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「三十 棺桶島」(長編)
L'ILE AUX TRENTE CERCUEILS

<ネタばれ雑談その2>

☆「三十棺桶島」を探せ!

 恐怖の惨劇の舞台となる、その名も「三十棺桶島」(堀口大學訳では「棺桶三十島」)はどこにあるのか?作中にあ る地名を、今回は趣向を変えて衛星写真で追いかけてみよう。
 べロニックはたまたま見た『ブルターニュの伝説』と いう映画の背景に自分の昔のサインを目撃したことから探偵に調査を依頼、この映画の撮影が行われた地点へ向かう。まずパリ発の夜行急行列車でカンペルレへ。そこから車でル・ファウエ村まで移動。そしてここからカンペールへ向かう街道を通ってロクリフの村へ枝分かれする道の近くの無人のあばら家ででマゲノックの遺体を発見することになる。地図でごらんのとおりの ルートなのだが、「ロクリフ」という村の名前は地図では確認できない。偕成社版『三十棺桶島』の訳者・大友徳明氏は巻末解説に地図つきで詳しい説明を加えておられ、「ロ クリフ」とはちょうどそのあたりにある「ギスクリフ」の 名を変えたものでは?と推測されている。
 いったんル=ファウエに戻って人を呼んだべロニックだったが、死体は消えていた。その後サインの示す方向に従って、べロニックはスカエールロスポルダンコンカルノーフエスナン、そしてベグ=メーユの海岸にたどりつく。ここでオノリーヌと出会ったべロ ニックはモーターボートでサレック島、すなわち「三十棺 桶島」へと渡ることになる。


 もちろん、「三十棺桶島」ことサレック島は全くの架空の島。ペグ=メーユの海岸から島へ渡る描写の中で、半分あたりまで来たところでグレナン諸島が見えることが書かれているので、作者のイメージとし てはこの諸島のどこか、ということなのだろう。グレナン諸島は大小10ほどの島からなる群島で、若者たちが夏場にマリンスポーツをしに集まる、ちょっとし た観光地ではあるらしい(Wikipediaによるとホテルはない ので注意、とのこと)。 島の名前も全部確認したが、やっぱりサレックという名前の島はなかった。横溝正史の「獄門島」が、モデルと言われる島はあるけど実在はしないのとおんなじ だ。
 
 べロニックの行動のきっかけとなる『ブルターニュの伝説』という映画ももちろん架空のものだろう。当時のことだから当然白 黒の無声映画だ。ルパン・シリーズで映画が登場するのはこれが最初になるが、リュミエール兄弟が映写式映画の最初となるシネマトグラフを公開 したのは1895年のことで、1910年代にもなると大作映画の製作も行われるほど有力な娯楽産業となっていた。このころすでにルパンシリーズも映画の素 材となっており、『虎の牙』などはハリウッド映画会社からルブランに原作の依頼があって執筆されている。
 ディトレーリ探偵が、この映画で撮られた名所として紹介しているル=ファウエの「サント=バルブ礼拝堂」はちゃんと実在し、観光名所として有 名なもの。左がWikipediaに載っていた同礼拝堂の写真を拝借したものだ。ル=ファウエにはこのほかにも年代ものの建造物がいくつか残っていて、有 名であるらしい。


☆「ブルターニュ地方」とは?

 いつもはパリかノルマンディー地方を舞台に展開されるルパン・シリーズだが、この作品ではパリから遠く離れたブルターニュ地方、しかも大西洋に浮かぶ絶 海の孤島が舞台となった。ルブランがこの作品執筆においてどのような構想過程をたどったのかは分からないのだが、少なくともブルターニュという地方が醸し 出す独特の雰囲気がこのおどろおどろしい物語の舞台としてふさわしいと判断したのは間違いない。これを理解するにはブルターニュ地方の歴史をひもといてみ なければならない。

 ブルターニュ(Bretagne)という地名の由来 は、海を越えた向こう側にある「グレートブリテン島」、 現在のイギリス国土の大部分である、あの島の名前と同じである。
 ヨーロッパの歴史は複雑な民族移動の繰り返しなので一口に説明するのが難しいのだが、かつてローマ帝国があった時代、現在のフランスからイギリス、アイ ルランドにかけての広い範囲にはケルト人が住んでい た。このうちブリテン島に住んでいた人々が「ブリトン人」と 呼ばれており、やがて5世紀に大陸からゲルマン系のアングロ=サク ソン人がブリテン島に侵入すると、それに追われたブリトン人の一部は海を越えてこの地に移住してきた(最近の研究では3世紀のローマ帝国時代から移住が始まっていると説も有力)。 かくしてブリトン人の住んでるところ だから「ブルターニュ」となっちゃったわけ。ノルマン人が移住してきたから「ノルマンディー」となったのと同じパターンである。ブルターニュに移住してき たブリトン人たちは故国の島を「大ブリテン」と呼んで区別し、ここから英語の「グレート・ブリテン島」という呼称が生まれたわけだ。

