歴史小説「鳳(おおとり)」

第一章 「旅立ち」


(三)


 それから十日間、牢を訪れるのは食事を持って来る李茂だけで、林国顕や沈門はまったく姿を見せなかった。
 李茂もただ事務的に食事を運び、食器を回収に来るだけで何一つ言葉を発することが無かった。もともとこの男は口下手なのではないかという印象も正五郎は受けていたが。
 正五郎の話し相手は当然ながら向かいの牢に押し込められている黄だけだった。最初は無口な黄だったが、こちらはもともと話し上手な方であったらしく、次第に打ち解けてくるとそこそこ器用な大隅言葉で身の上話などを話し始めた。
「わしの故郷は福建の泉州(11) だ。この高洲とは比べ物にならん、賑やかで大きな町だぞ」
 黄はそう言うが、ほとんど大隅の外にすら出たこともない正五郎にはその賑やかさ大きさというのは全く想像することができない。高洲に出入りする日本人の商人から和泉の堺や筑前の博多といった大きな町の話を聞くこともあったが、見たことはないので比較も出来ない。
「かつて蒙古がわが国を支配した元朝の時代、泉州には四海から多くの船が押し寄せ、この世でもっとも盛んな港町と言われたものだ」
 正五郎が理解しているのかどうかは構わず、黄は目を細めて故郷の過去の繁栄を語った。
 正五郎はあずかり知らぬことだが――黄は自身の語る泉州の繁栄がすでに過去のものであることをよく知っていた。元朝の時代には海外貿易の拠点として大いに繁栄した泉州も、私貿易を禁止する「海禁政策」(12) をとった明朝にあっては商業的繁栄も過去のものとなっていた。それでも王朝政府の目を盗んだ密貿易活動は福建全域においてなお盛んだったが、その中心となっていたのは泉州より南にくだったショウ[シ章]州、そして隣の広東の潮州だった。
「この屋敷の主や船主、そして部下達も多くは福建か潮州の人間だ。あのあたりの人間は昔から海外に飛び出すことが多くてな」
 古来、福建の地は中国の文明圏から離れた地域と見なされる時期が長く、政治的・文化的に「中華」の範疇におさまるようになってからも言語は中原と大きく異なり、その独自性を強く維持していた。また地理的に見ても中原のような大平原は少なく海のそばまで山地が迫り、その人口を養っていけるだけの耕地を確保できなかった。ゆえに、福建人は生活の糧を海に求め、さらには軽々と海外へ飛び出していく傾向が強かった――とされる(13)
 黄はそこまで正五郎に語らなかったが、彼自身、福建についてそうした説明が官製・私製を問わず多くの書物でなされていることを知っていた。自分もまたそうした福建の人間であることに自負もあった。
「黄どのも、やはりそうして海へと飛び出したのか?」
 正五郎が聞くと、黄は苦笑いしながら答えた。
「半分当たりで、半分はずれだな」
 その後、実に数日がかりで黄が正五郎に説明したところにまとめれば――
 黄は泉州ではそこそこの資産家の出身であったらしい。学問もそれなりに修め、県学に進んでさらに科挙を受験もした。その折に留都(南京)も訪れているが、地方試験の段階で落第し、以後は県の小役人を務めるようになっていた。だが、その細々とした生活に飽き足らず、人づてに海外への飛翔を試みたのだという。
「だが、そこはお前と同じ。悪い男に騙されてな。船に乗り込み海に下ったところでいつの間にか奴隷として売り飛ばされていた。そして気付いたらこの大隅に連れてこられていたのだ」
 この時代に限ったことではないが、この当時の海外貿易において「人間」は重要な商品の一つだった。かの「倭寇」も、襲撃先の朝鮮半島や中国大陸の沿岸各地で物品だけでなく「人間」も重要な略奪の対象にして、多くの人間をさらって日本など各地に売り飛ばしていたし、この時期アジア各地に進出しているポルトガルやスペインの商人たちも少なからず奴隷貿易に関わっていた。
