「飯喰ってんのか?」/「風呂入ってんのか?」/「彼女出来たのか?」/いつもの小言三拍子/その後小ぜり合い情景のいちいちが目に浮かぶ、というか、実体験として蘇る。しみじみとする佳作。
夢みがちで内気な僕だけど/これからのことそれなりに考えて/僕なるに考えて……
なんだかんだで心配ばかりかけてごめんね/お詫びといっちゃなんだけど僕から電話して/「元気だよ、母さん」
「あいつB型だけどまじめなんだよ」教育水準とか、思考の陥穽とか、誤謬の再生産とか、さまざまな言葉が脳裏に去来した春の夜。
「えー、そんなわけないじゃん。きっと裏があるぜ。ほんとの性格を隠してんだよ」
「でも、そういえば○○もB型だぜ」
「えー、あいついいやつじゃん。まじめだし。そんなはずないって
「あ、でも、俺の周りのA型の奴って、最近ばらついてるというか、いろんな性格の奴がいるなあ」
「あれじゃねえ?A型でも親によって色んな奴が居るんじゃねえ?
「おれ、AB型交じりのA型だし」
「おれ、O型まじりのA型なんだよ」
尾張国のおこり 尾張国(=日の本の国大和、ヤマタイ国)の山田橘太郎女(【やまだたちばなのおいらつめ】=神功皇后)と日本武尊(【やまとたける】=尾張国造)の間に双子の兄弟がいました。あー、これはちょっと素直に信用してはダメかも。
「亀井勝一郎先生は『飛鳥路はみな墓場だ』とおっしゃったそうですが……」が正解。そうだ、そうだこれですよ。ありがとう。持つべきものは博覧強記の友人ですね。
エドモンド・ハミルトンのSF短編を「古くさい」と難じる人はいないだろう。なぜなら、古くさいのではなく、事実として古いからである。しまった。こないだ古いと書いた気がするよ。いや、プロットの作り方とか語り口の古び方は、まだまだ骨董品というには中途半端で、古さを感じさせると思うのだけど。
というのは本当に眼から鱗でした。だからと言って、アドホックな書き方に安住するのもどうかと自省はするわけですが。実は、 adhoc なソースの方がバグをとりやすい ってのもある。何故かと言うと、 adhoc な方法でバグ取りする心理的障壁が低い から。綺麗なソースで機能拡張するときに、 「あぁ〜 adhoc なソースになってしまう」 あるいは、綺麗にはバグ取り切れなくて、 「この機能は、次回のmajor changeの時にしよう」 なんてのや良くある話...