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續鳩翁道話

柴田鳩翁 (男 武修 聞書)
(塚本哲三 校訂『心學道話集』〈有朋堂文庫普及版〉 株式會社有朋堂 1945.2.25
※ 原文を目次小見出しに従って適宜段落に区切り、会話・心話には鈎括弧を施した。
※ 漢文は、原文の読み方に従って読み方を付した。

 (正編)  (続編)  (続々編)

 序(源寵天錫父)  序(中山美石)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下

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續鳩翁道話序

柴田翁、中歳(*四十歳前後)明、以耳爲眼以人爲書、以耳讀人、而誦2六經之語1、通2道義之旨1。以説2性命之理1、使人知2其心1、以窒惡趨善。其有2于世1也、不2小少1也。夫聖人之道、廣矣大矣。顔子者、亞聖也。猶有彌高彌堅、既竭2我才1、而末從之歎。則爾來之賢人・君子、豈有能詣2其■(門構+困:こん:門の閾・宮中の小門:大漢和41329)奧1乎。乃亦各見2其所1見、知2其所1知、遂自許3我得2聖人之薀1。自以爲是、而以彼爲非、互相排撃、而不2此亦猶1彼也。謂2之兄弟鬩(*内輪もめする・仲違いする)、村夫爭1席。何所據之狹而所懷之不寛乎。道之廣大也、譬之猶河乎。一滴水也、百滴水也、千滴萬滴、大溝小渠、同皆水也、同皆河也、而非河也。一滴浸潤、萬滴浸潤、大溝小渠、以漑以灌、皆以育物、皆以濟人。以3其非2瘴雨毒露1也。其於2彼此1。何紛紛爭辨分駁之爲焉。
之説道也、得2之於心1、而發2之於口1、竪説横説、控送在手。或雑以2諧謔・滑稽1。令3人聞而笑、笑而拊掌、■(口偏+據の旁:きゃく・がく:大いに笑う声・顎・舌:大漢和4403)■(口偏+據の旁:きゃく・がく:大いに笑う声・顎・舌:大漢和4403)然不覺入2其道1、終歸正而止焉。是以自2國君卿大夫1、至2馬官厮養・婦女童豎1、悦而慕之、敬而從之。皆稱云2鳩翁鳩翁1。何其盛哉。子曰2武修1。其侍講之次、從旁以2邦語1之、編爲2三卷1、名曰2鳩翁道話1、刻以行2于世1。使苟識2四十七字1者、讀之直領其意。今又抄2其吐屑之餘1、爲2三卷1以續之。可勉矣。
但吾邦之於2漢土1。言語不同而文字亦異。漢人之字一字兼2數義1、非2吾邦一字一意1。而又有2古今之分1、有2雅俗之別1。若2六經1最爲甚。若不2精密討究1、則其於2聖經之旨1、或不2差謬之失1也。余亦有2乎濟世1者也。竊慮2其如1是、欲2郷閭12一學館1、積經貯書、集會講求、以致2其義1以揚■(手偏+確の旁:かく:打つ・叩く・占める・量る:大漢和12451)斯道。圖之三十年、于今落落不合。桑楡景迫恐將2終身齎志無1成。視彼浮圖氏(*浮屠氏)之造2千仭寶堂1、一麾而成。其難易如何也。儒道之不2於吾邦1此也耶。可2慨歎1。吾願藉2之妙舌1、以爲2金口之木鐸1、不2翁能笑而諾乎否1耳。是爲序。

天保乙未(*天保6年〔1835〕)臘月。胸痛褥臥不起。口2授門生某1、令2筆録1以贈。事在2其二十七日1也。
源寵天錫父(*未詳)


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貴きを欲するは、人の同じき心なり。「人々己にたふとき物ある。」をとのたまへりしは、かけんもさらなる事にしあれど、いとも\/たふとくうれしき教になんありける。今思ふに、物知らまく欲し、人にまさらん事を思ふも、むげにいひがひなき癡人しれびとをおきては、大かたの人のおなじき情なるべし。實に世に益ありてしらでは得あるまじき筋の、古へ今の萬の事に深く心を入れてものせんは、いともめでたくおむかしき(*喜ばしい)わざなりかし。そが中には、天つ空のありさま・地のかぎりの事・しらぬ國々の海山のたゝずまひ・人の心ざま・時世のならはしなどをさへに、まさ目に見たらんが如く、さとり明らむる人もあめるよ。さはいと\/難きわざなるをや。さも難きわざをだに、底ひの極みあきらむらん人の、心のさとりといふものは、いとも\/くすしきものにはありけり。しかはあれど、いかなる事にか、「己が心をば、しらまくほりせん。」とだに、思ひもかけぬ人の多かるはいかにぞや。から國の聖人ひじりの道は、其もとは、心をしり心を正しくする外には出ざるを、其道に名高く、世にあふがるゝさまなるものも、よくせざれば(*ようせずは=ともすれば)、心をむねとする道なる事は、論はんものとも思はず。或は口にはしかいひながら、おのが心をも、身をもをさむる筋の事をば、露ばかりも物せざる樣に見ゆるもあなるは、「いかなる事にか。」と、いともいぶかしくなん。これらを以て思へば、かの外にある物をもとむるは、難きに似て易く、己にある物をもとむるは、やすきやうにて難きわざにやあるらん。
さるを近昔の世より、心學といふをたてて、ものする流ありて、其ときざまうち聞くには、はかなき戲言にひとしく、誰も知りたらん事の樣に聞ゆれども、實にはみなもと深く、かしこき書籍の道を、俗言さとびごとにやはらげて、ものするにしあれば、いたく世の人に益ありて、いともおむかしく、めでたきわざになんありける。おのれもはやくより、此道の書籍をもよみ、此筋の人々にも、これかれしたしくものして、かの道話といふをも、しば\/きゝたるに、己が心をしる事をさきとし、「心をしり得て、もの學びよろづに心を用ふれば、眞の道にはかなふものぞ。」といふ事を、むねといへるにて、實にさる事になん。さてかの人々、「おのれにたふとき物あり。」とのたまへりし、「たふとき物」といふは、やがて此心の事にて、くすしともくすしく、明らかなりとも明らかにて、行きいたらぬくまもなく、くらぶべき物もなきものなりといふをもとにて、いとも\/こまやかに、ねんごろにもねんごろに、ものすれば、この道によく入たてば、世の人に名をだにしられず、さもありげもなきものの中にも、思ひの外にかの泥の中の蓮、砂の中の白玉などいはんさまの人も出來めるは、めでたしともめでたく、まことに世に益ある事、たぐひあらじと思ふに合せて、己がいひがひなき心にも、いたく益を得たりと覺ゆる事なきに、はたあらずかし。
こゝに柴田翁の、此道にさとり深く、近き世にならぶべき人もなく、ものせらるれば、いたく遠からぬ國々よりは、乞ひ聞ゆるまゝに、年毎にこゝかしこ行き廻りてものせられ、其中には、其守の殿の御前にても、彼道話を聞えあげらるゝさまなどの事は、はやくより聞居て、「一度だに對面してしがな。」と、思ひわたりぬるを、己おもひもかけず、我君に從て、四年ばかりが程大阪に在て、去年より此京にうつろひ住むに、さきに大阪にて、此翁の、道話の席ものせられし事を、一二度聞つけたれば、「いかで。」とは思ひつれど、とあればかゝりといふやうにて、得ものせず。此所にうつろひても、事しげくなど、心にもあらで、いたづらに月日を過しゝに、幸にも近きころ、此翁さるゆゑありて、我君の御前に、うち\/にめされて、かの道話をしば\/聞えあげられけるは、いともめでたきわざになんありける。かゝれば己も、本意の如く對面して、何くれの物語も聞えかはしなどする事とはなりて、うれしうこそ覺ゆれ。かくて此ころ、彼常にものせられ、我君の御前にても、聞えあげられたる説ごとどもを家つげる子、武修主の、露ばかりももらさず書記して、はやく世にあまねかる、此流の書籍の例にまかせて、鳩翁道話と名づけて、三卷板にゑられ、さてつぎて此卷をも物せられんとて、「是がはしに一くだり。」といはるれば、やがて此はやくよりの事どもを、くだ\/しきまで、かくはものしつるになんありける。

