和譯老子・和譯莊子 全
田岡嶺雲 譯註
(『和譯老子・和譯莊子』全 和譯漢文叢書第1巻 玄黄社 1910.4.10)
※ 国立国会図書館の許可を得て「近代デジタルライブラリ」より転載。
※ 原文の傍点・圏点は省略した。原文割注。注のカタカナ表記をひらがなに改めた。
目次
老莊の和譯に就て
如何か老子を讀む可き
和譯老子
如何か莊子を讀む可き
和譯莊子
如何か莊子を讀むべき
- 一、老子を讀んで、莊子に至れば、一棹、谿間の曲流を下つて、直ちに太洋の上に浮ぶが如し。眼を放ちて唯E々を見るのみ、殆ど其方に迷はんとす。老子の解し易からざるは、則ち其言の簡古奇奧なるに在りて、而して莊子の解し易からざるは、則ち其言の荒唐空漠なるに存す。
- 一、老子は儉を説き、嗇を説き、鋭を挫き雌を守るを説き、柔弱謙下を説く、消極的也。莊子に至つては、逍遙を説き、天游を説き、無方を説き、無何有を説き、是非を齊しうし同異を齊しうするを説き、變化を一にし死生を一にするを説く、積極的也。老子は小に止まらんとし、莊子は大に往かんとす。老子は卑に入らんとし、莊子は曠に出でんとす。老子は虚無に居らんとし、莊子は無礙に游ばんとす。老子は韜晦して自ら藏れんとし、莊子は奔逸して迹を絶たんとす。老子の虚は容れざらんとするの虚也、莊子の虚は容れざるなからんとするの虚也。老子の靜は動かざらんとするの靜也。莊子の靜は動かざるなからんとするの靜也。老子は無を説いて無に即く、未だ始めより無を出でざる也。莊子は空を説いて空を破る、未だ始めより空に入らざる也。老子は爭はず自ら退いて而して閉づ、歛して又歛し、損して又損す。莊子は辯ぜず、是に因りて而して逝く、往かざる所なく、在らざる所なし。老子は小乘也、莊子は大乘也。老子は深くして沈む、世を避けんとし、莊子は高くして擧がる、世を超えんとす。莊子、老子の旨を得て、而して更に之を推開すること一層。
- 一、老子は虚を説いて、而して其言は則ち實、莊子は虚を説いて、而して其言も亦虚。老子は人の言也、訥と雖ども猶解すべし。莊子は空中の仙樂、縹緲として捕捉す可からざる也。
- 一、唐宋以下の文、文に格あり、句に法あり、脈絡、段落、抑揚、照應、皆作者の錬烹に成る。秩然として序あり、井然として理あり。故に字を逐ふて解し、句を逐ふて辨じて、全章の意得べき也。先秦の文に至つては則ち否らず、作者唯其言はんと欲する所を言ふて已むのみ。固より格なく、固より法なし。殊に莊子の文其落想既に奇創にして、之を遣るに才力の宏肆を以てす。筆端鼓舞、直ちに其欝勃を揮霍して縱横に奔放す、往かんと欲する所に往き、止まらざるを得ずして止まる、恍洋恣縱己に適するのみ。所謂謬悠の説、荒唐の言、無端崖の辭を以てする者、豈に屑々たる字義章法を以て之を律す可けん哉。故に尋常文字の蹊徑を以て此が解を求めんとすれば、穿鑿に陷らずんば則ち附會に流れん。若かず先づ作者立言の源頭に還り、其大旨の在る所を看取せんには。必ずしも摘句尋字に拘泥せざれ。而る後諷誦玩味、興來り神會せば、小節細目は刄を迎へて自ら解けむ。
- 一、莊子の文、一篇の中、忽ちにして叙事、忽ちにして議論。忽ちにして説話、忽ちにして譬喩、忽ちにして莊語、忽ちにして寓言、或は離れ或は合し、或は斷ち或は續き、參差錯綜、變化奇幻、窮詰す可からず、端倪す可からず。讀者割裂支離して之を解せんと欲する莫れ。錦繍の離奇、斷つ可からず、截る可らず。
