橋姫 (源氏物語 45)
紫式部
(武笠 三 校註『源氏物語三』有朋堂文庫 有朋堂書店 1914.7.10)
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宇治八宮
姫君たち
八宮の来歴
宇治の阿闍梨
薫の訪問
単独行と垣間見
弁の御許の話
匂宮
薫の申し出
薫の出生の秘密
宇治八宮
その頃、世に數まへられ給はぬ古宮〔宇治の八宮と名づく。朱雀・源氏などの兄弟。〕おはしけり。母方なども、やむごとなくものし給ひて、筋異なるべき覺などおはしけるを〔東宮にも立つべき程に重んぜられしが。冷泉東宮に立ちし時弘徽殿大后が此八宮を立てんとせしことある也。〕、時移りて世の中にはしたなめられ給ひけるまぎれに〔落附の惡いものにされたる拍子に〕、なか\/いと名殘なく〔勢盛なりし丈落目になれば却て其名殘も見られぬ位にひどく衰へて〕、御後見なども物怨しき心々にて〔望を失ひたれば也。〕、かたがたにつけて、世を背き去りつゝ、公私により所なく〔公私につけて便なく〕、さし放たれ給へる樣なり。北の方も、昔の大臣の御女なりける、哀に心細く、親達の思しおきてたりし樣など、思ひ出で給ふに、たとしへなきこと多かれど〔親達は八宮が東宮に立たば娘も后になるべしと望を屬したりし事など思ひ出せば言ふ由もなく悲しき事多けれど〕、深き御契のふたつなきばかりを、憂き世の慰にて、〔八宮夫婦が〕互にまたなく頼みかはし給へり。
年頃經るに、御子もものし給はで、心もとなかりければ、さう\〃/しく徒然なる慰めに、いかでをかしからむ兒もがなと、宮ぞ時々思し宣ひけるに、珍らしく、女君〔大君、又總角の君と名づく。〕のいと美しげなる、生れ給へり。これを限なく哀と思ひかしづき聞え給ふに、又さしつゞき氣色ばみ給ひて〔懷胎して〕、この度は男にてもなど〔男であれかし抔と〕思したるに、同じ樣にて〔矢張女子で、此子を中の君と名づく。〕、平かにはし給ひながら〔安産はしたれど〕、〔北方が〕いといたく煩ひて亡せ給ひぬ。宮あさましうて思し惑ふ。〔以下八宮の心〕あり經るにつけて、いとはしたなく、堪へがたきこと多かる世なれど、見捨てがたく哀なる人〔北方〕の御有樣・心ざまに、かけとゞめらるゝ絆にてこそ、過し來つれ、一人とまりて〔生殘りて〕、いとゞすさまじくもあるべきかな。いはけなき人々〔子ども〕をも、一人育み立てむほど、限ある身にて〔瘠せても枯れても宮といふ身分故餘り疎末では〕、いとをこがましう、人惡かるべき事、と思したちて、本意も遂げまほしうし給ひけれど〔出家もしたく思ひしかども〕、見讓る人もなくて殘し留めむを〔世話をしてくれる人もなきに子どもを跡に殘す事を〕、いみじく思したゆたひつゝ、年月も經れば、おの\/およずけ勝り給ふ樣容貌の、美しうあらまほしきを、旦暮の御慰にて、おのづからぞ過し給ふ。
後に生れ給ひし君をば、侍ふ人々も、
「いでや、をりふし心憂く。〔時も時とて惡い時に生れなされた。〕」
など、うち呟きて、心に入れてもあつかひ聞えざりけれど〔ろくに世話もせざりしかど〕、限の樣にて〔北方臨終の時〕、何事も思しわかざりし程ながら、これを〔中の君を〕いと心苦しと思ひて、
北方「唯この君をば形見に見給ひて、哀と思せ。」
とばかり、唯一言なむ宮に聞え置き給ひければ、前の世の契もつらき折節なれど、然るべきにこそはありけめと〔此子故に北方が煩ひて死ぬかと思へば、何の因果で斯る廻り合せにはなりしぞとつらく思はるれど是も因縁と諦めて〕、今はと見えしまでいと哀と思ひて〔北方が死際まで此子を心にかけて〕、うしろめたげに宣ひしを、と思し出でつゝ、この君をしもいとかなしうし奉り給ふ。
姫君たち
〔中の君の〕容貌なむ誠にいと美しう、ゆゝしきまで物し給ひける。姫君〔大君〕は、心ばせ靜によしある方にて、見るめ・もてなしも、氣高く心にくき樣ぞし給へる。いたはしくやむごとなき筋は勝りて〔可憐に品格ある事は姉の方が立勝りて〕、いづれをも、〔父八宮が〕樣々に思ひかしづき聞え給へど、叶はぬこと多く、年月にそへて、宮の内物寂しくのみなり増る。侍ひし人も、たづきなき心地するに、得忍びあへず、次々にしたがひて、まかで散りつゝ〔暇を取りて立去つてしまひ〕、若君の〔中の君の〕御乳母もさる騷に、はか\〃/しき人をしも、擇りあへ給はざりければ〔北方逝去の騷ぎの中で雇ひ入れし事とてよき人を擇んで頼む事も出來にくゝ、よい加減に雇ひ入れし乳母故〕、程につけたる心淺さにて〔乳母は乳母丈の鼻元思案(*場当たり的で浅はかな考え)にて〕、幼きほどを見捨て奉りにければ〔まだ中の君の頑是なきを捨てゝ暇を取りたれば〕、唯宮ぞ育み給ふ。
流石に廣く面白き宮の、池・山などの氣色ばかり、昔に變らでいといたう荒れまさるを、徒然と眺め給ふ。家司なども、むね\/しき〔重立ちたる〕人も無かりければ、とり繕ふ〔邸の手入をする〕人も無きまゝに、草青やかにしげり、軒のしのぶ〔今「やつめらん」といふもの〕ぞ所え顔に青み渡れる。折々につけたる花・紅葉の色をも香をも、〔亡き北方と〕同じ心にみはやし給ひしにこそ、慰むことも多かりけれ、いとゞしく寂しく、よりつかむ方なき儘に、持佛の御飾ばかりを、わざとせさせ給ひて〔仕事にして〕、旦暮行ひ給ふ。〔以下八宮の心〕かゝる絆どもにかゝづらふだに、思の外に口惜しう、我が心ながらも叶はざりける契と覺ゆるを〔子どもにひかされて出家が出來ぬのすら殘念にて、自分を自分の思ふ儘に出來ぬ因縁と諦め居る位なるに〕、まいて何にか世の人めいて今更に、とのみ〔何の爲に人竝に今更後妻などを持たんやと〕、年月に添へて、世の中を思し離れつゝ、心ばかりは聖になりはて給ひて、故君〔故北方〕の亡せ給ひにしこなたには、例の人ざまなる心ばへ〔常人の樣な考〕など、戲にても思し出で給はざりけり。
人々「などかさしも〔それ程になさるには及ばぬ〕。別るゝ程の悲みは、又世に類なきやうにのみこそは、覺ゆべかンめれど、あり經れば然のみやは〔月日が立てば(*ママ)いつ迄も其樣にはないものぢや〕。猶世人に準ふ御心づかひをし給ひて〔人竝の御了簡を御持ちなされて後妻を娶りなされたら〕、いとかく見苦しくたづきなき宮の内も、自らもてなさるゝわざもや〔自ら取締のつく事もあるべし〕。」
と、人はもどき聞えて〔八宮の獨身を批難して〕、何くれとつき\〃/しく聞えごつ事も〔甘い事を言ひて縁組を申込む事も〕、類に觸れて(*縁故をたどって)多かれど、聞召し入れざりけり。
御念誦の隙々には、この君達〔姫君等〕をもてあそび、やう\/およずけ給へば、琴ならはし・碁うち・扁つき〔詩句などの中のある字の扁を隱して旁のみを見せ、其字を當てさする遊〕(*偏突き・偏継ぎとも。)など、はかなき遊びわざにつけても、心ばへどもを見奉り給ふに、姫君(*大君)は、らう\/じく、深く重りかに見え給ふ。若君は、おほどかにらうたげなる樣して、物づつみしたるけはひ〔内氣なる樣子〕、いと美しう、樣々におはす。春のうらゝかなる日影に、池の水鳥どもの羽うち交しつゝ、おのがじし囀る聲などを、常ははかなき事と〔八宮が〕見給ひしかども、つがひ離れぬを羨しくながめ給ひて、君達に御琴ども教へ聞え給ふ。いとをかしげに、小き御程に〔小さいなりで〕、とり\〃/かき鳴し給ふ物の音ども、哀にをかしく聞ゆれば、涙を浮け給ひて、
八宮「うちすててつがひさりにし水鳥のかりのこの世にたちおくれけむ
〔妻が我を棄て死往きたる此世になぜ生き殘りたる事ぞ。かり—假・雁。〕(*「けむ」は原因推量の用法)
心づくしなりや。」
と、目押しのごひ給ふ。容貌いと清げにおはします宮なり。年頃の御行に痩せ細り給ひにたれど、さてしも〔痩せて却つて〕あてになまめきて、君達をかしづき給ふ御心ばへに〔子どもを大事に育てる注意から〕、直衣の萎えばめるを著給ひて〔直衣を著たるは行儀をくづさぬ也。〕、しどけなき御樣〔取繕はぬ八宮の容體〕いと恥かしげなり〔之に對する人が〕。
