歴史小説「鳳(おおとり)」

第一章 「旅立ち」


(一)


 早春の、薄気味悪いほどに生暖かい風が、漆黒の海の上に漂っていた。
 夜の闇の中に、新月のおぼろげな光が射して、かろうじて港の中の様子がうかがえる程度に照らしている。
 港の沖側には、大小十数隻の唐船が碇を下ろしていた。蛇腹の帆は折りたたまれ、唐船たちはそれぞれの姿勢のままゆったりと波の上にその巨体を揺らし、無警戒に眠りこける巨獣の姿を思わせるものがある。実際、波間に漂う生暖かい風が、唐船たちのかく寝息にように正五郎(1)には感じられた。その眠りを妨げまいとするかのように、正五郎はギイギイという漕ぎ音を押し殺すようにして粗末な小舟を漕ぎ、唐船たちに近づいていく。
 月の光と、それが波に映えておぼろげに照らす光とが、ゆらゆらと彼の顔と体躯を暗闇のなかに浮かび上がらせていた。
 時おり漕ぐ手を止めて、ややおびえるように辺りを見回すこの若者の背は、このあたりに住む同年代の男たちの中ではかなり高い部類に入るだろう。小舟の上にすっくとその背が立つとき、その全身の輪郭は「大男」というよりは「ひょろりと長い」といったたぐいのものであることが分かる。
 正五郎は神経質そうなおびえの色も顔に見せてはいたが、目の前に目指す唐船の巨体を見て、深く深呼吸をしたのち、おのれを奮い立たせるかのような身震いをした。そして波の上で眠りにつく船の姿をじっと睨みながら、櫓を巧みに操って自分の乗る小舟を巨大な唐船の中でも最も大きいと思われる一隻の側へと寄せていった。
 巨大な唐船のすぐ横に小舟を着けると、正五郎は足下に用意していた鈎縄を拾い上げた。そして素早くそれを握って回転させ、勢いをつけて唐船の甲板へと放り投げた。狙いは全く誤らず、縄の先の鈎の部分がガッキと音を立てて唐船の甲板の仕切り板に食い込む。
 正五郎は鈎縄がしっかりと唐船に食い込んだことを用心深く手で引いて確認すると、鈎縄の一方の端を小舟を横に支えている柱の一本に入念に結わえ付けた。こうして小舟と唐船の結合を固定させると、彼はもう一本鈎縄を取り出して、それを先ほどと同じように回転させて投げ上げ、唐船の端に鈎を食い込ませた。
 そしてその二本目の縄を伝って、正五郎は唐船の側面をよじ登り始めた。その長い体躯に似合わぬ軽快さ、器用さで、音も立てずにするすると巨船の脇腹を駆け上がっていく。
 あっという間に、彼は唐船の甲板上に立っていた。
 まず身をかがめ、息を殺して周囲の様子をうかがう。少なくともすぐそばには誰もいないことを確信すると、
「…ふうっ」
 と一息ついて、若者は腰帯の背中の部分に差していた短刀を抜いた。
 抜き身の短刀を確認するように、正五郎は顔の近くに刀身を寄せて、月の光にをその刀面に映した。淡く反射した光が、彼の精悍に日焼けした顔をかすかに照らし出した。
 武器を直に手にして勇気づけられたものか、正五郎はすっくと立ち上がって甲板の上を歩き始めた。それでも足音は可能な限り忍ばせ、息は押し殺し、左に右にと眼球をしきりに動かしながら歩みを進めていく。
 目をしきりに動かしているのは周囲を警戒するためでもあったが、同時に初めて上がる巨大な唐船の甲板の上でおのれの目指すものの所在を月明かりの中で探すためでもあった。
 正五郎はまず船室なり積み荷置き場なり、「何かの入り口」と思われるものを探そうとしていた。自分の目指すものが、甲板の上に無造作に置かれているはずがない。
