身辺雑記(しょのじゅー)2011.1.1.〜2011.12.27.


mixiに時々書いてる身辺雑記から

下へ行くほど古い記述です




トップ・ページへ
掲示板へ
update Jan. 6.2012

2011.12.27. 音楽の本
村上春樹関連の音楽の本を2冊続けて読んだ。
すごく面白かった。

まず「小澤征爾さんと、音楽について話をする」。
ロングインタビューってうたっているが、これは二人の「対話」だ。
村上春樹はクラシック音楽にも造詣が深いのは知っていたけど、これほどとは・・。
楽器を演奏しない小説家がここまで音楽の神髄に迫れる。すごいなあ。

「指揮する」ということはなにか。ということの本質についてあくまで具体的に掘り下げていき、あの小澤征爾から細かいエピソードを含む話を引き出し小澤征爾も少しずつ若い頃のことを思い出していく。いやあ、面白い。

マーラーをどう指揮するのかっていう話が実に興味深いのだけど、僕自身はクラシック音楽で詳しいと言えるのはバッハとシェーンベルグ以後の現代音楽だけなので、マーラーの音楽はほとんど聞いたことがない。それでも面白かった。

本の後半で、小澤征爾主催でスイスで開かれる若い演奏家を集めたセミナーに村上春樹が参加したルポがまた面白い。
世界中からオーディションで選ばれた演奏家だから完璧に弾けるのは前提で、楽器の技術的な話はほとんどなくどうしたら「最高の音楽になるか」を徹底して学んでいく過程をみごとに描写している。

2冊目は「バット・ビューティフル」(ジェフ・ダイヤー著村上春樹訳)。
こんどはジャズ。村上春樹が見つけて自分で翻訳したもの。

レスター、モンク、バド、ベン・ウェブスター、ミンガス、チェト・ベイカー、アート・ペッパー、エリントン、を題材にした短編小説集なのだけど、ジャズ・ファンにはお馴染みのよく知られた彼らのエピソードが実にみごとに小説化されている。参考文献も大量に載っていてほとんど事実と思われることを元にしている。

レスターの軍隊におけるひどい仕打ち、モンクやバドの精神的不安定さ、ベイカーやペッパーの麻薬禍、そしてベンのバラードにおける果てしない優しさ・・などをいかにも村上春樹好み(?)の鋭い比喩と端正な文章で再構成されている。
でも、ミンガスが演奏中に観客に怒って自分のベースを壁に叩きつけてぶっ壊した・・っていうのは聞いたことないなあ〜フィクションなのか?ジョン・エントウィッスル(ザ・フー)じゃあるまいし。

著者の長い解説もかなりのもので、僕の持論「今日のジャズは、あらゆる音楽に拡散と浸透した結果、狭い意味での<ジャズ>は消滅し、多くのものはいわゆる<伝統音楽>の再現に成り下がっている」っていうのに近いので、ある程度共感した。

いやー、村上春樹すごい。



2011.12.24. 12の歌
ビル・フリゼルのCDを聴いていたら、そういえばビートルズの曲を武満徹がギター・ソロに編曲したのがあった、と思い出した。

「武満徹ギター作品集成」を久しぶりに聴いた。ギターは鈴木大介。このレコードは良いんだ。

「ギターのための12の歌」は武満徹1977年の作品で、誰でも知っているような有名な美しいメロディーの曲を取り上げて精緻な編曲をしたもので、一曲3分以内で終わる。これがなんとも素晴らしい。

「ロンドンデリーの歌」から「インターナショナル」まで。
「早春賦」や「星の世界」など文部省唱歌や「サマータイム」「虹の彼方へ」もあり、ビートルズ・ナンバーは「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」「ミッシェル」「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」の4曲。
どれもクラシック・ギターの響きがとてつもなく美しく、原曲のメロディーがシンプルに聞こえるが奥深く複雑な武満和音に縁取られる。

一見簡単そうに聞こえるけど、演奏するのは至難。
大学の時この「12の歌」の「ミッシェル」の楽譜を持っている友人がいてちょっと借りて弾いてみた。
・・・無理。とても素人には手が出ません。

しかし武満徹のギター作品はほんとに面白いなあ。



2011.12.19. ビル・フリゼル
ビル・フリゼル(g)の2011年の新作"all we are saying.."を聴く。
なんと全16曲ジョン・レノンのカバー曲。

