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1月 1日
2000年を迎えた瞬間、車内は一瞬暗くなり……、などということがあれば楽しかったが、残念ながら何の起伏も無くその瞬間は通り過ぎてしまった。まあ、予想通りと言う奴だな。

深夜だというのに、明かりが灯るオフィスビル群に2000年を実感しつつ、神田からお茶の水へ出て神田明神と湯島天神で初詣、ここで残念ながら体調が悪化してしまった谷田貝さんと別れ、初日の出を観るため品川駅に向かう。

当初は、可能な限り南の海岸線で初日の出を観る計画だったのだが、京急の根性が不十分だったので、川崎で我慢することに。勢いで、川崎大師での初詣まですませてから、電車で小島新田まで行き、海岸線を目指して歩きはじめる。
歩く。歩く。当初はたいしたこと無いだろうと思っていた距離が、意外と遠いことに気づかされる。行けども、行けども、工場群には切れ目が無い。しかし、歩く以外に道はない。歩く。歩く。
日の出までには思ったより時間が無い。空は急速に明るさを増している。しかし、歩く。本気で、歩く。寒風の中、全力で歩く心地よさ。時折見えるバス停のネーミングの素晴らしさに励まされながらも、歩く。そして、1時間も歩いたかどうか。ついに海岸に到達した。朝日はすでに昇っている。どうやら、初日の出は拝み損ねたようだ。しかし、楽しかった。

久しぶりに歩きを堪能した興奮も覚めやらぬまま東京駅に戻り、新幹線で名古屋へ。飯を食い、寝て、飯を食い、風呂に入り、寝る。

1月 2日
朝から、浅井R君、中野君とゲームをする。予定では、"Chariot Lords""Ra"をプレイするはずだったのだが、前者のプレイが意外に長引いたので、後者は出来ずじまい。責任者(僕)がルールを十分に把握していなかっただけに、想定プレイ時間の6時間では無理だろうと思ってはいたが、まさか13時間もかかるとは。夜も11時まで同じゲームをし続けていると、さすがに気力もなくなってくるね。

ゲーム自体は予想外に面白かった。若干、運の要素が強すぎるきらいはあるが、最後の瞬間まで勝敗の行方が分からず、全プレイヤーが常にゲームに参加し続けたという点は評価すべきだろう。ただ、VP獲得条件が複雑で、戦況を把握しづらいのはマイナス点。戦闘結果表も複雑で、プレイアビリティーを如何に向上させるかが、普及のための鍵となりそうだ。

プレイの展開は、ルールすらつかんでないというのに、3人プレイだったということもあり、かなり手探りの展開。目先の戦いのため、アッシリアの大躍進を許してしまったり、無理矢理世論を誘導してアカイアの生き残る道を探ったり。最終的には、最終ターン、最終プレイヤーのプレイの直前まで、「ゲーム終了時点で70VP入って暫定2位に30点差をつける」という事実を隠していた僕が優勝した。いや、厳密には隠していたのではなく、黙っていただけなのだが。ほら、VPチャートの確認は誰からも求められなかったし。ただ、3人の合議で決まる中立プレイヤーのプレイの仕方に関しては非難を免れないかも。トップ(実は2位)を潰す方向にプレイを誘導してしまったからなあ。騙す気はなかったんすよ、本当に。

とりあえず、ルールをちゃんと読み終わっていなかったことも問題だと思うんで、次回までにはちゃんと読みます。 > All

帰宅後、気力を振り絞って、「DRAGON MAGAZINE」をチェック。創刊号(88年3月号)から90年6月号までの間に、「ヤングアダルト」という語の使用例が無いことを確認する。これで、僕の「ヤングアダルト」富士見自称説はほぼ否定されてしまった。もちろん、文庫帯などで自称していた可能性は残されているが、雑誌誌面で使用例が無いとなるとちょっとありそうにない。

