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「三十 棺桶島」(長編)
L'ILE AUX TRENTE CERCUEILS
初出:1919年6月〜8月「ル・ジュルナル」紙連載 1920年単行本化
他の邦題:「絶島の秘密」(福岡雄川訳)「サレク島の秘密」(保篠龍緒訳の一部)「棺桶島」(新潮)など

◎内容◎

 1902年、古代巨石遺物研究家デルジュモンの一人娘べロニックは、ポーランド貴族を自称するボルスキーと恋に落ち、誘拐劇まで演じて結婚した。結婚に 反対する父・ デル ジュモン氏はべロニックとボルスキーの間に生まれた男子をさらい、そのまま嵐の海に出て行方不明となってしまう。やがて第一次世界大戦が勃発すると、ボル スキーはドイツ人であることを暴かれたうえ、逃走中に何者かによって殺害される。
 1917年、べロニックは映画の背景に昔の自分のサインを目撃したことをきっかけにブルターニュ地方へとやってくる。この地でべロニックは死んだと思っ ていた父と息子が生きていることを知らされ、彼らが住むという孤島、30の岩礁に囲まれ「三十棺桶島」という不吉な名で呼ばれるサレック島へと渡った。だ が、そこに待っていたのは喜びの再会ではなく、血塗られた悪夢の惨劇の幕開けだった…
 「十四と三の年」「三十の棺桶に、三十の犠牲者」「十字架にかけられる四人の女」「生かしもすれば殺しもする神の石」…古代以来島に伝わる不吉な予言 詩。その予言が次々と実現し、不可解な現象が立て続けに起こる怪事件に、ドン・ルイス=ペレンナことアルセーヌ=ルパンが挑む。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。『813』以後、世間では死んだことになっている。

☆アレクシス=ボルスキー
自称ポーランド貴族だが、実際にはさる国王の「王子」であるドイツ人。べロニックと駆け落ち同然で結婚し一子をもうけるが、別居。大戦がはじまるとドイツ のスパイ容疑で逮捕され、脱走のすえ他殺体となって発見されたはずだったが…

☆アントワーヌ=デルジュ モン
古代の巨石建造物の研究家。娘のべロニックとボルスキーの結婚に反対し、二人の間に生まれた息子を誘拐、行方不明となる。

☆エルフリーデ
ボルスキーの先妻。

☆オットー
ボルスキーの部下。

☆オノリーヌ
デルジュモン氏の家政婦をつとめるブルターニュ女。迷信深い。

☆気のふれた老婆
サレック島に住むアルシニャ老三姉妹の長女。名前は不明。

☆クレマンス
サレック島に住むアルシニャ老三姉妹の次女。

☆コレジュー
サレック島に住む船乗りの老人。

☆コンラート
ボルスキーの部下。

☆ジェルトリュード
サレック島に住むアルシニャ老三姉妹の三女。

☆ステファーヌ=マルー
フランソワの家庭教師をつとめる青年。少年時代からひそかにべロニックに恋していた。

☆デュトレイ
探偵。べロニックの父と子の捜索や、べロニックが映画に見たサインの謎の追跡など、依頼に応じて捜査を行う。

☆トゥ・バ・ビヤン
「万事快調」と名づけられたフランソワの愛犬。

☆ドルイド僧
サレック島の遺跡の中で眠っていた老人。

☆ドン=ルイス=ペレンナ
スペイン貴族。正体はアルセーヌ=ルパンで、『金三角』に続く登場。

☆パトリス=ベルバル
傷痍軍人。『金三角』の事件でドン・ルイス=ペレンナと知り合い、サレック島の謎の解明をペレンナに依頼する。

☆フランソワ=デルジュモ ン
べロニックとボルスキーの間に生まれた息子。生まれてすぐ祖父とともに行方不明となっていた。

☆べロニック=デルジュモ ン
古代遺跡研究家デルジュモンの美しい一人娘。父の反対を押し切ってボルスキーと結婚、息子をもうけるが、その息子は父ともども行方不明になってしまう。邪 悪な正体をあらわしたボルスキーとも別れて世を忍んで暮らしていたが、偶然見た映画に自分の昔のサインを見つけ、ブルターニュへと赴く。

☆マゲノック
サレック島住民の老水夫。「神の石」の伝説を調べるうち、その存在をつきとめるが右手を失う。

☆マドレーヌ=フェラン
若くして亡くなったべロニックの友人。ステファーヌの父親違いの妹。

☆マリー=ル=ゴフ
デルジュモン氏の家の料理係をつとめるサレック島の住民。

☆レイノール
ボルスキーとエルフリーデの間に生まれた長男。


◎盗品一覧◎

◇神の石(ボヘミア王の墓石)
はるか昔、ボヘミアから流浪を続けたケルト部族が持ち運んだ王の墓石。人を生かしもし、殺しもする能力を持つ石として信仰の対象となっていた。実は放射能 を持つラジウムの結晶。


