マルクス、エンゲルスの未来社会論

 

コミンテルン創立期の戦略展望と

その基礎理論上の諸問題()

 

中野徹三

 

 ()、これは、中野徹三著『社会主義像の転回』(三一書房、1995年)の「第一部、二〇世紀社会主義を検証する」における第1章の第5節(P.42〜56)です。「基礎理論上の諸問題()」は、「レーニン時代の社会主義像」で、「()」は、「マルクスの歴史観と社会観」です。このHPに「基礎理論上の諸問題()」の全文を転載することについては、中野氏の了解をいただいてあります。

 ここには、「小見出し」はありません。文中の傍点個所は太字にしました。

 

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――――――――――――――――――――――――――――――

 

 さて八九年春に刊行した『生活過程論の射程』(窓社)のなかで私は、商品生産の存立条件についてのマルクスの周知の規定に対して、次のような批判を提起しておいた。

 

 「マルクスは、諸使用対象が商品化する社会的条件を『それらが相互に独立して営まれる私的諸労働の生産物である』という事情に求めているが、生産物が商品化しうる条件は、実はもっと広いと考えられる。

 

 すなわち、(1)ある生産物の所有者または処分権者(これは私的所有者でも社会主義国家でもよい)が、その生産物を交換をつうじて自由に需要者に譲渡しうること、()この生産物に対する需要が存在し、需要者の生産物への自由で平等なアクセスが保証されていること、()供給者と需要者を含む社会において一般的交換手段が成立しており、またそれぞれの間で(供給者相互間等で)交換ならびにその条件をめぐって対等な競合関係(力関係でなく公正さという点で)が存在していることなどが、その一般的諸条件である。

 

 したがって、本来自由な諸個人が社会のために支出した彼の労働に応じて社会的富の配分を受け取ることを基本とする社会(マルクスが想定したコミュニズム社会の初期段階)において、諸個人がますます拡大化しかつ個性化する彼の人間的需要――この内容をどう評価するかここでは一応別問題である――を、万人との間で自由に、しかも平等な条件のもとでみたすためには、彼は彼の労働に対応した量の交換手段(貨幣)の分配を受けたのち、多様な消費手段またサービスが商品として提供されている『市場』に赴き、彼の所有する交換手段と交換に、その価値額の範囲内において社会的富を選択的にわがものにする、という形態をつうずる以外にはない。また、現在のところ、このような交換価値の形態を取ることなしには、しかもこの交換の成否が『生産者』(社会主義企業を含む)自身の物質的利害に、すなわち社会的富の彼への配分の度合いに決定的にかかわることなしに、生産物の使用価値の質的向上をもたらすような労働過程の技術的改善を導くことが結果しないのも、現実である。さらに、労働過程の不断の技術的変革には、生産手段と技術そのものが商品化されていること(自由に調達可能であること)が前提となる。現在進められているソ連経済のペレストロイカにおいて、『資材・技術供給システムの根本的な改編』が問題とされ、そのなかで『生産手段の卸売りへの移行』が決定的な方向として強調されているのも、そのためである。分配過程こうして、物質的生活過程の社会的結節点たる位置を占めているのであって、生産過程の単なる従属変数でまったくない。(1)」

 

 やや長く自著から引いたが、ここで注意したいのは『資本論』においては、ひとつにその論理構成上の必然性から分配諸関係が本質的には生産諸関係と同一であるとされること、したがってまた絶えざる破壊を通じての生産と消費との「均衡」が全体系をつうじて前提とされていること、である。

 

 しかし、分配過程は、マルクスがさしあたり捨象した生産物の消費(使用)過程からの規定をも受ける独自的性格を有しており、労働の生産力が高まって諸個人の可処分所得が増大し、しかも諸個人の欲望がますます多様化(個性化)して発展すればするほど、全面的に展開された市場においての消費者の自由な選択をつうじて、事後的に遂行される以外にはない(公教育や社会保障、美術館などの公共的サービスは別として)。ここで前提されているのは――スターリン時代と違い――市民革命の理念によれば神または自然が人間に賦与したとする譲渡しえない自然権としての自由を持つ諸個人であり、そして人間の自由とは、自由な個性としてのみ真に実存する。マルクスもまた、「(人間は)単に社交的な動物であるだけでなく、社会のなかで自己を個別化させうる動物である」という(『経済学批判』序説)。

 

