鄭若曽(ていじゃくそう)
嘉靖大倭寇の対策にあたった幕僚・地理学者。直隷崑山の人で字は伯魯。「開陽」と号した。幼い頃から経世の志を抱いて天文・地理など幅広く学んだが科挙にはなかなか合格せず、共に学んだ唐順之らが合格して出世して行くのを見送るしかなかった。

嘉靖30年代に「大倭寇」が勃発すると、その地理知識と文筆の腕を買われて(唐順之の推薦もあったらしい)総督・胡宗賢の幕僚となり、胡宗賢のもとで倭寇対策の資料編纂に携わる。彼が編纂した『籌海図編』(1561刊)は倭寇対策および日本研究の集大成といえる書籍であり、後世の倭寇研究・中世日本研究に欠かせぬ根本資料となった。他に対象地域を絞った『江南経略』もあり、こちらも詳細を極めた内容となっている。彼の著作は「鄭開陽雑著」としてまとめられてもいる。

江南の倭寇がひとまず平定されると、鄭若曽もその功績により官職を授けられることになったが、なぜか彼はそれを固辞し、著作を続けながら隆慶4年(1570)に死去した。
彼の著作であるはずの『籌海図編』は後年、胡宗賢の子孫が「胡宗賢撰」として再刊したため「著作権問題」が発生することにもなった。

主な資料
「江南通志」人物
「籌海図編」「江南経略」ほか

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