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2021年1月2日

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◆音を超えて星の彼方へ

 あけましておめでとうございます。今年も「史点」をよろしくです。といっても今回の記事はいずれも昨年の年末ネタ、執筆が遅れてアップが新年になってしまったというわけでして。
 昨年は、誰もが言うことだが、とにかく「コロナ」の一語で語られてしまう。これが今年だけで済めばいいんだけど…。前回のパンデミック「スペイン風邪」のときからほぼ一世紀、今回もいろいろ大変なことにはなっているけど、この一世紀の間に科学知識や医療技術が圧倒的に進歩したおかげでこのくらいで済んでいる、という面もあるだろう…などと書いていたら、まだ53歳の、羽田孜元首相の長男の羽田雄一郎参院議員がコロナで急死、というニュースが流れてきて、本当に年の暮れの暮れまで…
 まぁともあれ、ここ百年間の科学の発展はすさまじかった。そのうちの一つが人類の宇宙への進出だ。もっとも費用のかかることなので人間自体が他の天体まで出かけるのはかれこれ半世紀ばかり御無沙汰になっちゃってるが。

 昨年の終盤になっての宇宙開発関係の話題といえば、日本の「はやぶさ2」と中国の「嫦娥5号」が、他の天体からオミヤゲを持ち帰ってきた件だ。いずれもそうそうあることではなく、昨年の明るい科学ニュースとして記憶されることになりそう。

 先代「はやぶさ」はその偉業もさることながらトラブル続きのドラマ性、地球帰還時に流れ星のように散った最期などが日本人の感性をいたく刺激したのか、国民的フィーバーをひきおこして映画が三本も製作されることにもなった(僕はうち1本しか見てない。昨年亡くなった人が出演してた)
 2014年に打ち上げられた「はやぶさ2」はそうした映画の続編みたいな名前であるが、先代の反省から様々な改良がなされ、そのためか特に大きなトラブルもなく昨年に小惑星「リュウグウ」に到達、現地のサンプルを採取したのち帰還コースに入り、昨年12月5日に地球に最接近してサンプルを収めたカプセルを地球に投下、任務を無事に果たして再び地球を離れて次のミッションへと旅立っていった。あまりにも「優等生」だし「散る」こともしなかったので先代のように映画化されたりはしないだろうが、とっとと次の仕事に黙々と飛んでいくビジネスマンぶりは日本人好みかもしれない。

 「はやぶさ2」が地球に投下したカプセルからは「リュウグウ」のガスや粒が確認され、特に地球以外の天体から初めてガスを持ち帰ったことは注目された。ところで「リュウグウ」からのお土産ということでマスコミではカプセルを「玉手箱」と呼ぶのが流行っていたが(実は玉手箱を持ち帰ってくるようなものだから「リュウグウ」と命名してるんだそうだが)、玉手箱からガス…と聞くと、開けた途端に封印されていた時間が加速して周囲の人が老人になっちゃったりしないか、それこそ「ウラシマ効果」が起きたりして、とか楽しい想像をしちゃったものだ。

 
 一方、中国の「嫦娥5号」。嫦娥(じょうが)というのは中国の古代神話に出てくる、月に行ったきり帰ってこなかった仙女の名前に由来するが、今回の嫦娥5号でついに地球への帰還を初めて果たした(1・2号は月周回、3・4号は着陸のみ)。嫦娥5号は昨年11月24日に打ち上げられ、12月1日に着陸モジュールが月面に着陸、周囲の土壌などサンプルを収集してそれを運ぶ上昇機が月軌道をまわる帰還機とドッキング、12月17日に地球への帰還を果たしてサンプルも回収された。月面からのサンプル回収は、アメリカ、ソ連に続く3例目となり、それは有人宇宙飛行を成功させた国ということでもある。

 アメリカは人を月面に送り込んだアポロ計画の時に「月の石」などを持ち帰っている。その後にソ連は無人月面探査の「ルナ計画」で月面サンプル回収に成功していて、今回の中国の嫦娥5号はそのルナ計画を参考にしたものと思われる。それにしても、無人機ながらも月からサンプルを回収してくるというミッションがほぼ半世紀ぶりというのも、ちと寂しい話。もちろん巨額の費用がかかる話なので国威高揚のような強い動機でもないとなかなかやれないことだからなのだが。


