過去の雑記 00年 1月

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1月11日
精神的テンションは回復せず。もともとこんなもんだったような気もしてきた。

リハビリのため『2010年宇宙の旅』を読みはじめる。驚いたことに、面白い。これで課題図書でなければもっと気楽に読めるんだが。まあ、けっこうさくさく読めたんでこのペースなら今週中に読み終わるだろう。
でも帰り道に読むのはフライング発売の週刊ベースボールだったり。

1月12日
細木さん(8)から、SFA調査の調査範囲についてのメールが届いたので、9日の調査に関する記述を修正。細木さん、ありがとうございました。

とある理由からSF研の後輩のレビューを批判したついでに昔の自分のレビューを読んでみる。赤面。まあ、いまでも文章は下手なので、文章がどうこうというところは気にしないにしても、観念的な批判ばかりで具体的な指摘に欠けるとか、評価が一面的とか、自分の感情の記述ばかりで読者に内容を伝えていないとか、まさに今、他人を非難した言葉がすべて自分に帰ってきたような衝撃を受ける。しかも考えてみると、今のレビューもそんなもんのような気もしてきたり。少し、口を慎もう……。

ふと思いついたのだが、「ものいわば、くるるものとはしりながら、なおうらめしき、あきはきにけり」ってのはどうだろう。
# いや、どうだと言われても……。

1月13日
夕方休みにとあるビルの片隅で、ガシャの新作「死神博士 恐怖の正体編」を見つける。天本英世のあまりのカッコヨサに思わず回したくなってしまったが、運良く小銭が無かったので回さずに済んだ。ありがたいことである。

ところが、会社からの帰り道に思わぬ弊害が起きてしまった。「死神博士はイカデビル。ゾル大佐がオオカミ男で、地獄大使がガラガンダ。V3がドクトルGとツバサ大僧正とヨロイ元帥と……、あれ?牙男爵だっけか?」「ドクトルGはカニレーザーで良かったのかな。じゃあ、ヨロイ元帥ってなんだ?」「アポロガイストじゃ無い方の巨大なロボットは何だっけ?」「十面鬼と……」それはもうさまざまな疑問が止めど無く湧いてくる。仮面ライダーはまともに見ていたのがスカイライダー位ということもあり、記憶が何の役にも立たないのだな。結局、帰りはそれを考えているだけで潰れてしまった。『怪獣怪人全百科』で身につけた中途半端な記憶は恐ろしい。

で、ヨロイ元帥って何に変身するんだっけ?

1月14日
とある理由で朝が遅かったので銀行によるついでに1回回す。死神博士だ。いきなり目的を達成してしまったので、このシリーズは回す必要が無くなってしまった。これはこれで少し空しいな。

帰りがけになんとなくもう一度回す。イカデビル。完璧である。このセットで欲しい物があるとすればこの二つだけというまさにその二つが連続で出てしまった。ジャッカーの時にこの引きがあればと考えると実に恨めしい。ああ、くそう、そっちがその気なら天本英世コンプリートとか狙うぞ。< 勝手に狙えよ

なんとなく気分が良くなったので、近所の中華料理屋で「嘔吐した宇宙飛行士」を読みながら夕食。ピザじゃないあたりが我ながら甘いね。

本屋に行こうとしていると、途中堺さんにバッタリ出会う。そのまましばし話し込んだり。ショッピングモールのど真ん中でしかも牛丼屋の店頭というのは、ひょっとしたら立ち話には向いていないかも。とりあえず体育会系SFと文化系SFの話は収穫でした。

部屋に戻りしばらくすると、堺さんがやって来た。以前、お貸しした「ガンドレス」のビデオを返して頂いたのだが、その外に山のようなペーパーバック他が付いてきたのは予想外。そうか、物は人に貸してみる物だな。

1月15日
夕方から高田馬場芳林堂へ。たくさん本を買い込むつもりだったのだが、目当ての物がほとんど見つからず、結局買ったのは<異形コレクション>『俳優』『世紀末サーカス』とガロイ『模造世界』、牧野『王の眠る丘』くらい。ついに我慢が出来なくなって唐沢『電脳炎 Mac版』を買ったりもしたがこれは内緒だ。

その後ユタへ。参加者は林、大森望、塩澤快浩、(三)、藤元直樹、福井健太、ワセミスの方(お名前を失念)、宮崎恵彦、小浜徹也、三村美衣、高橋良平、雑破業、さいとうよしこ(登場順、敬称略)。主な話題は、春に出る予定の「SFマガジン ベスト増刊」の話。オフレコだったりオフレコじゃなかったりする話を幾つか聞いたような気もするが記憶力が無いので覚えていない。

他に「中間子」4号が3月予定だとか、「アステロイド」の新刊が出る予定だとかいう話を聞いたような気もする。そういやあ、「SF File 90's」を出そうという話はどうなった?> 神崎(13)

あとまだ色々あったと思うが、記憶に残っているのは死神博士&イカデビルを自慢したことくらいか。こうやって欲しいブツをサクっと手に入れられるかどうかに日頃の行いが現れるのですよ。
# すでにビッグ1のことは忘れているらしい。

