登場人物 | 役 者 | 摘 要 |
近藤 勇 | 香取 慎吾 | 試衛館四代目、局長 |
土方 歳三 | 山本 耕史 | 試衛館の同志、副長 |
沖田 総司 | 藤原 竜也 | 同 |
斎藤 一 | オダギリジョー | 同 |
藤堂 平助 | 中村 勘太郎 | 同 |
原田 左之助 | 山本 太郎 | 同 |
山南 敬助 | 堺 雅人 | 同 |
永倉 新八 | 山口 智充 | 同 |
井上 源三郎 | 小林 隆 | 同 |
殿内 義雄 | 生瀬 勝久 | |
島田 魁 | 照 英 | |
河合 耆三郎 | 大倉 孝二 | |
武田 観柳斎 | 八嶋 智人 | |
佐藤 彦五郎 | 小日向 文世 | 日野宿・名主、歳三と従兄弟 |
小島 鹿之助 | 小野 武彦 | |
宮川 音五郎 | 阿南 健治 | 勇の実兄 |
滝本 捨助 | 中村 獅童 | 勇の幼馴染 |
近藤 周齋 | 田中 邦衛 | 勇の養父(養子縁組) |
近藤 ふで | 野際 陽子 | 勇の養母 |
近藤 つね | 田畑 智子 | 勇の妻 |
佐藤 のぶ | 浅田 美代子 | 彦五郎の妻、歳三の姉 |
沖田 みつ | 沢口 靖子 | 総司の姉 |
深雪 太夫 | 優 香 | |
お孝 | 優 香(二役) | 深雪の妹 |
お琴 | 田丸 麻紀 | 歳三を慕っている |
松平 容保 | 筒井 道隆 | 会津藩主・京都守護職 |
清河 八郎 | 白井 晃 | 浪士組を結成する |
勝 海舟 | 野田 秀樹 | |
佐久間 象山 | 石坂 浩二 | |
坂本 龍馬 | 江口 洋介 | |
おりょう | 麻生 久美子 | 龍馬の恋人 |
お登勢 | 戸田 恵子 | 寺田屋の主人 |
芹沢 鴨 | 佐藤 浩市 | 筆頭局長 |
桂 小五郎 | 石黒 賢 | |
佐々木 只三郎 | 伊原 剛志 | |
久坂 玄瑞 | 池内 博之 | |
伊東 甲子太郎 | 谷原 章介 | |
お梅 | 鈴木 京香 | 鴨と同棲 |
幾松 | 菊川 怜 | 小五郎の恋人 |
八木 源之丞 | 伊東 四郎 | 八木家の主人 |
八木 雅 | 松金 よね子 | 源之丞の妻 |
八木 ひで | 吹石 一恵 | 源之丞の娘 |
※あらすじ
1話、黒船が来た 01月11日(日)
今日からNHK大河ドラマ「新選組!」がはじまり第1話として、「黒船が来た」が放映された。
以下、毎日新聞からその一部について抜粋を記載すると
『幕末の京都での切り合いから始まり、一転して10年前のペリー来航時、自分が何をしていいか判らない近藤勇や土方歳三、坂本龍馬が、黒船を見て仰天し、生き方を真剣に考える。』とある。
ドラマのストーリーは別にして、正直なところ今まで何回となくみてきた映画や読書での新選組人物像と重ならず、やや戸惑いを感じる。
しかし、最初の1話であり早計に論ずることはできない。
更にはそれぞれ書く人、見る人の主観があり、一概に側面や一視点のみで言えないので今後のドラマの推移を見ていきたいと思う。
2話、多摩の誇りとは 01月18日(日)
今日は、NHK大河ドラマの2話目で「多摩の誇りとは」が放映された。
午後から外出したため放映時間に間に合うよう帰宅したが、誠に残念なことに急遽メールを送信しなければならなくなり殆どテレビを見ることができなった。
今の状況は、多摩における近藤と土方の生き様やかかわりの様子を捉えているように思う。
来週は、見過ごしのないようにしたい。
3話、母は家出する 01月25日(日)
今日の話の筋は、周助が独断で勇の縁談を決めようとしたことが原因で夫婦喧嘩となり、周助の「わしが決めたことには黙って従え!」という一喝で、ふでが家出する。
天下国家のために何かしなければと考えている勇にとって、頭痛の種である。
家出したふでを説得に行った勇は、ふでから「侍を気取るのは止めて己の出自、身の程をわきまえよ」と厳しい言葉を浴びせられる。
ふでが自らの出身に激しい劣等感を抱き、同じ農民出身の勇に対する複雑な思いである。
一方薬の行商をしている歳三は、詐欺まがいの道場破りで町道場に薬を売りつけていたのを相手に知られ、門人たちに袋叩きにされる。
全身傷だらけで勇の前に現れた歳三は、「強くなりたい。試衛館に入門させてくれ。俺は武士になりたい」と勇に頼み込む。
4話、天地ひっくり返る 02月01日(日)
勇の婚礼が推し進められる。が、
試衛館道場は台所が厳しく勇は、稽古代の払いが滞っている門人・広岡の借金取立てに向かう。
そこで芹沢鴨に会い、彼は”明日の朝を楽しみにしていろ、天地がひっくり返るぞ”と言い残して去った。
一方、勇の留守の間に井上源三郎が道場破りと勘違いした北辰一刀流の山南敬助に「天然理心流の名を高める好機」とばかりに歳三が、塾頭の惣次郎(総司)と手合わせをさせるが、敗れる。
翌朝、「江戸城桜田門外で、大老・井伊直弼が水戸浪士達に暗殺される」事件が起きた。
現場に駆けつけた勇は、雪のなかに無残な亡骸と共に自害した広岡の姿を見つける。
「天地ひっくり返る」とは、即ち「時の大老・井伊直弼を暗殺した”桜田門外の変”」である。
5話、婚礼の日に 02月08日(日)
安政7年(1860年)3月29日。
27歳の勇と武家の娘・松井つねとの婚礼の日がきた。
多摩から祝いに駆け付けた実兄の宮川音五郎から、代々受け継がれてきた下帯を譲り受ける。
一方、江戸の名だたる道場へ案内状を送ったにも関わらず道場関係の出席者がいないことに歳三は苛立ちを隠せない。
また、呼んでもいない捨助が魚屋を引き連れて現れたり、練兵館道場の桂小五郎が主役気取りで時勢を演説したりと、祝宴は大賑わいとなる。
さらには、祝宴の最中に手傷を負った山口一が逃げ込む。
一度は勇から借金して逃走を図るが、追っ手の役人たちを交わし切れずに再び試衛館に舞い戻って来る。
一を匿うことを決意した勇と押しかけた役人たちとの間で一悶着起きるが、桂の口添えもありその場を切り抜ける。
一を江戸から逃がすため、勇は水戸浪士・芹沢鴨を訪ねる。
6話、ヒュースケン逃げろ 02月15日(日)
万延元年(1860年)9月30日。
勇は、周助に伴われ歳三と共に府中の六所明神で奉納試合を行う。
多摩の豪農たちから多額の祝儀を受け、懐が暖かくなった勇と歳三は立ち寄ったそば屋の近くに米国公使通訳のヒュースケンと親しくしてるお富が住んでいることを知る。 お富を一目見ようと家を張り込むが、浪人風の男たちに捕らえられてしまう。
男たちは攘夷思想の持ち主でお富の家を訪れるヒュースケンを亡き者にしようとし、口封じのために勇と歳三の命を奪おうとする。が、
偶然、一味の中にいた永倉新八のとりなしで危ういところを救われる。
凡そ三年ぶりの再会であったが、勇は「永倉が、金目当てに闇討ち同様にヒュースケンを葬り去ろうとしている」ことを知る。
勇と歳三は、ヒュースケンに命を狙われていることを知らせる。
話しをするうちに、ヒュースケンの日本を思う気持ちとその心にある武士道精神に感銘を受け、外国人に対する考えを変える。
勇は何とかヒュースケンを助けようとするが、襲撃者たちは説得に応じない。
結局、勇の一本気な純真さに心を打たれた永倉の寝返りで、襲撃者は退散する。
勇は永倉に「客分として試衛館に迎えたい」と誘う。
7話、祝四代目襲名 02月22日(日)
文久元年(1861年)8月27日。
勇の四代目襲名披露のために、府中六所明神に集った天然理心流の全門弟達が紅白に分かれて野試合を行う。が、
歳三や山南の差配、総司の活躍などで試衛館が圧倒的な強さをしめす。
その夜は府中の旅籠で四代目襲名の宴会が催された。
宴もたけなわになった頃、周助から「勇が、桂小五郎の推薦で幕府の講武所・教授方になれそうだ」と明かされ、皆は大いに盛り上がる。
そんな中、いつの間にか宴席に紛れ込んでいた原田が、勇の人柄に惚れ込んで「試衛館の客人になる」と宣言し、一同を驚かせる。
そこへ、勇に直接祝いの言葉を伝えようと、坂本龍馬が訪ねて来る。
龍馬は勇に土佐勤王党の血判状を見せて、攘夷決行の行動を起こそうとしていることを告げる。
