身辺雑記(しょのきゅー)2010.1.1.〜2010.12.29.


mixiに時々書いてる身辺雑記から

下へ行くほど古い記述です




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update Jan. 2.2011

2010.12.29. ゴマフアザラシ
キッチン周りで「ゴマフアザラシ」という文字か視界の隅を横切った。

何だ?と思ったら

ストッカーの内容表示の文字の読み違えだ。
私事ながらヒトの大脳機能ってすごいぜ



2010.12.27. 空手道
僕は学生時代、一年間にわたり武道の空手をやっていた。

と言ったら、全くスポーツと縁のない今の僕を知っている人はのけぞって驚くだろう。

いや、ホントやってたんですよ。
大学の体育の単位をとるために、ですけれど。

卒業するには2年間の体育が必修なのに、1年2年次と体育の単位を取れず、3年次に「一般体育」という講座を見つけてなんとか1つはクリア。「一般体育」ってダンモ研の練習場所の近くのグランドでソフトボールをする授業だったので楽だった。
4年次になにかもう一つ、遠くまで行かなくて良くて楽そうな講座を探したら良いのがあった(誰かに教えてもらったのかもしれないな)。

「空手道」。武道なんて冗談じゃないっっ、と思ったけどよく説明を聞くと組み手はやらず、体操のように「型」だけをやる、という。空手着も必要なし。

やってみたら結構面白かった。
週に一回自分の学部近くの古い木造の体育館にTシャツと高校の時のトレパンに着替えて行き、ラジオ体操というか・・ダンスの振り付けみたいなみたいな「型」をいくつか覚えた(今ではすべて忘れましたが)。

毎回の先生の話がおもしろかったなあ。
空手部の「いかにも」な学生を従えて「早稲田の空手道」を滔々と語る。

・・・あれっ、覚えてる話は「空手の試合は危険だから普通眼鏡を外して行うものだが、早稲田の空手部の名手は相手が自分に触れることなど無いという絶対の自信を持っているので、試合中も決して眼鏡を外そうとしなかったものだ」っていうくだりだけだなあ。

当時覚えた空手の「型」で一つ忘れられないことがあった。
拳を突き出したり足で蹴る仕草が続き、最後に何かを掴んで下におろす動作があるのだが、ある生徒が質問した。

「先生、最後の動作はどういう意味なんでしょうか?」

「あれはとどめを刺すために相手の睾丸を引きちぎる仕草じゃ」

・・・なるほど。たしかに武道だ。



2010.12.19. その歌は
助手席の末娘がいつの間にか懐かしいメロディーを口ずさんでた。
うーん、その歌知ってるゾ。何だったかなあ・・

そう!三鷹第二中校歌ではないか。
親子で同じ学校を卒業してると楽しいな。

三鷹二小の校歌も歌える?

♪あさーかぜーかおーる、むさーしのにー

おお!それそれ!
パパも歌えるぜー!

なんてことが今日あって、和みました。

三鷹二小の校歌といえば、その昔中学生の頃だったか、テレビのバラエティ番組で、当時人気絶頂の布施明が突然二小校歌を歌い出したことがあって大変びっくりした。
あのローカルな歌がテレビから流れてなんか誇らしい気がしたなあ・・。
布施明は三鷹二小の卒業生だったんです。



2010.12.5. ストーブの前で
うちの大猫モク(雄2歳)が無防備に寝てました。
思わず笑っちゃうほどかわいいぞ



2010.11.12. 明日は本番
明日11月13日(土)18:00〜三鷹市芸術文化センター風のホール(三鷹駅南口徒歩10分バスもあり)で三鷹市PMSジャズ・オーケストラの秋のコンサート。

例によって盛りだくさんなプログラムだけど、今回は行くところまで行ったなあ〜

冒頭いきなり急速テンポのモダン・ビッグバンド・ナンバーで開始。
続く曲は何か?

なんと1930年代のベイシー・ナンバーを2曲(僕がやろうと言ったんだけど)
さらに70年代のモダン・ベイシー・ナンバーに続く。

ボーカルが総勢5人入れ替わり立ち替わり、第二部は昭和歌謡ショーの趣さえあるぞ。ラテン・ナンバーありみんなが知っているあの曲あり、誰も知らない古い演歌あり、ピアノトリオでは「ワルツ・フォア・デビー」までやっちゃう。

一晩のステージでここまで無節操に広く演奏するビッグ・バンドがかつてあったであろうか?いや無い(反語)。

ビッグバンド向きかどうかは別として、きれいで広いホールでゆっくり楽しめてなんと、無料でございます。ぜひお越し下さい。



2010.11.7. ドングリと茸
西湖の湖畔へバンドの合宿で行ってきた。
紅葉した里山にどんぐりと茸をみつけた。
夜は満天の星。秋だなあ〜



2010.10.23. 柿サラダ
収穫した柿、そのまま剥いて食べるのが一番ですが、粒が小さいので一つずつ剥いて食べるのは面倒。
うちでは結構「柿サラダ」にします。
まとめて剥いた柿を小さく切って、マヨネーズと塩胡椒で軽く味付けしたヨーグルトと和えるやつ。
これは好きです。ついいっぱい食べてしまいます。



2010.10.17. 柿の収穫
今年も柿が豊作。
小ぶりだが美味しい。
季節は確実に繰り返すなあ〜



2010.10.8. キンモクセイ
この数日風邪気味でだるくて頭部神経痛があって不快。
明日も明後日も休日出勤なのになあ〜酒飲むしかないか。

そんな中、住宅街を自転車通勤していて今の季節の慰めは、朝晩の涼しい空気に香る金木犀だ。
電車通勤の頃は気がつかなかったけど、住宅街には結構あるんだなあ。
移入植物で雄株しかなく結果しないらしいが、かすかに甘い香りは心地よい。



2010.10.5. お茶の水博士
今朝、昨日の酒が残ったままフラフラと自転車で通勤していてふと脳裏に浮かんだこと:「お茶の水博士は安増先生だ」。

えーと、浦沢直樹が手塚治虫の「地上最大のロボット」をリメイクした「PLUTO」に登場するお茶の水博士の風貌が、僕の大学時代の恩師安増郁夫先生にそっくりである、と唐突に思いついたということなのですが・・まさにどうでも良いことの極みですね。

でも久しぶりに大学時代を思い出した。ジャズしかやらずに1年留年して5年目に安増先生の研究室に入った。先生は当時40代くらいではなかったかな。発生生化学界では名の知れた天才肌の教授で伝説は数多く、「F1ドライバー免許を持っている」「奥さんが高名な画家で生活費に困らないので先生の給料はまるごと小遣いになる」「畑正憲の著書にゴジラのあだ名で登場し、研究の際には散らかし放題だが確実に成果を上げる・・と紹介されている」などなど。
僕が研究室に入って最初に聞いた先生の発言は「おーい、ジャンプの今週号もってるヤツいないか−?」だった。

僕はといえば研究室で卒業研究を始めても音楽一辺倒で研究も勉強もおざなりなので、先生に会うのが恥ずかしくてなるべく会わないようにしていた。何とかでっち上げた卒業論文を見せたときは顔を曇らせながらも「山下君は教員免許取るために1年聴講生として残るんだよね・・ならまあいいか」と卒業を認めてくれた。
・・それなのに次の年も最低限の資格を取るだけで研究室に顔を出すこともなく相変わらずジャズ三昧で過ごしてしまって先生に会うこともなかった。

お茶の水博士のような巨大な知性とユニークな個性をもった安増先生に学ぶ機会を自ら捨ててしまったのだなあと今になって残念に思う・・けどまあこれも人生かな。

先生は十年ほど前に若くして亡くなってしまった。



2010.10.1. ヒガンバナがいっぱい
埼玉県日高市の巾着田曼珠沙華群生地へ行ってみました。
まさに見頃でみごとでした。
見渡す限りのヒガンバナ。
白い花もありました。



2010.9.29. ヒガンバナ
あんなに暑かったのに今年も彼岸花の季節になった。
庭の一角に雑草に埋もれるように咲いているのを見つけた。

ずいぶん前に埼玉の高麗川巾着田の曼珠沙華群生を見たことがある。
あれは凄かった。また行ってみようかな。



2010.9.26. SFの浸透と拡散
某都立高校の文化祭で2年生がクラス演劇「時をかける少女」をやっているのを見て感慨にふけった。

「時をかける少女」といえば1972年にジュニアSFシリーズとして出版された筒井康隆の小説だが、劇は2006年のアニメ(お話は現在が舞台でオリジナル小説の続編のようなもの)をもとにしていて面白かった。

感慨にふけったというのは、主人公が時間をさかのぼる能力を得たとき、劇中で登場人物が「それはタイム・リープよ」の一言で以上説明終わり・・みたいに登場人物も観客も納得していたことだ。

