太陽黄経 / 二十四節気 / 雑節 / 二至二分四立 / 黄道十二宮 |
現在の太陽黄経 ( 二十四節気 雑節 十二星座 ) |
二十四節気は、太陽の運行に基づいたもので太陽暦です。太陰暦は1年で11日、1太陽年とずれていって |
しまい季節と合わなくなってしまいます。 このため季節に合わせるための補正を行うものを太陰太陽暦と |
言い、古代バビロニアの時代から行われてきました。 太陰太陽暦では、閏年には1年が13ヶ月あり、暦の |
日付でほぼ固定しています。1日程度の変動があるのは、天文現象なので日付を挟むことがあるからです。 |
諸説ありますが、太陰太陽暦であるユダヤ教、すでに太陽暦に移行していたキリスト教との差別化を |
計ったのではないかと思われます。 |
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The Twenty-Four Solar Terms and The Ecliptic
long. | |||||||
二十四節気と太陽黄経 | |||||||
立春 | 315o | 立夏 | 45o | 立秋 | 135o | 立冬 | 225o |
雨水 | 330o | 小満 | 60o | 処暑 | 150o | 小雪 | 240o |
啓蟄 | 345o | 忙種 | 75o | 白露 | 165o | 大雪 | 255o |
春分 | 0o | 夏至 | 90o | 秋分 | 180o | 冬至 | |
清明 | 15o | 小暑 | 105o | 寒露 | 195o | 小寒 | 285o |
穀雨 | 大暑 | 霜降 | 大寒 | 300o | |||
この二十四節気のうち春分、秋分を二分、夏至、冬至を二至と言い、続けて二至二分と言います。 | |||||||
また、立春、立夏、立秋、立冬を四立と言い、先の二至二分と合わせて二至二分四立と言います。 | |||||||
そして、これを総称して、八節と言います。
春分は3月20-21日。夏至は、6月21-22日。 | |||||||
秋分は、9月23-24日。冬至は12月21-22日です。 | |||||||
今年度の二十四節気および雑節の日時は、
二十四節気および雑節 平成24年 (2012)(国立天文台)に | |||||||
掲載されています。海上保安庁海洋情報部海洋調査課航法測地室のHPで掲載されてきた「二十四節気と | |||||||
雑節」については、2010年で掲載打ち切り、以降のデータの更新はしていません。 | |||||||
雑節 Zassetsu |
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節気の名称は、天文現象に対して無機的なものでなく、詩的な情緒ある名付けをしたもので、 |
現実の地表上の気象現象から命名されたものではありません。二至二分が始めにあり、分割の過程で |
名付けがなされました。これを本末転倒して、字義から論ずるのは誤りです。 |
そう言う意味では、八十八夜、二百十日はずいぶんストレートなネーミングと言えます。 |
節分は、年4回、立春、立夏、立秋、立冬の前日でしたが、現在、立春の前日だけが残っています。 |
土用も、知られているのは、夏土用だけになっています。 |
明治の改暦、グレゴリオ暦の導入に伴い、暦と季節が合致するようになったため、実用の意味が薄れ |
現在は季節時候の話題の一つとして気象予報の際に取り上げられるようになったのです。 |
24節気は太陽暦である / 旧暦の二十四節気? ( 日刊☆こよみのページ ) / 旧暦の仕組み9 / |
伝統的七夕の日 (国立天文台) |
二十四節気の処暑(太陽黄経 150度の瞬間)を含む日かそれよりも前で、 |
処暑に最も近い朔(新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日です |
24節気概念図 |
定気法 空間分割方式 |
その点を通過する日時によって決まります、これを、定気法と言い、農暦、旧暦のもとになっている |
時憲暦、天保暦ともこの方式です。この24分割の基準点となるのが春分(太陽黄経0度)です。 |
天文学上の春分、秋分は、この黄道と、地球の赤道を天にまで延長した、天の赤道が交差する2点を、 |
それぞれ春分点、秋分点と呼び、その点を太陽が通過する"瞬間"のことをいいます。 |
祝日としての、春分、秋分の日は国立天文台が作成する暦要項が官報に掲載されることで決定されます。 |
恒気法 ( 平気法 ) 時間分割方式 |
日本の天保暦、清の時憲暦より前の暦は、定気法ではなく、平気法(恒気法)が採用されていました。 |
こちらは、冬至から次の冬至までの1太陽年(時間)を24等分して節気を求めるものでした。 |
