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「バルタザールのとっぴな生活」(長編)
LA VIE EXTRAVAGANTE DE BALTHAZAR
初出:1924年12月〜1925年1月「ル・ジュルナル」紙連載 1925年単行本化
他の邦題:「刺青人生」(保篠版)「バルタザールの風変わりな毎日」(創元)
◎内容◎
貧民街に住む孤児の青年、自称「哲学教授」として哲学講義や利き酒講義で生活をたてているバルタザールは、小説みたいな破天荒な冒険などありえないと否
定し、ありふれた日常の大切さを説いてまわっていた。もののはずみで教え子のヨランドと婚約したところ、ヨランドの父から「地位も財産もなく、父親も分からぬ男に娘はやれない」
と言い渡された。かくしてバルタザールの父親探しが始まる。
手掛かりはバルタザールの胸に彫られた「M・T・P」のいれずみ。まずは貴族が愛人に産ませた落しだねとの話が出るが、間もなく大盗賊団の首領の
子という話も出てくる。さらにはバルタザールの父と名乗る外国の領主や怪しげな詩人まで登場、バルタザールは凶悪な盗賊団やら国際的な大陰謀と戦争にまで
巻き込まれ、まさに「小説みたいな大冒険」を体験するはめになってしまうのだった。
◎登場人物◎(アイウエオ順)
☆アンジェリック=フリドラン盗賊グルヌーブとの間に男子ギュスターブをもうけた女性。軽業師のフリドランと結婚しサーカス団長になる。
☆エルネスティーヌ=アンリュークシー=バンドーム伯爵との間に男子ゴドフロワをもうけた女性。その後小間物屋の店長となる。
☆カタリーナレバド=パシャの元妻。夫との間に一子ムスタファをもうけるが、夫と対立しイギリス政府の支援を受けている。
☆グルヌーブ盗賊団マストロピエ一味の首領。
☆コロカント孤児の少女。バルタザールの秘書兼家政婦兼熱心な教え子。
☆シャルル=ロンドヨランドの父親。バルタザールの身元調査をして「父親を探せ」と言い渡す。
☆ジュルトリュード=デュ=フールバヤン=デュ=フールの妻。
☆テオドール=クシー=バンドームセーヌ・エ・オワーズに領地をもつ伯爵。狩猟中に謎の死を遂げる。
☆ドミニックボーメニルの運転手。
☆ハディジェレバド=パシャにとらわれていた若い女性。実はカタリーナの娘。
☆バヤン=デュ=フールバルタザールの隣人の酒飲み。
☆バルタザール貧民街に住む孤児の青年。自称「哲学教授」で、平凡な日常の大切さを日々講義している。
☆フリドランサーカス一座「アトラスのライオン」の軽業師兼格闘師。アンジェリックの夫。
☆フレーズ=デ=ボア「森イチゴ」というあだ名をもつ元某国王妃。正気を失い、パリ郊外で隠棲している。
☆ボーメニル
ドイツの詩人。某国王妃と駆け落ちし、一子ルドルフをさらわれた過去がある。
☆ヨランド=ロンドシャルル=ロンドの娘。個人教授を頼んだバルタザールに恋してしまい、一気に婚約に持ち込む。
☆ラ=ボルデット公証人。
☆レバド=パシャ東方某国の領主。フランス政府の支援を受けている。
<ネタばれ雑談>
☆明白な「非ルパンもの」なんだけど
『バルタザールのとっぴな生活』は1924年年末から1925年1月にかけて、ルブランがしばしばルパン・シリーズを連載した「ル・ジュルナル」紙に連載された小説だ。執筆年代順でいうとルパンシリーズの
『カリオストロ伯爵夫人』の次にルブランが手掛けた長編ということになる。
本作にはルパンはまったく登場せず、明らかにルパンシリーズではない。ルパンが登場しないルブランの探偵小説は
『女探偵ドロテ』『赤い数珠』のようにルパンシリーズとリンクする世界観をもつ作品もあるのだが、『バルタザール〜』はそんな要素もまったくない。物語の大半の舞台こそおなじみのパリではあるが
(途中で外国まで飛んじゃうけど)、基本的にはルパンシリーズとは全く別世界のお話と見ていい。
ところで、この小説が日本に紹介されたのは、かつて日本においてルパン翻訳を独占していた
保篠龍緒が
『刺青人生』の訳題で1950年に雑誌「宝石」に掲載したのが最初になる。そしてこの保篠訳「刺青人生」は日本出版協同、鱒書房、三笠書房の「ルパン全集」にも収録されている。保篠版ルパン全集は映画のノヴェライズ
『赤い輪』やSF
『三つの眼』『驚天動地』など、明らかにルパンとは無関係のルブラン作品も収録しているのだが、この『刺青人生』はそれらとは趣きが異なる。基本的に『バルタザール〜』のほぼ全訳といっていい内容なのだが、登場しないはずの私立探偵