天保六年九月京の二條の堀川の家にて
三河國吉田  中山美石


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壹之上


 天の明命
 身贔屓・身勝手は恐しい
 寐小便する小者の話
 我身を省みよ
 談義僧招待の話
 始の覺悟が大事
 嫁入した娘の書おき
 嫁入の相談
 心を掃除せよ
 辛抱強い養子の話
 新しい障子のはめ方

[目次]

天の明命

太甲(*『書経』太誥篇)に曰く、「この天の明命を顧る。」とは、則『大學』の傳にして、『書經』太甲の篇を引いて、明徳を明らかにするの仕樣を、お示しなされたものでござります。まづ「ィ天の明命」といふは、お互に持合せた本心の事じや。この本心は手まへ勝手に拵へたものではなく、則天より稟得うけえましたもので、仁義禮智信の徳を具へ、親に向へば孝、主人に向へば忠、兄弟きやうだい中よう、夫婦は睦まじう、朋友には眞實の交り、何ひとつ不自由な事なく、物に應じて自在なる故、明徳とも申します。則本心の尊號でござります。譬へば人に仁義あるは、天に日月のある樣なものじや。もし天に御日樣やお月樣がなかつたら、世界はくらやみ。人も是と同じ事で、仁義の良心を失うたらば、親子・夫婦の辨へもなく、主從しうじう差別しやべつも知れず、家内一統やみくもぐらし。ナントつまらぬものではござりませぬ歟。
かるが故に、「明命を顧る」と申して、常に本心に目をつけて、「無理はせぬか。無理はいはぬ歟。身欲の爲に昏みはせぬ歟。」と、吟味するを「顧る」と申します。

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身贔屓・身勝手は恐しい

古歌に、
雨ならば宿もかるべき夕ぐれに霧にぞいたく袖ぬらしける
此うたのこゝろは、「はじめより雨と知らば宿をかりて、ぬれぬ用心をするなれど、夕ぎりなれば目にもたゝず。『これほどの事は。』と、ゆるす心にゆだんして、衣類をひたとぬらした。」と、後悔のうたときこえまする。何さま誰しも、わるいと覺えて、わるい事を仕出す人はなけれども、明徳のくらいゆゑ、いつしか身贔屓・身がつ手にながれて、果は申し譯もたゝぬ大事になる。只恐ろしいものは、身びいき・身勝手。

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寐小便する小者の話

ひととせ越前の國へくだりました節、ある人の物がたりに、ちかきわたりに、平泉寺へいせんじ村といふ處あり。其村に、相應にくらす百姓があつて、多くの召つかひの中に、十五六になる小者、尾籠な事じやがひえ症にて、毎夜まいや小用せうようを取りはづし、夜具も疊も、ぬれくさるゆゑ、主人大きにこまり、いろ\/療治しても驗なく、せんかた盡きたるところで、一つの勘辨を仕出した。
其趣向は、家のうちに馬部屋ありて、馬を二疋ひましたが、その馬部屋の二階は、丸竹をあみて、簀子にしてござります。彼小者をこの簀子のうへにねさせました。是がこれ一擧兩徳のはかりごとと申して、その故は、すべて越前にて、農家に畜置く馬は、雜役ざふやくというてみな牝馬じや。秋になると稻をつけたり、こやしを著けたり、其餘はたゞ馬部屋に繋ぎ置いて、こやしをふます事でござります。時にかの小用たれを、簀子の上にねさせると、夜中に度々取はづす。ソコデすのこの間から、小用は瀧のやうにながれましても、すこしもかまひにはなりませぬ。馬の小便と人の小便と、合せて丁度よいこえになる。
氣の毒なものは馬じや。夜中によう寐いつたところへ、折々の大夕だち、畢竟小言をいはねばこそ、よかつたものじや。然るにかの竹簀子は、いつの時代にこしらへたやら、竹は悉くむしが入つてある。その所へ、夜毎に小用でくさらしたものゆゑ、次第にくさりがまはつて、ある夜かの簀子がぬけました。ナニガ小者は、晝のかせぎにくたびれて、二階から落ちるも知らず、迷惑なは二疋の馬じや。何心なく雙でねてゐる眞中へ、おもひがけなう人がおちたゆゑ、馬はおどろき右左へたちのくと、小者は何も知らず、只グウ\/とねてゐる。これ全く馬部屋の中には、藁を多く敷きたる上、馬の小便にてよい程にしめりがあれば、ふとんの上へおちたも同前(*ママ)、さるによつて目がさめぬ。さて奇特きどくなものは馬じや。腹もたてず、又ふみもせず、うしろ足で、馬部屋の板をどん\/とて、家内の人をおこし、よう寐てゐる小者の、顔のあたりを鼻あらし(*荒い鼻息)ふいて、フウ\/いうてかの小者を起しまする。
ソコデ小者がふと目をさました。燈火はなし、眞くらがり、しきりに馬がわが顔をふくゆゑ、肝をつぶして大聲をあげ、
「モシ旦那さま、馬が二階へ上りました。」
と、わめきましたと申す事じや。ナント身贔屓・身勝手はすさまじいものじやない歟。己が二かいからおちたことは、棚へ上げて、馬が二階へ上つたとは、よううろたへたものでござります。