 このブルターニュの人々は「ブルトン語」と呼ばれるケルト系の言語を話し、ケルト系の文化・宗教・制度を色濃く残していた。ケルト伝説に由来すると言わ れる『アーサー王と円卓の騎士』や『トリスタンとイズー(イゾルデ)』といった中世騎士物語にはブルターニュが舞台として登場する。日本では人気RPGの タイトルとして知られる「イース(Ys)」伝説もこの地方のものが元ネタだ。やはりケルト人に信じられたさまざまな妖精(精霊、フェアリー)伝説もあっ て、『三十棺 桶島』に登場する「妖精のドルメン」もそれを意識したものではないかと思える。
 またこの地はある時期まで独立した王国をつくり、その後も長い間「ブルターニュ公国」として 政治的な独立性も維持していた(「ノルマンディー公国」の場合と同 じであくまでフランス国王の臣下という扱いではあったが)。フランス王国に完全に併合されたのはようやく16世紀になってからのことだが、 代々のフランスの皇太子が「ブルターニュ公」の肩書をもつなど、フランスの中にあって独立性の強い地域なのは相変わらず。

 1789年にフランス革命が起こると、フランス西部を中心にカトリック信仰を掲げた反革命運動が起こるが、ブルターニュやノルマンディーでは「ふくろう党」と呼ばれる反革命集団が蜂起した。革命政府側はこ れを徹底的に鎮圧、弾圧、虐殺しており、ブルターニュ地方の人々はその記憶もあって今なおフランス中央に対する反感を抱いているという話もある。『三十棺 桶島』のサレック島にもこの「ふくろう党」の残党が隠れ住み、地下道の地図を残した設定がある。
 フランスが近代的な民族国家とし て文化的統一性を強め、地方の多様性を消し去っていくなかでさすがに「フランス化」が進んだと言われるが、近年ブルターニュ文化の復権が叫ばれ、政治的に も独立運動が時折ぶり返してもいるそうだ。

 ところで、べロニックの父・アントワーヌ=デルジュモン「ブルターニュ地方の巨石」の研究家だった。西ヨーロッパには 紀元前4000〜3000年ごろにかけて「支石墓」と呼ばれる巨石の構造物を作る文化が存在し、なぜかこのブルターニュ地方に特に集中して残っている。 こうした巨石を組んだ支石墓を一般に「ドルメン」と 呼ぶが、実はこれ、ブルターニュ地方ブルトン語の「石のテーブル」に由来するのだ。『三十棺桶島』ではサレック島の中に30個ものドルメンがあるとされ、 中でも2つの真四角の岩の上に楕円形の薄い岩を乗せた形の「妖精の ドルメン」に謎の予言詩が書かれていたという使われ方をされている。
 またドルメンと同じころに盛んに造られた、柱状の巨石を立てた「メ ンヒル」(これもブルトン語の「長い石」から命名さ れている)も ブルターニュには多く残されていて、これも『三十棺桶島』で何度も登場している。地下納骨堂のシーンでメンヒルの上に馬の頭蓋骨が置かれている描写がある が、これも実例があるもののようだ。これら数千年も前に作られた謎の巨石遺物が小説の雰囲気作りに 大いに利用されているわけだ。



ブルターニュではないんだけど、フランスにあるドルメン の一例。ネットで探した範囲で「妖精のドルメン」にイメージが近いかな〜?と。2つの石で支えるタイプの画像はなかなか見つからない。
メンヒルの列の一例。



