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「特捜班ビクトール」(長編)
VICTOR,DE LA BRIGADE MONDAINE
初出:1933年6〜7月「パリ・ソワール」紙連載 1933年9月単行本化
他の邦題:「ルパン再現」(保篠版)「特捜班のヴィクトール」「特捜班ヴィクトール」(創元)「ルパンの大冒険」(ポプラ)
◎内容◎
数年間なりをひそめていた怪盗アルセーヌ=ルパンが活動を再開した。90万フランもの国防債盗難事件の背後にルパンありと見た老刑事ビクトールは執念の
捜査を展開、ルパン一味と思われる謎の美女アレグザンドラに接近し、たくみに自らルパン一味に飛び込んでゆく。そしてついに、ルパンその人がビクトールの
前に姿を現した…
◎登場人物◎(アイウエオ順)
☆アルセーヌ=ルパン怪盗紳士。数年ぶりに活動を再開。
☆アルフォンス=オディグラン国防債券盗難事件のあった東部中央銀行の行員。
☆アルフレッドギュスターブ=ジェロームの家の庭師。
☆アルマンド=デュトレクエリーズ=マソンの友人。
☆アレグザンドラ=バジレーエフ公爵夫人ソビエトから亡命してきたロシア貴族の女性。30歳。
☆アントワーヌ=ブレサック盗賊団の首領。
☆アンナドートレー男爵の家の老女中。
☆アンリエット=ジェロームギュスターブ=ジェロームの妻。
☆エドゥアンパリ警察の主任警部。
☆エリーズ=マソン元踊り子で、ドートレー男爵の愛人。
☆エルネスティーヌ=ペイエ化学薬品会社に勤めるタイピストの女。
☆ガブリエル=ドートレードートレー男爵の妻。
☆ギュスターブ=ジェローム薪炭の卸商をしている市会議員。ドートレー男爵の家主。
☆ゴーティエ司法警察部長。
☆ジェルトリュードバイヤンの妻。
☆シャッサン夫人化学薬品会社の経理係。
☆セリフォスギリシャ人の富豪。
☆ニコラタクシー運転手。
☆ハーベー=マーディングイギリス人。
☆バイヤン鉄道員。
☆バリドゥ予審判事。
☆ビクトール=オータン特捜班に所属する老刑事。執念深い捜査でルパンと対決する。
☆ビーミッシュイギリス人。ルパン一味に属するらしい。
☆フェリクス=ドゥバルギュスターブ=ジェロームの友人。遊び人。
☆マクシム=ドートレー男爵。シャンパンの商売でパリに通勤している。
☆マルコス=アビストペルー国籍の老退役軍人。
☆モーレオン司法警察の警視。ビクトールの直属上司。
☆ラルモナ定年になった元刑事。
☆ルフェビュール司法警察の刑事。ビクトールを尊敬し、そのまま警察の仕事を手伝っている。
☆ルボー司法警察刑事。
☆レスコーシャッサン夫人の愛人。
◎盗品一覧◎
◇国防債券ストラスブールの銀行から持ち出されたもの。9枚で90万フラン相当という。
◇セフィロスの切手コレクション富豪セフィロスが1000万フランを希少切手に変えて子ども用アルバムにはさんでいたもの。
<ネタばれ雑談>
☆怪盗ルパン、再び現る。
本作
『特捜班ビクトール』は、かつて
保篠龍緒訳によるルパン全集では
『ルパン再現』という訳題がつけられていた。「再現」といっても、この場合は「再び現れる」という意味。この訳題はおそらく本作の英語版タイトル
「Return of Arsene Lupin」にならったものと推測されている。
本作は
『二つの微笑をもつ女』のすぐ翌年に発表されている
(本文中でも「二つの微笑」のエピソードに触れている)。ルパンシリーズ自体はコンスタントに続いているはずなのに、なぜこんな訳題がつけられたのか?それは内容を読めば分かるように、「数年間なりをひそめていたルパン」が活動を再開する物語になっているからだ。そしてその「数年間」とはいつからの話かと言えば、実に
『虎の牙』のラストの引退以後のこと。『虎の牙』以後のルパンシリーズは
『カリオストロ伯爵夫人』のような「ルパン誕生秘話」のほか、
『奇岩城』と
『813』の間の空白期を埋めるベル・エポック時代のエピソードがつづられてきたが、ここでついに『虎の牙』以後、すなわち第一次世界大戦後にルパンが引退表明をしたあとの物語が執筆されたのだ。だから英題も「帰って来たルパン」と大々的に打ち出されたのだろう。
思えばすでに第一次世界大戦も終わって十年以上が過ぎている。もはや大戦前の古き良き時代を懐かしむストーリーはもう古い、との判断があったのかもしれな
い。またこの前年の1932年からルパン単行本の発行元であるピエ−ル・ラフィット社から「疑問符叢書」というミステリ本シリーズに旧作のルパン物語がリニューアルされて次々と刊行されており
(「怪盗紳士ルパン」や「奇岩城」の訳本に異同が生じたのはこのリニューアルが原因)、それがまた新しい読者を得て、「新しいルパン」を求める読者や編集者の声につながっていったのかもしれない。
そう思わせるのは、この「疑問符叢書」版の『虎の牙』のラストが、当初のルパン円満引退から大きく変更されており、彼が何らかの理由で
(妻の死のようにも読める)引
退した屋敷を引き払い、また新たな冒険人生に飛びこんでいったかのようにしめくくられている事実だ。このバージョンは日本では創元推理文庫版で読めるもの