ジム=バルネ(バーネットのこと)、すなわち
アルセーヌ=ルパンその人が物語の中に登場してしまっているのだ!もちろん保篠龍緒の勝手な改変である。ルブランが『バーネット探偵社』シリーズを書いたのは『バルタザール〜』発表より3年は後のことなのだから。
物語の前半で
「XYZ探偵社」なる興信所が身元調査をするくだりがあるが
(「シティハンター」を思い出してニヤリとする人も多そう)、保篠版ではこれがすべて
「バルネ探偵局(バーネット探偵社)」に置き換えられている。冒頭に
バルタザールが婚約者
ヨランドの家を訪れる場面で、ジム=バルネが唐突に登場し、
「警視庁切っての名探偵ベシューという警部は、我輩をアルセーヌ・ルパンだといっている」なんてセリフまで口にするのだ
(世間知らずのバルタザールはルパンの名も知らないので無反応)。物語の終盤になると詩人
ボーメニル(保篠版ではボーメス)が実はルパンの変装であり、ドミニックの化けた偽ボーメニルを捕まえ、ベシュに引き渡す場面まである。さらには
デュ=フールの死の床にまで姿を現し、デュ=フールの正体が
『黒真珠』に登場した
ビクトール=ダネーグルであると暴露する。バルタザールが
コロカントへの愛に気づくきっかけをつくる神父もルパンの変装になってしまっており、さらに最後の最後で「真相」を原作のものからさらにひっくり返してしまい、
「いずれこの青年を中心に一大冒険が起るような気がする」とルパンがつぶやき、
『813』へと話が続くことが示唆されて物語が終わるのだ。
改変するにしても「XYZ探偵社」を「バーネット探偵社」に変えるあたりでやめておけばよかったものを、と思う。それほど終盤は読んでいて混乱するばかり
の展開になっているのだ。なまじ大部分は原文に忠実な訳文であるだけに始末が悪い。原作ではハチャメチャな展開がきれいにまとまり、見事な余韻を残すエン
ディングが素晴らしいのだが、保篠版ではそれが全てブチ壊し。あまつさえ『813』に無理やりつなげるために、どうやらバルタザールが
ピエール=ルドゥック、あるいは
ジェラール=ポープレと同一人物であるかのような追加をしてしまったために、せっかくのハッピーエンドが悲劇の予兆となってしまい、原作を先に読んで感動した読者にはかなり不愉快な気分にさせられること請け合いだ。
日本出版協同版「アルセーヌ・ルパン全集」の第9巻「バルネ探偵局・刺青人生」(昭和27=1952刊)の保篠自身の序文によると、保篠がルブランからルパンの翻訳権を譲り受けた際に
「今、こういうものを書いた。近くフランスで発表するが、日本でも同時に発表してはどうか」と
『バルタザール〜』のタイプライター生原稿が送られてきたという。原稿にはルブラン自身の手による加筆訂正が大幅に行われていて、保篠は頭が下がる思い
だったと書いている。そして発表の機会がなかったことと「活字と違って読みにくかった」こともあってそのまましまいこんでおり、フランスでどこの雑誌に発
表されたのかも知らないと明かしている。このルブランから送られた『バルタザール〜』の生原稿が実際に保篠家に存在することは後年になって確認されてい
る。
保篠がルブランから翻訳権を譲り受けたのは大正時代、第一次世界大戦が終わったころと思われる。だとするとそのときすでに『バルタザール
〜』は書かれていたということになるのだろうか?作中に第一次世界大戦の影もなく、バルカン半島のトルコ領と思われる地方での英仏も絡んだ戦争が描かれて
いるので、確かに大戦前の時代設定なのではと思わせるところがある。ルブラン自身も発表の機会がないまま寝かしておいた小説だったのかもしれない。
保篠龍緒が戦後になってこの作品を引っ張り出し、ルパンものに改変してしまったのは、原作がフランスで発表されているのかどうか未確認だったせいもあるかもしれない
(ただルブラン作をかなりチェックしていたはずなので全く知らなかったというのも少々不自然)。読んでみるとなかなか面白いし、他に内容を知る人もいないんだから「ルパンもの」として出した方が売り上げもよかろう、という判断をして改作を手掛けた可能性がある。
保篠龍緒がこうした改作を行ったのはこれだけではない。同時期に準ルパンものである『赤い数珠』も
『赤い蜘蛛』という訳題で翻訳発表しているが、こちらも本来は登場しないルパンがやはりジム=バルネとして登場する改変が加えられている。さかのぼれば戦前にルブラン作ルパン短編の訳として発表された