だが勇は、外国人の命を奪うとの考えに賛成できずに龍馬に翻意を迫る。
ところが、そのやりとりを覗いていた捨助が血判状を奪ったことから、抜刀した勇と龍馬が対峙する事態となった。
勇は、妻から背中に髑髏の刺繍がある剣道着を手渡される
8話、「どうなる日本」 02月29日(日)
見過ごしの為、未記入
9話、すべてはこの手紙 03月07日(日)
文久3年(1863年)1月17日。
勇が妻・つねとの間に長女・たまを授かってから数か月が経ち、講武所の教授方見習として推挙され初出仕する日となった。
藤堂平助を伴い家を後にした勇は、講武所にて「推挙の事実ない」と言われ門前払いにあう。
事情も分からず意気消沈していた勇は、街中で坂本龍馬と再会する。
土佐藩を脱藩し今は幕府軍艦奉行並となっている勝海舟に師事しているという龍馬は、勝の屋敷で勇たちを勝に引き合わせる。
そこで勇は佐久間象山とも再会するが、覚えがないと言われる。
また、勝と象山の先進的な話には全くついていけない勇であったが、講武所の話を反故にされたのは、”もとは百姓だからだ”と勝に指摘され、ようやく事の真相を知る。
再び講武所に押しかけた勇は、自分は農民ではなく武士であると抗弁するが全く聞き容れられない。
さらには、佐々木只三郎から「お主は武士ではない」とまで言い切られる。
勇は講武所の話は流れたと妻に告白し、歳三にも話しをするが”己の立場に虚しさ”を募らせる。
10話、いよいよ浪士組 03月14日(日)
勇は、山南の仲介で浪士組取締役の山岡鉄太郎を紹介され、浪士組結成の献策をした清河八郎に会いに行く。
涙ながらに浪士組への参加を要請された勇は、大いに感激し「心で武士になる」と誓い「浪士組として上洛したい」と、養父の周斎に談判する。
周斎から「本当の親子になった気がする」と言われ快諾を得る。
さっそく歳三と計らい試衛館門人から同行する有志を募るが、食客以外の門人たちは浪士組加入に難色を示す。
反面自分も浪士組に加わりたいと考えていた沖田は、勇から「塾頭として江戸に残るように」と厳しく申し渡される。
勇たちは、浪士組最高責任者の松平上総介を訪ね、浪士組結成についての真意を問い質す。
上総介は勇たちに覚悟の程を伝え、試衛館の者たちの厚遇を約束する。
文久3年(1863年)2月4日。
浪士組入隊受け付けの日、会場の伝通院では、予定数を大きく越える浪士たちで溢れ返っていた。
「これでは約束した支度金を浪士たちに払うことができない」と、上総介は仮病を使い役目を放棄してしまう。
勇の「百両が十両になっても、気が変わらない」と一言いい、後をつけてきた総司に共に行くことを許す。
11話、母上行ってきます 03月21日(日)
文久3年(1863年)2月5日、江戸。
勇らが浪士組として京へ出立する日が迫り、つねと連れ立って養父・周斎の隠居所を訪ねる。
快く送り出そうとする周斎だが、養母のふでは相変わらず厳しい言葉を浴びせる。が、
勇は「心だけは武士でありたい、武士以上に武士らしく生きることが自分の願いだからだ」と答える。
さらに、道場の支援者である小島鹿之助から、上洛を思い留まるよう説得されるが、決意を変えない。
試衛館の食客が挨拶や身辺整理に追われている。
一方では、総司の姉・みつが”皆を案じる気持ちと自分が浪士組に参加できない悔しさから”何とか出立出来ないようにと、画策する。
歳三や源三郎らとともに多摩の縁者に挨拶回りに赴いた勇は、その足で実家に立ち寄る。
兄の宮川音五郎から名刀・虎撤を贈られる。
勇らはすぐに二十両の刀が本物ではないと見破るが、自分の旅立ちを精一杯の気持ちで送り出そうという兄の厚意に胸を熱くする。
また、歳三の姉・のぶから、弟をうまく使ってくれるよう頼まれる。
その頃、浪士組設立の首謀者・清河八郎は、生涯の友である山岡鉄太郎に”浪士組を己の目的である尊王攘夷を成就させるために使う”と本心を打ち明けていた。
翌日、ふでの呼び出しを受けた勇は、つねと二人で隠居所へ向かい”貴方と同じ百姓の出である”と聴かされ、「武士よりも武士らしく戻って来なさい」と励まされる。
12話、「西へ!」 03月28日(日)
見過ごしの為、未記入
13話、芹沢鴨、爆発 04月04日(日)
文久3年(1863年)2月10日、中山道・本庄宿。
京都へ向かう浪士組の本隊に先行し、必要な宿の確保に奔走していた勇であった。が、
思うようにいかず途方にくれていたところへ駆けつけた歳三が、試衛館の面々を動員し何とか全員の宿を確保する。
勇の存在を認めさせ”浪士組内で確たる地位に就かせたい”と考える歳三は、勇を支えることに全力を傾注する。
しかし、浪士達は一筋縄ではいかぬ我がまま者ばかりで、宿泊の宿振りにいろいろな注文をつけて来る。
冷静沈着な山南ですら、横柄な浪士との間で一触即発の事態ともなる。
また、芹沢鴨は、普段から佐々木ら幹部に反発し道中でも素行不良を繰り返していた。
反面、佐々木は宿振りを利用して芹沢を仲間と切り離そうとする。
その夜、芹沢が宿場で巨大な焚き火を始め宿場中が騒然となる。
事態を収めようと勇は、燃え盛る炎を前に身体を張って芹沢と対峙する。が、
芹沢の行動は、人物を見極めるものだという。
この行為に対し、幹部の心の中に近藤勇が刻み込まれる。
14話、京へ到着 04月11日(日)
文久3年(1863年)2月23日、京。
勇や芹沢たちは、京都郊外の壬生にある八木源之丞邸に寄宿することになった。
八木家では、万一に備え娘のひでに男装させることにした。
勇ら浪士組が到着した京都では、足利将軍家の木像の首が三条河原にさらされるなど”長州を中心とした尊攘浪士の暗躍により治安が乱れており”京都守護職・松平容保は京の治安回復に頭を悩ませていた。
八木家で早速、芹沢が我がままをいいだす始末である。
京に到着した浪士組の主だった者は、清河八郎に呼び出され「朝廷への建白書を提出するので署名するように」言われる。
しかし、幕府ではなく朝廷に忠誠を誓うことを願い出るという内容であることに気づいた山南は、清河の後ろ盾になっている山岡鉄太郎に真偽を確かめるべく迫る。が
「以後浪士組は、幕府ではなく朝廷のために尽力する」と清河に言い切られる。
一方芹沢は沖田を連れだし京都の町へ出かけ、諍いで不逞浪士を斬ってしまう。
勇たちは、八木家の家族に剣術を教えていた。
15話、行くか、残るか 04月18日(日)
文久3年(1863年)2月29日、京。
清河八郎の真意が、“浪士組の身命は、朝廷のために捧げる”ことであっことが判る。
佐々木只三郎らは清河の思惑通りにさせまいと、浪士組全員の江戸帰還を決め清河を斬ると言い出す。
また、京都での生活を始めた勇らは、寄宿する八木邸の主人・源之丞ら家族から毛嫌いされていた。
用心のため男装している八木家の一人娘・ひでは、総司たちから男だと思われ、剣術の指導を受けていた。
一方、山南からもたらされた情報で浪士組の江戸帰還が決まったと知った歳三は、京都に残って”自分たちだけの浪士組を作ろう”と勇に持ちかける。
また、試衛館の面々の同意を得る。
しかし、清河が浪士組の面々を集めた場で江戸への帰還を宣言すると、勇たちだけでなく芹沢までもが清河に反旗を翻して京都に残ると言い出す。
「浪士組が京都を後にする」と聞いて胸をなでおろしていた八木家の人々は、勇たちが残留すると聞き落胆する。
自分たちの進む方向を定めた芹沢らは、「清河を斬る」と息巻く。が、
芹沢たちに斬られる前に連れ戻そうと、勇らは清河を追いかける。
山南は斬りあいを演じて清河を逃がす。
16話、一筆啓上、つね様 04月25日(日)
文久3年(1863年)3月28日、江戸。
京都の勇から、江戸にいる妻・つねのもとに一通の手紙が届く。
その文面から、近藤周斎とふでそして沖田みつらは、京都での勇たちの奮闘ぶりに感激する。
京都では「将軍警護」を理由に京に留まろうとする勇や芹沢らの動きが原因で、浪士組が身動き取れない状況にあった。
その間に自分たちで新たな浪士組を結成しようと歳三ら試衛館の面々が、仲間を増やすための勧誘を始めた。
斎藤一(山口一改め)も勇に誘われる。