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我身を省みよ

さりながら、加樣な事は得てある事じや。おのれが本心のくもりは、ゆめにも知らず、たゞ「人がわるい。これがすまぬ。」と、わが身を顧ず滅多に大聲をあげてわめく人は、この小用たれの仲間うちじや。ある人の道歌に、
あざみぐさその身のはりをしらずして花とおもひしけふの今まで
お互に立反つて、腹のうちを吟味せぬと、「おれがよい。おれがかしこい。」で、一生を、うろたへ仕まひに、しまひまする。かるがゆゑに、「明徳を明らかにするにあり。」と申して、兎角本心をくらまさぬ用心をせねば、私心・私欲、身びいき・身勝手がこげついて、此世から火宅のくるしみ。聟をいぢり(*いじめ)、嫁をにくみ、又夫をうらみ姑をそしるやうな、大まちがひが出來て、後にはあひてになる人もないやうに成りゆく。たとへばこえくむ杓の柄の拔けたやうなもので、さはればよごれる、其まゝにおけばわるくさし、なんとも仕かたのないすたれものに成りまする。よう考て御らうじませ。長い物は長う見える、短いものは短う見える。おたがひに長短ながみじかを見違へはいたしませぬ。夫ゆゑ人の我をあしくいふのは、必見ちがへのない事じやと心得て、我身を顧るのが近道じや。

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談義僧招待の話

これでおもひ出した話がござります。或山家より、京の町へ談義僧を招待せうだいに參りました。折ふし其日は雨ふりで、みちもあしく、駕籠をもつてむかひに來た。和尚もやがて用意して、かごにうちのり、京をはなれて、三四里ばかりと思ふ所で、どうした事か、かごの底がぬけました。いたはしや、和尚は、袈裟も衣も、どろまぶれになられた。むかひの人足も、氣のどくがり、そこらかけまはつて、繩ぎれ多くひろひきたりて、やう\/と駕籠をからげ、扨和尚にふたゝび「御乘りなされ。」といふ。和尚も氣味わるけれど、雨はつよし、袈裟・衣はよごれる、晝中にあるくも外聞惡く、ふしよう\〃/に駕籠にのるとき、
「コレかごのしゆ、モウ底はぬけはすまい歟。」
「イエ\/氣づかひはござりませぬ。」
といふゆゑ、乘移ると舁上るとの拍子で、又底がメキ\/いふ。和尚大きに肝を潰し、
「これでは中々安心がならぬ。御苦勞ながら合羽の上からいま一度、丈夫に繩がらみにして下され。」
といはるゝ。人足も尤におもひ、また繩ぎれを拾ひあつめ、合羽の上を竪横十文字にからげ、
「是ではあやまちはござるまい。」
と、道をいそいで、ある村を通りかかつた。折ふし此村に法談があつたと見え、參詣の老若、道場の歸りあしに此駕籠を見附けて、かたぎぬをかけたる親仁が、かたはらのうばかゝにいふには、
「ナントみなの衆、今日の御勸化くわんげはありがたい事ではござらぬか。いかさま無常迅速の世の中、生者必滅・會者定離のことわり、何どき如來樣のおむかひがあらうやら知れぬが人の身のうへ。アレあの駕籠を見さつしやれ。どうでもみやこへ奉公にた人が死んだと見えて、死骸を在所へつれていぬると見える。扨もはかないものじやござらぬ歟。」
といふ聲をかごに乘りたる和尚がきゝつけ、「さては我を死人と心得た歟。いま\/しい。」と、わざとかごの中で咳ばらひすると、かの老人は此せき拂におどろき、急にかたはらへ飛びのき、小聲に成りて、
「死人じやと思うたら、どうでも科人とがにんじやさうな。めつたにそばへ寄るまいぞ。」
といふ。和尚いよ\/腹をたて、今はたまりかねて、かごの中でじだんだふみ、大聲あげて、
「科人ではおりない(*ござらぬ。断定表現の丁寧な形。「おりやる」の対。)。」
といふ。其聲に又びつくりして、
「さては科人ではなうて、どうでも氣違じやさうな。」
といはれた。
是が面白いはなしじや。何分駕籠を外から繩がらみにしたものゆゑ、誰にみせても死人じや。然るに中から物いへば科人といふもことわり、又氣ちがひじやさうなといふのも、外からこじつけていふのではない。皆此はうに其すがた、その模樣があるによつてじや。これでヨウ御合點をなされませ。よいものをわるいとは、人はいはぬ。何事もかへりみるのが肝心じや。ある人の道歌に、
世の中は何もいはずにいよすだれ(*「御器竹ごきだけ」で作る伊予特産の簾)其よしあしは人に見えすく

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始の覺悟が大事

およそ物ははじめに覺悟すれば、なりにくい辛抱も、なるものじや。かるがゆゑに、中庸に、「こと前にさだまるときはつまづ(足偏+合:こう::大漢和37532)かず。事まへに定まる時はくるしまず。」と見えて、兎角はじめの覺悟にある事じや。譬へば人のからだに火をのせておくといふは、ならぬ事なれど、灸治やいとといへば、小兒こどもも辛抱する。これ畢竟、はじめの覺悟でござります。

