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アフリカのホモ属


 発見されている人類最古の石器は、礫石器と剥片を主体とするオルドワン石器(オルドゥヴァイ型石器)であるが、この石器の作成者が、アウストラロピテクスなのかホモ・ハビリスなのかは、まだ意見がわかれている。
 当サイトでは、一応 猿人の化石と礫石器 のページに記載したので、そちらを参照してください。

 このオルドワン石器は、最も古いものはエチオピアのハダールで発見された約250万年前のもので、150万年前ころまで東アフリカの各地で使用されていた。
 約150万年前になると、石器の形が変わってくる。この時期は、ホモ・エレクトスが出現する時期と符合するが、両者の関係が明確になっているわけではない。


【ホモ属の石器】
 石器の変化は、主に次の3つが注目される。
 新しい石器の代表は、アシューレアン石器(アシュール型石器)である。ハンドアックス(握斧(あくふ))やクリーヴァー(ナタ状石器)を両面を以前のものより入念に加工している。このハンドアックスは以前の剥片石器に比べれば、ずっと効果的な解体道具だったと考えられる。
 オルドワン石器よりも新しく、より規格化された発展型オルドワン石器とよばれるものもある。
 特異なものとしては、ケニアのコービ・フォラで、大型のコア・スクレイパー(削器)に代表されるカラリ文化がみつかっている。
  原人の使用した石器 のページを参照してください。

 発展型オルドワン石器とアシューレアン石器は、広くアフリカ全体にわたって分布している。
 また、アシューレアン石器の文化は、ヨーロッパアジアへ広がっていった。西アジアでは、ヨーロッパに類似した様相で推移している。しかし、中国では、礫石器と剥片を主体とする石器群が長期にわたって継続したようである。これは、東アジア、東南アジア一帯でも同様である。



【ホモ属の主な化石】
 アフリカで発見されているホモ属の化石は、オルドワン石器の作成者だったかもしれない「ホモ・ハビリス」とその同時代の「ホモ・ルドルフェンシス」があり、これに続いて「ホモ・エルガスター」さらに続いて「ホモ・エレクトス」と考えることができる。ただし、異説も各種ある。
 アフリカから発見されているホモ属の化石は、東アフリカに集中している。

ホモ・ハビリスの化石
 東アフリカのタンザニアのオルドゥヴァイ渓谷で、ルイス・リーキーとメアリー・リーキーによって1960年に発見された。12歳くらいの子供の骨で、約175万年前のものとみらる。
 前年の1959年にアウストラロピテクス・ボイセイを発見した同じ層の下半分から発見された。その後、同一層の上半分からも発見され、150万年前にはホモ・ハビリスとアウストラロピテクス・ボイセイの両方が生きていたことがわかった。また、その一つ上の層の下半分からは70〜80万年前の原人の旧型の化石が、上半分からは36万年前(49万年前という説もある)の原人の新型の化石が見つかり、一番上の層からは新人の化石も出ている。
 ケニアのクービ・フォラからも発見されている。

ホモ・ルドルフェンシスの化石
 ホモ・ルドルフェンシスは、ホモ・ハビリスに含める説もあるが、大型のタイプのホモ・ルドルフェンシスと小型のタイプのホモ・ハビリスに分ける考え方もある。
 ホモ・ルドルフェンシスは、1972年にケニアのクービ・フォラで、リチャード・リーキーらによって発見された。約190万年前とみられている。

ホモ・エルガスターの化石
 アフリカから見つかっているホモ・エレクトスは、東南アジアや中国で見つかっているホモ・エレクトス(原人)と異なる特徴があることと、時代にも差があることから、別種としてホモ・エルガスターと呼ぶ説がある。
 ケニアのクービ・フォラ、ツルカナ湖西部などから発見されており、アフリカでは、約180万年前から約100万年前後の期間生存していたとみられる。脳が大きくなって顎や臼歯が小さくなり、足が長くなって身長が現代人に近づいている。
 東南アジアや中国のホモ・エレクトス(原人)との相違点は、東南アジアや中国のホモ・エレクトスは頭頂に走る骨稜(注)がはっきりしているのに対し、アフリカのホモ・エルガスターはそれがはっきりしていない点にある。眼窩上隆起(目の上の骨の出っ張り)と後頭隆起(頭の後ろの骨の出っ張り)は、どちらの化石にもみられる。
(注:頭のてっぺんの縦の盛り上がりで、顎の筋肉がつながるところなので、顎の筋肉が強いほどこの骨が盛り上がるとされる。)


【ホモ属の文化】
 アシュレアン石器の時代には、遺跡内の同じ場所から同一種の動物骨が数体まとまって見つかることがある。これは、一度の狩猟活動によって捕らえられたものと考えられ、積極的な狩猟活動を行っていたものと考えられる。

 後期アシュレアンに属するタンザニアのカランボ・フォールの遺跡では泥炭層のなかから棍棒や掘り棒などの木製品が見つかった。普通、石器以外の道具は腐食して残らないため、木製品が発見されたことは非常にめずらしいことである。この遺跡で出土した石器の多くは、木製品を作成するために使われたものとみられる。

 アフリカのケニアでは、手ごろな石が3個1組で出土する例があり、3本の分かれたひも先に石を1個ずつ結びつけた投石ひもであったようだ。1個の石を手に持ち、2個の石を振り回して投げたらしい。動物に投げつけたひもは、足にからみつき動物を転倒させることもあったであろう。





参考文献
「季刊 考古学 第74号」雄山閣出版、2001年2月、から「旧世界の前期旧石器文化をめぐって」藤本強著
「ビジュアル版 世界の歴史1 文明の誕生」江坂輝彌・大貫良夫著、講談社、1984年
「世界の歴史1 人類の誕生」今西錦司他著、河出文庫、1990年
「人類の起源」エルベール・トマ著、南條郁子訳、河合雅雄監修、創元社「知の再発見双書」、1995年
「イミダス特別編集 人類の起源」馬場悠男監修、高山博責任編集、集英社、1997年
「朝日=タイムズ 世界考古学地図 人類の起源から産業革命まで」クリス・スカー編集、小川英夫・樺山紘一・鈴木公雄・青柳正規日本語版編集参与、朝日新聞社、1991年
LINK 埼玉県立博物館人類博物館 500万年進化の旅世界の人類進化と道具石器の拡散



更新 2003/9/2

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