姫君、御硯をやをらひき寄せて、手習のやうに〔硯に〕書きまぜ給ふを、
八宮「これに書きたまへ。硯には書きつけざンなり〔硯に物はかゝぬものぢや〕。」
とて、紙奉り給へば、恥らひて書き給ふ、
總角いかでかく巣立ちけるぞとおもふにもうき水鳥のちぎりをぞ知る
〔我身が誰に育てられて斯く人となりしぞと考へるにつけて、母上を早く亡ひし我身の不運を思ひ知る。〕
よからねど〔よい歌ではないが〕、その折は哀なりけり。手は、おひさき見えて〔成長の後は嘸と思はれて〕、まだよくもつゞけ給はぬ程なり。
八宮「若君も書き給へ。」
とあれば、今少し幼げに、久しく〔久しくかゝりて。「久しくて」とあるべし。〕書き出で給へり。
中君泣く\/もはねうち著する君なくば我ぞ巣守りになるべかりける
〔歎の中に父上が育てゝ下さらねば我は成長し得ぬのであつた。「巣守り」はかへらぬ卵。〕
御衣どもなど萎えばみて、御前に又人も無く、いと寂しく徒然げなるに、〔姫君等が〕樣々いとらうたげにて物し給ふを、〔父が〕哀に心苦しう如何おぼさざらむ。〔父が〕經を片手に持給ひて、かつ讀みつゝ唱歌(*「しゃうが」とも。楽曲に合わせて旋律を口ずさむこと、もしくは歌唱すること。)をし給ふ。姫君に琵琶、若君に箏の御琴を、まだ幼けれど、常に(*互いに)合せつゝ習ひ給へば、聞きにくゝもあらで、いとをかしくきこゆ。
八宮の来歴
〔以下八宮の來歴をいふ。〕父帝(*桐壺帝)にも母女御(*大臣の娘という。)にも、疾くおくれ給ひて〔早く分れて〕、はか\〃/しき御後見の、取り立てたるおはせざりければ〔れつきとした人もなかりしかば〕、才〔學問〕など深くもえ習ひ給はず。まいて世の中に住みつく御心おきては〔世渡りの心得などは〕、いかでかは知り給はむ。貴き人と聞ゆる中にも〔此八宮は貴人の中でも殊に〕、あさましう、あてにおほどかなる女の様におはすれば、ふるき世の御寶物、祖父大臣の御處分〔母方の祖父の遺産〕、何やかやと盡きすまじかりけれど〔夥しくありし筈なれど〕、行方もなく、はかなく失せはてて、御調度などばかりなむ、わざと麗しくて〔殊更に立派で〕多かりける。參りとぶらひ聞え、心よせ奉る人もなし。徒然なるまゝに、雅樂寮の物の師〔音樂の師〕どもなど樣の、勝れたるを召し寄せつゝ、はかなき御遊に心を入れて、おひ出で給へれば、その方はいとをかしく勝れ給へり。
源氏の大臣の御弟八宮とぞ聞えしを、冷泉院の東宮におはしましゝ時、朱雀院の大后の、よこざまに思し構へて、この宮を世の中に立ち繼ぎ給ふべく〔弘徽殿女御が奸謀で八宮を東宮にせんと〕、我が御時もてかしづき奉り給ひける騷に〔己の羽振よきにまかせて八宮を持上げたる騷ぎに〕、あいなく、あなた樣の御中らひには、さし放たれ給ひにければ〔源(*源氏)方には交際を斷たれたれば〕、いよ\/かの御次々になりはてぬる世にて〔今は源の子孫ばかりが繁昌する時節故〕、え交らひ給はず。又この年頃、かゝる聖(*在俗の仏道修行者。後出「俗聖」)になりはてて、今は限とよろづを思し捨てたり。
かゝる程に住み給ふ宮燒けにけり。いとゞしき世に〔其でなくてさへ憂き事のみまさる世に〕、あさましうあへなくて、移ろひ住み給ふべき所の、よろしきも無かりければ、宇治といふ所に、よしある山里〔山莊〕持たまへりけるに渡り給ふ。思ひ捨て給へる世なれども、今はと〔京を〕住み離れなむを哀に思さる。〔以下宇治の山莊の有樣。網代は氷魚を取る爲に宇治川の中に設けたる仕かけ。梯形に二行に杭を立て狹き方の端にて網をひく。〕網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、靜なる思にかなはぬ方もあれど、如何はせむ。花・紅葉・水の流にも、心をやる便によせて〔氣ばらしの便につけて〕、いとゞしく眺め給ふより外のことなし。かく絶え籠りぬる野山の末にも、昔の人ものし給はましかばと〔北方が生きて居たらばと〕、思ひ出で聞え給はぬ折なかりけり。
八宮見し人も宿も〔妻も家も〕けぶりになりにしをなどて我身の消えのこりけむ
生けるかひなくぞ思し焦るゝや。
宇治の阿闍梨
いとゞ山重れる御住處に、尋ね參る人もなし。あやしき下種など、田舍びたる山賤どものみ、稀に馴れ參り仕う奉る。峯の朝霧晴るゝ折なくて、明し暮し給ふに、この宇治山に聖だちたる阿闍梨〔仙人じみたる僧。阿闍梨は僧の通稱。〕住みけり。才いとかしこくて、世の覺も輕からねど、をさ\/公事にも出で仕へず籠り居たるに、この宮のかく近き程に住み給ひて、寂しき御樣に、尊きわざ〔佛道の修行〕をせさせ給ひつゝ、法文〔經文〕などを讀み習ひ給へば、尊み聞えて〔此僧が宮を尊みて〕常にまゐる。年頃〔八宮の〕學び知り給へる事どもの、深き心を解き聞かせ奉り、いよ\/、この世の假初に味氣なき事を申し知らすれば、
八宮「心ばかりは蓮の上に思ひのぼり、濁なき池にも住みぬべきを、いとかく幼き人々を、見捨てむうしろめたさばかりになむ、えひたみちに容貌をもかへぬ〔無暗に出家する事も出來ぬ〕。」
〔極樂淨土に直樣往生もする氣で居るが子どもの氣がかりさに無暗に出家もせずに居る。極樂淨土に七寶池あり、其中に八功徳水とて清淨なる水滿ち\/て大さ車輪の如き蓮華其中に咲き、後生よき人は其蓮の上に生るといふ。〕
など、隔なく物語し給ふ。
この阿闍梨は、冷泉院にも親しく侍ひて、御經など教へ聞ゆる人なりけり。京に出でたる序に參りて、例のさるべき文など御覽じて、問はせ給ふことどもある序に〔冷泉が經文を見て僧に質問せらるゝ序に〕、
阿闍梨「八宮の、いとかしこく、内教〔佛教〕の御才さとり深く物し給ひけるかな。さるべきにて〔尊き法師になるべき因縁ありて〕生れ給へる人にや物し給ふらむ。心深く思ひすまし給へる程、誠の聖のおきて〔心の持方〕になむ見え給ふ。」
と聞ゆ。
冷泉「いまだ容貌はかへ給はずや。俗聖とか、この若き人々の〔あだ名を〕附けたンなる、哀なることなり。」
など宣はす。宰相中將〔薫〕も、御前に侍ひ給ひて、〔以下薫の心〕「我こそ、世の中をいとすさまじく思ひ知りながら、行など人に目留めらるゝばかりはつとめず、口惜しくて過し來れ。」と人知れず思ひつゝ、「俗ながら聖になり給ふ心のおきてやいかに。」と〔俗聖と名をとりたる八宮の心の持方はどんなものぞと〕、耳留めて聞き給ふ。
阿闍梨「〔(*以下)阿闍梨が八宮の詞を眞似ていふ也。〕出家の志はもとより物し給へるを、はかなきことに思ひとゞこほり〔つまらぬ事の爲に延び\/になり〕、『今となりては、心苦しき女子どもの御上を、え思ひ捨てぬ。』となむ、歎き侍り給ふ。」
と奏す。さすがに物の音めづる阿闍梨にて〔音樂好な僧にて〕、
阿闍梨「實にはた、この姫君達の、琴彈きあはせて遊び給へる、河浪にきほひて聞え侍るは、いと面白く、極樂思ひやられ侍るや。」
と、古代にめづれば〔古風なほめ方をする故〕、帝ほゝ笑み給ひて、
冷泉「さる聖〔八宮をいふ。〕のあたりにおひ出でて、この世の方樣はたど\/しからむと押しはからるゝを、をかしの事や〔坊さんの側でそだちては其姫君も世俗的の事には疎からんと思はるゝに琴が上手とは面白き事也〕。うしろめたく思ひ捨てがたく、もて煩ひ給ふらむを、もししばしもおくれむほどは、讓りやはし給はぬ〔八宮が持餘して居らるゝなら、若自分が八宮より迹に生き殘りたらば其間だけ姫君を預りたいものぢや〕。」
などぞ宣はする。
この院の帝は、十の御子にぞおはしましける〔冷泉は第十子。八宮の弟也〕。朱雀院の故六條院(*光源氏)にあづけ聞え給ひし、入道の宮〔女三宮〕の御ためしを思し出でて、〔冷泉の心。〕「かの君達をがな〔宇治の姫君等が手に入れたし〕。つれづれなる遊敵に。」など打思しけり。
中將の君はなか\/、「親王の思ひすまし給へらむ御心ばへを、對面して見奉らばや。」と思ふ心ぞ深くなりぬる〔薫は却て姫君の事は考へず八宮の悟りきつて居る樣子を見たく思へり〕。さて阿闍梨の〔宇治の山へ〕歸り入るにも、