 「商品」とはいえそこは人間であるだけにまっとうな方法で「仕入れ」されるものではない。多くは倭寇がそうしたように襲撃地で誘拐されていたし、さもなければ黄がそうであったように騙されていつの間にか奴隷として売られていたという場合もあった。
 黄のようにある程度の教養がある奴隷は単なる労働力にとどまらない価値を認められることが多く、黄は自身の知らぬ間にかなりの高値で売り飛ばされていた。またそれだけに彼を買った密貿易商人も彼を絶対に手放さず厳重に管理してこの大隅の高洲まで連れてきていたのだ。
「この高洲には多くの明人がいる。その半分以上はわしのように騙されて売られてきたか、海賊に連れ去られて来たものだ。それは知っていたか?」
 黄に問われて、正五郎はこっくりと頷いた。無論、高洲の人間にとってはそれは周知のことで、地元の住人としては特に倫理的に問題とされたことはない。
 高洲の町の郊外には黄のように大陸から連れてこられた奴隷の収容施設があり、常時二、三百人の奴隷達がそこで生活していた。彼らはこの高洲でも牛馬のように働かされ、ここからさらに別の土地へ労働力として次々と売り飛ばされていった。そのため同じ奴隷がこの高洲に一年以上いついていたためしがなく、正五郎のような地元の人間はそうした異国人の奴隷の顔を覚えることすら少なかった。
 経営は林国顕・沈門といった、この高洲に屋敷を構える商人とも海賊ともつかぬ明人たちが、この地の領主と提携して行っていた。そのためこの施設の管理や逃亡者を防ぐ見張りは林国顕らの部下の明人と共に、正五郎のような地元領主の配下の武士たちが合作して務めることもあった(14)
「ではなぜこのような地下牢に押し込められたのだ?」
 と正五郎が聞くと、
「逃げ出したのだ。隙を見て見張りの倭人を刺し殺してな」
 と、黄は静かに答えた。
 そういえば数ヶ月前に奴隷の見張りに立っていた武士の一人が何者かに殺されているのが見つかり、ちょっとした騒ぎになったことがあったな、と正五郎は思い出していた。その後犯人も見つからず、高洲の誰もがほとんど忘れ去ってしまっていたが…その犯人がこのような近くにいるとは思いもよらないことだった。
「その後はお前と同じ。港にあった船に潜り込んでここから逃げ出そうとしたが、見つかってしまってこの様よ」
「同じではない。わしは家宝を取り返そうと忍び込んで捕まったのだ。別に逃げ出そうとしたわけではない」
「こうなってしまえば同じようなものではないか」
 黄はそう言ってクック、と喉の奥で笑った。
 正五郎は「同じ」とされることにひどく不快感を持ったが、そのことにはそれ以上触れない事にしたた。
「しかしあれから三月以上は経っている…よく命が無事だったものだ」
 正五郎がそう言うのも無理はない。収容施設から逃亡を図った者はたいてい見張りに捕まるが、その際はその場で首を刎ねられるのが常だったのだ。その見張りを殺して逃亡し、さらには船に潜り込んで密航を企てて捕まったにしては、こうして牢に幽閉し続けるのは待遇が良すぎるほどだ。
「奴らは商人だからな…即座に殺すより売り飛ばしたほうが利益がある、それだけわしに品物としての価値があると認めているということだな」
 黄は忌々しそうに言うが、その自嘲じみた言葉にはどこか、その自分の「価値」を誇っているかのような響きも含まれていた。
「わしは、もともと海外へ雄飛するつもりがあった。思いと異なってこうしてこのような所にいるが、いずれまた大海に乗り出し、己の才気を存分に使える場所を見つけるつもりだ。まだまだ諦めてはおらん…」
 そのようなことを、黄は何度か正五郎に語った。黄は学のある人間らしく、こうしたことを漢語を交えて語るため正五郎にはかなり理解しにくいものでもあったが、黄という一見貧弱な体を持つ男が気宇壮大な夢を語る様子には、正五郎なりに魅せられるところが多かった。
「大海の彼方に行く…」