で、手軽に入手できる文庫本であることからこの結末を読んだ人もかなり多いはずだ。この改変がなされた理由は、やはり『虎の牙』後のルパンの冒険を書くた
めであったとしか思えない。
そしてもう一つ、『虎の牙』後の話を書かねばならない理由がある。『カリオストロ伯爵夫人』の中で予告し
た、「ルパン最後の冒険」の存在だ。『カリオストロ伯爵夫人』の冒頭で「カリオストロとの決着がつくまで発表を差し控えていた」という趣旨の断りがあり、
それからすると『伯爵夫人』が発表された1923年にはルパンとカリオストロ伯爵夫人の「決着」がついていたということになる。その「決着」の物語が
『カリオストロの復讐』なのだが、それは明らかに『虎の牙』以降の年代となる。ルブランとしては自身最後のルパン物語として構想していたであろう『復讐』の発表に向けて地ならしをしておこうという意図もあったのではなかろうか?本作に続いて出版された
『赤い数珠』は非ルパンものだが『復讐』の前日譚ともなっており、これもそうした「地ならし」の一つだったのではないかと思えるのだ。
☆ホンモノはどっち!? かくして安穏な引退もフイにされて再び冒険に乗り出すことになったルパンであるが、1974年生まれの彼も第一次大戦後では50歳に近付いている。さすがに
ヒーローものの主役とするにはいささか無理もあった。また社会全体も大きく変わった大戦後のフランスにおいて新たなルパン物語を紡ぎ出すには、何か新機軸
も必要だ。
その難題に対する解答が本作における
「偽ルパンとの対決」だったと思う
(繰り返すが、ここはネタばれ雑談。しかしたいていの人は途中で気づくはずだ)。有名ヒーローものではネタが尽きたころにこの手の「偽物ばなし」が出てくるとよく言われるが、ルパンもその例外ではなかったわけだ。偽物の怪盗ルパンの暗躍に対し、初老刑事の
ビクトールがなぜか異様な執念と怒りをもって捜査を進めて行き、最後の最後でその理由が明かされる、という趣向を使うのはこの時しかなかった――ということも言える。
ルパンが刑事に化けているというアイデア自体は『813』の二番煎じという感が否めない。植民地で死んだ人物になりすますというところまで一緒だ。ただ今
回も捜査の第一線で活動するベテランの初老刑事ではあるが、指揮官的な立場にはないほとんどヒラの刑事で、その地道かつ執念深い「芋づる方式」の捜査ぶりが「ルパンもの」であることを忘れさせ、な
かなか読ませる「警察小説」になっているところも本作の魅力だと思う。上司にしてライバルとなる
モーレオン警視との捜査合戦もこれまでのルパンものではありえなかった独特の味だ。
読者がその「正体」にほぼ気づくのは、アレグザンドラに接近していく過程で変
装やスリのテクニックなど、警察官ではありえない非合法な手段をとりだすあたりからだろう。思い起こせば、そもそも彼が事件に首を突っ込んだきっかけが映
画館で見かけたアレグザンドラだったのだから、「美女」が行動の動機になるあたり、やっぱりその正体は最初から明らかなのだ。
一方、物語の後半になってやっと本人の登場となる「アルセーヌ=ルパン」の方だが、名前だけ出てくる前半でも何となく「らしくない」雰囲気が漂っているか
ら察しのつく読者も多いはずだ。パリを離れたフランス東部のストラスブールで“目撃”されているということ自体が「らしくない」し、狙っていた国防債券が
先を越されて何人もの素人たちの手を渡ってしまうところも「らしくない」不手際だ。そもそもその過程で殺人が二件も起こっているのもおかしい。ルパンらし
さと言えば、タクシーの中に隠された債券をまんまと盗みとって「ありがたく頂戴した」なんて書いた名刺を残していく場面ぐらいだろうか。
ただこれも
ブレサックがルパンのやり口をしっかり研究していたからこそ。彼の隠れ家に
「アルセーヌ・ルパンの冒険譚」が全部そろっている、という場面には、ルパンならずとも苦笑してしまうところ
(ここでさりげなくビクトールが「ぜんぶそらんじてますよ」と言ってるのもポイント)。
しかしやはりルパン全集を読んだだけで「ルパン」になれるほど泥棒稼業は甘くない。一千万フランの大金を狙って侵入した先で、次から次へとボロを出してし
まい、「本物」を前にしては頭脳でも体力でもてんで立ちうちできない。そのだらしなさを「本物」の方は「ルパン(Lupin)」ならぬ
「うさぎ=ラパン(Lapin)」とダジャレでからかっている(笑)。
いよいよ正体を現した「本物」が見せたのが軽快なダンスステップ「アントルシャ」だった。ルパンが嬉しくなってしまうとついついやってしまうもののようで、
『水晶の栓』で踊ってみせたシーンを彷彿とさせる。最後の最後、アレグザンドラの前にビクトールよりずっと若々しくカッコいい姿で登場するのも「本物」ならではだ
(それもまた変装の一つなのかもしれないが)。
☆これはいったいいつの時代? ところでブレサックは「ルパンの冒険譚」を全て本棚にそろえていると言ってるが、それはどの作品までだったのだろうか?
