祝婦(しゅくふ)
倭寇の首領・葉麻の愛人となった女性。嘉靖33年(1554)4月に葉麻が浙江の袁花鎮を攻略した際に捕虜となり、その美貌を目にとめた葉麻が自分の妻とした。
『倭変事略』嘉靖34年正月二日の記事によれば、海塩(「倭変事略」の作者、采九徳の地元である)に押し寄せた倭寇集団の中に、馬にまたがった祝婦の姿が目撃されており、これと語り合う「賊」がいたと書かれている。その「賊」はまるで祝婦の命令を受けているようだったという。この「賊」は葉麻だったのではあるまいか。

葉麻がこの祝婦に本気で惚れていたらしいことは、『倭変事略』が記す以下のエピソードにも現れている。
嘉靖35年(1556)、久しく葉麻の根拠地・川沙窪(せんさあ)にあった祝婦が故郷を懐かしんで涙を流していた。これを見た葉麻は哀れに思って彼女を袁花鎮に帰してやる。この後、葉麻は徐海と連合して海塩にやってくるが、酒宴の席で酔った徐海と葉麻の間で次のような会話が交わされた。
徐海「兄貴の嫁は何人いたかな?」
葉麻「いないよ」
徐海「祝氏というのがいたと聞いたが」
葉麻「去っちまったよ」
徐海「美人はなかなか得られんものだ。お前が捨てたのなら俺がもらおう」
葉麻「お前には六七人の妻がいるそうだが、お前はそれを他人にくれてやったりするのか?」
勇猛で知られた葉麻の怒りぶりに徐海は恐れ、作り笑いでごまかしている。しかし葉麻は徐海が本気で祝婦を我がものにしてはと恐れ、部下を袁花鎮にやって祝婦を連れ帰らせた。この帰り道にこの部下達が「常」という姓の民家に上がり込んで略奪をしようとしたが、祝婦が止めさせている。祝婦が葉麻のもとへ戻ってくると葉麻の部下達が連日祝いにやってきたという。
以上のことは「倭変事略」のみが記すことであるが、徐海が一女性をめぐって葉麻と争ったことは他の複数の史料にも出てくることなのでだいたい事実なのだろう。

この直後の7月に、葉麻は胡宗賢の離間策に乗った徐海によって捕縛され、官軍に突き出された。祝婦がどうなったかはいっさい記録が残されていない。

主な資料
采九徳「倭変事略」

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