薫「必ず參りて物習ひ聞ゆべく、まづ内々にも、氣色賜はり給へ〔私が八宮へ參りて御教を受けらるゝ樣に内々御許を得て下され〕。」
など語らひ給ふ。
帝は御言傳にても〔使に傳言もし歌もおくる也〕、「哀なる御住居を人傳に聞くこと。」など(*八宮に)聞え給うて、
冷泉世をいとふ心は山にかよへども八重たつ雲をきみやへだつる
〔我も君を(*君と、か。)齊しく世を厭ふ身なるに、我と君との間の疎遠なるは宇治山の雲を障壁にして我を隔て給ふならん。〕
阿闍梨、この御使をさきに立てて、かの宮にまゐりぬ。斜なるきはの〔普通の身分の人の〕、さるべき人の使だに稀なる山陰に、いと珍らしく待ち喜び給ひて、所につけたる肴などして、さる方にもてはやし給ふ〔使者を歡待する〕。御かへし、
八宮あとたえて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ
〔別に山籠りして悟りきつて居る譯ではなし、只世を憂く思ひて此樣な所に引込みたる迄の事也。〕
聖のかたをば〔佛道の方の自分の修行を〕卑下して、聞えなしたまへれば、「猶世に怨殘りけり。」と、(*帝は)いとほしく御覽ず。
阿闍梨、「中將の君〔薫〕の道心深げに物し給ふ。」など、語り聞えて、
阿闍梨「『法文などの心得まほしき志なむ〔經文の意味を知りたき心が。以下「頼み聞えさする」迄薫の詞を阿闍梨が眞似て話す也〕、いはけなかりし齡より深く思ひながら、え去らず世にあり經る程、公私にいとま無く明け暮し(*「自らうち倦み」につながる)、わざと閉籠りて習ひ讀み、大方はかばかしくもあらぬ身にしも、世の中を背き顔ならむも、憚るべきにあらねど〔わざ\/其爲に閉ぢ籠りて經文を習ひ、つまらぬ身分の癖に我こそ世を厭ふといふ顔をするのも何も惡い譯ではないが〕、自らうち倦み、紛はしくてなむ〔取紛れがちにて〕過しくるを、いとありがたき御有樣を〔八宮の珍らしき御身の上を〕承り傳へしより、かく心にかけてなむ頼み聞えさする〔八宮を佛教の師と頼む〕。』など懇に申し給ひし。」
など語り聞ゆ。宮、
八宮「世の中をかりそめのことと思ひ取り〔假の世と悟り〕、厭はしき心の〔此世を厭ふ心の〕つき初むる事も、我が身にうれへある時、なべての世怨めしう思ひ知る初ありてなむ〔世間が怨めしくなる機會ありてこそ〕、道心も起るわざなンめるを、年若く世の中思ふにかなひ、何事も飽かぬことはあらじと覺ゆる身の程に〔薫の身分で〕、然はた後の世をさへ、たどり知り給ふらむが有り難さ〔左樣に後世の事迄心にかけらるゝとは殊勝なり〕。こゝには、然べきにや、唯いとひ離れよと、殊更に佛などの勸めおもむけ給ふやうなる有樣にて〔我は斯くあるべき運と見えて丸で佛に此世を厭へ\/と勸められる樣な身の成行で〕、おのづからこそ、靜なる思ひに叶ひゆけど、のこり少き心地するに、はか\〃/しくもあらで過ぎぬべかンめるを〔最早餘命も何程もなき此年になりても碌に悟りも出來ず仕舞になりさうなるに〕、來し方行く末、更にえたどる所なく(*私は尋ね知ることもかなわず)思ひ知らるゝを、かへりては心恥かしげなる法の友にこそはものし給ふなれ〔薫は我が彼に教ふるどころか、彼に對して我こそ恥かしかるべき佛道の友であるらしく思はる〕。」
など宣ひて、互に御消息かよひ、自らもまうで給ふ〔薫自らも八宮を訪問す〕。
薫の訪問
實に聞きしよりも哀に、住ひ給へる樣よりはじめて、いと假なる草の庵に思ひなし、ことそぎたり〔假の住居と思ひて萬事を手輕にしたり〕。同じき山里といへど、さる方にて心とまりぬべく、のどやかなるもあるを〔寂しきなりに氣に入りて閑寂なよき處もあるに〕、〔此宇治の山莊は〕いと荒ましき水の音・波の響に、物忘れうちし、夜など心解けて、夢をだに見るべき程もなげに、すごく吹き拂ひたり。〔以下薫の心。〕「聖だちたる御爲には〔坊主生活をする八宮の爲には〕、斯かるしもこそ、心とまらぬ催ならめ〔此世に執心を殘さぬ助となりてよからんが〕、女君達〔姫君たちは〕、何心地して過し給ふらむ。『世のつねの女しくなよびたる方は遠くや。』と〔此樣な所にばかり居ては通常の女らしく優美な風は乏しかるべしと〕、推しはからるゝ御有樣なり。」
佛の御方には、障子ばかりを隔ててぞおはすべかンめる〔姫君達の居間は八宮の居る佛間とは唐紙一重の隔らしい〕。すき心あらむ人は、氣色ばみ寄りて、人の御心ばへ〔姫君達の氣風〕をも見まほしう、流石にいかゞと、ゆかしうもある御けはひなり。されど、「さる方を思ひ離るゝ願に、山深く尋ね聞えたる本意なく、すき\〃/しきなほざりごとを打ち出で、あざればまむも、ことに違ひてや。」〔もと\/世間を遁れたしとの趣意で此樣な處まで尋ね來たのに、姫君が居るからとて浮氣らしき當座の戲を言ふも不都合な話。薫の心。〕など思ひ返して、宮〔八宮〕の御有樣のいと哀なるを、懇にとぶらひ聞え給ひ、たび\/參り給ひつゝ、思ひし樣に、優婆塞〔俗體にて佛門に入れる男の稱〕ながら行ふ山の深き心〔宇津保に「優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば」〕・法文など、わざとさかしげにはあらで、いとよく宣ひ知らす〔知つたかぶりをせずして八宮が解き聞かす〕。
聖だつ人・才ある法師などは、世におほかれど、あまりこはごはしう、氣遠げなる宿徳の僧都・僧正のきはは〔より附き難げなる老僧どもになると〕、世に暇なくきすぐにて〔ぶつきらぼうにて〕、物の心を問ひあらはさむも、こと\〃/しく〔薫が〕覺え給ふ。又その人ならぬ佛の御弟子の、忌むことを保つばかりの尊さはあれど〔地位・學問などのなき僧は戒律を守る方では尊けれど〕、けはひ卑しく言葉だみて、骨なげに物馴れたる、いとものしくて〔無骨にて馴れ\/しきが氣障で〕、〔薫が〕晝はおほやけごとに暇なくなどしつゝ、しめやかなる宵の程、氣近き御枕上などに召し入れ、語らひ給ふにも、いとさすがに物むづかしくなどのみあるを〔其樣な卑しき僧を呼ぶは嫌な感じがして、兎角適當の人がなくて困り居しに〕、〔八宮は〕いとあてに心苦しきさまして、宣ひ出づる言の葉も、同じ佛の御教をも、耳近き喩にひきまぜ、いとこよなく深き御悟にはあらねど〔八宮の佛學はさ程深くはなけれど〕、よき人は、物の心を得たまふ方の、いとことに物し給うければ、やう\/〔薫が〕見馴れ奉り給ふたびごとに、常に見奉らまほしうて、暇なくなどして程經る時は、〔薫が八(*宮を)〕(*頭注の印刷漏れ)戀しうおぼえ給ふ。
この君の、〔薫が八宮を〕かく尊がり聞え給へれば、冷泉院よりも、常に御消息などありて、年頃音にもをさ\/聞え給はず、いみじく寂しげなりし〔八宮の〕御住處に、やう\/人目見る時々あり。をりふしに〔冷泉院より〕とぶらひ聞え給ふこといかめしう、この君〔薫〕も、まづ然るべき事につけつゝ、をかしき樣にも、まめやかなる樣にも〔風流趣味の方につけても生活上の手助の方につけても〕、心よせ仕う奉り給ふこと、三年ばかりになりぬ。
単独行と垣間見
秋の末つ方、〔八宮が〕四季にあてつゝし給ふ御念佛を、この河面は〔宇治川の邊なる八宮の山莊は〕、網代の浪も、この頃はいとゞ耳かしがましく靜ならぬをとて、かの阿闍梨の住む寺の堂に〔八宮が〕うつろひ給ひて、七日のほど行ひ給ふ。姫君達は、いと心ぼそく徒然まさりて眺め給ひける頃、中將の君(*宰相中将=薫)「久しく參らぬかな。」と、(*八宮を)思ひ出で聞え給うける(*ママ)まゝに、有明の月の、まだ夜深くさし出づる程に出でたちて、いと忍びて、御供に人なども無く、やつれて〔宇治へ〕おはしけり。河の此方なれば、船などもわづらはで〔船に乘る世話もなく〕(*わづらはさで)、御馬にてなりけり。〔宇治の山里へ〕入りもて行くまゝに、霧ふたがりて、道も見えぬ繁木の中をわけ給ふに、いと荒ましき風のきほひに、ほろ\/と落ち亂るゝ木の葉の露の散りかゝるも、いと冷に、人やりならず〔心がらで〕(*自分からしたこととはいえ)いたく濡れ給ひぬ。かゝるありきなども、をさ\/ならひ給はぬ心地に、心細くをかしく思されけり。
