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「ル パンの大財産」(長 編)
LES MILLIARDS D'ARSÈNE LUPIN

<ネ タばれ雑談その2>

☆年代と舞台の特定

 『ルパンの大財産』はルパンが「50歳まぢか」とされる時期の話なので、ルパンが1874年に生まれたとする通説に従うと、1924年の事件ということ になる。
 ただし作中で「十月二十日火曜日」と いう明記がある。万年カレンダーで調べてみると、10月20日が火曜日になるのは一年ずれた1925年だ。これまでもこうしたズレはちょくちょくあったこ となので、だいたい1924年か1925年、とアバウトにとることにしておこう。ちなみに1925年は日本の大正14年。翌年から「昭和」に突入する、そ んな時代だ。

 物語の発端はシリーズで初めてフランスではなくアメリカから始まる。その最大の都市であり、この時代すでに摩天楼がそびえていたニューヨークだ。マフィアが絡ん でくる話でもあるし、ニューヨークが発端の舞台として似つかわしいと考えたのだろう。
 マフィアがルパンの財産を狙ってくる話だからアメリカが最初の舞台となっているとも思えるが、同時にルパンシリーズが戦間期においてはとくにアメリカで 人気を博していたということも考慮していいだろう。『虎 の牙』は アメリカでの映画化を前提に書かれてアメリカで先に出版されたものだったし、第一次大戦集結直後に映画版「虎の牙」が、1930年代には「アルセーヌ・ル パン」「アルセーヌ・ルパン・リターンズ」の映画二本がハリウッドで製作されている。ルパンもの ではないが、ルブランがハリウッド映画のノヴェライズ版として書いた『赤い輪』も全編アメリカが 舞台となっているなど、ルブランとアメリカの縁は結構深いのだ。ルパンもの新作をアメリカから始まりアメリカで終わる物語に仕立てたのは、あるいはアメリ カのルパンファン向けサービスの意図もあったかもしれない(た だし本作はアメリカでは発表されていない)

 アメリカでの話が終わって、パトリシアは大西洋を船で渡り、いったんフランスに上陸してからイギリスのポーツマスに渡る。それからパリのエトワール広場 のホテルに入り、ようやくいつものルパンシリーズのホームグラウンドにやってくる。
 本作でのルパン、オラース=ベルモンはパリ市内、「オー トゥイユ地区サイゴン通り23番地」に 居住している。オートゥイユとはパリ南西部にある地域だが、「サイゴン大通り(avenue de Saïgon)」は地図でいくら探しても見つからない。「サイゴン」といえば当時フランスが 植民地にしていたベトナムの都市の名前で、ベトナム戦争後に「ホー・チ・ミン」と名前が変えられたから、それと連動して改名されたのかもしれない。ただ、 オートゥイユとは全く違うパリ市内に「サイゴン通り」が今もあるのも確認できたので、あるいはまったく架空の地名ということかもしれない。

 銀行家アンゲルマンの屋敷があるのは、パリの高級住宅街「フォー ブール・サン・ジェルマン」。『虎の牙』でド ン・ルイス=ペレンナがその入口に屋敷を構えていたことがある。
 パトリシアが幽閉され、ロドルフに 案内されてルパンが救出に向かう先が「ラ・ ボーム通り(Rue de La Baume)」。こちらはロドルフのセリフにもあるように「オスマン大通りと並行」したところにちゃんと実在している。
 ルパンがパリを離れ、一時仮住まいする「赤い館」はマ ント(Mantes)の近くにある。マントはパリを中心とする「イル・ド・フランス」地域の北西のはずれ、ノルマンディーと接 する位置にある。ノルマンディーをもう一つのホームグラウンドとするルパンにとってはちょうどいい地点だったのだろう。


☆ルパンの資産総額は?

 この物語はいつも人の財産をかすめとっていたルパンが、ついに自分自身の財産を他人に狙われるという話になっている。なんだかんだで30年以上 も泥棒家業にいそしんできたルパンである。確かに相当の財産をためこんでいただろう。どのくらいの財産かと聞かれた本人はこう言っている。

「…評価するのがむずかしいくらいに ね……数十億…七十億か…八十億か…たぶん九十億…」(榊原晃三訳)

 このセリフのあとで「百億ちかく」と いうセリフもあるので、九十数億フランということになるだろう。さてしかし、日本人である我々にはこの百年近く前の「百億フラン」というのがどのくらいの 額なのか、ピンとこない。
 世の中便利になったもので、こうした疑問にズバリ答えてくれるページが国立国会図書館サイト内にあった(→「過 去の貨幣価値を調べる」。 このページにはうまいぐあいに「1920 年=大正9年のフラン→円の換算法」が出ているのだ。1920年といえばこの物語の時点とほぼ同時期とみていいから非常に都合 がよい。それを参考に計算してみよう。