1月 3日
東京に戻る途中、名大の部室による。ヤングアダルト調査の足しになるものを探そうと思ってよったのだが、ファンジンを眺めている途中でとんでもないものを見つけてしまった。1987年5月1日発行の「SF File 1986」「ヤングアダルト対談」が載っていたのだ。

いやもう、87年である。88年11月ってだけでも早いって言っていたのに、87年の春だ。いったい何があったのか。とりあえず、本当に調査対象であるオタク系ヤングアダルトのことなのかを確認するため、内容を読んでみる。確かに、「ここ数年一応ジュヴナイルとされていたコバルト−ソノラマの中に、従来のジュヴナイルとは違うし、プロパーなハヤカワJAともちょっと違うものがでてきた」とあるので、SFゲットーで言うところのヤングアダルトと考えて間違いはないらしい。では、それをどう扱っているのか、と先を読んで2度びっくり。そこにはこうあった。
加沢:(略)ええと何だっけ、『現代用語の基礎知識』にはなんて書いてあったんだっけ?
水上:あれは確か、最近中高生向きのジャンルが力を増してきてどうのこうのとか、ソノラマ文庫とかコバルトシリーズとかが代表的であるとか、その程度のことしか……(略)
そう、87年春時点で、SFゲットー的定義にかなり似た定義が『現代用語の基礎知識』に載っていたというのだ。これを驚かずにいられようか。『現代用語の基礎知識』に載ったということは、86年時点で既にそれなりに使われていた用語だったということだろう。しかも、現在のSFゲットー内の用法にかなり近い意味で。しかし、どこで使われていたんだ?少なくとも、87年10月20日発行の「トーキングヘッズ」26号巻末特集「日本新人作家カタログ」では、「コバルト&ソノラマの新人」というコーナーがあるにもかかわらず、「ヤングアダルト」という語は使われていない。そうしてみると、SFファンダム全体で使われていた語ということも無いようだ。『現代用語の基礎知識』となると、そんな狭いグループの状況は判断材料にならないってのは確かだが、そんな狭いグループなんだから、語の共有くらいあったも良さそうだ、という思いもある。本当に、一体どこで誰が使っていた言葉なのか。真相はいきなり薮の中である。

あまりの衝撃にふらついたまま、名古屋駅に戻り新幹線に乗る。ふらついたままなので、不用意に乗ってしまったが、あいにくその列車は乗車率110%ほどだった。2時間立ち続けるだけで疲れきってしまった己が体力の無さに、いまさらながらに呆れ返ることしきり。

部屋に戻ってから87年のMILK SOFTをチェック。前回、チェック済みの88年まで一通り目を通したが、「ヤングアダルト」という表現は無かった。そりゃあもう、角川文庫ファンタジーフェア(『青海豹の魔法の日曜日』、『大暴力。』、『亜空間からポストマン!』、『ガルフォース 蒼い天使のロック』、『T・T大脱獄』、『スイート・マジック』などを含む)特集なんて記事がある74号(87年11月13日)にすら、「ヤングアダルト」という表現は出てこない。いったいどういうことなのか。SF FileとMILK SOFTに何の関係も無いというのなら話は簡単なのだが、MILK SOFTを出している名古屋大学SF研究会は、SF Fileを出していた中部学生SF交流会の中心勢力の一つだったのだ。事実、先の「ヤングアダルト対談」も、参加者の4割は名大である。名大の普段の文章には登場せず、特集の看板としてだけ登場したということは、ファンダム内の用語としては一般的ではなかったということか。では、『現代用語の基礎知識』に載ってしまうほどの頻度で使っていたのは誰なのか。また、名大でも88年11月になって突然普通に使われはじめたのはなぜなのか。謎は深まるばかりである。

1月 5日
先日のゲームのルールを読み返し、とんでもない誤解が幾つかあったことを見つける。これを正しく適用すると、僕の獲得VPは最低40P減ってしまう。もちろん、ゲーム展開自体に影響を与えるミスもあったし、それでなくてもプレイ方針を変えただろうから、そのままになるはずはないが勝利が難しくなったのは確かだ。すまんす。> 他プレイヤー