薫山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろき我が涙かな
山賤の驚くもうるさしとて、隨身の音もせさせ給はず〔先拂の聲をたてさせず〕、柴の籬をわけつゝ、そこはかとなき水の流どもを、ふみしだく駒の足音も、猶忍びてと用意し給へるに、かくれなき御匂ぞ、風にしたがひて、「主知らぬ香」と〔「主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰がぬぎかけし藤袴ぞも」〕(*古今集・素性法師)おどろく寢覺の家々ぞありける。
近くなる程に、その事とも聞き別れぬ〔何の音とも分らぬ〕物の音ども、いとすごげに聞ゆ。〔薫の心〕「常にかく遊び給ふと聞くを〔八宮父子が常に音樂を弄ぶ由は帝に聞きたれど(*原文頭注「帝に」が「音樂を」の前にあり。)〕、ついでなくて、親王〔八宮〕の御琴の音の名高きも、え聞かぬぞかし。よき折なるべし。」と思ひつゝ入り給へば、琵琶の聲のひゞきなりけり。黄鐘調にしらべて、世の常のかきあはせなれど〔珍らしからぬ調子なれど〕、所がらにや耳馴れぬ心地して、掻き返す撥の音も〔すくひ撥の音なりといふ〕、物清げに面白し。箏の琴、哀になまめいたる聲してたえ\〃/聞ゆ。しばし聞かまほしきに、忍び給へど、御けはひしるく聞きつけて、宿直人めく男なま頑しき、出で來たり。
宿直人「しか\〃/なむ籠りおはします〔斯く\/の次第で八宮は寺に御引籠り中也〕。御消息をこそ聞えさせめ。」
と申す。
薫「何かは。しか限ある御行の程を、紛らはし聞えさせむにあいなし〔日限のある御勤の最中を邪魔するは心なき事ぢや〕。かく濡れ\/參りて、いたづらに歸らむうれへを〔無駄足して歸り行く不足を〕、姫君の御方に聞えて、哀と宣はせばなむ慰むべき〔姫君から氣の毒と言つて貰へば滿足〕。」
と宣へば、見にくき顔うち笑みて、
宿直人「申させ侍らむ。」
とて立つを、
薫「しばしや。」
と召し寄せて、
薫「年頃人傳にのみ聞きて、ゆかしく思ふ御琴の音どもを。嬉しき折かな。しばし、少したち隱れて聞くべき、物の隈ありや。つきなくさし過ぎて參りよらむ程、皆ことやめ給ひてば〔突然無暗に私が參つて其爲に皆彈きやめなされたらば〕、いと本意なからむ。」
と宣ふ。
御けはひ顔容貌の、さる直々しき心地にも〔宿直人の卑しき心地にも〕、いとめでたく辱く覺ゆれば、
宿直人「人聞かぬ時は、旦暮かくなむあそばせど、下人にても、都のかたより參り、立ちまじる人侍る時は、音もせさせ給はず。大方、かくて女君達おはしますことをば、隱させ給ひ、なべての人に知らせ奉らじと、思し宣はするなり。」
と申せば、うち笑ひて、
薫「あぢきなき御物隱なり。しか忍び給ふなれど、皆人有り難き世のためしに、聞き出づべかンめるを〔此處の姫君等の事は世に珍らしき美人として噂が傳はり居るらしきに〕。」
と宣ひて、
薫「猶しるべせよ。我はすきずきしき心など無き人ぞ。かくておはしますらむ御有樣の、怪しく實になべてに覺え給はぬなり〔どういふものか一通りの女等の樣には思はれず、見たく思ふ也〕。」
と細やかに宣へば、
宿直人「あなかしこ。心なきやうに後の聞や侍らむ〔御案内をして隙見をさせたらば後で知れて、心無い事をしたりと叱られるならん〕。」
とて、あなたの御前〔姫君等の居る所の前〕は、竹の透垣しこめて、皆隔ことなるを〔別にしきりてあるを〕、教へ寄せ奉れり。御供の人は、西の廊に呼びすゑて、この宿直人あへしらふ。
あなたに〔姫君の居間の方に〕通ふべかンめる透垣の戸を、少し押し明けて見給へば、月をかしきほどに霧り渡れるをながめて、簾を短く卷き上げて、人々居たり。簀子に、いと寒げに身細くなえばめる童一人、同じさまなる大人など居たり。内なる人、一人(*中君)は、柱に少し居隱れて、琵琶を前に置きて、撥を手まさぐりにしつゝ居たるに、雲隱れたりつる月の俄にいと明くさし出でたれば、
中君(*原文「大君」とあり。ここでは中君が琵琶をかき鳴らしている。)「扇ならで、これしても、月はまねきつべかりけり。〔扇を以て月を招く故事見當らず。故に宣長は「まねき」は「まねび」の誤ならんといへり。摩訶止觀に、「月隱2重山1兮擧レ扇喩レ之、風息2大虚1兮動レ樹教レ之。」ちとむつかし過る樣なれど天台佛教の盛なる當時の事にて殊に八宮の姫君等なれば此位の事は言ひても不相應にもあるまじき歟。〕」
とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげに匂ひやかなるべし。添ひ臥したる人〔中の君〕(*大君)は、琴の上に傾きかゝりて、
大君(*原文「中君」)「入る日をかへす撥こそありけれ〔「還城樂」に陵王入日を撥を以て招きかへす事あり。〕。樣異にも思ひ及び給ふ御心かな〔撥を月の方に持つてゆくとは妙な處へ氣のつきなされた事哉〕。」
とて、打笑ひたるけはひ、今少し重りかによしづきたり。
中君(*原文「大君」)「及ばずとも、これも月に離るゝものかは〔琵琶に撥を納むる穴あり。之を隱月といふ。故に月に離れぬ縁ありといふ也〕(*琵琶の上部に「半月」、下部「覆手」の下に「隠月」〔いんげつ〕があるという)。」
など、はかなきことを、うち解け宣ひかはしたる御けはひども、更に餘所に思ひやりしには似ず、いと哀になつかしうをかし〔薫の感〕。〔薫の心〕「昔物語などに語り傳へて、若き女房などの讀むを聞くに、必ずかやうのことを言ひたる〔かく思ひ懸けぬ處に思の外なる美人を見附くる事などを書きてあるを〕、然しもあらざりけむ、と憎く推し量らるゝを、實に哀なるものの隈ありぬべき世なりけり。」と〔此姫君等の事より推せば實際小説にある樣な事もありさうな世ぢやわいと〕、〔姫君に〕心うつりぬべし。霧の深ければ、さやかに見ゆべくもあらず。又月さし出でなむと思すほどに、奧の方より「人おはす。」と告げ聞ゆる人やあらむ〔客來の趣を知らせる人があると見えて〕、簾おろして皆入りぬ。〔人々が引込む態度が〕驚き顔にはあらず、なごやかにもてなして、やをら隱れぬるけはひども、衣の音もせず、いとなよゝかに心苦しうて、いみじうあてにみやびやかなるを、〔薫が〕哀と思ひ給ふ。
辨の御許の話
やをら〔薫が〕立出でて、京に、御車率て參るべく、人走らせ給ひつ。ありつる侍〔宿直人〕に、
薫「折あしく參り侍りにけれど、〔隙見をして〕なか\/嬉しく、思ふこと少し慰めてなむ、かく侍ふよし聞えよ〔私の參れる由を申上げよ〕。いたう濡れにたるかごとも聞えさせむかし〔不足を申上げん〕。」
と宣へば、參りてきこゆ。
かく見えやしぬらむとは思しもよらで〔薫に隙見されたかしら抔とは姫君等が思もよらず〕、「打解けたりつる事ども〔奏樂〕を、聞きやし給ひつらむ。」と、いといみじく恥かし。〔姫君等の心〕「怪しくかうばしく匂ふ風の吹きつるを、思ひがけぬ程なれば、驚かざりつる心おそさよ。」と〔氣のつかざりし遲鈍さよと〕、心も惑ひて恥ぢおはさうず(*原文「恥ぢおはさうす」。「おはさうず」〔補動〕は「皆…していらっしゃる」の意)。御消息など傳ふる人も〔薫と姫君等との挨拶を取次ぐ女も〕、いと初々しき人なンめるを、「折からにこそ萬のことも。」と思いて〔萬事は其場合によるべき事なれば斯かる場合に遠慮するは惡しと薫が思ひて〕、まだ霧のまぎれなれば、ありつる御簾の前〔隙見しおきたる簾の前の簀子〕にあゆみ出でて、つい居給ふ。山里びたる若人どもは、さし答へむ言の葉も覺えで、御■(衣偏+因:いん::大漢和34257)さし出づる樣もたど\/しげなり。
