怪盗ルパンの館のトップへ戻る

「山羊 皮服を着た男」(短編)
L'HOMME A LA PEAU DE BIQUE
初出:1912年刊行の英語版『ルパンの告白』"The Confessions of Arsene Lupin"
他の邦題:「第三の男」(保篠龍緒訳)「怪巨人の秘密」(ポプラ)

◎内容◎

 サン・ニコラの村の広場に、いきなり暴走車が突入してきた。転覆・破壊された車のそばから惨殺された女性の死体が、間もなくその女性と一緒に車に乗って いた男性の死体も発見される。車を運転していた第三の男、「山羊皮服を着た男」の行方は全く分からない。謎だらけの事件に、アルセーヌ=ルパンが首を突っ 込んだ。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。本作では謎解きをする探偵役としてのみ登場。

☆ブラゴフ
考古学者。オーストラリアで研究を進めていたが、帰国。

☆ブラゴフ夫人
考古学者ブラコフ氏の妻。共にオーストラリアに在住してい た。

☆わたし

ルパンの友人で伝記作者。


◎盗品一覧◎

なし。


<ネタばれ雑談>

☆未読の人も多いルパンシリーズ異色の一編

 この『山羊皮服を着た男』は発表の経緯がかなり変 わっている。本国フランスにおける初出は1927年3月に刊行された『フ ランスの作家達による愛』というアンソロジーに収録された時なのだが、それより15年も前に1912年に英米で刊行された英語版『ルパンの告白(The confession of Arsene Lupin)』の中で『モルグの森の惨劇(A Tragedy in the Forest Morgues)』と題して先に発表されているのだ。『ルパンの告白』の単行本が本国より先 に英米で出ていること自体も驚きだが、そこに本国では未発表のものが紛れ込んでいるというのはもっとビックリ。

 もちろん本作は他人に勝手に作られた贋作ではなく、レッキとしたルブラン自身の作である。ただしルブラン自らが英文で先に書いていたなんてことではな く、翻訳にかかる手間を考慮してか、ルブランは書き上げた原稿をフランスの出版社に送る前に外国の翻訳者に直接送ってしまうことが多かったのだ。そしてそ のあとで本国での発表を中止(没にしたか、原稿を紛失したかはわか らない)してしまい、外国で先に発表されたケースが出てくる。『バーネット探偵社』英語版のみにあった一編『壊れた橋』などはフランスでは長いことその存在すら知られて いなかった。だから保篠龍緒のルパン全集にのみ見られる『青色カタログ』『空の防御』の2短編ももしかすると…と言われているのだが。
 ともあれ、1912年刊の本に収録されていることから、この短編はルブランが『告白』シリーズを書いていた1911年から1912年の間に執筆されたこ とは疑いない。伝記作者である「わたし」が登場している ことも本作が『告白』シリーズの系列に連なることを示唆している。ただ他の短編と比較してかなり小粒な作品であり、また英題に一目で明らかなようにエドガー=アラン=ポーへのオマージュ作品という性格が強い内容 で、ルブラン自身が「遊び」で書いたもののように感じられる。それともポーの母国アメリカの読者へのサービスみたいなものだったのか?

 日本での紹介は保篠龍緒が1929年刊行の「ルパン全集」(平凡社)に「第三の男」と題して収録しており、どうやら英語版「告白」か ら訳出しているものらしい。その後南洋一郎が『告白』を ベースにした『七つの秘密』(1959年刊)に本作 を『怪巨人の秘密』と題してほぼ原作に忠実な内容で 収録しており、他の収録 作『日光暗号の秘密』(太陽のたわむれ)の内容から するとやはり英語版をベースにしていることが推測される。ただし現在刊行されている南版「シリーズ怪盗ルパン」の『七つの秘密』では『怪巨人の秘密』は除 外されており、読むことが出来なくなってしまっている(本文中に 「劣等なやばん人」という表現が連打されるせいかもしれない…)
 フランス語原書からの翻訳は1979年の『名探偵読本7怪盗ルパ ン』(パシフィカ)に掲載された榊原晃三訳 の『鹿皮服を着た男』が最初となるようで、この訳は 『山羊皮』に変更した上で偕成社版「アルセーヌ=ルパン全集」の第25巻『ルパン最後の事件』(1982年刊)に収録されている。その 後、岩崎書店の「アルセーヌ・ルパン名作集」にも長島良三訳 のものが収録されているが、いずれもあまり出回っているものでもないため、ルパンものを全部読んだつもりで本作を読んでない人が少なからずいるものと思わ れる。


☆推理というよりSFかな?