ビル・フリゼル1992年の作品"Have a Little Faith"に収録されているボブ・ディランの「ジャズト・ライク・ア・ウーマン」のカバーが大好きなので、あの路線かなって思って買った。

うん。まさにその通り。
「プリーズ・プリーズ・ミー」から「ギブ・ピース・ア・チャンス」まで、ジョンの代表作が並んでいる("Don't Let Me Down"がないのは残念)。

オリジナルのジョンの歌声が聞こえてくるような感じ。
原曲に忠実で派手にアレンジしたり延々即興演奏を聴かせるパートはない。
それでいて、完全に「いつものフリゼルの音楽」になりきっている。
すごい。

「ノー・ホエア・マン」「悲しみはぶっ飛ばせ」「イン・マイ・ライフ」、ビートルズ時代の曲なんか、ギターのサウンドやニュアンスがまさにビートルズなんだ。同時にちょと聴くだけでビル・フリゼルのギターだとわかる。

フリゼルは僕の2つ年上。きっと同じように10代の頃ビートルズのLPレコードをすり切れるまで聴いたんだろうなあ〜。



2011.12.16. 丸まるやつ
テレビで「借りぐらしのアリエッティ」を見ていたらこびとのアリエッティがダンゴムシを抱く場面があった。
・・・最近似たような経験をした!
アルマジロの子供を抱っこしたときに「ダンゴムシみたい」って 思った!

先日伊豆の「アニマルキングダム」って動物園に行ったんだ。
始めてだったのであまり期待してなかったのだけど、これが大当たりですごく良かった。

何がイイって、アルマジロ、ハリネズミなどを抱かせてくれる!ヒメアリクイにエサを与えながらさわり放題!
飼育員はみんな若くてよく勉強していて感じが良い。
ホワイトタイガーやシロサイ、キリン(エサやりもできる!)など大物もいる。
あそこはまた行きたいな。

ヒメアリクイの肉球にも感動したけど、ハリネズミ(ハリー君っていう名前)をさわれるとは・・。

僕のお約束のネタに、
針で身を守るほ乳類!
モグラじゃないけどハリモグラ(単孔目・カモノハシと同じ)
ネズミじゃないけどハリネズミ(食虫目・モグラと同じ)
ネズミだけどヤマアラシ(齧歯目・ネズミと同じ)
収斂進化の例である!
ってのがあるのだけど、
始めてハリネズミを抱けて感動でした。



2011.12.11. 夕焼けの富士山
夕方、中央線の窓から富士山が見えた。
空気が澄んで晴れた日に、富士山がきれいに見える季節になったなあ・・
子供の頃見たのと変わらない。

だけど昔は家の近所で普通に見えたのに今はちょっと開けたところかビルの上に登らないとだめだ。時は流れますなあ〜



2011.12.3. あっという間に
今年も12月になった〜
地球防衛隊のおとーさんみたいにびっくりだ

仕事の山をやっと一つ越えたので「人生画力対決3」西原理恵子を読む。

3巻目は村上たかしから里中満智子まで。
いやー相変わらずマンガ好きにはたまりません〜

今回感じたのは西原理恵子の本質を掴む能力。
浅野いにおって新鋭のすごく上手い人がいるんだけど、僕はなぜか解らないけどいまひとつ苦手だった。
西原理恵子は小さなコマひとつで
、 「下北あたりで私はちょっと違うのよね臭ばんばかの
実際こーゆーの現場でかちあったら
たまんねえっつのキャラ描かせたら日本一」と書いた。

そーなんだよね!嫌なリアルさなんだ。
目からうろこ、でした。
西原理恵子スゲー・・・
なんとか萩尾望都が登場しないかなー・・



2011.11.26. 猫日記
子猫の「のんのん」は事故から2ヶ月になり、奇跡的な回復力を見せています。

体重も1kgを超え、先週はなんと子猫らしくおもちゃにじゃれるようになりました。
いやー感動です。

後ろ足はかなり完璧に回復したのですが、前足がいまいちで、
立って歩こうとすると柔道の一本背負いみたいに前転してしまうのですが
それがまたかわいい〜。
かなりのスピードで這い回っています。

一生寝たきり猫になるのを覚悟していたのですが、
ホント、子猫の生命力はすごい!