 まず当時の為替レートでは1円=6.32フランであったという。つまり1フラン=およそ0.158円ということになる。それで百億フランだから、およそ15.8億円。ただしこれは 当時の日本円の価値による。当時の1円というのは今とは全然違って結構高いものなのだ。
  続いて当時の日本の物価を計算に入れねばならない。一応の基準として「戦前基準企業物価指数」というやつで確かめてみると、1920年に対して2006年 (平成18)の物価では416倍もの差があるとされているので、1フラン=0.158円を416倍すると現在の日本円の価値になる。つまり1フラン=約 65.72円となる。それに百億をかけるわけだから、ざっと6572億円と いうことになる。ま、あくまで一つの指標であってこういう時代を超えた比較というのは単純ではないのだが。

  では当時のフランスにおいて、「百億フラン」とはどれほどのものか。比較のために当時のフランスの国家予算を調べてみた。ネット上であたってみて見つけた ものでは、1920年代末から1930年代にかけてはフランスの国家財政の歳出額は500億フラン前後で推移していた。つまりルパンの総資産はフランス国 家予算の5分の1くらい、というわけだ!
 参考までに当時の日本の国家予算を調べてみると…この物語の時点である1924年の日本の一般会計歳出額が「15億2498万円」である(多少の幅はあるが1920年代はだいたい15億円前 後)。このほうがとっつきやすいだろうか。ルパンの資産は当時の日本の国家予算並み、 ということなのだ!そりゃマフィアでなくても狙いたくなるだろう。しかも全て非合法な手段によって得たものなのだから。

 それにしても良くためたものだと思うが、どうやってためたかについてルパン自身が説明してくれている。「七、八百件の仕事で、平均して一件で一千万のもうけと しておきましょう」と。ルパンが30年を超える泥棒人生でどれだけの仕事をしたのか、本人も正確には分かっていないかもしれな いが、多く見て800件ぐらいは仕事をしているらしい(年 平均で27件ぐらいか)。そして平均一件につき1000万フラン稼いだとして80億フランを楽勝で超える、というわけだ。
 しかしルパンいわく、その一件の稼ぎのためには大変な苦労とリスクがあるという。「複雑な計略、体力を消耗させられる探検、せまる危険、 負傷、おそるべき戦い、落胆させられる失敗」といったものだ。そして集めた財産を維持するのも一苦労らしく、「分のわるい投資、暴落する投機、経済恐慌、年々増えて いく生活費、住居費を。しかもルパンはけちけちしません!」ということで財テクの失敗や経済情勢、出費の増加といった問題も抱 えているという。「けちけちしない」と言ってはいるけど、結構きっちりためこんでいるところを見ると、彼なりに地道に老後の備えをしているようにも思える (笑)。その結果が百億フラン近くの大財産なのだ。

 そうやって苦労してためた財産であるからこそ、その執着度も物凄い。ルパンが若いころに「他人さまの財産についてはいささか変わった考えを持っ ているが、自分の財産となれば話はまるで別というもんさ」(「白鳥の首のエディ ス」)と、まさに「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」と明言した ことがあるが、ここでは年を取ったせいもあってか「これは神聖犯すべからざるものです。自分の財産が狙わ れていると思うだけでもう彼(ルパン)は、われを忘れてしまいます。すると彼は凶暴になるのです」とまで言うほど執着心は増し ている。実際、本作でマフィアから「一億よこせ。それでも君にはまだ数十億ある」と言われても命の危険を冒してまで拒絶するのだ。
 パトリシアから「盗んだ物にそんなに執着してなくても」と言われると、「“とる”というのは“得る”というよりずっとむずかしいんですよ。何倍もの危険が ともなうのです!」と彼一流の泥棒哲学も披歴している。これでは南洋一郎版みたいに盗んだ金を寄付や施しに回すなんて絶対にし そうにない(笑)。

  ところでルパンはその大財産をいかなる形で保有しているのだろう。前作『カリオストロの復讐』では多くの銀行のほか、フランス各地の洞窟や川岸に宝石や金 の延べ棒の形で隠してあることになっていた。ところが肝心の『大財産』ではいささか違う説明がされている。これは問題の「単行本に入れ忘れた連載部分」の なかでマフィアの議長が説明している。現在の偕成社邦訳版では読めないところなので、筆者が抜粋の上で辞書を引きつつ翻訳してみた(一部自信がないので誤訳があったらご指摘ください)