☆ちりばめられるケルト文化アイテム

 話が繰り返しになるのだが、ローマ帝国の征服(前1世紀)やゲルマン民族大移動(4世紀)が起こる以前、西ヨーロッパを中心とする広い範囲はケルト人た ちの世界だった。『奇岩城』でも言及され、『三十棺 桶島』ではルパン扮するドルイド僧がその目の前で踊りを見せたと語る、ローマ帝国の建国者カエサルが征服したガリア、つまり現在のフランスに住んでいたのも ケルト人だ。余談になるがフランスではおなじみの人気漫画「アステリックス」はカエサルらローマ人に抵抗するブルターニュ地方のケルト人という設定みた い。
 3〜4世紀にローマ帝国が衰退し、入れ替わるように北方のゲルマン諸民族が西ヨーロッパに移住してきてケルト人を追いやり、現在につながる西 ヨーロッパの諸民族や国家が形成されていく。「フランス」はゲルマン系フランク族に由来するし、「イングランド」もブリテン島に侵入したゲルマン系アング ロ=サクソン族に由来する。したがってフランスやイングランドにとってケルト人とは、いわば「先住民」的な存在なのだ。
 もちろんケルト人は姿を消したわけではなく、フランスのブルターニュ、イギリスのスコットランドおよびウェールズ、そしてアイルランドがケルト系の国家 だ。日本人などからするとピンとこないイギリスの「連合王国」というスタイルもこうした歴史的経緯が背景にある。とくにイギリス皇太子の称号が「ウェール ズ公」なのはフランス皇太子が「ブルターニュ公」だったのと同じで、実は言語的にもブルターニュとウェールズが一番近いというから面白い。

 ケルト人たちの社会で重要な役割を担っていたのが「ドルイド」と 呼ばれる宗教指導者(司祭)だ。ドルイドはケルト人たちが精霊が宿ると信じた「ヤドリギ(寄生木)」の巻きついたオークの木の下で儀式を執り行い、宗教の みならず 政治・裁判・教育にも多大な影響力を持っていた。世界中の古代文化に共通する首狩りや人身御供(人間の生贄)の風習もあったといわれるのだが、その実態とな ると記録がほとんど残っていない(ドルイドは文字記録を嫌い、記 憶・口承を重んじたため)だけに不明な部分が多く、後から広まったキリスト教の立 場から不気味な土俗的異教とみなされ、オカルトなイメージが独り歩きしているところもあるようだ。『三十棺桶島』もそのイメージを物 語の雰囲気作りに多分に利用しており(ルパンが演じる老ドイルドは やたらファンキーだが)、最近のハリウッドのホラー映画やファンタジーゲームなどでもこうした「ドルイド」イメージは再生産されている。
 アイルランドやスコットランド、ウェールズ、そしてブルターニュでは、このような自然崇拝・多神教的信仰とシャーマニズムを色濃く残した伝統の上にキリ スト教(カトリック)が乗っかってきたため(サレック島にも十字架 が建てられ、ベネ ディクト派の修道院があったことになっている)、かなり独特の「ケルト系キリスト教」世界を形成している。このためともすれば「迷信深い」 傾向があるのは確かなようで、『三十棺桶島』でもオノリーヌやアルシニャ姉妹らサレック島の住民の言動はそれを念頭に置いたものだ(この辺も横溝作品に似てるんだよな…)

 迷信深いアルシニャ姉妹が空中を飛んできた石斧に襲われる場面で「la pierre de foudre!」と叫ぶ。これは直訳すると「雷の石」ということで、偕成社版訳本では面倒に思ったか「隕石だよ!」と訳してしまい、いささか雰囲気を損ねている。 本文の説明にもあるように、これは雷を鳴らした石斧が天から落ちてくるという迷信にもとづく叫びで、ゲルマン系の北欧神話の雷神トールがハンマー(石鎚) を持っていたり、日本や中国に「雷石(かみなりいし)」の信仰があるなど、世界各地に共通してみられる信仰だ。これらは宇宙から飛来した本物の隕石、ある いは雷雨のあとに大昔に埋もれた石器が見つかるケースが多いことから生まれた迷信であろうと言われている。

 ところで『三十棺桶島』においてドイルド儀式の場としてしばしば登場するヤドリギがついた木の訳は「柏(カシワ)」(創元版、偕成社版)「樫(カシ)」(新潮版、ポプラ社版)と分かれている。気になって調べてみた のだが、ここ は原文では「chênes」となっており、日本にお けるカシやカシワと訳されることが多いのだが、英語で言う「オーク」である。このあたり植生が異なる地域間の翻訳ということもあり少々ややこしいのだが、 「オーク」は落葉するナラ科の木で、常緑樹である「樫」としてしまったのは明治時代に始まる誤訳とのこと。日本にある「柏(かしわ)」は英語では「ダイ ミョー・オーク」とか「ジャパニーズ・オーク」とか呼ばれるのであえて訳すなら「カシワ」の方が適切ではあるようだ。
 作中にも書かれているように、ドルイドたちは新月から6日目にオークに生えたヤドリギを摘み取って儀式をする習慣があった。ヤドリギを神聖視するのはケ ルトのみならずゲルマン系の信仰にもあったようで、今日でもクリスマスから新年の縁起ものとして住宅の玄関に飾られる習慣が残っている。またドルイドたち は各種の薬草の知識も持っており、作中でアルシニャ姉妹の長女がつぶやく「ニガヨモギ、クマツヅラ…」もその一例のようだ。