一方、勇たちが寄宿する八木家では、勇らが幕府の預かりではなくなることから生活費の面倒まで見る羽目になり、八木源之丞ら一家は困惑する。
また、勇らと行動を共にして京都に残留した芹沢鴨は、八木邸からほど近い前川邸に暮らしていた。
そんな折、山南の発案で勇と芹沢は会津藩主・京都守護職の松平容保に面会を求め、会津藩のお預けとなる。
上洛して二条城に入る将軍家茂の警護をしようと意気盛んな勇たちであったが、遠くから野次馬と一緒に行列を見物することしかできなかった。
”上様に声をかけた”として久坂を詰問する。
京へ残る勇たちの動静を監視する者を残し、浪士組は江戸へ出立する。
17話、はじまりの死 05月02日(日)
文久3年(1863年)3月25日、京。
会津藩お預かりとなった勇や芹沢ら浪士組は、会津藩主・松平容保に謁見し励ましの言葉をかけられる。
また、会津藩側から「勇たちが身を寄せている壬生の地に伝わる 壬生狂言 を一緒に鑑賞して親睦を深めたい」との提案があった。
一方歳三は、勇に頭になってもらわねば困ると談じこむ。
浪士組の正式名をどうするか、誰を組長とするかで、試衛館の面々と芹沢一派、根岸友山一派の主導権争いが持ち上がった。
市中見回りに赴く勇たちに芹沢の許しを得たかと、ちょっとした諍いが生じる。
八木家では相変わらず、剣術の稽古が実施されていた。
夜、八木家の当主・源之丞が狂言を披露している最中に、浪士組の一員・殿内義雄が、江戸に帰還した佐々木只三郎の命を受けた見張り役であることが発覚する。
「殿内を斬る」と息巻く芹沢を制した勇は、殿内に会って事情を聞き「上様のために一緒に働こう」と諭す。
殿内は、勇の説得に従い京に残って浪士組の一員として忠勤に励むことを約束する。が、
「佐々木に、事の経緯を正直に話した上で再度上京する」との書置きを残して旅立った殿内を、芹沢が斬ったことから事態は急転する。
勇は「誰が斬ったか、不明」と全員に達するが、"誰が斬ったかは明らかだ"と不服を唱え、これでは統制が取れないと隊を抜けてゆく者がでる。
18話、初出動!壬生浪士 05月09日(日)
文久3年(1863年)4月1日、京。
坂本龍馬が壬生の八木邸で、勇や歳三に「日本の将来のためには海軍が必要だ」と話す。
一方、浪士組では試衛館の面々と芹沢らとの間で、誰を組長(山並の提案で局長)にし誰を副長にするかなど、内輪の主導権争いが続いていた。
そこで、いろいろな役職を設け、複数の者を割り当てることにした。
総司は前川邸に居候しているお梅に手紙を届けるが、そこに芹沢も一緒にいたため不信に思う。
八木源之丞ら壬生の名主達は、”村の風紀を乱す者”としてお梅に村を出て行くよう話しをするが、芹沢の”浪士組預かりとする”との一言で、お梅は八木邸に移ることになる。
また、平助は、勇から「浪士組の結束を固めるために、芹沢一派との親睦を深める手立てを考えるように」と命じられ、相撲で交流を図ろうと考える。
その頃、京の町では、長州の久坂玄瑞らが幕府を揶揄する“数え歌”の立て札を設置していた。
激怒した京都守護職の松平容保は、浪士組に立て札の撤去を命じる。
勇は、断固取り締まるべしという芹沢らとともに出動する。
19話、通夜の日に 05月16日(日)
勇らが世話になっている八木家の姑・久が病床にあった。
源之丞をはじめ家族らが見守る中、左之助が呼ばれ、久に「わしや、万太郎や」と声をかける。
左之助のやさしさに感謝しながら、安らかに息を引き取る。
その翌朝、文久3(1863年)4月8日 京。
勇と歳三が申し出て、久の葬儀一切を浪士組で取り仕切ることになった。
勇のもとに大阪から、お幸が訪れる。
歳三と山南の差配で段取りが決められていく。
総司が、お梅に呼ばれ酒を馳走になっているところへ来合わせた芹沢に侮辱される。
通夜の準備が進む中、永倉は島田魁を勇に引き会わせる。
浪士組への入隊を志願する島田を、勇は快く引き受ける。
そんな中、芹沢の狼藉が勇や歳三の耳に入る。
また、“立て札”の一件で因縁のある長州藩士・久坂玄瑞が仲間を引き連れて弔問に訪れる。
八木家とは何の関わりもない久坂が姿を見せたことを不審に思う勇たちに対し、久坂は「自分たちの邪魔をするのか」と浴びせる。
「上様をないがしろにすることは許せない」と勇は言い返し、一触即発の剣幕となる。
一方、通夜の手伝いを頼まれた島田は僧侶を迎えに出向くが、京の街は地理不案内で右往左往していた。
葬儀が無事終わり、源之丞は勇や歳三そして総司に対し感謝の意を述べ、男装して秀次郎と名乗らせていた娘を改めて紹介する。
勇と歳三は、芹沢に迷惑をかけるような行為をしないよう嗜める。
20話、鴨を酔わすな 05月23日(日)
大坂沖へ向かう将軍警護のため勇たち浪士組は、「この機会に」という芹沢の提案で揃いの羽織を新調することになった。
勇の意見で柄は赤穂浪士の討ち入り装束と同じ“だんだら模様”に、色はお梅の意見でアサギ色に決まり、金は芹沢が都合することになった。
文久3年(1863年)4月21日、大阪。
勇たちが大坂へ出立した日、芹沢は、浪士組に帯同している会津藩の広沢富次郎から”強引な方法で商家から金を借りていること”を非難される。が、
逆に”金を出さない”と詰る。
一方、歳三の命を受けて壬生に残留した山南や総司らは、 芹沢一派が不在の間に勢力を拡大しようと画策し、新入隊士の募集を行い河合耆三郎や松原忠司らを加入させる。
大坂では、龍馬が勇の宿を訪ね「清河八郎が江戸で佐々木只三郎によって暗殺された」と話す。
その後、勇らは龍馬の誘いで長州の桂と顔を合わせる。が、
初対面の芹沢と桂の間で諍いが生じ、桂が芹沢の“幕府のおよび越し”との発言に憤慨したため両者は一触即発となる。
「桂を切る」と息巻く芹沢を、勇がとどめる。
しかし、夜になっても芹沢の怒りは収まらず、宴の席で勇の顔に酒を浴びせる。
二人はいがみ合うが、勇の我慢でその場は収まる。
「局長は、芹沢さんしかいない」という勇に、芹沢は反発する。
21話、どっこい事件 05月30日(日)
将軍が江戸へ戻ることになり、将軍警護を任務とする勇たち浪士組が京に留る理由がなくなった。
そのため勇は、「将軍にしばらく京に留まっていただこう」と嘆願書を山南とともに作成し、松平容保に拝謁する。
容保は、勇に自らの“意志”を語り、これからも自分の手足となって働いてほしいと頼む。
勇は、京に留まることを決意する。
ある日、大坂で不逞浪士の取り締まりを行ったことから、奉行所の与力・内山彦次郎から越権行為だと非難を受ける。
勇たちを「田舎者」呼ばわりする。
一方八木家では稽古中に”歳三が注文していた旗(誠)ができたこと”を告げ、小関に旗守を命じる。
その夜、往来で小野川部屋の力士たちと諍いを起こした芹沢が、力士の一人に手傷を負わせてしまう。
力士たちが騒ぐなか小野川親方は、弟子の熊次郎に事の次第を奉行所に届けさせて沙汰に従おうとする。が、
内山は、浪士組を懲らしめようと逆に熊次郎たちをけしかける。
大挙して押しかけた力士たちと対峙した芹沢が熊次郎を斬ったことから、芹沢一派に総司、斎藤、永倉、山南、島田も加勢して大乱闘となる。
総司は、生れて初めて人を斬ってしまう。
出先から戻って事の顛末を知った勇は、奉行所へ届けるよう芹沢を説得するが応じようとしない。
勇は、奉行所へ事の次第を届ける。
奉行所から両者で話し合うよう言われ、小野川親方へ詫びに出向き無事手打ちの運びとなる。
22話、屋根の上の鴨 06月06日(日)
筆頭局長の自分を差し置いて勇が容保から内諾を得たことを知った芹沢は、腹の虫が収まらず”将軍がいない京都に留まる必要がない”として「浪士組は解散だ」と息巻く。
総司を誘って芹沢は飲みに出かけるといい、勇は、斎藤一に総司に付き添ってもらいたいと頼む。
酒に酔った芹沢が、些細なことから部下の副長助勤・又三郎を斬ってしまう。
文久3年(1863年)8月12日 京。
会津藩の信頼をなくすので、”芹沢はもう要らない”と歳三や山南は勇に忠告する。
勇たちは、大坂での騒動がきっかけで親交を得た相撲の小野川親方と話をつけ、日頃世話になっている八木家への恩返しを兼ねて壬生で相撲興行を計画する。