『青色カタログ』『空の防御』は保篠の創作物と考えられているし、戦後にやはりルブラン作の訳として雑誌「宝石」に載った
『鐘楼の鳩』も他作家のものをルパンものに改作したものとみられている。またこれは明らかに自身の作と断ったうえでだが、戦後まもなく黄龍伯なる怪盗が活躍する「日本ルパン」なる冒険小説シリーズを書いてもいる。
『刺
青人生』を読んだ僕の感触では、ルパンを原作以上に変幻自在に活躍させるあまり話の流れに無理が出て読みにくいところなど、『青色カタログ』『空の防御』
二編とよく似た特徴を感じた。翻訳家としては優秀な人だったのだろうが、保篠氏はルパン愛がこうじるあまり自身の手で創作を行うと悪ノリがすぎる方だった
のではないかな、と思ったものだ。
『バルタザール〜』の原文に忠実な全訳が最初に出たのは1980年代に刊行された偕成社版「アルセーヌ=ルパン全集」でのことだ。当初この全集は全26巻
構成で発売予定リストが各巻の巻末に掲載されていたが、初版本では『バルタザールのとっぴな生活』が正式なルパンシリーズの一冊としてリストに名を連ねて
いた。ところが間もなく
「翻訳の過程で保篠氏による非ルパンものの改作であったことが判明したのでシリーズから除外します」という趣旨の「おことわり」が掲載され、いったん『バルタザール〜』をはずした全25巻構成に変更された経緯がある。その後非ルパンもののルブラン作品を集めた別巻5冊が追加され、その一作として『バルタザール〜』の全訳
(竹西英夫訳)がようやく日の目を見ることになったのは1987年3月のことだ。
偶然にもその同じ年の11月には創元推理文庫からも
『バルタザールの風変わりな毎日』という訳題で全訳が刊行された
(三輪秀彦訳)。この時期創元推理文庫も
『綱渡りのドロテ』『三つの目』『ノー・マンズ・ランド』といった非ルパンものルブラン作品を続々刊行しており、『バルタザール〜』もその一冊に加えられたのだ。
だから『バルタザール〜』の全訳版は日本では二種類存在することになるのだが、残念ながら創元推理文庫の非ルパンものはいずれも絶版で入手がかなり難しい
(古書店でもやや高めに扱われる)。偕成社版はまだしぶとく版を重ねているようだが、書店でも図書館でも
南洋一郎のポプラ社版に押されているのが実情で、しかも非ルパンものゆえにますます置かれることが少なく、目に触れる機会すらないのが残念なところだ。このハチャメチャな小説を読みたい方は、ぜひ直接の注文を。
☆二重の意味での「非ルパン小説」? 繰り返すが、『バルタザール〜』はルパンは全く登場せず、世界観的にもルパンシリーズとのつながりはない
(しいて言えば保篠版が「外典」と化しているが)。そもそも「探偵小説」「冒険小説」の枠組みに入るかどうかすら怪しい。実に面白いこと請け合いの小説なのだが、何小説と呼んでよいやら扱いに困る小説でもあるのだ。
主人公バルタザールは貧民の集まるバラック街に住む孤児の青年。見かけも貧相でまるでパッとしないし
(その割にあんがい女性にもてるようだが)、
知力的にも体力的にもまるでダメ。自称哲学教授として若い女性たちに「日常哲学」の講義をしつつ、近所の酒場で酒も飲めないくせにもっともらしい「利き
酒」講義をやって稼いでいる。生活スタイルは冗談みたいなものだが、本人はいたって大まじめな性格で、日々をつつましく誠実に暮らしている。
彼の説く「日常哲学」というのは短くまとめると
「小説のような冒険(アバンチュール)など望んではならない。平々凡々な当たり前の日常にこそ幸せがあるのだ」と
いうもの。当然本人は冒険なんてものは夢にも望んでいない。およそ冒険小説の主人公としてはふさわしからざるキャラクターなのであるが、そんな彼の前に貴
族、盗賊、外国領主、怪しげな詩人と次から次へと「父親」が出現し、物語の冒頭からジェットコースターに無理やり乗せられたみたいに大冒険を繰り広げる
――いや、当人は巻き込まれてアタフタしてるだけなのだが――というのが、この小説の珍妙さ、かつ大いに面白く読めてしまうところなのだ。文体も皮肉や
ジョークに満ちあふれ、ルブラン作品群の中でもっともユーモア小説の性格が強い作品といっていい。
このバルタザールのキャラクターは
「アンチ・ルパン」、すなわちアルセーヌ=ルパンの対極として創造されたのではないか、との指摘は古くからあるようだ。確かに自ら好んで冒険に首を突っ込
んでゆき、常に自らの手で運命を切り開き、危険をくぐりぬけることそのものに生きがいを見出しているようなルパンに対し、バルタザールの性格はまさにその
