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「緑の目の令嬢」(長編)
LA DEMOISELLE AUX YEUX VERTS

<ネタばれ雑談その3>

☆「若返りの水」
 
 最後の仕掛けはローマ遺跡まるごと、というドデカイものだが、その遺跡のほんらいもっとも重視された点は、ここにわく鉱泉だった。偕成社版ではわかりやすさをねらったか、「ミネラルウォーター・ジュバンス」と訳しているが、原文では「L’eau de Jouvence」、すなわち単に「ジュバンスの水」である。ここで「ジュバンス」は固有名詞として扱われるが、この言葉自体が「青春」「若さ」と意味している。だから「ジュバンスの水」とはいわゆる「若返りの水」にほかならない。

 この地にはピュイ・ド・ドームという火山があり、ロワイヤの湯治場もそのおかげで成立している。このジュバンスの泉もそれと同じ鉱泉ということなのだが、さらに微量の放射線を含んでいるというから、「ラジウム温泉」のたぐいということかもしれない。『三十棺桶島』の雑談でもふれたように、ラジウムを使った放射線治療はすでにこの時期に実用化されていたし、ラジウムの発見地では早くもラジウム温泉による湯治場が成立していた。だからここでラウールが言ってることもあながち無茶な設定ではないのだ。

 ジュバンスの水をいれたびんのレッテルにも書かれ、ラウールも「専門語で言うと」と口にしている「ミリキュリー(millicurie)」というのは放射能の単位で、もちろんキュリー夫妻の名前にちなむ。1gのラジウムが持つ放射能を「1キュリー」と定義したのだが、これは膨大な量なので、その1000分の1の「ミリキュリー」がよく使われていた。
 現在では「キュリー」ではなく、やはり同時代の放射性物質の研究者であるアンリ=ベクレルから名をとった「ベクレル」が使用されている。こちらは「1秒間に自然崩壊する原子核の数」が1ベクレルだ。

 なお、ジュバンスの水が入れてあったびんのレッテルに書かれている成分のうち、「重炭酸ソーダ」とは中学の理科の実験でよく使われる「炭酸水素ナトリウム」のこと。「苛性カリ」も「水酸化カリウム」とよぶほうがなじみがあるかもしれない。
 フランス語で「ミネラルウォーター」は「Eau minérale」といい、ヨーロッパではミネラルウォーターというとだいたい炭酸入りなのだそうだ。だとするとジュバンスの水も十分ミネラルウォーターの範疇ではあるのかもしれない。


☆“ルパンらしさ”を追い求めると…

  何度も書いてることだが、「怪盗ルパン」と言われながら、シリーズ全体を通してルパンが実際に泥棒家業をしている描写はあまりない。とくに第一次大戦後の ドン・ルイスシリーズ、そして『八点鐘』以降の後期シリーズでは彼が泥棒であることをほとんど忘れてしまうほどだ。別にルパンが主役でなくても成立しそう な話が目立ってくる。この『緑の目の令嬢』も、別にルパンでなくても成立しそうな話で、ラウール=ド=リメジーことルパンはとくに超人的な活躍をするわけ でもない。
 
 もっとも一か所だけ、読者も意表を突かれる大技がある。ラウールが逮捕されたと聞いてうちひしがれるオーレリー、絶体絶命 の大ピンチ!…かと思ったら、いつの間にやら登場人物の一人に変装してその場にもぐりこんでいるのだ!「ルパンと言えば変装」なのではあるが、これはシ リーズ中でも大技のほうだろう。
 また、この作品で徹底的に道化役をやらされているマレスカルに対して、何度も「ちょっと火を貸してくれ」を繰り返すギャグはかなり笑える。ただルノルマン国家警察部長までやってしまうのはマレスカル相手でもまずいんじゃなかろうか…このネタばれ部分があるために本作は『813』を読む前に読んではいけない作品になってもいる。