この機に活動資金を捻出しようと歳三ら試衛館の面々は、みやげ物の製作や客の呼び込みなどに精を出す。が、
総司は、芹沢と行動をともにする。
芹沢の行動に「武士がやることですか」と勇が意見し険悪なムードとなる。が、
芹沢は、勇を押しのけて立ち去る。
当日満員の会場には、町人姿でお忍びの容保や龍馬も見学に来た。
興行は大成功を収め、勇は容保の信頼をより厚くする。
反面、浪士組内での信頼感や存在感が薄くなり苛立ちを募らせている芹沢は、お梅の言葉に乗せられ”意に応じず公儀に逆らうもの”として大和屋を取り壊す暴挙にでる。
屋根の上で酒をのみながら火付けを掻き立てる芹沢を、駆けつけた勇や歳三らは睨みつける。
23話、「政変、八月十八日」 06月13日(日)
見過ごしの為、未記入
24話、避けては通れぬ道 06月20日(日)
会津藩から、芹沢の所業について通告を受ける。
山南は「芹沢を斬り、勇を筆頭局長に添える」と歳三に語り、二人は真剣に芹沢の排除を考える。
歳三は、具体的な隊の規律を定めた法度を明文化し、芹沢にも諮る。
その頃お梅は、総司を誘惑し抱けと迫っていた。
さらに土方と山南は、新見錦を呼び出し隣の部屋に芹沢を潜ませておいて”又三郎殺しの真相”を暴露させる。
まんまと策謀に嵌った新見は、自らも認めた法度の中の「士道に背くまじきこと」を盾に”その場で切腹に追い込まれる”ハメとなった。
「先に行って待ってる」と言いを残して、切腹する。
屯所に帰った芹沢は、お梅と同衾している総司をみて散々殴りつけ「新見の次は俺だ」とお梅にこぼす。
その頃、勇は、深雪太夫らとの宴の席で龍馬と再会していた。
土方はいよいよ本丸・芹沢の排除に思いを致す。
25話、新選組誕生 06月27日(日)
勇は、歳三と山南から自分の留守中に新見を切腹に追いやったと聴き、憤慨する。
歳三は、「仲間を罠にかけたお前は切腹しなくてもいいのか?」と勇に言われるが、「お前がそうしろと言うのなら腹を切る」と言い切る。
さらに歳三は、勇に”壬生浪士組を京都で一番にする”ためなら邪魔者は排除すると、告げる。
そして、歳三を中心に山南、左之助、源三郎で謀議し、芹沢暗殺のために宴を計画する。
文久3年(1863年)9月18日 京。
当の芹沢は、会津藩からの呼び出しを勇に任せ、お梅と紅葉狩りに出かける。
先の政変での働きにより褒美を受け取るために松平容保に拝謁した勇は、新しい隊名を授けられる。
「持ち帰って芹沢たちと相談せよ」と言葉をかけられる。
その夜の宴会で勇は、新しい隊名を芹沢に披露する傍ら”身の危険を伝えようとする”。
逆に「鬼になれよ、近藤」俺を食っちまえ遠慮はいらぬと、芹沢から忠告される。
泥酔した芹沢は、平山らに連れられて屯所へ戻る。
芹沢らを追って歳三を中心とした刺客は、芹沢暗殺に向かう。が、
芹沢を守ろうとする斎藤が、立ちはだかる。
”鬼になる”と、その場に駆けつけた勇が、恩義を感じているのは判るが「公儀のためにその刀を抜いてくれ」と諭す。
四人で芹沢や、騒ぎで駆けつけた配下と斬り合いとなる。
沖田も加わって、遂に芹沢を斬る。
沖田は、お梅に早く逃げるよう急かすが、沖田の刀で自ら腹を刺す。
追悼の場で、賊に襲われて芹沢が死亡したと告げ、新たな名「新選組」を披露する。
26話、局長近藤勇 07月04日(日)
京都の勇から、江戸で待つ妻・つねに近況を知らせる便りが届く。
新選組屯所では隊士募集の面接が行われ、その中には武田観柳斎や三度目の応募にも関わらず誰も覚えてかった監察方志望の山崎烝らが新たな隊士として加わった。
歳三は大阪にも新選組の屯所を設けると、勇に話す。
文久3年(1863年)10月10日
勇は、松平容保からの要請で諸藩の俊英が集る席において”時勢について”熱弁を振う。
反面、佐久間と逢い「自分はなにをすればよいか」と尋ねる。
一方、新選組の大坂での活動を面白くないと思っている大坂町奉行所の内山彦次郎との諍いが絶えい。
勇と歳三は、内山と会って所信を述べ和解しようと試みる。が、
逆に内山は、斎藤を捕縛し拷問にかけるなど対決姿勢を露にする。
勇と歳三は内山を斬ることを決意する。
試衛館の面々が見守る中、総司が内山を斬る。
27話、直前、池田屋事件 07月11日(日)
今日は、参院選挙の開票速報のため7:15からの放映であり、残念ながら最初から観ることができなかった。
勇の指示で武田観柳斎が、探索するため枡屋に向かう。
一方勇に谷昌武を養子縁組にとの話が持ち上がり、相手がれっきとした武家の出であることから「新選組にとっても良い話だ」と、山南も賛同する。
桝屋の土蔵で多量の武器弾薬を発見した武田観柳斎は,主人を捕縛する。
歳三や山南が枡屋の主人を詰問するが、頑として口を割らない。
歳三が斎藤から一番利く拷問何かを聞き出し、終に口を割らせる。
その内容は、
『不逞浪士が京の街に火を放ち、混乱に乗じて会津藩主・松平容保を討ち帝を長州へ連れ去ろうと画策している』との、驚くべき情報であった。
28話、そして池田屋へ 07月18日(日)
不逞浪士の不穏な動きを察知し驚くべき情報を得た新選組の面々は、先手を打って浪士たちの急襲を計画する。
勇は「京の町の将来に関わることは京に住む人の意見を聞いてから決断したい」と八木源之丞を訪ねて意向を伺う。
源之丞に激励され出動を決意する。
勇たちは、事の次第を会津藩に報告し出動の命を受ける。が、
会津藩の一部には「長州と事を構えたくない、また、京都守護職を解かれれば国許に帰ることができる」と考える者もおり、新選組への加勢を引き伸ばそうと画策する。
文久4年(1864年)6月5日
新選組の隊士たちは祇園に集合し会津藩の加勢を心待にしているが、加勢がないことを悟り自分たちだけで行動を起こすことを決断する。
勇の率いる組と歳三の率いる組との二手に分かれ、浪士の集会場所の探索に当たることになった。
勇の組が池田屋で浪士たちを発見し、激しい斬り合いとなる。
各人奮戦するが平助は額を斬られ、総司は喀血してしまう。
急報を受けた歳三たちも池田屋に駆けつけ、浪士を粛清する。
勇は生き残りの浪士に縛につくよう説得するが、聞き入れない為「己の生き方に一遍の曇りもない
」と言い放ち斬り捨てる。
勇と歳三は、守護職に拝謁し事の顛末を報告する。
29話、長州を討て 07月25日(日)
池田屋事件がより以上に、長州を刺激する結果となった。
長州兵が京の街に攻め込むため天王山に布陣しているころ、勇と佐久間象山とが松平容保に意見を求められていた。
勇らと別れた象山は、従者の捨助をつれての帰り道に河上(げんさい)に斬られる事態が起きる。
その頃、桂小五郎は過激分子の暴走を食止めようと説得を試みる。が、
久坂玄瑞らは耳をかさず、幕府と一触即発の情勢となる。
方や医者から労咳であることを知らされた総司は、”別になんでもない”と病状を隠して仲間のところに合流する。
長州兵が動き、勇ら新選組は彼らを匿っていると噂されている船宿・寺田屋を調べる。
鼻血がついた手ぬぐいを示し詰問するが、女主人のお登勢に上手く誤魔化されてしまう。
ついに戦闘が起こり、新選組は急遽出陣する。が、
左之助は、想いを寄せているまさのもとに駆けつける。
長州兵は蛤御門で熾烈に戦うが劣勢となり、久坂・寺島は、「桂先生に渡してほしい」と髷を切り落としてその場に居合わせた捨助に託す。
捨助から久坂らの髷を受け取った桂は、捨助に「京の情勢を探り知らせてほしい」と頼み、出奔する。
宵、長州勢の敗戦が決定的となり、新選組は天王山にいる真木和泉のもとへ急行する。が、
「まだ終わっていない」と叫び、真木は切腹する。
「国を守る己の心に 『誠』 があるならば、己を信じて進みなさい」と象山の言葉が、勇の心耳に響く。
30話、永倉新八、反乱 08月01日(日)
新選組の池田屋での働きに対して、公儀から恩賞金が与えられることになった。
歳三の意見で恩賞金は、各々の戦いに応じて分配することになった。
だが永倉は、まさの身を案じて駆けつけなかった左之助に対しては分配されたかったこともあって、歳三のやり方が気に入らない。