対極にある。バルタザールに言わせればルパンが繰り広げる冒険
(仏語の「アバンチュール」は冒険のみならず恋愛の要素も含む)なんてものは
「小説や詩の中にだけ存在する非現実的な大ウソであって、そんなものを夢想してはならない」のだ。
「哲学者」バルタザールが作中でしばしばつぶやく自身の異常な状況に対する冷静な分析を読んでいると、これはルブラン自身が「怪盗ルパン」などという荒唐無稽な冒険探偵小説を書いていることへの皮肉のつぶやきなのではないか、と思えてくる。
「わたしの父は、いわゆる探偵小説のファンだったのだろう。そして、おそらく、こんどの計画を、こうした小説の子どもだまし的なテクニックにしたがってつ
くりあげたものにちがいないのだ。わたしも探偵小説は何冊か読んだことがあるが、どれもこれも、まったくばかげたものだった…」
「わたしは、いまは自分は冒険小説のパロディーを演じているような気がする。小説家が、自分は現実のなかにとどまっていようと努力しながら、こちらのほうは、興にまかせて極端にまでおし進めてしまう、あの冒険小説というもののパロディーをだ」
「人間が運命によって異常なアバンチュールの主人公に選ばれていると思いこむことがあるが、その人間はほんとうのところはなんなのだろうか?いってみれば、その人間は、新聞小説なぞを書きちらしているへっぽこ作家がこれ以上ないぐらいの陳腐なトリックをもちいてつくった探偵小説のあわれな操り人形のような登場人物にすぎないのだ」(以上全て偕成社版、竹西英夫訳文) 上記三つのバルタザールのつぶやきは、小説の中にあってはあくまで比喩なのだが、
「新聞小説なぞを書きちらしているへっぽこ作家…」と
いうくだりなぞ、ルブランが自身を皮肉って自虐的に書いているとしか読めない。この小説、冒険小説でありながらその主人公が無理やり冒険をさせられること
に作者へ文句を言うという、まさしく「冒険小説のパロディー」であり、「メタ冒険小説」とでもいうべき、非常にユニークな小説でもあるのだ。
なぜか偕成社版ではカットされているのだが、実はこの小説にはルブラン自身の序文があり、これは創元版で読むことができる。その序文の冒頭は以下のような分で始まる。
本
当らしいものと、そうでないものとの境界線は漠然としており、誰かに決められるというものではない。ほんのちょっとしたことで、想像力による作品は茶番劇
になってしまい、せっかく悲壮なものにしようとした登場人物は、コミカルでばかげた姿をさらしてしまう。(三輪秀彦訳)
以下、この小説をあまりまじめにとらないでね、非日常的なものにしか価値がないなんて言ってるわけじゃないから、私はただ読者の気晴らしになるものを書こ
うと思っているだけなんですよ…という趣旨の言葉が続く。やや意味が取りにくい部分もあるのだが、この序文からもルブランが本作を「荒唐無稽な冒険小説の
パロディー」として書いたのだ、とアピールする意図は感じられる。
ルブランはもともと
フロベールや
モーパッサンを
師と仰いで純文学でデビューした。その後40代になってアルセーヌ=ルパンの創造により流行探偵小説作家となったが、内心そのことに忸怩たる思いを抱いて
いたと言われる。ノリにノって冒険小説を書き続け、大衆をわかせつつも、心のどこかで「こんな荒唐無稽なホラ話を…」と自分自身を嘲笑っていたのではなか
ろうか。『バルタザール〜』はそれ単体で実に面白い「荒唐無稽な冒険小説」の形をとりながら、「冒険小説なんて所詮こんなものさ」と皮肉って見せた、ある
意味で実験的意欲作といっていい。
偕成社版を訳した竹西英夫氏は巻末解説で
「わたしは本書を訳しながら、バルタザールがルパンのように思えてしかたありませんでした」と
書いている。両者の性格は正反対だが、捨て子同然の出生、社会的に認められない職業、多忙な中にも瞑想の時間をみつけること、どちらもけっこうおしゃれ…
といった共通点を挙げているのだ。それも一理あるのだが、そもそもこの小説じたい、小説家の都合で次々と冒険をさせられるアルセーヌ=ルパンその人から作
者および編集者・読者に対する「異議申し立て」をさせるという発想から生まれたのだと考えてみよう。そう考えてみれば、バルタザールは別の物語の中に「変
装」して現れた、小説中の架空人物であるところのルパンその人にほかならないと思えてくるのだ。
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