(いや、置かれて良いはずがない…)
 若者は自分の思考に対してすかさず自ら修正を加えていた。
 正五郎が小舟をつけて上がりこんだ甲板は、この巨船の前面近くにあたっていた。彼は用心深く歩みを進め、ようやく船の中央部へとやって来たところだった。ここに船の腹の中へと通じる一つの「口」が開いていた。
 身をかがめてその中を少し覗いてみる。入り口から射し込む月明かりに照らされてどうにか見えていたのは下方へと降りるための梯子と、その下の船室に詰め込まれている積み荷の一部だった。
 この唐船は間もなく明国へ向けて出航する。積み荷は日本で仕入れた各種の商品であろう。この港に毎年やってくる明人たちは明やさらに向こうの国々の物産を持ってきては日本で売りさばき、逆に日本で様々な物産を買い込んでは明へと帰ってゆく。出航を間近に控えたこの船には積み込むべき積み荷はほとんど積み込み済みなのだろう。ここからその一部を見るだけでも、相当な量の積み荷が船室内に詰め込まれていることがうかがえる。
 正五郎はいささか途方に暮れる思いをした。自分が求めているものは、あの大量の積み荷の中に紛れ込んでいるのか。だとすればそれを探し出すのは相当に骨の折れる、また人目につかない夜のうちに終えることはかなり難しい作業となるに違いない。
 正五郎は一瞬深いため息をついたが、思い直して甲板の後方に目をやった。そこには甲板上にしつらえられた、一軒の小屋のような船室があった。船の主である船頭が利用するための船室であるかと思われた。
(ならば、あれもそこにあるのではないか)
 彼はそう考えを切り替え、足をただちにそちらへと向けた。むろん音をほとんど立てない忍び足で。
(『あれ』なら、あんな積み荷とごたまぜにして船底に詰め込んでしまうことなどあるまい)
 正五郎は自分が目指しているその品物に、その品物の現在の持ち主、それはすなわちこの船の持ち主がぞんざいな扱いをすることなど絶対に許していなかった。
 たとえ自分がいまその持ち主の手から自らの手に、その品物を奪い取ろうとしているにしても。
 月明かりによって描き出された自分の黒い影が、目指す船室の白い壁にぬっと伸びた。船室の入り口には戸板や扉といったものはなく、ただぽっかりと口を開けた入り口の上方から簾のようなものがかけられて内部の様子を半分程度遮っているだけだ。
 その簾に手をかけ、一気にめくり上げようとして、正五郎は一瞬息を殺して動きを止めた。おのれの不用心さに瞬時に気づいて、自らを戒めるように数秒間息を止め、手に握った短刀をすぐにでも振り回せるよう身構えて、船室の内部と周囲の様子を改めて窺う。
 とりあえず、人の気配はない。そう確信すると、正五郎は簾をめくり上げてさっと室内に足を踏み入れた。
 船室には窓があり、そこから月の光が射し込んでいたため、暗がりに慣れた目には室内のおおよその様子が見てとれた。
 船頭が使用すると思われた室内は、意外に素朴なものだった。いかにも唐風、と思える脚の長い大きめ机が一つと丸い椅子がいくつか配置されている。壁にはいくつか棚がしつらえられており、食器など日常品の類が置かれているのが目に入った。部屋の隅には月の光をかすかに反射して黒光りしている木箱がいくつか置かれている。
 せいぜい人一人が生活するための空間だ。船頭の性格でも反映しているのだろうか、およそ飾り気というものがなく必要なもののみ置いている、といった風情の船室だ。
(さて、『あれ』はどこだ…?)
