二條城 本丸御殿   世界文化遺産

  二條城は、慶長8年(1603)徳川家康が、将軍の居館として儀式の場所として造営し、3代将軍家光が、さらに、現在の規模に整備した。この本丸では、大坂冬・夏の陣戦略会議や、慶応3年(1867)15代将軍徳川慶喜が大政奉還した場所である。平成6年に世界文化遺産に登録された。平成15年に築城400年を迎える。

  

        二條城東大手門                 二の丸御殿唐門

    伏 見 桃 山 城

              復元された天守閣     近鉄電車 桃山御陵駅からバス8分

  文禄3年(1594)豊臣秀吉が晩年の居城として築城したが、文禄5年の大地震によって壊滅し、秀吉も九死に一生を得た。その後再度築城され、その造りは桃山文化の粋を集めた豪壮華麗な大城郭であった。慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で焼失したが、2年後、徳川家康が再建し近畿における居城とした。その後、一国一城の法度により取り壊された。 現在の城は、昭和39年に再建されたものです。

復元した黄金の茶室

  黄金の茶室は、豊臣秀吉が天正14年(1586)茶会用に造らせたもので、当時の技術の最高水準であったといわれ、組立式で北野大茶会でも使用されたが、大坂の陣で、大坂城と共に焼失されたといわれている。

  

      高台寺 霊屋(おたまや)               東山 霊山観音

  豊臣秀吉没後、北政所(おね)が、慶長10年(1605)開創した。正しくは高台聖寿禅寺という。霊屋には秀吉と北政所を祀っている所。徳川家康が当時の政治的配慮から、多大の財政的援助をしたため寺観は壮麗を極めている。

  観音は、平和日本の建設と殉国の英霊並びに大戦の犠牲者の冥福を祈念して、故石川博資氏が建立したものです。開眼は昭和30年6月8日  高さ24メートル。

 

法華宗大本山 本能寺

  本能寺は、応永22年(1415)に建立し本応寺と号した。その後、現在に至るまでに 7回の焼失・類焼・破却を繰り返している。天正10年(1582)織田信長が明智光秀の謀反により攻撃され焦土と化した。この時の場所はこの場所ではなく、現在の四条の方にあったそうです。その後、秀吉が現在の位置に建立した。そして、元治元年(1864)維新の騒乱蛤御門の変(禁門の変)の時、長州の砲撃の的となり焼失した。現在の建物は昭和3年(1928)落慶したものです。