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和譯老子・和譯莊子 

田岡嶺雲 譯註
(『和譯老子・和譯莊子』全 和譯漢文叢書第1巻 玄黄社 1910.4.10
※ 国立国会図書館の許可を得て「近代デジタルライブラリ」より転載。
※ 原文の傍点・圏点は省略した。原文割注。注のカタカナ表記をひらがなに改めた。

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[目次]

老莊の和譯に就きて

汝の住する家を看よ。汝の服する衣を看よ。汝の食する茶碗、皿、箸を看よ。汝の机上の硯、墨、筆、紙を看よ。汝の讀み又は書く所の文字を看よ。孰れか支那文明の影響を受けたる者に非ずといふを得る乎。
汝は髷を戴かず、其頭髪を短截す、然れども其短髪の下に掩へる汝が頭腦の細胞には、爾の父祖が、千年來世々相紹いで、其骨髓の底にまで積漸浸潤せる漢學的思想の遺傳せられて、潜在しあることを忘る可からず。汝が皮肉の間に、汝自ら識らざるも、其父祖の血の流るゝが如く、汝の思想の層基にも亦其父祖の思想を繼げる者あり。汝の眉の形、目の容が、汝の父祖に肖るものあるが如く、汝の思想の底流にも亦父祖の思想を承けたる者あり。而して其父祖の思想は即ち支那文明の陶冶に成れる者に非ずや。
支那の文明を排氣すれば、日本過去の文明は眞空也、支那の思想を除算すれば、日本過去の思想は零無也。現在に於て明治の時代が、急促に能く西洋の文明思想を消化吸收し得たる者は、我に既に支那の文明思想より得たる智識的素質の存じたれば也。今の人が西洋の學術に趣くに急なるは不可なし、又必ず然らざる可からず。然れども西學の新輸入、略ぼ其大要を既したる今日に於ては、顧みて又我が文明の根柢に反り、我が思想の淵源に溯つて、漢學の温古的研究を試むるも、亦邦人として竟に廢す可からざる事に屬す。
夫れ支那は三千年の文明を有し、世界最古の載籍を有す。朝に興亡あり、世に汚驍りと雖ども、而かも其文字を尚ぶや、學術は相傳へて未だ必ずしも衰へず。縱使形而下實證の學に於て、夐に西洋の峨kに及ぶ能はざる者ありと雖ども、形而上思索の學に至つては、盡く遜色ありといふ可からず。且東西兩洋の文明各其長とする所ありて、世界的大同の機運は、遂に兩洋文明の渾融を致すに至らざる可からずとせば、此が任に當るべき者は實に我が日本是れに非ずや。此がためには漢學の研究、啻に之を廢す可からざるのみならず、更に一歩を進めて深く未拓に其鋤を入れざる可からず。
今日西人の支那研究を試むる者既に尠からず。西人の漢字を解し漢文に習ふ、其難き固より、我の其字體の目に熟し、文勢の口に慣れたるに比して、同日の論に非ずして、而して經史より下つて小説の類に至るまで、其飜譯を經たるもの亦多し。而るに漢學の研究に對し、最も好適の地位を占むる邦人にして、竟に彼が後塵を拜するに至らんとするは亦恥づ可からずや。
明治以後西學の流行と共に漢學は一種の骨董古玩と同視せられ、今の年にして四書の何を志し、子曰の何人の言たるを識らざるもの、稀ならず。是れ蓋し其修めざる可らざる學課甚だ廣くして、餘力の此に及ぶ能はざると、一には則ち漢文の讀下に難く、之を手にするだも猶之を厭ふとの故に出づる者也。
故に今日に於て漢學の研究を普及せんには、此が讀誦を容易にするを急とす。讀誦を容易にせんには、之を飜譯して時文に近き者とせんには若かず。昔日の如く漢文が一種の公文式たるが如き觀ありし時に當りては、漢文體のまゝに漢文を學ぶこと固より其要あり。然れども今日に要する所は、漢文の形式に非ずして其内容に在り、文體に非ずして其思想に在り。故に之を飜譯するも、决して漢學研究の上に累する所あらず。且つ垂髫既に四書五經の素讀を受くる昔日の如くば、故らに之を飜譯するが如きは徒勞なるべしと雖ども、漢文と漸く相疎遠ならんとする今の時今の人に對しては、漢書の飜譯も决して無用にはあらず。
或は漢文は之を飜譯すれば其妙味を失ふべしといふ者あり。然れども是れ西文の飜譯の如きに於ていふべきも、漢文に在りては必ずしも然らず。邦人の漢文を讀む既に之を飜譯して讀むなり。唯此に假名を混へ、此を書き下せるものを紙に寫さざりし而已。既に同じく飜譯なり、之を口にて讀むと、字にて書すると、其原文の妙を觀るに於て、何の逕庭かあらん。且飜譯に原文の妙を味ふを得ざるは、主として其原文の措辭を、其語勢其語調其まゝに傳ふる能はざるに存すれども、漢文の飜譯に在りては、其措辭は其原字のまゝに留存せらるゝが故に、甚しく其語勢語調を損ふことあるなし。故に予は信ず、漢文は之を飜譯すと雖ども、邦人が其妙を味ふに於て、殆ど害する所あらずと。
是れ予が劣を自ら揣らず、敢て此書を公にせんとする所以にして、而して先づ之を老莊より初めたるは、其の、予が多年窃かに沈潜する所なると、且其説く所の方外に超越せる、以て今の世人の如く、名利に惑溺し、死生に煩悶し、小利害小是非の桎梏に囚はれて、拘々汲々たる者に、對症の良藥たるべきを信じたれば也。
明治四十三年春
譯者識


[目次]

如何か老子を讀むべき

明治四十三年正月
田岡嶺雲 識


[目次]

和譯老子

田岡嶺雲 譯註

第一章

道の道とすべきは、常〔不變不易〕の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず〔人の思議し言説すべきものは皆相對的なり、故に道の指すべく名の命ずべきものは不變絶對の道と名とに非ず〕。無名は天地の始にして、有名は萬物の母なり〔有は無に生ず、其有をして無に生ぜしむる所以は即ち道也。譬へば無名は一也。一あるが故に二あり。二は有名也。一と二とあれば三を生じ多を生ず。而して道は虚無にして一切を含む零の如し〕。故に常無以て其妙〔かすか也。物の未だ現れざるなり〕を觀んことを欲し〔髣髴見るゝが如し〕、常有以て其けう〔歸する所也。物の生じて顯れたる跡也〕を觀んことを欲す。此兩者は同出にして異名なり、同じく〔常無と常有と共に〕之を玄〔有るが如く無きが如く玄冥なるを謂ふ也〕と謂ふ。玄の又玄〔既に常無と常有とを對すれば亦これ相對の名也。更に之を超絶せる眞の絶對即ち兩者の倶に出づる所の本を玄之又玄といふ〕、衆妙の門〔常無には妙を觀るべし。其常無の出づる所の玄之又玄は即ち衆妙の出づる所なり〕

第二章

天下皆美の美たるを知れば、斯れ惡なるのみ、皆善の善たるを知れば、斯れ不善なるのみ〔若し一といへば乃ち之に對する二あり。美といひ善といひ、之を美と名け善と名くれば皆相對の名にして、相對なるものは關係の如何によつて變ずべきが故に惡と名け不善とも名け得べし〕、故に有無は相生じ、難易は相成し、長短は相かくし、高下は相傾け、音聲は相和し、前後は相隨ふ〔有と無と、難と易と、長と短と、高と下と、音と聲と、前と後と、皆相對の名なり。相對なるものは相變ずべし〕、是を以て聖人無爲の事にり、不言のヘを行ふ〔無爲と不言は絶對なり〕、萬物おこりて辭せず〔起るにまかす〕、生じて有せず〔我がものとせず〕、爲して恃まず〔功をたのまず〕、功成りて居らず〔己が功とせず〕。夫れ唯居らず、是を以て去らず〔己が功とせざるが故に、人之を爭はず。故に其の功己を去らず〕

第三章

賢をたっとばざれば、民をして爭はざらしむ〔賢を貴べば民皆貴ばれんことを求めて相爭ふに至る故に賢を貴ばず〕、得難きのたからを貴ばざれば、民をして盜を爲さゞらしむ〔譬へば黄金を貴しとするが故に、人貪つて之を盜まんと欲す。石塊と同じく賤まば、誰か之を盜まん〕。欲すべきを見ざれば、民の心をして亂れざらしむ〔人、欲する所あれば、之を求めて其心亂るゝなり〕。是を以て聖人の治は其心を虚にして其腹を實し、其志を弱くして其骨を強くす〔心を虚くし志を弱くするは無知無欲を云ふ。腹を實し骨を強くするは素樸守眞を云〕、常に民をして無知無欲ならしめ、の智者をして敢て爲さざらしむ、無爲を爲せば則ち治らざるなし〔智者は事多し。智者をして爲さしむれば、國亂る。無爲なれば自から治まる〕

第四章

道は冲なり〔むなしき也〕、之を用ひて盈たざるあり〔滿れば則ち溢る。虚なれば其用窮まらず〕、淵乎〔ふかき也〕として萬物の宗に似たり〔其用窮まらず。故に深遠にして萬物の本たるが如きを見る〕。其鋭を挫き〔鈍なれば折れず〕、其紛を解き〔無事なれば勞せず〕、其光に和し、其塵に同す〔光あれば其光に和し、塵あれば其塵に同し、混然として自からつゝみ、敢て異を立てず〕たん〔水のたゝへてふかき貌〕として存ずるあるに似たり〔蘊蓄して外に廢せず。故に存するあるに似たりといふ〕。吾、誰の子なるを知らず〔其象の定形なきを譬ふ〕。帝〔天帝〕の先に象たり〔渾沌として存ずるが如く存ぜざるが如し。天地未だあらはれざる前に似たり〕