 そして12月7日、宇宙開発ネタ好きには感慨深くなる訃報があった。ま、厳密には宇宙関係の人ではないんだけど人脈的につながってはいるので…。人類最初に音速を突破したパイロット、チャック=イェーガーさんが97歳でついにお亡くなりになったのだ。
 97歳といえば、第二次世界大戦に出征した世代である。イェーガーさんはヨーロッパ戦線で戦闘機パイロットとして活躍、一日に5機撃墜という記録も持っていたという。戦後はNACA(NASAの前身)で進められた超高速飛行実験のテストパイロットに選ばれ、ここで1947年10月14日に人類初の超音速飛行に成功、その後も超音速飛行記録を自身で何度も塗り替えていった。
 こうした超音速飛行機のテストパイロットから、のちのジェミニ計画、アポロ計画に宇宙飛行士として参加する人物も出ていたが、イェーガーは宇宙飛行士には進まなかった。この辺の話が「ライトスタッフ」というドキュメント、さらにその映画版で描かれていて、特にその映画版では宇宙飛行士ではないにも関わらずイェーガーはほぼ主人公扱いで、以前の仲間だった宇宙飛行士たちに対抗するかのようにジェット戦闘機で高高度飛行に挑み、墜落事故を起こして生還する、という展開がエンディングになっている。その描写はフィクションも多分にあるが墜落事故は事実なのだそうだ。映画「ライトスタッフ」にはイェーガー本人がアドバイザーとして参加したほか、カメオ出演までしている。

 人類が音速を突破してから70年が過ぎ、月面に最初に人が立ってから半世紀が過ぎた。そしてイェーガーさんの訃報は遺族によりインターネット上で公表された。イェーガーさんが生きた一世紀弱の間に人類はずいぶん遠くまで来てしまったとも思うのだが、人間そのものが進化するわけでもないので、まだまだこんなことやってるなぁ、と思ってしまうことも多い年の暮れだった。



◆100年かかってメジャー入り

 「コロナ」以外の昨年の大きな話題といえば、アメリカにおける「MLB運動」とそこから欧米各地に波及した人種差別反対と歴史の見直しの広がりがある。これが11月のアメリカ大統領選挙までつながっていったわけなんだけど、トランプ大統領は年末になっても敗北を認めていない。そのせいもあっていつまでたっても「不正選挙!」「トランプ勝利!」と叫ぶ熱狂的信者が少なからず存在している。前にもとりあげたが、これがアメリカ本国ならまだ分かるが、なぜか日本の、それもかなりの極右的スタンスの人々の間に広がるという珍現象が起こっている。「信者」と書いたが、実際この手の人たちは情報源がネット上陰謀論のQアノン、法輪功などカルト宗教関係なもので、最近では「トランプはディープステート(闇の権力)と闘争している」だの「事故死を偽装していたケネディJrが出現する」だの「ニコラ・テスラのフリーエネルギー利用法が明かされる」だの「光と闇の戦いが終わり銀河連合から迎えが来る」だの、陰謀論から宗教がかったものまでがかなり本気で主張されたりしている。今後、彼らはどこへ向かってしまうのか、個人的に非常に興味深く見物している。ブラジル日系社会における「勝ち組」の歴史とホントよく似てると思ってるのだが、21世紀になってもこういうことがあるんだなぁ、と。

 それはそれとして、かつての「ニグロリーグ」選手たちの記録をメジャーリーグの公式記録に認定するという決定だった。「ニグロリーグ」とは、かつて存在した黒人選手だけのプロ野球リーグの総称で、そのうち最初の「ニグロ・ナショナル・リーグ」の創設が1920年で、それからちょうど百周年になることを記念しての決定だが、人種差別問題が何かとクローズアップされた年の締めくくりを象徴する形にもなった。

 南北戦争の際の「奴隷解放宣言」により、アメリカの黒人奴隷制度自体は廃止されたが、人種差別は南部北部を問わず根強く残った。各州の法律で人種隔離政策はずっと続けられ、黒人と白人が一緒に何かをすること自体を法律的に禁じる例はあからさまに存在した。1960年代の公民権運動でようやくそれらが問題視され、改善されるようになったのだけど、つい近年でもタイガー=ウッズが「黒人がプレイできないゴルフ場がある」と発言したように、まだまだそうしたところは残っている。それが今年になってずいぶん見直しが進んだのかな…