 ということは、少年の日々、高洲の港から水平線の彼方へ出航していく唐人たちの船を眺めて、何度か夢見ぬことではなかった。実際、知り合いの貧乏武士の次男、三男坊の中には「“ばはん”に行く」と唱えて唐人達の船に乗り、去っていった者も何人かいた。その大半がいまだ戻ってこないが…(15)
 低い身分ではあるが武士の端くれとは思っている家の長男の正五郎は、長じるにつれ、大海の彼方に飛び出してゆくというようなことは、「幼き日に見る甘い夢」として大人の分別で心の片隅に片付けてしまってきたのだった。
 この年になるまで高洲を離れることすら少なく、まして大隅一国から一歩として出たことがない。知らぬ土地へ行くのは自らの領主の命令に従って近隣の領主達との小競り合いの戦に参加するときぐらいだった。
 正五郎がそのことを言うと、黄は、
「わしもそう見聞が広いほうではないが」
 と断りつつ、自分がこれまでに見てきた明国の各地の城市や、日本に流落する途中で見た、ただただ青く広がる大海や、琉球の島々の光景などを正五郎に語り聞かせた。
 黄は学があるだけにするどく詩的な感覚でそれらを語った。むろんかろうじて覚えた大隅言葉でそれを表現するのだから不自由も多かったが、それでもそれらの見知らぬ世界の体験談は正五郎の胸をときめかせるのに充分すぎるほどだった。
「わしも行ってみたいのう」
 話を聞くうち、正五郎は何度かそれを口にした。自分がいま置かれている立場などはすっかり忘れてしまっていた。
「もしここから出て、海へ出られることになったら、わしを連れて行ってくだされ」
 と頼んでくる正五郎に黄は、困ったものだ、というような仕草をして苦笑したが、
「家族はあるのか」
 とだけ聞いてきた。
「父と、弟・妹が一人ずついるが…わし一人いなくなっても、あとは何とかするだろう」
 正五郎がそう言うと、
「ほほう、妹がいるのか。それはわしの家と同じだな…」
 と、黄は正五郎に懐かしげなまなざしを向けながら微笑んだ。


 春三月から四月は、季節風の変わり目にあたり、日本から明に向かって大海を渡る絶好の時期であった。この春と、秋の九月から十月ごろが日本からの出航に適していた。逆に明から日本に向かう際は夏五月ごろの季節風を利用すればよいとされていた(16)
 すでに四月に入り、高洲港に泊まっていた大船も次々と商品を積んで出航していく。林国顕が乗る予定の大船もそろそろ出航の時期となっていたが、林国顕は準備だけ整えてある者の到来を待ってここ数日を過ごしていた。
 その者がようやくやって来たのは四月の末のことである。もちろん明から来たのではなく、日本の平戸から船で周回してきたのだ。
 平戸からやって来たその男を、
「洪老!」
 と、港に出迎えた林国顕は大声で呼んだ。
 「老」とは年老いたことではなく「旦那」「親分」「船長」といった、何らかの形で人の上に立つ者への敬称として付されることが多い。かく言う林国顕もまた部下や同業者からは「林老」、もしくはあだ名の「小尾老」の名で呼ばれている(17)
 「洪老」と呼ばれた男は年のころは四十そこそこ、でっぷりと太った体躯を、福建の城市に住む豪商あたりがよく身につけていそうな豪華な錦の衣服で包んでいた。長い髭を潮風に揺らし、穏やかな表情で太った体を揺すりながらのんびりと港に上がって来る、いかにも大人風のその姿に、彼がかの王直の後継者であることを見出せる者はこの高洲の港でも少ない。
 洪老、通名を洪沢珍(18) と言う。多くの海賊・海商を輩出した福建ショウ州の出身で、何人かの同郷人と共に王直の有力な部下の一人となっていた。王直が三年前に捕われたあと、彼の部下の多くが官軍との戦いなどで散り散りとなり、ひとり洪沢珍が残党を糾合して王直集団を引き継ぐことになったのだった。
 だから洪沢珍本人にしても成り行きでそうなったというだけで、特に「王直の後継者」を気取るつもりはないのだが…。
「林老。お久しぶりです」
 先輩格でもある林国顕に対し丁重に挨拶した。
「先だっての五峰船主のことは…よく知らせてくれた」