第五章

天地は不仁、萬物を以て芻狗〔草にてつくりたる狗の人形。祭に用ゆ〕とす〔造化は自然なり。萬物を視ること芻狗の如く、私恩あらず私親あらず〕。聖人は不仁、百姓を以て芻狗とす〔聖人も亦天地の如く自然也〕。天地の間は其れ猶たくやく〔ふいごなり〕のごとき乎、虚にしてきず、動いて愈よ出づ籥は其中空にして洞虚なるが故に、愈よ之を動かせば、愈よ風を生じて竭きず〕。多く言へばしば/〃\窮まる〔爲す所あれば、則ち錯りあり〕、中を守らんには如かず〔一を守りて爲さず〕

第六章

谷神〔虚にして靈なる者。道に譬ふ〕は死せず、是を玄牝げんひん〔玄にして萬物を生むの母〕と謂ふ。玄牝の門〔萬物由て出るの門〕、是を天地の根と謂ふ〔玄牝の門は即ち天地始まる所の根本なり〕。綿々〔長く續いて絶へざる貌〕として存ずるが如く、之を用ひて勤めず〔存ずるが如く存ぜざるが如く、而して綿々として絶えず。天地以て形し、萬物以て生ず。而かも其成るは勤めずして自から成るなり〕

第七章

天は長く地は久し。天地の能く長く且久しき所以の者は、其の自ら生ぜざるを以ての故に能く長生す〔自然に成る故に長生す〕。是を以て聖人は其身を後にして身先じ〔其身を後にすれば、人と競はず。故に人も我と競はず。故に能く先んず〕、其身を外にして身存ず〔其身を有せざれば求むる所なし。求むる所なければ其身自ら安し〕。其私無きを以てに非ずや、故に能く其私を成す〔身を後にし又外にするは私無きなり。此の如きが故に、よく身先んじ身存ずるの私自から成る〕

第八章

上善は水の若し。水は善く萬物を利して而して爭はず、衆人の惡む所に〔卑きに居る〕。故に道にちか〔水と道とは相近きもの也〕。居は善地、心は善淵、くみするものは善仁、言は善信、政は善治、事は善能、動は善時〔居、心、與、言、政、事、動、皆自から卑うして他と爭はず〕、夫れ惟爭はず、故にとがめなし。

第九章

持して之を盈たすは、其むに如かず〔盈つれば必ず傾く。足るを知て止まるにしかず〕すい〔鍛ふ〕して之を鋭くすれば、長く保つ可からず〔鋭きものは折れ易し。鈍きには若かず〕。金玉堂に滿つれば、之を能く守る莫し〔必ず驕るに至る〕。富貴にして驕れば、自ら其咎をのこ〔自ら禍をうく〕。功成り名遂げて身退くは、天の道なり〔四時の序、功成れば則ち移る。人も亦此の如くならざる可からず〕

第十章

營魄〔艶_〕を載せ、一を抱いて能く離るゝなからん乎〔神を形骸に載せて、形神離れず。即ち抱一也〕。氣を專にし、柔を致し、能く嬰兒ならん乎〔其氣純に其志柔、赤兒の如し〕。玄覽を滌除し、能く疵なからん乎〔汚垢をあらひ落して、本眞露呈、何の瑕疵なし〕。民を愛し國を治めて能く無爲ならん乎。天門開闔して能く雌〔雌雄の雌なり〕たらん乎〔萬物を生成して、而かも其雌を守りて先とならず〕。明白四達して能く無知ならん乎〔知らざる所なくして、而して知るなきを守る〕。之を生じ、之をやしなひ、生じて有せず、爲して恃まず、長じて宰せず〔道は萬物を生育すれども、而かも之を私有とせず、功を恃まず、又主宰せず〕、是を玄コと謂ふ〔知らざる所なくして、而して知るなきを守る〕

第十一章

三十輻〔車輪のヤ〕一轂〔輪心〕を共にす〔三十輻の集る所は轂にして、其中心は空虚なり〕、其の無に當りて〔其の無なる所即ち〕車の用あり〔轂は空虚なるが故によく車軸を容れ、車輪以て轉ずることを得〕しょくへて〔粘土をこねて〕以て器をつくる、其の無に當りて器の用あり〔陶器の空虚の處、物を容るべし〕。戸を鑿ちて以て室を作る、其の無に當りて室の用あり〔戸の空虚なるが故に明を入る〕。故に有の以て利をなすは、無の以て用をなせば也〔車、器、室の有なるものが人に便利なるは、無なる處ありて其用をなすが爲め也〕

第十二章

五色は人の目を盲せしめ〔視るに正を失ふ〕、五音は人の耳を聾せしめ〔聞くに正を失ふ〕、五味は人の口をたがはしめ〔味ふに正を失ふ〕、馳聘田獵(*狩猟)は人の心に狂を發せしめ〔心正を失ふ〕、得難きのたからは人の行ひを妨げしむ〔行正を失ふ〕。是を以て聖人は腹ををさめて〔内を實し、己を養ふ〕目を爲めず〔外物に役せられて其心を累はすことなし〕、故に彼〔五色五音等を指す〕を去りて此〔道也〕を取る。

第十三章

寵も辱も、驚くが若し〔寵辱相等し。辱に驚くが如く、寵にも亦驚く〕。貴きも大患も、身の若し〔榮貴と大患と相同じ。大患を憂ふるが如く、榮貴をも亦憂ふ〕。何をか寵も辱も驚くが若しと謂ふ、寵は上たり辱は下たり、之を得ても驚くが若し、之れを失ひても驚くが如し〔寵は上なれども之を得ても驚き、辱は下なれども之を失ひても驚く〕、是れを寵辱驚くが若しといふ。何をか貴きも大患も身の若しといふ、吾が大患ある所以のものは、吾が身を有するが爲めなり〔吾が身を有すれば即ち我あり。我有れば欲あり。欲あるは患の始めなり〕、吾が身を無くするに及ばゞ、吾れ何の患ひかあらん。故に貴ぶに身を以てして、天下の爲めにする者は、以て天下を寄すべし、愛するに身を以てして、天下の爲めにするものは、以て天下を托すべし〔我が身を貴ぶが如く天下を貴び、我が身を愛するが如く天下を愛するものには、天下をよせたのむに足る〕

第十四章

之れを視て見えず、名けて夷と曰ふ〔形状有るが如くにして無し〕。之れを聽て聞えず、名けて希と曰ふ〔聲有るが如くにして無し〕。之れをちて得ず、名けて微と曰ふ〔形あるが如くにして觸る可からず〕。此の三者は致詰す(*問う、穿鑿する)可らず〔依稀(*かすかな、ぼんやりした)髣髴たり。故に涯なく境なし。窮め極む可からず〕、故に混じて一となる。其の上にしてtあきらかならず〔明かといはんとすればくらく〕、其の下にしてくらからず〔くらしといはんとすれば明かなり〕ぢゃう〔かぎりなき貌〕として名くべからず、無物に復歸す。是れを無状の状、無象の象といふ〔無状にして状あり、無象にして象あり〕。是れを惚恍といふ。之れを迎へて、其の首を見ず〔前より視れば首なし〕、之れに從ひて其の後を見ず〔後より視ればしりなし〕。古の道を執りて以て今の有を御し、能く古の始を知る〔道は不變なり。今猶古の如し。今の事を治むるものは古の道なるが故に、其今をみて以て古の始を知るを得べし〕。是れを道紀といふ〔道の物を統ぶるつな〕

第十五章

古の善く士たるものは、微妙玄通〔かすかにしてふかし〕深くして識るべからず。夫れ唯識る可からず、故に強ひて之れが容を爲す〔微妙玄通にして識る可からざれども、強ひて之を形容すれば次の如し〕。豫たり、冬、川を渉るが若く〔冬の日に河をわたらんとして躊躇するに似たり〕。猶たり、四鄰を畏るゝが若く〔四隣を憚りて顧眄するが如し〕。儼として客の若く〔客の威儀を正すが如し〕くゎんとして冰の將に釋けんとするが若く〔又物に拘泥せざるは、氷のとくるに似たり〕。敦として其れ樸の若く〔あらきの如く敦厚にして飾なし〕。曠として其れ谷の若く〔谷の如くひろし〕。渾として其れ濁るが若し〔渾然として光をつゝむ〕。孰れか能く濁にして以て澄、之れを靜むれば徐ろにCからん〔濁なれども、而かも中にCを含み、之を靜むれば、徐々に澄みゆくが如き人あるか〕。孰れか能く安にして以て久、之れを動かせば徐ろに生ぜん〔安にして止まれども、而かも久しきを保ち、之を動かせば、徐々に生動すべきものを含めるが如き人あるか〕。此の道を保つ者は盈つるを欲せず〔中にCを含めども濁り、中に生を含めども安なるは、盈ちんとせざるなり〕、夫れ惟だ盈たず、故に能くひさしうして、新たに成さず〔盈つれば則ち溢る。盈ちざるが故に、能く久きに堪え、新に作るが如きことなし〕

第十六章

虚を致すこと極まり、靜を守ることあつくば、萬物並びおこるも、吾れ以て其復を觀む〔萬物遞に生じ、萬有迭に起ると雖も、其始まる所は即ち無。人虚靜なれば紛々たる外物に對しても心を擾すことなく、能く其復歸する本體の無を觀るを得〕、夫れ物うん〔しげりて多き貌〕たれども各其の根に復歸す〔物云々は即ち萬物並作なり。復歸於根は即ち其復を觀るなり〕、根に歸るを靜といふ、靜を命〔自然〕かへるといふ、命に復るを常〔不變〕といふ、常を知るを明といふ。常を知らざれば妄作して凶なり〔妄動して禍を受く〕、常を知れば〔廣く物を容るゝ也〕、容るれば乃ち公なり〔廣く包容するが故に公平にして私なし〕、公なれば乃ち王なり〔公平なるが故によく普也〕、王なれば乃ち天〔普天に同じ〕、天なれば乃ち道〔天は即ち自然なり、道也〕、道なれば乃ち久し〔道に由れば長久なり〕、身を歿をはるまであやうからず〔終身危殆なし〕