 本作は主役はとくにルパンでなくてもいいような、ごくごく小粒の謎解き話だ。不可解な事件が起こり、それをルパンが話を聞いただけであっさりと解き、新 聞への寄稿でそれを発表する。ほぼそれだけの話である。さらには伝記作者「わたし」が「七、八十年も前にエドガー=アラン=ポーが同じテーマでもっともすばらしい 短編のひとつを書いている」と楽屋話スレスレのセリフを言い、本作がポーによる元祖推理小説「モルグ街の殺人」(1841年発表)へのオマージュ以外の何 者でもないことを暴露してしまう。ついでに言えば「モルグ街」でデビューした「元祖名探偵」オーギュスト=デュパン(Auguste Dupin)はルパン (Lupin)と姓が一文字しか違わず、ともにパリ在住、ともにフランス貴族の落ちこぼれ(?)である。
 ルブランは後年ポーの影響を強く受けたと自ら語っているそうで、この短編とほぼ同時期に書かれた『水晶の栓』もたぶんにデュパンものの「盗まれた手紙」を意識して書かれており、作中でルパンもそれ を読んでいることが明記されている。

 さて本作は最初に発表された英文ではタイトルを見ただけで分かっちゃうように、「類人猿」が犯人だっ た、という結論になる(「モルグ街の殺人」未読の方、すいません)。 今日からすると非現実的で、「推理小説」としてはどうなのよ、とツッコまれることだろうが、この作品執筆時点ではかなり「科学的」な裏づけに基づき、そこ に想像をたくましく付け加えたもので、むしろ「SF」ととらえるべ き作品ではないかと思う。

 「類人猿」といってもゴリラやオランウータンやチンパンジーではない(それらはドーブレック代議士のあだ名で使われてたっけ)「類人猿というよりは猿人」という文章があるように、化石人類 であるピテカントロプス・エレ クトゥス、いわゆる「ジャワ原人」が現代まで 生きていた、という設定であり、そのためいっそう人間に近い行動をすることに説得力が与えられているのだ。
 この小説に出てくるブラゴフなる学者はもちろん創作だが、新聞記事中にその名が出てくる「デュボワ博士」、および「アメギノ氏」はいずれも 実在人物。前者はユージン=デュボア(Eugene Dubois, 1858-1940)というオランダの学者で、1886年から当時オランダ植民地であったインドネシアで調査を始め、1894年にジャワ島 で「ジャワ原人」の化石を発見している(本文に「1891年に発 見」とあるがこれはルブランの誤りと思われる)。後者はフ ロランチノ=アメギノ(Florentino Ameghino、1854-1911)というアルゼンチンの博物学者で、世界中の化石を収 集・研究して生物の伝播に関して権威となっており、人類起源問題にも首を突っ込んでいた(人類南米起源説も唱えたらしい)。なお、アレギノの名は彼の 業績を称えて月面のクレーターにもつけられているそうで。

 ちょいと「人類史」研究の歴史を眺めてみよう。生物が進化するという発想自体は19世紀前半にはすでに説として唱えられていたが、それを自然淘汰理論で 体系化したダーウィン『種の起源』が発表され人々に衝撃を与えたのが1859年のこ と。その直前の1856年にドイツでネアンデルタール人の 化石発見があり、人類そのものも「進化」するという可能性が示唆されつつあった。1868年にはフランスでクロマニョン人の化石が発見され、19世紀末には人類起源問題 も真剣に論議されるようになり、先述のデュボワもヨーロッパ以外で人類が発生したとの仮説に基づいて東南アジアを調査し、その結果「ジャワ原人」の化石を 発見している。宗教的な理由からこうした研究に異を唱える人もいたのだろうが(アメリカには今も多いし)、科学技術の発展と自然科学の探求 が飛躍的に進んだ19世紀から20世紀初頭にはこうした研究が宗教を圧倒して「事実」として認識されるようになっていた。

 ルパン譚の番外と言ってもいいこんな一編にもさりげなくそんな「科学の時代」ぶりが反映されているわけだ。ルブランはこのあと『三十棺桶島』でも当時最新の科学といっていい放射性物質をと りあげるなど、科学に関心が高かったのかもしれない。彼はこのあと異星人との平和的コンタクトをテーマとした『三つの眼』や、地殻変動の大異変をテーマとする『驚天動地』といった、今から見ても先駆的と思えるアイデアの SFミステリ的な作品もものしている。
 なお、南洋一郎の『怪巨人の秘密』では、ルパンが「ぼくは進化論 にはとくにふかい興味をもっていて、パリのかくれ家の一つには、りっぱな研究室もあるんだ」と言っちゃうセリフがある。そういえば若いうち に医学生になって驚くべき研究をしていたこともあるし、案外ルパンもいっぱしの科学者なのかもしれない。


怪盗ルパンの館のトップへ戻る