 そして、この多様化する需要をすべて事前に把握して生産をこの需要に一致させるなどということは空想であり、もしそれが擬似的に実現するとすれば、それは戦時下の配給制度、あるいは「欲望に対する独裁」(アグネス・ヘラー)でしかありえない。

 

 ノーベル経済学賞の受賞者であるアメリカのサミュエルソンが『モスクワ・ニュース』(一九九〇年・第八号)に寄せた論文「社会主義のこの改革を実行する用意は出来ているか?」(2)のなかで指摘しているように、「市場システム」は利潤のシステムであると同時に損失のシステムであり、彼の師シュムペーターが言うように、資本主義は「創造的破壊の過程」である。また、順調に稼働する混合経済体制が生まれるまでは過渡的失業も生じうるし、しかも市場システムは常に不可避的に或る種の不平等をともなう(サミュエルソンは、混合経済のもとで市場資本主義を調整するものとして、租税制度と福祉の移転だけである、という)。

 

 だが一九世紀の社会主義者にとって「商業とは合法的な詐欺」(エンゲルス「国民経済学批判大綱」)であり、「私的所有と貨幣は、あらゆる悪の根源」()(ジュリアン・ハーニー)であった。

 

 こうして商品・貨幣関係の廃絶は、生産過程における人間による人間の搾取の廃絶とならんで、オウエンやフーリエをはじめとする近代社会主義の二つの根本思想のひとつとなったのであり、マルクスはこの理想をオウエンたちのように小さな共同体をつくり、それを漸次普及させることによって実現しようとするのではなく――政治革命による社会全体の協同社会化と、そのもとでの生産諸力の高度な発展による生産物の圧倒的な豊富化の道を通じて実現できる、と考えた。

 

 しかし、資本による人間欲望の一面的で奇形的な刺激をどれほど差し引いたとしても、もともと「生産消費への衝動を生産する」(『経済学批判』序説)のであり、また普遍的商品生産の結果としての「社会的な人間のあらゆる資質の陶冶と、できるだけ豊かな欲望をもつものとしての人間の生産」(4)(『経済学批判要綱』)を、マルクス自身、「資本の偉大な文明化作用」のひとつとして認識していた。そしてマルクスは、人間の諸欲望のこうした増大とその充足のための物質的生産の発展を、次のように「自然必然性の国」の絶えざる拡大としてとらえていたのである。

 

 「彼(人間)の発展につれて、この自然必然性の国は拡大される。というのは、欲望が拡大されるからである。しかしまた同様に、この欲望を充たす生産力も拡大される。()

 

 したがって、資源や環境破壊による生産の制限は別としても、「必要に応じての分配」が全面的に達成される場所は、やはりトマス・モアなみの「ユートピア」以外にはない。

 

 現実を見よう。社会の諸需要をあらかじめ科学的に予測し、それを「最大限に充足する」(スターリンの言う「社会主義の基本的経済法則」)と称した国家社会主義的命令経済は、市場経済よりもはるかに大きい経済的損失を社会にもたらし(ソ連の人民代議員大会議員M・ポカーロフは、「こんにち(一九九〇年一月現在)、四〇〇〇億ルーブルの価値をもつプロジェクトが未完成のまま放置されている」(6)と言う)、その結果としての消費材不足について、ゴルバチョフ大統領の支持者だった社会学者クチャナ・ザスラーフスカヤは、もはや配給制の実施を検討せねばならないほど深刻だ、と語った()。戦時共産主義の時代からすでに七〇年を経て、豊かささによる商品・貨幣の廃絶ではなく、欠乏によるその「止揚」がふたたび登場してくるとは、なんという歴史の皮肉であろうか。

 

 マルクスにもどろう。

 彼によれば、労働生産物が商品として現われるのは、それらが「相互に独立して営まれる私的諸労働」の生産物である、という事情に由来するが、発展したブルジョア社会においては、この私的諸労働資本家的所有のもとで営まれる資本家的生産であり、商品はかくして商品資本として生産され、再生産される(商品の生産と交換の全過程のなかで、独自の商品交換関係としての労働者――資本家の関係も資本家相互間の交換と競争の関係等も、くりかえし生産され、再生産される)。

 

 この社会において、商品生産・交換者相互の間の諸関係は、生産者の意志から自立した商品の交換関係として現象し、こうして事物化した社会関係の諸個人からの疎外(商品の物神的性格)ならびにその最も眼につきやすい形態としての貨幣の物神性と、生産過程における資本家労働者の等価の外見におおわれた搾取関係――資本のもとでの労働の疎外という、二重の「疎外」が支配する。そしてブルジョア的発展がまだ低い段階に生まれた初期社会主義、まず第一の疎外(商品と貨幣の物神性)を目の敵にし、リカード派社会主義者の「労働証券」思想などを借りて、暴利商業と「貨幣貴族制」の廃止に取り組んだ(フーリエやオウエンを見よ)。