僕は中学校の頃にはSFマニアだった(そういえばSFって言葉自体、最近あまりつかわない?サイエンス・フィクションね)。
そしてSF好きは変人で異端だった。タイムマシン・パラドクスや恒星間旅行などは常人の知るところではなかった。高校生の頃、筒井康隆や小松左京の作品が角川や新潮の文庫本になったとき、ついにSFもここまで認められるようになったか−!と感動した(それまでは文庫になる作品は古典か名作だったのだよ)。

それが現在では「タイムリープよ」一言ですべてOKとは・・。
SFの神髄の一つ「日常に一つ非日常を挿入することによっておこる日常の変化から人間の本質をさぐる」という概念を今は普通の人たちも完全に共有できるということか。
昔、筒井康隆が言った「SFの浸透と拡散」を目の当たりにしたような気がした今日この頃でした。



2010.9.14. 谷啓も
谷啓が亡くなってクレージー・キャッツ7人のうち、存命なのは犬塚弘と桜井センリだけになってしまった。
谷啓は僕と同じ三鷹に住んでいたので小学生の時から親近感があった。ミュージシャン時代、シャイなので目立たないようにステージでサングラスをかけていたというエピソードが好き。もちろんかえって目立っていたというオチだけど。
そういえば僕が20代からずっとヒゲを生やしているのも「素顔を晒すのが恥ずかしいから」っていうこともある。うーん・・同じか。

Youtubeで谷啓動画を見る。1985年のクレージー・キャッツ結成30周年の時のテレビ映像が懐かしい。タモリや青島幸夫の番組での演奏シーンがいい。谷啓のトロンボーンが凄いのは昔からわかっていたけど他のメンバーもすごいや。安田伸のclとts、こんなに上手かったんだ。
しかしこのテレビ映像も25年前か〜・・感無量。



2010.9.11. 虫垂炎
一昨日、大学生の末娘が虫垂炎になった。
家族で初めてのことなのでびっくり。

数日前からお腹が痛いといっていてかかりつけの医院に行ったら「風邪でしょう〜」と言われて帰るところトイレで倒れ、医者は慌てて武蔵野日赤で精密検査を受けるように紹介状を出したとのこと。
日赤で血液検査とCT検査を受けて医師の説明を受けるところで僕も合流。すぐ手術適用になるみごとな虫垂炎とのこと。
CT画像で娘のお腹の断面を見て感動。抗生物質の点滴で娘は落ち着いた様子。

昨日手術。全身麻酔の手術だから心配だったけど1時間半で無事終了。
今は開腹手術ではなくて腹腔鏡手術なんだなあ。お腹に三カ所小さい穴を開けてテレビカメラと器具を入れてモニターを見ながらやるらしい。
付き添った妻は切り取った虫垂の写真を撮ってきた。

娘は今日は彼氏がお見舞いに来たせいかすっかり元気を取り戻していて、3日間点滴のみで絶食なのでお腹が空いた〜の連発。夜には自力で歩けるようになっていた。開腹手術ではこうはいかないんだろうなあ。おへその下に空いた穴を見せてもらった。

無事でよかった。医療技術の進歩を目の当たりにした今日この頃でした。



2010.8.30. 海へ
猛暑が続くので忘れていたがなんと、もう8月も最後ではないか。
小学生の頃の夏休みは永遠に続くように感じたものだが、この年になると夏はほんの一瞬で去っていくなあ〜

夏はやはり一度は海に行っておかなくては。と、今日は休みを取って油壺海岸まで行ってきた。
大潮じゃないのでウミウシなどを見ることはできなかったけど、ちょっと磯遊びができた。
油壺マリンパークに寄ってアシカとイルカのショーを見る。これはいつ見ても実に良いなあ。「イルカのコーラス」ははじめてだった。
水族館は変わらず楽しいし、新設された「カワウソの森」のカワウソたちの可愛いこと。

しかし疲れた。昼頃着いて夕方までいただけでぐったり。子供が小さい頃は朝から晩まで連れ回しても平気だったのになあ。



2010.8.30. ライブを終えて
恒例の桜井バンドの夏ライブを終えて帰宅。
楽しかった。
うっかり20数年やってる。最初は桜井(vo.g)藤井(g)山下(b)の3人で、しばらくして藤川(ds)、奥山(key)が参加、一時期北守一生(as)がいた。
毎年欠かさず一回か二回ライブをやってきた。

今回は「ヘンゼルとカテーテル/桜井明弘 SPECIAL LIVE 2010」と題して、桜井明弘&THE SAFETY BOYS・・・
桜井明弘(vo.g)藤井良彦(g)奥山信爾(p.key)山下政一(b)藤川栄治(ds)
最近はバンド名が"The Safety Boys"、安全な男たち?桜井さんによれば「安全に見える男ほどコワイ」らしい。

三部構成で一部は「桜井明弘&THE SAFETY BOYS」のみ、第二部はゲストに、寒空はだか(歌うスタンダップコミック)池島ゆたか(映画監督・俳優)泉邦宏(as)若林美保(踊り) 木の実葉(vo)倖田李梨(vo)大場一魅(vo)を迎え、第三部はバンドに泉邦宏、衣山悦子(tb)が加わる、という豪華プログラム。

三時間以上にわたる演奏は疲れるけど手練れのメンバーと大音量で演奏するのは実に楽しい。普段やってるジャズとは違う緊張感があるなー。

メンバーは奥山さん以外はもう50を過ぎているので見た目はローリングストーンズみたい(笑)。 いわゆる「オジサン・バンド」みたいだけど桜井さんが前に言ってたな〜俺たちはオジン・バンドとは違う!みんな十代からバンドを続けてきて、そのままこの歳になっただけ。いい歳になって余裕ができたから昔やったバンドっていうのをまたやろうというのとは全然違う!! 確かにその通り。藤川さんはプロの演奏家だけど他は音楽とは関係ない仕事を続けながらバンドをやってきたんだものなあ〜。

今日は20数年前の仕事の同僚や当時の若い衆にも会えてうれしかった。
昨夜父親が事故にあって大変なところMANDALA2をほぼ満員にする桜井さんの情熱に感謝です。



2010.8.16. 真夏のレスター・ヤングふたたび
8/21(土)14:30〜 高円寺グッドマン レスター・バンド#5
  伊藤由子(ts)衣山悦子(tb)鶴巻有希子(p)山下(b)土田航(ds)
   \2500ドリンク付き

今年もやります、レスター・バンド。まさかの4年目です。

<レスター・ヤングとは>
 レスター・ヤング(1909-1959)はテナー・サックス及びクラリネット奏者(クラリネットは1939年に盗まれてしまい57年にクラの演奏を頼まれるまでクラのことはすっかり忘れていたらしいが)で1936年から1940年までカウント・ベイシー楽団のソリストとして名声を得た(1933年頃も最も初期のベイシー楽団に在籍していたそうだが録音は残っていない)。1940年に13日の金曜日にレコーディングをするのをいやがって退団した。
 その演奏スタイルは当時としては革命的で、コールマン・ホーキンスのような男性的音色はっきりと割り切れるフレージングと対照的に、女性的とさえ言える後ビブラートを伴うなめらかな音で小節毎に割り切れない複雑なフレーズとソニー・ロリンズに受け継がれる緩急自在な即興演奏である。  そしてレスターの音楽はチャーリー・クリスチャン、チャーリー・パーカーたちに大きな影響を与え、結果としてビバップを生み出すことになった。すなわちレスター・ヤングは「モダンジャズの父」と言える存在である。
 しかしレスター自身はビバップに関心を示さず、ベイシー楽団を退団した後は自身のコンボで名演を残すが1944年に兵役に取られ、黒人嫌いの上官にいじめられ悲惨な経験のあげく感受性を根底から破壊され酒・ドラッグに溺れついに往年の輝きを取り戻すことはなかった。

<レスター・バンドとは>  私は学生時代にマイルス・デイヴィスからジャズを好きになり、ジャズの歴史をたどるうちにレスターの全盛期の作品を知り、それはもう感動したわけです。大学のサークルはモダン・ジャズ一辺倒だし、自分もフリー・インプロビゼイションの演奏に没頭していったので、レスターの音楽はぜひそのうち挑戦したいと思いながら数十年が過ぎた・・で、数年前からつきあってくれそうな仲間ができて、長年の夢が実現している訳なのです。
 バンドのコンセプトのヒントになったのはまずリー・コニッツの作品。「デュエット(1967)」の「ティックル・トゥ」、「トランキリティ(1957)」の「君ほほえめば」でレスターのソロを再現している。テッド・ブラウンの「フリー・ホィーリン(1956)」での「ブロードウエイ」も、オスカー・ピーターソンの「ザ・トリオ(1962)」での「サムタイムス・アイム・ハッピー」も、ランバート・ヘンドリックス・アンド・ロスの「シング・アロング・ウイズ・ベイシー」でもいくつかのレスターのソロの再現がある。  そして「デイヴ・パルズ・プレス・コンフェレンス(1986)」これはすべてレスターの名演をサックス・アンサンブルで再現しているものだ。