<ネタばれ雑談>

☆伝説と、狂気と、恐怖に満ちたシリーズ異色の雄編

 ひとくちに「アルセーヌ=ルパン・シリーズ」と言っても、その内容は実にバラエティに富んでいる。初期の青年怪盗ルパンが警察や金持ち相手に痛快な大 活躍をする作品群が一番世間に知られたイメージだと思うが、後期の『八 点鐘』のようなフランスらしいオシャレな恋愛ミステリ、あるいは『バーネット探偵社』みたいな皮肉とユーモア満載のものもあ る。はたまた『813』『虎の牙』のように野望満々 の中年オジサンが大冒険を繰り広げるタイプもある。一人の主人公で、これほどバラエティ豊かなシリーズが他にあるだろうか…と日頃から思っているのだが、 そうしたバラエティの中でもひときわ目立つ異色編がこの『三十棺桶 島』だ。

 『三十棺桶島』は、一言でいって、怖い。ほとんどホラー小説と呼びたくなる内容で、殺人事件には事欠かないルパンシリーズ中でも圧倒的に最多の人間が殺 害される。それもかなり容赦なく陰惨な方法で、おまけに確たる動機が理解不能。その惨劇の舞台は名前からして怖い絶海の孤島で、太古の住民が残した巨石遺 跡、夜な夜なうろつくドルイドの幽霊、伝承される不気味な予言詩、その予言のとおりに実行される不可解な連続殺人、超常現象としか思えない事態の数々な ど、これでもかとばかりに読者を怖が らせる装置が投入されている。シリーズ中屈指の長編(『813』 『虎の牙』を2分冊すればこれが最長の一冊となる)なのだが、読者はひとたび読み出したら主人公べロニックそのままに、次々と起こる事態に 恐怖し、困惑し、翻弄されたまま一気に読んでしまうこと請け合いである。
 ドタンバでルパンが救世主のように現れ、あっさり事件を解決してしまうところが「ご都合」っぽくもあるが、そこはやはり超人ルパンというキャラクターだ からこそ。またルパンが最初から登場した場合、どんなピンチに陥ろうと「どうせ助かるんでしょ」と読者もタカをくくってしまうところだが、かよわい美女べ ロニックが主人公だから手に汗握り恐怖におののく、という効果もある。もっとも、それまでの怖い怖い雰囲気がルパンが化けたファンキーなドルイド僧の登場 とともにブチ壊しになる(笑)という批判も存在し、1979年にフランスでTVドラマ化された際にはルパンの存在が完全に削除された形に脚色されていたと いう。

 この小説を読んだ日本人の誰もがどうしても連想するのが、横溝正史 (1902-1981)金田一耕助シ リーズとの類似だ。金田一シリーズといってもこれまたいろいろあるのだが、特に「岡山編」と呼ばれて人気の高い「獄門島」「八つ墓村」「悪魔の手毬唄」と いった作品群、中 世以来の伝説と因習に満ち、外界と孤立して不気味な名をもつ地域を舞台に、まるで伝説にそのまま従うかのように起こる恐怖の連続殺人、というコンセプトは 非常によく似ている。一見オカルトなギミックをたくさん用意しつつ、しっかり合理的に着地する点まで瓜二つである。ついでにいえば『三十棺桶島』は第一次 大戦中の設定だが執筆自体は終戦前後であり、敗戦直後の日本で価値観の激変が進む地方を舞台にすることが多い金田一ものと「時代の気分」的にもよく似てい ると思う。
 横溝正史は自身の本格推理に恐怖要素を加えるという作風については本格推理の巨匠ジョン=ディクスン=カー(1906-1977)の影響があること は公言している。だが、あくまで僕の知る限りでなのだが、横溝はカーよりずっと先に書かれた『三十棺桶島』と金田一ものの関係については言及したことはな いようだ。しかし横溝は自身でも戦前に『ルパン大盗伝』 (1929)『怪盗ルパン・海底水晶宮』 (1932)という翻案(前者は「水晶の栓」、後者 は「奇岩城」が原作)を手がけていて、ルブラン作品と接する機会は少なくなかったはずだし、そもそもミステリ雑誌の編集者という立場からも 当然『三十棺桶島』にも目を通していたはずだ。金田一ものを書くにあたって影響がなかったとは思えない、というのが正直なところだ。
 念のため書いておくと、この手の伝説に彩られ恐怖要素が強いスタイルのミステリは『三十棺桶島』が最初というわけでもない。1901年にコナン=ドイルが発表したホームズものの長篇『バスカヴィル家の犬』がすでにこの傾向を強く打ち出していた 傑作で、直接的影響は口にしていない割にしっかりホームズシリーズを研究していたとしか思えないルブランが念頭に置いていた可能性はかなり高いと思ってい る。


