仕事とは何か
「人間のあり方と現実との絆は仕事の中にある」とは、偉大な精神分析の祖、フロイトの言葉です。
心理学的に見れば、仕事は、他人と自分とに仕えたいという人間の健全な願望の表現といえます。ま
た、
情操的には、仕事は他人の福祉に貢献する方法であり、精神的には、自分の自尊心とか能力に対する責任の
受諾でもあります。
フロイトは「人がどれくらい重要と思うかによって、その人の現実との結びつきは大きく影響され
る。仕
事において、人は人間社会、現実と少なくとも安全に結びついているのである。にもかかわらず、人々は仕
事を、幸せに通じる道としてまだ高く評価しないのである。満足を求めて他のことを追いかけるほどに
は仕
事を追いかけようとはしない。大多数の人は、必要に迫られたときだけ仕事をする。この仕事を毛嫌いする
人間の傾向こそ、最も難しい社会問題の原因なのである」といっています。
仕事の意味
どうしたら、現代に生きる人々に、安易な生活に変わって目的意識を吹き込むことができるであろう
か。 つぎにいくつかの提案をしてみたいと思います。
1自分の.仕事に対する情熱を繰り広げましょう。
自動車王といわれたヘンリー・フォード二世は「仕事から喜びと満足を引き出すためには、まず仕
事に
興味をもたなければならない」といっています。仕事は建設的な自我の表現です。仕事は、我々の緊張
を解消し、神経病を癒やす方法でもあります。また、他人の問題解決に貢献できます。
2.仕事は自分の人生における願いを成し遂げるための運搬車と見なしましょ
う。
与えられる報酬以上の時間と努力と良い結果を出しましょう。このことが昇級や栄転を獲得する最
前の
方法です。創造的な仕事をすることによって、自分は自分の家族の要求に応え、また、自分が望む経済
的地位を得ることができます。
3.仕事は自分の創造性を育て刺激する方法なのです。
普通の人は、その人の全能力の10%以下しか使っていません。しかし、自分の仕事を無限の創造
力を 引き出す道具と見なしましょう。そして、それが可能になるような行動をしましょう。
仕事を尊重する精神は、時代とともに大きく変わっています。近代設備で合理化された事業場では、
経営者にとって能率と利潤の倫理であり、働く人々にとっては安全と成功の倫理が重視されるよう
にな
りました。仕事の意味が変わったのです。かっては自分が使命を感ずる仕事をどの様にして探し出すか
ということでした。ごぞんじのように開拓期には、仕事は数限りなくありました。
そして、仕事は財産と同じように、対人関係より目的遂行のために人を駆り立てるものと考えられま
した。当時の仕事熱心で内部志向的なタイプの人たちは、その勤勉さゆえに家族、友人、時には人
類全
体から切り離されたように感じたものです。また、時として、仕事は財産同様ですから、心理的侵略に
対する防御の役目もありました。勤勉な人々にとっては”邪魔しないでくれ”というサインでもあ
りま した。
しかし、今日では、心理学的に仕事の意味がずいぶん変わっています。もちろん古い考え方が残って
いるしごとも沢山ありますが、自分という行動は、仕事の量によって規定されるよ
り も、むしろ対人関係における役割によって規定される傾向が増えているのではないでしょうか。
仕事はゲームである
「仕事はゲームである」とはよく言われる言葉です。
生涯に2500万ドルの巨額を稼いだとされる、英国人事業家のジェームス・タイソンは「お金には意味
がな い。面白いのはゲームであるといったそうです。
「どんなゲームですか」と尋ねると、タイソンは、「砂漠と闘うことだ。私は一生、水のないところに水を
与え、木のないところに木を植え、家畜のいないところに家畜を放ち、垣根のないところに垣根を作
り、道
のないところに道を造り、家のないところ家を建て、街のないところに街を作った。それはゲームでした
よ。つまり砂漠と闘うというゲームですよ」と答えました。
仕事を人生のスリルあるゲームとするために、つぎのことを提案させて貰いま
す。
一、情熱と緊張をもって仕事に邁進すること。やるに値することならば、立派にやるだけの価値があ
る。
二、他の誰かが、自分より多くやりあげたとしても、仕事を辞めてはならない。そのかわり、彼等のやった
