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和譯老子・和譯莊子 

田岡嶺雲 譯註
(『和譯老子・和譯莊子』全 和譯漢文叢書第1巻 玄黄社 1910.4.10
※ 国立国会図書館の許可を得て「近代デジタルライブラリ」より転載。
※ 原文の傍点・圏点は省略した。原文割注。注のカタカナ表記をひらがなに改めた。

  目次   老莊の和譯に就て   如何か老子を讀む可き   和譯老子   如何か莊子を讀む可き   和譯莊子
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如何か莊子を讀むべき

明治四十三年三月
田岡嶺雲 識


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和譯莊子

田岡嶺雲 譯註
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内篇

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逍遙遊

夫れ物大小同じからずと雖も、既に爲す所あれば、必ず待つ所あり。待つ所あれば、則ち自由ならず。但其性の自然に隨ふて我執なければ、則ち圓通自在。
北冥〔北海〕に魚あり、其名をこんと爲す。鯤の大さ、其幾千里なるを知らざるなり。化して鳥と爲る、其名をほうと爲す。鵬の背其幾千里なるを知らざるなり。怒りて飛べば、其翼垂天の雲の若し。是の鳥や、海運〔海波荒るゝなり〕すれば、則ち將に南冥〔南海〕うつらんとす。南冥は天池〔海〕なり。齊諧せいかい〔書名〕は怪をしるせる者なり。諧の言に曰く、鵬の南冥に徙るや、水に撃つこと三千里、扶搖ふえう〔大風の卷きのぼるもの〕はうつて、上るもの九萬里、去つて六月を以ていこふものなりと。野馬〔カゲロフ〕や塵埃や、生物の息を以て相吹くや〔鵬、上よりして地を視るの状〕、天の蒼々たるは其れ正色か、其れ遠くして至極する所なければか、其下を視るや亦かくの若くならんのみ〔下方より天を視れば、蒼々として遠し。鵬の天に上りて下方を視るとき、亦此の如くならん〕。且夫れ水の積むや厚からざれば、則ち大舟を負ふに力なし〔水深からざれば、大舟を泛ぶる能はず〕。杯水をあう〔床のくぼみ〕の上に覆へせば、則ち芥〔あくた〕之が舟と爲り、杯を置くも則ち〔へばりつく〕。水淺くして舟大なれば也〔小物は小を待ち、大物は大を待つ〕。風の積むや厚からざれば、則ち其の大翼を負ふに力なし。故に九萬里にして則ち風こゝに下に在り〔鵬の飛ぶや高からざるを得ず〕。而る後乃ち今風にやしなはれ、背に天を負ふて夭閼おあつ〔さまたぐ〕する者なし。而る後乃ち今將に南をはからんとす。てう〔セミ〕鷽鳩かくきう〔コバト〕と之を笑ふて曰く、我れ決起して飛んで楡枋ゆばう〔ニレ、ハゼ、共に小木〕〔其飛ぶや低し〕、時には則ち至らずして地にちてむ。なんぞこの九萬里にして南するを以てせんと〔大物は大を待て爲すあり。小物は小以て足る〕莽蒼まうそう〔郊外〕くものは、三餐〔三食〕にして反る、腹猶ほくゎ〔大なる貌、飢ゑざるなり〕たり。百里に適くものは宿に糧を〔其前夜より糧の用意をなす〕、千里に適くものは三月糧を聚む。之の二蟲〔蜩と鷽鳩と〕は又何をか知らん。小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばざれば也。なにを以て其然るを知るや。朝きん〔キノコ〕は晦朔〔みそか、ついたち〕を知らず〔其生一ヶ月を出でず〕蟪蛄けいこ〔オケラ〕は春秋を知らず〔半歳以上を出でず〕、此れ小年なり。楚の南に冥靈〔木名〕なる者あり、五百歳を以て春となし、五百歳を以て秋とす。上古に大椿〔木名〕なる者あり、八千歳を以て春とし、八千歳を以て秋とす。而るに彭祖は乃ち今久しきを以てひとり聞へ、衆人之にならはんとす、亦悲しからずや。湯のきょくに問ふもまた是のみ。


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