- 一、莊子の文、或は意既に盡きて語猶絶えざるものあり、或は語既に盡きて、意猶絶えざるものあり。或は意簡にして語繁なる者あり、或は意永うして語短なる者あり。或は意平淡にして、語の却て艱澁なる者あり、或は語淺率にして、意の却て險奇なる者あり。或は前にいふべくして之を後にいひ、後にいふべくして之を前にいふ者あり。或は正意を説いて未だ終らずして、忽ち岐路に入り、層々疊々傍意を説いて長く反らざる者あり、或は全く正意を説き破らず、景物を假り、情趣に托し、比興の具體を以て談理の勃窣(*緩やか、緩慢)を包める者亦あり。莊を解せんとせば、竹影の婆娑を以て天上の月を忘るゝ莫れ。
- 一、莊子戰國に生る。當時高材逸足の士、辯を奮て雄を競ふ。各、他人の唾餘を嘗むるを恥ぢて、一家の言を立つ。九流百家互に奇を創め新を出だして、相克たんことを惟れ努む。莊子の旨固と是非の辯に拘はるを嫌ふと雖ども、而かも猶之を説いて言ふ所あらんとすれば、則ち亦他と辯ぜざる能はず、辯ずれば則ち相克たんとせざる能はず、相克たんとすれば則ち其言ふ所を險仄にせざる能はず。莊子の文の瓌瑋(*珍奇)、蓋し其思想の奇恣の已むを得ざるに因ると雖ども、亦故らに諔詭を弄して、儕輩を推倒し去らんとせるものなきに非ず。莊子を解せんとする者、徒らに其文の奇に迷離して、其本旨の在る所を失す可からず。
- 一、漢書藝文志に莊子五十三篇といふ、今存する所三十三篇。其中、贋擬の竄入ありて、悉く莊子の手に出でたるものに非ざるや論なし。内篇七、皆題目ありて且つ一篇中論旨一貫す。想ふに莊子の手定に出づる歟、否らざるも後人删定する時、完くして傳はれる者歟。外雜兩集は各々篇首の兩三字を以て篇に名づけ、又一篇の中説く所雜駁に且文字淺露なる者多し。是れ或は固と莊子の雜著に係り、中に贋手を混ぜるか、或は後の莊子の説を傳ふる徒の手になり、雜ゆるに莊子の斷片を以てせる者か。而かも外雜兩集、亦内篇と理義互に相發明す、必ずしも捨つ可からず。但魚目の珠に混ずるもの、善く讀む者自ら之を辯ぜん。
- 一、莊子の文、手に觸るゝ者皆採る。字面必ずしも錬らず、必ずしも醇雅を擇ばず。故に其中、俚俗の方言を雜へ、當時の套語を援けるが如きもの無きに非ず。此等の言語、當時に在ては、人々の口に熟し耳に親しき者、而かも此くの如きものは、多く一時に行はれて長く傳はらず。後の人之を解せんとするも、纔に之を揣摩し得べきのみ。若し敢て解せんとすれば牽強に失せん。莊子を讀む者は又之を知らざる可からず。
- 一、莊子の文中、間ま心齋といひ、坐忘といひ、見獨といひ、朝徹といふが如き語あり。其工夫を説く、甚だ佛家の禪定と相類せり。或は疑ふ、南方の地當時早く既に印度と相通ずる者あるに非ざるやを、或は又相類せる思想は相類せる工夫を用ふるに至れる者乎。但讀者其相同じき所あるを見ば、莊を解するに於て資するあらん。
- 一、莊子好んで所謂寓言を説く。其富贍なる想像力は、天地間一切の事物を將ち來りて盡く其材となす。止に、上、日月風雲より下、禽獸虫魚に至る有形有象の物のみならず、亦無形無象の抽象的觀念をすら擬人とし、此に名を命じ此をして云爲せしむ。其奇警、人間意料の外に出づ。莊子を讀むもの、之を識らざれば莊子の文の妙を觀るに於て、其興味の半を殺がれん。