 je sais qu’Arsène Lupin a converti toutes ses richesses, diamants, pierres précieuses, propriétés, domaines, villas, maisons et palais, qu’il a tout converti en or, en or américain.(アルセーヌ・ルパンはその全ての財産、ダイヤモンド、 宝石、不動産、土地、別荘、住宅や豪邸を換金していることを私は知っている。それらは全て金、アメリカの金に換えているのだ)
 Il y a la Banque de France et la banque Arsène Lupin, les coffres de l’une et les coffres de l’autre. Et la banque Arsène Lupin, elle est ici-même, c’est la banque Angelmann. Les coffres de Lupin sont à côté de nous, dans cette forteresse ! J’ai les clefs et les mots des serrures. Dollars, lingots, pièces d’or, tout cela est à nous…(そ れはフランス銀行、そしてアルセーヌ・ルパン銀行のそれぞれの金庫にある。そしてアルセーヌ・ルパン銀行とは、まさにここ、それはアンゲルマン銀行なの だ。ル パンの金庫は我々のすぐ隣、この要塞の中だ!私はそれを開けるカギと暗証番号を持っている。ドル、金塊、金貨、全てが我々のものだ…)

 これによると、ルパンはその莫大な財産を全てアメリカドル、金貨や金塊に変えてフランス銀行(もちろんフランスの中央銀行)と アンゲルマン銀行の金庫にそっくり置いていた、ということらしい。その後のセリフで数十億フラン、つまりルパンのほぼ全財産があると説明されているので大 半はアンゲルマン銀行の金庫に入っていた、ということらしい。それであとでアンゲルマンに出し抜かれて全財産が一時紛失という騒ぎになるのだけど、これは どうもルパンらしからぬ、あまりにも不用心な財産管理ではないかなぁ。
 それにしてもアメリカドルに換金しているのは興味をひく。1920年代の大恐慌前であればアメリカが景気よかったから、老後はそっちで過ごすつもりでい たのかな?(映画「アルセーヌ・ルパ ン・リターンズ」がそういう話だ)


☆ルパン対マフィア

 さて、そのルパンの大財産を狙うのがマ フィア組織である。現在では広い意味で「犯罪組織」を意味する言葉として世界的に使われるが、元祖の「マフィア」はイタリアはシチリア島にルーツがある。『ル パンの大財産』の悪役マフィアノもパ レルモ出身のシチリア人という設定だ。
 「マ フィア」はもともとは政情不安定なシチリア島で住民たちが我が身を守るために作った相互扶助的結社に始まると見られるが、19世紀には犯罪組織としてその 名が広まるようになる。そして20世紀初頭に食い詰めたシチリア人が数多くアメリカ、とくにニューヨークに移住し、ここでも厳しい境遇の中で生き抜くため にマフィア的結社が発達した。この辺の事情は映画「ゴッ ドファーザー」シリーズで知った人も多いだろう。
 とくに1920年代、アメリカでは禁酒法時代でマフィアがその勢力を拡大させた。アメリカのシチリア系マフィアがシチリアに逆輸入される動きもこのころ で、ルブランがルパンの敵としてマフィアを選んだのもそうした情勢が背景にあると見られる。

 ルパンはマフィアについてこう言っている。

 「マフィアというのは、むかし、シチ リア島の犯罪者の結社だったもので、こういう結社をつくったのは一見政治団体のふりをして自己の犯罪を隠そうとする意図があったのです」
  「世界的なマフィアというのも存在していて、いろいろな国にちらばっているあらゆる悪の徒党が多少ともこれに結びついていて、こうして盗みや殺人を目的と するおそるべき集団を構成しているのです。とにかく、ニューヨークにはこの組織の核、つまり行動司令部があることをわれわれは知っています」

 こうした認識は少々単純化してる気もするが、当時まだ実態がよく分からないマフィアについての平均的なイメージではあるのだろう。マフィアの議長にい たってはマフィア組織がルネサンス時代(15〜16 世紀)にローマ教皇の権威を救おうとする人々によって結成されたとまで言っている。そういう「伝説」は後世作られたのかもしれ ないが、事実ではあるまい。

 そういう凄そうな組織の割に他愛もなく御用になってしまうのがこの作品のつまらないところなのだが、「ルパン一味対マフィア」が正面衝突した話をちゃん と作ってたら結構面白かったかもしれない。ちなみにこの小説のイタリア語版タイトルは「アルセーヌ・ルパン対マフィア(Arsène Lupin contro la Mafia  )」とそのまんまなのだそうだ。
 自分の財産を狙ってくる犯罪組織との対決、というアイデアは「使える」と思ったのだろうか、ボワロ=ナルスジャックによる「新ルパンシリーズ」の 第三作『アルセーヌ・ルパン第二の顔』は、 ルパンの「奇岩城」の財宝を盗み出した「爪」という犯罪組織とルパンの死闘を描いていて、なんとなく「大財産」のボワロ=ナルスジャック流のリメイクなの かな、という気もしている。

「そ の3」へ続く

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