 もう一つはポール・モチアンの「エレクトリック・ビバップ・バンド1993」。これはパーカーたちのビバップを現在のジャズの中で再構築する試みだった。

 で、僕のやっているレスター・バンドは、レスターのソロの再現と現代ジャズの融合なのである・・ってメンバーも知らないかもしれないけど。

今回のライブではさらにレパートリーも増えました。例えば、1936年の「オー・レイディ・ビー・グッド」は若きチャーリー・パーカーがこのレコードを持って山ごもりをしてすり切れるまでレスターのソロを徹底的に分析したって伝説の演奏なのだけど、わがバンドはまずテナーがレスターのソロを再現し、tbとpがジャズの発展を踏まえた上での現在のジャズとしての各自の即興を披露するという構成になっています(ホントか?)。

 とにかく、レスターの名前しか知らないとか晩年のヴァーブ・レコードの演奏しか知らないっていうジャズ好きな人に、全盛期のレスターの凄さの片鱗でもわかっていただけるとうれしいのですけど。



2010.8.15. チャールズ・ミンガス
ジャズ講座最終回はチャールズ・ミンガス特集。
僕はミンガス大好きなのだけど、最近はジャズ好きな人の間でもあまり話題にならないような気がする。忘れ去られるにはあまりにもったいない。

ミンガスはまずジャズ・ベースのとんでもない達人である。ジミー・ブラントン〜オスカー・ペティフォード〜ミンガス、この3人によってベースという伴奏楽器がジャズの中で管楽器とまったく対等なソロ楽器として認められるようになった。しかし、本当に「聴かせる」ベース・ソロをいつでも弾くことのできたのはミンガスの後では、レイ・ブラウン、スコット・ラファロ、ゲーリー・ピーコック・・・くらいではないだろうか。という気もする。

そしてミンガスは実に特異な才能を持った作編曲者・バンドリーダーでもあった。ミンガスの作品は一言で言うと「ミンガス臭い」。ブルース、ゴスペル、近現代音楽、黒人意識、等々の混じり合った独特のアクの強い音楽。今回の講座の準備で毎日ミンガスを聴いていると、大好きなはずの僕でも、もうしばらくは聴かなくても良いかなって気がしてきたくらい。

一曲目はサイドメン時代のものから「ジャズ・アット・マッセイホール」の「チェニジアの夜」。ご存知、パーカー、ガレスピー、バド・パウエル、マックス・ローチ、というビバップの御大が一堂に会したレコード。
今回の講座ではなるべくジャズの歴史の話をしようと思っていたので、前回に引き続きパーカーを中心としたビバップ革命のことを説明する。
このレコードも当日はボクシングのヘビー級タイトルマッチと重なって客入りが悪く、後でミンガスが歓声をオーバーダビングしたとか、ベースの音が小さかったのでベースも重ねているとか、パーカーは手ぶらで現れて近所の楽器屋でプラスチック製のアルトを借りて吹いた、等々の伝説を紹介。パーカーのキャッチフレーズ「鯨のように飲み、馬のように食い、兎のようにセックスした」っていうのは紹介するの忘れた。

二曲目からはミンガスのリーダー・アルバムを紹介する。ミンガスの作品は10分を越えるものが多いので一回目のように時間が足りなくなるのを恐れて少なめに予定したのだが逆にちょっと時間が余ってしまった。 で、代表作「直立猿人」。文句なしの傑作。

三曲目は「ハイチァン・ファイト・ソング」。ミンガスのベースからはじまる実に格好良い演奏。19世紀初めにフランスの植民地支配に反抗して独立を勝ち取ったハイチ人に20世紀アメリカ黒人の姿を重ねたというミンガスらしい作品だ。

次は「ティファナ・ムード」から一曲紹介する。最初の妻に先立たれて傷心のミンガスがメキシコを旅行したときの印象を元に作り上げた作品集。メキシコ音楽を取り入れた大作も良いのだけど、「ミンガス臭」の強いものばかりでも何なので、ここはスタンダード「フラミンゴ」を実に美しくアレンジした演奏を紹介した。

五曲目は「ブルース&ルーツ」からゴスペル調の「ウエンズデイ・ナイト・プレイヤー・ミーティング」を聴く。「ベター・ギット・イン・ユア・ソウル」とどちらを紹介しようか迷ったのだけど、時間が余るなら両方かければよかったなあ。どちらもミンガス・ゴスペルの傑作だ。

そして「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」の一曲目「フォーク・フォームズNo1」を紹介する。このレコードが僕の一番好きなミンガスだ。エリック・ドルフィー(as,bcl)、テッド・カースン(tp)、ダニー・リッチモンド(ds)の4人で実に自由に名人芸的ブルースを演奏している。なんて格好良いんだ!

次は最も「ミンガス臭」紛々たる「オー・イエー」からその極みである「オー・ロード・ドント・レット・ゼム・ドロップ・ザット・アトミックボム・オン・ミー」を聴いた。ミンガスはピアノと歌を担当して、いきなり裏声で「ウーン・・・ハーン・・神様どうか原子爆弾を落とさせないで下さい!」とうなりだす。これ大好きなんだけどなあ・・。ローランド・カークのストリッチがこれまた格好良いブルース・ソロを取る。

八曲目は「オレンジ・ワズ・ザ・カラー・オブ・ハー・ドレス・ゼン・ブルー・シルク」。モンタレーのライブ録音。このときの「エリントン・メドレー」も大好きなのだけど、ミンガスの作品を紹介することにした。テンポやリズムが変化する懲りに凝った作品で、チャールス・マクファーソンのアルトが格好良い。

最後は1964年のヨーロッパ・ツアーの数あるライブ録音から、パリでの「グレート・コンサート」に収録されているベース・ソロの「ソフィスティケイテッド・レイディ」。うーん、なんて凄いんだ・・。 このときのライブはドルフィーが最高のプレイを聴かせるうえにピアノのジャッキー・バイヤードがまた良いのだけど、何しろ6人編成で全員ソロを回すので1曲20分以上かかるものばかり。ちょっと時間がないので話だけにした。

ベース・ソロの話などちょっとジャズ初心者にはわかりにくかったかもしれないなあ、ミンガスを取り上げたのはどうだったか・・自己満足気味だったかも・・と少し反省。

最後に生演奏を少しサービス。温かく聴いてくれてうれしかった。 来年も可能ならまたやるぞ。テーマは何にしようかな・・。



2010.8.13. 真夏の猫
猫たちは虫が大好きです。
ベランダに落ちてきた死にかけた蝉に狂喜して遊んでいました。

先日はモク(♂2歳)がお姉さんの椿(♀3歳)の前に、「これ面白いよ!」って言うように小さなコガネムシをくわえて持ってきました。
モク!成長したなあ〜



2010.8.7. セロニアス・モンク
今日はジャズ講座三回目、セロニアス・モンク。

まずは1954年のフランス・ヴォーグ盤の「ピアノ・ソロ」から「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」。 モンクのソロ盤は、リヴァーサイドの「ヒムセルフ」「アローン・イン・サンフランシスコ」、コロンビアの「ソロ・モンク」などがあるけれど、僕はこのヴォーグ盤が一番好きだ。LPでは「Monk Runs Deep」ってタイトルだったなあ。
この有名曲でモンクのピアノ・スタイルのユニークさを説明。どう聞いてもミスタッチの所もあるけれど、「間違っているところが正しい」というモンクの名言も紹介する。

次に1941年の「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」から「スイング・トウ・バップ」。大げさなタイトルだけどジャムセッションでの「トプシー」のクリスチャン(g)、ジョー・ガイ(tp)、モンク、のソロの部分のみの録音だ。なんと言ってもクリスチャンが圧倒的な演奏をしている。1941年の段階で1人だけ完全にビ・バップになっている。モンクのソロは短かいけどモンク最古の録音だし(モンクでない可能性もあるらしいが)、ジャズの歴史を語る上では実に貴重ですごい演奏だ。よくこの録音が残っていてくれたものだ。

三曲目は1944年、モンクの初正式レコーディング。コールマン・ホーキンスのセッションから「フライン・ホーク」。ホーキンスのスイング・スタイルのテナーも格好良いが、モンクも「モンクらしさ」の兆候が伺える。

つぎにモンクの初リーダー・セッションに行く。ブルーノートのプロデューサー、アルフレッド・ライオンがせっせと録音したけれど全然売れなかったという「モンクス・クラシックス」から「オフ・マイナー」と「フォア・イン・ワン」を聴く。