薫「この御簾の前には、はしたなく侍りけり〔御簾の内へ入れて下されてもよき筈。簾外に置かるゝは居心が惡い〕。うちつけに淺き心ばかりにては、かくも尋ね參るまじき、山のかけ路に思う給ふるを〔一時の出來心位では尋ね來る事は出來ぬ程の大儀な路と思ふに〕、樣異にてこそ〔私をこゝに置かるゝはちと變な御取扱と思ふ〕。かく露けき旅を重ねてば、さりとも御覽じ知るらむとなむ〔私の了簡が御分りになる事もあらうと〕、頼もしう侍る。」
と、いとまめやかに宣ふ。
若き人々の、なだらかに物聞ゆべきもなく〔調子よく應答の出來る女もなく〕、消え返りかゞやかしげなるも、かたはらいたければ〔恥かしがり居るらしきも座が白けて極りが惡き故〕、女房の奧深きを〔奧深く居る侍女を〕おこし出づるほど、久しくなりて、わざとめいたるも苦しうて、
大君「何事も思ひ知らぬありさまにて〔何も分らぬ私共の分際で〕、知り顔にもいかゞは聞ゆべき。」
と、いと由あり、あてなる聲して、ひき入りながら仄に宣ふ。
薫「かつ知りながら、憂きを知らず顔なるも、世のさがと思う給へ知るを〔一方では心得て居ながら知らん顔するも世の習とは思へど〕、一所しも、あまりおぼめかせ給へらむこそ、口惜しかるべけれ〔大君にしてなほ且空知らずせらるゝは殘念也〕。ありがたう萬を思ひすましたる御住居などに、たぐひ聞えさせ給ふ御心のうちは、何事も涼しく推し量られ侍れば〔悟り切りたる父に伴ひ居らるゝ姫君等は已に萬を悟り居らるべければ〕、猶かく忍びあまり侍る深さ淺さの程も、わかせ給はむこそかひは侍らめ〔つゝみ切れぬ程の私の心を酌み取り下されてこそ悟られたかひもあるといふもの〕。世の常のすき\〃/しき筋には、思し召し放つべくや〔私の心盡しを尋常の色戀の筋とは別に思召して戴きたし〕。さやうの方〔色戀の方〕は、わざとすゝむる人侍りとも、靡くべうもあらぬ心強さになむ。おのづから聞し召しあはする樣も侍りなむ〔其點は自然人の噂を聞かれても分る筈〕。徒然とのみ過し侍る世の物語も、聞えさせ所に頼み聞えさせ、又かく世離れて眺めさせ給ふらむ、御心の紛らはしにも、さしも驚かさせ給ふばかり聞えなれ侍らば〔私からは姫君等を退屈ざましの話相手とし、姫君等からも又退屈ざましに其方から進んで私に文通もせられる位に親しくなりたらば〕、いかに思ふ樣に侍らむ。」
など、多く宣へば、つゝましく答へにくゝて、起しつる老人〔辨の君〕の出で來たるにぞ讓り給ふ。たとしへなくさし過して〔出過ぎて〕、
辨「あな辱や〔失禮な〕。かたはらいたき御座の樣にも侍るかな。御簾の内にこそ〔簾内に薫を入るゝが至當〕。若き人々は、ものの程知らぬやうに侍るこそ。」
など、したゝかにいふ聲の、さだすぎたるも、かたはらいたく君達はおぼす。
辨「いとも怪しく、〔八宮が〕世の中に住ひ給ふ人の數にもあらぬ御有樣にて、然もありぬべき人々だに、訪らひ數まへ聞え給ふも、見え聞えずのみなりまさり侍るめるに、ありがたき御志のほどは〔音信してよき筈の人々さへ段々來なくなる一方である中へ度々御尋ね下さる薫の有難き御志は〕、數にも侍らぬ心にも〔私の心にも〕、あさましきまで思ひ給へ聞えさせ侍るを、〔姫君等の〕若き御心地にも思し知りながら、聞えさせ給ひにくきにや侍らむ〔言い出し(*ママ)にくきならん〕。」
と、いとつゝみなく物馴れたるも、なま憎きものから、けはひいたう人めきて〔老女の樣子人物くさく〕(*相応の人品らしく見え)、よしある聲なれば、
薫「いとたづきも知らぬ心地しつるに、嬉しき御けはひにこそ〔取附き處なき心持なりしに其方の御挨拶で嬉しい〕。何事も實に、思ひ知り給ひける頼こよなかりけり〔何もかも分つて居る其方が居るので心強い〕。」
とて、寄り居給へるを、几帳の側より〔女等が〕見れば、曙のやう\/ものの色わかるゝに、實にやつし給へると見ゆる、狩衣姿のいと濡れしめりたる程、うたて(*異様に)、「この世の外の匂にや。」と、怪しきまで薫り滿ちたり。
この老人はうち泣きぬ。
辨「『さし過ぎたる罪もや。』と、思う給へ忍ぶれど〔此樣な事を話したらさし出がましからんかと我慢すれど〕、『哀なる昔の御物語の、如何ならむ序に、打出で聞えさせ〔薫に申上げ〕、かたはしをもほのめかし、知ろし召させむ。』と、年頃念誦のついでにも、うちまぜ思う給へわたるしるしにや〔佛に申す願の中に此事をも申し來りし驗にや〕、嬉しき折に侍るを、まだきにおぼほれ侍る涙にくれて〔話し出さぬ中から溢れる涙の爲に〕、えこそ聞えさせ侍らね。」
とうちわなゝく氣色、誠にいみじく物悲しと思へり。大方、さだすぎたる人は、涙もろなるものとは〔かねて薫が〕見聞き給へど、いと斯うしも思へるも、怪しうなり給ひて、
薫「ここにかく參ることは、度重なりぬるを、かく哀知り給へる人もなくてこそ、露けき道のほどに、一人のみそぼちつれ(*原文「そほぢつれ」)。嬉しき序なンめるを、言な殘い給ひそかし〔あらひざらひ言うて下され〕。」
と宣へば、
辨「かゝる序しも侍らじかし。また侍りとも、夜の間の程知らぬ命の、頼むべきにも侍らぬを〔今夜死ぬかも知れぬ私の命は當にならねば〕、さらば唯、『かゝる古者〔老人、辨自身をさす。〕世に侍りけり。』とばかり、知ろし召され侍らなむ。『三條の宮に侍ひし小侍從〔柏木と女三宮との中を取持ちし女三の侍女〕は、はかなくなり侍りにける。』と、ほのかに聞き侍りし。そのかみ睦まじう思う給へし、おなじ程の人〔私と同年輩の人〕、多く亡せ侍りにける世の末に、遙なる世界より傳はりまうできて〔私は遠國からやつて來て。筑紫より來りし也。此事末に見えたり。〕、この五年六年のほどなむ、これに斯くさぶらひ侍る〔八宮方に仕へ居る〕。
え知ろし召さじかし、この頃藤大納言(*後の紅梅右大臣)と申すなる御兄の〔今藤大納言と言はれて居る人の御兄で〕、衞門督にてかくれ給ひにし〔柏木〕は、物のついでなどにや、かの御上とて〔柏木といふ人は斯樣斯樣の人物なりと〕聞し召し傳ふる事も侍らむ。すぎ給ひて〔柏木が死なれてから〕、いくばくも隔たらぬ心地のみし侍る。その折の悲しさも、まだ袖のかわくをり侍らず思ひ給へらるゝを、手を折りて數へ侍れば、かく大人しくならせ給ひにける〔薫の〕御齡の程も、夢のやうになむ。
かの故權大納言の〔柏木の〕御乳母に侍りしは、辨が母になむ侍りし。〔辨が柏木に〕朝夕に仕う奉り馴れ侍りしに、人數にも侍らぬ身なれど、人に知らせず〔柏木が人には言はれず〕、御心よりはた餘りけることを、をり\/うちかすめ宣ひしを、今は限になり給ひにし御病の末つ方に、〔私を〕召し寄せて、いさゝか宣ひ置くことなむ侍りしを、聞し召すべき故なむ一事侍れど〔其遺言の中に薫に申上げねばならぬ事一つあれど〕、かばかり聞え出で侍るに、のこりをと思し召す御心侍らば〔是丈申上げたるを聞召して此殘りをも聞きたき御心があらば〕、のどかになむ聞し召し果て侍るべき〔又ゆつくり御耳に入れませう〕。若き人々〔若き侍女等〕も、『かたはらいたく、さし過ぎたり。』と、つきしろひ(*原文「つきじろひ」。小声でつつき合う意。)侍るめるも理になむ。」
とて、流石に打ち出でずなりぬ〔語らんとせし目的の話はせずに仕舞ひたり〕。
あやしく、夢がたり・巫女やうのものの、問はず語りするやうに、珍らかに思さるれど、哀に覺束なく思し渡ることの筋を聞ゆれば〔自分がかねて疑問にして居る柏木の事を話す故〕、いとおくゆかしけれど、げに人目もしげし。さしくみに(*原文「さしぐみに」)〔不慮に〕古物語にかゝづらひて、夜を明しはてむも、こち\〃/しかるべければ〔無骨に趣なき樣なるべければ〕、
薫「そこはかと思ひわく事は無きものから〔其丈の御話では何の話といふ見當はつかねど〕、古の事と聞き侍るも物哀になむ。さらば必ずこの殘り聞かせ給へ。霧晴れゆかばはしたなかるべきやつれを、面なく御覽じ咎められぬべき樣なれば〔霧晴れて物の色目が明らかになりては、恥かしき此見すぼらしき姿をすつかり見られて仕舞はねばならぬ故〕、思ひ給ふる心の程よりは、口惜しうなむ〔心で思つて居る程に長居も出來ぬが殘念〕。」