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嫁入した娘の書おき

わが友何がしのむすめ、年十七歳、天性おとなしき、生ひたちなりしが、ことしの秋さるかたへ貰はれ、婚姻もとゝのひ、里歸もすみて、夫の家にかへりし跡にて、てゝおやの、何心なく、わが常に持なれし、煙草いれの中を見れば、小さき紙にこま\〃/と書きたるものあり。ふしぎに思ひ、取上て見れば、娘が手跡にて、夫の家にかへる折から、書きおきたる文なりけり。その文に、
御禮おんれい申上たさ、思しめしもかへりみず、つたなき事を申上まゐらせそろ(*原文連綿字体。右参照。)まことになが\/の御養いくの御恩は、舟車にもつみがたく、其上いろ\/と、御しんぱいをかけ候御事、冥加のほどおもひやられ(*神仏の加護が尽きて罰を被るのではないかと想像され)まゐらせさうらふ。さりながら、これはかへらぬ御事に候へば、たゞ此うへはあなたさま方より、あづかり申候此身にて候へば、「何とぞ親の御身に、疵つけてはならぬ。」と、大せつにいたしたくぞんじまゐらせ候。まことにいつ\/までも、御側に居たさは、限なき御事に候へども、女子をなごの道にて候へば、教をまもりたくぞんじまゐらせ候。もとよりわたくしは、うまれ子になりて、わがうちへ歸り候御事ゆゑ、少しも「ゆきとむない。」とは、ぞんじ申さず、いさんで參じまゐらせ候まゝ、わたくしの事は、なにごとも御あんじ下されぬやう、御大事におんいとひ下され候やう、いのり上げまゐらせ候。「かやうに申上候へば、少しは御心ごしんもじやすく(*お心やすく)思しめしも下され候はんや。」と、おんうれしくぞんじ上げまゐらせそろ。かやうなことを申し、さぞ\/おんわらひ草と、はづかしく存じ候へども、「何とぞ御案じ下されぬやうに、いたしたく。」と思ひつめ候あまりと、何事もおんゆるし下されたく候。猶行すゑながく、御禮申上たく、あら\/申しのこしまゐらせ候。めでたくかしこ。
菊月けふ
おん父母ちゝはゝさまおんもとへ
かへす\〃/おん兄樣・おんあねさま方も、いつ\/までも、おんかはらせなう、せわさまに相成申たくと、くれ\〃/おんねがひ申上げまゐらせ候。めでたくかしこ。
とあり。ゆく末は知らねども、まづ此文のやうにては、よく女の道を思定めたるていなり。いかさま此覺悟ならば、舅姑にもよくつかへ、生涯夫の家をまもりて、どのやうな辛抱もなりさうに見えまする。わるうすると、親の慈悲があまつて、「マアこしらへをして嫁入をさすはさす物の、先方の樣子を見て、辛抱が仕にくいなら、何どきでも戻つておじや(*「おじゃる」の命令形)。」と、あまい口上に、かくごをきはめてよめ入する娘御は、ナント覺つかないものじやない歟。是みな明徳がくらいによつてじや。あちらへは嫁入し、こちらへは嫁入し、「あれにす歟。」「これにせう歟。」と、舅姑をえりきらひし、又亭主をより取に仕あるき、離縁状をもらふことは、書出かきだし(*請求書・勘定書)を貰ふ樣におぼえ、杖つくまで嫁入口をたづねて、一生を終るは、はづかしい事じやござりませぬ歟。おのれさへ堪忍すれば、どのやうな家にも尻がすわる。ある人の歌に、
雨にふし風になびけるなよ竹はよゝに久しきためしならずや
これ堪忍のすがたをよみし歌ときこえまする。成ほどヨウ考て見ますれば、わづかに五寸まはり、尺廻りの竹の、五間七間とたち延びて、しかも末では枝葉はびこり、其上に雪をもち、あるひは雨にうたれ、または風にふかれて、倒れぬといふは、いかさま天理自然の妙用。草木こゝろなしといへども、たふれぬ用心はきつとしてある。先年洛中大地震のとき、多くは竹藪へにげこんだ。これは竹の根がらみがつよいによつて、大地もめつたに、われはせまじとの用意、尤な事じや。この根がらみの強いのは、竹のたふれぬいはれでござります。是じやによつて、人も專ら本に力をいれねばならぬ。本とはなんぞ。本心の事じや。專ら力を入れるとは、時々刻々に「本心を失うてゐはせぬ歟。」と、かへりみるのじや。萬行一心、これより大きな本はない。農業をする人のはなしに、瓜をつくるに、風ふく年は、小蔓が多くはるとの事、また唐黍をつくるに、風あるとしは、自然と土際より上にて多くの根がはるよし。これ皆風にあうて倒れぬ用心。「驚波すは(*驚破=さあ・それ)。」といはゞ、大地をつかんで辛抱する身がまへというても大事ない。しかるに人は萬物の靈として、僅の辛抱が出來かねて、身のたふれるをも厭はぬといふは、さりとては面目次第もないことじや。

[目次]

嫁入の相談

此辛抱でおもひ出した、をかしい話がある。さる所に十六七の娘をもたれたが、脊たけものびたれば親たちも心がせく。又時分の娘なれば、諸方から貰ひにくる。或時母御が、むすめをよんでいはるゝには、
「方々から貰ひにくれども、是ぞと思ふ縁もなかつたに、此ごろ二軒からいうて來た。これは隨分相談しても、よからうとおもふ。一軒は金もちなれど、チト聟どのが見ぐるしいげな。又一軒は、聟どのは品もよく、よい人がらなれども、身代はうすいといふ事じや。去ながら二軒とも、聟どのの氣象は、實體じつていといふ事、何よりは是は有がたい。このうへはどちらへなりとも、そなたの氣に入つた方へ、よめ入さそう。コレ返事を仕やれ。ハハア恥かしいの歟。それならばよい事がある。金持の方へゆきたくば、右の肩をぬぎや。よい聟どのの方へ行きたくば、左りの肩をぬいで見せや。其あひだ、おれはこちら向てゐる。」
と、母御がうしろ向かれたれば、娘はこゝろ得、肩を脱だやうす。母おやが、
「モウよい歟。ドレ\/。」
とふり返つてみれば、娘は兩肩をスツポリとぬいでゐられた。ナント面白い話ではござりませぬ歟。この娘の、左右の肩を、一にぬいだ心は、晝は金もちの所へゆき、夜はよい聟の方へゆく積と見える。さても、油斷のならぬ娘御でござります。このやうな覺悟をきはめて、嫁入したら、中々辛抱は出來るものではない。しかし此やうなむすめ御は、日本にはありはせぬ。これはみな天竺の事じや。「さるに依て五百羅漢も、皆肩をぬいでござる。」と、或物しりがいはれた。

[目次]

心を掃除せよ

どなたもヨウおきゝなされませ。古歌に、
はるの夜のやみはあやなし梅のはないろこそ見えね香やはかくるゝ
こはいものじや、隱してもかくされぬ、心のくもりが時として見えまする。かるがゆゑに「この天の明命を顧る。」と申して、氣をつけて掃除をせねばならぬ。

[目次]

辛抱強い養子の話

さてこの掃除を、よく仕おふせたる人がある。序におはなし申しませう。上京邊に、呉服悉皆を渡世にしてゐる老人夫婦がござりました。しかるに家をつぐ男女なんによの子もなく、その身は次第に年はよる、親類縁者より、あれこれ養子をもらうて見ても、どうした事歟とかくそだたず、或は三十日、あるひは五十日、または七十日、長いのが百日ぐらゐ、凡そ養子二十人ばかり、一人として辛抱をする者はない。ナント難義(*ママ)なものじやない歟。うろたへると此樣な偏屈おやじや、鐵槌婆かなづちばゝさま(*頑固者の婆さん)が、得て異國にはあるものじや。六十・七十になるものの、「分別の通に、つゞ(*十)二十はたちのものがせぬ。」というて、小言ばかりいうて日を送らば、一生養子はそだたぬ。めい\/若いときを顧て、おもひやりがないと、人の子はやしなはれぬものじや。「一生金の番を仕つめて、末期の水一ぱい、汲んでくれるものもないやうな身の上に成り行くは、菰かぶりではなうて、蒲團かぶりの乞食するやうなものじや。」と、町内でのうはさ。
されども「蓼くふ蟲もすき\〃/。」とやらで、ある所の息子どのが、此噂を聞いて、「どうぞ其家の養子にゆきたい。」と、おもひ附かれた。たとへのふし(*諺)に、「小ぬか三合もつたら養子にゆくな。」と世間ではいへど、人の家をつぐといふは、格別の大功じや。そのゆゑは、絶えたるをつぎ、廢れたるをおこすは、聖人のをしへにして、則天地生々の道理じや。この息子どのも、こゝに目がついた歟、但は辛抱の仕にくい家と聞いて、「おのれやれ(*おのれ!)、一辛抱して、名を隣町りんちやうにしられう。」とおもうた歟、何にせよ有りがたい志じや。