2011.11.21. ホコリタケ
信州の林でホコリタケをみつけた。
なつかしいなあ〜

昔は自分の家の庭に生えていた。
叩くと胞子が噴出するのが面白い。

小学校のころ、白土三平の「サスケ」ってマンガに出てきたので覚えた。
庭で見つけたときは、投げつけて忍者ごっこをした。

後で思い出したけど、このキノコたしか手塚治虫のヒョウタンツギのモデルでもあったはず。

しかしマンガで覚えたことは忘れないなあ〜



2011.11.12. 今日のほ乳類たち
長女一家と多摩動物園へ行った。

今日の一番はインドサイだな。
滅び行く奇蹄目巨獣の悲哀がなんとも言い難い

子猫の「のんのん」はまだ自力で食事できないので、連れて行って事務所に預けた。
「ペットカート」を買った。こんなの誰が使うのか? って思っていたけど、そうかこういう場合に必要なんだ。
回復はゆっくり進んでいます。
先週からトイレに行きたそうなとき、猫トイレに連れて行くとちゃんとできるようになった。
感動です。

夜に、ちょっと早いけど僕の誕生会。
息子はビールをくれた。
おー、「ピルスナー・ウルケル」ではないか。わかってるなあ〜



2011.10.31. 先週末は
土曜日は三鷹のビッグバンドのコンサートでした。
今回はベース担当としては選曲が微妙な感がありましたが、やってみると実に楽しく血豆も出来ずに終了でき、美味しいお酒を飲めました。

日曜日は二日酔いのまま恵比寿ガーデンプレイスのホールへ。
早稲田ダンモ研の50周年コンサートと祝賀会でした。

コンサートはプロになったOB中心に4時間にもわたる大コンサート。
唯一のダンモ研以外の出演者日野皓正は、ダンモOBの佐藤達也(ts)やアマチュアプレイヤーを含むバンドで熱演。日野さん歩いてるとモダンなおじいさんって感じだけど演奏するや20代の若者に見える。すごかった・・

丸山繁雄(vo)もすごかったなあ。なんとマッコイ・タイナーのパッション・ダンスを超絶スキャット。丸山さんは僕が一年の時の3年で幹事長だった。合宿でコックリさんをやって「あなたはプロになれませーん」ってお告げが出て本気でくさっていたのが懐かしい。

そこでタモリさん登場。30年ぶりに「中州産業大学教授」ネタを披露
つかみが「ジャズばっかりで疲れません?ジャズって人の愚痴きいてるみたいだねー」ときて大受け。締めは自らブルースのみごとなスキャット・ボーカルを歌う。スゲェー・・・。

トリは鈴木良雄(b)増尾好秋(g)duo。いやーみごと。
増尾さんはタモリさんと同期なのだけど童顔なので30代としか見えない。

9月に急逝した是安則克(b)を偲ぶ清水くるみ(p)山田晃路(b)藤井信雄(ds)のトリオも実に良かったし、コンサート冒頭の「ダンモ研黎明期バンド」はみんな70代のじいさんなのに実に「ジャズ」だったなあ・。

祝賀会では卒業以来はじめて会った人も多い。みんないい歳になっているけど、ほとんどが演奏を続けている。
面白かったのはみんな同じようなオジサンなのに、ダンモ研の代が1年でも違うと、「おー、山下じゃんか!」「あっ、山下さんお久しぶりです・・」なんて言葉遣いが極端に違うこと。おもわず笑っちゃいました。



2011.10.25. うろこ雲
職場の午後、同僚が遠くから声をかけてきた。

「おーい、やましたさーん、上見て。上。」

何かなと思って見上げると。

一面のうろこ雲だった。

秋だなあ〜



2011.10.15. コウガイビル
この土日も連日仕事でくさっていたら、面白いもの見つけた。

玄関先でコウガイビルが散歩してた。
いやー、かわいい〜

「コウガイ」って昔の女の人の髪飾りらしい。
頭部が広がっているからこの名みたい。
「ヒル」といってもあの血を吸うヒルの仲間ではなくて、プラナリアなどの扁形動物の一種。

何年か前に職場で見つけて以来だ。うちにも居るんだなあ!(感激して妻に報告したら庭仕事してればいくらでも見られるわよ!って鼻で笑われた)
昔、目黒の寄生虫館でもの凄い大群が展示してあったのにはさすがに引いたけど、一匹ならいいなあ。