縁あって、アニメ版「ブギーポップは笑わない」を観る。画の雰囲気などで、一瞬「レイン?」などと思ってしまったが、ちゃんとオリジナリティーのある作りなので一安心。ブギーポップ紹介篇ではあるが、それだけに終わらず思春期不安ものとして楽しめる作りになっているあたり好感が持てる。間の取り方がいちいち心地よかったので、次回以降も見る気になった。ブギーポップ自身の喋りには違和感を感じたが、少女がコスプレしているだけだと考えればこんなものなのかもしれない。とりあえず、小説版より好みかも。
ただ、小説版を全部読んでおかないと完全には楽しめない可能性があるのが不安かな。

中学交OG・水上かなみさんの日記先日の『現代用語の基礎知識』問題を取りあげて頂いた。ちょうど質問をしようかと考えていたところだったので実にありがたい。
日記の記述によると、「ヤングアダルト」という項目は、ページ下の一口コラムに「SFの用語(orトレンド)」として掲載されていたのだとか。それも執筆者はSFゲットー内の人間だった(はず)とのこと。
使用範囲が世間一般からゲットー内に狭まったのはいいが、じゃあ誰が使っていたのかという問題は解決していない。その後1年半、少なくとも名大は使わなかったし、トーキングヘッズも使ってないようだ。てんぷら☆さんらいずが90年代に入るまで使わなかったことも確認済み。となると、あとはどこを探せばいいんだろう。
とりあえず、85〜87年の『現代用語の基礎知識』を確認することが先決か。

# なんか調査の方向性が当初の目的とずれてきている気もする。

1月 6日
テリー・ブルックス『妖魔をよぶ街』を購入。早川の挟み込み広告を毎月入手するためには、このような、いつ読むのか全くわからない本も購入する必要があるのであった。
(ぺ)を読みはじめれば楽になれると思うのは、こんな時だね。
# 嫌だけどさ。

1月 7日
夕方休み(夕食を取るために定義された時間。就業時間外)にふらっと芳林堂へ行き、早川の最新目録が出ていないことを確認する。ついでに軽く店内を廻って、社に戻ったときにはまだ就業時間外だった。ならば問題無しだ。次はもっと遠くの書店の挑戦してみよう。

とある理由で早く帰る気になったので、午後8時前に社を出て新宿へ。目的はユニット・トレーを手に入れることと、『ウォーター・メソッドマン』を手に入れることだ。

まずは後者のため、ルミネ1の青山ブックセンターへ。比較的変な品揃えだったので一縷の望みを抱いていたのだが、いつのまにか棚の配置が換わりすっかり使えなくなっていた。当然、『ウォーター・メソッドマン』も見つからず。やはり、渋谷パルコで探すべきか?

続いて、前者の目的のために西口Yellow Submarineへ。2階の品揃えは相変らず素晴らしく、"Colonial Diplomacy"のような最近のゲームはもとより、"Spies"や『第二次欧州』のような懐かしいゲームまで店頭に並んでいたのだが、残念ながらユニット・トレーは置いていなかった。聞けば、最近は入荷していないとのこと。シミュレーションゲームショップでトレーの需要が無いなんてことは信じられないので、恐らく供給が圧倒的に不足しているのだろう。何をやってるんだ、Hobby Japan。

無いだろうと思っていた物も、あるだろうと思っていた物も見つからなかったことに落胆しながら、高田馬場芳林堂に戻る。いや、戻るというか。
唐沢『電脳炎 Mac版』を買おうかと思っていたのだが、いざ手に取ってみるとどうしても買いたくないという気持ちが湧き上がってくる。やはり、こうまであざとい売り方を2度許すわけにはいけない。涙を飲んで、買わずに帰ることにする。