[目次]

新しい障子のはめ方

さて縁をもとめて、申しいれたところが、早速に事とゝのひ、引移つて、五七日たつてみれば、なるほど、今まで辛抱の仕人してがない筈じや。中々むづかしい兩親ふたおや氣質きしつ。「どう歟。」「かう歟。」と、おもひわづらふうちに、二三ヶ月もたちましたが、どうも堪忍が成りにくい。所詮てゝおやが、偏屈をやめる歟、婆さまがしやべりやむかせぬと、モウ一日も辛抱がならぬ。けふは仲人なかうどの所へ往かう歟、あすは親ざとへ往て、相談せう歟と、煙草盆引きよせ、きせるあひてに、しあんの最中、折節てて親が、あたらしい障子をもとめて、大工どのを頼み、たて合せをして貰はるゝ。ナニガ大工どのが、こて\/とたて合せをしらるゝを見れば、障子の上をけづりては、鴨居にはめて見、下を削りては敷居にはめて見、遂に障子の上下をけづり\/て、その上障子に弓をはりて、柱のゆがみにあはせ、コツトリと敷居・鴨居にはめ、引いて見れば自由になる。かの息子どのは、この仕事を見るとも見ぬとも思はず、たゞうつかりとながめてゐられたが、おもはず持つたる煙管を取りおとし、横手よこでを丁どうつて(*両手をぽんと叩いて)おほいに驚かれたが、これから分別がかはつて、辛抱が仕ようなり、トウ\〃/この家を相續仕おふせて、懇に兩親を介抱し、末期を見とゞけ、家名相續をしられたと申す事でござります。
これがありがたい目のつけ所じや。其ゆゑは、敷居・鴨居ははじめより家についてある道具、障子は外からあらたにはいつてくる道具、工合ようはまらぬは始より知れてある。されども障子がはまらぬというて、家づきの鴨居をけづり、敷居を削りて、障子を其まゝにはめる大工どのはない。はまらぬときには、あたらしう入りこむ障子の、上下をけづりて、敷居・鴨居にあはせてはめる。人の家を相續するのも、また是と同じ事じや。二親は家づきの敷居・鴨居、養子はそとからいりこむ障子じや。「てゝ親の偏くつをやめるか、母親のしやべりがやまぬと、相續が出來ぬ。」といふは、敷居・鴨居をけづりて障子をそのまゝたて合さうとする無分別じや。ソンナ大工どのは、天がしたに一人もない。はまらぬときには、何分〈障子〉の養子息子が、「おれが\/。」の無分別を、けづり\/て家づきの兩親の〈敷居・鴨居〉に合さねば、工合ようはまるものではないと、はじめて此息子どのが氣がついたと見える。
サアこゝが入用のところじや。全く養子ばかりの事ではない。嫁御でも、聟さまでも、奉公人衆でも、此咄の義理を、よくのみこみ、親にむかひ、主人にむかひ、夫に向はゞ、かならず當然の、道理を得て、今までのつらい悲しい、いま\/しいが、立ちどころにとけ去つて、大安樂を得ること、疑ひはござりませぬ。則これが、明徳のあきらかに成りましたしるしでござります。 休息。


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壹之下


 身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあれ
 土粥の製法
 志を立通した乳母の話
 魚釣りの話
 田舍者と鏡
 木曾義仲の報恩
 手代殿の百年目
 橋彌の馬を買ひし話

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身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあれ

山川やまがはの末にながるゝとちがらもみをすてゝこそうかむ瀬もあれ
すべて山家にては、米麥にともしく、あらぬものを食する中に、栃の實を餅團子にして食する所多し。その製法は、栃の殻をとりて、實ばかり袋にいれて、谷川にひたしおき、よく苦みをさりて、餅團子にするなり。今歌のこゝろは、とちの實、谷川におつればしづむ。實をとりて、殻ばかりすつれば、浮んで流れます。人も「おれが」といふ身贔屓・身勝手を捨つればうかみあがるといふにかけてよみしうたときこえまする。甚面白い事じや。

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土粥の製法

これについて序に御披露申しまする。去ぬる天保癸巳みづのとみの年、米穀のあたひ貴く、遠國ゑんごくには、飢渇におよぶ人も多くあるよし聞えました。さる御歴々樣、不便の事に思しめされ、「救荒一助」と題して、松の皮・藁・土を食するの法を御ためしあそばされ、はんにゑりて、ひろく諸人しよにんにほどこさせたまふ。御仁惠のありがたき事、申すもおそれあり。しかれども、「百年ののち、自然その製法をうしなひまする事もあらう歟。」とぞんじまして、恐れをもかへりみず、今その一法を御披露申しまする。
松の皮・藁などは、不自由なる地もござりませう。土を食する事は、いかなる飢饉にも、盡くる期なく、實に未曾有みぞうう(*ママ)の良法でござります。どなたもヨウ覺えなされませ。「救荒一助」の文に、
   土粥之製法  或官醫の家法なり。
一 土はいづかたの土にても、砂石のすくなく、土めよきを選び、土壹升に水四升入れ、桶の中にてよくかきまぜ、上水うはみづを去る事數へん、また水四升入れ、よく\/かきまぜ、別の桶に入れ、底にのこる砂石をさり、又水四升入れ、前のごとくかきまぜ、水にひたしおく事、三日のあひだ、一日に三べんづつかきまぜ、すまし、上水をかへるなり。葛の粉・わらびのを、水飛すゐひ(*水簸。水で漉して分離する方法。)する法のごとし。右のごとく製法せし土へ、水貳升入れ、煮てうすき粥のごとくしてくらふ。其うちへ、菜・大根など切りこみ、おなじく煮て食ふもよし。一日に三合より五合までくらふべし。誠に此法をもちひば、五穀を食せざれども飢えず、身體しんたいつよく、すこやかなりとぞ。
右の通り、製法の仕やうを御しるしあそばされました。ありがたい思召ゆゑ、お取次をいたします。しかしこれが滅多に間に合うてはならねども、「耕すや、うゑその中にあり。」と申せば、ゆだんがならぬ。しかし米をつんで飢饉をまたうより、人の道を勤めて飢饉をまぬかるゝが肝要でござりませう。畢竟榮耀榮花があまつて、天地神明のおにくしみを蒙るより、困窮にもおち入りますれば、とかく身贔屓・身がつ手をすてて、家業大切に勤ますると、いづれ分限相應のさかえにあはぬといふ事はござりませぬ。たとへば、草木の花さき實るは、人の榮と同じ事じや。同じやうに、花さきみのる草木にも大小のござりまするは、人に貧富窮達わかちがあると同じ事でござります。さりながら、庭におふる千草までも、花のさかぬといふ事はござりませぬ。花のさかぬは、此方の身贔屓・身勝手がやまぬのじや。「身を捨てこそうかむせもあれ」とよんだ歌は、面白い事ではござりませぬ歟。