 ざっと室内の構造を見渡すと、正五郎はさらに部屋の奥へ足を踏み入れ、目指す品物を探しにかかった。
 机の上と下。
 椅子の周囲、棚。
 そして壁にも一通り目を通し、手で探ってゆく。自分の目指すものは壁にもかけられるたぐいのものだと知っていたから、若者は壁を手探りで伝って部屋を一周してみたりもした。
 部屋を一回りしてただちには発見できないと悟ると、正五郎の顔にも焦りの色が浮かんできた。
(となると、やはり船底まであさってみなければならぬか…)
 と思い始めて立ちすくんだとき、ふと部屋の隅の箱の一つに目がいった。
 さきほどちらりと見たときは気づかなかったが、蓋が傾いて不完全に閉じられている箱が一つある。どうやら何か障害物があって蓋を傾けてしまっているものらしい。
 先ほど目にしながら気にとめなかったのは、その箱の外見が自分の目指すものをその中に隠せるような形状ではないとの先入観があったからだ。だがよく見れば、箱はその中に無理に隠されたものによって不自然に蓋が閉じられているのだと分かった。
 正五郎は飛びつくようにしてその箱のところへ駆け寄った。震える手で蓋を取り上げると、彼は思わず歓喜の声を上げそうになり、必死の思いでそれを押し殺した。
(見つけた…!)
 目指す品物は、まさにそこにあった。正五郎は両手でもぎとるように箱からそれを取り出し、自分の顔の前にそれを掲げて、月明かりに照らしてまじまじとそれを見つめた。
 それは、鞘に納められた、一本の太刀であった。
 ただし外見から、それが日本の太刀ではないことは明白だった。鞘は日本の太刀のそれよりも太く薄く、かつ大きく反り、表面には異国の文字を思わせる浮き彫りが施されていた。鍔(つば)と束(つか)の方の意匠も日本のそれとは大きく異なり、握った感触は日頃日本刀に慣れたこの若者の手にはひどく違和感のあるものだった。
 だが若者はこの異国の太刀を懐かしげに眺めていた。鞘は鍔と紐で固定されており刀を抜いて中身を確認することは出来なかったが、彼は手にしたその重さだけで、その中身が以前手にしたときと何ら変わりが無いことを確信していた。
 正五郎は確認を済ませると、その太刀を背に背負った。もともとこの太刀は背に負って運べるように長い紐が取り付けられている。正五郎は慣れた手つきでそれをおのれの胴に回し、太刀を背負った。


 太刀を背負った正五郎は用は済んだとばかりに慌ただしく船室を飛び出した。
 その刹那。
 正五郎の視界の端に真っ黒な物体が勢いよく飛び込んでくるのが見えた。
 目指す太刀を手に入れて、高揚と安堵とで正五郎の心にわずかではあるが油断が生じていた。だがそれがあくまでわずかな油断であったからこそ、ただちに突進してきた黒い物体をかろうじてかわすことができた。
 シャッ…!
 飛び込んできた影は明らかに人間のものだった。身をかわした瞬間、お互いの服がかすかにこすれて、つい先ほどまで物音一つ聞こえなかった甲板の上に殺気に満ちた音を響かせた。
 正五郎は、いったん腰に差していた短刀を抜き放ち、横っ飛びに一回飛んで自分を襲ってきた敵のいる方向に体を向けた。
 月明かりの照らす甲板の上、正五郎が先ほどまで入っていた船室の入り口を挟んで、「敵」はやや腰を曲げた姿勢でこちらに体を向けていた。月明かりにギラリと映えるものがその手に握られているのが分かる。正五郎と同じような短刀を持って、強烈な殺気を放ちつつ二度目の攻撃をかけようとユラユラと体を動かしていた。
(やはり…見張りがいたのか)
 正五郎は失望はしていたが、当然予想していたことでもあった。目的の物を手に入れるまでうまいぐあいに人に出くわさなかったことに「都合が良すぎる」との思いが頭に浮かんでもいたのだが、実際に順調にことが運んで目的物を手に入れてしまったことでついその用心を怠っていたところだった。
「…………!?」