2011.10.14. 猫日記
子猫の「のんのん」は生後2ヶ月になりました。
点滴管は外れて体重も増え、元気です。

自力で歩いたり食事などはまだ出来ません。
家族で3〜4時間おきに流動食とミルクを与えています。
手足をよく動かして歩きたがっている様子ですが、まだ自立までには時間がかかりそうです。

毎日少しずつですが、手足や顔の反応が良くなっているのが楽しみになっています。

なんとかがんばろう。



2011.10.2. リハビリ猫、がんばる
子猫の「のんのん」はリハビリ中です。
毎日ほんの少しずつですができることが増えています。

動物病院の主治医の先生がマニアックな猫好きで、のんのんのことを可愛がってくれるのがうれしい。

まだ食事や排泄の世話をしなければいけないけど、なにせ生後2ヶ月になっていないんだ。
ヒトの赤ちゃんと同じようなものなんだ。また元気になるまで気長にリハビリだ!

のんのんの左腕のばんそうこうみたいのは、ちょっと痛々しいけど点滴用のプラスティック針の保護。
ときどき左右の腕を変えています。



2011.9.26. 子猫に起きたこと
子猫「のんのん」が家に来て1ヶ月が過ぎました。
手足が長く、活発で好奇心旺盛なキジトラの雌。
ぴょんぴょん飛び跳ねる仕草が独特です。
大猫モクと椿とも仲良くなって、すっかり家族の一員になりました。

ところが、先週のことです。

外で飲んで深夜帰宅した僕が寝る支度をして部屋のドアを閉めたとき、異様な感触。なんと子猫の頭部が蝶番側に挟まったのです。

のんのんは昏睡状態となり、僕は頭の中が真っ白になりました。
駆けつけた妻と朝方までなで続けました。
自分の子同然の子猫、その突然の事故にパニックにならずに冷静に対応する妻には脱帽です。
のんのんの呼吸はゆっくり続いています。

僕が帰宅したときに猫たちが廊下を走り回っていたのはわかっていました。
なんでもっと気をつけなかったのか・・・
なんでたまたまドアの隙間に・・
あの隙間に子猫の頭が入るのは成長途中のほんのわずかな時期だけなのに・・なんで・・
悔やまれてなりません。

動物病院に電話すると、意識がない状態なら治療のしようがないと・・。

・・脊髄損傷なら長くは持たない、とは皆思っていたはずですが誰も口には出さないで家族3人でマッサージを続けました。

三日経った昨日。
昏睡状態は変わりませんが、呼吸は穏やかに続いているし、スポイトでミルクを与えると飲みます。刺激に対する反応は消えていません。
別の動物病院へ問い合わせると、助かるかもしれないとのこと。
動物病院でレントゲン、超音波、血液・・あらゆる検査をしてもらいました。

骨折はない。脊髄、脳幹も無事。
大脳のあたりに血腫のようなものが溜まっている。それを減らすことができれば回復の可能性もないとは言えないとのこと。

もちろん完全に元通りになるとは考えにくいですが、子猫の快復力もすごいことも知っています。
三日間打ち沈んでいた家族に光明が見えました。

妻はさっそくリハビリ・マニュアルを考案し、家族で実践をはじめました。
もう一度生まれたての状態からはじめるつもりでがんばろう。



2011.9.20. つじつまが合う
つじつまが合う・・つつじまが合う・・あれっ、どっちだっけ??

先日も職場の若い者の前でつぶやいたら笑われた。

ちゃんと覚えなくちゃ。調べたら「辻褄が合う」だった。

「辻」って裁縫で縫い目が十文字に合うところで、「褄」は着物の裾。
合うべきところがきちんと合う物事の道理の意、とのこと。

よし、覚えたぞ・・たぶん。



2011.9.18. 今は昔
来月、早稲田ダンモ研の創立50周年の記念コンサートとOB会を大々的に開催するとのこと。
プロのなった先輩たち、鈴木良雄、増尾好秋、タモリ、小山彰太、丸山繁雄、寺下誠、清水くるみ、佐藤達哉をはじめ日野皓正まで来るというのは大変楽しみだ。

ただ問題が一つ。
記念誌を作るというので現役当時の資料を集めているのだが、僕が1975年頃の連絡ノート(連絡場所の喫茶店に置いてあって部員が好きなことを書くノート)を預かっているといったら、何としてもそれを持ってこい!と厳命が下った。

まいった。ずーっと探し回っているけど見つからない・・・。
捨てたはずはないのだけど、30余年前だよ・・。家の建て替えやリフォームでどこに紛れたのかさっぱりわからない。