 そんなわけであるから、プロ野球の世界でも黒人選手が白人選手と一緒にプレイする、ということも当初は論外とされていた。プロ野球草創期に黒人選手がプレイしていた実例があるそうなのだが、プロ野球の体制が整うと黒人選手は完全に締め出された。そこで20世紀初頭から北西部を中心に黒人プロ野球チームがいくつか生まれ、それが1920年に「ニグロ・ナショナル・リーグ」8球団で本格的なリーグ戦を開始した。やがて東部に「イースタン・カラー・リーグ」も生まれて、この2リーグでワールドシリーズも開催されるようになる。その後いったんリーグが解散になったり復活したりと紆余曲折あるのだが、1930年代まで一定の人気を保ち、スター選手も生まれて白人たちのメジャーリーグより強いんじゃないかとまで言われた。

 第二次大戦後になってジャッキー=ロビンソンを第一号に黒人選手のメジャー進出が始まり、「使える」黒人選手はどんどんメジャーリーグに移籍して、ニグロリーグは存在意義を急速に失い、ニグロ・ナショナル・リーグはたちまち消滅してしまう。それでも「ニグロ・アメリカン・リーグ」という組織は1960年代まで活動をつづけたとのこと。一方で州によっては黒人・白人一緒のプレイを認めない法があり、メジャーの試合でもそうした州で行われる試合では黒人選手は出られない、ということもあったという。
 公民権法成立以後はそうした人種隔離は禁じられ、黒人のみのプロ野球もメジャーリーグに統合される形で消滅した。それでもニグロ・リーグにおける野球記録がメジャーリーグの公認記録に統合されるにはさらに60年もかかってしまったわけだ。

 そうそう、このニュースに先立つ12月13日、メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスが2021年シーズン後にチーム名を変更するとの発表があった。「インディアン」という呼称はアメリカ先住民を指すが、それはコロンブスの到達以来アメリカ世界が「インド」と呼ばれ、それが誤りとわかっても「西インド」ということでそこの住民をインディオ、インディアンと呼ぶのが定着してしまったもの。そのため近年「インディアン」という名前自体を避けて「ネイティブ・アメリカン」といった呼び方も出てきたりはしていた。一部には「インディアン」自体を差別語とみなす考えも(とくに日本で?)出てきて、近頃は日本のテレビで昔の映画の「インディアン」の字幕が全て「先住民」にされていたりする。それに対する疑問の声もあって、その根拠の一つにこの「インディアンス」が挙げられていたのだが、どうも昨年の風潮の流れで「インディアンス」も改名を余儀なくされた、ということだろうか。



◆150年後の肖像画

 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」はコロナのために製作・放送が一時中断、おかげで「年越し大河」となる異例の事態となったが、2月初めに終わる予定なのにいまだにこの辺をやってるのか、と思ってしまうほどスローペースな話運びに感じてしまう。もう足利義昭も追放されて室町幕府は一般的に滅亡とされる段階までは来ているんだが…
 15代将軍・足利義昭は過去の大河でも定番で登場してきたが、「麒麟がくる」では珍しく13代足利義輝、14代足利義栄やその周辺人物が登場して室町幕府末期の様子が結構詳しく描かれた。こうした戦国期の足利将軍たちを見ていると、どうしても室町幕府に弱体政権のイメージを抱きがちだが、最盛期とされる第3代足利義満のころは日本史上でもまれなほどの強力な独裁政権だった。

 この義満、日本史上屈指の有名人ではあるのだが過去に大河ドラマはもちろん映像作品にとりあげられたことはほとんどなく(「一休さん」関係くらいしかない)、いつだったかNHKのドラマ関係者が「藤原道長と足利義満はいずれ大河ドラマでやらないといけない」と発言したとかで、企画自体は存在するのだろう。ただ道長もそうだが義満もドラマの主人公にはなりにくいんだよなぁ。どちらも一応苦労話や出世話がないではないのだが、あまりにも栄華を極めすぎ、ともすれば傲慢な逸話も多くて一般人が感情移入しにくい人物なんだよな。当サイトの仮想大河ドラマ「室町太平記」は義満を主役にはしたけど前半はその育ての親である細川頼之を主役にせざるをえなかったくらいで。