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志を立通した乳母の話

是について有りがたいはなしがある。ようおきゝなされて下さりませ。勢州龜山領、鈴鹿郡、川崎村といふ所に、江戸屋何がしと申しまして、相應の百姓がござりました。あるじは養子にて、妻は家つきの娘、其母と三人にて、此外は召つかひの人。しかるに女房、一人の男子なんしをうみまして、名を橋彌はしやと申します。此子三つのとし、次の女子によし出生しゆつしやうに附き、橋彌に乳母をとりて、養育を致させました。これ則、今より十八年まへ、寅年(*文政元年〔1818〕)の事でござります。
さてかの出生の女子は、其後近村へつかはしましたが、また引きつゞいて女子出生、これも他へやりました所、先かたにて病死いたしました。されば打ちつゞき出生も多く、猶また主の心得かたも能からず、次第に借金も出來、午どし(*文政5年〔1822〕)の頃には、必死と(*ひしと=ひどく)困窮になりましたゆゑ、家内の諸道具は申すに及ばず、田畑までうりはらひましても、猶借金しやくきんもすまず、女房は困窮を苦にやみまして、申年(*文政7年〔1824〕)の六月病死いたしました。跡はさん\〃/になりゆき、村かたへも申譯なく、主も養母も、つひに他國へかげをかくしました。
殘りしものは、乳母と橋彌とばかりでござります。此乳母名をおとせと申して、心ざまのかひがひしい人でござりましたが、この江戸屋へ奉公に出まして、三年ばかりは給金を貰ひましたれど、そののちは不如意につき、給金も出ませず、乳母の親ざとよりは、「いとまをとり、歸れ。」と申しますれども、さらに歸らず。そのわけは、此家次第に困窮に成り、ことに主といひ、養母といひ、心得かたも宜しからねば、いづれ遠からず家名斷絶と見極めましたゆゑ、一しほ橋彌を不便にぞんじまして、親里へ歸りがたく、つひに自分の衣類をことごとく賣りはらひ、金子にいたして、おや里へ遣はし、自分は「生涯身をかため(*身持ちをよくし)、やしなひ子をもりたて、江戸屋の家をふたゝび引起さん。」との志をたて、親里より送り一札(*移籍状)をもらひ、則これより川崎村の人別に入れました。かばかりの大願だいぐわんなれば、所詮人のちからのおよばぬ處、「かゝる折にこそ、神ほとけの力をからん。」と、うみ山かけて、百里の道をたゞ一人、讚州象頭山金ぴら大權現へ、はだしまゐりをいたされました。さて神前にて、しうの家をとりたてる(*世話をする・盛りたてる)こゝろざしをつげ、三つの願だてをいたされました。そのわけは、「在中にて若い女子をなごのひとり住居ずまひをする事なれば、心よわくてはならず、又人にうたがはれぬため、先第一に鐵漿かねをふくまず、第二に髪に油をつかはず、第三に元結尺長たけながにて髪をたばねる事をせまじ。」と、かたく心に誓ひて、つひに國元へ無事に歸られました。ナントあり難い忠義ではござりませぬ歟。此人出生は、同國どうごく桑名領、員辨郡いなべごほり、五反田村の百姓、長七といふ人の娘じや。年は三十、みめかたちも見ぐるしからず、又盛過ぎた年といふでもなし、忠義の爲に身をかまはず、しうの家を引起さうとの志。

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魚釣りの話

ヨウ考へて御らうじませ。まねのなりさうな事ではない。古人の語に、「志ある者は成る。」というて、いか程の大事でも、志さへ立ちますると、成就せぬといふ事はござりませぬ。譬ば川の中につく\〃/立つて、雇はれた太公望のやうに、魚を釣りてござる人がある。アレガ中々主命しうめいや親のいひ附けで出來さうなことではない。腰きり水につかつて、ひえの入ることも、疝氣の發ることも、罪も報もわすれ果て、日がな一日竿を持つて、立通しに立ち、何程魚のとれること歟と思へば、一二寸の雜魚十ばかり。これが假令けりやう(*いいかげんなこと・かりそめ)や名聞で出來るものではない。たゞ魚を釣りたいといふ志ばかりで、此所作が出來たものじや。是が此日、俄に思ひついた志ではない。平生しごとするにも、商するにも、たゞ魚つる事ばかりおもうてゐる。此ねてもさめても忘ぬのが、志じや。古人も、「念々こゝに在つて、忘れざるを志といふ。」とおほせられた。いづれよしあしにつけて、人は志の起らぬといふ事はない。同じ志を起すならば、このお乳母どののやうに、忠孝に志をたてますると、わが心にはづかしい事はない。