とて立ち給ふに、かのおはします寺〔八宮の籠り居る寺〕の鐘の聲、かすかに聞えて、霧いと深くたち渡れり。峯の八重雲思ひやるへだて多く〔「思ひやる心ばかりはさはらじを何隔つらん峯の八重雲」〕(*後撰集1306・橘直幹)哀なるに、猶この姫君達の御心のうちども心苦しう、〔薫の心〕「何事を思し殘すらむ。斯くいと奧まり給へるも理ぞかし〔引籠思案なるも道理〕。」など思す。
薫「あさぼらけ家路も見えずたづねこし槇の尾山はきりこめてけり
心細くも侍るかな。」
と、立ちかへり休らひ給へるさまを、〔「都の」より「聞えたるを」まで二句挿入文。〕都の人の目馴れたるだに、猶いとことに思ひ聞えたるを〔よき人を見つけたる都人の目にさへ薫は特によく思はるゝに〕、まいていかゞは珍らしう見ざらむ。
御かへり聞え傳へにくげに〔侍女等が〕思ひたれば、例のいとつゝましげにて、
大君雲のゐる峯のかけぢを秋霧のいとゞへだつるころにもあるかな
〔雲が元よりある上に霧まで立隔てゝ御歸の路を覺束なくする事哉。〕
少しうち歎き給へる氣色、淺からず哀なり。何ばかりをかしき節は見えぬあたりなれど〔何の風情もなき此山莊なれど〕、實に〔薫が〕心苦しきこと多かるにも、明うなり行けば、流石にひたおもてなる心地〔直接に顔を見られる心持。恥かしき心持。〕して、
薫「なか\/なるほどに、承りさしつることも多かる殘りは〔なまじ詞をかはしてまだ眞情を打明ける迄にはゆきかねたる其殘りは〕、今少し面馴れてこそは、怨み聞えさすべかめれ。さるは、かく世の人めいてもてなし給へば〔私を普通一般の人の樣に取扱はるゝ故〕、『思はずに物思しわかざりけり。』と〔案外物の差別を御存じがないわいと〕、怨めしうなむ。」
とて、宿直人がしつらひたる、西面におはして眺め給ふ。
供人(*原文には注記なし。)「網代に人騷がしげなり。されど氷魚も寄らぬにやあらむ〔網代へよりつかぬと見えて〕、すさまじげなる氣色なり。」
と、御供の人々見知りて言ふ。怪しき船どもに柴苅り積み、おの\/何となき〔樣々なる〕世の營どもに、行きかふ樣どもの、はかなき水の上に浮びたる、〔薫の心。〕「誰も思へば同じ如なる世の常なさなり〔無常なる世に生活する危さは誰が身の上もかの水に浮べる人達に異ならず。〕。『我は浮ばず〔我身は彼等の如く浮きたるものにあらず〕。玉の臺に靜けき身。』と思ふべき世かは。」と思ひつゞけらる。硯召し出でて、あなたに〔姫君に〕聞え給ふ。
薫「はし姫のこゝろをくみて高瀬さす棹のしづくに袖ぞぬれぬる
〔引舟の往來を見て斯かる處に住まはるゝ姫君達の心を思遣り同情に堪へず。宇治に橋姫の社あり。高瀬は瀬の淺き處。〕(*「橋姫」は宇治に住む女性を指す。)
ながめ給ふらむかし。」
とて、宿直人にもたせ給へり。寒げにいらゝぎたる〔そう毛立ちたる〕顔して持てまゐる。御かへり、紙の香などおぼろけならむ(*原文「おぼろげならむ」)は恥かしげなるを〔一通りの品では恥かしき御手紙なれど、〕、
人々(*原文注記なし。)「疾きをこそは。かゝる折は。」
とて〔斯かる場合は早いが專一と〕、
大君「さしかへる宇治の川をさ朝夕のしづくや袖をくたしはつらむ
〔川長に托して自分の身の憂きを述べたる也。川長は渡守。〕
身さへ浮きて
(*引歌があるか)。」
と、いとをかしげに書き給へり。
「まほにめやすく物し給ひけり。」と、心とまりぬれど〔大君の文を見ての薫の感。〕、
供人(*原文注記なし。)「御車ゐて參りぬ。」
と人々騷がし聞ゆれば、宿直人ばかりを召しよせて、
薫「かへり渡らせ給はむ程に〔八宮歸邸の時分に〕、必ず參るべし。」
など宣ふ。濡れたる御衣どもは、皆この人に脱ぎかけ給ひて〔宿直人に與へて〕、取りにつかはしつる御直衣に奉りかへつ。
老人の物語、心にかゝりて思し出でらる。思ひしよりはこよなく勝りて、おほどかにをかしかりつる〔姫君の〕御けはひども、面影にそひて、「猶思ひ離れがたき世なりけり。」と〔かゝる女がありては出家も出來にくしと〕、心弱く思ひ知らる。御文奉り給ふ。懸想だちてもあらず、白き色紙の厚肥えたるに、筆はひきつくろひ擇りて、墨つぎ見所ありて書き給ふ。
薫「うちつけなる樣にやと〔思ふ通りの事を申上げたらば餘りだしぬけて(*「だしぬけで」か。)失禮ならんと斟酌して〕、あいなくとゞめ侍りて〔何とはなしに言はずに仕舞ひて〕、殘り多かるも苦しきわざになむ。かたはし聞え置きつるやうに〔既に聊か申上げおきし通り〕、今よりは御簾の前も、心やすく思し許すべくなむ〔自由に御目にかゝる樣にして下され〕。御山ごもり果て侍らむ日數も承りおきて、いぶせかりし霧のまよひもはるけ侍らむ〔深き霧をわけて行きし先日の辛勞を今度は取りかへしたし〕。」
などぞ、いとすくよかに書き給へる。左近の將監なる人御使にて、
薫「かの老人尋ねて、文もとらせよ。」
と宣ふ。宿直人が寒げにてさまよひしなど、哀に思しやりて、大きなる檜破子やうのもの、數多せさせ給ふ〔調へて持たせてやる〕。
またの日、かの御寺にも〔使を〕奉り給ふ。〔薫の心〕「山籠の僧ども、この頃の嵐には、いと心細く苦しからむを、さておはしますほどの布施賜ふべからむ。」と〔八宮御滯在中僧に必ず布施を遣はさるゝならんと〕思しやりて、絹・綿など多かりけり。
〔使の行きしは〕御行果てて出で給ふ朝なりければ、行人どもに、綿・絹・袈裟・衣など、すべて一領の程づつ、あるかぎりの大徳だちに賜ふ。
宿直人、かの御脱ぎすて〔薫に貰ひたる衣〕の、艶にいみじき狩の御衣ども、えならぬ白き綾の御衣の、なよ\/と言ひ知らず匂へるをうつし著て、身をはたえかへぬものなれば〔身體は生れかはる譯にはゆかぬもの故〕、似つかはしからぬ袖の香を、人ごとに咎められ賞でらるゝなむ、なか\/所せかりける〔窮屈なり〕。〔宿直人が其香の爲に〕心にまかせて身を安くも振舞はれず、いとむくつけきまで人の驚く匂を、「失ひてばや。」と思へど〔なくして仕舞ひたしと思へど〕、所せき人の〔薫の〕御うつり香にて、えも濯ぎ捨てぬぞ餘りなるや〔洗ひても落ちぬとは餘り甚しい事ぢや〕。
匂宮
君〔薫〕は、姫君の御返事いとめやすく兒めかしきを、をかしく見給ふ。宮〔八宮〕にも、
人々(*原文注記なし。)「〔薫から〕かく御消息ありき。」
など、人々聞えさせ御覽ぜさすれば、
八宮「なにかは、懸想だちてもてない給はむも、なか\/うたてあらむ〔薫に對して姫君が色めかしき挨拶をするは却て異なものなるべし〕。例の若人に似ぬ御心ばへなンめるを〔薫は通例の若者の樣ではなき人で〕、『亡からむ後も。』など、一言うちほのめかしてしかば〔我が曾て我が死後を頼むと一言言ひし事ある故〕、さやうにて心を留めたらむ。」
など宣ひけり。御自らも、さま\〃/の御訪らひの、山の岩屋にあまりしことなど宣へるに〔八宮自身も薫の贈物の夥しかりし禮などを手紙で言ひ越されし故〕、「まうでむ。」と思して〔薫が八宮を訪問せんと思ひて〕、〔以下薫の心〕「三の宮〔匂兵部卿宮〕の、『かやうに奧まりたらむあたりの、見勝りせむこそをかしかるべけれ。』と〔世に知られぬ女で近づいて見れば案外によいといふ樣なのが面白いと〕、あらましごとにだに〔空なる希望としてさへ〕宣ふものを、聞えはげまして〔宇治の噂を大袈裟にして〕、御心さわがし奉らむ。」と思して、のどやかなる夕暮に參り給へり。
例のさまざまなる御物語、聞えかはし給ふ序に、宇治の宮のこと語り出でて、見し曉のありさまなど、くはしく聞え給ふに、宮いと切にをかしと思いたり。「さればよ。」と御氣色を見て〔薫が見て取りて〕、いとゞ御心動きぬべく言ひつゞけ給ふ。
匂「さてそのありけむ返事〔大君の返事〕は、などか見せ給はざりし。まろならましかば〔我ならば必ず君に見せるのに〕。」
と怨み給ふ。