アサロ『飛翔せよ、閃光の虚空へ!』をやっとの思いで読了。こういうものを必要とする客層がいてもおかしくない、というあたりまでは譲歩する用意があるが、それ以上受け入れる気はないといったところか。ハードSFとスペオペとロマンスの融合という触れ込みではあるが、ハードSFはあまりにも目立たないし、スペオペとロマンスはお互いに潰し合うしで、愛すべき点が見つからない。今後も出続けるというのなら、読むべき早川の点数が減ってありがたいというくらいか。

先日来気になっていた、神田明神の祭神を調べてみる。ここによると、オオナムチとスクナヒコと将門だとか。思いっきり反朝廷な感じは、いかにも東国の神社ですね。
湯島天神はここ。まさか本当に菅原道真だとは。死んだ先や故郷ならともかく、縁もゆかりも無さそうな、関東で祭る理由は何?
川崎大師はこれ。まあ、仏像が網にかかってしまったんじゃあ仕方が無いですね。
由来書だけからみると、神田明神が一番まともだなあ。
# もちろん、武蔵の神社っつーたら一番は氷川神社なのだろうが。

有里さんの日記で「ライトノベル」の起源が明らかになっている。どうやら、ニフティの会議室作成時に作られた多分に人工的な言葉(言葉はどれも人工的に決まっているが)らしい。なるほど、勉強になる。有里さんありがとうございました。

1月 8日
昼から八重洲ブックセンターに出かける。森太郎氏主催の「命懸けで遊ぶのださんを見守る会(仮称)」に参加するためだ。昼のメインテーマは有楽町で映画を見ることだというのに、待ち合わせ場所が八重洲だというのは、あまりとえばあまりにそれらしい。

集合後、やたら愛想の良いイタリア料理屋で飯を食ってから、「ワイルド・ワイルド・ウェスト」を見る。予告があまりにカッコ良かっただけに、メカの動き以外はこれっぽっちも期待していなかったのだが、最悪の予想よりは大分マシだった。少なくとも、ガジェットのデザインは良かったし、1つ許してやらんでもないギャグ(ビクターの犬の奴)があったし、敵役の配下のお姐ちゃん達も型通りで良かった。確かに、お約束以外の展開が皆無なのは欠点ではあろうが、アメリカのあかほりさとるだと思えば腹も立たない。少なくとも、間の取り方が正しい分だけ、あかほりよりはマシだ。褒めるのは見識を疑うが、貶すのもおとなげない。そんな作品。
ガジェットを見に行くんだと割り切っていればそれなりに楽しめる。

喫茶店でしばし休憩した後、池袋に移動して新刊書店3軒(とCD屋1軒)を廻る。日に4軒の書店を廻って、それがすべて新刊書店というあたりは実に野田さんらしいことである。4軒目のジュンク堂に行く頃には、すっかり棚見物に飽き、ひたすら話し込む人もいたが、主賓はそれでも棚のチェックに余念が無かった。さすがである。

午後9時頃からは「野田さん博論提出おめでとう宴会」。酒を飲み過ぎて普段の100倍くらい饒舌になっていたので、心にも無いことをぺらぺらと喋ったような気もするが、あまり良く覚えていない。ああ、鈴木力氏が元広島ファンと聞いて驚いたような記憶はあるな。

宴会を終えた後、パセラに行く。途中、飛び入り参加も有り、この移動中に瞬間最大人数14人を記録した。パセラで聞けた歌は、主に筋肉少女帯、たま、椎名林檎、戸川純、山本正之、ZABADAK、谷山浩子など。なんでみんな、そんなにキャラのイメージ通りなのか。そんな中、センチメンタル・バスで周囲の度肝を抜いてくれた藤元直樹さんはさすがである。