第十七章

太上は下之れあるを知る〔太上のコある者は無爲を行ふ。故に下民唯其人あるを知るのみにして、其事功を見ず〕。其の次は親しみて之れを譽む〔太上の次なる者は恩を施す。故に民之れに親み之を譽む〕。其の次は之れを畏る〔又其次なる者は威を以て臨む。故に民之を畏る〕、其の次は之れを侮る〔又其次なる者は威も亦足らずして、民之を侮るに至る〕。信足らざれば、信ぜざるあり〔信は自然の威也。愈よ下れば愈よ信足らず。信足らざれば人之を信ぜず〕。猶兮〔ためらふかたち〕として其れ言ををもくす〔故に苟くも言を出さず。出せば必ず信あるを要す〕。功成り事遂げて、百姓皆我れを自然といふ〔信によりて無爲を事とす。故に其化民に及んで民しらず〕

第十八章

大道すたれて仁義あり〔道は自然に行はる。道衰へて行はれず。故に仁義を制して人を導かざる能はざるに至る〕、智慧出でゝ大僞あり〔衡を作れば衡をぬすみ、量を定むれば量を欺くもの出づ〕、六親和せずして孝子あり〔親、子、兄、弟、夫、婦相愛するは自然也。一家和せざるに至りて孝子出づ〕、國家昏亂して忠臣あり〔國家治まれば、忠臣ありとも顯れじ。忠臣の顯るゝは國家昏亂すれば也〕

第十九章

聖を絶ち智を棄つれば、民の利百倍す〔聖人道コを制して民を率ゆ、故に矯僞起る。智者機巧を造りて民に便す、故に虚飾起る。兩者を絶棄せんには若かず〕。仁を絶ち義を棄つれば、民孝慈に復る〔孝慈は人情の自然なり。仁義は人の性をためて作りたるものなり。仁義の名を絶棄すれば、孝慈の誠にかへる〕。巧を絶ち利を棄つれば、盜賊あることなし〔巧を競ひ利を爭へば、其極や相奪ひ相竊むに至る〕、此の三者は以て文にして未だ足らずとなす〔聖智と仁義と巧利とは文なり、質足らず〕。故に屬する所あらしめ、素をしめし樸を抱き、私を少うし欲を寡うす〔文餘りありて質足らず。故に之を素樸と少私寡欲に屬せしむ〕

第二十章

學を絶てば憂ひなし〔學は智巧を啓く。智巧は爭競を啓く。爭競は憂悶のもとなり〕〔呼ばれて應ずる語にして、唯は叮重にして阿は粗野なり〕相去る幾何ぞ、善と惡と相去る何若いか〔善といひ惡といふも、其差は畢竟唯と阿との差の如きのみ〕。人の畏るゝ所は畏れざるべからず。荒として其れ未だきはまらざる哉〔道は茫として際涯なし〕。衆人は〔たのしむ貌〕として、太牢〔滋味〕くるが如く、春臺に登れるが如し〔春の日高き臺に上りて眺望するが如く樂む〕。我れ獨り泊〔しづかなり〕として其れ未だきざさざること〔外にあらはれず〕、嬰兒の未だ孩せざるが如く〔小兒の未だ智慧づかざる前の如く〕、乘々として歸する所無きが若し〔物のまゝにあてもなく行くが如し〕。衆人皆餘りあり、而して我れ獨りわすれたるが若し〔衆人は進みて出るに過ぐ。我は獨り退いて守る。忘れたる如く茫然たり〕、我は愚人の心なる哉、沌々たり〔我は愚人の如くくらし〕。俗人は昭々〔あきらかなり〕として我れ獨り昏〔くらやみ〕の若し、俗人察々〔明察〕 として、我れ獨り悶々〔心くらき貌〕、忽として其れ海の若く〔滯らざること、うみの如し〕、漂として止まる所なきに似たり。衆人皆以てするあり〔知にしてなす所あり〕、而して我れ獨り頑にして且つ鄙し〔我獨り無知にして頑愚の如し〕。我れ獨り人に異にして、而して母にやしなはるるを貴ぶ〔乳兒の如く無知なるをいふなり〕

第二十一章

孔コ〔大なるコ也〕かたちは惟だ道に是れ從ふ。道の物たる惟だこう惟だこつ〔ぽうとしたる貌〕。惚たり恍たり、其の中にかたちあり。恍たり惚たり、其の中に物あり〔無なるが如くにして其中に有あり〕。窈たり冥たり〔奧深くくらき貌〕、其の中に奄り〔不定なるが如くにして其中に定あり〕。其の艶rだ眞なり、其の中に信あり〔眞にして不變不易なり〕。古より今に及びて、其の名去らず〔永久にわたりて異なることなし〕、以て衆甫〔萬物のはじめ〕〔道は天地成り萬物生ずる其始を統ぶるものなり〕、吾れ何を以て衆甫の然るを知るや、此れを以てなり〔天地萬物のよく然る所以の者は道に依ればなり〕

第二十二章

〔偏小〕とすれば則ち全し〔曲を曲として其曲に安ずれば全と同じ〕、枉〔直からず〕とすれば則ち直し、窪〔凹處なり〕とすれば則ち盈、弊〔舊くしてやぶれたる〕とすれば則ち新、少とすれば則ち得、多とすれば則ち惑ふ〔以上謙讓にして自からを卑しうすれば、其コおのづからあらはるゝを云〕。是を以て聖人は一を抱きて、天下の式〔模範なり〕となる。自らしめさゞるが故に明かに〔衒はざるが故に自から明か〕、自ら是〔是非の是なり〕とせざるが故に彰る〔自負せざるが故に自からあらはる〕。自らほこらざるが故に功あり〔誇らざるが故に自から成る〕。自らほこらざるが故に長し〔驕らざるが故に久しきを保つ〕。夫れ惟だ爭はず、故に天下能く之れと爭ふ莫し〔見さず、是とせず、伐らず、矜らず、即ち曲と抂と窪と弊と少とに自ら居る。是れ爭はざるなり。爭はざれば、人も亦爭はず。故によく全と直と盈と新と得とある所以なり〕。古の所謂曲とすれば則ち全き者、豈虚言ならんや。誠に全くして之れに歸す〔曲とすれば、爭はざるが故に、天下おのづから之を全とす〕

第二十三章

希は自然を言ふ〔聽て聞えず。名けて希といふもの是れ〕。故に飄風は朝を終へず、驟雨は日を終へず〔大風は夕に及ぶことなく、急雨は翌日にわたらず。自然ならざるものは長からざるをいふ〕。孰れか此〔飄風、驟雨〕(*ママ)を爲す者ぞ、天地なり。天地すら尚ほ久しき能はず、而るを况んや人に於てをや〔天地之をなすも、自然ならざるものは久しからず。况んや人にして自然に因らざるものをや〕。故に道に從事する者は道に同じうす〔道に順ふものは、道のまゝにするなり〕。コはコに同じうし、失は失に同じうす〔得るも失ふも其ままにまかすを云ふ〕。道に同じうする者は、道も亦之れを得るを樂しむ〔道に同じうすとは、道を得れば道を樂むなり〕。コに同じうする者は、コも亦之れを得るを樂しむ、失に同じうする者は、失も亦之れを得るを樂しむ〔得れば其得るを樂み、失へば其失ふを樂み、其自然にまかせて得失をひとしく觀るを、同じうすと云ふなり〕

第二十四章

信足らざれば、信ぜざる有り〔信の足らざる行は、人も亦之を信ぜず〕。跂者は立たず、跨者は行かず〔つまだつ者は長く立ち得ず、大股にあるく者は長く行き得ず。跂と跨と共に信にあらず〕。自らしめす者は明ならず、自ら是とする者は彰はれず、自ら伐る(*誇る)者は功なく、自ら矜る者は長からず〔此四者共に信足らず。故に人信ぜざるなり〕。其の道にあるや、餘贅行と曰ふ〔自ら見し是とし伐矜する者は、道の上より見ればよけいなるむだものなり〕。物或は之れを惡む、故に有道者は處らず。

第二十五章

物あり混成し、天地に先つて生ず〔道は混沌たり。天地に先じて生ず〕。寂たり寥たり〔無象無聲〕、獨立して而して改めず〔絶對にして永久〕、周行〔あまねくゆく〕して而してあやふからず〔普にして安固〕。以て天下の母たるべし〔萬物これより生ず〕。吾れ其の名を知らず〔元是れ無名なり〕。之れをあざなして道といふ〔假りに道と名づく〕。強いて之れが名を爲して大といふ〔強ひて名づくれば大と稱するを得べきか〕。大を逝といひ、逝を遠といひ、遠を反といふ〔道の體は大なり。大にして而して周く行く、逝也。往て窮りなし。行く遠しと雖も、循りて又かへる、反也〕。故に道は大、天は大、地は大、王も亦大なり。域中〔天地の間〕に四大あり、而して王其の一に居る。人は地にのっとり、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。