 さてその義満について、NHKがちょっとしたスクープ報道をしていた。「足利義満の新たな肖像画が発見されました」というニュースである。
 その肖像画の出どころは分からないが、報道によればある男性が古美術商から購入し、東大史料編纂所に鑑定を依頼したものだそうだ。専門家たちの調査により、その肖像画は素材などから16世紀なかばの戦国時代真っ最中に製作されたものと見られ、残されていた印判の痕跡から狩野派の作ということまで推定できた。
 描かれている人物は、僧侶の姿をしてあごひげをたらした人物で、他の肖像画との類似から足利義満と推定された。ただ、よく紹介される鹿苑寺にある義満肖像画に比べるとあごひげが黒々として目も吊り上がり気味、しわも少ないため全体的に若い印象を受ける。このため報道でコメントしたある中世史専門家は義満の出家直後(30代後半)の姿を描いたのかも、という推理をしていたが、別の研究者はこの絵にはさ模写されたオリジナルの絵があり、その絵がすでに古びていてひげの色が分からなかったり、模写を繰り返したことでしわが減ってしまっただけかもしれない、という推理を示していた。

 ともあれ、義満が死んでからおよそ150年もあとに描かれた肖像画なので、そもそも「似る」のは難しい。こうした歴史上の有名人の肖像画は当人の生きていた時代よりずっと後世に描かれる例は少なくないと思うが(聖徳太子の有名な絵だって一世紀以上あとだ)、今回発見された義満肖像画はどういう経緯で製作されたものなのか。あくまで推測の域を出ないが、報道では1520年代に義満が創建し彼の肖像画も補完していた鹿苑院の焼失があり、その後幕府の威信をかけた再建が行われ、その式典に使うために新たな義満肖像画を作ったのではないか、との説が紹介されていた。上述のようにこのころには室町幕府はすっかり衰えており、それだけに権威復活を願って最盛期の義満のイメージが持ち出されたのではないかな、という話だ。

 面白い話ではあるのだが、こんな話題をNHKがずいぶん大掛かりに報道してると、「もしや義満大河?」と勘ぐってしまうのは南北朝マニアの悪い癖(笑)。昭和から平成になったときに「太平記」のGOサインが出てるから、平成から令和への今こそ…と思ったのだけど再来年まで決まっちゃってるし、再来年は鎌倉時代ものだからその次の年も厳しそうなんだよなぁ。



◆スパイ小説みたいなスパイ

 昨年12月12日、イギリスのスパイ小説の大家・ジョン=ル・カレが亡くなった。日本のファンの間では誰カレとなく「カレが死んだ」とカレの死を悼んだわけだが、カレの昔つきあった女性はカレのことを「元カレ」と呼ぶのだろうか、などとバカなことを考えてしまった(笑)。
 「007」の生みの親・イアン=フレミングもそうだったが、ル・カレもイギリスの国外諜報組織「MI6」に勤めていたことがある。彼がそこの新人研修を終えようとしていた1961年3月、MI6で大事件が起こる。長年MI6で東ドイツや東欧方面の諜報活動を指揮していたジョージ=ブレイクという人物が、実はソ連の諜報機関KGBのスパイ、つまりは二重スパイであったことが判明し、逮捕されたのである。ル・カレはのちにこうした二重スパイたちをふくむ米ソのベルリンでのスパイ合戦模様を小説「寒い国から帰ってきたスパイ」で描いて大ヒットを飛ばすのだが、くしくもル・カレの死から間もない12月26日にブレイクもモスクワで死去したのである。
 で、メインの話はこのブレイクさんの方になる。スパイネタ好きの僕だがこの人の生涯については全然知らなくて、訃報を知ってから調べてみたら、これがまぁ、ホントにスパイ小説なみの話で。

 ジョージ=ブレイクは1922年にオランダで生まれた。イギリス国籍をもつユダヤ系の父とオランダ人の母の間に生まれ、青年期までオランダ人として生きている。第二次大戦がはじまり、オランダがナチス・ドイツの占領下に入ると、当時はハベル姓を名乗っていた彼はドイツ軍に抑留されるも脱走、ナチスに対するレジスタンス活動に参加、偽名を使って英領ジブラルタルからイギリス本土へ渡り、以後「ジョージ=ブレイク」を名乗るようになる。
 戦後はイギリス外務省に入り、ケンブリッジ大学でロシア語を習得。戦時中からオランダ語およびドイツ語の能力を買われて情報関係や通訳で活躍しており、その流れで外交官にしてスパイという道に進むことになる。そしてソウルのイギリス大使館に駐在することとなるのだが、1950年に朝鮮戦争が勃発して北朝鮮軍がソウルを占領した際に抑留されてしまう。そして戦争終結まで抑留生活を送ることになるのだが、この時に国連軍、実質はアメリカ軍の北朝鮮への無差別爆撃を目の当たりにしたために「東側」へのシンパシーをお覚えるようになったとかで、ひそかにソ連のKGBと結託、1953年にイギリスに帰国してその後はイギリス情報部の東欧方面指揮官の役割を演じることになるが、裏でソ連のスパイとして送り込まれた「二重スパイ」として活動することになる。