- 一、莊子を註する者、郭子玄より以下、其多きに勝へず。此書必ずしも據らず、私見を加ふるもの亦少からず。其疵謬固より大方の指摘を待つ。但ゥ註家と雖ども亦各其私見を以て解する而已。而して吾獨り其私見を以て解す可からざらん哉。憾むらくは、相距る千古、莊叟を地下に喚起し來つて、親しく彼に叩くに吾が私見を以てする能はざるを。
明治四十三年三月
田岡嶺雲 識
和譯莊子
田岡嶺雲 譯註
内篇
逍遙遊
夫れ物大小同じからずと雖も、既に爲す所あれば、必ず待つ所あり。待つ所あれば、則ち自由ならず。但其性の自然に隨ふて我執なければ、則ち圓通自在。
北冥〔北海〕に魚あり、其名を鯤と爲す。鯤の大さ、其幾千里なるを知らざるなり。化して鳥と爲る、其名を鵬と爲す。鵬の背其幾千里なるを知らざるなり。怒りて飛べば、其翼垂天の雲の若し。是の鳥や、海運〔海波荒るゝなり〕すれば、則ち將に南冥〔南海〕に徙らんとす。南冥は天池〔海〕なり。齊諧〔書名〕は怪を志せる者なり。諧の言に曰く、鵬の南冥に徙るや、水に撃つこと三千里、扶搖〔大風の卷きのぼるもの〕に搏つて、上るもの九萬里、去つて六月を以て息ふものなりと。野馬〔カゲロフ〕や塵埃や、生物の息を以て相吹くや〔鵬、上よりして地を視るの状〕、天の蒼々たるは其れ正色か、其れ遠くして至極する所なければか、其下を視るや亦是の若くならんのみ〔下方より天を視れば、蒼々として遠し。鵬の天に上りて下方を視るとき、亦此の如くならん〕。且夫れ水の積むや厚からざれば、則ち大舟を負ふに力なし〔水深からざれば、大舟を泛ぶる能はず〕。杯水を拗堂〔床のくぼみ〕の上に覆へせば、則ち芥〔あくた〕之が舟と爲り、杯を置くも則ち膠く〔へばりつく〕。水淺くして舟大なれば也〔小物は小を待ち、大物は大を待つ〕。風の積むや厚からざれば、則ち其の大翼を負ふに力なし。故に九萬里にして則ち風斯に下に在り〔鵬の飛ぶや高からざるを得ず〕。而る後乃ち今風に培はれ、背に天を負ふて夭閼〔さまたぐ〕する者なし。而る後乃ち今將に南を圖らんとす。蜩〔セミ〕と鷽鳩〔コバト〕と之を笑ふて曰く、我れ決起して飛んで楡枋〔ニレ、ハゼ、共に小木〕を槍く〔其飛ぶや低し〕、時には則ち至らずして地に控ちて已む。奚ぞこの九萬里にして南するを以てせんと〔大物は大を待て爲すあり。小物は小以て足る〕。莽蒼〔郊外〕に適くものは、三餐〔三食〕にして反る、腹猶ほ果然〔大なる貌、飢ゑざるなり〕たり。百里に適くものは宿に糧を舂く〔其前夜より糧の用意をなす〕、千里に適くものは三月糧を聚む。之の二蟲〔蜩と鷽鳩と〕は又何をか知らん。小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばざれば也。奚を以て其然るを知るや。朝菌〔キノコ〕は晦朔〔みそか、ついたち〕を知らず〔其生一ヶ月を出でず〕、蟪蛄〔オケラ〕は春秋を知らず〔半歳以上を出でず〕、此れ小年なり。楚の南に冥靈〔木名〕なる者あり、五百歳を以て春となし、五百歳を以て秋とす。上古に大椿〔木名〕なる者あり、八千歳を以て春とし、八千歳を以て秋とす。而るに彭祖は乃ち今久しきを以て特り聞へ、衆人之に匹はんとす、亦悲しからずや。湯の棘に問ふも也是のみ。
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