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田舍者と鏡

畢竟「あれは出來ぬ。これは出來ぬ。」といふは、志がたらぬのじや。孟子のいはく、「志は氣のすゐなり。」と。こはいものじや。こゝろざしが碎けると、氣はつれて腐つてしまふ。人は氣によつて動く。その氣がくさると、箸一本持もものうく、返事するのもいやになり、かりそめにもつらふくらし、間がなすきがな、居睡てばかりゐる樣な、こし拔になるのは、みな志がくだけたのじや。御用心なさりませ。志がたてば、氣は引きたち、女の身でも、百里のみちを、跣まゐりが出來まする。ましていはんや、疊のうへで、親・兄に事へ、主人につかへ、家業出精が出來ぬといふは、六尺の犢鼻褌ふんどしの手まへも、面目ない。しかしこれは男の事ばかりじやござりませぬ。夫につかへ姑につかへ、家内のとりしまりの出來ぬ女中は、鏡に顔はあはされぬ筈じや。チトお考へなされませ。
是についてをかしい話がある。むかし鏡をしらぬ國の人、都へ上り、フト鏡屋の見世さきを見れば、何やらひかる物がある。ふしぎさうに差しのぞいて、俄に大聲をあげ、
「ヤレ親父さま、おなつかしい。」
と、かの鏡をとらうとする。亭主きもを潰し、
「これはどうさつしやるのじや。」
「イヤどうもしませぬ。是は此方こちの親父さまじや。」
「めつさうな。それはこちのうりものじや。」
「ナニうりもの歟。賣物ならば買ひませう。」
と、代物だいもつを拂ひ、かの鏡を宿屋へ持ちかへり、さて物いうて見ても返事せぬ。
「これは娑婆と冥途(*原文「冥送」)の隔があれば、お聲がきこえぬさうな。何にもせよ、死にわかれて三年目に、御目にかゝるといふは、有りがたい事じや。」
と、わが影とも知らず悦んで國もとへ持て歸り、ひそかに二階の長持へかくして置き、出はいりに二階へあがる。
あるとき女房が、用事あつて二階の長持のふたを明けて見れば、ひかるものがある。とり出して見れば、二十五六な女がゐる。是も又びつくりし、二階から飛んで下り、亭主の胸ぐらをつかまへて、なくやらわめくやら、悋氣喧嘩がはじまつた。ソコデ隣の妙琳が聞つけて、あいさつすると、いよ\/けんくわに花が咲く。妙琳も詮かたなく、
「ソンナラわしが二階へ往て、男か女か見屆けてきませう。」
と、二階へかけ上つて、鏡を一目見、こいつも又びつくりして、二かいから大聲をあげて、
「あまりおまへがたが、悋氣喧嘩をさつしやるに依つて、氣毒や、二かいの女中が、尼に成られました。」
といはれた。
この話は、狂言にもしてみせる。ナント面白い趣向じやないか。トツクリとかみしめて御らうじませ。嫁姑の角づきあひ・親類の中たがひ・兄弟いさかひ・女夫めをとげんくわ・村かた町内の不附合、親子・主從しうじうのあひだも、うろたへると、此はなしの仲間うちが多い。ある人の道歌に、
よしあしのうつるかゞみの影法師よく\/見れば我すがたなり
とかくわが身をかへりみるが、學問の所詮でござりまする。身は立ちかへりさへすれば、忠孝はつとめよい。さてかの乳母は無事に村かたへかへり、たのしからぬ月日をおくりまするうち、果して乳母が推量のごとく、主も老母もちり\〃/に成りましたれば、いよ\/志立まして、橋彌をりそだてまする。尤村かたへ、厄介やくかいをかけおきましたる江戸屋の事なれば、その家名を起す事は、一應にては村方へ對し、出來ぬ事でござりますれば、かねて村方の頼母子へかけこみ置きましたる銀子、幸にくじにあたりましたる故、則金五兩と銀拾匁、冥加(*報恩)のため、村方へ詫代わびしろとしてさし出し、家名相續の儀を願ました。村役人中を始め、その志をよろこび、ともどもに世話をいたしつかはしました。勿論家屋敷はうり拂ひましたれば、身をおく所はござりませねども、主人はいまだ他國へかげをかくさぬ以前、屋敷の隅に、かたばかりの小屋をこしらへおきましたれば、これに引きうつり、人の田地でんぢ四反をあづかりまして、を守りながら、田をすき草をとり、こえを荷ひ蟲をはらひ、人の手をからずしての艱難辛苦、いふ樣もござりませぬ。夜は夜なべに時のうつるのも知らず、朝はくらきより起きて、しのゝめ(*明け方の雲)しらむ頃まで、草履・草鞋をつくり、其隙には、織つむぎ・縫針のわざをなして、只此兒の手足ののびるをたのしみに、年月をおくりまするうち、早くも橋彌十歳に成りました。しかもおとなしう生ひたち、常に乳母のかたはらで、手仕事をたすけます。ようした物じや、誰教へねども、「乳母」とはいはずして、たゞ、「かゝさま」とよびまするは、ひとへに乳母の眞實、橋彌に徹する處が有つて、おのづから斯うなりまする。扨うばのおや里には、産みおとし置きました實子、文五郎と申す小兒、これも十歳あまりに成りましたるゆゑ、此兒をも川崎むらへ取りよせ、橋彌とともに一年あまり、手ならひをさせまして、其のち人をたのんで、松坂へ遣り、それより江戸へ奉公につかはしました。これ全く、實の子を手もとで育てますると、おのづから主の子を疎畧にする心がおこらう歟と、百里の外へうみの子を追ひやり、主の子を育てまするは、ありがたい志、まことによい手本でござりまする。十八年のあひだ、朝夕の食物も、わが身は黍・稗のやうなものに、こぬかをまぜてたべ、橋彌には常體つねていの食をたべさせ、兒は母とよべども、わが身は主從の心得を失ひませぬは、丈夫をとこも及ばぬ志でござります。此誠がとゞきまして、橋彌十八歳のとき、元の屋敷地を買ひもどし、四間ばりに七間の家をあらたに建て、其うへ馬をもかひ、猶小者一人をめしつかひ、田地一町四反をつくり、夫のみならず、さきに家出いたされました老母をも養ふ樣に成りました。

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木曾義仲の報恩

此はなしを丁稚衆も、手代衆も、女子衆も、居眠らずとヨウ聞いておかれませ。むかし、木曾殿といふ大將が有りて、北國に於て平家と戰はれしとき、味方のつはものへ申附けて、「若敵がたに、齋藤別當實盛と名乘るものが有つたら、かならず弓をひくな。いくさをかへして攻口をゆるめよ。」と、指圖せられた。これは義仲、いまだ襁褓のうちにありし頃、わけあつて、實盛に七ヶ日やしなはれました事がござります。此恩をおもうて、勝ちほこつた軍をかへして、實盛へ敵對せぬ志。ナント養れた恩は、重いものでござりませぬか。七ヶ日はさておき、三日くはずにゐても、命がない。ましてや五年十年、あるひは半季一年、主人の養をうけて、その恩を思はず、うか\/と身勝手をはたらくは、勿體ない事じやござりませぬ歟。在所にゐた時の事をヨウ思ひ出して見たがよい。著物はKもめんの紋附、裾は若松に鶴のもやう、ねんごろに彩色さいしきしたのを、此上もない曠著はれぎじやと思ひ、棒のやうな鼻汁はなたれて、ゆりご(*粗悪な米・くず米)雜炊で腹をふくらし、馬屋ごえを負うてあるいた事を忘れて、「こんな米はくはれぬ。」の、「鍋やきでなけりや、めしはくへぬ。」の、「廣ざんとめは、仕きせのやうで見つともない。」のと、ヨウ口がはれぬ事じや。これみな「おれが\/。」の妄念のかたまりじや。ソコデさつぱり主人の恩を忘れ果て、こはいものじや、「おれが此家にゐてやらずば、足のすりこ木になる程、使ひあるきしてやるものはあるまい。」「おれが商をしてやらずば、旦那があの樂は出來はせまい。」「わしがおめしたいてやらずば、家内中がみなひだる(*「ひだるい」か、「ひだるがる」か。)腹かゝへて、かつえをるであらう。」と、我も\/と鼻をのばして、家内中が「おれが」の會じや。