 ブレイクが「活躍」した1950年代から1960年ごろまでは冷戦がもっとも激しい時期で、とくに東ドイツ内に食い込んだ「西側」都市でもあるベルリンは凄まじいスパイ合戦の場となっていた。ベルリン封鎖やらベルリンの壁建設やらといった事態が進むなかでブレイクは表ではイギリススパイ組織を指揮しつつ、裏でその情報をばっちりソ連に流していた。当時二重スパイの例は彼以外にも多くあり、スパイという仕事自体が常にそうなる可能性を強くはらんでいる、ということだろう。
 ブレイクは当時の東欧における西側スパイ網情報をほとんど筒抜けにソ連に教えちゃってたそうだが、ブレイクの二重スパイ活動は相当巧みなものだったようで、同じく二重スパイをしていたのがばれて逮捕された同僚がブレイクの実態を告白しても信用してもらえなかったという。しかし1961年3月にとうとうその実態がばれてしまい、ブレイクは逮捕された。

 しかし凄いのはここから。ブレイクはその年の5月に禁固42年という重い判決(どこでもスパイは重罪で、死刑の例も多い)を受けて刑務所送りになるのだが、なんと同年10月にまんまと脱獄しちゃうのである。思えばドイツ軍抑留からも脱走した過去があるんだよな。
 その脱獄方法だが、刑務所内で知り合い、先に出所したアイルランド人活動家の協力を得ている。その活動家がひそかにトランシーバーをブレイクのもとに差し入れて連絡をとり、期日を決めて縄梯子を刑務所の壁にたらして脱獄させたのだ。いやほんと、スパイ小説か映画みたいな話で、脱獄したブレイクは数年間その活動家の自宅に潜伏後、1967年にハンブルクからベルリンを経由してモスクワへと渡り、以後はソ連人として生活することとなった。
 イギリスから見れば明白な裏切者だが、ソ連では英雄扱いされてレーニン勲章などを授与されたほか、ソ連崩壊後のロシアでもプーチン大統領から勲章を授与されるなど、晩年まで英雄扱いは続いていた。26日に彼の訃報はロシアで大きく報じられ、プーチン大統領も弔意を表したという。


 まぁまさに歴史的スパイといっていい。ところで偶然にも、先月にはもう一人、ソ連の歴史的スパイに関する報道があった。太平洋戦争前夜に日本で大掛かりな諜報活動を行い、日本の南進政策をソ連に伝えて当時の独ソ戦の局面に影響を与えたと言われる、リヒャルト=ゾルゲに関するニュースだ。
 ゾルゲは手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」にも出てくるし、篠田正浩監督による映画も製作され、宮崎駿監督の「風立ちぬ」でもゾルゲがモデルにしか見えないキャラが登場するなど、良く存在を知られたスパイで、聞くところでは近年ロシアでテレビドラマ化もされているという。上記ブレイク同様、当人の死後ではあるがゾルゲもソ連、ひいてはロシアでは今も英雄扱いのようだ。

 ゾルゲは太平洋戦争中の1944年、ソ連の革命記念日に処刑され(そこまで生かしていたのは日本側がソ連との交渉材料に使おうとしていたためとされる)、その遺骨は近くの共同墓地に埋葬された。戦後になってゾルゲの内縁の妻であった石井花子(映画では葉月里緒菜が彼女をモデルにした役を演じてた)が遺骨を引き取り、多磨霊園に改葬している。ゾルゲがソ連邦英雄の称号を授けられると墓にもそれがロシア語で刻まれ、歴代のソ連、およびロシアの駐日大使は必ずゾルゲの墓参りをする慣習まで続くようになったほか、来日したロシア政府要人が墓参りすることも多い。
 で、ここからニュースネタなのだが、これまでゾルゲの墓は石井花子とその相続人により管理されてきたが、12月25日付の毎日新聞の記事によると、このほどロシア大使館と相続人の間で合意が成立、今後ロシア大使館がゾルゲの墓の「使用権」をもつことになったという。相続人の方もゾルゲの墓守りをいつまでもやるわけにもいかないだろうし、ロシア側は「英雄」の墓を直接管理したいということで話がついたのだろう。
 …そういや、プーチンさんもKGB出身だったけなぁ。
 

2021/1/2の記事

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