この方法では、節気間の日数が均等になるメリットはあるものの、実際の太陽の運行を反映していません。 |
旧暦における置閏(閏月の挿入)タイミングを計るだけなら、良かったのですが、社会が安定し、人口が増え、 |
国家の基幹産業となった農業には不向きでした。しかし、暦は民衆の為のものではなく、皇帝の権威権力の |
正統性を証明する為のものであったため、定気法はすでに随の時代に提唱されていたにも関わらず、 |
採用には至りませんでした。歴代中華帝国の勢力圏内では、 中国の皇帝(天子)だけが、天を祭り、暦を制定 |
することができました。これは王朝が交替しても同様でした。冊封国は、宗主国、中国の年号と暦の使用を |
義務付けられていました。 |
日本の天保暦、清の時憲暦より、太陽の運行を反映した"定気法"が採用されました。 |
このことにより実用性が出来、暦に対する信頼が生じ、二十四節気は太陰太陽暦であるとする誤解が生じ |
旧暦の方が季節に合っているなどというトンデモ説の元となったのです。 |
天保暦(旧暦)は明治の改暦で役目を終え、現在、如何なる公的機関もサポートしていません。 |
天保暦 1844年2月18日〜1872年12月31日 明治の改暦で太陽暦に移行。 |
時憲暦 1644年〜-1911年 辛亥革命で清朝が倒れ、国民党政府は、太陽暦に移行。 |
旧暦の奇妙な細工 / 2033年問題 / |
二十四節気・節入月日時刻計算 定気法、恒気法 両方による節入月日時刻が計算できます。 |
西方世界での2至2分 ( 春分 秋分 夏至 冬至 ) |
Vernal Equinox / Autumnal Equinox / Summer Solstice / Winter Solstice |
春分 秋分 夏至 冬至 計算のページを作りました。 |
Equinox (分点) / Solstice (至点) / Apsis (perihelion and aphelion 近日点 遠日点) / |
2至2分、二十四節気は太陽暦なので、西暦の日付でほぼ固定しています。誤差±1日 ( 時差の為 ) |
24節気と黄道12宮 |
The Twenty-four Solar Terms and the Zodiac |
二十四節気と黄道十二宮の対比 ( c ) Fudaraku Voice : 7/16/2011 |
24節気と黄道12宮を対比してみました。24節気は天文現象で特定の瞬間を指しますが、黄道12宮はその瞬間から次の宮の | ||||
始まる瞬間までの約4週間の期間を指します。宮の境の判断は、星座図鑑のように宇宙空間に線が引いてある訳ではないので、 | ||||
近年は定気法と同じ黄経15度ごとに24等分方式を採っているようです。 | ||||
こういう風に並べて見ると、 黄道十二宮 も本来は季節区分の為に考案されたものだと解ります。 | ||||
獣帯と12支についても、何らかの繋がりがあるのではないかという説もあります。 | ||||
Longitude | The Solar Terms | Chinese | Date | Zodiac |
315° | Spring Begins | 立春 | 2月4-5日 | Aquarius(宝瓶宮) |
330° | Rain Water | 雨水 | 2月18-19日 | Pisces(双魚宮) |
345° | Waking of Insects | 啓蟄 | 3月5-6日 | (〃) |
0° | Verrnall Equiinox | 春分 | 3月20-21日 | Aries(白羊宮) |
15° | Clear & Bright | 清明 | 4月4-5日 | (〃) |
30° | Grain Rains | 穀雨 | 4月20-21日 | Taurus(金牛宮) |
45° | Summer Begins | 立夏 | 5月5-6日 | (〃) |
60° | Grains Fills | 小満 | 5月21-22日 | Gemini(双子宮) |
75° | Grain in Ear | 忙種 | 6月5-6日 | (〃) |
90° | Summerr Sollsttiice | 夏至 | 6月21-22日 | Cancer(巨蟹宮) |
105° | Slight Heat | 小暑 | 7月7-8日 | (〃) |
120° | Great Heat | 大暑 | 7月22-23日 | Leo(獅子宮) |
135° | Autumn Begins | 立秋 | 8月7-8日 | (〃) |
150° | Limit of Heat | 処暑 | 8月23-24日 | Virgo(処女宮) |
165° | White Dew | 白露 | 9月7-8日 | (〃) |