「……残念です」
 先ごろ五峰船主こと王直の処刑の情報を平戸で得て、それを大隅にいる林国顕に知らせたのはこの洪沢珍だったのである。
「よもや殺されるようなことはあるまい、と本人も言っていたのです…だからこそ胡宗賢に身を預けて投降という道を選んだのですが…結局はこのような最期となってしまった…」
「所詮、お上というものはそういうものよ。利用できるうちは利用して、自分たちの立場が悪くなればたちまち斬り捨てる…以前にも忠告したことがあったのだが」
「まったくその通りで…無念だったでしょうなぁ…五峰船主…」
 洪沢珍はそう言って港の先の水平線の彼方に目をやり、しばし黙った。
 その視線を林国顕も追い、青い海を見つめる。
 この大海を縦横に駆け抜け、一時とはいえこの大海をまたにかけ王者のように君臨した男が、この大海の彼方の陸の上で無念の死を遂げたのだ。
(口には出さずとも、その胸に去来する気持ちは同じ…まったく、惜しい男を死なせたものだ…)
 と林国顕は心の中で洪沢珍にささやいていた。
「去年は福建のあちこちでだいぶ暴れたそうだな…」
 沈門の屋敷へと洪沢珍とその部下達を導きながら、林国顕が言った。
 洪沢珍は無言のまま歩き続けた。
「以前のお前さんは、いかにもショウ州の商人らしいやり手の商売上手で、乱暴を働くような手合いではなかったが…」
「人は変わるものですよ、林老」
 洪沢珍は無表情で答えた。
「五峰王直も死んだ…いや、私の中では五峰船主は二年も前に死んだつもりでおりました。徐碧渓や徐海はとうの昔に死に、葉宗満も捕われ、王清渓も李華山も官軍に投降…毛海峰と徐北峰や謝和は五峰船主の仇討ちだと浙海を荒らしまわって行方も知れず…(19)
 洪沢珍はかつての仲間たちの名を次々と挙げ、その消息を語った。それぞれの名を口にする時、洪沢珍の表情には懐かしさと哀しみとが入り混じった陰が差した。
「気がつけば、五峰の船団を引き継げる者は私しか残っていなかった。以前のような気楽な商売ばかりというわけにもいかなくなりますよ…」
 王直の後継者という看板は、この豪商あがりの男にはいささか重荷すぎた。そのことをよく自覚している洪沢珍は自嘲気味にそれを言う。
「家族が官に捕われたというのは確かなのか?」
「ええ。妻と兄弟、親戚一同捕縛されたそうで(20) 。五峰船主の時と同じですな。扱いは悪くないのも同じようですが」
「息子がいただろう、あいつはどうした?」
「文宗(21) なら、そこについて来てますよ」
 洪沢珍が後ろを指差すので林国顕がそちらを振り返ると、そこに二十歳前後の小柄な青年が歩いており、自分が話題にのぼっていることを察して軽く林国顕に向かって腕を組み軽く礼をした。
「ほほう、大きくなったものだ。もういっぱしに海の男の顔をしておる。ここにもわしの孫ぐらいの男がおるわ」
 林国顕はそう言って洪沢珍の息子、洪文宗に向かって微笑して見せた。


 
「五峰が捕われてからこのかた、かえって海上は物騒なことになって来ておりますよ。重しがすっかり取れましたからな。五峰の持っていた船団の生き残りは私がまとめておりますが、往時の勢いはまるでない。浙江から福建、広東は群雄割拠という有様のようで」
 沈門の屋敷で設けられた歓待の宴の席で洪沢珍は語った。
「とくに南澳の許朝光(22) が派手に暴れているそうだな」
 林国顕が言うと、洪沢珍は黙って頷いた。。
「朝光か…あやつもひところこの屋敷に泊まっていたことがある。まだまだ子供だと思うていたが」
 と、沈門が懐かしそうにつぶやいた。
「あやつが父親の許棟を殺して船団を乗っ取ったのが一昨年のこと。以来、広東と福建をまたにかけて大暴れしております」
「親不孝も極まる男だが、それだけに暴れると手がつけられんらしいな。聞けば薩摩あたりの倭人を大勢連れて行ってるらしい。それも強さの理由だろうな」
「他には?」