 「マレスカルは間が抜けている」(偕成社版、大友徳明訳)と当人に読みあげさせてしまう爆笑シーンもシリーズ中屈指の出来だろう。ここは原文では「Marescal est une gourde.」となっていて、「gourde」を仏和辞書でひくと「ひょうたん、水筒」とともに「ばか、まぬけ、おろか」という口語的用法が紹介されている。ひょうたんを水筒に使っていたこともあるし、「中身がカラ」という例えから派生したのだろうか。
 この部分、創元版の石川湧訳では「マレスカルはでくの坊である」。南洋一郎版では「マレスカルは大まぬけだ」。フランスコミック版の長島良三訳では「マレスカルはまぬけの大ばかだ!?」と訳されている。
 さんざんなからかわれようだが、これでもマレスカルは一応腕利きの警視なのである。パリ警視庁ではなく「内務省所属の国際捜査部」に属し、ベークフィールドのような国際犯罪組織を追いかけていただけでもその能力の高さが知れるし、列車事件の際にはルパンも舌を巻く名推理(ルパン自身も同じ推理をしているが)を見せていた。過去には「ロランティニ王女の耳飾り事件」なる難事件を見事に解決したこともあるようだし、ラウールの正体がルパンであることを見抜いただけでも大したものだ。
 もっとも以前ルパンがさんざんコケにしたガニマールだってまぎれもない名刑事だったのだ。腕利き警察官をさんざんコケにするノリはシリーズ初期の雰囲気の復活ともいえ、このノリは次作『バーネット探偵社』で見事に(?)開花することになる。

  ルパンらしさ、をさらにあえて探せば、名探偵ぶりを一応発揮しているところだ。この小説、あまりミステリとは言い難い気もするのだが、一応冒頭の列車強盗 の謎解きは「推理小説」の要素をなしていて、うすうす察しはついてしまうところもあるのだが、被害者と加害者の関係が時間差によって入れ違ってしまうとい うアイデアは面白い。

 ルパンらしさ、といえば、さりげなく乳母ビクトワールが再登場していることにもご注目。シリーズ発表順では『水晶の栓』以 来の再登場だ。ただ「ルパン年代史」からいうと『奇岩城』に続いての登場ということになり、『813』でビックリの再会をしているのとかなり矛盾してしま う。それを察してなのかどうか、この作品のビクトワールは登場はするものの『水晶の栓』ほどには目立った活躍はしてくれず、いたって地味にルパンを助けて いるだけだ。そういえばこの作品では彼女以外にルパンの部下はいっさい登場していない(後期シリーズでは「部下」そのものがほとんど登場しなくなる)


☆その他あれこれ

 先述のように、『緑の目の令嬢』は南洋一郎版では長い間「青い目の少女」というタイトルで出ていた。現在刊行されている「シリーズ怪盗ルパン」から「緑の目」に改められたのだが、この南版は例によってと言うべきか、原作からの改変が結構多い。
 まずオーレリーの年齢イメージが「少女」レベルに明らかに下げられている(それでいて原作どおりに6歳のときのことを「14,5年前」と言っちゃってるが)。原作でもオーレリーは実年齢21歳の割にはかなり童顔であるように描かれてはいるのだが、13歳も年上の中年オジサンのルパンに激しい恋をするし、それでいてちゃんと仕事を持って自立していて「あなたは永久に愛するようなかたじゃないわ」なんて割り切ったことを口にする、見た目と裏腹に結構大人びた女の子だ。
 こんな設定を南洋一郎が許すわけもなく(笑)、ルパンとの恋愛沙汰は一切カット(当然あのいきなり唇を奪うシーンもない)、 ラストでは修道院に戻って精神的に幸せに暮らすなどと言い出す「清純派」だ。あの名場面、「マレスカルはまぬけだ」と読みあげる部分でオーレリーが大爆笑 するくだりもカットされている。さらにオーレリーは最後までラウールがルパンであることを知らないまま終わってしまう。終わり方の違いということでは、 ジョドに使われていたチンピラ少年の扱いも大幅に異なっている。
 南版のルパンはやはりお行儀がよくなってしまってるので、「ちょっと火を貸してくれ」のギャグのリピートもない。南版しか読んでない人は全訳を読むとずいぶんイメージが変わるんじゃないかな…と思うのだ。