ここで「バード&ディズ」から「ブルームディド」を紹介。1950年のチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの再会セッションで、ピアノにモンク、ドラムにバディ・リッチが参加している。場違いに思えるメンバーだけど、長年聴いていると「ブルームディド」はモンクのピアノとど派手なリッチのドラムでなくては・・という気になるなあ。
ここでパーカーとガレスピーによるビ・バップ革命の話をチャーリー・クリスチャンにつなげて、モンクはさらに1人一派の孤高の人だという話になる。

次はプレスティッジ・レコードのモンクのリーダー・セッションから2曲。トリオで演奏されるかわいいメロディーと不協和音のコントラストが強烈な「リトル・ルーティ・トゥーティ」とtpとtsのアンサンブルとモンクのピアノが交互に現れる「煙が目にしみる」を紹介した。

ここでマイルスとの1955年のクリスマス・セッションに触れないわけにはいかない。例によって僕の大好きな「バグス・グルーヴ take1」を聴く。マイルスはもちろんミルト・ジャクソンのvibも格好良いし、パーシーヒースのベースとケニー・クラークのドラムも地味だけど堅実なお手本のようで素晴らしい。しかしこのモンクのソロは一体何なんだ。幼児がピアノで遊んでるようでもあり、前衛的でもあり、わかりやすいようで難解な気もするが、格好良い。後にも先にもこんなソロをやったピアニストはいない。

1950年代も後半になってやっとモンクは「売れる」ミュージシャンになった。「タイムス」の表紙を飾り、出すレコードは専門誌で高い評価を得る。モンク自身はまったく変わっていないのに聞き手がやっとモンクの音楽に追いついた?という話をした。
リヴァーサイド・レコードのセッションからまずロリンズが参加している「ブリリアント・コーナーズ」。 次に「ウイズ・コルトレーン」から「ナッティ」。なぜか今日の感想を見るとこの曲が一番受けが良かった。
さらに「モンクス・ミュージック」から「ウエル・ユー・ニードント」。これは「重量級」コンボの演奏でホーンは、tp、as、ts2人。しかもテナーはコルトレーンとホーキンスだ。モンクのソロが終わると大声で「コルトレーン!コルトレーン!」とモンクが叫ぶのが面白い。

「ロリンズとコルトレーンをどう思うか?」という質問があったので正直に、<ロリンズは先週紹介した1950年代のものが一番好きで極端に言えば「サキコロ」と「ウエイ・アウト・ウエスト」の二枚に尽きる。コルトレーンはデビューから晩年まで演奏スタイルが変化していくけどどの時代のものも好き。>と答えた。

最後に初めにかけたソロ盤から僕の一番好きな「リフレクションズ」を聴いた。晩年のモンクはCBSコロンビアと契約してレギュラー・コンボの演奏をたくさん残した後、1971年できっぱり引退して1982年に死去するまで公共の場には一切姿を見せなかった。

ちょっと時間があったのでリクエストを募ると「リズム・ア・ニング」って曲が聴きたいとのこと。ジェリー・マリガンとのリヴァーサイド・レコードのセッションがあったので応えることができた。 質疑応答で「今回は1960年代の演奏の紹介はなかったけどどうして?」っと訊かれた。紹介する時間がとれなかったというのもあるけど、これも正直に「1960年代の演奏はわざわざこの場で紹介するほど好きじゃないから。レコード・ジャケットは格好良いのですけど・・」と答えた。



2010.8.7. 森ビルの恐竜
「地球最古の恐竜展」見ました。
六本木ヒルズ森タワー52階まで行きました。

この展覧会、極私的に三点興味を引かれたんです。

まず、アルゼンチン出土の三畳紀の恐竜と哺乳類型爬虫類の化石が中心。
中生代三畳紀って言うのがマニアック。初期型恐竜と哺乳類につながる哺乳類型爬虫類が地上の覇権を争った時代だ。
愛読書「哺乳類型爬虫類」金子隆一著、を再読して臨んだ。哺乳類とのギリギリの境に存在する哺乳類型爬虫類キノドンの化石や復元模型がいっぱいあって満足。目玉の「エクサエレトドン」、出来損ないのハイエナみたいでどう見てもかわいくないのだけどヌイグルミまで売っていたのにびっくり。タートルズのバチモンというか機嫌の悪いガチャピンみたいのもいましたね(笑)。

二点目は六本木の地。30年近く前に交差点近くにあった日産のビルの「ウカリハ」ってレストランでピアノとデュオ(ボーカルも日替わりで入る)でベースを弾くバイトを数年やっていたのであの辺がどう変わったのか見たかった。
いやー・・・浦島太郎ですね。六本木交差点はアマンドは引っ込んでるしよく寄った本屋は消えているし、日産ビルはないし・・森タワーができているし・・。
母が子供時代を過ごしたのも六本木周辺で、昭和の初めはすごい田舎だったって聞いていた。つい最近、母に「2.26事件の時どんなだった?」って訊いたら「絶対外出するなって憲兵隊がまわってきたので何も見てない」だって。いやー東京の変化はすごいもんだ。

三点目は、森ビルといえば思い出す写真がある。
1982年当時愛読していた「写真時代」って雑誌に連載していた赤瀬川原平の「超芸術トマソン」に載ったやつで、現在の森タワー周辺を再開発していた頃、若いカメラマンが地上げで最後に残った銭湯のエントツのてっぺんに立って棒に付けたカメラで自我撮りした写真。
単行本も持ってますが雑誌で見たときの衝撃たるや・・いやー目が眩みました。この場所をぜひ見てみたかった。まあ今日は夜だったのでよくわかりませんでしたけど。夜景はさすがにきれいでした。



2010.8.1. ソニー・ロリンズ
今日はジャズ講座二回目。テーマはソニー・ロリンズ。

まずはロリンズ19歳でのジャズ界デビューから。
ブルーノートの「アメージング・バド・パウエルvol.1」に収録されている「バウンシング・ウイズ・バド」「異教徒の踊り」を聴く。
「バウンシング・・」実に良い曲だなあ。ロリンズもファッツ・ナヴァロもいいのだけど、やっぱりバドのピアノに耳が行く。

次は初期ロリンズの三つのリーダー・セッションから3曲。現在は「ロリンズ・ウイズ・MJQ」としてまとめられているやつ。
マイルスがピアノを弾いている「アイ・ノウ」、傑作「スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」、ロリンズオリジナルの「ノー・モー」。
「アイ・ノウ」はマイルス関連の裏話がおもしろい。
「ノー・モー」は実にロリンズらしいユーモラスで格好良いテーマメロディーの曲だけど、僕にとってはアルバート・アイラーが「ファースト・レコーディング」でひたむきに吹いているのが印象深い。僕はこの曲を高校生のときアイラーで先に聴いていた。アイラーのレコードにはタイトルが「ロリンズ・チューン」となっていたのでずいぶん後にこのロリンズのレコードを聴いた時、おー!この曲だ!って驚いたなあ。
「スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」はロリンズ初期の名演として有名で僕も大好きなのだけど、今回ロリンズをじっくり聞き返してロリンズの初期、特にこの曲のソロでチャーリー・パーカーの影響が大きいことを再確認した。パーカーはこの曲をライブで何回も演奏していてエア・チェック盤で何種類も聴けるけど、ロリンズはもろにパーカーのビ・バップ・フレーズを使って吹いているのがわかる。

次はマイルスとの「バグス・グルーヴ」のB面(死語)セッション。
「エアージン」「ドキシー」を聴く。同時に「オレオ」も録音されているのでロリンズの3大オリジナルの初お披露目でもある。

そしてリーダー作「ワーク・タイム」。このレコードが良いんだ。
「ショウほど素敵な商売はない」の格好良いこと。
続けてブラウン―ローチ・クインテットの「アット・ベイジン・ストリート」。前回カットした「慕情」。 休憩前に「テナー・マッドネス」。唯一のコルトレーンとのテナー・バトルが聴ける。ロリンズとコルトレーンを聞き分けてくれたかなあ。
貴重な共演ではあるけど、両者の傑作群と比較するとそんなにすごい演奏とは言えないのが正直なところだなあ。

残り一時間弱となり、いよいよロリンズの真骨頂を紹介する。
まずお約束の「サキソフォン・コロサッス」。このレコードから一曲と言えば、僕は「モリタート」である!この頃になるとロリンズはパーカーのビ・バップ・フレーズの発展と言うよりもレスター・ヤングの影響を僕は凄く感じる。単純な音列の繰り返しから一転して細かいフレーズの連続になるような緩急自在のソロの組み立てはレスター・スタイルの究極の発展型だと思う・・と一生懸命説明したけれど、わかっていただけたかどうか。このレコード、モダンジャズを代表する大傑作なのだけど、録音当時に本人たちは結構軽い気持ちで演奏したのだろうなあ。リハもそんなにやってないみたいで、「モリタート」ではドラムソロの前にベースが一瞬演奏し始める音がするし、「ブルー7」では小節数が合わない所がある(昔ピアニストの藤井氏の評論で読んだ。ベースが間違えていてロリンズはなんとか合わせようといろいろ模索していて結局テナー・ソロが三回出てくることになったという。よく聴くとたしかにその通りなんだ)