「張lという男が潮州から出て乱を起こしておりましてな。蕭雪峰の仲間らしいのだが、どうも詳しいことがわからず…ただ近ごろ大変な勢いです」
「潮州の者か?わしらと同郷で海に出た者ならば名ぐらい聞いていそうなものだが、初耳だな」
「海賊や海商の出ではないようですな。山にこもる盗賊であったかもしれませぬ。他にも厳山老という男が…」
 洪沢珍の挙げる名前には尽きるところがなかった(23)
「ショウ州の月港などには近ごろ多くの海賊たちが集まって徒党を組み“二十四将”やら“三十六猛”などと名乗って気勢を上げ、まるで梁山泊を気取っておるそうですわ。月港も五峰一党の押える港でありましたが、近ごろではすっかり盗賊の巣のような有様で(24)
「その噂は呉平からの報告で聞いた…うかうかしているとわしらの船まで襲ってくるそうでな、昨年もこの大隅から出た船が月港近くでその連中に襲われ、一戦してどうにか逃げ切ったとか」
 そこへ沈門が口を挟んだ。
「やれやれ、物騒なものだな。ここ十年は福建や広東の沿海は穏やかなものだったが…やはり浙江で官軍に敗れた福建人や倭人たちが南へ南へと流れ込んでもいるようだな」
 後年、「嘉靖大倭寇」という歴史用語で呼ばれることになる浙江方面への「倭寇」の大攻勢は、この時点では明官軍の重点的な鎮圧作戦もあってほぼ終息の方向に向かっていた。その一方で「倭寇」たちの活動地域は浙江を離れて福建・広東沿岸方面へと南下する傾向を強め、これがその地域の海賊・山賊らと結びついて不穏な情勢を生み出しつつあった。もともと「倭寇」と呼ばれる集団の構成員の多くが福建人であったこともこうした動きを加速させていた。
 もちろん日本出身の「真倭」と呼ばれる本来の意味での「倭人」たちもこれら「倭寇」に参加しており、洪沢珍が列挙した許朝光・張l・厳山老そして月港の“二十四将”といった集団にもこうした真倭たちが少なからず合流し戦闘要員として暴れまわっていた。そうした真倭の多くが日本の九州の出身者であったと言われている。
「洪老の船団は五峰船主のそれを引き継いでいるから倭人も多いだろう。やはり力になるか?」
 林国顕の質問に、洪沢珍は答えた。
「力になるといえばなりますが…言葉の違いもありますしな。我らのようにショウ州の同郷人で固めている船団では浮いてしまいがちで、ともすれば信用がおけません」
「そうか…わしもこれまで同じことを考えていた。倭人とは付き合いはするが、倭人をおのれの船に乗せる気にはなかなかなれんでな」
 すでに夕暮れとなっていた。赤い夕陽の射す庭先から、時折パシッ、パシッ、と乾いた音が聞こえてくる。木と木が激しくぶつかり合う音だ。
 年寄り達の酒宴の席に付き合っても面白くない、と庭に出た洪文宗が先ほどから李茂を相手に棒術の稽古をしていたのだ。文宗は五年ほど前にこの沈門の屋敷に預けられていた時期があり、そのおり李茂から武術の手ほどきを受けていた。しばらくぶりに再会したので腕試しにと相手をしてくれるよう頼んだのだ。
 もっとも李茂の棒術や剣術というのは決して人に習ったものではない全くの自己流で、人に教えられるという類のものではなかった。ましてビン南語があまり得意ではなく口数も少ない李茂だから「手ほどき」というのは模範を見せたり説明をするというものなどではなく、ただただ実際に棒や剣を振り回して「生徒」である洪文宗の体に叩き込む、という代物であった。李茂自身、数々の修羅場で実際に戦い、己の体に叩き込んできた血肉の武芸なのだ。若い洪文宗にとっても、まどろっこしい教授よりこの方が性にあっていた。
 棒の叩き合いの音がようやく消え、上半身肌脱ぎになった洪文宗と李茂が林国顕や洪沢珍たちの宴席へと近づいてきた。沈門の使用人が差し出した椀に入った酒を、二人は美味そうに飲み干した。
「どうだ、少しは李茂と勝負ができるようになったか」
 林国顕が笑いながら洪文宗に声をかけた。
「いやいや、まだ李の兄貴には叶いませんよ…ただ今日のところは少しは勝負になりました」
「今日のところ?」
