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椎本 (源氏物語 46)

紫式部
(武笠 三 校註『源氏物語三』有朋堂文庫 有朋堂書店 1914.7.10
※ 入力者の判断で適宜段落・小節を分け、見出しを施した。
〔緑字〕
は原文頭注、(*青字)は入力者注記を表す。

 匂宮の初瀬詣で出立  八宮邸訪問  姫君たちの後見  八宮の逝去                
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匂宮の初瀬詣で出立
二月きさらぎの二十日のほどに、兵部卿の宮(*匂宮)初瀬に詣で給ふ。ふるき願なりけれど、おぼしも立たで年頃になりにけるを、宇治のわたりのおん中宿なかやどり(*途中の休息)のゆかしさに、多くは催され給へるなるべし。怨めしといふ人もありける里の名の、なべて睦ましう(*原文「睦まじう」)思さるゝ故もはかなしや。
上達部かんだちめいとあまた仕うまつり給ふ。殿上人などさらにも言はず、世に殘る人少く仕うまつれり。六條院ろくでうのゐんより傳はりて、左の大殿おほいとの知り給ふ所は、河よりをちに、いと廣く面白くてあるに、おんまうけせさせ給へり。大臣おとゞも、かへさのおん迎に參り給ふべく思したるを、俄なるおん物忌の、重く愼み給ふべく申したれば、え參らぬ由のかしこまり申し給へり。なますさまじと思したるに、宰相中將、今日のおん迎に參りあひ給へるに、なか\/心やすくて、かのわたりの氣色も傳へ寄らむと心ゆきぬ。大臣をば、うちとけて見えにくゝ、事々しきものに思ひ聞え給へり。子の君達、右大辨侍從の宰相權中將頭少將(*のち頭中将)藏人の兵衞佐など、皆さぶらひ給ふ。(*今上帝と明石中宮)も心ことに思ひ聞え給へるなれば、大方のおんおぼえもいと限なく、まいて六條院おん方ざまは、つぎ\/の人も、皆私の君に心寄せ仕うまつり給ふ。所につけたるおんしつらひなど、をかしうしなして、碁・雙六すぐろく彈碁たぎの盤どもなどとり出でて、心々にすさびくらし給ひつ。は、ならひ給はぬおんありきに、惱ましく思されて、此處にやすらはむの心も深ければ、うち休み給ひて、夕つ方ぞおん琴など召して遊び給ふ。
例のかう世離れたる所は、水の音ももてはやして、物の音すみまさる心地して、かの聖の宮にも、唯さしわたる程なれば、追風に吹き來るひゞきを聞き給ふに、昔の事思し出でられて、
八宮「笛をいとをかしくも吹きとほしたなるかな。誰ならむ。昔の六條院おん笛の音聞きしは、いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹き給ひしか。これは澄みのぼりて、事々しきの添ひたるは、致仕ちじの大臣おんぞうの笛の音にこそ似たなれ(*薫の笛の音を指している)。」
など、獨言ちおはす。
八宮「哀に久しくなりにけりや。かやうの遊などもせで、あるにもあらですぐし來にける年月の、流石に多く數へらるゝこそかひなけれ。」
など宣ふついでにも、姫君たちの有樣あたらしく、「かゝる山懷にひき籠めては止まずもがな。」と思し續けらる。宰相の君の、同じうは近きゆかりにて見まほしげなるを、「さしも思ひ寄るまじかめり。まいて今やうの心淺からむ人をば、いかでかは。」など思し亂れて、徒然とながめたまふ所は、春の夜もいと明しがたきを、心やり給へる旅寢の宿やどりは、醉ひの紛にいと疾う明けぬる心地して、飽かず、歸らむことをはおぼす。
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八宮邸訪問
はる\〃/と霞み渡れる空に、散る櫻あれば今ひらけそむるなど、いろ\/見渡さるゝに、河ぞひ柳の起きふし靡く水影など、疎ならずをかしきを、見ならひ給はぬ人(*匂宮)は、いと珍らしく見捨て難しとおぼさる。宰相は、「かゝる便を過ぐさず彼の宮に詣でばや。」と思せど、「數多の人目をよぎて、一人漕ぎ出で給はむふなわたりの程も輕らかにや。」と思ひやすらひ給ふほどに、かれよりおん文あり。