あ、「DASACON対ファンダム論争」(笑)に巻き込まれたりはしなかった。どうも、僕に議論を吹っかけても無駄だと思われている節があるらしい。その通りなのだが。ほら、ぼかあ人がいいから、およそどんな意見でもとりあえず賛成しちゃうし。

帰りがけにさいとうよしこさんから、正しいカラオケ道について教えを受ける。いまさら「筋少」はともかく「たま」はいけないらしい。奥が深い。

帰宅後、SFMタイトルリストの99年分を完成。SFMリスト本体もなんとかしなくちゃなあ。

1月16日
SFM 00/ 2の前半、60年代特集の直前までを読了。なんか久しぶりに読了という文字を入力したような(しかも、本当に読み終わったわけじゃなかったり)。
前半は日本人作家特集なので、60年代とは何の関係も無いはずなのだが、明らかに60年代作品を意識して書いている作家も何人かいたり。なんかこう、微笑ましさと気恥ずかしさが交錯し、いわく言い難いところだ。一人なら気にならなかったんだけどね。
森岡浩之「牢獄」は60年代と見せかけて50年代なお話。二つの"牢獄"の関係をもう少し伏せて、実験小説臭さを生で出した方が面白かったんじゃなかろうか。その辺が不徹底なんで、読みやすくなっている分ありきたりな印象を受けた。
牧野修「バロック あるいはシアワセの国」は彼にしては珍しくわかりやすい物語。掲示板の書込みと、さまざまな書物の断章をつらねて、一つの物語を浮かび上がらせる構成は、背景に過去の王国が存在することも含め、「セキストラ」を思い起こさせる。作中に描かれる王国の描写も含め全体が実に分かりやすかったのでやや拍子抜けしたが、面白かった。こういったわかりやすい面白さも書けるのね、って、そういや出世作『MOUSE』もわかりやすい物語ではあったか。
野尻抱介「蒼白の黒体輻射」はイマイチ。ネタの相変らずの大きさは認めるが、壮大なイメージが生む感動よりも次作に繋げるためのサスペンスが勝ってしまっている。おかげでせっかくの大ネタが十分に楽しめなかった。一作の長篇としてまとまった時にはまた評価が変わるかもしれないが、単独作品としては次作の存在を必要としない「太陽の簒奪者」に比べ明らかに劣っている。連作短篇であるならもう少しラストをまとめる、不定期連載なら無駄を省く、どちらかの姿勢が欲しかったところだ。っつーか、「つづく」と書いてしまうのなら作中でこれまでのあらすじを説明しなくても、「これまでのあらすじ」欄を作れば十分だよ。
田中啓文「嘔吐した宇宙飛行士」は実に清く正しくタイトル通りの話。ただ一つの地口のために全体が奉仕する作風は悪くないのだが、宇宙服内での止めど無い嘔吐というせっかくのネタが十分に展開されなかったのは残念だ。もっと、微に入り細に亘って吐瀉物を描写して欲しかった。まあ、でもその方向では筒井康隆の二番煎じになってしまうか。
林譲治「ウロボロスの波動」は驚くほど律義なハードSF。どうにも読みづらくて仕方が無かった前作までに比べると飛躍的に文章が洗練されたような印象があるが、これはこちらが慣れただけか。今回は前篇のみなので評価は次号に譲るが今のところ悪くはない。
藤田雅矢「奇跡の石」は東欧の小国を舞台にした品の良いファンタジー。「現代の架空のヨーロッパの国」にリアリティを感じないのでやや構えて読みはじめたのだが、十分構えに打ち勝つ心地よさを与えてくれた。やはり、こういった心地良い作風の持ち主が一人いてくれると嬉しい。
小林泰三「母と子の渦を旋る冒険」は<良い子の物理学>シリーズの1作。過去の作品に比べて直感把握がしづらいのはやや難か。ネタの一部を母の独白という形で明かさねばならなかったのは、あまり良くなかったのでは。きちんと作図して数式を解いてみれば、もう一段のネタが隠されているんだろうけど(過度の信頼かも)、面倒なのでそこまではしない。
星新一「天国からの道」は同人誌から発掘されたもの。冒頭は、現在の作品集に収録されている「天使考」そっくりなのだが、先の展開は大きく異なっている。「天使考」に比べると、悲観的、冷笑的な作品になっており、どのような思考のルートを辿って「天使考」に至ったのかを考えると興味深い。作品自体の出来は、しょせん習作。
以上、批判も書いたが全体的にはかなりの好印象を受けた。年間ベストをこの中から選ぶようなことになったら悲しいが、SFMの平均からすれば明らかに良い方。問題は、後半の海外60年代特集を読み終わった後で、印象が残っているかどうかだな。