 

 ところで、近代的大工業とそれがつくり出すプロレタリアートの運動の圧倒的印象からみずからの思想原理と経済学理論を構築していった一八四〇年代なかばのマルクスにとって、第一の克服すべき敵となったのは、私的小生産(小商品生産)と競争を自由の条件として保持しながら、貨幣を廃止し、ブルジョアとプロレタリアの対立が存在しない社会をつくろうとする「小ブルジョアの哲学者で経済学者」プルードンだった。

 

 マルクスは、プルードンを批判した『哲学の貧困』のなかでユーアの『マニュファクチュアの哲学』を引きながら、近代の自動機械工場が古い固定的分業を止揚し、個人の普遍的発展を促すこと、近代の大工業の本性労働時間が万人にたいして平等であることを要求すること、等を述べたうえで、将来の社会について次のように記している。

 

 「……社会の全構成員が直接労働者であると仮定すれば、物質的生産のために使用されねばならぬ労働時間の数量があらかじめ協定されているという条件においてのみ、等量の労働時間の交換ということが可能なのである。しかし、このような協定は私的交換を否定する(ドイツ語版では排除する)ものである。……労働時間が万人にたいして平等であるのは、大工業の本性にもとづくことにほかならない。きょうは資本と労働者相互間の競争との結果であるとも、あすは――もし労働と資本の関係が除去されれば――生産諸力の総和と現存の欲望の総和の関係を基礎とする一つの協定の産物となるであろう。階級対立がなければ私的交換はありえない。」(傍点引用者)

 

 すなわち、労資の階級関係が除去される(=私的所有の廃止)ならば、現存の生産諸力と社会の欲望の総和の考量にもとづいて支出すべき総労働時間を各労働者に配分する労働者間の協定が結ばれる。そしてこの協定が結ばれるや、生産物の私的交換は止み、生産物は商品の形態を脱ぎ捨てるというのである。つまり、第二の疎外(資本のもとでの労働の疎外)からの解放は、解放された生産者=労働者の自由な意識的協定を媒介にして、ただちに第一の疎外(商品・貨幣の物神性としての疎外)からの解放に帰結する。なお同じ趣旨の思想は晩年の『ゴータ綱領批判』にも次のように表現されている。

 

 「生産諸手段の共有にもとづいた協同組合的な社会の内部では、生産者たちは彼らの生産物を交換しはしない。……なぜなら、この社会では資本主義社会とは反対に、個人的な労働は、もはや間接的にではなく直接に、総労働の諸構成部分として存在するからである」()

 このように『ゴータ綱領批判』(一八七五年)の思想は、基本的には一八四〇年代の『哲学の貧困』の思想をそのまま継承しているのだ。

 

 この思想のユートピア的性格は、次の諸点を考慮に入れたとき、ただちに明らかになる。

 この協同組合的社会の生産システムが順調に進行するためには、いくつかの途方もなく困難な諸条件が満たされねばならない。

 

 第一に、この社会の人間の諸欲望が量的にも質的にも生産の事前に正確に把握されていること。だがこの欲望は、消費活動をつうじて質的に高まったり、量的に拡大したりするなど、常に不断に変動する。

 

 第二に、こうして把握された総欲望の量と質に正確に対応して、これらを充足する種々の消費手段の量と質とが、やはり事前に正確に計測されるとともに、その生産に必要とされる生産諸手段の量と質も同じく厳密に計算されねばならない。

 

 第三に、これらの計算の前提として、この協同組合的社会は他の社会から経済的に孤立しているか、またはほとんど孤立していなければならない。さもなければ(生産物が自由に流入したり、または「輸出」されたりすれば)、これらの計算は事実上不可能になるからである(貿易の「国家独占」で或る程度対応可能であるにせよ)。だがこれは「資本の文明化作用」(マルクス)からその前段階への後退、しかも不可能な後退である。

 

 第四に、この社会の生産は、このような計算を経て提出された生産計画を完全に遂行しなければならない(ここで生じた一部の混乱や計画の不遂行も、ただちに全計画を混乱させ、消費されない生産物の堆積や他方での生産物の不足などを招くからである)。

 