 向かい合っている「敵」が何か声を発した。語調からすれば威嚇と同時に質問を発しているのだと察せられた。しかしその話す言語は正五郎にはまったく理解できるものではなく、なにか野獣の呻りにも似た印象を受けた。
(やはり、唐人か)
 この船が唐船であるのだから、当然見張りに残っていたこの男も唐人であろう。おおかた今の呻り声は「お前は何者か。何をしているのか」とでも聞いていたのだろう。
 その質問の語調は殺気に満ちており、とても平和的に話をしようという空気ではなかった。その男が手にしている短刀もすぐにでも相手に一撃を加えようとウズウズと蠢いているのが分かる。
(やはり血を見ないではすまぬか)
 正五郎は腹をくくった。どうせ本来の意味通り「話の通じる相手」ではない。こちらも命を懸けて目的の物を盗み出しに他人の船に乗り込んできている以上、この見知らぬ男の命を奪ってでもこの船から脱出しなければならない。
 「敵」の男も察したようでそれ以上無駄な質問は発さず、すぐにでも飛びかかれるようなやや前屈みの姿勢のまま、短刀を手にジリジリと接近してきた。
 正五郎は接近してくる敵に対して、ひとまず距離を一定に保つべく後退ではなく横へと横へと位置を変えていく。
「……」
 「敵」は無言のまま若者の動きを鋭い視線でにらみつけていた。心なしか、その動きには次第に慎重さが増してきて、相手の出方をじっくりとうかがうようになってきているように思われた。
(こいつ、人を殺したことが何度もあるな)
 正五郎は相手の動きを見つつ思った。恐らく向こうも同じ事を感じ取ったに違いない。何度となく命のやりとりをする修羅場をくぐり抜けてきた者だけが持つ独特の動きと息づかいが、通じぬ言語以上のものをお互いに感じ取らせていた。
 月明かりがちょうど相手の全身を照らし出したところで、正五郎は「敵」の体格をすばやく観察した。体躯は自分よりやや小さい。決して小ぶりではないようだが体をやや屈めているために見た目には相当に小さく見える。その筋肉のかすかな動作からも相当にすばしこい動きを見せるのではないかと思われた。
 お互いにジリジリと甲板の上を移動し、かなり長い間にらみ合っていたような感覚があったが、実際にはほんの十数秒のことであった。
 一瞬、「敵」の姿が正五郎の視界から消えた。一瞬身を縮ませて相手の死角に潜り込んだのだ。
 一瞬身を縮ませた唐人の男は、次の瞬間、その反動のように身を躍らせた。正五郎も冷静に相手の動きを読んで慌てず素早く対応する。敵が身を躍らせたのとほぼ同時に、正五郎もまず真後ろへ、そしてすぐに横っ飛びに跳ねた。相手に向かって勢いよく飛びかかったつもりの唐人男は空振りを食って甲板の上に転がる。正五郎はその一瞬の隙に腰に差していた短刀を引き抜き、敵が体勢を取り戻さぬうちに一撃を与えようと、甲板上に転がる男に素早く襲いかかった。
 甲板上で大小二人の男の体が激しく揉み合い、闇の中で転がり始めた。激しく体勢を入れ替え、隙あらば相手に一撃を加えようと手に持つ短刀を突き入れようと争う。しかし互いに相手に有利を譲らず、二本の短刀は虚しく空を切るか、殺気のこもった音を立てて甲板に突き刺さる。
 しばらく揉み合ったのち、互いにらちがあかないとみた二人はサッと一瞬で身を離して後ろへ飛びのいた。このあたりも実際に命をやりとりを繰り返してきた者同士の呼吸というものでもある。いったん距離を置いた二人はまた最初のように一定の間合いを維持しつつジリジリと輪を描くように横歩きをしつつ、短刀を手に相手の懐に飛び込む隙をうかがっていく。
 波の音、揺れる船体のきしむ音、そして刃を手ににらみあう二人の男の呼吸。それだけが月明かりのみが照らす闇の中にしばらくの間聞こえていた。やがてしびれを切らして動き出したのは正五郎の大きい体躯の方だった。