八宮山風にかすみ吹きとく聲はあれどへだてて見ゆるをちのしら波
さう(*草仮名)にいとをかしう書き給へり。、思すあたりと見給へば、いとをかしく思いて、
「このおんかへりはわれせむ。」
とて、
をちこちのみぎはの波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の河風
中將はまうで給ふ。遊に心入れたる君達さそひて、さしやり給ふほど、「酣醉樂かんすゐらく」遊びて、水にのぞきたる廊に、造りおろしたる橋の心ばへなど、さる方にいとをかしう、故ある宮なれば、人々心して船よりおり給ふ。こゝはまた樣異に、山里びたる網代屏風などの、殊更にいとそぎて、見所あるおんしつらひを、さるこゝろしてかき拂ひ、いといたうしなし給へり。古の音など、いと二なき彈物ひきものどもを、わざと設けたるやうにはあらで、つぎ\/彈き出で給ひて、壹越調いちこつでうのこゝろに、「櫻人(*催馬楽の曲名)あそび給ふ。あるじの宮おんきんを、「かゝる序に。」と人々思ひ給へれど、箏の琴をぞ、心にも入れず折々かきあはせ給ふ。耳馴れぬけにやあらむ、「いと物ふかく面白し。」と、若き人々思ひしみたり。所につけたる饗應あるじ、いとをかしうし給ひて、餘所に思ひやりし程よりは、なま孫王そんわう(*天皇の子孫)めく賤しからぬ人あまた、おほぎみの四位(*四位は皇族の最下位。)の古めきたるなど、「かく人め見るべきをり。」と、かねていとほしがり聞えけるにや、然るべき限參りあひて、瓶子へいじとる人もきたなげならず、さる方に古めきて、よし\/しうもてなし給へり。客人たちは、おん女たちのすまひ給ふらむ有樣思ひやりつゝ、心つくす人もあるべし。
かの宮は、まいてかやすき程ならぬおん身をさへ、處せく思さるゝを、かゝる折にだにと、忍びかね給ひて、面白き花の枝を折らせ給ひて、おん供に侍ふ上童うへわらは(*殿上童)のをかしきして奉り給ふ、
「山櫻にほふあたりを尋ねきておなじかざしを折りてけるかな
野を睦ましみ(*原文「睦まじみ」)。」
とやありけむ。
おんかへりは、いかでかは。」など、聞えにくゝ思し煩ふ。
人々(*原文注記なし。)「かゝる折の事、わざとがましくもてなし、程の經るも、なか\/にくき事になむし侍りし。」
など、ふる人ども聞ゆれば、(*大君は)中の君にぞ書かせ奉り給ふ。
中君(*原文「八宮」)「かざしをる花のたよりに山がつの垣根を過ぎぬはるのたび人
野を分きてしも。」
と、いとをかしげに、らう\/じく書き給へり。
實に河風も心わかぬさまに、吹き通ふ物の音ども、おもしろく遊び給ふ。おん迎に藤大納言(*紅梅右大臣。按察使大納言とも。頭中将次男。)、仰言にて參り給へり。人々數多參り集ひ、物騷がしくてきほひ歸り給ふ。若き人々、飽かずかへりみのみなむせられける。は「又さるべき序して。」とおぼす。花盛にて、四方の霞もながめやる程の見所あるに、唐のも大和のも歌ども多けれど、(*作者は)うるさくて尋ねも聞かぬなり。
物騷がしくて、思ふまゝにもえ言ひやらずなりにしを、飽かずは思して、しるべなくてもおん文は常にありけり。も、
八宮「猶聞え給へ。わざと懸想だちてももてなさじ。なか\/心ときめきにもなりぬべし。いと好き給へる親王みこなれば、『かかる人なむ。』と聞き給ふが、なほもあらぬすさびなめり。」
と、そゝのかし給ふ時々、中の君ぞ聞え給ふ。姫君は、かやうのこと戲れにももてはなれ給へる、心深さなり。
いつとなく心細き有樣に、春の徒然は、いとゞ暮し難く眺め給ふ。ねびまさり給ふおん樣容貌ども、いよ\/勝り、あらまほしくをかしきも、「なか\/心苦しう、かたほにもおはせましかば、あたらしくをしき方の思ひは薄くやあらまし。」など旦暮あけくれ思しみだる。姉君廿五、中の君廿三にぞなり給ひける。