 第五に、総欲望と総生産物の予測は、あくまでも社会総体のそれであるから、各供給所への生産物の配分は、特定の生産手段を除き、生産の「厳密性」に比していちじるしく恣意的なものとならざるをえない。すでにこの事態が需要への或る不適応と生産の無駄を生みだす。

 

 第六に、この社会は、総欲望のいかんにかかわらず、或る限定された生産力水準から出発するのであり、そしてやはりその水準に規定された欲望計測力にもとづいて、社会の総欲望に対応する「協定」が結ばれねばならない。

 

 最後に、以上の複雑かつ困難きわまる計測と計画、その能力は別として、社会の少数者の独占的業務とならざるをえない。それ故にこの「協定」は、現実には社会的生産・分配を事実上管理し、支配する官僚のしかもここで生産手段は共有で「労働者国家」がその独占的所有権を有しているのであるから、この国家官僚の計測と計画が総欲望を規定し、表現するものとならざるをえない。ブダペストのコンラッドとセレニイの言葉を借りれは、「合理的再分配制下において剰余生産物の処分権を正当化するのは、とりわけ技術的知識であり主知的な知識である。これこそが再分配者の強い権限を持つ地位を正当化し、インテリゲンチャが階級を形成するためのイデオロギー上の基礎を支えるのである」(10)。もっともこの「知識」も、一九八九年をまったく予測はできなかったが。

 

 こうして、「自由な生産者の共同体」(マルクス)とそのなかでの生産者の自由で意識的な「協定」は、こうした諸条件のもとでは社会の総欲望に対する国家官僚の独裁としてしか現実化しえないのである。しかもこの官僚による計画は、全社会の名において強制力を持つのだから、「自由な生産者の共同体」は、この官僚集団が社会の総労働の配分を決める「文明化されたラティフンディウム」(古代ローマの奴隷制大農場)にならざるをえなくなるのである。

 

 そしてこのような協同組合的社会は、それが一定の現実性と意義を持ちうるとすれば、小規模な、かなり自営的なコロニーでしかありえない。『共産主義の原理』でエンゲルスが都市と農村の対立の止揚を論じて「二つの違った階級が農業と工業を経営するかわりに、同じ人間が農業と工業とを経営することは、まったく物質的な原因からだけでも、共産主義協同社会(die kommunistische Assoziation)の必然的な条件である」(11)(傍点引用者)と書いているのは、マルクスとエンゲルスの協同組合的社会も、一九世紀ユートピアンのそれとなおかなりの類似点があることを示している。

 

 またここにも、生産諸関係における階級関係の廃絶が商品生産・交換関係をも廃絶するだろうとする生産関係(階級関係)還元主義が、その理論的基軸としてある点が留意されねばなるまい。この点は、マルクスが『経済学批判』を貫く主要課題のひとつとしたプルードン批判に内包される重大な欠陥(分配過程論の捨象)にかかわり、ここからも、物質的生活(生産・分配・消費)の総過程の分析の必要を改めて私たちに教えてくれる。

 

 そしてこうした思想の根底に、階級関係の除去にもとづいて解放されるであろう人間性とその自由な連帯の可能性に対する、マルクス、エンゲルスの途方もなく大きい楽観がある。この点、自分の信条は「自由・平等・友愛」ではなく、「自由・平等・厳格」だとしたプルードン(12)の方が、一面はるかにペシミストであり、またリアリストでもあった。

 

 すでに見たように、諸関係を所有=階級関係に一元的に還元する傾向、政治の領域においては国家を階級支配の道具として道具主義的にとらえる階級国家論に結実する。

 

 「本来の意味の政治権力、他の階級を抑圧するための一階級の組織された強力である。」(『共産党宣言』)

 したがって、やはりここから階級(私有)の廃絶は、「本来の意味の政治権力」の廃絶を意味するものとなる。

 

 だがこの国家死滅論を検討する前に、プロレタリア独裁論とその論理について検討しておこう。

 ブルジョアジーが打倒され「収奪者が収奪され」たのちに、社会主義的生産を組織するプロレタリアートとその同盟諸階級が残るだけとなり、ここでの国家権力の本質は、プロレタリアートに奉仕する公務員をつうじて行使されるプロレタリアート自身の独裁とされる(プロレタリア独裁は共産党をつうずるほかには不可能であると語ったのは、レーニンであって、マルクスではない)。

 