☆世界大戦、終結へ。

 1914年8月に始まった第一次世界大戦は4年の長きにわたり、その間に戦局打開ができないまま戦死者はどんどん増え続け、銃後の経済もひどい状態に なっていった。1917年にはロシアで革命がおこり、成立した社会主義政権は単独講和して戦線から離脱した。その代わりこの年にアメリカが連合国側で参戦 し、パワーバランスを大きく傾けた。焦ったドイツは東部戦線の手が空いた戦力を回して1918年春に西部戦線に大攻勢をかけて一気に勝負を決めようとした が、結局これは連合国によって阻止され再び戦線は消耗戦状態に戻る。そしてこの時点で同盟側各国の国力は限界に達し、9月にブルガリアが降伏。続いて10 月にトルコが降伏。そして11月4日にオーストリア帝国も崩壊して休戦協定を結ぶ。11月9日にはドイツ革命が起こって皇帝ウィルヘルム2世は退位・亡命に追い込まれ、11月11日にドイツ 共和国代表がパリ郊外のコンビエーニュの森の車両の中で休戦協定にサイン、ここに第一次世界大戦は終結した。推定で1900万人もの死者、2200万人の 負傷者、そして甚大な大量破壊の爪痕を残して。

 『オルヌカン城の謎』『金三角』『三十棺桶島』は 第一次世界大戦中の物語だが、続けて読むと作者ルブラン、ひいてはフランス国民の大多数の気分の変化が強く反映されていることが分かる。『オルヌカ ン』では情熱的な愛国心と勇壮な戦場描写、および敵国人への強烈な憎悪が前面に打ち出されていたが、『金三角』では戦争で身体が不自由になった傷痍軍人た ちを主人公にしつつ戦争その ものは背景に押しやられ、陰惨な場面も多い暗いミステリ作品となった。『三十棺桶島』はその傾向をいっそう強めて戦争中ではあるがその戦争のさなかに忘れ られたような地方が舞台で、よりいっそう陰惨な大量殺人劇がメインテーマとされる。ドイツ人への憎悪は相変わらずだが、作品自体は戦争のもたらした影の悲 劇 という印象で、厭戦気分が強く漂っていることは疑いない。ルパンシリーズでは異例の大量殺人にしても、戦争のメタファー(暗喩)という見方もできるだろ う。

 事件が解決したのち、ドン・ルイスことルパンは言う。

「ほんとうに不幸な事件でした。言語に絶するくらいに、おそろしい出来事でし た。(…中略…)それは人間が考える論理をこえたも のだったが、それというのも狂人が起こした事件だったからです…また、狂気と錯乱の時代に起こった事件だったからです。戦争のおかげで、ひとりの狂人が、 静かに安心して、かずかずの犯罪を練り、準備し、それを実行に移すことができたのです。平和の時代であれば、狂人たちも、自分たちのばかげた悪夢を最後ま でやりとげる時間がなかったにちがいありません。現在、戦争がつづいているので、あの狂人は、サレック島という孤島に、特殊で異常な条件を見つけたので す…」(偕成社版、大友徳明訳、522p)

 ここでルパン(=ルブラン)は第一次世界大戦を「狂気と錯乱の時 代」と明確にとらえる。事件そのものが「狂人」によって引き起こされたものだが、時代そのものが狂気に満ちていたからこそ実行が可能となっ たのだ、と。平和の時代であればこんなことは起こらずに済んだというルパンの台詞には、長い大戦に疲れ果てたフランス人の、平和の到来に対する強い願望が こめられてい る。

 『三十棺桶島』の事件は1917年6月のことと明記されている。現実の年代でいえばロシア革命がおこり、アメリカが参戦して長く続いた大戦の行方に変化 の兆しが表れた時期で、ルブラン自身はといえばちょうど前作『金三角』を発表していたころだ。ルブランが『三十棺桶島』の執筆にとりかかったのはその翌年 のことと思われ、戦争の終局を横目に見つつの執筆がその内容に反映しているのかもしれない。なお、ルブランはこの小説を執筆中に訪れたノルマンディーのタ ンカルヴィルで『三十棺桶島』の原稿が入ったカバンを盗まれ、「見つけ た人はルアーブルのホテルに届けてほしい」との新聞広告を載せたという逸話があるそうだ。これがルブランの手に無事戻ったかどうかは不明と のこと。

「その2」へ続く

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