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姫君たちの後見
は重く愼み給ふべき年なりけり。物心ぼそく思して、おん行常よりもたゆみなくし給ふ。世に心とゞめ給はねば、出でたち急ぐをのみ思せば、涼しき道にも赴き給ひぬべきを、唯このおん事どもにいといとほしく、「限なき心強こゝろづよさなれど、必ず『今は。』と見捨て給はむ心は亂れなむ。」と、見奉る人も推し量りきこゆるを、思す樣にはあらずとも、なのめに、さても人聞き口惜しかるまじう、見許されぬべき際の人の、眞心に「後見聞えむ。」など、思ひ寄り聞ゆるあらば、「知らず顔にて許してむ。一所ひとところ一所世に住みつき給ふよすがあらば、それを見讓る方に慰めおくべき。」を、さまで深き心に尋ね聞ゆる人もなし。稀々ははかなき便に、すきごと聞えなどする人は、まだ若々しき人の心のすさびに、物詣の中宿、往來ゆききのほどのなほざりごとに、氣色ばみかけて、さすがにかく眺め給ふ有樣など推しはかり、侮づらはしげにもてなすは、めざましうて、なげのいらへをだにせさせ給はず。三宮ぞ、なほ見では止まじと思す心深かりける。然るべきにやおはしけむ。
宰相中將、その秋中納言になり給ひぬ。いとゞ匂勝り給ふ世の營に添へても、思すこと多かり。「如何なる事。」と、いぶせく思ひ渡りし年頃よりも、心苦しうて、過ぎ給ひにけむ古ざまの思ひやらるゝに、罪輕くなり給ふばかり、行もせまほしくなむ。かの老人をば哀なるものに思ひおきて、いちじるき樣ならず、とかく紛らはしつゝ、心よせとぶらひ給ふ。
宇治に詣でで久しうなりにけるを、思ひ出でて參り給へり。七月ふみづきばかりになりにけり。都にはまだ入りたゝぬ秋の氣色を、音羽の山近く、風の音もいと冷やかに、槇の山邊も僅に色づきて、猶、尋ね來たるに、をかしう珍らしうおぼゆるを、はまいて、例よりも待ち喜び聞え給ひて、この度は心細げなる物語、いと多く申し給ふ。
八宮「亡からむ後、この君達をさるべきものの便にも訪らひ、思ひ捨てぬものに數まへ給へ。」
などおもむけつゝ聞え給へば、
「一言にても承りおきてしかば、更に思う給へ怠るまじくなむ。『世の中に心を留めじ。』と、省き侍る身にて、何事も頼もしげなき生先の少さになむ侍れど、『さる方にてもめぐらひ侍らむ限は、變らぬ志を御覽じ知らせむ。』となむ、思う給ふる。」
など聞え給へば、「いと嬉し。」と思いたり。
夜深き月のあきらかにさし出でて、山の端近き心地するに、念誦いと哀にし給ひて、昔物語し給ふ。
八宮「この頃の世は如何になりにたらむ。宮中くぢう(*「くぢゆう」とも。)などにて、かやうなる秋の月に、御前の遊のをりに侍ひあひたる中に、物の上手とおぼしき限とり\〃/にうち合はせたる拍子はうしなど、事々しきよりも、由ありとおぼえある女御更衣のおん局々の、おのがじしはいどましく思ひ、うはべのなさけをかはすべかめるに、夜深きほどの人の氣しめりぬるに、心やましくかい調べ、ほのかにほころび出でたる物の音など、聞き所あるが多かりしかな。何事にも、女は玩びのつまにしつべく、物はかなきものから、人の心を動かすくさはひになむあるべき。されば罪の深きにやあらむ。子の道の闇を思ひやるにも、男はいとしも親の心を亂さずやあらむ。女は、限ありていふかひなき方に思ひ捨つべきにも、猶いと心苦しかるべき。」
など、大方のことにつけて宣へる、いかゞ然思さざらむと、心苦しく思ひやらるゝ心のうちなり。
「すべて誠にしか思う給へ捨てたる氣にや侍らむ。みづからの事にては、いかにも\/深う思ひ知る方の侍らぬを、實にはかなき事なれど、聲にめづる心こそ、背きがたきことに侍りけれ。さかしう聖だつ迦葉も、さればや、立ちて舞ひ侍りけむ。」
など聞えて、飽かず一聲聞きしおん琴の音を、切にゆかしがり給へば、疎々しからぬはじめにもとや思すらむ、おん自ら彼方あなたに入り給ひて、切にそゝのかし聞え給ふ。箏の琴をぞいとほのかに、掻き鳴して止み給ひぬる。いとゞ人のけはひも絶えて、哀なる空の氣色、所の樣に、わざとなき遊の心に入りて、をかしう思ゆれど、打解けてもいかでかは彈きあはせ給はむ。