カラオケ終了は午前7時だったので、理性的な人はほとんど残っていなかった。そして軽く朝食を摂って解散……、のはずが、とある理由でSFマガジン1月号を買う必要ができた野田さんが、午前10時半まで時間を潰し神保町でバックナンバーを探すという計画を発表する。理性が無かったので、他の良識ある人々が帰宅する中、つい同行してしまったがこれは二つの点で正解であった。
一つは森さんが良識持っていることを再確認したこと。さまざまな機会に良識の持ち主であることを見せ付けている森さんではあるが、今回も昨晩の体調不良をおして野田さんに同行しようとする阿部敏子さんに対して、しきりに帰宅することを薦めていた。その真摯な姿は、隙を見せた相手をからかう際に見せる悪魔のような姿からは想像も出来ないものであった。ひょっとしたらとは思っていたが、本当に良い人なのかもしれない。もちろん、だからと言って邪悪な人ではないというつもりも無いが。
二つ目は柴野拓美賞受賞SFファン、阿部敏子さんのお話を色々聞けたこと。昼食のときからして色々為になるお話を伺うことができたのだが、時間潰しのために入ったジョナサンでは同行者が次々と眠り込んでいったこともあり、非常に多くのお話を伺えた。そのお話の範囲は、金魚の調理法、翻訳の心得、胃が動く瞬間を実感する法、眠っている人に対する良識ある態度、世のお母さんたちは息子が立派な「受け」に育つことを願っていることなど、実に多岐にわたる。本当にありがたいことである。

三省堂開店後、野田さんがSFM00/1を入手するのを確かめてから、JRの駅に向かう人々と別れて、書泉ブックマートへ。神保町に同行した当初の目的は、ユニット・トレイを探すためだったのである。しかし、残念ながら見当たらず。諦めて帰る。

1月 9日
帰宅が昼過ぎとなっただけあって、寝て起きたら夜だった。特に何をするでもなくまた就寝。どうも、精神的なテンションが異様に低くなっている。

細木さん(8)から「SFアドベンチャーにおけるヤングアダルトという語の使用例」についての調査結果が届く。細木さん、ありがとうございます。

送って頂いた情報は以下の通り。調査範囲は1989年4月号及び1990年1月号〜1992年3月号(1991年1月号除く)
単発の使用例は他にもあるかもしれないが、一応、SFAでヤングアダルトという語が認知されたのは91年と考えてよいだろう。ヤングアダルト起源問題とは無関係と考えてよいようだ。しかし、語の拡散を追う意味では非常に重要な情報なので、詳細も含めここに記録しておく。次は、SFマガジンだな。
# 大陸版・奇想天外は手元に無いのですが誰か見せて下さる方居ます?
## 獅子王、Cobaltあたりもチェックすべきかなあ。

1月10日
精神的テンションは回復せず。

SFマガジンを軽くチェック。91年3月号の「SF総括1990」及び「マイ・ベスト3」で、星敬が「ヤング・アダルト」という語を使用していることをとりあえず確認した。体系的な調査をしているわけではないので、これから前方、後方ともチェックを続けていく予定。ちなみに「マイ・ベスト3」のアンケートで、星敬以外にヤングアダルトという言葉を使った者はいない。

油断して「六門天外モンコレ・ナイト」を都合10分ほど見てしまう。そんな範囲ですら、異様なまでのお約束への忠実さと、でありながらの間の悪さがはっきりわかる駄目ぶりに、あかほりさとるのようだ、などと思ったら本当にあかほりさとるだった。なんてわかりやすい奴。

邪悪日記に「名大は上下関係がはっきりしているらしい」という言及があったので、一言補足を。元発言は、名大SF研メンバーの7割は、先輩に話しかける場合及び先輩に言及する場合に敬称を用いるという事実を端的に表現しただけの物であり、他意は無い。当該発言が語られた文脈からは、そう受け取れなかったかもしれないが、それは発言者の韜晦癖によるところが大きい。名大SF研入会を希望するみなさまに置かれましては、さほど気になさらないように。

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