海上史論文室
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○論文
「16世紀『嘉靖大倭寇』を構成する諸勢力について」
(2003年10月脱稿)


○解題○


 これは僕が所属する大学院の紀要向けに執筆した論文です。脱稿時期は昨年秋なのですが、なんだかんだと校正作業があり、一応義理というやつで紀要自体の発行を待った上でHP上の公開となった次第です。今から読むとあれこれとってつけたくなる箇所があるんですが、まぁ一応発表した形のまま乗っけておきます。

 本論文の主旨ですが、16世紀半ばに明の江南地方沿岸を襲った大規模な「倭寇」、「嘉靖大倭寇」と称される運動にどのような人間達が参加していったのかを検証したものです。もともとこの「嘉靖大倭寇」については「9割が中国人」と当時から知られており(これは本文中にも出てきます)、王直らをはじめとする密貿易集団の関与が指摘されてきました。僕はこの論文では密貿易集団の事はとりあえず横においといて、「大倭寇」に参加していった「現地」の人間集団に注目してみたわけです。そこには実に多彩な、また非常に興味深い連中の姿が見えてきまして…こういうゴチャゴチャしたアンダーグラウンドな世界、僕は大好きなんですよねぇ、ということで、あとは読んでみてくださいな(笑)。

 本論文ができた経緯を暴露すれば(笑)、実のところこの論文は本来書く予定の論文の一部のエッセンスのみを引っ張り出してどうにか形にまとめてしまったものです。ええ、ともかく単位獲得のためという事情がございまして(笑)。ラストでも書いてますが最大の重要テーマについては先送りにしているところもございます。


              
 はじめに

 いわゆる「倭寇」とよばれる海賊は中国の明朝期を通して東アジアの海上に活発な活動を展開し、各地域に重大な影響を与え続けた。とくに明朝史においては北のモンゴル=「北虜」に対する「南倭」として国家の重大な問題であり続けたことは良く知られている。

 この倭寇についてはわが国でも戦前以来の多くの先学の研究がなされてきたが、おおむね十四世紀〜十五世紀に活動し朝鮮半島から中国黄海沿岸を襲った倭寇を「前期倭寇」、十六世紀に活動し主に中国中南部を襲った倭寇を「後期倭寇」とする定義はほぼ一般的となっている。そしてこの「後期倭寇」についてはその構成員の多くが、当時の史料によれば8割から9割が明出身の人間で占められていたことが注目されており、日中交渉史だけでなく中国史の枠組みからもこれまで様々に検証がなされてきた。

 「後期倭寇」の実態を多くの史料を駆使して考察・総合した先駆としては石原道博の『倭寇』(1) があり、その大半が明人であり日本人は少数派であったこと、一般に流布する「倭寇の残暴」には事実無根とまでは言えぬにしてもイメージ先行のきらいがあること、そして「倭寇」を生み出す原因となった密貿易従事者や密貿易に関与する地方郷紳層の活動、「倭寇」に協力していった「偽倭」「従倭」「仮倭」「奸細」といった人間たちの存在など、多くの事例を挙げて「倭寇」の複雑なイメージを浮き上がらせていた。

 「後期倭寇」に明の密貿易業者などが多く含まれていたことから、これを中国史における階級闘争の一種と見なす見解も、わが国では1960年代に片山誠二郎によって唱えられた。片山に見るような「後期倭寇」を「中小密貿易商人が連合して搾取する郷紳層に対して起こした闘争」に沿海の貧民などが加わっていったものとしたが、こうした見解は中国の研究者においても同様のものが見られ、いわゆる「資本主義萌芽状況」を背景に明朝政府の海禁政策との矛盾が激化した現象が「後期倭寇」であるととらえ、階級闘争史観的立場から「後期倭寇」の活動を「反封建の人民闘争」として積極的に評価する傾向すら多く見られた(2)

 1980年代まで日中ともに似た傾向をもつ「後期倭寇」評価がなされてきたと言えるわけだが、最近では両国の学界それぞれで「倭寇」像のゆらぎが見られる。中国においても「後期倭寇」に「真倭」つまり「日本人」が含まれていることを重視し、かつ「大倭寇」にみられるような大規模侵攻の実態もふまえて、「後期倭寇」に対する評価を改める動きも起こってきている。また日本においては村井章介『中世倭人伝』などにより「倭寇」を国家・国境をまたぐ地域に活動する人々=マージナル・マンとみなす見解が提示され、また荒野泰典が「倭寇的状況」と呼んだ多民族雑居状態の「環東シナ海世界」の想定などにより、「倭寇」にとどまらず「倭」そのものの定義にも新たな視座がもたらされてきている(3)

 「倭寇」をめぐる研究の難しさはその実態が海を越え国境をまたいだ多民族雑居の状態であること、そのものにある。しかも彼ら自身が歴史の記録者になることはなく、主にこれを危険視・鎮圧する陸上の権力側からの視点のみの記録が残されることになる。そうした性格の史料の記述をもとに「倭寇」像を構築することは慎重な作業が要求されよう。

 本論文では「後期倭寇」と呼ばれる16世紀半ばの明・江南地方への「倭寇」活動、しばしば「嘉靖大倭寇」と呼ばれる侵攻活動をテーマに取り上げている。「前期倭寇」も含めた「倭寇」史の中で、特に大規模かつ深く内陸に分け入った侵攻活動であり、しかもこれまでの研究史においてしばしば注目されたように構成員の多くが明出身の人間であり、明国内の社会問題と深い関わりを持っていることに大きな特徴を持っている。先行研究においてもこの「嘉靖大倭寇」の要因は当時大規模に展開されていた密貿易活動と明朝の海禁政策との矛盾にあることについては議論の余地がないほどに論じられてきたが、これがそれ以前と以後の「倭寇」とは大きく異なり、江南地方全体にわたる大規模な騒乱に発展した事情については依然として深い考察がなされていないように思われる。

 この論考ではまず「大倭寇」の発生に至る過程を整理し、さらに「大倭寇」の急激な発展過程を見て、そこに「大倭寇」に参加していった江南地方の様々な勢力の存在を見出し、それらについての考察をしていきたい。


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(1)石原道博『倭寇』(吉川弘文館、一九六四年)。ほかに倭寇の通史的著作としては田中健夫『倭寇−海の歴史』(教育社歴史新書、一九八二年)が古典的存在である。

(2)「後期倭寇」の実態を巡る議論として代表的なものは、一九六〇年代に王直ら密貿易に関わる中小商人層が郷紳層などの搾取および海禁政策に反対して起こしたものと定義した片山誠二郎氏、それを批判し郷紳層との関わりを重視した佐久間重男氏の研究、王直の侵寇活動との関わりを否定し彼を平和的海商と位置づけた李献章氏の研究などがある。こうした日本での研究動向と意外に似た論争経緯をたどった中国の学界動向については熊遠報「倭寇と明代の海禁−中国学界の視点から」(「中世後期における東アジアの国際関係」1997、山川出版社、所収)に詳しい。

(3)村井章介『中世倭人伝』(岩波新書、一九九三年)など。一方で前期倭寇に関してはそのマージナル性、高麗・朝鮮人の参加に疑問を呈する浜中昇「高麗末期倭寇集団の民族構成−近年の倭寇研究に寄せて−」(『歴史学研究』第六八五号、一九九六)、李領「高麗末期倭寇の構成員に関する一考察」(『韓日関係史研究』五、韓国玄音社、一九九六)および『倭寇と日麗関係史』(東京大学出版会、一九九九)の第五章「高麗末期倭寇の実像と展開」といった論文も発表されている。