イェリコの農耕集落人類の農耕の開始は、従来、メソポタミアにおいて始まったとされ、遺跡としてはBC6500年ころのジャルモ Jarmo (イラク北部のザグロス山麓)やイェリコ Jericho (パレスチナのヨルダン川河口)があげられていた。 しかし、現在では、もっと古くBC9000年ころに、メソポタミアではなく、パレスチナのイェリコやアスワドで、コムギ類とマメ類の栽培が始まったことが分かってきた。 また、農耕の起源は西アジアだけではなく、次の5つの地域で始まったと考えられるようになってきている。 ・西アジアのパレスチナ (コムギ類とマメ類、BC9000年ころ) ・東南アジアの大陸部沿岸地域 (イモ類、西アジアよりも古いとする説がある) ・西アフリカのニジェール川流域 (シコクビエやモロコシ) ・メソアメリカのテワカン (トウモロコシ、BC5000年ころ) ・中国の長江流域 (稲作、BC6000年ころ) 注:中尾佐助氏は、西アフリカの農耕が伝わったものと解している。 【最も古い神殿跡】 最も古く最も単純な神殿跡のひとつが、イェリコのテル(注)の最下層から発見されている。3.5m×6.5mの長方形に近い構造であり、垂直な穴がうがたれている2つの大きな石の塊は、トーテム・ポールを立てるためのものと考えられている。神殿の内部は入念に掃除されていたが、周囲の地域には破片などのゴミが散らばっていた。推測が正しければ、BC1万1000年頃の狩猟採集民が、泉のそばに建てた祠堂とみられる。 農業の発展後、BC3500年ころには制度化した聖職者階級と堂々とした神殿が現れたとみられる。 (注:「テル」とは、西アジア一帯に見られる丘状の遺跡で、同じ場所に長年に渡って集落を営んだため、壊れた建物のうえに新たな建物を建て続け、石材や日乾レンガが堆積して丘状になっている遺跡。) 【参考ページ】 ![]() ![]() 【LINK】 ![]() 参考文献 ![]() 「クロニック世界全史」講談社、1994年 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「朝日=タイムズ 世界考古学地図 人類の起源から産業革命まで」クリス・スカー編集、小川英夫・樺山紘一・鈴木公雄・青柳正規日本語版編集参与、朝日新聞社、1991年 ![]() 更新 2003/8/12 |