さらに、歳三たちの発案による局長、副長そして組長など新しい体制が示されたことなどもあり不満が爆発”自分たちは家来ではない”「勇や歳三に権力を集中させ意見の異なる者を遠ざけようとしている
」と厳しく批判する。
方や山南は、永倉に「試衛館以来一緒に歩んできた仲間のことを考えて欲しい」と話す。
傍ら隊からの脱退を、決意する。
永倉らは、会津藩主・松平容保に謁見し、新選組を質したいと懇願する。
歳三に「局長だからこそ頭を下げる必要がある」と言って駆けつけた勇が、永倉に今後とも「遠慮なく戒めて欲しい」と頭を下げる。
また、「歳三の言動は、新選組のことを考え他意はない」旨、言葉を添える。
31話、江戸へ帰る 08月08日(日)
”将軍上洛を幕閣に談判して欲しい”と松平容保から命を受けた勇は、永倉らを連れていくことにし山南も賛同する。
その頃、龍馬は薩摩藩の大島吉之助(後の西郷隆盛)に長州や会津らと手を組んで強い日本を作ろうと説得していた。
江戸に到着した勇は、妻・つねや総司の姉・みつ、養父母の周斎とふでと再会し、娘のたまを抱きしめて慈しんでいた。
勇は、松前藩邸を訪ね松前伊豆守に将軍上洛の話をする。が、
「将軍上洛には、金が掛かる」のでもう少し待ってくれと、逆に説得される。
一方、京においては「建白書の一件は 謀反だ」と言い出す歳三に、山南は宥め反対する。
しかし、建白書を書いた当事者が、”恨むなら山南を恨めと”切腹させられる。
勇は、総司の病を心配して医者を訪ね「ろうがい」の詳しい話を聴いていた。
山南は、「歳三が、たとえ”自分がどうなろうとも”新選組や勇のために苦労している」という総司の言葉に、それが怖いと、言う。
そんな折、新選組や歳三に対して心が揺れている山南は、偶然出会った遊女のおすずに心を惹かれる。
久しぶりに、勇はつねとの逢瀬のひと時を過ごす。
32話、山南脱走 08月15日(日)
留守中に隊士を切腹させたことに、勇は「卑怯ではないか、お前のやることは酷過ぎる」と歳三を詰る。
しかし、これで「隊は、引き締まる」と歳三は言う。
また、江戸から伊東甲子太郎が門人たちと共に勇を訪ねた折、勇から「参謀になってもらいたい」と懇願される。
歳三から”手狭になった屯所を西本願寺に移す”と発表されるが、異論がでる。
山南は「由緒ある西本願寺を力で制することになる」と反対し、また永倉も山南の意見に賛同する。が、
結局のところは、伊東の論戦に沈黙する。
会津本陣においては、藩主の松平容保と弟の定敬に勇や佐々木、西郷が加わり時勢について論じられていた。
その席で勇は、今は亡き佐久間象山の”まことの攘夷について”その必要性を述べる。
その頃、このところ新選組にあって虚しい想いを募らせていた山南は、坂本龍馬とのひと時を過ごしていた。
そして、江戸に戻って「もう一度己の進むべき道を考えたい」と歳三に申し出るが、却下される。
歳三は「伊東に理屈で勝負できるのは山南だけだ」と、その思いを総司に話し、総司も「山南さんを買っているんですね」と。
一方、総司は「そんなに長生き出来ない、自分には拘わらない欲しい」と八木源之丞の娘・ひでに告白する。
覚悟を決めた山南は、勇に「己の信じる道に従って下さい」と一言いい、その後脱走する。
山南の姿が見当たらないことで歳三が感づき、すぐさま追ってを差し向けることになり総司にその任が下る。
道中では、山南とおすずの楽しげな姿があった。
33話、友の死 08月22日(日)
総司は勇から、「逃げた隊士をほっとく訳にはいかない」が、
「草津まで行って見つからない場合は深追いする必要はない」と諭され、出発する。
その頃山南は”のんびりと二人連れで、楽しみながら道中していたため”、すぐに総司に追いつかれてしまう。
総司の「私とは、逢わなかったことにして逃げてください」との言葉に、”そうはいかない”と潔しとする。
京へ戻った山南に、勇は「なぜ、察してはくれないのか」と、断腸の思いで切腹を言い渡す。
永倉が猛反対するが、勇は今になっては「最後は武士としての道を与えてやるしかない」と、また、他の隊士や八木家の当主・源之丞も山南の助命を嘆願する。
しかし、歳三も「法度に則るしかない」と所信を貫く。
山南は、介錯を総司にしてほしいと願い出る。
反面、若い隊士たちに今後のことを指図していた。
一方納得のいかない永倉と原田は、山南を逃がそうと促す。が、
それでは「あなた方に、迷惑が掛かる」と拒否し、二人に後事を託す。
総司は、「自分の刀で、親しい人が死んでいく」と、居た堪れない気持ちに落ち込まれていた。
最後の時に、おすずが訪れてくるが「我侭を言うな」と追い返すようにする。が、
おすずは、座敷の窓外から白装束の姿の山南に菜の花を送り、山南から送り届けるよう頼まれていた隊士に「切腹するのやろ」と、涙ながらに帰途に着く。
そして、山南は見事な最期を遂げる。
山南の「二人の心中を察する」との遺言に、勇と歳三は号泣する。
34話、寺田屋大騒動 08月29日(日)
山南への追想で「明里(おすず)と共に過ごしたことが、安らぎを覚えた」のではないか、との思いがあった。
元冶2年(1964年)6月5日
勇にお幸(深雪太夫)の身請け話がある。
総司の手紙で、江戸から勇の妻・つねと総司の姉・みつが、京へやって来る。
二人は新選組の屯所を訪ね、永倉や左之助らと久しぶりの懐かしい再会を喜び合う。
また、つねは養子となる周平とも対面する。
勇と歳三は、西本願寺の住職と屯所の移転の件で、話し合いをしていた。
勇の居所を知って、つねとみつのふたりは、駕籠で寺田屋へと向かう。
突然の二人の出現で勇は仰天し、寺田屋の女将・お登勢にお幸を一時預かってもらうよう頼む。が、
龍馬が「勇のお妾さんが、この屋敷のどこかにいる」と、みつに漏らしたため、つねを伴い勇を詰問する。
居合わせたお登勢が機転でその場を凌ごうと、「井上先生が、身請けした」と釈明する。
井上も歩調をあわせるが、心配して駆けつけた歳三が「自分だと」と言ったことから露見してしまう。
勇は、妻・みつに京にあって「私の励みになったのが、お幸だ」と正直に話す。
勇が席を外し二人となったところで、つねはお幸に「江戸で道場を守る役目がある」ので、よろしくと頭を下げる。
その頃風呂場で、勇は龍馬の「幕府を見限った、今度会うときは敵味方だ」との言葉に憮然とする。
35話、さらば壬生村 09月05日(日)
屋台で仙場甲太郎と捨助が桂と再会しているところへ、新選組に急襲される。
桂は逃れるが、仙場が松原忠司の手にかかって命を落とす。
死に際に、「妻に届けて欲しい「と桂から渡された金を松原に託す。
屯所の移転に伴い勇は西本願寺の住職に挨拶するが、「喜んでいるのではない」と釘をさされる。
松原は、仙場の妻・お初に”託された金”を届けにゆく。
「ご主人を切ったのは、自分だと」白状し、お初から「恨みはしないが引き取って欲しい、出てゆけ」と追い立てられる。
新選組は八木邸から西本願寺へ屯所を移す準備をしていた。
一方、歳三は八木源之丞や妻・かねから頼まれ、娘・ひでに「総司の病は治らない、今は楽しくてもいずれ後悔することになるので、総司のためにも想いを断ち切って欲しい」と話す。
勇は、お幸のために別宅え引越しをしていた。
そこえ永倉と左之助が訪れ、永倉が、おその を紹介する。
左之助も想いを寄せる まさ に告白するが想いは届かない。
《電話中断》
西本願寺へ移転した新選組の面々に、お幸を 紹介しようとする。が、
お幸は、「近藤先生、お一人のもの」といい辞退する。
そして、妹がいることを打ち明ける。
勇は、”まだ妹を探し当てていない”ことを知り、新選組が協力する旨話す。
源之丞のもとへ最後の挨拶に、勇が訪れる。
八木邸での出来事が、走馬灯のように駆け巡っていた。
36話、対決見廻組! 09月12日(日)
御用改めで新選組が、京の町で不逞浪士の取り締まりをしていた。
総司が率いている隊が長州の協力者となっている「天狗」と呼ばれている男を追い詰めた際、総司は、その正体が捨助であることを知り驚く。
反面、佐々木只三郎の率いる見廻組と鉢合わせし揉めることになる。
その後佐々木が新選組の屯所を訪ね、勇たちとそれぞれの巡回地域の受け持ちについて話し合う。が、
