黄河流域で彩陶文化(黄河文明)黄河 Yellow River は、中国北部を西から東へ流れ、黄海にそそいでいる。 モンゴルや中央アジアの砂漠地帯から黄土(黄色い土)が風で運ばれ、黄河に流されて、中国の黄土層を形作った。黄河の中流・下流域の黄土地帯に農耕文化がおこった。 黄河文明は、土器の特色から彩陶文化(仰韶文化)と黒陶文化とに区別される。 【彩陶文化(仰韶文化)】 BC3500年ころ( 注: ![]() 磨製石器(新石器)を用いて、あわ・きび・稲などの穀物を栽培し、豚・犬などを飼育した。灰陶とよばれる土器で三足土器(三つの足を持つ土器)を作り、穀物を蒸したり煮たりするのに用いた。また、彩陶とよばれる美しい彩文土器を使用しており、これにより彩陶文化と呼ばれる。発見地の名から仰韶(ヤンシャオ)文化とも呼ばれる。 住居は、竪穴式・平地式・高床式が確認されている。竪穴式住居は円形と方形があり、中央に炉を備えている。平地式住居は、全体を浅く掘りくぼめ、中央に炉があり、柱を立てている。高床式は確認例が少なく、長江(揚子江)下流域でみつかっている。 集落は環濠を持つものがあり、中央に広場を持ち住居の出入口が広場を向いている場合や、住居の周囲に貯蔵穴が分布している場合がある。家畜の囲いと推定される遺構もみつかっている。環濠の外に墓地を持ち、土器を焼いた窯がみつかる場合もある。周囲との交流はあるが、完結的・自給的であり、階級的な差はまだ小さかった。 墓葬は、土坑墓と甕棺墓がある。土坑墓は、華北・華中の広い地域で確認されており、棺を用いない単人墓が基本である。副葬品は、日常使われる土器が中心である。甕棺墓は、幼児のものは華北各地で確認されているが、成人のものは、華北平原西部のみに分布している。甕は彩陶である例が多い。 この文化は、中国の河南・山西・陝西省に散在し、その住民は体質的にも文化的にも現在の中国人と深い関係がある。 【黒陶文化】 ![]() 【参考ページ】 ![]() ![]() ![]() ![]() 【LINK】 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 参考文献 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「世界の考古学7 中国の考古学」小澤正人・谷豊信・西江清高著、同成社、1999年 ![]() 更新 2013/11/13 |