☆ボヘミアからの遠い旅

 物語の終盤、事件の謎解きにかかったルパンが「紀元前732年7 月25日…」と突然語り始める。もちろんこれはデタラメの数字であり、ルパン自身も数世紀ぐらいの誤差があると認めているのだが、とにかく 数千年前にあったと想像される、ケルト人のある部族の壮大な旅路が物語られてゆく。

 出発地はボヘミア。「現在その場所は、ヤヒモフという小さな工業都市になっています」と ルパンが言う都市は、現在はチェコ領の西の端にある。当時はオーストリア=ハンガリー帝国領で、ドイツ名を「ヨアヒムスタール」といった。ここにいたケル ト部族が大移動を開始したというストーリーをルパンが語るのだが、出発地をここと断定する理由は、サレック島最大の謎の核心である「ボヘミア王の墓石」す なわち「神の石」の正体がウラン鉱石とされているた め。20世紀初頭当時、ウラン鉱山は全世界でもここしか知られていなかったのだ。ルパンも言及するキュリー夫妻もこの地でウラン鉱石を採取してラジウムを精製してお り(後述)、世界初のラドン温泉もこの町に作られている。

 さてボヘミアの地を出発したこの部族はエルベ川をくだってフリースラント(オランダ北部)につき、そこからさらに海に出てスカンジナビ ア半島に上陸したりサクソン人の土地(もちろんイギリスではなく現 在のデンマークあたり)にたどりついたりしては追い払われ、ようやくアイルランド(南版ではなぜか「アイスランド」になっている)に上陸して、 ここで半世紀あるいは一世紀の定住をする。そ して三十の岩礁と三十のドルメンがあるサレック島の存在を知り、それこそが自分たちに与えられた宿命の土地と確信、これを攻略して先住民を滅ぼし、ついに 「神の石」とともにここに移住して長い旅路を終えるのだ。
 もちろんこの話はほとんどルパンの勝手な創作であり、確信をもって言えるのはボヘミアからスタートしてサレック島でゴールしたことぐらいしかない。だが ケルト人自体が太古の昔にはるか中央アジアから移住してきたと言われ、後の時代のゲルマン民族やヴァイキングの大移動をみても、こうした部族単位のさすら いの旅路が歴史上数多く実行されてきたと想像される。ルパンは「神の石」の存在がブルターニュにまつわる各種伝説(「円卓の騎士」や「魔術師マーリン」など)を生み出したとい う推理も語っているが、ブルターニュの伝説とウラン鉱石を産するボヘミアとを結びつけて壮大な遍歴の部族の歴史を浮かび上がらせてみせたたところが、ルパ ンの、もといルブランの卓越したアイデアなのだ。ルパン・シリーズ中では『奇岩城』と並ぶ歴史ロマンの大技と言っていいだろう。
 後年書かれた『カリオストロ伯爵夫人』ではマリー・アントワネットか らカリオストロに四つの謎の言葉が語られ、「奇岩城」の秘密のほか、このサレック島の秘密も「ボヘミア王の敷石」という文句で伝えられていたことになって いる。どこでどう情報が流れていたのか気になっちゃうところなのだが(笑)。

 ルパンが語る歴史の中で、サレック島に先に住み、巨石記念物を残したとされる「リグリア人」についてもちょこっと。
 「リグリア人」とはケルト人以前にガリア(現フランス)に住んでいたとされる民族だ。現在のイタリアの北西部、フランスとの国境付近の地中海沿いに「リ グリア州」「リグリア海」という地名が残るように、まだ発展途上だったローマから見て北西方向にいる民族を漠然とさしているようでもある。なにせ記録もロ クにない時代の話なのでケルト人以上に具体的なことはよく分からず、ルパンなどは「穴居民族の直接の子孫」と言い、ドルメンなど巨石記念物も彼 らが作ったものと語っているが、あくまで推測の域を出ない。

「その3」へ続く

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