「公儀直参の見廻組と浪士上がりの新選組とは違う」と、京の町の大半や要所を見廻組が受け持つという佐々木の提案に、勇や歳三が反発する。
一方、勇の養子である周平は、期待に応えようと日々鍛錬に励んでいたが、仲間から疎まれる。
また参謀の伊東甲子太郎は、もともと門人だった平助などに己の考えを披露していた。
勇は、松平容保から薩摩藩の動静を探るように命じられるが、伊東は、「薩摩が恐れているのは”殿である”」と進言する。
勇は、西郷吉之助に面会し真意を質すが、西郷は本心を明かさず”煙に巻いて”いた。
祇園で、捨助が娘のつれない返事に煩悶し、その際の不始末で火災が起きる。
消火のために出動した新選組と見廻組との間で諍いが起きるが、先陣したのは「”新選組である”ので、従って欲しい」との一言で伊東が折れ、「指示して欲しい」と
勇は、「少し出すぎたまねをしました」と伊東に詫びる。
その頃龍馬は、西郷に”ビジネスについて”談じていた。
火事が収まり、伊東は「見事な采配でした」と勇にいう。
37話、薩長同盟締結! 09月19日(日)
勇の依頼で松本良順が、新選組の健康診断を実施していた。
その頃下関において龍馬の仲介により、薩摩藩と長州藩が手を結ぶための会談がセットされていた。が、
薩摩の西郷が姿を現さないため、桂は憤慨してその場を去り、物別れに終る。
また、新選組屯所においては、”西本願寺の僧侶たちは、新選組を快く思っていない”との話がなされていた。
一方歳三は隊士の松原が、「浪士を斬った、その妻(お初)に逢っているのは、法度破りではないか」と糾弾する。
松原が「私が、切腹すればよいのでしょう」と、厳しさを責めとりなす隊士に、歳三は「これが、おれの役目だ」と言う。
松原は、お初の誘いを受けて訪問し、気を許している隙に短刀で刺される。
そこえ”呼び出しを受けたこと”を聞いて駆けつけた斎藤が、瀕死の松原にとどめを刺し、お初を斬る。
二人の死を斉藤から聞き、歳三が「松原を追い詰めて、心中させた」として処理しようとする。
勇の思いは、”お初を最後まで思いやっていた松原へ、松原の仇討ちをした斎藤へ、そして己を悪者にして全てを収めようとした歳三へ”と、それ故に「鉄則と人を思う心」が大事だと、つくづく感じいる。
会津藩から「龍馬を捕縛せよ」との命を受けた勇は、寺田屋を御用改めする。
しかし、女将・お登勢の機転で、龍馬は助かる。
別室では、龍馬と大久保が密談していた。
龍馬の安否を気遣うお登勢と大久保の計らいで、囮とは知らずにいる捨助が”新選組の注意を惹き付けている間”に龍馬は薩摩藩邸に入る。
薩摩藩邸では、龍馬が薩長の同盟を画策していた。
そして、薩摩・西郷の「帝のため、日本のため」との大義名分を通すことで、過去の経緯を水に流して両者は手を握る。
勇は、薩摩藩邸での龍馬の仲介による”極秘の会談がもたれた”ことを、松平容保に報告する。
38話、ある隊士の切腹 09月26日(日)
勇とは幼馴染である捨助の手引きで、寺田屋に潜伏する龍馬を捕り方が襲撃するが、おりょうの咄嗟の計らいで難を逃れる。
長州藩への処分を通達するために広島へ向かうと、勇は歳三に告げる。
勇は、伊東甲子太郎と共に京を発つことになった。
勇から同道の誘いを断わった観柳斎は、「土方の手助けをしたい」と言い、残留する。
その真意は、”西洋軍学の知識修得に、高価な翻訳書を手に入れる”ためであった。
そして勘定方の河合耆三郎から、強引に隊の公金を融通させようとする。
一方総司は、「医者から養生に努めるよう」叱られるが、「後5年の命でよいから」と。
「今度は、生きて帰れないかもしれない」と言う勇に、お幸は、「命を張る仕事、おめでとうございます」と、送り出す。
観柳斎は、河合から”金を融通”させる。
同じ翻訳書を入手しようとしていた歳三は、書籍を購入した人物の人相を聞き”観柳斎”だと推測する。
大金の出所に疑問を抱いた歳三の命で現金と帳簿の照合が行われ、五十両の不足が発覚する。
河合は、厳しく事情を問い詰められるが”観柳斎に頼まれたことについては口を閉ざし、実家からの送金で埋め合わせるする”と約束する。
期日までに金が届かなければ”法度に背いた”ことにより、切腹となる。
河合は、「五日あれば大丈夫」と言うが、大事をとって”十日の猶予”を歳三は与える。
左之助や平助らは”なんとか河合を救済しようと”博打をするが、思うようにいかない。
歳三も”切腹させないよう”にと、画策する。
責任を感じて観柳斎は書籍を返しに行くが、六十両で伊東一派の者が買うと聞き返本を止めてしまう。
その頃勇と伊東は、永井と面談していた。
期限が明日と迫り、歳三は、「事実を、述べるよう」に河合に促す。
また、観柳斎に詰め寄るが「知らぬ存ぜぬ」と事実を、述べようとしない。
仲間を見殺しにするような奴は「俺が許さぬ」と、歳三は観柳斎に言い放つ。
永倉は、勇が留守の時に”土方の独断で切腹させること”に不満を強める。が、
山南の死を無駄にしないことは、「一切の例外をも認めない」ことだ。と
そんな中河合は、ひたすら実家からの送金を心待ちしていた。
皆なが知っていること「観柳斎のために」死ぬことはない、と説得を試みる。
いよいよ刻限となり、一時の間待つが、無情にも”金が届かず”遂に河合は切腹する。
全員が、河合の死を悼み涙にくれていた。
そこえ、飛脚の足跡が響いてきた。
39話、将軍、死す 10月11日(月)《再放送》
勇の養子・周平は、実兄・谷三十郎から新選組からの脱走を誘われるが、「近藤先生の恩義に報いたい、近藤家の人間です」と断わる。
三十郎の処分について、「周平の実兄であろうとも”例外は認めない”」との勇の言葉に、歳三が念を押す。
そして、三十郎は、追手の斎藤に「誇りある死を選べ」と諭されるが、聞き入れずに斬殺される。
一方薩摩で龍馬は、傷の療養のため恋人のおりょうと過ごしていた。
京都では捨助が、見廻組・佐々木只三郎に「龍馬や小五郎などの顔を知っているから」と売り込み、奉公人として働くことになる。
また、左之助とまさは、”夫婦になった”ことを試衛館以来の仲間たちに報告し、祝福を受ける。
左之助とまさの祝宴を永倉たちが行うことを知り、勇たちも参加することになった。
そんな中、今度は浅野薫が周平を脱走に誘う。
伊東は岩倉卿の隠居先を訪れていた。
宴席では、歳三も永倉と和やかに過ごしていた。
浅野の脱走に手を貸した周平を、浅倉は強引に連れて行こうとする。が、
その一部始終を目撃していたお幸が、斉藤に事の次第を告げる。
斉藤は、「局長には、内密にするよう」お幸に伝え、総司らと共に後を追う。
周平は、総司に捕まる。
浅野も、斎藤に追いつかれるが、見逃される。
「例外は認めない」との勇に、源三郎が必死に嘆願し、周平は切腹を免れる。
近藤家との養子縁組が解消されるが、勇から「明日からは”谷周平”’を名乗るよう」言われる。
そんな中、松平容保に呼び出された勇は、”上様が亡くなった”ことを知らされる。
そして、一橋慶喜が将軍職を継ぐであろう。と
40話、平助の旅立ち 10月10日(日)
慶応2年(1866年)年12月25日、孝明天皇崩御。
幕府の最大の理解者であった孝明天皇の死によって、幕府の行く末は暗澹たる思いであった。
お幸が病床にあり、新選組の面々が詰めていたが、勇に看取られて永眠する。
伊東甲子太郎は、”新選組の離脱を決意”し、平助にも助力するよう求める。
慶応3年(1867年)3年1月4日、京。
伊東は、「勇が了解しているから」と、永倉や斎藤にも行動を共にするよう促す。が、
勇が承知していないことが判り、”策を弄することを咎めて”拒絶する。
隊に戻った二人に、勇と歳三は”謹慎”を言い渡す。
武田観柳斎が、”この騒ぎを収めよう”と、伊東の説得に当たると申し出る。が、失敗する。
佐々木が捨助とともに、勇の下へ協力を求めにくる。
伊東は先手を打つ策に出る。
勇と歳三の前に出向いた伊東は、「一派を率いて自分が行動するのは、あくまで長州の動静を探るため」だと言い張る。
勇は伊東の弁明に、”仲間内での無駄な流血を避ける”ことに留意し「全てはご公儀の為頑張ってください」と激励する。