第二十六章

重は輕の根たり〔輕は重を本とせざる可からず〕、靜は躁の君たり〔靜以て躁を鎭む〕。是を以て聖人は終日行〔輕〕けども輜重〔重〕を離れず〔身輕く旅をするときも衣食器具を載せたる車をはなさず。即ち輕は重を本とする也〕、榮觀〔躁〕ありと雖も燕處超然〔靜〕たり〔耳目を悦ばすべき觀る物ありとも超然として靜に居る。即ち靜を以て躁を制するなり〕。奈何ぞ萬乘の主にして、而して身を以て天下に輕くせん〔苟くも天下に主たる重き身を以て妄りに輕々しく動くべけんや〕。輕ければ則ち根を失ひ、躁げば則ち君を失ふ〔根を失ふは重からざるなり。君を失ふは靜ならざるなり〕

第二十七章

善行は轍迹なく〔善行は自然に順ふ。強てなすに非ず。故に之をなしたる痕跡なし。轍迹は車のわのあとなり〕、善言は瑕謫かたく〔きずのとがむべきもの〕なく、善數は籌策を用ひず〔計數の善なるものは自然に因る。計數の器を用ひず〕、善閉は關鍵なくして、而して開くべからず〔善く閉ぢたる者は錠をおろさゞれども開くことあたはず〕、善結は繩約なくして、而して解くべからず〔結ぶの善きものは、繩などでしばらずして、解くことのできぬもの〕。是を以て聖人常に善く人を救ふ、故に棄人なし〔一視同仁、故に如何なる人も皆用ゆべし〕。常に善く物を救ふ、故に棄物なし〔物の自然に因る故に皆用ゆべし〕。是れを襲明〔明をつゝむ。察々ならざるなり〕と謂ふ。故に善人は不善人の師にして、不善人は善人の資なり〔資はたすけなり〕。其師を貴ばず、其資を愛せずば、智と雖も大に迷ふ〔善人固より貴ぶべし。不善人も亦愛すべし。善不善共に棄てず〕、是れを要妙〔互に相濟ふの妙あるなり〕と謂ふ。

第二十八章

其雄を知りて、其雌を守れば〔雄の強きを知りながら雌の弱きを守る〕、天下の谿〔谿は卑き地なり。卑きにおれば人と争はず〕となる。天下の谿となれば、常コ離れず〔卑きに居れば其コ全し〕、嬰兒に復歸す〔雌の極は赤兒なり〕。其白〔明なり、智なり〕を知りて、其K〔昏なり、闇なり〕を守れば、天下の式となる〔天下の模範なり〕、天下の式となれば、常コたがはず〔式たるが故に違はず〕、無極〔Kの極は無極なり〕に復歸す。其榮を知りて、其辱を守れば〔貴をさけて賤に居る〕、天下の谷となる〔谷は空虚の地をいふ〕、天下の谷となれば、常コ乃ち足る〔虚しきが故に乃ち足るなり〕、樸に復歸す〔辱の極は樸なり〕。樸散すれば則ち器となる〔あら木をきりわれば器物となる。器となれば各其用あり〕。聖人之を用ひて則ち官長とす〔其器の用に從ふて百官を制す〕、故に大制はかず〔大きくこなして細にさかず〕

第二十九章

天下を取りて、而して之をおさめんと將欲〔もとむ〕する者は、吾れ其得ざるを見るのみ。天下は神器なり。爲む可らざる也。爲す者は敗れ、執る者は失ふ〔とらんとし、なさんとすれば失敗す〕。凡そ物、或は行き或は隨ひ〔先に行くものあれば、後に隨ふものあり〕、或はし或は吹き〔吸ふ息あれば、吹く息あり〕、或は強く或はよわ〔強きものあれば、弱きものあり〕、或はせ或は〔載するといふことあれば、墮つるといふことあり〕。是を以て聖人は、甚を去り、奢を去り、泰を去る〔此くの如く相對の物は必ず相伴ふが故に、爲せば又必ず敗るゝことあり。故に聖人は無爲を尚び、盈つるを嫌ふ。甚、奢、泰は皆すぎたるなり〕

第三十章

道を以て人主を佐くる者は、兵を以て天下に強たらず。其の事はせんを好む〔遷は旋るなり。爾に出でたるものは爾に反るなり〕。師のとゞまる所、荊棘生じ〔地荒るるなり〕、大軍の後必ず凶年あり〔五穀みのらず〕。故に善なる者は果のみ〔果はなしはたすなり〕、敢て以て強を取らず〔已むを得ずして決す。強からんがために非ず〕。果にして矜るなく、果にして驕るなし、果にして已むを得ず、是を果にして強たるなしと謂ふ〔已むを得ざるに及んで決するを、果にして強たらずと云〕。物壯んなれば、即ち老ゆ〔強なれば則ち衰ふ〕、是れを非道と謂ふ、非道は早く〔衰へやすし〕

第三十一章

夫れ佳兵〔兵は刀刄を云ふ。佳兵とはよき兵器也〕は不祥の器〔凶器なり〕。物或は之を惡む〔忌むべきもの也〕。故に有道のものは處らず。是れを以て君子の居は則ち左を貴ぶ、用兵は則ち右を貴ぶ、兵は不祥の器にして君子の器に非ず〔君子は平居左を貴ぶ。用兵には右を貴ぶ。即ち兵は君子の器にあらず〕。已むを得ずして之れを用ふ。恬淡を上と爲し、勝てども美とせず、而るに之を美とするは、是れ人を殺すを樂しむなり〔勝つことを喜ぶは、人を殺すを樂しむなり〕。夫れ人を殺すを樂しむ者は、以て志を天下に得べからず。吉事は左をたっとび、凶事は右を尚ぶ。是を以て偏將軍〔一方の將〕は左に居り、上將軍〔全軍の將〕は右に居る〔戰は人を殺すものなるが故に凶事なり。故に右を尚んで上將軍は右に居り、偏將軍は左に居る也〕。右の上勢に居るは、則ち喪禮を以て之に處るなり〔上官のものの右に居るは、即ち喪禮同樣とすればなり〕。人を殺すこと衆多、悲哀を以て之に泣く。戰勝てば喪禮を以て之に處る〔戰勝ては人を殺すこと多きが故に、之を哀んで喪の禮を行ふ〕

第三十二章

道は常にして無名。樸は小と雖も、天下能く臣とせず。侯王若し能く之を守らば、萬物將に自ら賓たらんとす〔治者にして能く樸を守らば、萬物自から來り服せん〕。天地相合して以て甘露を降し、民之をせしむるもの莫くして、自ら均し〔王者道を守れば、天地の氣自ら相和して甘露を降し、人民亦無爲に化して不平不公なし〕。始めて制すれば名あり〔樸をきりわりて、茲に名を生ず〕。名亦既に有れば、夫れ亦將に止まるを知らんとす〔既に名を生ずれば、事物繁多、行て窮まる所なからんとす。故に止まる所を知らんことを要す〕。止まるを知るはあやふからざる所以〔樸を失へば危し。止まる所を知れば危からず〕。譬へば道の天下にあるは、猶ほ川谷の江海に於けるが如し〔道あれば天下之に歸すること、猶川谷の江海に歸するが如し〕

第三十三章

人を知る者は智、自ら知る者〔自らの分を知る〕は明〔智は迷ふことあり。明は迷はず〕。人に勝つ者は力〔力を以てするものは方竭くれば敗る〕、自ら勝つ者は強〔己に克つは人に勝つよりも難し〕。足るを知る者は富み〔自ら知るものは即ち足るを知るなり。足を知ものは貧賤と雖も富貴に同じ〕、行ふに強き者は志あり〔自ら勝つものは、即ち行ふに強きものなり。力を以て勝たずして、志を以て勝つなり〕。其所を失はざる者は久しく〔居るべき處に居り、敢て妄行せざれば長久なり〕、死して而して亡びざる者はいのちなが〔其形骸は死するも、艶_滅びざれば、長壽と同じ〕

第三十四章

大道ははん〔水のあふるゝ貌〕たり、其れ左右すべし〔大道は水の如く、左にゆかしむべく、又右にゆかしむべし〕。萬物之を恃みて以て生ずれども、辭せず〔萬物道に由りて生ずれども、道は其生ずるにまかせて避けず〕、功成れども名とし有せず〔萬物のなすべき所を成し得るは、道の力なれども、道は之を我が物となさず〕、萬物を愛養して而して主たらず〔道は萬物を愛育すれども、其主たらんとせず〕。常無欲、小に名く可し〔斯く道が辭せず、有せず、主たらざる、無欲の方よりみれば、小なりといふも可なり〕。萬物之に歸して、而して主たらざるは、大に名く可し〔然れども萬物は皆道に由らざることなきに、道が之を統べて而かも之を統ぶるの形なきよりいへば、大といふも又可。小と名づくべく、又大と名づくべし。即ち道の左右すべき所以也〕。是を以て聖人終に大を爲さず、故に能く其大を成す〔聖人は道に從ふ。故に大をなすといふことなく(常無欲なり)して自から大なり(萬物これに歸する也)〕

第三十五章

大象〔無象の象也。大道なり〕を執て天下に往く、往て而して害せず〔聖人大道に由りて天下を治む。無爲にして化するが故に、治むれども民を害せず〕安平泰〔天下自から安泰なり〕、樂と餌と過客止まる〔音樂と滋味とには旅客も亦足をとゞむれども、其止まるは一時也〕、道の口より出る、淡として其味なし〔道は樂餌と同じからず、淡泊無味なり〕、之を視て見るに足らず、之を聽て聞くに足らざれど、之を用ひてつくすべからず〔樂餌は耳目口腹を樂しましむれども一時なり。道は無形無象なれども、之を用いて竭くることなし〕