「兄貴の棒に今ひとつ鋭さが無いのです。聞いてみると、肩に傷を負っていました」
「ああ…つい先日、ちょっとした立ち回りをしてな」
「聞きました。船に盗賊が入ったとか」
「傷も大したものではなかったし結局は李茂が生け捕りにしたのだがな」
「ええ…だが李茂の兄貴にかすったとはいえ傷を負わせたとは大したものですよ」
 林国顕と洪文宗が話している間、その話題の当事者であるはずの李茂は、黙って酒をあおっている。
「明の沿海を荒らしている倭人の中にも時折大変な武術の達人が混じっていると聞きます。倭刀の流派を学んだサムライもいるとか…(25)
「この国には食い詰め者がたくさんいるからな…戦も絶えないから腕に多少覚えもあるやつも多いし、海の向こうまで出かけて一稼ぎする者もいるんだろう」
「そいつも武芸をどこかで習っているのではないですかね。それならば腕を見てみたいのですが」
 洪文宗が若者らしい好奇心をむき出しにして林国顕と沈門にねだっていると、それまで黙っていた李茂が立ち上がり、体の汗を布でふき取りながらつぶやくように声を発した。
「…あいつはそういう奴ではありませんな」
「うん?」
「あの動きは俺と同じですよ。何度も命のやり取りをして、何度も人を殺して…自分で会得した動きだ」
 無表情のままそれだけ言って、李茂はすたすたとその場を立ち去ってしまった。
「相変わらず無愛想な男ですなぁ…やはり生まれが…」
 洪沢珍が李茂の立ち去った方向を眺めつつ何か言いかけたが、林国顕が一瞬キッと睨みつけてきたのに気づいて口ごもった。洪沢珍は苦笑いし、取り繕うように別の話題を持ち出した。
「そうそう…こちらに売り飛ばされ、脱走した明人が捕らわれていると聞きましたが」
「ああ、前に伝えたことがあったな」と沈門。
「そやつ、学もあるらしいが武術の覚えもあるらしいじゃないですか」
「あくまで当人が言っていることだがな。学問を修めつつ武芸もどこぞで習っていたとか…お役人を目指していたにしてはいささかやくざなところもある男のようだな」
「それはまた面白い…」
「で、どうだね。買い取るつもりはまだありなさるかね」
 沈門は急に商売口調になって洪沢珍の顔を覗き込んだ。
「さて…」
 林国顕は袖に腕を通して天井を見上げた。
「これまでにもさらわれてきた明人をわざわざ買い取って帰国させてやったこともある洪老じゃないか。歳をとって金を渋るようになんなさったかな」
「いや…この買い物は人情ばかりではないですからなぁ。その本人も明に帰るつもりでもないんでしょう。俺の配下に入る気でもあるんだとすると、雇う方としても慎重にならざるを得ない」
「父さん、武芸の心得があるという奴なら、そいつの腕も見てみたいな」
 肌に汗をにじませ頬を高潮させた洪文宗が、父親の隣の席にどっかと腰を下ろしながら言った。
「本当に腕のある奴なら、物騒な昨今、なにかと役に立つと思うけどね」
「お前、さっきの話の倭人とそいつと、どっちに興味があるんだ」
「どちらにも。腕の立つ奴なら明人も倭人も関係ないさ」
 洪文宗はそう答えて、手にしていた椀の酒を干し、遠慮なく卓上の料理に手を伸ばしムシャムシャと頬張り始めた。そんな屈託の無い息子の様子を眺めて微笑んでから、洪沢珍は沈門に向き合って言った。
「どちらにしても、腕がどれほど立つのか確かめないことには買う買わないは決められませんなぁ」
「腕前を見せろ、というのかい…さて、どうしたものかな、林老よ」
 沈門は腕組みをして、いつの間にか席を立って庭先を歩いていた林国顕に声をかけた。
 林国顕はすぐには返事をせず、手を後ろに組んだまましばし庭を歩き、目を細めて沈み行く夕陽を眺めていた。それから思い出したように沈門への返事を口にした。
「勝負をさせてみればいいだろう。それなら実際に腕前が見られる」


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