藤澤さん(7)のお誘いがあったので、新宿に出てカラオケ。3週間連続(うち1回は完徹)でカラオケに行っているとさすがに喜びも薄い。喜びが薄いだけなら問題はないが、先週無茶をやったためか今一つ声も出なかったり。高音も低音もうまく出ないとなると、ほとんどカラオケの醍醐味が感じられない。「どうせ、いつも声なんて出てねえじゃん」というツッコミが入っているかもしれないが、本人の認識としては普段はもう少しマシなはずなのだ。結局、「ローラーヒーロームテキング」も「スターダストボーイズ」も諦め、現状で可能な歌を探し続けておわってしまった。しかしあれですね。二人で3時間は忙しくて大変ですね。

その後、紀伊國屋で森下一仁『思考する物語』(東京創元社)を購入。そのまま西口にまわってボンベイで食事をして帰宅。たまには辛いカレーではなく、旨いカレーも良いものだ。

1月17日
森下一仁『思考する物語』(東京創元社)の第1部までを読む。あくまでセンス・オブ・ワンダーに拘り、しかもセンス・オブ・ワンダーという言葉の響きに逃げない真摯な態度は好感が持てる。センス・オブ・ワンダーとは何かを真面目に追求しようとする姿勢は賞賛に値するだろう。ただ、論証を続けるうちに、「SFの面白さ」と「物語の面白さ」が上手く分離できなくなっていくのは難点か。

1月18日
アーサー・C・クラーク『2010年宇宙の旅』(ハヤカワ文庫SF)読了。思ったよりは時間がかかった。あいかわらず情景描写は超一流であることを再確認。間近に見る木星の眺望、炎吹き荒れるイオの大地、エウロパの凍れる海に潜む奇怪な生物達など、どれもみな素晴らしい。ただ、物語を構成する能力には翳りが見られるような。レオーノフ号内の人間ドラマのパートと、超越存在のパートが上手くからまっていないという印象がある。もう少しボーマンのパートが本筋に入ってきていれば、これほど印象が散漫にならずに済んだのでは。とりあえず『2061年』も読もうという気にはさせてくれるが、『楽園の泉』はもとより、『地球光』あたりと比べても出来が良いとは言い難い。腐ってもクラークという思い込みがあったので、残念といえば残念。

『思考する物語』の第2部まで読む。SFがニュー・ウェーヴにより完成し、ニュー・ウェーヴにより焦点を喪ったとする史観は、いかにもNW作家・森下一仁である。

1月19日
定時間日なので、高田馬場芳林堂でムック1冊、マンガ1冊、アンソロジー2冊(『彗星パニック』『999妖女たち』)を購入。『999』はアニメージュ文庫から出た「銀河鉄道999」に登場する美女たちを主人公としたシェアードワールド物の作品集、と言ったら信じますか、信じませんか、そうですか。しかし、アンソロジーがこれだけ毎月のように、いや毎週のように出てしまうと幾らなんでも追うのが辛い。しかも、オリジナルだしなあ。再録アンソロジーなら、毎週出ようが毎日出ようが喜んで買うんだが。

芳林堂からの帰りに、例によってCoCo壱→あゆみブックス→早稲田というルートを辿ったのだが、あゆみブックスでは大学生と思しき少女が、九九を間違えるという衝撃的なシーンに遭遇してしまった。雑誌などでそういう事実があるということは知っていたが、目の当たりにすると衝撃もひとしお。そう、四四は三十二じゃなくて十六だからね、覚えておこうね。

高橋葉介『手つなぎ鬼』(ぶんか社コミックス)を読む。いつもの短篇ホラー。その安定感は見事な物ではあるが、ページ数が少なすぎるのか、<夢幻紳士>に比べると若干劣る。高橋葉介は妖しい艶っぽさも魅力の一つだと思うので、その辺ももう少し追求して欲しいんだが、まあ発表媒体を考えればこのあたりが限界か。集中では、つい続篇を期待したくなる表題作と、正統派<奇妙な味>「父の顔」がベスト。

好奇心ブック『帰ってきた怪獣魂』(双葉社)を眺める。怪獣は教科書で勉強したという面が強いので、この手の本を読むと著者達が怪獣に示す愛情についていけない場合が多いのだが、今回は距離の取り方が上手く合ったので楽しめた。僕より、5つ上の本格的な怪獣ファンには物足りないのではないかと思うが、怪人全盛期のファンにはこの程度がちょうど良いのでは。
まあ、しかしこれを買った目的は怪獣のためではない。偏に佐野史郎インタビューが読みたかったが為である。黒書刊行会のうたかたの日々で断片に触れて以来気になっていたのだが、期待に違わぬ素晴らしさだった。
『ゴジラ2000 ミレニアム』って言ってるけど、主役は岩ですよ」
「オルガナイザーG1発見のシーンの時に役者の魂売っちゃいましたね」
など、名台詞が目白押し。全編、これゴジラへの愛に溢れた発言ばかりである。「案外、ゴジラに出られたことを単純に喜んでんじゃないか」などと考えていたのが恥ずかしい。『ゴジラ2000 ミレニアム』に一度でも触れた者は必読。

1月20日
突然、無性にウィルスン・タッカーが読みたくなったので、近所の古本屋で『長く大いなる沈黙』『静かな太陽の年』を購入。ついでにホールドマン『終りなき戦い』だのビショップ『ささやかな叡知』だのも買ってみたりする。それだけ。

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