そして僕の一番好きなロリンズのレコード、「ウエイ・アウト・ウエスト」を聴く。
これ大好きなんです。レイ・ブラウンのベースとシェリー・マンのドラムとのトリオで、ロリンズのサックスのものすごさがたっぷり味わえます。
すべての曲が大傑作なのですが、ここはエリントンのバラード「ソリテュード」を選びました。・・・・何度聞いても絶句するしかないですね。

つぎはブルーノートの「ロリンズvol.2」から「ミステリオーソ」。
ホレス・シルヴァーとセロニアス・モンクが一台のピアノを交代で弾いています。次回取り上げるモンクに慣れてもらうためにも(笑)この曲、この演奏が大事。

ラストは「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜」から「朝日のようにさわやかに」を紹介。
ウイルバー・ウェア(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)とのトリオで定評ある名盤ではある。しかし、僕はこの時期からロリンズの神経質っぽい感じがちょっと耳について上記の傑作群とは同様に愛聴するまでには至らないとうのが正直な感想です。

ロリンズは80歳になろうとする現在も現役で活動していて秋には日本公演も予定されているというのもすごいです。
演奏家としては遂に印象に残るレギュラー・グループを作らなかったというかバンドを練り上げてグループ表現をすることには興味ないような感じを持ちます。
僕の「お宝」に1970年代のライブ・アンダー・ザ・スカイのエア・チェック録音があるのですが、ジョージ・デュークやスタンリー・クラークを従えたロリンズが20分に渡って1人で延々と吹き続けメンバーにソロを回すことなくラスト・テーマまで吹いて終わる演奏があって、ロリンズは最高なのですがこの人メンバーのこと何にも考えてない?って思ってしまいますね。



2010.7.23. 真夏だ
やる気というものがすべて溶けてなくなるような毎日の暑さ。
猛暑をかえって喜んでいるようなサルスベリの花が満開で救われます。
僕は暑い盛りに暑苦しく満開になるサルスベリ、結構好きです。

サルスベリというと「猿滑り」だと思っている人が多いが、実はブルーベリー、ラズベリーなどと同じでサルス・ベリーから・・・

というのはいしかわじゅんさんの夏のお約束のネタだったけど、大好きなんで引用させてもらいました(はじめて聞くと一瞬だまされない?)。



2010.7.18. クリフォード・ブラウン
今年も東京都の公開講座「ジャズを聴く」をやってます。
今年のテーマは「1950年代の巨匠たち」。
昨日は第一回目、「クリフォード・ブラウン」。 ,br>

今回は東京都広報に告知が載ったので、受講申し込みが40人の定員を越えて抽選になりました。ありがたいことです。

クリフォード・ブラウンのレコードは1952年の初レコーディングから1956年に25歳で事故死するまで4年足らずしかないので、曲を選ぶのは簡単だと思っていたけど2時間半に上手くまとめるのは大変だった。

1952年のダンス・バンドの録音から始めて1953年のジャズ界デビュー当時を紹介したのだけど、ジャズ界デビューのルー・ドナルドソンのセッション、タッド・ダメロンのセッション、それに初リーダーセッションは外せないし3ヶ月にわたるライオネル・ハンプトン・バンドのヨーロッパ・ツアー中のレコーディングがこれまた大量にある。
ヨーロッパツアー中の録音はクインシー・ジョーンズとの「ストックホルム・スイートニン」とワンホーン・カルテットだけに絞ったけどここまで1953年でほぼ前半を終了。ちょっとあせる。

1954年の「バードランドの夜」から冒頭の2曲を聴く。MCが当時の熱い雰囲気を伝えていていいなあ。バラード「ワンス・インナ・ワイル」の素晴らしいこと・・。
やっと「ブラウン・ローチ・クインテット」に到達。
クインテットの1枚目2枚目から紹介した後、エマーシー・レーベルの企画物レコーディングに行ってサラ・ヴォーン、ヘレン・メリルとの共演とウイズ・ストリングスから一曲ずつ紹介。ダイナ・ワシントン、ジャムセッションものは省略する。

ここでもう残り時間わずか。テキストに載せた「スタディ・イン・ブラウン」「ベイジン・ストリート」は残念ながらカットして「ロリンズ・プラス・フォア」の紹介に移る。,br> 1956年の「プラス・フォア」は「ベイジン・ストリート」とともにソニー・ロリンズが参加したアルバム。 プレステッジ・レコードとロリンズが契約してリーダー・アルバムを作る際に、ロリンズはレギュラー・グループとして活動している「ブラウン―ローチ・クインテット」のメンバーで自分名義の録音を望み、ブラウンたちは快諾したという。
僕は高校生のときはじめて聴いて以来このレコードが大好きなんだ。
ロリンズ作「ヴァルツ・ホット」の懐かしいようなテーマ・メロディ、ロリンズのレスター・ヤング直系の緩急自在なアドリブ、ブラウンの温かい音色、パウエルの単音主体のピアノ、何度聞いても心が動かされる。

1956年の事故当日の録音とされてきた(実際は1955年の録音だと言うことが最近は定説になりつつあるらしい)「ドナ・リー」を紹介する時間はなくなってしまった。1970年代に「ビギニング・アンド・ジ・エンド」が発表されたとき、ラジオでジャズ評論家時代の大橋巨泉が興奮して「ドナ・リー」のブラウンを熱狂的に賞賛していたのを思い出す。

ブラウンの人柄や演奏の素晴らしさを伝えるエピソードをなるべく沢山紹介したかったのだけどうまくみんなに伝わったかなあ〜。
ブラウンがプロポーズしたとき、相手の名をタイトルにしたバラードを浜辺で吹いた後「僕と僕の音楽と結婚してくれるかい?」と言った話は紹介したけれど、ブラウンの死を悼んで作られた「アイ・リメンバー・クリフォード」を一番多く録音しているのはブラウンと共演レコードのないスタン・ゲッツで、これはブラウンが麻薬がらみのトラブルで困窮していたゲッツを救済するコンサートを開催して援助してくれたことへの感謝の念らしい、という話はするの忘れた。

講座の最後には「オマケ」としてちょっと生演奏。僕のウッド・ベースと特別参加ゆうさんのテナー・サックスのデュオで3曲。喜んでいただけたようでよかった。



2010.6.21. 職務質問?
帰宅途中交番のある交差点で信号待ちしていたとき、背後から体格の良いお巡りさんに声をかけられてドキッとした。

僕は指名手配される覚えはないよな?
いや、都合悪いことはすぐ忘れるからひょっとして?
いやいや、パイプ喫って自転車乗ってるから怒られるのか?
三鷹市は路上全面禁煙だっけ?
など焦りまくっていると、 「パイプタバコ何喫ってるの〜?」だって。
「Peter Stokkebye LUXURY BULLS EYE FLAKE です」って答えると
「それ日本じゃ売ってないよね〜。僕はコレ」って胸のポケットから「Borkum Riff Whisky」のパウチを出して見せた。
「ああそれ僕も昔よく喫ってましたよ〜」とホッとして僕も急に親しげな口調になった。,br> 「交番は禁煙なので家で吸ってるんだ」とのこと。

町中で急に警察官に声かけられると焦るものだ、と再確認した次第。



2010.6.15. 「人生画力対決」
最近本屋に行ってないので出てるの知らなかった。
「毎日母さん6」「人生画力対決1」西原理恵子をamazonで入手。

ああ面白い。

「人生画力対決」は、しりあがり寿・みうらじゅん・国友やすゆき・とがしやすたか・江口寿史・福本伸行の回ももちろん良いのだけど、漫画界の重鎮、藤子不二雄A・ちばてつや・高井研一郎・やなせたかし、というもの凄いメンバーも全く同様の扱いっていうのが西原理恵子らしくてすごく面白かったなあ。
90歳のやなせたかしの回のエピソード。
キャラ製作2000以上でギネスブックに認定、でも「そのまんまキャラ」は却下で1768種認定っていうのに爆笑。
つまりとうふの「とうふちゃん」、トースターの「トースター・マン」などはダメってこと。そりゃそうだ。



2010.6.3. 茶摘み
今日、帰宅途中で自転車に乗った小学校低学年の女の子二人とすれ違ったのだけど、その二人は大きな声で楽しそうに「茶摘み」を歌っていた。
♪夏も近づく八十八夜〜♪ ってヤツね。

歌詞も音程もすごくしっかりしていてなんかジーンときた。

あの歌、明治時代の文部省唱歌だよね。
僕もはるか昔に習って、一番の歌詞は覚えているからつい一緒に歌ってしまった(頭の中で、だけど)。

長年歌い継がれてきた「歌」の力ってあるんだなあ〜なんて思ったりした次第。



2010.5.23. 未来のイメージ
今日の新聞に、全国の18〜69歳男女千人のアンケートで10年後の日本について「今より良くなっていると思わない」とした人が75.2%で過去最高だったと載っていた。

うーん、そうなのか。
僕が子供の頃は口には出さなくても、「10年後20年後は今より確実に良くなっている」と誰もが思っていた(たぶん)。

未来は現在より良くなる、というのは・・・
テレビが家庭に入り東京オリンピックや大阪万博がありアポロの月到着に感動し就職すれば毎年給料は上がりパソコンは現れるはインターネットに携帯電話は日常になるは・・・というのをリアルタイムで経験してきた世代だけのイメージなのか?