第三十六章

將に之ををさめんと欲すれば、必ずもと之を張る。將に之を弱めんと欲すれば、必ず固之を強くす。將に之を廢せんと欲すれば、必ず固之を興す。將に之を奪はんと欲すれば、必ず固之を與ふ〔張りたるものは縮み、強きものは折れ、興りたるものは廢たれ、得たるものは失ふは、物の自然也。故に張りたるもの、強きもの、興りたるもの、得たるものと相爭はんよりは、其まゝに任せて自然に縮まり、弱まり、廢たり、失ふを待つに如かず〕。是れを微明と謂ふ〔自然の理の微妙なる者〕。柔は剛に勝ち、弱は強に勝つ〔剛強を以て剛強と爭はずして、其自然に衰ふるを待つ。是れ柔弱を以て剛強に勝つ所以也〕。魚は淵を脱すべからず〔魚淵にあるは自然、故に淵を脱せずば柔も亦剛〕、國の利器は以て人に示すべからず〔兵刄の威を以て臨むは、強を恃む也。強を恃むものは敗る。故に天下を治むるには、兵刄を藏して出す可からず〕

第三十七章

道は常無爲にして、而して爲さゞることなし。侯王若し能く守らば、萬物將に自ら化せんとす〔無爲なれば、拱手して天下自ら其コに化す〕。化して而して作さんと欲するあらば、吾れ將に之を鎭むるに無名の樸を以てせんとす〔萬物自ら化せるに、猶爲す所あらんとするは、功名を求むる也。故に其動念を鎭むるに自然の樸なるを以てす〕。無名の樸は夫れ亦將た無慾なり、無慾にして以て靜かなれば、天下將に自ら定まらんとす〔無名の樸は即ち無慾なるが故に、此を以て有爲の心を鎭むれば、靜にして天下自ら定まる〕

第三十八章

上コはコあらず、是を以てコあり〔爲すなくして自然に因るのみ。而して其コ自づから行はる。是を上コとなす〕。下コはコを失はず、是を以てコなし〔コを固執す、有心なり、故に私あり。故にコなしと云ふ〕。上コは爲すなくして、而して以て爲すなく〔無爲にして自ら化す〕、下コは之を爲して、以て爲すあり〔有爲にして功に居る〕。上仁は之を爲して、而して以て爲すなく〔上仁は博く愛して偏私なし。故に爲すあれども爲すなきなり〕、上義は之を爲して而して以て爲すあり〔義は制裁して上下親疎の別を正す所以。故に爲して爲すあるなり〕。上禮は之を爲して、而して之に應ずる莫ければ、則ち臂をかゝげて〔腕まくりをして〕、而して之を〔禮は形を以て人に示す者なり。而して我の他に對して禮を行ふは、他の又我を禮せんことを欲するなり。故に他之をなさゞれば之を強ふ〕。故に道を失ふて而して後にコ、コを失ふて而して後に仁、仁を失ふて而して後に義、義を失ふて而して後に禮〔太古醇樸の世は、人唯自然に因るのみ。既にして世降り、智進めば、人々相爭ふ。乃ち倫道を制して人の由る所を定む。倫道以て人の奸を治むるに足らざるに至りて、乃ち法律あり。刑罰之に伴ふに至る〕。夫れ禮は忠信の薄にして、而して亂のはじめなり〔忠信の心薄きに至て禮なるもの制せらる。禮を制するに至るは、即ち亂るゝの始なり〕、前識は道の華にして、而して愚の始めなり〔前識とは人に先だちて識るなり。智を竭して相競ふは、道の華にして道の實にあらず。竟に愚の始たるのみ〕。是を以て大丈夫は其厚〔忠信〕に處りて其薄〔禮〕に居らず、其實〔道〕に處て其華〔智〕に居らず。故に彼れを去つて此れを取る。

第三十九章

はじめの、一を得る者は〔一とは對待するものなき絶待也。即ち道也。又物の極にして數の始め也。萬類は一に始まる〕、天一を得て以てCく、地一を得て以て寧く、神一を得て以て靈に、谷一を得て以て盈ち、萬物一を得て以て生じ、侯王一を得て以て天下の貞〔正しきなり〕たり。其の之を致すは一なり。天以てCきことなくんば〔一を得ざれば〕、將に恐らくは裂けんとす。地以て寧きことなくんば、將に恐らくはひらかんとす。神以て靈なるなくんば、將に恐くはまんとす〔其靈妙を失ふ〕。谷以て盈つるなくんば、將に恐らくはきんとす〔枯竭せん〕。萬物以て生ずるなくんば、將に恐くは滅びんとす。侯王以て貞なるなくして、而して貴高ならば、將に恐らくはつまづかんとす〔侯王貞正のコなくして位のみ高貴に居らば、蹉跌あらん〕。故に貴は賤を以て本となし、高は下を以て本となす。是を以て侯王自ら孤寡不穀と謂ふ〔天子ゥ侯は自ら稱して孤と云ひ、寡人と云ひ、不穀と云ふ。謙して賤きに居るなり〕。此れ其賤を以て本とするに非ずや。故に車を數ふるを致せば車なし〔車を分稱して、これは輪なり、これは輻なり、これは轂なりといへば、終に車といふものなきに至る。車といふ全きものを一と見て始めて車の用あるなり〕。碌々として玉の如く、落々として石の如くなるを欲せず〔一を得ざるを云ふ也。玉や石の離れ離れにごろ/\と轉がるが如きを欲せざるなり〕

第四十章

〔復歸なり〕は道の動にして〔道の動くは、進むに非ずして退くにあり。行かずしてかへるにあり。常に有より無に反る〕、弱は道の用なり〔道のはたらきは強くして勝つにあらずして、弱くして勝つにあり〕。天地の物は有に生じ、有は無に生ず。

第四十一章

上士は道を聞きて、勤めて而して之を行ひ〔之を信ずるなり〕、中士は道を聞きて、存するが若く、うしなふが若し〔半ば信じ半ば疑ふ〕、下士は道を聞きて、大に之を笑ふ〔全く信ぜず〕。笑はざれば以て道となすに足らず〔下士の笑はざるが如きものは、眞の道にあらず〕。故に建言〔古語〕に之れあり、明道は昧きが若く〔道は明なれども、つゝむが故にくらきが如し〕、進道は退くが若く〔道は反るにあり。故に其進むは即ち退くが如し〕、夷道はるいなるが若し〔道は平なれども、之を平かにするに、其自然にまかせて高は高のまゝ、低は低のまゝに存するが故に、却て偏倚あるに似たり〕。上コは谷の若く〔コをコとせざるが故に、谷の虚しきが如し〕、太白はけがれたるが若く〔大に白きは、其Kを守るにあり。故にれたるが如し〕、廣コは足らざるが若く〔廣コは盈ちざるにあり〕、建コはならぶが若く〔コある者は固執して爭ふことなきが故に、コは獨立なれども却て物とならぶが如し〕、質直はおろかなるが若し〔質直なるものは愚のごとし〕。大方は隅なく〔四角の大なるはかどのなきと同じ〕、大器は晩成す〔大なる器は成ることをそし〕、大音は希聲〔極て大なる音は無聲に同じ〕、大象は無形なり。道は隱れて名なし、夫れ唯だ道のみ善く貸し且つ成す〔道は萬物の中に寓して其力をかし、且つ之を生成すれども、道其者は隱れて名なし。名なく形なきが故に、成すの迹なく、又其功は自ら居らず。即ち善く貸し、且つ成すなり〕

第四十二章

道は一を生じ〔無極にして太極なり。一は無に生ず〕、一は二を生じ〔既に一あれば此にならぶものあり。即ち二をなす〕、二は三を生じ〔譬へば男と女とあれば、茲に子を生むが如し〕、三は萬物を生ず〔既に三あれば、則ち萬物生ず〕。萬物は陰を負ふて陽を抱き、冲氣以て和を爲す〔萬物は陽の剛なるを内に抱きて陰の柔なるを外に負ひ、虚冲(溢盈ならざる)の氣によりて相和す〕。人の惡む所は惟だ孤寡不穀〔孤と寡は單獨、不穀はみのらざるなり〕、而かも王公以て稱となす〔謙に居るなり〕。故に物或は之を損ずれどもuし、或は之をuせども損す〔謙遜卑下すれば却て人に敬はれ、自ら伐誇すれば却て人に惡まる〕。人のヘふる所、我れ亦之をヘゆ。強梁の者其死を得ず〔強きものは滿足な死かたをせず〕、吾れ將に以てヘの父たらんとす。

第四十三章

天下の至柔は天下の至堅と馳聘し〔至柔なるもの、能く至堅なるものと相競ふに足る〕、無有は無間に入る〔無形なればよく間隙なきに入る〕、吾れ是を以て無爲のuあるを知る。不言のヘ、無爲のu、天下之に及ぶもの希なり。

第四十四章

名と身と孰れか親しき〔人多く身を危して名を求む。知らず、名と身といづれか我に親しき〕、身と貨と孰れか多き〔再び得べからざる身を危くして貨を貪る。身と貨と孰か多き〕、得と亡と孰れかやましき〔物を得んとするに心を勞する。失ひたるに比して、孰か苦しきや〕、是の故に甚だ愛すれば必ず大に費え、多く藏すれば必ず厚くうしな〔甚だ愛し多く藏せんとすれば、人と爭はざる可からず。人も亦之を求めて我と爭ふが故に、大に費え厚く亡ぶことあり〕。足るを知れば辱しめられず、止まるを知ればあやふからず、以て長久なるべし。

第四十五章

大成は缺くるが若くにして、其用やぶれず〔巧まずして成るものは、局部より見れば缺けたるが如くなれども、全體より見て完全なるが故に、久しきに堪えてやぶれず〕、大盈はむなしきが如くにして、其用窮まらず〔盈ちて溢れざるものは、虚しきが如くなれども、其溢れ去らざるが故に、用いてつくることなし〕。大直は屈めるが若く〔大直は直きを求めず。故に屈める若し〕、大巧は拙きが若く〔大巧は巧まず。故に拙きが如し〕、大辯はとつの若し〔大辯は辯を弄せず。故に訥なるが如し〕。躁は寒に勝ち、靜は熱に勝つ、C靜は天下の正たり〔躁なれば熱す。熱すれば則ち正を失ふ。靜は熱に勝つべし。故に靜は天下の正なり〕

