1928年 中国(満州)で張作霖爆殺事件このページは、まだ記述しておりません。 張作霖爆殺事件は、これまで日本の関東軍参謀 河本大作大佐の策略とする説が有力でしたが、ソ連の特務機関による犯行とする説が出て来ています。 まずは、リンクをご覧下さい。 【LINK】 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ・三田村武夫 著「戦争と共産主義」民主制度普及会、1950年 〜GHQによって発禁になった。 ・三田村武夫 著「大東亜戦争とスターリンの謀略 ―戦争と共産主義―」自由選書、1987年 ![]() ・スターリン論文(1951年) ![]() ・アレキサンドル・コルパキディ、ドミトリー・プロコロフ共著「Imperiya GRU(GRU帝国)」(注:まだ和訳は出ていないらしい。) ![]() ![]() ![]() ・カール・カワカミ著「シナ大陸の真相 1931‐1938」福井雄三 訳、展転社、2001年 ・ユン・チアン、ジョン・ハリディ共著「マオ 誰も知らなかった毛沢東」土屋京子 訳、講談社、2005年 ・ミトローヒン、クリストファー・アンドリュー共著「The Mitrokhin Archive(ミトローヒン文書)」2005年(注:まだ和訳は出ていないらしい。) ・「VENONA(ヴェノナ文書)」(注:まだ和訳は出ていないらしい。) |
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このサイトの文章のなかに、次の記述がある。 『戦後六十年を迎えた平成十七年(二〇〇五)年春、モスクワのロシア・テレビラジオ局(RTR)が、シリーズ番組『世界の諜報戦争』の中で、「『田中上奏文』は、日本の国際的信用を失墜させ日本を世界から孤立させる目的で、一九二八年にソ連の諜報機関OGPU(KGBの前身)が、偽造し全世界に流布させたものである」と明らかにしたのです。』 |
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・加藤康男 著「謎解き「張作霖爆殺事件」」PHP新書、2011年 |
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このサイトの文章のなかに、次の記述がある。「GRU百科事典」に記載されている内容について。 『西尾 読み上げますと、「サルヌインの諜報機関における最も困難でリスクの高い作戦は、北京の事実上の支配者張作霖将軍を一九二八年に殺害したことである。将軍の処分は、日本軍に疑いがかかるように行われたことが決定された。そのためにサルヌインのもとにテロ作戦の偉大な専門家であるナウム・エイチンゴンが派遣された。彼はまさに十二年後にレフ・トロツキーの暗殺を指揮することになる。特殊任務は成功裏に終わった」。大枠は二〇〇〇年出版の『GRU帝国』とほぼ同じ内容ですが、二〇〇八年に出版された新しい文書ですね。サルヌインは、未遂に終わった張作霖の第一次暗殺計画にも参加していた。』 ![]() ![]() |
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このサイトの文章のなかに、次の記述がある。 『西尾 秦郁彦氏と私は、『諸君!』二〇〇九年一月号で、「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」と題して誌上対談を行いました。 加藤 過激な対談でした。 西尾 秦氏は田母神氏の論文について、「全体的な趣旨や提言については、私もさしたる違和感はありません」としながらも、日本軍と国民党軍を戦わせて両者を疲弊させ、最終的に中国共産党に中国大陸を支配させようと考えたコミンテルンの戦略で日支事変が起きたこと、またルーズベルト米大統領と、その政権に入り込んだコミンテルンのスパイの罠に日本がはまって真珠湾攻撃を決行してしまったと述べていることについては、陰謀史観だとにべもない。「坂本龍馬はフリーメイソンだった」「平清盛はペルシア人だった」というテレビの歴史推理番組と同じ類だと憎々しげに愚弄する言い方でした。張作霖爆殺事件に関して田母神氏の論文が「少なくとも日本軍がやったとは断的できなくなった…コミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」と控え目に言及していることついても、秦氏は「上杉謙信が実は女だったというのと同じぐらいの珍説」(週刊朝日、二〇〇八年十一月二十八日号)と小馬鹿にしていて、私は「そういう珍説と一緒にするのはやめてください」「こんな断定の仕方は酷い。可能性としては、爆破計画が別々にあって、河本大作大佐らが先に実行した、あるいはソ連と秘かに組んで実行したというケースもありえる」と怒りました。 さらに「河本大佐が何者であったか、いまでもわからない」と言ったら秦氏は、「隅々までわかってますよ」と言うんですね。』 |
参考文献 ![]() ![]() 「マオ 誰も知らなかった毛沢東 上・下」ユン・チアン、ジョン・ハリデイ共著、土屋京子訳、講談社、2005年 |
ユン・チアン、ジョン・ハリデイ共著「マオ 誰も知らなかった毛沢東 上」p301 (張作霖暗殺についての注釈部分) から引用。張作霖暗殺はソ連の仕業だったと書いている。 『★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという。』 ![]() |
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この対談のなかで、プロホロフ氏は、「サルヌインだけではなく、他のソ連の工作員のエージェントも関東軍に入り込んでいました。これは事実です。」、「日本軍に属していたエージェントが、サルヌインの指令を受けて、爆弾を仕掛けたと考えられます。」などと述べている。![]() |
![]() ![]() 「謎解き「張作霖爆殺事件」」加藤康男著、PHP新書、2011年 「シナ大陸の真相 1931〜1938」K・カール・カワカミ著、福井雄三 訳、展転社、2001年(注:原著は英語で、「Japan in China」の表題で1938年(昭和13年)3月にロンドンで出版された。著者のK・カール・カワカミは、 「《明治百年史叢書》 石原莞爾資料 ―国防論策編―」角田順 編、原書房、1967年 「東亜の父 石原莞爾」高木清寿著、たまいらぼ(発行者:玉井禮一郎)、1985年(注:この本は復刻版で、元本は錦文書院1954年。) 「永久平和への道 いま、なぜ石原莞爾か」石原莞爾生誕百年祭実行委員会編、原書房、1988年 更新 2014/11/14 |