ビクトールが侵入先の部屋の中をじっと見つめて隠し場所を探すシーンがある。そのやり方は『二つの微笑をもつ女』でルパンが披露したものなのだが、ブレ
サックはそれを知らない様子。とすると、これは『二つの微笑をもつ女』が発表された1932年以前のこと、と考えられる(笑)。
後年書かれた
『ルパンの大財産』の
中で、ルパンが「ビクトールとの冒険」が『カリオストロの復讐』と並んでつい最近であり、自身最後の冒険の一つとして語られる場面がある。『カリオストロ
の復讐』でルパンが50歳間近となっているので1923年とすると、『特捜班ビクトール』の年代はそれより少し前。『復讐』も『ビクトール』も季節は春に
なっているので一年前のことと推定すると、『ビクトール』の年代は1922年となる、というのがルパン研究者の間での通説だ。先述のように『復讐』のエピ
ソードが起きたのが『カリオストロ伯爵夫人』の発表時期直前と推定されることもこの説を補強している。
だとすれば、ブレサックの本棚にあった
「ルパン冒険譚」は『虎の牙』あたりまでしかなかったことになり、彼が『二つの微笑をもつ女』のエピソードを知らなかったのも無理はない(笑)。もちろん
楽屋話的に言えば、ルブラン自身が執筆から間もなかったエピソードを引用したというだけのことなんだけど。
ただし、ルブラン自身が『ビクトール』の話を1922年ごろときっちり意識して書いていたかどうかは疑問もある。
亡命ロシア貴族であるアレグザンドラは30歳の設定となっている。彼女が自身の悲惨な過去を回想するくだりで
「十五歳で婚約したが、突然つむじ風のように不幸が襲ってきた」と
語っており、この「不幸」とは明らかに1917年のロシア革命を指していることからアレグザンドラは1902年ごろの生まれと推定される。その彼女が30
歳となると、『ビクトール』の年代はルブランが執筆していた時点の1932〜33年ごろということになってしまうのだ。
『特捜班ビクトール』自体が「引退後のルパンの新たな冒険」として書かれた事情もあり、また久々にベル・エポックから離れたルパンを書いたことでルブラン
自身も「現代の話」と思いこんで書いてしまったのかもしれない。あと、あくまで僕が読んでみての印象なのだが、小説中に描かれている社会風俗などは
1930年代と見た方がしっくりするように感じられる。
さしものルブランも70歳に近付いており、この件に限らず矛盾や誤記などミスが増えている…という話もある。こうした話は創元推理文庫版の
『特捜班ヴィクトール』(井上勇訳)の訳注にあり、第八章の「カンブリッジの大戦」中に二か所ミスが指摘されている。一つはモーレオン警視の指示を受けて
ルボー刑
事が「飛び出していった」直後にまたすぐ「飛び出していった」という変な記述があること。もう一つはビクトールがアレグザンドラと電話をしようとして
「345号室」となぜか自分の部屋の番号を交換手に告げ、さらに門衛にまで「345号室のご婦人」と聞いているという点だ。
ルボー刑事の記述に
ついては創元社以外の訳本、例えば全訳である偕成社版(羽林泰訳)を見ると全く矛盾がないようになっており、インターネット上で確認できるフランス語原文
でも偕成社版と同じになっていたので、創元版が底本としたアシェット版に問題があったのかもしれない。あるいは最初は矛盾した描写になっていたのを訂正し
たのが偕成社版の底本なのだろうか。
「345号室」については偕成社版も全く同じで、訳者が誤りに気がついて「原文のまま」と注を入れている。
これはかなり明白なうっかりミスで、ルブランもついついアレグザンドラがビクトールの部屋にいると思いこんでしまったのか、あるいはアレグザンドラの部屋
番号を決めてなかったのでビクトールの部屋番号と混線してしまったのか…。
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