どうもそんな気がしてきた。
中世において「黄金時代」というのは常に過去にあるものだった。
と学生時代に教わったような気がする。
でも未来に期待できなくて現在を生きられるのか、とも思う。

なんてことを思いながら新聞の読書欄に移ると「ゲゲゲの女房」の紹介があった。
僕も連続テレビ小説結構見てる(再放送だけど)。
あの自分を「水木サン」と呼ぶとんでもない天才マンガ家の青年時代がテレビのようなさわやかな好青年のようだったとは思えないけど懐かしい貸本屋や昭和30年代の風俗につい夢中になってしまう。

で、その書評に「戦後の焼け跡と貧困は、高度成長とともに豊かな文化生活へと昇華したからこそ、懐かしく思い出せるのだ」という指摘があり、「終わりよければすべてよし!という人生観は、今の若者にとっては一生出会えない桃源郷のまぼろし」ではないかという。

うーん・・・



2010.5.22. 高円寺グッドマン
1995年5月からグッドマンという小さな店(昔荻窪、今高円寺)で月一回で続けている即興演奏ライブ、今月で15周年になる(今気がついた)。

初めはソロで、今は衣山悦子氏とデュオで何の打ち合わせもなく完全即興でやっている。
楽器は現在はフルアコのエレクトリックギターをだいたい使うけど、クラシックギター、ウッドベース、エレキベース、チェロ、でやったこともある・・そういえば無謀にもソプラノサックスを持っていったこともあったっけ。

観客ゼロの日も多いし(3回続けたらもう出演できないルールなのでなんとか動員するのだけど)、チケットノルマは結構負担ではある、だけど月一回全く自由に自分だけの音楽ができるというのは何物にも代え難いものがある。ひょっとしたらこれをやっているから僕はなんとか社会生活が送れているのかもしれない。

最近ショックだったのは、グッドマンでずっとベースソロを続けていた瀬川克伸さんが亡くなったことだ。
弓弾きのコントラバスの繊細な音に徹底してこだわりグッドマンで27年間演奏を続けていた。
はじめて会ったとき、僕がパイプを喫っていたら「馬糞が燃えてるのか?」といわれて瀬川さんを見ると笑ってた。そういえば衣山さんもローライズのジーンズでしゃがんでたら「おしり丸出し!」って言われてた。

結構口が悪いけど優しく温かい人で、最後に一緒にやりませんか?と声をかけると「うーん、疲れてなかったらね」というのだけど必ずつきあってくれた。雨男で「僕がベースを持ってくる日はいつも雨なんだ」と嘆いていたっけ。

最後に会ったのは対バンになったときだったけれど、ベースを持ってきたのにもう弾く体力がなくてぐったりと座っていた。まだ40代だった。

そんなに親しく話したりしたことがあるわけではないけれど、グッドマンで即興演奏を続ける同士として忘れられない人だ。



2010.5.19. 猫のおやつ
金魚に餌をやるとモクが駆け寄ってくる。
金魚の餌を自分のおやつだと思っているらしい。
水槽のふたの上に少し分けてあげると喜んで食べる。
変なヤツ。
いつか水槽のふたが壊れて水にはまるゾ。



2010.5.12. ムラサキツユクサ
ついこのあいだ桜が満開だと思っていたら、
暑かったり寒くなったり繰り返して、もう桜も銀杏も新緑がわさわさ広がり
初夏の景色になってきた。

この季節の花で一番印象的なのはムラサキツユクサだ。
朝この花を見かけるとなんか和むなあ。
天気が良いとお昼にはしぼんでしまう。
おしべの毛を顕微鏡で見るときれいなんだ。

職場の池に生えているフトイも地味な花を付けた。
うーん、季節はどんどん変わりますなぁ・・。



2010.5.10. 峠の釜めし
大型連休中はかぜひいて家でくすぶっていたので月曜が休みなのを幸いに温泉に療養に行った。

白樺湖までドライブ。
はじめての所だけどスキーと夏のシーズンの狭間でもあり、いい具合に寂れていた。
湖を一周する道路は穴だらけで営業していない店や廃業したホテルが散在し、やっている店も日曜の四時過ぎには閉めはじめる。
昭和時代のレジャー施設の残像のようで味わい深い。

温泉に浸かって地ビールを飲むといういつものパターン。
これで風邪が完治すればいいなあ。

お昼に双葉のサービスエリアで買った「おぎのや峠の釜めし」が懐かしくて美味しかった。
益子焼のお釜に入った炊き込みご飯は昔食べた記憶通り。
このお釜は捨てられないんだよなあ。



2010.5.5. 今年も
庭にアミガサタケが生えた。
毎年この時期に律儀に顔を見せてくれる。

もう迷わずパスタと炒めて食べた。
美味しい(ような気がする)。

今年は一本だけみたいだ。
また来年楽しみにしよう。



2010.5.3. たこ焼きをつくる
うちの子に「お父さんの料理」は?と聞けば
「たこ焼き・豆腐おから料理・ゴーヤチャンプルー」と言う。
他にも作るんだけどどうも印象が強いらしい。

今日はたこ焼き。
最近は分量は適当。
小麦粉・ベーキングパウダー少々・ネギ・卵・水に今日は揚げ玉があったので全部まぜる。

粘度を水で調整。うーんもっと薄くした方が良かったな。
たこと紅ショウガを散らして手作りのたこピックでまるめる。
指が熱い。今日はおたふくソースと青のりがなかったのでとんかつソースと花かつおをかけて出来上がり。

しばらく作らないとすぐコツを忘れる。
今日のは自分では味が薄かったかなと思ったが、娘はいつもの味でおいしかったと言ってくれたのでまあ良しとしよう。



2010.5.2. 「ジャンゴ・ラインハルト伝」
風邪をひいた。ノドが腫れて痛い。

アルコールとタバコで消毒しながら「ジャンゴ・ラインハルト伝」シャルル・ドゥローネ
を読んだ。

フランスのマヌーシュ(ジプシー)出身の天才ギタリストの生涯についてのおなじみの「ジャンゴ伝説」が当事者のインタビューで語られる。なんて面白いんだ。

生まれついての驚異的な音感と即興演奏の才能と超絶技巧。
18歳で火事に遭い左手は三本しか動かなかったのは有名な話だがまさに驚異だ。

ほとんど教育は受けておらず、楽譜はもちろん文字も数字も読めなかった。デビューしたときは自分のサインさえできなかったという。

人がタイプライターを使うのを見て、何でそんなことができるのかと聞かれたとき「君の音楽のやり方と同じだよ」と言われて納得したという。

賭博好きで自信家のため相手に過大なハンデをあげてスリルを味わうのが常で大金を稼いでは一文無しになることの繰り返し。
ツアーに出れば現地でギャラはすべて使い果たして帰る。
なんで?と聞かれるとまた稼げばいいだろ、と言うし遅刻魔で放浪癖あり、という友人にはなりたくないタイプだなあ。

アメリカ公演のエピソードも楽しい。デューク・エリントン楽団とツアーのとき、メンバーの派手な柄のパンツに心底びっくりしてエリントンに会いに行くと御大は一番派手でグロな柄のパンツだったとか。

"Djangology"を聴きながら読んだのだけど、このCDは10枚組でたしか900円だか1000円だったはず。うーん安すぎないか?
ただしデータの記載がないのでこの本の巻末ディスコグラフィーがすごく詳しくて便利。
1937年からのステファン・グラッペリの加わったホットクラブ・デ・フランスの演奏がやはり白眉だが、サックスとデュオの"Tiger Rag" がすごいな。
僕は最近練習で生ギターでリズムを刻むことがあるのだけど、ジャンゴになったつもりで演奏しているととても楽しい。

晩年に日本ツアーの計画もあったそうだが残念ながら1953年5月15日、ジャンゴは脳充血で43歳の生涯を閉じた。



2010.4.30. 横浜へ
横浜へ行った。

野毛山動物園ははじめてだった。
無料だというのであまり期待していなかったけど敷地は狭いが動物は充実していて満足。
ライオンが肉球むき出しで昼寝していて、うちの猫の30倍はでかいな、と思った。