 だがこのプロレタリアートの公僕にすぎないずの公務員集団は、先に見たように社会的生産・分配全体の独占的管理者となるのであり、さらにプロレタリアート自身が管理できる身近な業務を除く社会的・文化的等々の全生活過程の管理をも手中に握ることになる。こうして、国家的所有制と命令経済のもとで、「プロレタリアートの独裁」は、ほとんど法則的にプロレタリアートと人民の全生活に対する官僚権力の独裁に転化する。そしてこうした必然性についての認識、マルクスとエンゲルスの思想圏にはまだほとんど登場していなかったのだが、ここでもやはりその理論的基礎を成したものは、官僚制などの「政治的上部構造」生産諸関係(=土台)の変革によって遅かれ早かれ土台にふさわしく変革されると説く、生産関係(土台)還元主義に他ならなかった。

 

 革命まではあれほど階級闘争と人民の諸運動の役割を重視したマルクスが、なぜ革命後について打倒された敵階級との闘争を除いて、人民の政治闘争(反官僚等々)の必然性について論じなかったのか、と問うことは、ないものねだりにひとしいかも知れない。まさしく真に責めらるべきなのは、マルクス死後百余年、スターリン主義の凄惨な人民抑圧をそれなりに知りながらも、その事実と論理を究明し、マルクスの遺産を批判的かつ創造的に発展させようとしなかった、私たちを含む現代の全「マルクス主義者」なのである。諸社会を貫徹する政治過程とその論理を解明できないところで政治学は成立しえず、再度、還元主義的な「政治的上部構造」論の不毛の荒地が残るのみである。

 

 さて、国家成立後の官僚制のますます増大する合理化的意義とその「鉄の檻」的機能の問題性とを同時に考察したのは、『支配の諸類型』他のウェーバーの大きな業績であったが、そこから彼は、革命直後の時点においてすでに、ロシア革命においては「労働者の独裁でなく、官僚の独裁こそが――おそらくさしあたり――進行しつつあるものにほかなりません」(13)と書いた。

 

 他方、マルクスの死後、モーガンの『古代社会』を読み、マルクスがこの本から作成した摘要を手にしながら『家族・私有財産・国家の起源』を執筆したエンゲルスは、階級と国家の同時発生についての彼自身の新たな確認にもとづいて、「階級が消滅するとともに、国家も不可避的に消滅する」と書く。そしてこの『起源』を最大の典拠として、レーニンはかの『国家と革命』を革命直前にまとめるのである。

 

 さて、先に見たようにレーニンの「国家死滅論」の基礎を成すものは、社会主義のもとでの大工業の発展が国家諸機能の単純化を進め、「すべての者が順番に統治する」ことを可能にするであろう、という見通しであった。

 

 たしかに、現代の技術革命が精神的管理労働のME化をいっそう高度の段階にまで推し進め、民衆の全般的な知的水準の向上とあいまって、行政的機能のかなりの部分を民衆が担いうる可能性が不断に拡大すること、労働時間の短縮と民主主義の発展によって民衆の政治参加が前進すること、さらに市民の政治的自覚の高まりを反映して、多かれ少なかれ民間企業すらも或る種の公共的機能を担うようになるだろうこと――これらはほぼ合法則的である。しかし、ここから国家の死滅あるい単純に理解された「国家権力の社会による再吸収」(『フランスの内乱』第一草稿中のマルクスの言葉)(14)の展開を予想することは、一九世紀的ユートピアの二〇世紀末的カリカチュアにすぎない。

 

 国家の諸機能において今後、古い階級的等々の支配機能がしだいに後退する反面、普遍人間的・福祉的諸機能は資本主義国家においてもますます増大するであろう。なぜなら、ここでもやはり福祉に対する人間的欲望が増大し、権利化すればするほど、それを充足すべき「自然必然性の国」もまた増大するからである(もとより、国家機関がそのすべてを担うというわけではない)。さらに、自然環境の保全や復原、国際化にともなう民族的摩擦の解決等々、国家と国家連合が担うべき新たな課題と任務は今後なお無限に生成するだろうし、しかもその内容は現代にふさわしくますます総合的で、高次の性質をもつものとなるだろう。とりわけ精神なき文明化ともいうべき現在の諸動向、新たな人間疎外と荒廃、物質的世界のそれと平行しての精神世界の砂漠化を広汎に推し進めつつある。さて、それではマルクスが古い国家機関に替わるべきと見たコミューン――選挙母胎によっていつでも解任可能なコミューンの議員と職員、そして「ごく少数の機能だけを持つ中央政府」は、果して将来のこれらの国家機能を担うに足りるであろうか?