第四十六章

天下道あれば、走馬をしりぞけて以て糞す〔戰なきが故に、馬を要せずして耕作を力む〕、天下道なければ、戎馬郊に生む〔兵結んで解けず。車馬戰場に子を生むに至る〕。罪は欲すべきより大なるはなく、禍は足るを知らざるより大なるはなく、咎は得るを欲するより大なるはなし。故に足るの足るたるを知れば常に足る〔慾なく貪らざれば、其足る所に滿足するが故に、足らざることなし〕

第四十七章

戸を出でずして天下を知り、まどを窺はずして天道を知る〔道は外にあらず〕。其出づること彌よ遠ければ、其知ること彌よ少なし〔學問智識によりて道を知らんとすれば、彌々學んで彌々失ふ〕。是を以て聖人は行かずして而して知り、見ずして而して名づけ、爲さずして而して成る〔道に因るなり〕

第四十八章

學を爲せば日にuし、道を爲せば日に損す〔學をなすは智を増す所以。博きを貴ぶ故に、日々に多きを加へんとして心を費し、道をなすは自然に復る所以、約を貴ぶ故に、日々に少きを致して神を養ふ〕。之を損して又損し、以て無爲に至る〔抑損し抑損して、終に無爲に至るなり〕。無爲にして、而して爲さゞるなし。故に天下を取るに常に事なきを以てす〔無事なるが故に、天下來り服す〕、其事あるに及んでは以て天下を取るに足らず。

第四十九章

聖人は常の心なし、百姓の心を以て心となす〔公に順ふなり〕。善なる者は吾れ之を善とす、不善なる者をも吾亦之を善とす、コ善なればなり。信なる者は吾れ之を信とす、不信なる者をも吾亦之を信とす、コ信なればなり〔無心にして對す。故に善不善、信不信なし〕。聖人の天下に在る、きゅう歙として天下の爲めに其心をにご〔聖人は察々ならず。其聰明をつゝみて心をにごし、以て百姓の心を心とするにつとむ〕。百姓は皆其耳目を注ぐ、聖人皆之をがいにす〔民は耳目を外物に注ぎて心を動かし、聖人は赤兒の如く無心なり〕

第五十章

出れば生、入れば死〔生は出づるなり。死は入るなり〕。生の徒十に三あり〔體質健強にして天壽の長かるべきもの、十中に三あり〕、死の徒十に三有り〔體質羸弱にして夭折すべきもの、又十中の三〕、人の生くべくして、やゝもすれば死地にく者亦十に三有り〔體質強健にして、而かも夭折するもの又十中三あり〕。夫れ何の故ぞ、其生を生とするの厚きを以てなり〔あまりに身を愛して、之をいとふにすぐるが爲めに、生くべくして死する也〕。蓋し聞く、善く生を攝する者は〔攝はとゝのふなり〕、陸行して虎に遇はず、軍に入りて甲兵を被らず〔傷をうけず〕も其角を投ずる所なく、虎も其爪をく所なく、兵も其刄を容るゝ所なし。夫れ何の故ぞ、其死地なきを以てなり〔至コの者は、神完し、猛獸も犯す能はず、刀刄も刺す能はず〕

第五十一章

道之を生じ、コ之をやしなひ、物之を形し、勢之を成す〔之を生ずるは道なり、長ずるはコなり、物として現れ、勢によりて成る〕。是を以て萬物道を尊びて、而してコを貴ばざるはなし。道の尊きと、コの貴きとは、夫れ之を爵するなくして、常に自ら然り〔何ものも尊貴の位を之に與へたるには非ず〕。故に道之を生じ、コ之を畜ひ、之を長じ、之を育し、之を成し、之を熟し、之を養ひ、之をおほ〔覆ふは庇し守るなり〕。生じて而して有せず、爲して而して恃まず、長じて而して宰せず、是れを至コと謂ふ〔道コ萬物を生長養育成熟して、而して自ら其功に居らず〕

第五十二章

天下始めあり、以て天下の母たり〔道は造化の始めなり。既に始めあれば、茲に萬物生ず。即ち天下の母なり〕。既に其母を得て、以て其子を知り〔道は母なり、萬物は子なり。道は本にして物は末たるを知る〕、既に其子を知りて、復た其母を守れば〔道の一を守り、外物の多に役せられず〕、身を沒るまで殆ふからず。其たいを塞ぎ其門を閉づれば、終身勤めず〔兌は口なり。口を緘ぢて言はざるが如く、門を閉ぢて出でざるが如く、其心外物を逐はざれば、形神勞れず〕、其兌を開き、其事をせば、終身救はれず〔耳目聲色の慾に徇へ、紛々たる多事をなせば、禍必ず至る〕。小を見るを明と曰ひ、柔を守るを強と曰ふ。其光をもって其明に復歸せば〔光を生ずる本體を明といふ。光は子なり、明は母なり。子を知りて母を守る也〕、身の殃を遺すなし、是れを襲常と謂ふ〔襲は重ぬる也。反復常にかへるなり〕

第五十三章

我をして介然〔小さき分別あるをいふ〕として知ならしめば、大道を行ふに、唯だ施すを是れ畏れん〔小知あらば、道を行ふにも作爲する所あらん〕。大道は甚だたいらかにして、而して民こみちを好む〔大道坦々たるに、人之に由らずして邪徑に入る〕。朝甚だ除すれば、田甚だれ、倉甚だ虚し〔朝廷修整にすぐれば、民の田あれ、倉庫の儲なきに至る〕。文綵を服し、利劍を帶び、飮食に厭き、財貨餘りあり、是れを盜夸と謂ふ〔民の物を奪て、其身を飾り、其身を富まし、其驕を縱にす。盜に非ずして何ぞ〕。非道なる哉。

第五十四章

善く建つ者は拔けず、善く抱く者は脱せず。子孫以て祭祀してまず〔コ子孫に及ぶ〕。之を身に修むれば、其コ乃ち眞、之を家に修むれば、其コ乃ち餘る、之を郷に修むれば、其コ乃ち長し、之を國に修むれば、其コ乃ちゆたか、之を天下に修むれば其コ乃ち普し。故に身を以て身を觀、家を以て家を觀、郷を以て郷を觀、國を以て國を觀、天下を以て天下を觀る〔己を以て他を觀る。道は一にして異なる所なし〕。何を以て天下の然るを知るや。此れを以てなり。

第五十五章

含コの厚きものは、赤子に比す〔コを外にしめさずして内に藏す。故に含むといふ。藏して内につむ。故に厚しといふ〕。毒蟲も螫さず、猛獸も據らず、かく鳥もたず〔我に爭氣なし。故に毒虫猛獸亦我を害せず〕。骨弱く、筋柔かにして、而して握ること固し〔柔弱にして而かも道を守るの固きこと、猶小兒の骨弱筋柔にして拳を握る如し〕。未だ牝牡の合を知らずして而してすい〔赤子の陰部をいふ〕おこるは、奄フ至なり〔無慾なれども、自ら起る〕、終日さけびて而してしはがれざるは、和の至りなり〔號泣すれども聲かれず〕。和を知るを常と曰ひ、常を知るを明と曰ひ、生をuすを祥と曰ひ、心、氣を使ふを強と曰ふ〔氣、心を使へば暴に陷る。心、氣を使へば眞に強し〕。物壯んなれば則ち老ゆ、是を不道と謂ふ、不道は早くく。

第五十六章

知る者は言はず、言ふ者は知らず〔道は絶對にして思議を絶す。知るべくして言ふ可らず〕。其兌を塞ぎ〔兌を塞ぐは、兌は口なり、默するなり〕、其門を閉ぢ〔冥を守る〕、其鋭を挫き、其紛を解き、其光に和し、其塵に同じくす、是を玄同と謂ふ〔明をしめさず、異を立てず、玄にして同なり〕。得て親しむべからず、得て踈んずべからず、得て利すべからず、得て害すべからず、得て貴ぶべからず、得て賤しむべからず〔親あれば疎あり、利あれば害あり、貴あれば賤あり。相待の者は皆然り。唯道は親疎利害貴賤を超絶す〕。故に天下の貴たり。

第五十七章

正を以て國を治め、奇を以て兵を用ひ、無事を以て天下を取る〔國を治むるには法度の正を以てし、兵を用ふるには謀策の奇を以てす。無事なれば天下を服す〕。吾れ何を以て其然るを知るや、此を以てなり。夫れ天下忌諱多く〔上なるもの威を弄して法禁多し〕して、而して民彌々貧しく、人利器多くして國家滋々ます/\昏く〔斗斛權衡符璽等の器をつくつて民に利せんとすれば、民之がために相爭ふ〕、人技巧多くして奇物滋々起り〔智巧多ければ、奇異無用の物を作る〕、法令滋々あきらかにして盜賊多くあり〔法密なれば、彌々奸僞を長ず〕。故に聖人云ふ、我れ無爲にして而して民自ら化し、我れ靜を好んで而して民自ら正しく、我れ無事にして而して民自ら富み、我れ無慾にして而して民自ら樸なりと。