仕事に挑戦する。自分よりも優れた能力とチャンスをもっているかもしれない人を尺度とするよりも、
自分
自身の能力と状況で、自分をはかる。しかし、自己の最善を尽くさずに満足してしまってはならない。
三、直面する問題に、よりよい解決をもたらすように創造力を刺激する。本を読めるだけ読み、問題を他
人、とくに経験のある年取った人たちと討議する。質問されることで、年取った人たちは名誉なことと
感ず るのだと覚えておくこと。
仕事の動機
あるリポーターが動機ということについて新聞記事を書くため、に採石場に出かけました。監督に紹介さ
れた
三人の労働者にインタビューを試みたところ、最初にあった人夫はその日だけに雇われていました。その男は
「今日一日分の賃金を貰うために働いてるんですよ。あとは酒を一本買って寝るだけです。また働くかどう
か分 かりませんからね」と質問に答えていいました。
この男の生産性は非常に悪かったのです。監督はつぎにかなりの程度な働きをする平均的労働者を教えてく
れました。その男は質問に答えて、妻子を養うために働いている。そのうち子供が大きくなったら、子
供に
養って貰うつもりですよといいました。採石場で最も働きの良い男、その人は最初の男の数倍もの仕事をし
ていたが、
「こちらに来て、この岩の上に立ってご覧なさい。木の間に見えるでしょう?あれは寺院なんですよ。これ
から先何千年も、あの寺院は人々に神仏を指し示すことでしょう。どうして私がここで働いているかと
いう と、私はあの寺院を造っているのですよ」といったのです。
人にはそれぞれ一貫性のある長期的主目標と動機の形を作り上げる傾向があります。この方がその人の特
長となり、その人のライフ・スタイルと一部となるといわれますが、欲求が満たされるのに応じて、動
機の
形は変わります。つまり、生理的・心理的欲求を満たす新しいやり方を身につけるに応じて、また環境が新
しい要請を課するに応じて、長期的な変化が起こります。
ヘンリー・フォード二世は、「仕事がそれをやり人間に興味を起こさせないようなものであるとき、満足
とか喜びは殆ど得られない。ある種の仕事は、それ自身、大変面白い。しかし、大抵の仕事は、面白い
ので
はなかろうかと想像する必要がある。ちょっとした気持ちの持ち方と決心しだいで、日常茶飯事の雑事も、
その人の能力に対する挑戦となりうる。この種の挑戦を生み出し、受け入れることは自分に生活以上の
もの を与え以上のもの、つまり、生命を与える」といいました。
仕事は罪の意識を取り除く
人の生活には五つの側面があります。
つまり、仕事、休養、社会的活動、身体的発達および宗教的経験です。これらのうち、一つでも満足させ
られないと、他の部分にも響いてきます。
仕事が意味をもつとき
時間と注意力と大きな精力を要するような建設的仕事にたずさわっているとき、とくにその仕事が我々の
創造
力を刺激し、もっと深く掘り下げ、研究しようという気持ちを起こさせるとき、我々は、日々、罪意識から解放
されます。人々が我々の製品から益を受け、喜んでいるのを見ると、幸せを感じます。
だからこそ、仕事に携わっている人々は、その仕事に満足を覚え、学校の先生も、会社に入ればもっと稼ぐ
ことができるのに関わらず、教室にとどまっているのです。警察官も同じです。安い給料や身の危険、
時に
は人々から受ける失敬な態度にも関わらず、職務についているのは、人々の健康と幸福と、同時に社会の安
全に貢献していると感じているからです。
自分が仕事を、自分の緊張を解消し、他人の役に立つ喜ばしい経験とすることができるなら、それは本当
に素晴らしい経験です。
多くの先人は、「人間は働く。もしそうでないならば人は無意味だ」「一時間の労働は、一ヶ月喪に服
する
よりも人に快活さを与える」「努力なくして発展はない。努力が仕事を生み出す」「私の出会った天才は、
みな疲れを知らない大変な努力家だった」「純粋な喜びは、有益な仕事の中にある」などと名言を残し
まし た。
自身の内面にある葛藤を建設的な仕事に費やしましょう。そうすることで幸せになれます。
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