小説としてみると、これは
エドガー=アラン=ポーの
『盗まれた手紙』の系譜を引く作品だ。つまり隠し場所の古典ト
リック、「なかなか見つからないものはありふれたところにある」という心理の盲点をつくもの。ルブランは推理小説の元祖・ポーに傾倒していたと自らも語
り、『盗まれた手紙』をとくに意識していたと思われる。ルパンシリーズでは
『水晶の栓』で本文中に『盗まれた手紙』に言及し
(ルパン自身がこの作品を読んでいるのだ!)、それに負けない
トリックを創案しようと二段構えで努力している。『麦わらのストロー』はその直後に書かれたもので、やはり「目につくありふれた隠し場所」を中心テーマと
している。隠されているのが人間、というところがミソ。
アイデアは悪くない。舞台が農場であり、その中で人間が消失した、さてどこに消えたのか?という設定で、答えは農場にある「ありふれたもの」。ちゃんと
物語の最初に「登場」もしており、読者に対してフェアでもある。ただあまりにはっきり出てるのですぐ分かってしまう可能性も高く…また、そんなに急いで逃
げている時にそんなものの中に隠れることができるのか?さらには水を摂取する方法はいいとして、一ヶ月も絶食して持ちこたえられるのか?など、ツッコミど
ころも多い作品だ。
この作品はあまり出来がよくないとルブラン自身も考えたせいなのか、1918年に刊行された『ルパンの告白』普及版以降、本作は除外されてしまっている
(その後『うろつく死神』も同様の扱いになり、『怪盗紳士』に移動した)。
ところが日本では『うろつく死神』を外して『怪盗紳士』に移行させながら、この『麦わらのストロー』を『告白』に収録した訳本がいくつかある
(現行のものでは創元推理文庫版)。
南洋一郎のポプラ社版では独立した短編としてではなく、
『地獄の罠』から派生した南自身の創作作品
『ピラミッドの秘密』の中にそのストーリーが無理矢理組み込ま
れて使われていた
(詳しくはいずれその項目で)。そ
のため『ピラミッドの秘密』が省かれた現行の「シリーズ怪盗ルパン」では『麦わらのストロー』そのものが読めないという事態になっている。
☆フランスはパリ以外は全部田舎だ!
…というエスプリだかジョークだかを、大学のフランス語を教わった講師から聞いたことがある。なおこのお方、「フランスはいいところですよ〜フランス人
さえいなけりゃ」という「名言」も吐いていた(笑)。
後者はともかく、前者はある程度事実と言っていい。とくに人口稠密な東アジアからすればそう言っちゃっていい。日本と比較しても、フランスは日本の二倍
ほどの面積がありながら人口は日本のおよそ半分しかいない。西欧における先進工業国の一つではあるが同時に大農業大国であるというのもそれだけ「田舎」が
多いからだ。それはルパンシリーズを読んでいても、パリ以外の地方が舞台になるとき実感できる。
この話の舞台となっている村の地名の明記はない。ただ屋敷と農園の名前が
「エベルビル(Héberville)」となっており、これを
ネット検索してみたら…ちゃんと実在していた。それもルパンのホームグラウンド、ノルマンディーのコー地方のど真ん中である(右図)!この時期ルパンが拠
点としていた「エギーユ・クルーズ」のあるエトルタとも大して遠くない。
あくまで屋敷と農園の名前であって村の名前ではないとも思えるが、このあたり一帯はルブランに大いに土地勘があったから少なくとも名前を拝借した可能性
は高い。また仏語版Wikipediaによれば面積4平方キロ、人口100人ちょっと
(1960年代以前は200人ぐらいはいたらしい)という実に
小さい村なので、イメージもぴったりだと思う。グーソ親方はこういった村で広大な農園を経営する強欲な大地主、といった設定なのだろう。
事件の通報を受けて三人の「警官」が駆けつけてくる。気になったのは、現在刊行されている「告白」訳本のうち、偕成社・創元推理文庫・新潮文庫のいずれ
もがこれを「警官」と訳している中で、集英社文庫の「世界の名探偵コレクション10」の第2巻「アルセーヌ・ルパン」に収録された
堀内一郎訳『わら屑』のみがここを
「憲兵」と訳していることだ。これに合わせて前者が「巡査部
長」と訳すところを後者は「伍長」と訳している。
「憲兵」とは簡単に言えば軍隊内の警察のこと。国により多少の違いはあるが、憲兵は本来軍隊内の規律維持・不法行為防止のために活動する任務を帯びた軍
人である。で、これが占領地での治安維持、さらには国内での治安維持にも守備範囲が拡大するケースも少なくない。フランスの場合、地方の治安維持は憲兵隊
によるところが大きく、ルパンシリーズでも事件発生現場に憲兵隊が駆けつける場面がよく見られる。2004年に製作されたフランス映画「ルパン」でもトッ