第五十八章

其政悶々〔法令章ならず、忌諱多からず〕たれば其民醇々たり〔敦厚純樸〕、其政察々〔苛察酷薄〕たれば其民缺々たり〔常に怨を抱て足らざる所あるが如し〕。禍は福の倚る所、福は禍の伏す所、孰れか其極を知らん、其れ止るなし〔禍轉じて福となり、福轉じて禍となる。禍福相倚りて止る所なし〕。正復た奇となり、善復た妖となる〔正にすぐれば奇にかへり、善にすぐれば妖にかへる〕。民の迷へる、其日まことに久し。是を以て聖人方なれども割かず〔四角なれども角立たず〕、廉なれどもらず〔かどあれども尖らず〕、直なれどものび〔すぐなれども、のびすぎず〕、光れども耀かゞやかず〔光あれども、其光をつゝむ〕

第五十九章

人を治め、天に事ふるは、しょくに如くはなし〔嗇はおしむなり、費す所少きをいふ。抑損する所ありて、太だ過ぎざるに止まるなり〕。夫れ惟だ嗇、是れを早復と謂ふ〔嗇は過ぎざるなり。故に未だ遠きに至らずして早くかへる〕。早復之を重積コと謂ふ〔嗇は費すをおしむ故に、重ね積むを得〕。重積コなれば則ち克たざるなし〔重積なれば則ち餘あり。能くせざることなし〕。克たざるなければ、則ち其極を知るなし〔能くせざることなければ、則ち窮まる所なし〕。其極を知るなければ、以て國をたもつべし。國を有つの母は、以て長久なるべし〔嗇なれば國を有ちて極りなし、即ち長久なる所以の母なり〕。是を根を深くし、ていを固くすと謂ふ〔嗇なれば根抵固し〕。長生久視の道なり〔嗇は費すことをおしんで用ひつくさず。故に常に餘ありて重積し、竭くることなし。故に長きにわたりて存ずるを得〕

第六十章

大國を治むるは小鮮を烹るが若し〔小魚を煮るには攪亂すべからず。大國を治るも亦此の如し。政は悶々(*前出)たらざる可からず〕。道を以て天下にめば其鬼、神ならず〔死靈祟をなさず。物に妖なき也〕。其鬼の、神ならざるにあらず、其神、人をそこなはざるなり〔死者に靈なきに非ず。其靈人を傷はず〕。其神のみ人を傷はざるに非ず、聖人亦人を傷はず。夫れ兩つとも相傷はず〔幽にありては神、明にありては聖人、共に人を傷はず〕、故にコ交々歸す。

第六十一章

大國は下流なり〔小國皆來り服すること、水の下流に注ぐ如し〕、天下の交なり〔天下茲に會集する也〕、天下の牝なり〔柔なれども、天下こゝに子來す〕。牝は常に靜を以て牡に勝つ、靜にして下るを爲すを以てなり〔牝の柔よく牡の剛にかつは、靜を以てなり。靜なればよく下る故に、物之に歸す〕。故に大國以て小國に下れば、則ち小國を取り〔小國來り附く〕、小國以て大國に下れば、則ち大國に取らる〔大國之を納る〕。故に或は下つて以て取り〔大國〕、或は下つて以て取らる〔小國〕。大國は人を兼ねやしなはんと欲するに過ぎず〔取るを欲す〕、小國は入りて人につかへんと欲するに過ぎず〔取らるゝを欲す〕。夫れ兩者各々其の欲する所を得〔大國の欲する所は、天下を兼ね治むるにあり。小國の欲する所は事へ服するにあり。而してよく下れば、各々其欲する所を得〕。故に大なる者は宜しく下るを爲すべし。

第六十二章

道は萬物の奧なり、善人の賓にして、不善人の保つ所なり〔道は善人、不善人ともに之に由る〕。美言は以てるべく、尊行は以て人に加ふべし。人の不善なる、何の棄つることか之れあらん〔言の美なるあれば、人就て之を求め、行尊きあれば、人之に服す。コは孤ならず。何ぞ人の不善を棄てん〕。故に天子を立て、三公を置く、拱璧〔一かかへの珠〕あり、以て駟馬を先んずと雖も、座して此の道に進むに如かず〔天子三公の尊に處り、拱璧を捧げて駟馬を驅らんよりは、坐ながら道に進むに若かず〕。古の此の道を貴ぶ所以の者は何ぞ。以て求むれば得、罪ありて以て免かると曰はずや〔道之を求むれば得ざることなし。罪ありと雖ども、道を求むるものは其罪滅びてよく免るを得〕。故に天下の貴たり。

第六十三章

無爲を爲し、無事を事とし、無味を味ふ。小を大とし、少きを多しとす〔爭はず、競はず。故に小も亦大、少も亦多〕。怨に報ゆるにコを以てす〔怨を怨とせず〕。難きを其易きに圖り、大を其細になす〔未だ難からざる前にはかり、未だ大とならざる前になす〕。天下の難事は必らず易きよりおこり、天下の大事は必らず細より作る〔難事も其始は易く、大事も其始は細〕。夫れ輕諾は必らず信寡し〔安うけあいにまことなし〕。易きこと多ければ必らず難きこと多し〔易しとして輕んずれば、成り難し〕。是を以て聖人猶ほ之を難ず、故に終に難きことなし〔忽がせにせず。故に成らざることなし〕

第六十四章

其安きは持し易く〔未だ傾かざるに之を支ふるは易し〕、其未だきざさざるは謀り易く〔未だ現れざる前なれば、之を防ぎやすし〕、其脆きはけ易く、其微なるは散じ易し。之を未だ有らざるに爲し、之を未だ亂れざるに治む〔起らざる前になし、亂れざる前に治むれば易し〕。合抱〔ひと抱へ〕の木は毫末より生じ、九層の臺は累土より起り、千里の行は足下に始まる。爲す者は之を敗り、執る者は之を失ふ〔心に求むる所あれば却て失敗す〕。是を以て聖人は爲すなし、故に敗るゝことなし。執るなし、故に失ふことなし。民の事に從ふや、常にほとんど成るに於て、而して之を敗る。終りを愼しむこと始めの如ければ、則ち敗るゝ事なし〔終を愼まざるが故に、まさに成らんとして其事敗る〕。是を以て聖人は欲すれども欲せず、得難きの貨を貴ばず〔欲すれども欲せざるが如し。得難きの貨を貴ばず〕、學べども學ばず、衆人の過ぐる所に復る〔學べども學ばざるが如し。多聞博識をつとめず、衆人の過ぎて顧みざる自然にかへる〕、以て萬物の自然を輔けて、而して敢て爲さず〔私意を以て作爲せず、自然の道に順ふ〕

第六十五章

古への善く道をおさむる者は、以て民を明かにするにあらず、將に以て之を愚にせんとするなり〔明は多智なり、巧詐なり。愚は無知なり、樸素なり〕。民の治め難きは、其智多きを以てなり〔多智なれば奸僞多し、治めがたき所以なり〕。智を以て國を治むるは、國の賊なり〔文を繁くし法を密にして民にのぞめば、民も亦僞を飾り詐を構へて之を避く。國u々亂る〕。智を以て國を治めざるは國の福なり。常に此の兩者を知れば亦稽式たり〔稽式とは法則なり、則とり遵ふべきもの〕。能く稽式を知る、是れを玄コと謂ふ。玄コは深し、遠し、物と反す〔物は末を逐ふて往き、道は本に復歸す、其眞にかへる也〕。而る後乃ち大順に至る〔其物と反する所、即ち自然に順ふ所以なり〕

第六十六章

江海の能く百谷の王たる所以は、其善く之れに下るを以ての故に、能く百谷の王たり〔百川の江海に注ぐは、其の卑きに就くなり〕。是を以て聖人、民に上たらんと欲すれば、必らず言を以て之に下る〔謙なれば、民之を擧ぐ〕。民に先んぜんと欲すれば、必らず身を以て之におく〔讓れば、民之を推す〕。是を以て聖人は上にりて而して民重しとせず、前に處りて而して民害とせず〔謙なるが故に、上に居れども、民之ををもしと感ぜず。讓るが故に前に居れども、民之を妨なりとせず〕。是を以て天下推すことを樂んで、而して厭はず〔天下聖人を推擧して之を戴き、之に從ふを樂しむ〕。其爭はざるを以ての故に、天下能く之れと爭ふ莫し。

第六十七章

天下皆我が道大にして、不肖に似たりと謂ふ〔世間尋常のものと肖ずといふ〕。夫れ惟だ大なり、故に不肖に似たり。若したらば、久しいかな、其細なることや〔肖ざるは大なるが爲めにして、若し肖たらば、既に小なるなり〕。我に三寳あり、持して而して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く儉、三に曰く敢て天下の先たらず〔謙にして爭はず〕。慈なり、故に能く勇〔柔なるが故に挫けず、勇なり〕。儉なり、故に能く廣し〔足るを知る故に窮まらず、廣なり〕。敢て天下の先たらず、故に能く器の長と成る〔人に先ぜざれば、人之を推す。故に官の長となる〕。今慈をてゝ且つ勇に、儉を舍てゝ且つ廣く、後を舍てゝ且つ先んぜば、死せん矣。夫れ慈なり、以て戰へば則ち勝ち、以て守れば則ち固し。天の將に之を救はんとする、慈を以て之を衞る〔天道人を濟ふに慈を以てす〕

第六十八章

善く士たる者は、武ならず〔強暴にして人を凌ぐを武といふ〕、善く戰ふ者は、怒らず、善く敵に勝つ者は、爭はず、善く人を用ゆる者は、之が下と爲る〔身を卑うして人にくだる〕。是れを爭はざるのコと謂ひ、是を人の力を用ゆと謂ひ〔人に下るは、即ち人の力を用ゆるなり〕、是を天に配すと謂ふ〔天のコと相ならぶ〕。古の極なり〔古道の極致〕