薫「さかし〔嘲弄的に反對いひたる也〕。いとさまざま御覽ずべかめるはしをだに、見せさせ給はぬ〔色々の女から來る手紙をつひぞ御見せなされた事がない〕。『かのわたりは、斯くいとも埋れたる身にひき籠めて止むべきけはひにも侍らねば〔宇治の姫君は私如き數ならぬ身だけの關係にして置くのは惜しきもの故〕、〔匂宮に姫君等を〕必ず御覽ぜさせばや。』と思ひ給へれど、(*あなたは尊貴の身の上で)いかでか尋ねよらせ給ふべき〔中々彼處へ御出はむつかしかるべし〕。かやすき程こそ、好かまほしくはいとよく好きぬべき世に侍りけれ〔輕い身分の者こそ勝手に浮氣も出來る〕。うち隱ろへつゝ多かンめるかな〔人知れぬ處に面白い事が多い樣子ぢや〕。さる方に見所ありぬべき女の、物思はしきうち忍びたる住處も、山里めいたる隈などに、おのづから侍るべかンめり〔匂宮がかねて斯かる女を好物なるを知りてわざといふ也〕。この聞えさするわたりは、いと世づかぬ聖ざまにて、こちごちしうぞあらむと〔此の申上ぐる宇治の姫君は世間離れた坊主くさくて無骨な樣子ならんと〕、年頃は思ひ侮り侍りて、耳をだにこそ留め侍らざりけれ。ほのかなりし月影の〔遙かに月の光で見た器量が〕見劣りせずば、まほならむはや〔立派なものならん〕。けはひ有樣はた、然ばかりならむをぞ、あらまほしき程と覺え侍るべき。」
など聞え給ふ。はて\/は、まめだちて〔匂宮が眞底から〕いとねたく、〔以下匂の心〕おぼろけ(*原文「おぼろげ」)の人に心うつるまじき人の〔大抵の女には惚れまじき薫が〕、かく深く思へるを、「疎ならじ。」とゆかしう思すこと限なくなり給ひぬ。
匂「尚また\/よく氣色見給へ。」
と、人を〔薫を〕すゝめ給ひて、限ある御身のほどのよだけさを厭はしきまで〔勝手な眞似がしたくても出來ぬ身分の窮屈さをうるさがる程〕、心もとなしと思したれば、をかしくて、
薫「いでや、よしなくぞ侍る。しばし世の中に心とゞめじと、思ひ給うる樣ある身にて〔仔細ある身で〕、なほざりごともつゝましう侍るを〔當座の冗談も言ひかねる私なるに〕、心ながら叶はぬ心つきそめなば〔自分で自分の儘にならぬ戀情が起る樣な事もあらば〕、おほきに思ふに違ふべき事なむ侍るべき。」
と、聞え給へば、
匂「いであな事々し。例のおどろ\/しき聖詞、見はててしがな〔其結局を見たいものぢや〕。」
とて笑ひ給ふ。〔薫の〕心のうちには、かの古人のほのめかしゝ筋などの、いとゞうち驚かされて〔元からの自分の疑を刺激されて〕、物哀なるに、〔女の方の事は〕「をかし。」と見ることも、「めやすし。」と聞くあたりも、何ばかり心にもとまらざりけり。
薫の申し出
十月になりて、五六日のほどに、宇治へ〔薫が〕まうで給ふ。
供人(*原文注記なし。)「網代をこそこの頃は御覽ぜめ。」〔網代は冬のものなれば也。〕
と、聞ゆる人々あれど、
薫「何かはその蜉蝣にあらそふ心にて、網代にもよらむ。」〔網代は氷魚をとる爲のものなれば「ひを」と「ひをむし」とをかけて、はかなさを蜉蝣と爭ふ假の身で網代見物でもあるまじと言へる也。〕
と、そぎ捨て給ひて、輕らかに網代車にて、■(糸偏+兼:けん:かとり:大漢和27750)〔平絹也。やつしたる服装也。〕の直衣・指貫縫はせて、ことさらび〔ことさらにやつして〕著給へり。
宮〔八宮〕待ち喜び給ひて、所につけたる御饗など、をかしうしなし給ふ。暮れぬれば、大殿油近くて、さき\〃/見さし給へる文どもの深きなど〔深き意味など〕、阿闍梨も請じおろして、義などいはせ給ふ〔山から呼び下して意味を講釋させる〕。うちもまどろまず、河風のいと荒ましきに、木の葉の散りかふ音・水のひゞきなど、哀も過ぎて、物怖ろしく心ぼそき所の樣なり。
明けがた近くなりぬらむと思ふ程に、ありししのゝめ思ひ出でられて〔此前來し時の明方の景色を薫が思ひ出して〕、琴の音の哀なることの序つくり出でて〔琴の音といふ物は趣あるものなりといふ話の絲口を引出して〕、
薫「前の度霧にまどはされ侍りし曙に、いと珍らしきものの音、ひと聲承りし殘なむ、なか\/にいといぶかしう〔心がかりで〕、飽かず思ひ給へらるゝ。」
など聞え給ふ。
八宮「色をも香をも思ひ捨ててし後、昔聞きしことも皆忘れてなむ。」
と宣へど、人召して琴とりよせて、
八宮「いとつきなくなりにたりや〔琴をひく抔は不似合になつて仕舞ひたり〕。しるべする物の音につけてなむ〔合奏してくれる人があらば〕、思ひ出でらるべかりける。」
とて、琵琶召して、客人にそゝのかし給ふ〔薫にすゝむ〕。取りてしらべ給ふ。
薫「更にほのかに聞き侍りし同じものとも、思う給へられざりけり〔今此琴の調子を調べて見るに曾て我が聞いた同じ琴とは思はれず〕。御琴の響がらにやとこそ思ひ給へしか〔前に姫君等のひくを聞きし時には樂器がよい故よき音が出るならんと思ひしに〕。」
とて、心解けてもかきたて給はず。
八宮「いで、あなさがなや〔意地の惡い事を仰しやる〕。しか御耳とまるばかりの手などは、何處よりか此處までは傳りこむ〔誰に習つて私の子どもが出來ませう〕。あるまじき御事なり。」
とて、琴かきならし給へる、いと哀に心すごし。かたへは、峰の松風のもてはやすなるべし〔琴の音の身にしみて思はるゝは琴の音のよき故のみならず、松風の手傳ひて然感ぜしむるならん〕。いとたど\/しげにおぼめき給ひて〔八宮が忘れて覺束ない樣な振をして〕、心ばへある手ひとつばかりにてやめ給ひつ。
八宮「このわたりに、覺なくて、折々ほのめく箏の琴の音こそ〔私の家で不慮に時々娘どもの彈く琴の音は〕、心得たるにやと聞く折侍れど〔修業がつんで居る樣に思はるゝ事もあれど〕、心留めてなどもあらで、久しうなりにけりや。心にまかせて、各かきならすべかンめるは、河浪ばかりやうち合すらむ〔浪の音より外に相手になるものもなからん〕。論なう、物の用にすばかりの拍子なども、とまらじとなむ覺え侍る〔實際物になつて居る程に習ひ得ては居るまじと思ふ〕。」
とて、
八宮「かきならし給へ。」
と彼方に〔姫君等に〕聞え給へど、
姫君(*大君か。)「思ひ寄らざりし獨ごとを、聞き給ひけむだにあるものを、いとかたはならむ〔獨り彈き居し琴を薫に聞かれしさへ恥かしきに、改つて彈くは彌〃恥さらしならん〕。」
とひき入りつゝ、皆聽き給はず。度々そゝのかし聞え給へど、とかく聞えすまひてやみ給ひぬめれば、〔薫が〕いと口惜しう覺ゆ。その序にも、かく怪しう世づかぬ思ひやりにて、すぐす有樣どもの、思の外なることなど、恥かしう思いたり〔姫君等を他人から如何にも世間離れた田舍娘の樣に思はれて過させるのが不本意と八宮が思へり〕。
八宮「人にだに〔姫君等の身の上を〕いかで知らせじと、はぐくみ過せど、今日明日とも知らぬ身の、殘すくなさに、さすがに行末遠き人は〔生先長き娘どもは〕、落ちあぶれてさすらへむ事〔落魄してさまよひ歩かん事〕、これのみこそ、實に世を離れむきはのほだしなりけれ。」
と、打ち語らひ給へば、心苦しう見奉り給ふ。
薫「わざとの御後見だち、はか\〃/しき筋に侍らずとも、疎々しからず思し召されむとなむ〔私は姫君等の歴とした御世話人といふ程でなくとも、御心置なく御世話申上げたしと〕思う給ふる。しばしもながらへ侍らむ命のほどは〔私存命中は〕、一言もかく打ち出で聞えさせてむ樣を、違へ侍るまじくなむ。」
など申し給へば、
八宮「いと嬉しきこと。」
と思し宣ふ。
薫の出生の秘密
さて曉方、宮の御行し給ふほどに、かの老人〔辨の君〕召し出でて〔薫が〕あひ給へり。
(*八宮が)姫君の御後見にて侍はせ給ふ、辨の君とぞいひける。〔辨の君の身分の註解。〕年は六十にすこし足らぬほどなれど、みやびかに故あるけはひして、物など聞ゆ。故權大納言の君〔柏木〕の、世とともに〔生涯〕(*終始)物を思ひつゝ、病づきはかなくなり給ひにし有樣を聞え出でて、泣くこと限なし。〔薫の心〕「げに餘所の人の上と聞かむだに哀なるべき古事どもを、まして年頃覺束なくゆかしう、『如何なりけむ事のはじめにか。』と、佛にも『この事をさだかに知らせ給へ。』と、念じつる驗にや、かく夢のやうに哀なる昔がたりを、覺えぬ序に聞きつけつらむ(*「らむ」は原因推量の用法)。」と思すに、涙とゞめ難かりけり。