180° | Auttumn Equiinox | 秋分 | 9月23-24日 | Libra(天秤宮) |
195° | Cold Dew | 寒露 | 10月8-9日 | (〃) |
210° | Frost Descends | 霜降 | 10月23-24日 | Scorpius(天蝎宮) |
225° | Winter Begins | 立冬 | 11月7-8日 | (〃) |
240° | Little Snow | 小雪 | 11月22-23日 | Sagittarius(人馬宮) |
255° | Great Snow | 大雪 | 12月7-8日 | (〃) |
270° | Wiintterr Sollsttiice | 冬至 | 12月21-22日 | Capricorn(摩羯宮) |
285° | Little Cold | 小寒 | 1月5-6日 | (〃) |
300° | Great Cold | 大寒 | 1月20-21日 | Aquarius(宝瓶宮) |
西洋に於ける占星術の断絶と復活 | ||||||
西洋では、ジュリアスシーザーの制定したユリウス暦(紀元前45年)から季節と合致している太陽暦の時代へ入りました。 | ||||||
このことで、季節と暦が一致するようになったうえ、紀元380年、キリスト教が国教化された後は、異端、異教、聖書の | ||||||
記述に合致しないとされたものが迫害を受け、社会の表舞台から消えさりました。 | ||||||
占星術が 西洋で復活するのは、12世紀に入り、いわゆる"12世紀ルネサンス"の中で、多くの占星術書がアラビア語から | ||||||
ラテン語に翻訳されたことによります。 | ||||||
春分点歳差 | ||||||
黄道十二宮の起点は、太陽黄経0°春分点です。紀元前2世紀頃、黄道十二宮がまとめられた時代には、牡羊座に | ||||||
春分点がありましたが、紀元前後に魚座に移り、現在も魚座にあります。(天球に星座が張り付いているとしての話です。) | ||||||
当時は、地球の歳差運動は知られておらず、この基準点である春分点自体が移動してしまうことになりました。 | ||||||
春分点歳差は紀元前150年ごろ古代ギリシアのヒッパルコス によって発見されましたが、占星術はその理論の修正をする | ||||||
こともできず今日に至りました。 | ||||||
黄道十二宮 | ||||||
この黄道十二宮と言うのは、天球上に黄道 から各8°、計16°の巾の「獣帯」を想定して、これを12分割し | ||||||
そのゾーンにある主要な星座から命名したものです。これは占星術に於ける概念、用語です。 | ||||||
この星座も地球から見て移動してしまい、古代バビロニアの時代とは位置が異なっています。 | ||||||
このため、占星術の多数派は"星座"と"宮"を分離し、白羊宮の起点を春分に固定しています。 | ||||||
つまり"宮"の名称の元となった"星座"と"宮"の関係性が無くなってしまったのです。 | ||||||
1781年、天文学者が天王星を発見。続いてその摂動から、未知の惑星の存在を予想。1846年に海王星を発見しました。 | ||||||
冥王星は、1916年存在が予想され、1930年に発見され太陽系第9惑星とされていましたが2006年、準惑星に区分され | ||||||
ました。現在の占星術で重要な要素であるこれらの惑星の存在の予想と発見が占星術ではなし得なかったところにも | ||||||
科学と疑似科学の差があります。 | ||||||
市民のための科学セミナー (西洋占星術の非科学性) pdf / 「天文暦算大師黄正」氏の御説 / | ||||||
疑似科学 / 西洋占星術 / 暦と迷信 / | ||||||
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ケルトの四季 | ||||||
西洋で24節気に当たるものは、クリスマスの原型となったYule ユール冬至祭り(270°)や、イースターの語源となった | ||||||
Ēostre春分祭(0°)。の他。ケルトの四大祭と言われる祭りがあります。 | ||||||
イムボルクの祭 (立春315°)。 / ベルティナ祭 立夏(45°)。 / ルーナサの祭 立秋(135°)。 / サモンの祭 立冬(225°)。 | ||||||
ケルトの2至2分4立のコーナーを作りました。 | ||||||
地球の歳差運動による春分点の移動 | ||||||
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軸歳差運動 (北極星の移動) | ||