 正五郎は船が波に揺られ、甲板がやや大きく傾いた一瞬を突いて、前方へ跳ね上がった。短刀を手にしたまま腕を前へ大きく突き出して飛びかかり、相手の不意を突く。奇襲に驚いた唐人が身を翻して避けるが、それも計算の内、素早く正五郎は唐人が体をよけた方向へ短刀を鋭く振り上げた。
「アウッ…!」
 小柄な唐人の体が揺れ、小さな呻き声が上がった。しかし正五郎には手ごたえが少ないのが分かった。紙一重の差で唐人は体をかわし、短刀はその衣服の一部と肌をわずかに切り破っただけだったのだ。
 一瞬ひるんだ唐人は怒りのうめきを上げ、そのまま若者めがけて駆け寄ってきた。そして何かをわめきながら二度、三度と短刀を正五郎の顔や胸めがけて突き入れてくる。正五郎はそれを素早くかわし、時に逆襲して相手に向け刃先を振り回した。しかしこれも小柄な唐人の体は要領よくかわしていた。
 月明かりの薄暗闇の中で激しく切り結ぶうち、また波が高くなったのか、船体がゆらりと揺れ、甲板はほんのわずかだが傾斜を作った。正五郎がバランスをとろうと一瞬後ろに跳び下がり足を踏ん張った時、相手の唐人は巧みに甲板上にステップを踏んでそれに接近し、鋭く短刀を突き入れてきた。正五郎はかろうじてかわしたが、今度は自分が服と肌を傷つけられる番だった。
(いかん、どうやら揺れる船の上での戦いはこいつの方が分がある)
 やはりこの唐人、船の上は慣れたものと見える。このまま切り結んでいても消耗するだけ。
 そう見切りをつけた正五郎は、一転、逃げる事に決めた。目的のものは手に入れた上は、無駄な殺し合いはやめにしてこの場からいち早く去る事が先決。そう腹をくくった彼は、いきなり戦っていた唐人に背を向け、甲板上を走り始めた。
 これに意表を突かれた唐人は、慌てるように相手の大きな影を追って走り出した。正五郎は船の後尾の方へ走っていき、船べりの上に足を乗せると、いきなり持っていた短刀を追ってくる唐人の影に向かって投げつけた。
 カッ、とその短刀は甲板の上に音を立てて斜めに突き刺さった。相手が相当の腕利きであることに警戒していた唐人は、走りながらも用心を忘れず、飛んできた短刀を素早く察知してかわしていた。しかし、そこにわずかの隙が生じた。
 その隙を突いて、正五郎は足をかけていた船べりから、そのまま空中へと身を躍らせた。一瞬の後、彼の体は波しぶきと大きな音を立てて海中に飛び込んでいた。
 もちろんこのまま泳いで逃げられるわけはない。ひとまず海中に身を投じ、ここまで乗ってきた小舟のところまで泳ぐつもりなのだ。背に持ち出してきた太刀を背負ったまま、正五郎は薄暗い海面を泳いでゆく。
「チッ…」
 これを見た甲板上の唐人は舌打ちをした。それから持っていた短刀を船べりにカッと突き立てると、着ていた上着を脱ぎ捨て、ほとんど裸体になってから一回深呼吸したのち暗い海面へと身を躍らせた。
(おっ…!)
 相手が自分を追って、ほとんど迷わず海に飛び込んできたことに正五郎はやや驚いていた。しかも見る間にその唐人がたくみな泳ぎでまっすぐにこちらに向かってくるのを見て、慌てて泳ぎを早めようとした。しかし、どうやら船の上だけでなく海の上でも唐人の男のほうが慣れたものであったらしい、たちまちのうちに唐人の男は正五郎に追いついて、その背中の太刀に手をかけた。
「畜生ッ」
 正五郎は命がけで持ち出してきた太刀に相手の手をかけられて怒りの声を上げ、それをふりほどこうともがいた。だが着ていた服が水を含み、ますます動きがとれなくなっている。
 唐人は正五郎の体に抱きつくと、その頭をつかんで水面に押し付けた。これを何度か繰り返すうち、正五郎はいつしか抵抗をやめ、荒い息と共に水を吐きながら、唐人の体にもたれかかっていった。
 相手がすっかり弱ったのを確認して、唐人の男は正五郎の体を引きずるようにして、彼が乗ってきた小舟へと泳いでいく。


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