伊東の新選組離脱が正式に認められたことで、平助はますます悩む。
平助は、「ついて行くしかない、出来れば残りたい、伊東は自分の気持ちを聞いてくれない」と複雑な思いを総司に明かす。
しかし、総司は「いちいち、言われなければ相手の気持ちがわからないのか」と諭す。
そして自分は 、「長生きできない病気である」ことを打ち明ける。
挨拶にきた平助に、皆が選別を渡す。
勇も、「伊東のもとで存分に働くように」と送り出す。
41話、観柳斎、転落 10月17日(日)
勇を筆頭に新選組隊士が幕府直参として取り立てられ、名実ともに“武士”と認められたことになった。
それぞれが、役職・処遇を付与される。が、
日頃から隊内での評判が良くない観柳斎の厚遇に対し、隊士らの不満が募る。
観柳斎は、納得できないと不服を言いつつ”一切の処遇”を返上する。
そんな中数名の隊士が、「自分たちは近藤局長の出世に利用されたのではないか」と観柳斎に、不満を打ち明ける。
観柳斎は、「新選組を抜けて伊東甲子太郎が結成した御陵衛士に移るよう」に、勧める。
しかし、伊東は、「新選組を離脱する際の取り決め」を盾として、拒絶する。
両者の仲介役を担った観柳斎は、面目を失う羽目となる。
そして離脱隊士たちは、行き場を失い”会津藩の京都守護職屋敷に駆け込む”が、行く末を絶望して切腹する。
慶応3年(1867年)6月22日、京。
事態の顛末を聞かされた観柳斎は、隊を抜け出し”伊東のもとえ駆け込む”が、追い返される。
一方、伊東は龍馬に接近し、平助に龍馬の護衛を命じる。
また、疲れ果てた姿で観柳斎は、西郷に面談していた。
龍馬は、「政権禅譲を目指す」との考えを、西郷に述べる。が、
武力での政権奪取を考えている西郷にとっては、聞き入れることの出来ないものであった。
隊に戻った観柳斎は、勇と歳三から”総司が反対するも”「やり直すよう」説諭され涙を流す。
ところが、河合の墓標へ供物していた観柳斎は、何者かによって斬殺されてしまう。
勇の胸中は、”身内での争いごとに”病んでいた。
そんな折、亡くなったお幸の実妹・お孝が姿を現す。
42話、龍馬暗殺 10月24日(日)
新選組は、西本願寺の計らいで新しい屯所に移ることになった(僅か半年のことである)。
その頃、将軍が朝廷に対し大政を奉還する。
奉還の全てのもとは、龍馬の献策によるものであり、
歳三は、今後の給金の支払いを心配し、佐々木只三郎は龍馬を斬ると息巻き、
また、朝廷への挑戦と受け取った岩倉は、「龍馬を抹殺せよ」と、西郷らに命じていた。
当の龍馬は三人で近江屋に潜伏し、”海援隊の隊士三百人と京都に入った”と、偽情報を流す。
慶応3年(1867年)11月15日、京。
新選組内では、周平が大石鍬次郎と剣術の試合を行うことになった。
周平は、大石とそりが合わず”是非とも勝ちたいと”総司から猛特訓を受ける。
ある日、勇が大目付の永井尚志を訪ねた折、”龍馬は徳川にとって不可欠な存在である、龍馬の身を守れ”との命を受ける。
一方伊東からの贈り物である羽織を携え、平助が龍馬と逢っている最中、捨助もその場へ駆けつける。
大石と周平との試合は、周平が勝利を収める。が、
結果を見届けた総司が喀血し、医師から半年は床に就くよう言い渡される。
伊東と平助らが、龍馬を訪ねていた。
薩摩からの密告によって、龍馬が近江屋に潜伏していることを知った佐々木ら見廻組が監視を続けていた。
捨助の通報を受けた勇の指示で、左之助と永倉が近江屋に急行する。
しかし佐々木らに襲撃され、中岡とともに斬られた直後であった。
43話、決戦、油小路 10月31日(日)
新選組と決別した伊東甲子太郎が、尊攘派志士の会合に参加していた。
その伊東が、”持論を披露しよう”とするが、岩倉具視から侮辱される。
一方、捨助は、龍馬の事件以来新選組に匿われていた。
そして薩摩の大久保は、伊東に「”元新選組であるが故”と仄めかし、岩倉の信用を得るためにも、近藤勇を斬れ」と迫る。
伊東は、斉藤に「いまだ間者とみなしている者もいるので、疑いを晴らす為にも」と勇の暗殺を命じる。が、
斎藤から、その企ては新選組の知れることになる。
また、伊東は、”平助に手紙を持参”させていた。
”勇と二人で会いたい”との申し入れであったが、平助は、”手紙の内容”を知らなかった。
その内容を知った平助は憤慨するが、”昔の仲間に合わせるための伊東の思いやり”だと慰められる。
勇の別宅において、勇と伊東が相対する。
勇は、結局のところは「”薩摩と長州”の策謀であること」を力説する。
伊東は、勇の腹を割った話に共鳴し、「油断している隙に、斬るつもりであった」ことを告白し、辞する。
しかし、その帰途”無事に収まったことを知らない”大石鍬次郎らに襲撃され、落命する。
伊東が落命したことを知った歳三は、御陵衛士との雌雄を決心するとともに、「平助だけは、助けるよう」指示する。
御陵衛士たちは、”伊東が斬られたこと”を察知”し襲撃を意図する。
方や新選組は、襲撃に備え御陵衛士を”七条油小路の辻”で待ち伏せる。
経緯を知った総司が、”平助の安否”を心配して駆けつけようとする。が倒れ、勇に託す。
激しい斬り合いの中で、永倉たちは必死に平助を逃そうとする。が、
平助は、御陵衛士側の立場で、斬りあいの中へ身を投じる。
勇や歳三が、駆けつけるが”平助が斬られた後”のことであった。
44話、局長襲撃 11月07日(日)
慶応3年(1867年)12月9日、大政奉還。
《数回の電話により中断され、以下断片的な内容となる》
松平容保は、「上様がなんと言おうと、薩摩を討つ」と意気込んで勇に言い聞かせる。
12月12日。
容保が守護職をやめる。
新選組屯所では、勇が隊士たちに”徳川幕府が、もはやなくなる”と説明していた。
その場へ総司が病をおして、”新選組の行く末を心配”してやってくる。
歳三は、これからの戦に備え準備を始めるとともに、隊士に”金を分配”する。
二条城では近藤勇と佐々木只三郎が登城し、徳川慶喜から”忌憚のない”意見を求められる。
”徹底抗戦”を主張する佐々木と、”戦は避けるべき”という勇と激しく対立する。
結局、慶喜は大坂城に入ることを決意し、勇に「二条城を守れ」と命じる。
慶喜の命によって、二条城へ入ろうとする勇たち新選組は、水戸藩家老によって入城を拒まれる。
勇は、「我らが隊士を失い戦っている間に、あなた方は何をしていたか」と声を荒げて詰め寄る。が、
”改めて永井尚志に指示を仰ぎ”勇たち新選組は伏見に布陣する。
12月18日、京。
総司の病を心配して、斉藤や歳三が”朝鮮にんじん”などを持参し訪れる。
勇が、刺客に襲われる。
その刺客の正体は、”龍馬の妻・おりょう”であった。
勇は、「龍馬を暗殺したのは、新選組ではない」と説得する。
そして龍馬が「惚れた女・彼の妻として生きて欲しい」諭す。
一方、総司の安否を心配するお孝は、”斉藤からのアドバイスで”逃げ道を用意していた。
伏見への帰路、勇が待ち伏せに会い狙撃される。
45話、源さん、死す 11月14日(日)
伏見街道で、待ち伏せにより馬上で狙撃された勇が、駆け込んできた。
驚いた歳三に、呼び出されて山崎が治療に当たる。
”命に別状はないが右腕が上がらなくなるかもしれない”、という山崎の言葉に歳三は愕然とする。
そして「今は、ここを離れることは出来ない」という勇に、”後は任せろ”と松本良順の治療を受けるよう説得する。
勇は、”病身の総司を伴って”大阪城へ向かう。
大坂城に入った勇は、永井尚志から”薩長との戦が不可避になった”ことを知らされる。
慶応4年1月2日、伏見。
西郷と大久保は、岩倉具視と対策を練っていた。
大久保から”錦の御旗”の作成提案に、岩倉が”既に出来上がっている旗”を見せる。
1月3日。
鳥羽伏見で、ついに戦端が開かれる。
勇猛に出撃する新選組も、薩長軍の砲弾の前には”為すすべもなく”退却を余儀なくされる。
1月5日、大阪。
淀千両松に布陣した新選組は、薩長が“錦の御旗”を立てて”進軍してくる姿を目の当りにする。
御旗をみて、”ひるむ幕府軍”に対し薩長は容赦なく銃撃を浴びせる。