第六十九章

兵を用ふるに言あり〔兵家の語に曰く〕、吾れ敢て主とならずして、而して客となり〔自ら先んぜずして來るを待つ。已むを得ずして敵に應ずる也〕、敢て寸を進めずして、而して尺を退くと〔進むこと少く、退くこと多し。敵を避くる也〕。是れを行けども行くなく〔行けども進むの心なし。行かざると同じ〕、攘ぐれども臂なく〔袖をかゝぐれども、我より打つに意なし。臂なきと同じ〕けども敵なく〔爭へども、我より抵抗せず。即ち敵なきなり〕、執れども兵なし〔刀を執れども、我より斬かけず。即ち兵器なきなり〕と謂ふ。禍は敵を輕んずるより大なるは莫し。敵を輕んずれば、吾が寳を喪ふにちかし。故に兵をげて相加ふれば、哀む者勝つ〔頡頏して相鬪ふに、其勝つ者は人を殺すを哀む者なり〕

第七十章

吾が言甚だ知り易く、甚だ行ひ易きも、天下能く知る莫く、能く行ふ莫し。言に宗あり事に君あり〔言には旨とする所あり、事には主とする所あり。言も事も、皆道に原づくをいふ〕。夫れ惟だ知るなし、是を以て我れを知らず。我れを知る者希れなれば、則ち我れ貴し〔人の知る者罕なるは、即ち我が貴き所以〕。是を以て聖人はかつを被りて、玉をいだ〔外に粗布をきれども、内に玉をいだくが如し〕

第七十一章

知りて知らざるは上〔光をつゝみ、鋭をかくす〕、知らずして知るは病〔自らほこり、自らしめす〕。夫れ唯だ病を病とす、是を以てまず〔知らずして知るの病たるを知りて、之を憂とするが故に、此を免るを得〕。聖人病まず、其病を病むを以て、是を以て病まず。

第七十二章

民、威を畏れざれば、則ち大威至る〔人以て謙抑ならざる可からず。驕傲にして愼まず、威を畏れざれば、天之に禍を下す〕。其居る所をかろんずることなく、其生くる所を厭ふことなかれ〔分に安んじ、足るを知るを知て、其居るを得る所の土を輕んじ、其生くるを得る所の食を厭ふ勿れ〕。夫れ惟だ厭はず、是を以て厭はれず〔天のために厭はれず〕。是を以て聖人は自ら知りて、自らしめさず〔分を知りて、誇張せず〕、自ら愛して、自ら貴しとせず〔身を愛すれども、矜伐せず〕。故に彼れを去り、此れを取る。

第七十三章

かんに勇なれば則ち殺さる〔暴なれば殺さる〕、不敢に勇なれば則ち活く〔謙なれば、よく身を保つ〕。此の兩者或は利或は害〔同じく勇なれども、一は利、一は害〕。天の惡む所、孰れか其の故を知らん。是を以て聖人猶ほ之を難しとす〔天の道は窺ひ知り難し。故に其惡む所、聖人と雖も猶迷ふことあり〕。天の道は爭はずして而して善く勝ち〔爭はざれば、人自から服す〕、言はずして而して善く應じ〔辯ずれば之に違ふものあり。言はざれば人自から應ず〕まねかずして而して自ら來り〔招けば去ることあり。招かざれば、人自ら來る〕、坦然として而して善く謀る〔事とする所なくして、其計畫自ら密〕。天網くゎい々、踈なれども失はず〔天道を網に譬ふ。天道は廣濶にして、其目あらきが如くなれどものがさず。不爭、不言、不召、坦然は疎なり、善勝、善應、自來、善謀、これ即ち失はざる也〕

第七十四章

民、死を畏れずんば、奈何ぞ死を以て之を懼れしめん〔法は死を以て極刑とす。然れども道コ既に廢すれば、民、利に爭ふて死を畏れず。既に死を畏れず、刑法ありとも何の要ぞ〕。若し民をして常に死を畏れしめて、而して奇を爲す者を、吾れ執へて而して之を殺すを得るも、孰れか敢てする〔民をして死を畏れしむるも、其不逞なるものを戮せんとする時、人乃ち之をなすに當るか〕。常に殺を司どる者ありて殺す〔司殺の者は天なり〕。夫れ殺を司どる者は、是れ大匠るなり〔天の殺すは、猶大匠の木をるが如し〕の大匠に代りてる者は、其手を傷かざるあるもの希なり〔殺を司るものは天也。而るに人之に代りて妄りに殺す可からず。却て自ら禍を受けん〕

第七十五章

民の飢るは、其上の税をむこと多きを以て、是を以て飢ゆるなり〔收斂あり、故に民飢ゆ〕。民の治め難きは、其上の爲すあるを以て、是を以て治め難きなり〔法彌々密にして、犯す者彌々多し〕。民の死を輕んずるは、其生を求むるの厚きを以て、是を以て死を輕んずるなり〔生活の奢靡を求めて、相爭競す。乃ち奸をなして、死を顧みず〕。夫れ唯だ生を以て爲すなき者は、是れ生を貴ぶにまされり〔生のためになすものは、自然を傷る。生を貴ばゞ、生のためになすなきに若かず〕

第七十六章

人の生るゝや柔弱、其死するや堅強なり〔生るゝときは其體柔弱に、死すれば硬直す〕。萬物草木の生ずるや柔脆、其死するや枯槁す。故に堅強は死の徒なり、柔弱は生の徒なり。是を以て、兵強ければ則ち勝たず、木強ければ則ち折る。強大は下に處り、柔弱は上に處る。

第七十七章

天の道は其れ猶ほ弓を張るがごとき歟。高き者は之を抑へ、ひくき者は之を擧げ、餘りある者は之を損じ、足らざる者は之を補ふ〔高下を齊くし、餘不足を調ふ〕。天の道は餘り有るを損じて而して足らざるを補ふ〔天道は公平〕。人の道は則ち然らず、足らざるを損じて以て餘りあるに奉ず〔人の道は不公、富る者彌々富み、貧き者彌々貧なるが如き、是也〕。孰れか能く餘りあるを以て天下に奉ぜん、唯だ有道の者のみ〔有道者は餘りあるを以て、天下の足らざるに奉ず〕。是を以て聖人は爲して而して恃まず、功成りて而して處らず、其れ賢をしめすことを欲せず。

第七十八章

天下の柔弱なるは、水に過ぐる莫し。而して堅強なる者を攻むるに、之に能く勝つ莫し。其の以て之に易るなきをもちふれば也〔水は至弱なれども、能く石を漂し山を崩す。堅強を攻むるに、其勢あること水にまさるものなし〕。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つ、天下知らざる莫きも、能く行ふなし。故に聖人云ふ、國の垢を受くる、是れを社稷の主と謂ふ、國の不祥を受くる、是れを天下の王と謂ふと〔垢を受け、不祥を受くるは柔弱なり。柔弱は剛強に勝つ。垢と不祥とを忍ぶものにして、よく主たり、又王たるを得るなり〕。正言は反するが若し〔垢を受け不祥を受くるものが主たり王たりと云ふは、逆まなる語のやうなれども、由來正しき言は一見逆しまなるが如きものなり〕

第七十九章

大怨を和して、必らず餘怨あるは、安んぞ以て善となすべけん〔怨大なれば之を和解するも全く釋然たるを得ず。故に怨ありて後和せんよりは、始より怨なからしむるにしかず〕。是を以て聖人は左契を執りて、而して人を責めず〔契はてがた也。一札を中分して、約を負ふもの其右を執る。左を執るものは、其右を執る者の約を履むを待つのみ。聖人左契を執るとは、券を立てゝ怨の生ずるを防ぐも、而かも敢て此を以て濟すことを人に責めざる也〕。故に有コは契を司り〔契は自ら相合するを待つ。求めず、責めず〕、無コは徹を司る〔徹は轍なり。形迹分明なるをいふ。與ふれば必ず取る。責むる所あるなり〕。天道は親なし、常に善人に與す〔天は私の親みなし。常に善にくみす〕

第八十章

小國は民寡し〔大國は兼并簒奪に成る。無爲の治には小國を要す〕。什佰の器〔十人百人の器物〕あるも用ひざらしむ〔器少くして猶用ひず。無事なるをいふ〕。民をして死を重んじて、而して遠くうつらざらしむ〔其生を樂み、其居に安ずる也〕。舟輿ありと雖ども之に乘る所無く〔遠きに徙らざるが故に舟輿用なし〕、甲兵ありと雖も之をつらぬる所なし〔死を重ず。故に鬪はず。故に刀刄用なし〕。民をして結繩〔太古未だ文字なき時、繩を結びて契となす〕に復して而して之を用ひしむ〔太古の醇樸に復す〕。其食を甘しとし、其服を美しとし、其居に安んじ、其俗を樂しむ〔其簡素に安んじて、榮華を羨まず〕。隣國相望み、犬の聲相聞ゆれども〔四隣皆平和の樂境〕、民老死に至るまで相往來せず〔安恬の生を樂んで、外を慕はず〕

第八十一章

信言は美ならず、美言は信ならず〔言の誠なる者は飾らず。言の飾りたる者は誠なし〕。善き者は辯ぜず、辯ずる者は善ならず〔善行の者は口に辯ぜず。巧辯の者は行美ならず〕。知る者は博からず、博き者は知らず〔深く知る者は博からず。博きものは知淺し〕。聖人は積まず〔盡く人のためにし、盡く人に與ふ。即ち己のために積まざるなり〕ことごとく以て人の爲めにすれど、己れ愈よ有り、既く以て人に與ふれど、己れ愈よ多し〔己を利し私を謀れば、爭ふて人に奪はるゝことあり。人を利し公を圖れば、爭はず。故に失ふなし〕。天の道は利して害せず、聖人の道は爲して爭はず〔爲せども、皆人のためにす。故に爭はず〕

和譯老子 


  目次   老莊の和譯に就て   如何か老子を讀む可き   和譯老子   如何か莊子を讀む可き   和譯莊子
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