プシーンのノルマンディーの場面で騎馬で駆けつけてくるのも憲兵隊だ。もちろん犯罪捜査にあたる全国組織の「国家警察」や地方ごとの「行政警察」も存在し
ており、捜査はそっちがやるようなのだが、田舎では彼らが急に駆けつけることが難しい場合があり、それは憲兵隊がまずやる、ということになってるらしい。
話を戻すと、ネット上で僕が見つけた原文ではここは
「gendarme」と
なっており、これは「憲兵」が正しい。だが他の訳本がそろって「警官」と訳しているところを見ると、これは底本のバージョンにより原文自体が異なっている
可能性が高い気がする
(ルブランは時代の変遷とともに「馬車」→
「自動車」など本文に手を加えることがままあったという)。舞台はかなりの田舎と思われるので、憲兵が駆けつけてくるほうが自然な気はする
のだけど。
☆チャリンコといえば…
いきなりだが、日本語において「チャリンコ」といえば関東弁では「自転車」を指すが、関西弁では「スリ」のことを指す。という話を枕に(笑)、怪盗ルパ
ンと自転車の関連話なぞ。
本作中、グーソ親方はこんなセリフを言っている。
「それから、誰かに警察へひとっ走りしてもらうんだな…そうだ、公
証人とこの子どもが自転車を持っている」(偕成社版、長島良三訳)
そう、自転車がまだまだ大変な貴重品だった時代の話なのである。
実用自転車の発明は1817年のドイツで作られた足で蹴って動かすタイプのものから始まったが、1860年にフランスでペダル式
(ただしチェーンではなく車軸に直接ペダルがつくもの)のもの
が発明されてから、急速に実用性が高まった。1870年代にはスピードを上げるため前輪を異様に大きくしたタイプのものが作られたが、1880年代には
チェーンで後輪を駆動させる現在のタイプの原型が作られ、急速に普及するようになる。そういえばシャーロック=ホームズにも『美しき自転車乗り』という一
話があったっけ。
この「自転車」に早くから目をつけ愛好していたのが、何を隠そう、ルパンの生みの親・
モーリス=ルブランだった。彼はルーアンですごした青春時代から、
当時まだ珍しかった自転車を愛用していたのだ。以前NHK衛星第二で放送した
「世界 時の旅人・ルパンに食われた男モーリス=ルブラン」と
いう番組では
「ルブランはもしかするとフランスで最初に自転車を
買った人間かもしれない」と
いうルブラン研究者の話まで紹介されており、1870年代のあの前輪の大きいタイプの自転車でノルマンディー中を走っていたとのこと。ルブランの父親は事
業で成功した大立者だったから、息子にこの最新鋭の乗り物を買ってやったのかもしれない。
作家になったのちルブランは1896年に「ジル・ブラス」紙に
「自
然の征服」と題する時評を書いており、この中で自転車を「人間身体そのものの改良」として絶賛した。さらに1898年に
『これが翼だ!(Voici des ailes)』という自
転車賛美そのものをテーマとする小説まで発表している
(左図はその
表紙)。彼がルパンシリーズを書く前の時期で、ミステリでもなんでもない、ある二組の夫婦がノルマンディー
の地を自転車で旅行し、それぞれ互いの夫・妻と交際する
(まぁいわ
ゆる「夫婦交換」みたいな)展開になるブンガク作品だと聞く。自転車論と女性論とが重なりあうというところがなかなか興味深く、主人公は自
転車を称えて
「これは運命が僕たちに授けてくれた翼だ!(中略)解
放された僕たちの魂のための翼なんだ!」とまで叫ぶと言う。
(以上の話はネット上にPDFで公開されている坂本浩也氏の論文「自転車をめぐるフィクション−
19世紀末フランスにおける速度の詩学と性差のイデオロギー」を参考にさせていただいた。ルブラ
ンとゾラの作品における自転車と当時の女性論を主なテーマとした論文で、少々難しい話ではあるが、ルパン以前のルブラン作品を取り上げた数少ない論考であ
り、実に興味深い内容を含んでいるので一読をお奨めする。こちらで公
開されています(PDFファイルなので注意))
ところでルパンが自転車を使うシーンは…あまり記憶にない。あえて挙げれば
『ルパンの脱獄』の裁判シーンで言及される、パリ万博の自転車
レースで優勝して一万フランの賞金を得た、という一件のみだと思う。それだけでもルパンも自転車を愛好している証拠にはなりそうだが、やはり仕事がらス
ピードが命なのでオートバイを使う方が多いのだろう。
なお、フランスと自転車といえば
「ツール・ド・フランス」が
有名だが、その第一回大会が開かれたのは1903年。まさに「ルパンの時代」なのだ!ルパンもこっそり参加していそうな…(笑)。
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