家中ひっくり返していると、ノートは出てこないが当時の写真が見つかった。
うーん、懐かしい。今はもうない文学部裏の音楽長屋へ行くグランド前の通路。ここでみんな楽器の練習をしていた。
ベースを弾いているのは現在バリバリのプロ是安則克氏の若き日の姿。
僕はなぜかテナーで遊んでいる。
練習場内のピアノに座っているのは誰だ?と思ったらヒゲはないが髪がいっぱいで腹も出ていない頃の自分・・でもパイプは喫ってる。
今は昔。

なんということか・・
この文を書いた数週間後、是安則克氏の訃報を聞いた。

学生時代に彼の四畳半の下宿に遊びに行ったことがある。
信念を持って音楽のみに打ち込む姿に心打たれた。

最後に会ったのは6年程前になるかなあ、荻窪にグッドマンがあった頃、清水くるみさんとデュオで僕と対バンだった。
対バンでやったのは最初で最後だったなあ・・・。

ご冥福を祈ります。



2011.9.11. 猫日記
いやー、子猫の成長の速いこと!

まだ哺乳瓶からミルクを飲んでますが猫缶も食べ始めた。
トイレも自分で行くようになったし、すごいスピードで走り回りじゃれまくっています。

大猫たちもすっかり仲間と認識したようで、結構気に入って遊んでいます。
まだちょっとサイズが小さすぎるようです。
ときどき追いかけっこも始まりました。運動会までもう少しだ。



2011.9.4. ミック・カーン
朝方、ミック・カーンの夢を見て目が覚めた。

ミック・カーンって今年の初めにガンで52歳で亡くなったロック・ベーシストなのだけど、その彼と僕がスタジオでベースのデュオでレコーディングしている夢。曲は三曲ですごく楽しく演奏していた・・・

なんでこんな夢を?
15年くらい前、中古レコード店で何となく買ったカーンの「タイトルズ」ってCDが衝撃的でしばらく愛聴して他のリーダーアルバムも何枚か買った。好きなのは「polytown」だ。
でも最近は聴いてなかった。

思い当たることと言えば・・このところライブや練習でwalのベースを弾いていたことくらいか。
ミック・カーンのベースもwalで、僕のwalと製造年月日がほぼ同じなのは昔雑誌の記事で読んで知っていた。(walのベースは回路部分の裏蓋に完成した日付と責任者名が書いてある)

いい機会なので久しぶりに「タイトルズ」を聴いた。やっぱりいいなあ・・。



2011.9.3. 猫日記
子猫の成長は速い〜
もう走り回っています。猫トイレも覚えたし。
モクも気が向くと遊んでやってます。
好奇心旺盛で家中探検しまくり。



2011.8.26. 猫日記
子猫はメキメキ大きくなっています。
名前は、のんちゃんに定着。

モクは嫌がりはしないけど無視を通していますが、椿はときどき一緒に遊ぶようになりました。
早く三匹で運動会を始めないかな〜。



2011.8.24. 無為に過ごす
最近よく脳裏をかすめるキーワード、

「無為に過ごす」

まんがファンならご存知の通り、水木しげるの仕事場にベタベタ貼ってあるという標語。(「ゲゲゲの女房」ですっかり有名になったみたいだけど)

もちろんこれは水木しげるが仕事中毒で放っておけば24時間仕事してしまうっていうところから来ている。
水木伝説では他にも「寝ないと死ぬぞ」っていうのもある。

僕の場合は「無為に過ごす」のがデフォルトだというのが問題だ。

仕事やプライベートで、これはやっとかなきゃ社会的・人間的にマズイだろう・・とか、面倒だけどこれを今やらないと後でもっと面倒なことになるっていうのをちょこちょこって片付けて、あとは「無為に過ご」してきたような気がする。

「無為に過ご」さなければ、もっと本を読めたのにもっと勉強したのにもっと練習したのにもっと物事を考えたのにもっとまともな人間に・・・なんて思わなくもないけれど、

まあいいか・・・。



2011.8.24. 猫日記
子猫は哺乳瓶に慣れたようで、今日あたりからミルクをよく飲むようになった。
この前のモクのときはどっしり構えてあまり動き回らなかったけど、今回は実によく動き回る。個性がはっきりしているなあ。