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手代殿の百年目

これで思ひ出したはなしがある。さる所の手代殿が、商にゆくというて、旦那へうそつき、彼とうろう鬢(*灯籠鬢。明和・安永の頃流行の女の髪型。ここは茶屋女の類をいうか。)を大勢つれて、東山へ花見に出かけた。道でうちの隱居に、おもひがけなう出あひました。ソコデかの手代どのがびつくりし、挨拶どまぐれ(*どまぐれる=うろたえる・まちがえる)
「是はお久しうお目にかゝりませぬ。」
といひすてて、あとしらなみと逃げて戻つた。隱居もあまりの事に興さめ、返答もせず、にがりきつてうちへ歸られた。扨に入りて、かの手代を呼びつけ、
其方そちはけふ、商にたと聞いたが、最前のざまは何じや。其上どこの國か、三百六十日鼻つき合してゐるおれに、『久しうお目にかゝりませぬ。』とは、なんとした挨拶じや。」
と、きめ附けられて、手代どのが、
「ハイあのやうなところで御目にかゝりましたは、實にわたくしがためには、百年目でござります。」
といはれた。うろたへると、この百年目が、一年のうちに二三度づつ、廻つてくる。御用心なされませ。かのおうばどののやうに、主人の家は取りたてずとも、をさな兒はもり立ずとも、せめて十年の年季をつゝがなうつとめ、親・請人うけにん(*保証人)をひき出さぬやうに、勤めたいものでござります。或人の道歌に、
人の子もまなべあしたに雀子のちうとゆふべに鼠もなく
忠孝は天下の大本たいほん、ドウゾあだ口(*口先・無駄口)になりとも、忠孝のはなしはなされるやうにいたしたい。ましてこれは(*乳母の行いは)、我身をすてて忠節をまもりし行状なれば、遂に御領主さまの御聞おきゝに達し、さんぬ酉年(*文政8年〔1825〕)、御褒美として、御米多く下したまはり、夫のみならず、折にふれて御褒詞ごはうしたび\/ありしよし、承りまする。かの「身を捨てこそ浮む瀬もあれ」といふ歌のこゝろも、今さら思ひ合されて、有りがたい事ではござりませぬ歟。

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橋彌の馬を買ひし話

猶また川崎村役人衆のはなしに、橋彌近ごろ馬をもとめて、つかひこゝろみまするに、甚よい馬なれば、「さては博勞どのの、よい馬を世話し呉られた禮を申さずば成るまい。」と、銀二匁博勞のかたへ持參し、あつく禮をいはれました。博勞も大きにおどろき、
「凡世間の人は、よい馬を直段ねだんやすう買ひとれば、買徳と心得、また間ちがひにて、誤てやすう賣りたるを知らず顔して、ひそかに『徳附きたり。』と心得、すべて馬の賣かひに附いて、あとより禮にくる人はない。十年博勞を渡世にしたが、かゝる事は珍らしい事じや。」
と、人々へはなしたと申されました。
又橋彌耕作の隙には、馬をひいて若松浦というて、三里ばかりの所へ、米をつけて通ひまする事がある。必ずその日は、馬のかひば、一日分をもたせまして、猶その餘に、大きなるにぎり飯を三つこしらへ、これを橋彌にもたせていふは、
「馬のくつをうちかふるとき、かならず一つたべさせ、また若松に行きて、荷をおろしたるとき、一つたべさせ、歸るさ途中にて、のこる一つをべさせよ。」
と、是のみにかぎらず、其はじめ小屋住居ずまひの難儀の節にも、なほ物をあはれむ心があつて、「かゝるときなれば、人にものを施す事はならず、せめてもの志じや。」と、自分食料くひれうの黍稗を、毎朝すこしづつ、小鳥に施されたと申す事じや。古歌に、
山鳥のほろ\/となく聲きけば父かとぞ思ひ母かとぞ思ふ
これは行基ぎやうぎ菩薩のお歌と申しつたへます。いかさま一さい衆生を救はふといふ大慈悲心より、およみなされた歌なれば、申すもおろかなる事でござりますれど、中にも、「父かとぞおもひ、母かとぞ思ふ。」とは、格別にありがたう覺える處がござります。今このお乳母どのの慈悲心、禽獸とりけだものにおよびまする事、その意味はぞんじませねども、みなし子をもりたて主人の家を引きおこして、其父母を顯す、忠孝の志のありがたさは、行基菩薩のむかしにも、めつたにはづかしい事はあるまいとぞんじます。孝經にも、「身をたて、道を行ひ、名を後世に揚ぐる。」ともあれば、お互に此お乳母どのを見習ひたいものでござります。
扨實子文五郎、これ又おとなしく奉公いたし、去年江戸表より、初登(*地方の奉公先から初めて帰京すること)とて、傍輩はうばい同道にて松坂におち附きまして、夫より母をたづねて、川さき村へ參られました。暫く逗留して又松坂へ歸るついで、兩宮へ參詣をする事なれば、「橋彌をも共に拜禮さそう。」と、其用意をして、おうばの申しまするは、
「文五郎は、御主人をたのんで奉公に出した上は、よいにつけ、わるいに附け、わしがあづからぬ事じやによつて、いふに及ばぬ。こなたは格別大切の身なれば、道中でかりそめにもうか\/せず、飯もりをなごなどに、かならずあひてになる事はなりませぬぞ。もしや、病でもうけ、身に疵のつく事が有つたら、爺御てゝごの家をつがつしやるとも、恥を雪ぐといふものではない。返す\/も、身を清淨しやうじやうにして、參詣をさつしやれ。この乳母はついてはゆかぬけれど、こなたが身持のわるいことを道中でさつしやると、わしは内でぢきに知りまするぞ。ゆめ\/忘れず、つゝしんで參宮をさつしやれ。」
と、懇に異見をしられたと申す事を、橋彌ぢきの話でござりまする。古歌に、
たらちねの親のまもりとあひそふる心ばかりはせきなとゞめそ
此歌のこゝろに通ひて、一しほありがたう覺えまする。此こゝろにて橋彌をそだてだ事なれば、その人がら、おとなしく、柔和にして、詞すくなく、在中の癖なれば、わかき人は、男も女も、夜はよもすがらあそびまはれど、橋彌にかぎつて、一夜も他へあそびに出ず。これ全く、乳母のきびしく教へ育てましたゆゑ、篤實におひたちました。されども乳母の嚴肅なる處あれば、却てひそかに譏る人も、まゝあるよし聞えまする。しかしこれは全く、誠の道を知らぬゆゑじや。すべて此一條は、むかしの事でもなく、又唐土から天竺の事でもない、現在たゞ今の事で、しかもわたくしがしたしう本人橋彌にも聞き、又そのところの人にもうけたまはりました事じや。これをおはなし申す事は、どうぞ、御たがひに、この志を手本として、めい\/腹の中を省み、恥かしうない樣に、本心をみがきたいものでござります。或人の歌に、
みな人のもとの心はますかゞみみがかばなどかくもりはつべき
猶明ばんおはなし申しませう。 下座。

(*続編壱巻了。)

 序(源寵天錫父)  序(中山美石)  壹之上  壹之下  貳之上  貳之下  參之上  參之下

 (正編)  (続編)  (続々編)

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