 それでも南版を読んでる人は結構多いんじゃないかな、と思ったのが、「ルパン三世」にかかわったアニメーターが「ルパンについて語って」と言われて「『奇岩城』ははずせませんね!『緑の目の少女』がお気に入り。全巻読みましたよ」とボケをかます(聞き手はもちろん「三世」の話を聞こうとしたのに「一世」の話をする、というギャグなのだ)という内容の漫画を読んだ時だった。全巻読んだといっても明らかに南版である。そして「緑の目」をわざわざ挙げた理由は、明らかに宮崎駿監督の名作「ルパン三世・カリオストロの城」の存在があるからだ。
 「カリオストロの城」については『カリオストロ伯爵夫人』の 項目でも書いたのでここでは簡単にすますが、「カリ城」のラストの「湖底のローマ遺跡」の元ネタが「緑の目の令嬢」であることはアニメファンにも広く知ら れ、それがきっかけで「緑の目」を読んでみた、という人は多いと思う。まぁラストの大仕掛けだけが共通してて、あとはまるっきり関係がないわけだが…ただ 前にも書いたようにオーレリーのキャラクターがどこかクラリス姫のキャラクターに反映しているような気もしなくはない。もっともクラリスは明らかに「青い 目」だが。
 まてよ、宮崎駿の世代だと保篠版「青い目の女」で読んでるから、「青い目」でいいのかな?なお、宮崎監督はあのラストについては『緑の目の令嬢』の引用とはっきり公言しており、大チャンバラが繰り広げられる時計塔については黒岩涙香の翻案小説「幽霊塔」(原作はアリス・マリエル・ウィリアムソン)がヒントになっていると明かしている。

 
 「カリ城」でよく知られたためなのだろう。『緑の目の令嬢』は本国フランスと日本でコミック化もされている。
  「漫画にみる怪盗ルパン」コーナーをごらんいただければわかるように、本国フランスではバンド・デ・シネと呼ばれるコミック版ルパンシリーズがあり、『水 晶の栓』『813』『奇岩城』などの名作と並んで『緑の目の令嬢』が選ばれている。内容的にコミック化しやすかった、という理由もあるだろうが、1992 年発行という年代をみると「カリ城」の存在が少なからず意識されてるような気がする。
 また、2009年にはポプラ社から「コミック版ルパン&ホームズ」と いう児童向け漫画版シリーズが刊行され、3冊のルパンものの1冊が『緑の目の少女』だった。これはあとがきなどを見ても明らかに「カリ城の元ネタだから」 という理由でチョイスしている。ポプラ社ということであくまで南版を原作としてコミック化しており、ラストシーンなどは「カリ城」のほうに近くなってし まっている。


 ジョルジュ=デクリエール主演のTVドラマシリーズ「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」では第6話が『緑の目の令嬢』。これについては「映像に見る怪盗ルパン」のコーナーでも触れているのだが、この回は西ドイツで製作されているため舞台がドイツに変更されている。ただ話そのものは割と原作に忠実で(このシリーズは原作と大幅に違う話が大半なので)、列車での殺人事件はほとんどそのままだし、大筋の展開や一部の場面などは原作をよく生かしている。ただ「湖底の遺跡」は再現のしようもなく、オーレリア(ドイツ少女の設定)が覚えていたピアノ曲をひくと仕掛けが動いて…という小ぶりながら粋なアイデアに変更されていた。
 シュザンヌ=ベックという女優さんが演じているオーレリーがかなり原作に近い童顔で嬉しい(笑)。すでに書いたことだが、女泥棒ベークフィールド嬢はこのドラマでは死なずにしっかり生き残って活躍し、別の回で再登場してルパンと協力するという嬉しい改変がなされている。


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