八宮おのづからかばかり馴らしそめつる殘は、世ごもれるどちに讓り聞えてむ。」
とて、は佛のおん前に入り給ひぬ。
八宮「我亡くて草のいほりは荒れぬともこのひとことは枯れじとぞ思ふ
かゝる對面たいめもこの度や限ならむと、物心細きに、忍びかねて、かたくなしき僻言多くもなりぬるかな。」
とて、うち泣き給ふ。客人
「いかならむ世にかかれせむ長きよのちぎりむすべる草のいほりは
相撲すまひなど、公事おほやけごとどもまぎれ侍る頃過ぎて侍はむ。」
など聞え給ふ。
こなたにて、かの問はず語のふる人召し出でて、殘り多かる物語などせさせ給ふ。入り方の月は隈なくさし入りて、透影すきかげなまめかしきに、君達も奧まりておはす。世の常の懸想びてはあらず、心深う物語のどやかに聞えつゝものし給へば、さるべきおんいらへなど聞えたまふ。「三宮はいとゆかしう思いたる物を。」と、心のうちには思ひ出でつゝ、「我が心ながら、猶人には異なりかし。さばかり心もてゆるい給ふ事の、さしも急がれぬよ。もて離れて、『はたあるまじき事。』とは流石に覺えず、かやうにて物をも聞えかはし、をりふしの花・紅葉につけて、哀をも情をも通はすに、にくからず物し給ふあたりなれば、宿世ことにて、外ざまにもなり給はむは、さすがに口惜しかるべく。」領じたる心地しけり。
まだ夜深きほどに歸り給ひぬ。心細く殘なげに思いたりし氣色を、思ひ出で聞え給ひつゝ、「騷がしき程過してまうでむ。」とおぼす。「兵部卿宮も、この秋のほどに紅葉見におはしまさむ。」と、さるべき序を思しめぐらす。おん文は絶えず奉り給ふ。女は、まめやかに思すらむとも思ひ給はねば、煩はしくもあらで、はかなき樣にもてなしつゝ、折々に聞えかはし給ふ。
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八宮の逝去
秋深くなり行くまゝに、はいみじう物心細く覺え給ひければ、「例の靜なる所にて、念佛をも紛なくせむ。」と思して、君達にもさるべき事ども聞え給ふ。
八宮「世の事として、つひの別を遁れぬわざなめれど、思ひ慰む方ありてこそ、悲しさをもさますものなめれ。又見ゆづる人もなく、心ぼそげなる有樣どもを、うち捨ててむがいみじき事。されども、さばかりの事に妨げられて、長き世の闇にさへ惑はむがやくなさ。かつ見奉るほどだに思ひ捨つる世を、去りなむうしろの事知るべき事にはあらねど、我が身ひとつにあらず、過ぎ給ひにしおん面伏おもてぶせに、輕々かろ\〃/しき心どもつかひ給ふな。おぼろけの(*原文「おぼろげの」)よすがならで、人の言に打靡き、この山里をあくがれ給ふな。たゞ『斯う人に違ひたる、契異なる身。』と思しなして、『こゝに世を盡してむ。』と思ひとり給へ。ひたぶるに思ひしなせば、ことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして女は、さる方に堪へ籠りて、いちじるしくいとほしげなる餘所のもどきを負はざらむなむよかるべき。」
など宣ふ。
ともかくも身のならむやうまでは、思しも流されず、唯「如何にしてか、後れ奉りてば世に片時かたときもながらふべき。」と思すに、かく心細き樣のおんあらましごとに、言ふ方なきおん心惑どもになむ。「心のうちにこそ思ひ捨て給ひつらめ。」と(*「思ひ捨て給ひつらめど」か)、旦暮おんかたはらに習はい給ひて、俄に別れ給はむは、つらき心ならねど、實に怨めしかるべき有樣になむありける。
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(*椎本 <了>)


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