薫「さても、斯くその世の心知りたる人も、殘り給へりけるを、珍らかにも恥かしうも、覺ゆることの筋に、猶かくいひ傳ふる類やまたもあらむ〔其方の如く女三と柏木との關係を知れる人も今猶生存せるは珍らしくも恥かしくも思ふ譯なるが、此事件につきて其方の樣に秘密を知つて居る人が外にもあるか〕。年頃かけても聞き及ばざりけるを。」
と宣へば、
辨「小侍從と辨とはなちて〔除きては〕、又知る人侍らじ。一言にても、又こと人にまねび侍らず〔他人に語りし事なし〕(*「まねぶ」は「人に語り知らせる」意)。かく物はかなく、數ならぬ身のほどに侍れど、晝夜(*ママ)かの御かげにつき奉りて侍りしかば〔柏木に仕へしかば〕、おのづから物の氣色をも見奉りそめしに〔女三との關係をも知りたりしかば〕、御心よりあまりて(*柏木が女三宮を)思しける時々、唯二人の中になむ〔小侍從と辨との間にて〕、たまさかの御消息の通ひも侍りし。かたはらいたければ、委しく聞えさせず。
今はのとぢめになり給ひて〔柏木の臨終に〕、いさゝか宣ひおく事の侍りしを、かゝる身には置き所なく〔私如き賤しき身にはどうしてよいか分らず〕、いぶせく思う給へ渡りつゝ、『如何にしてかは聞召し傳ふべき。』と〔薫の御耳に入れたものかと〕、はか\〃/しからぬ念誦のついでにも、思う給へつるを、『佛は世におはしましけり。』となむ、〔かゝる奇遇もあるによりて〕思う給へ知りぬる。御覽ぜさすべき物〔薫に見せねばならぬもの〕も侍り。今は何かは〔今迄の辨の了簡を語る也〕、〔柏木に頼まれし品を〕燒きも捨て侍りなむ。かく朝夕の消を知らぬ身の〔何時死ぬか分らぬ身で〕、うち捨て侍りなば落ち散るやうもこそと〔跡にのこして死にたらば(*それが)人目にかゝる事もあればと〕、いとうしろめたく思ひ給ふれど、この宮わたりにも、時々ほのめかせ給ふを、待ち出で奉りしかば〔薫が八宮へ時々來らるゝ樣の機會にあひし故〕、少し頼もしく、『かゝる折もや。』と念じ侍りつる力出でまうで來てなむ。更にこれは、この世の事にも侍らじ〔これも前世の因縁なるべし〕。」
と、泣く\/細に、〔薫が〕生れ給ひける程のことも、よく覺えつゝ聞ゆ。
辨「〔柏木が〕空しうなり給ひし騷に、母に侍りし人〔辨の母〕は、やがて病づきて、ほども經ず隱れ侍りにしかば、いとゞ思う給へしづみ、藤衣もたちかさね〔辨が主人と母との二重の喪に服して〕、悲しきことを思ひ給へしほどに、年頃よからぬ人の心をつけたりけるが〔辨に懸想して居た男が〕、人をはかりごちて〔辨をだまして〕、西の海の果まで取りもてまかりにしかば〔連れて行きしかば〕、京のことさへ跡絶えて、その人もかしこにてうせ侍りにし後〔辨を連れて行きし男も九州にて死して後〕、十年あまりにてなむ、あらぬ世の心地して、まかり上りたりしを〔別世界へ來る樣な心持で上京せしに〕、この宮は父方につけて、童より參り通ふ故侍りしかば〔父方の縁者なりしかば。辨の父左中辨は八宮の北方の母方の叔父。〕、今はかう世に交らふべき樣にも侍らぬを、冷泉院の女御どの〔弘徽殿。柏木の妹。〕の御方などこそは、昔聞き馴れ奉りしわたりにて、參り寄るべく侍りしかど、はしたなく覺え侍りて〔其方へたよりて行くべき譯なるが極りわるく思ひて〕、えさし出で侍らで、深山がくれの朽木になりにて侍るなり〔宇治の山里に引籠る事になりたり〕。小侍從はいつか亡せ侍りにけむ。そのかみの若盛と見侍りし人は、數少くなり侍りにける末の世に、多くの人におくるゝ命を、悲しく思う給へてこそ、流石にめぐらひ侍れ〔生きて居る〕。」
など聞ゆるほどに、例の明けはてぬ。
薫「よし。然らばこの昔物語は盡きすべうなむあらぬ。又人聞かぬ心やすき所にて聞えむ。侍從といひし人は、ほのかに覺ゆるは〔我がうろ覺えに覺えて居る處では〕、〔薫が〕五六ばかりなりし程にや、俄に胸を病みて亡せにきとなむ聞く。かゝる對面なくば、罪重き身にて、過ぎぬべかりけること〔其方に逢はねば眞の父をも知らず罪ふかき身で終るべきであつた〕。」
など宣ふ。小やかにおし卷き合せたる反故どもの、黴くさきを袋にぬひ入れたる、〔辨が〕取り出でて奉る。
辨「御前にてうしなはせ給へ〔薫の御手でなくして仕舞ひて下され〕。〔「我」より「なりにたり」迄柏木の詞。〕『我猶生くべくもあらずなりにたり。』と宣はせて、この御文をとり集めて〔辨に〕賜はせたりしかば、小侍從に又あひ見侍らむ序に、定かに傳へ參らせむと思う給へしを、やがて別れ侍りにしも〔其れぎりで小侍從にも逢はずに仕舞ひしは〕、私事にはあらず悲しうなむ思ひ給ふる〔私情でなく主人への奉公の遂げぬを悲しく思ふ〕。」
と聞ゆ。つれなくて、これは隱い給ひつ〔薫が何げなく(*自分の)受取りたる書類をかくす〕。〔薫の心〕「かやうの古人は、問はず語にや、〔女三と柏木の秘密を〕怪しきことの例に言ひ出づらむ。」と、苦しくおぼせど、「かへす\〃/も散らさぬよしを誓ひつる。さもや。」と〔繰返し他言はせざりし由を誓ひたればさうかも知れぬと〕又思ひ亂れ給ふ。
御粥、強飯〔強飯は蒸したるもの〕など參り給ふ〔薫が食す〕。〔以下薫の八宮に對していふ趣意。〕「昨日は暇の日〔休日〕なりしを、今日は内裏の御物忌もあきぬらむ〔物忌中は人の出入を禁ずる也。今日は物忌もあきたる筈故參内せんと也。〕。院の女一宮惱み給ふ御とぶらひに、必ず參るべければ、かた\〃/暇なく侍るを、又この頃過して、山の紅葉散らぬさきに參るべき」よし、聞え給ふ。
八宮「かく屡たち寄らせ給ふ光に、山の蔭も少し物あきらむる〔物がはつきり見える樣な〕心地してなむ。」
など、喜び聞え給ふ。
〔薫が〕歸り給ひて、まづこの袋を見給へば、唐の浮線綾〔浮き織の地模樣ある帛〕を縫ひて、「上」といふ文字を上に書きたり(*神に捧げる物などの包みの上書きに「上〔たてまつ〕る」意で書く)。細き組〔組紐〕して口の方を結ひたるに、かの御名〔柏木の名を書きたり。〕の封つきたり。あくるも怖ろしう覺え給ふ。いろ\/の紙にて、たまさかに通ひける御文の返事〔女三の返事〕、五六ぞある。さては、かの御手にて〔柏木の手にて書ける文〕、〔以下柏木の文の意味。〕「病は重くかぎりになりたるに、又ほのかにも聞えむこと〔文通する事も〕難くなりぬるを、ゆかしう思ふことは添ひにたり。御容貌も變りておはしますらむが〔女三の出家せしをいふ〕、さま\〃/悲しき」ことを、陸奧紙五六枚に、つぶ\/とあやしき鳥の跡のやうに書きて、(*たどたどしく書き記して、)
柏木めの前にこの世をそむく君よりも餘所にわかるゝたまぞ悲しき
〔君に別れて死にゆく我が悲は堪へがたし。〕
また端に、
柏木「めづらしく聞き侍る二葉のほども、うしろめたう思ひ給ふる方はなけれど
〔生れし兒即ち薫の身の上は源の子として大事にせらるゝ筈なれば心配はなけれど〕、
命あらばそれとも見まし人しれずいはねにとめし松のおひすゑ
〔我命あれば餘所から竊になりとも薫の生先を見て慰めんものを。岩根は女三、松は薫。〕」
書きさしたる樣に、いと亂りがはしくて、「侍從の君に。」と上には書きつけたり。紙魚といふ蟲の住處になりて、古めきたる黴くささながら、あと〔筆跡〕は消えず、唯今書きたらむにも違はぬ言の葉どもの、こま\〃/と定かなるを見給ふに、「實に落ち散りたらましかば。」と〔辨のいふ通り人目につかば一大事と〕、うしろめたう、〔父母の爲に〕いとほしき事どもなり。「かゝる事世にまたあらむや。」と〔二つとはあるまじと〕、心ひとつにいとゞ物思はしさ添ひて、「内裏へ參らむ。」と思しつるも、出で立たれず。宮〔女三宮〕の御前に參り給へれば、いと何心もなく、若やかなる樣し給ひて、經讀み給ふを、恥らひてもて隱し給へり。〔經など讀むをも人前にて晴がましくするを恥らひたるは此頃の貴女の風俗也。〕〔薫の心〕「何かは知りにけりとも知られ奉らむ〔柏木との秘密を我が知れりと女三に知らせるには及ばぬ〕。」など、心にこめて、よろづに思ひ居給へり。
(*橋姫 <了>)