昼食をとれてゆっくり喫煙できるところはないかと探した。
さすが神奈川県、なかなか見つからない。
結局10年ほど前に同じ用件で来たときに入った小島屋という喫茶店に落ち着く。
グラタンのセットは大変結構だったのだが、サイフォンで入れたコーヒーを食事と同時に持ってきたのは困った。
食事しながら目の前のコーヒーがみるみる冷めていってしまうではないか。
横浜の人は食後でなく食べながらコーヒーを飲むのだろうか。

コーヒーは美味しかったし、ゆっくりPeterStokkebye "LuxuryBullsEyeFlake"をSasieni Clomerでワンボウルゆっくり喫えたからよかった。

まあどうでもいいことですが。



2010.4.23. お酒のこと
今日は職場の歓送迎会でした。
ほんの数時間ビール飲んだだけでへろへろになって帰ってきました。

毎回思うのは、なんで職場の飲み会ではすぐへべれけになるのか?
バンド仲間と飲むときは、延々12時間飲み続けるとか中生10杯か最低基準だとかなのに・・不思議。

職場の人間関係も悪いわけではないし、好きでなった仕事だし、特にストレスが大きいとは思わないのだけどなあ。

まあ、趣味を同じくする気心の知れた仲間と楽しく飲むのが一番なのかな。

思えば、僕は30代になるまでお酒は弱かった。
お酒自体は大好きで飲みたいのだけど、すぐ気持ち悪くなるのを繰り返していました。
それがいつの間にか朝まで飲み続けられる体になってしまいました・・。
良いのか悪いのか・・40を越える頃から毎晩飲まずにはいられない。
お酒のない人生なんて考えられない。って依存症一歩手前・・?

親父はウイスキーボンボン一個で倒れるってほどの下戸で母も飲まないし
妻も全く下戸。家では一人でパソコンを相手に延々と飲んでます・・。
うーん、いかがなものでしょうか。



2010.4.4. 桜三景
先週、桜が満開になったので見物した。

まず近所のICUへ。相変わらず静かでみごと。
次に両親を連れ先祖の墓参りを兼ねて桜新町へ。
桜も老木になったが美しい。
お寺では恒例になった土筆摘みをして夕食で卵とじにしていただく。
土曜日は井の頭公園へ。満開時に来たのは実に久しぶり。
5年前に通りかかったときはあまりの人混みに桜も見ないで帰ったのだが、今回はバンド仲間とビール片手に一回りした。
うーん・・きれいに咲いているのだけどなんかイメージが違う。
昔はもっともっと豪華に重厚に咲き乱れていた印象があるのだけど、なんかさびしげになったなあ・・花の色も薄くなったような気もする。



2010.3.29. 週末は
年度末の仕事もようやく一段落したので土日はゆっくり本を読めました。

「トイレの話をしよう」ローズ・ジョージ
まず軽くノンフィクションものから、と思ったら結構重厚なドキュメントだった。
なんと現在の全世界で四割の人々がトイレのない、つまり道ばたやただの地面で排泄をしている。
そして糞尿が原因の感染症で15秒に一人が死亡しているという。
著者はイギリス人の若い女性で、精力的に全世界を飛び回り自分の眼で各国のトイレ事情をつぶさに調べて 分析している。これは面白かった。

「ブラッド・メリディアン」コーマック・マッカーシー
続いて書評で興味を引かれた現代アメリカ文学から。
19世紀半ばのアメリカ南西部、14歳の少年がインディアン討伐隊(インディアンを殺して頭皮を剥いで賞金に変える)に加わり荒れ地の続く西部を虐殺したりされたりしながら延々と旅をしていく。
アメリカ暗黒史の面も興味深いが、文体が強烈。会話と風景描写や動物の描写の区別なく心理描写もなしで 長いものは1ページにわたって一つの文が続く。
集中しないとなんだかわからなくなるけど、なれると快感。
ずっしり重く強烈な小説だった。

「ふちなしのかがみ」辻村深月
デザート代わりに現代の日本の若いミステリー作家のホラー(?)小説集。娘が貸してくれた。
小説好きの末娘が図書館でアルバイトしてるので、よくこれ読む?と最近の小説を持ってきてくれるのだ。 うん、面白い。あっという間に読了。上手いなあ。
先月は「わたしはビー玉」山崎ナオコーラを貸してくれた。これもわりと良かった。

ついでに今月読んだ本とマンガ(の一部)はこんなの。

「スノーボール・アース」ガブリエル・ウォーカー
「凍った地球」田近英一
自然科学分野で今興味を引かれるのは、前カンブリア代に複数回あったという「地球全球凍結」、つまり赤道直下まで地球が凍り付いた現象だ。
僕の学生時代はそんなこと教わらなかったぞ。つい最近明らかになった(なりつつある)地質学的現象だが、生命進化に深く関わっていて実に面白い。
ガブリエルさんの本はこの現象に取り組んだ研究者の個性を生き生きと伝えていて面白いなあ。田近さんの本は現時点での「スノーボール・アース」学説の詳しい説明がわかりやすい。

「大東京トイボックス1〜5」「東京トイボックス新装版1.2」うめ
息子が貸してくれたマンガ。
まったく、さすがわが息子。良いものもってくるじゃないかい!(笑)
テレビ・ゲーム開発業界のお話。・・・面白い。
登場人物の一人、30前後で仕事バリバリの格好良いキャリアウーマンさんが自室でくつろぐときは高校時代の体育ジャージ(クラス名入り)っていうのが妙にリアルで面白かった。
そういえば息子は高校卒業の頃、ゲームデザイナーか保育士になりたいといっていた。
僕はゲームを作るっていうのはマンガ家と同じで一握りの天才だけがトップに立てるんだ、お前にその自信があるのか、なんてことを言ったような気がする。
息子は結局保育士の学校に行ったが、就職は保育士・飲食業・営業など転職を繰り返し最後にシステムエンジニアに落ち着いた。
このマンガを読んでちょっと感慨深いところもあった。



2010.3.22. 深大寺で土筆を摘む
天気が良いので深大寺まで歩いていった。
連休だけど水生植物園は閑散としてる。
土筆がいっぱい。
少し摘んで持ち帰らせてもらう。
桜はわずかに開花。春だなあ。

水生植物園近くの「多聞」で蕎麦を食べる。
ちょっと贅沢に「深大寺ビール」もいただく。
当地で造っているわけではないけどコクのある味。

今晩は高円寺グッドマンで月例ライブ。
先月はなんと、こっちも対バンも客ゼロという
とんでもない事態だった。
今日はどうなるか・・・。



2010.3.19. 気がつくと
なんか最近あまり寒くないなあ・・と思ったら、
もう3月も半ばも過ぎている。・・・春、じゃんか〜。

職場近くの「こぶし公園」ではコブシが満開。
若いときは四季の花なんて全く意識しなかったけど、歳をとるとなんか季節を感じさせる花の移り変わりが 楽しみになっている。

今の時期のコブシやモクレンは結構好きだなあ。
被子植物の最も初期に進化したヤツだ。
恐竜の時代から咲いていたはず。



2010.3.8. 温泉で地ビール
年度末の疲れを癒しにちょっと温泉へ一泊。
今回は栃木の塩原温泉。
いい湯だった〜

例によって地ビール飲んで牧場を見て来た。
地ビールと言ってもちょっと離れた茨城の久慈にあるブルワリー、「やみぞ森林ビール・HellesとPilsner」ってやつ。
Hellesは色濃く甘みを感じさせて濃い。Pilsnerは苦み強くすっきりしていて濃い。どちらも大変結構でした。

牧場は塩原インター近くの千本松牧場。
かなり広くて動物もいっぱい。これも結構でした。



2010.3.5. 「今夜は最高」
昨日リーカーさんの日記でYoutubeに出ている「モダンジャズオペラ」が紹介されていてすごく懐かしかった。

「今夜は最高」って1980年代のタモリさんの番組で毎週楽しみにしていた。
この回はモダンジャズの名曲で「桃太郎」を歌うという趣向。
http://www.youtube.com/watch?v=RwhDe56O9f8
選曲が実に「ダンモ風」でいいなあ〜
ラストが"MomentNotice"〜"St.Thoms"ってのがシブイ。
当時はゴールデンタイムにこんなマニアックな番組が放映できたんだなあ〜。

"Donna Lee"を歌ってる斎藤晴彦を見て、そうだあの「トルコ行進曲」をもう一度みたい!!と思って探したらあった〜!
http://www.youtube.com/watch?v=ejXKJ1Tm3HI&NR=1
ああ面白い・・。ヘルベルト・フォン・タモヤンもいいなあ。