Precession of the Equinoxes(春分点歳差) Axial precession (astronomy) (軸歳差運動) | ||
地球の歳差運動によって北極星も入れ替わっていきます。但し25800年かけての話なので、現代人の一生の内は | ||
こぐま座のPolarisが北極星であることに変わりはありません。 | ||
dipperclock というサイトで周極星 を含む おおぐま座 、 こぐま座 、 カシオペヤ座 が季節、時間により | ||
天の北極を周回する様子をswfでシミュレートすることができます。 | ||
このように24節気は太陽の運行を元に実用目的で考案されましたが、黄道12宮は星座が天球に貼り付いているもの | ||
として考え、ローマ帝国のキリスト教国教化以降は、非キリスト教のものとして禁圧を受け、"12世紀ルネサンス"に | ||
よる復活のあとも健全な進化をすることなく、天体の並びが、地球上の一切の現象を司っているとする迷信の中に | ||
留まっています。 | ||
季 節 変 化 ( 四 季 ) の 要 因 |
Why Do We Have Seasons |
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二十四節気は太陽暦です |
以上のように季節は、太陽高度と日射角度、日照時間の変動によるものです。太陽太陰暦では、太陽年との折り合いを |
閏月で埋めたものの、季節と暦の間の関係が崩れてしまい、 このため、太陽の運行に基づいた、つまり太陽暦である |
二十四節気を考案しました。 |
太陽からのエネルギーが地球に影響し始めるには、時間差があり、気温、天気、気候など体感上の季節変化は、 |
それより遅れてやってきます。 |
二十四節気は旧暦の不具合を調整するためのもので、太陽暦です。科学を超えた神秘、不可思議の法ではありません。 |
旧暦は季節を反映せず、農業暦としての用を為さないため二十四節気が考案されたにも関わらず二十四節気は旧暦で |
あるなどと言う妄論があります。太陽暦に比べ太陰太陽暦は二重構造のため複雑で判り難くそのことが逆に皇帝の権威 |
付けには都合が良かったし、現在では、これを飯の種にしようとする占いや、物書きに利用されています。 |
閏月の挿入については、一応の法則が決まっていますが、現在ではこれを管理する権威機関もありません。 |
強いて言えば、春節を祝日とするため国家管理している中国ということになります。 |
シーザーがローマ暦(太陰太陽暦)からユリウス暦(太陽暦)に改暦した目的の一つがこの閏月の挿入が恣意的に行われて |
いたのを正すことにありました。 |
日本の休日である、春分、秋分は太陽暦である二十四節気によるものなので、閏月のような旧暦の要素には影響を受け |
ません。天文現象なので、日付が年度によっては1日移動することがある位です。 |
フラマリオンの木版画 |
一見、中世の木版画のようだがフランス天文学会を創設。初代学会長であったカミーユ・フラマリオンが |
著書の挿絵として使用し、彼自身による銅版画であるとされている。(1888年出版) |
中世の世界観を揶揄する為に使用された。 |
自然科学と魔術が分離していく中で、長らく未分化であった占星術と天文学も、この出版の200年前、 |
1687年に刊行されたアイザック・ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)によって、 |
科学である天文学と疑似科学である占星術の分離が明確になっている。 |
Flammarion_woodcut
ニコラ・カミーユ・フラマリオン (仏) 1842年〜1925年 |
確かに画風はドイツルネッサンス風だが、周りの飾り罫は近代のものである。また、原図、あるいは元図と |
思われるものも発見されていない。そして、フラマリオンが少年時代、パリで銅版画の勉強をしていたこと |
などから彼自身の作品であると思われている。 |
Category:疑似科学 / 錬金術 / 占星術 / 色物科学者研究編 / |
アルフォンス・ミュシャの『黄道12宮』 |
『黄道12宮』と言えば、アール・ヌーヴォーのグラフィックデザインを代表する作家の一人、ミュシャを |
連想するが、Wikiの各国版を見ても、『黄道12宮』の図版がない。 ミュシャ美術館のサイトにも大きな |
画像は載せていない。版権がらみの可能制があるので、当サイトでも大きな画像は、止めておく。 |
Alfons Maria Mucha
(1860年 〜 1939年) / 『黄道12宮』1896年
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