 

 『マルクス主義理論における社会諸階級』を書いたイギリスのマルクス主義政治学者アリン・コットレルは、立法的・行政的区別の廃止を求めるコミューン原則、「共同の敵に直面して高度の連帯を発揮しつつある相対的に小さく相互に密着した政治団体」においては効果的であるが、社会主義的組織の実際的で望ましい長期間の姿であるということは少しも自明でない、と述べ、次のように指摘している。

 

 「現代のいかなる政府もが(それでおのずからどんな社会主義政府も国内かまた国際的な次元で)取り扱わねばならない業務の複雑さを前提とするなら、この目的が立法的機能と行政的機能の分割の完全な廃止によって遂行されうると予想することは、まったく非現実的だと思われる。より有望な道は、情報や専門家の助言に議員がいっそうよく接しうるようにすること、こうして上級行政官の責任を問うことができるほどに、議会の批判的・監督的役割を強化すること、これである。」(15)

 

 プルードンを批判して大工業と世界市場の巨大な文明史的役割を説いたマルクスが、都市と農村のつつましいコミューン群と「少数の機能」だけを持つ中央政府を、労働者革命の遂に発見された政治形態と見たこと(16)は、それに依拠して国家消滅の輝かしい夢を空中に描いたレーニンの『国家と革命』とともに、私たちにはいま不思議なパラドックスとして映ずる。

 

 ――それはなぜであろうか?

 

 くりかえして言う。人間世界のすべての不幸や疎外が、究極的に階級への分裂に依存すること、したがって階級対立の廃絶は、すべての不幸からの完全な解放を意味すること、プロレタリアートは革命的階級としてこの不幸の根底としての階級支配を除去しうること、そしてプロレタリアート革命的階級としての自己の同質性を変革期の全体をつうじて貫徹し、かくして彼の世界史的任務を遂行するだろう、というマルクスたちの不抜の確信が、このユートピアを「科学」にしたのだ。

 

1) 中野徹三『生活過程論の射程』窓社、一一〜一二ページ。

2) Московские Новости, No.8,1990,стр.12

3 Der Bund der Kommunisten. Dokumente und Materialien,

   Bd.1,Dietz Verlag Berlin,1970,S.249

4) 『経済学批判要綱』2、大月書店、三三七ページ。

5) 『マル・エン全集』25b、大月書店、一〇五ページ。

6) Московские Новости, No.5,1990,стр.10

7) 『モスクワ・ニュース』とザスラーフスカヤとの対談「配給券。一時的な抜け道か、それとも永遠の袋小路か〜」(ibid.,No.11,1990,стр.10

8) 『マル・エン全集』4、一〇四〜一〇五ページ。

9) マルクス『ゴータ綱領批判』岩波文庫、三五ページ。

10) G・コンラッド/T・セレニイ『知識人と権力』新曜社、二八九ページ。

11) 『マル・エン全集』4、三九三ページ。

12) James Joll: The Anarchists.Eyre and Spottiswoode,London,1964,p.68

13) ウエーバー『社会主義』講談社学術文庫、六四〜六五ページ。

14) このマルクスの言葉は「国家の死滅」と同義ではない。なお、加藤哲郎『東欧革命と社会主義』花伝社、のなかでの私に対する批判(『生活過程論の射程』第二部3で私がおこなった『フランスの内乱』三稿の比較分析についての)は、事実上国家一般に社会一般を対置させることによって、第一草稿執筆当時のマルクスの「反国家的」心情への同じく心情的な共感の域にとどまっている。

15) Allin Cottrell: Social Classes in Marxist Thought.Routledge and Kegan Paul,

    London,1984,p.28

16) だがのちにマルクスはコミューンの評価をかなり変えた。一八八一年二月二二日のニーウェンホイスあての手紙を見よ。ここでマルクスはオランダの社会民主主義者にあてて、次のように語っている。「だがこれ(パリ・コミューン)が例外的事情のもとでの一都市の反乱にすぎなかったことを度外視しても、コミューンの多数派はけっして社会主義者でなかったし、そうあることもできませんでした。でも彼らにごく僅かな良識があったなら、人民大衆に必要だったヴェルサイユとの妥協――当時ではそれだけが可能でした――に到達できたでしょうに。フランス銀行の占拠だけでも、ヴェルサイユのお偉方に弾圧をやめさせえたでしょう、等々。」Marx-Engels WerkeBd35,S.160

 

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 (中野徹三論文の掲載ファイル)

 

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     (添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」

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