70年代の学生時代にラサール石井が「白鳥の湖」に歌詞を付けてミュージカルにしてたのを学内公演で見て爆笑したのも思い出した。



2010.2.28. 猫日記
椿はときどき壁の時計の秒針をじっと見つめています。
動くのがおもしろいのか遠慮がちに手を出します。
しばらくして気が済んだのか側の段ボール製休憩所で寝ました。



2010.2.14. 「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」
「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」ジェフ・エメリック

ビートルズ後期のレコーディング・エンジニアを務めた人の回想記。
リマスター盤が出たのをきっかけに新装版が出たのを図書館で見つけた。
エンジニアが書いた本があるのは知っていたのだけど、レコーディングの機材や楽器の一覧表みたいな本だと思い込んでいて読んでいなかった。
 いやー、こんな面白い本だったんだ。早く読めば良かった。

 著者は1962年に16歳でEMIスタジオのアシスタントに就職、二日目にビートルズの「ラブ・ミー・ドゥ」のセッションを見学する。いくつかのセッションのアシスタントを経て、1966年の「リボルバー」から正規のエンジニアとなりあの「ビートルズ・サウンド」を生み出していくドキュメントは実に興味深い。

 エンジニアから見たビートルズの人間観察が面白い。気分屋で天使にも悪魔にも変貌するジョン、人当たりが良く礼儀正しいが完璧主義なポール、陰気で皮肉屋なジョージ、ガードが堅い内向的なリンゴ。

 レコーディング現場にいかにもイギリスらしい習慣があるのがおもしろかった。スタッフはジャケットにネクタイ厳守で仕事内容によって茶色コートや白衣着用が義務だとか、休憩時のお菓子は各自のものがきっちり決まっていて他人のに手を出すのはビートルズ同士でも御法度、ただしビートルズがスタッフのお菓子に手を出すのはいいとか。
だからコントロールルームにメンバーが入ってくるとスタッフは急いでお菓子を隠す!
 笑ったのは「アビーロード」レコーディングの時にメンバーがコントロールルームでプレイバックを聞いているときにスタジオでオノ・ヨーコがジョージのビスケットをつまみ食いしているのをコントロールルームの窓からジョージが目撃して「なんて言うとんでもないことをするのだ!」と怒り狂うシーン。



2010.1.27. 「江ぐち」の思い出
今日の朝日朝刊武蔵野版に三鷹駅近くにある「中華そば江ぐち」が1月いっぱいで閉店するというニュースが大きく載っていた。・・・残念。

三鷹周辺の人ならたいてい知っているラーメン屋で、僕も中学生の頃から時々行った。
当時はラーメン屋と言えば「江ぐち」だったので、高校に入学したら同級生に江口さんって人がいて「ラーメン屋さん?」と思ったくらい(もちろん「江ぐち」とは関係なかった)。

一番通ったのは高校生から浪人の頃で同級生と行っては「竹の子そば」を食べた。
結婚してからも三鷹駅近くに行くと「江ぐち」に寄ろうか、と言うことも多かった。
今風のラーメンと違って、だしは和風で麺も日本そばみたいだったなあ。

初めは小屋のような一軒家で10人くらいで満員になった。木製のベンチみたいな長いすに詰めて座り、客同士が譲り合って座るのが印象的だった。
調理場を客を囲むような形で、中華そばができるまで調理の過程をみんなで凝視している光景が目に浮かぶなあ。当時は「味の素」みたいなのを小瓶を逆さにしてざーっと入れていたっけ。

その後すぐ近くに移転して今は白木屋なんかのあるビルの地下にある。
新聞記事によるとビル地下に移転したのは20年以上前らしいけど、そんなに経つのかなあ・・・。

久住昌之がマンガに登場させたので漫画マニアにも有名になった店だ。
1960年代、編集者から逃げる目的で宮谷一彦が借りていたアパートのすぐそばだったので宮谷さんも食べたらしいけど「好みの味ではなかった」そうです。

いやあ・・時は流れますなあ〜



2010.1.15. 掘り出し物
今日の午後、ちょっと時間がとれたので一度行ってみたかった「世田谷ボロ市」を覗いた。

骨董品などの露店がずらっと並び、すごい人出だ。

たまに古道具屋を覗くと、「戦前のバーリング・パイプ」や「1962年製のフェンダー・ジャズベース」や「1970年前後のヤングコミック揃い」がゴミのように積まれて千円均一で出てないかなあ〜と妄想するのだが。あるわけない。(ヤンコミを古本屋で見つける夢は見たことあるけど)

今日の収穫。「ひとみ」昭和35年5月号ふろく。
「エンゼルちゃん/関谷ひさし」と表紙にあったので「いくら?」って訊く。
二千円以上なら考えるが千円以下なら即買う気でいた。
「300円」。・・よかった!

「ひとみ」は昭和33年から昭和36年まで秋田書店から発行されていた少女雑誌。関谷ひさしや赤塚不二夫、石川球太など当時の若手マンガ家がいい作品を残している(当時は「ひとみ」は読んでなかったので今調べたんだけど)。

手に入れたふろくは結構痛んではいるしインクが染みてはいるが、内容は素晴らしく、絶頂期の関谷ひさしの単行本未収録作品が読めてうれしい。
さらに表紙に書いてないが、中程に「まつげちゃん/赤塚不二夫」が載っている。これもうれしい。
初期の初々しい赤塚不二夫の絵が実に魅力的でお話の初めと最後に作者が登場して主人公とからむところなど後年の赤塚作品を連想させる。
ふろくの最後はもう一編「スズランの歌/絵きねぶちやすお」も収録されていて、作者の名前はそういえば聞いたことがあるかも・・という程度だったが、作品はなかなかよかった。

なんとも懐かしい昭和30年代の世界へしばし浸ったからまあ掘り出し物、だったかなあ。



2010.1.11. 豆腐とおから
久しぶりに一人で豆腐を作った。

めんどうなので分量や時間は適当。型に入れて固めるのは失敗したけど、美味しかった。良かった〜。

一袋の大豆から結構な量の豆腐とおからができる。
実は豆腐よりおから料理の方が楽しみ。

美味しい豆腐は買えるけど、人力で絞るので豆乳成分がたっぷり残ったおからを使った料理は自分で作るしかない。

冷蔵庫にあった適当なものを入れる。今日はネギ、人参、椎茸、タケノコをだし汁、酒、しょう油、ごま油で炒り煮して卵で仕上げた。 分量は適当。

これは美味しい。つい食べ過ぎる・・。



2010.1.7. 飛び出す絵本
正月なので、去年の夏に衝動買いした「不思議の国のアリス」(ロバート・サブダ作)を開いてみた。
いやー何度見てもすごいなあ!

「飛び出す絵本」マニアの間では「何を今更・・」なのだろうけど、ここまで凝りに凝った「飛び出す絵本」は僕の子供時代も見たことなかったし、自分の子にも買った覚えはない。

きっかけは、毎月通ってる医院の待合室で文藝春秋を見てたらあさのあつこの連載絵本随筆で紹介されていたから。
絵本を買う趣味はないのだけどあまりにも面白そうなので帰るとすぐAmazonで注文した。
なんとなく恥ずかしいので妻への誕生日のプレゼントということにして家族で鑑賞。父親の株があがりました(たぶん)。

ロバート・サブダ作の飛び出す絵本シリーズ、調べるとたくさんある。次は恐竜のが面白そうだなあ。



2010.1.2. 獅子舞
うちの地域に「お囃子保存会」がある。
大晦日から元旦は新年を迎えるお囃子を神社で、毎年1月2日には軽トラの荷台でお囃子をやって獅子舞をして回る。

お囃子の演奏はなぜか子供中心。うちの子も参加していた。
次女は大学生なので半分引退状態。今日は近所に回ってきたところを久しぶりに見た。

僕も子供が小さい頃はワゴン車を運転して交代要員を乗せる係で数年間獅子舞につきあった。けっこう楽しかったな。
獅子舞はやはりお正月気分になる。



2010.1.1. お正月
明けましておめでとうございます。

今日はよく晴れて穏やかな元旦でした。
今年も一同無事に実家に集合して新年の挨拶ができました。
やはり正月はお節料理と雑煮ですね。

うちの雑煮はトリ・大根・人参・ほうれん草・椎茸になると。
餅はのし餅をストーブで焼いたもの。

お節は大晦日にきんとん・黒豆・煮豚・八幡巻・なます(今年はサーモンと大根のサラダ)・煮しめを作りました(妻が)。
僕は蒲鉾や伊達巻きを切りながらビールを飲む係を勤めました。

今年は若いのが一人増えました。
椿は母性本能を刺激されるのか気になって仕方ない様子。
モクは一人前に人見知りするようになって二階から出てきません。

えーと、今年もどうぞ何かとよろしくお願いします。


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