歳三は、隊士に退却を指示する。が、
激しい銃弾に周平が、身動きできなくなる。
その姿を目撃した源三郎が、単身で薩長軍の前に立ちはだかり銃撃を浴びる。
試衛館時代からの仲間に看取られて息を引き取る。
逆上した隊士の一人が、官軍の最中切り込む。
一方、慶喜は勇に「今まで朝廷のために尽してきたのに、なぜ朝敵になるのか」と。
勇は、「薩長を、必ず倒すと」言上する。
しかし慶喜は、「大阪城を脱出し、江戸へ帰る」といいだす。
勇の心中には”忠言する源三郎の魂が”去来していた。
46話、東へ 11月21日(日)
慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いで佐々木只三郎が銃弾を浴びる。
屯所では、歳三を中心として”態勢の建て直し”を計るため協議し、大阪城へ向かうことに決する。
大坂城に運び込まれた佐々木は、勇に「徳川の命運を託し」息絶える。
歳三は斎藤と山崎とで機密書類を処分していた。
その折、薩長の探索の手が迫るが、壬生の八木源之丞によって窮地を救われる。
一方、左之助は身重の女房・おまさとひと時の別れを惜しんでいた。
また、永倉もおそのの家を訪ねる。が、
斬られたな姿を目のあたりにして、立ち去ろうとする薩長の隊士を斬る。
歳三たちが大坂城へと向かう途中、薩長の斥候に出会い山崎が斬られる。
居合わせた捨助の手助けで寺田屋に逃げ込む。
そして女将・お登勢の機転で薩長の探索を逃れ、大坂城へ。
勇の決断で新選組は、幕府の軍艦により江戸に引き上げることになる。
1月9日、大阪。
隊旗を先頭にして大坂城を後にする新選組を、男装姿の八木ひでが見送っていた。
江戸へ向かう軍艦の中では、勇や歳三そして総司が”幕府の行く末を”心配していた。
皆が同じように今後のことを憂えている中、山崎が息を引き取る。
1月16日、江戸。
将軍・慶喜が、”上野の寛永寺で謹慎する”よう諫言される。
江戸に帰還した勇は、松平容保から”慶喜が恭順の意を”決意したと聞かされる。
試衛館に帰った勇は、養父の死に際の言葉として、「俺の息子は、”誠の武士”であった」と聞かされる。
47話、再会 11月28日(日)
新選組は寛永寺の警備を担うことになった。
伝通院で、勇は総司の姉・みつに総司の病のこと話す。
勇は、勝海舟や山岡鉄舟と会談していたおり、勝から「甲府への出陣」を命じられ、隊名を” 甲陽鎮撫隊”に改めるようにいわれる。
勝には、”いまだに新選組を慕うものがおり、また江戸を戦火にさらしたくない”との思いがあり、勇には、死んでもらいたい」と願っていた。
総司は、姉の心配をよそに「人の命の尊さを知った」とつくづくその思いを話す。
勇は、歳三に「本音を聞いてくれ」といい、歳三は「勇の思いどうりにやればよい」と話を聴こうとしない。
松平容保に謁見した勇は、「”会津の戦”には必ず加勢する」旨を約束する。
そして、家族に”甲府への出陣”の挨拶をする。
療養中の総司が、甲府へ同行することになった。
甲府への途上、多摩に立ち寄った勇たちは「多摩の誇り」だと大歓迎を受ける。
そんな折、永倉は「官軍に先を越されるのではないか」と気を揉んでいた。
歓迎の最中、”なっぱ隊”と称する者が「合流したい」と申し出る。
八王子宿にて、歳三は「京の5年は何であったのかと、何か虚しいような思いを」勇に告げていた。
そこえ総司が加わり、歳三と”剣術の手合わせ”している際に倒れる。
翌日、総司が日野へ出立する。
慶応4年(1868年)3月6日、甲府勝沼。
甲府城は既に占拠されており、官軍の猛攻に“刀の時代は既に終わったこと”を、勇は実感する。
不利な戦況を打開するため、歳三が援軍を求めに行く。
一方、永倉は「会津に助けを求めよう」と提案していた。
しかし、”会津には援軍として向かいたい考えている”勇と、意見が対立する。
勇の頑な態度に、永倉は”袂を分つ”ことを決意する。
さらに、左之助も永倉と行動を共にし去って行く。
散っていく隊士がいる中、「俺がいる限り、新選組は終わらない」と斉藤一が言い、そして「隊旗がある限り、新選組の終わりはない」と意気軒昂の雄叫びを揚げる。
48話、流山 12月05日(日)
慶応4年(1868年)3月6日、甲州勝沼。
勇に歳三は、「新しい新選組を作ろう」といい、共に”これからだ”と気持ちを新たにしていた。
方や官軍は、”4月15日を江戸城総攻撃の日”と定めていた。
勇がお孝の看病のもとに江戸で静養している総司の病床を訪れ、流山へ行くことを告げる。
慶応4年(1868年)4月3日。
勇と袂を分かった永倉は、”死んだと思っていた市川宇八郎と出会い、合流するよう”誘われる。
見舞いに訪れた斎藤に総司は、「もう刀の時代ではないが、終わる前に新選組で働けたことを幸運に思う」と話す。
一方、流山に布陣する勇たちを怪しんで官軍(新政府軍)が、”薩摩の有馬藤太を派遣”して内情を探らせる。
勇は、“大久保大和”、歳三は、“内藤隼人”と名乗っていた。
有馬が検分しているところに捨助が現れ、”危機一髪”のところであったが、状況を察した捨助の機転で難を逃れる。
有馬が武装解除の要請し立ち去ろうとする折、新政府軍の中に「京で勇の姿を見た」と言う者が出現する。
取り調べのために勇が、”新政府軍のもとに出頭する”ことになった。
勇は、”潔く切腹する道”を選ぼうと考える。
しかし歳三は、「死ぬ気で嘘をつき通して、大久保として還ってこい」と説得する。
周平に、”別れの言葉”を掛けた勇は、歳三に、「お前がいたからだ」と感謝する。
そして勇と歳三は、”まだ終ってはいない”と確認しあう。
勇は、隊士たちの想いを胸に、大久保大和として新政府軍のもとに出頭する。
厳しい詰問に対し勇は、「自分は大久保であり、近藤勇ではない」と言い張る。が、
その場へ、勇を知る者が現れる。
49話(最終)、愛しき友よ 12月12日(日)
新政府軍に捕らえられた勇は、板橋・豊田家にて取調べを受けていた。
調べに対し、勇は、「龍馬は、この国になくてはならない人である」と龍馬暗殺への関与を否定する。
そして、”甲陽鎮撫隊は独断で率いた”と、責任を一身に背負う。
一方勇を助けるために、歳三は、斎藤らを会津の松平容保のもとへ向かわせ、自らは危険を承知で「勝海舟に逢いに行く」という。
また、捨助は、直ちに救出に向かわないことに苛立ち「己一人でも救い出す」と飛び出して行く。
勇は、”子どもの手鞠を眺めて”、わが子に思い寄せていた。
江戸に到着した歳三が勝に、「勇の助命嘆願に力を貸してほしいと頼む」が、断られてしまう。
勝は、「”徳川への恨みを一身に引き受け、多くの命を守るために死んでもらう” それができるのは、勇だけだ」と。
さらに、「榎本武揚らと行動を共にし、蝦夷へ渡って欲しい」と、歳三に頼む。
歳三が、総司を見舞う。
勇の身元を徳川家に照会していた新政府軍に、「既に徳川の家臣でない」との返答が届く。
勇は、”徳川から全ての責任を転嫁され”、新政府軍からは、「お前は、見放されたのだ」と、言われる。
いちるいの望みも消え失せ、勇は、”4月25日に斬首と決まり、その首は京の三条河原に晒す”と、申し渡される。
会津、鶴賀城にて。
容保が、斉藤に「徳川家のために、今後も働いて欲しい」と、刀を授ける。
そして、「近藤の首を取り戻すよう」に命じる。
一方、桂は、”散々痛い目に逢った勇への思い”を、しみじみと語っていた。
捨助が、捕らわれの身である勇を訪れる。が、
”捨助の身を案じた”勇は、「見たことのない者だ」と、追い返す。
療養中の総司を刺客が襲撃し、お孝が斬殺される。
その場で、刺客を斬った総司も倒れる。
処刑の時刻を知らせる太鼓が鳴り響く。
刑場へ向かう勇を、つね、ふで、音五郎らが「良く戦った、多摩の誇りだ」と声援を送る。
刑場では勇が、「見苦しい首を晒したくないので、髭をそりたい」と申し出る。
その最中、”新選組の隊服姿で、捨助がひと暴れし”一足先に死地へと旅立つ。
また、容保の命を受けた斎藤が、”勇の首を奪還するため”に京へ向かっていた。
方や、歳三や島田らは、新政府軍に戦いを挑み交戦していた。