他の猫はまだ慣れないようだけど、特に嫌がることもなく静観中。
子猫の名前がまた問題だ・・・今のところ「のん」が有力候補。



2011.8.17. 高校生
今日は数年ぶりにクラス会。高校2、3年を一緒に過ごした仲間と当時の担任の先生に会った。

一瞬で10代の頃に戻るなあ。

男子はハゲて女子は皺が増えたけど驚くほど昔のままだ。

当時30歳そこそこだった担任もいまではほとんど同年齢みたい・・。
元女子高生とチークダンスをしてご満悦でした。

クラスメートのうち2人ガンで亡くなったし、今回集まった中でも三人がガンからの生還者。
なんとかもう少し元気でいたいものだ〜。

卒業以来はじめて合唱祭の録音を聞いた。そんなテープがあったんだ。
3年の時の合唱にギターとエレベが加わっている。
すっかり忘れていたけど、ああこのベースラインは僕だ・・。
懐かしい。

二次会のカラオケでは当時の歌のオンパレード。
僕もうっかり「風に吹かれて」「友よ」なんて歌ってしまった。



2011.8.15. 子猫がきた!!
近所の人から、子猫が捨てられているので飼えないか?って言われた。
これは大問題だ。
実物を見てしまったら飼わずにはいられなくなるのはわかっている。
家族会議の結果、雌一匹なら・・・いいか。

妻と通報のあった家に駆けつけると、どうやらその家の駐車場の段ボールに野良猫が生まれたばかりの子猫を運んできたらしい。四匹もいる。みんな蚤もいなくきれいで元気だ。柄はうちのモクとおなじ虎縞。

しばらく子猫を見ていると道の向こうにいつのまにか親猫らしき猫がじっとこちらを見ている。
親猫にあいさつして雌を一匹預かった。

推定生後一日。久しぶりにほ乳瓶と猫用粉ミルクを買ってきて、もう何匹も赤ちゃん猫を育てた妻が親猫変わりに世話をはじめた。
この一週間が山だ。うまく育ってくれればいいが。

しかし赤ちゃん猫はかわいいなあ。すごく元気できかん坊。



2011.8.14. マイルス
ジャズ講座最終回は、60年代のマイルス・デイヴィス。

この時代のマイルスを二時間半で紹介するのは至難の業だ。すべて好きだし傑作揃いでしかも一曲が長い。

やはり最初は1959年の「カインド・オブ・ブルー」から「ソー・ホワット」しかないでしょう?
コルトレーン、キャノンボールという重量級フロントにピアノはエバンス。しかし何度聴いても格好良く格調高い。

二曲目はギル・エバンスとのセッションから「スケッチ・オブ・スペイン」の最後を飾る「ソレア」にした。「アランフェス」はもちろん良いのだけど、LPのB面のギル作の3曲がまたすごいんだ。「ソレア」はマイルスのトランペッターとしての底知れない実力を確認することができる。

三曲目は「イン・パーソン」から「バイバイ・ブラックバード」。このレコードは「普通のジャズ」としてのマイルスを堪能できるアルバムだと思う。
このライブではウイントン・ケリーが絶好調で、特にこの曲ではケリーのイントロの格好良いこと。聴くたびにゾクゾクする。テナーはハンク・モブレーで、良い味出しているのだけど、マイルス・コンボとしてはコルトレーンやショーターと比べてしまうのでちょっと気の毒かな。
現代のコンボ・ジャズは、極論ですがまさにこのマイルスが60年代初頭にやっていたことを忠実になぞる「伝統芸能」であると思う。

次はメンバー一新したクインテットを紹介する。「いつか王子様が」や「セブン・ステップス・トゥ・ヘブン」は泣く泣く飛ばす。
1964年の「フォア・アンド・モア」と「マイ・ファニー・バレンタイン」から「ソー・ホワット」と「ステラ・バイ・スターライト」を聴く。
ジョージ・コールマンのテナーにハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウイリアムスという最強のリズムセクションだ。

「フォア・アンド・モア」は「バグズ・グルーブ」「ビッチェズ・ブリュー」とともに、高校生のときジャズを聴き始めた最初に買って一気にジャズオタクになるきっかけになったレコードだ。「バグズ〜」では即興メロディーのおもしろさを、「フォア・アンド・モア」はジャズの格好良さを、「ビッチェズ〜」では全く聴いたことのない不思議な音楽の魅力、をマイルスから教わった。

紹介した「ソー・ホワット」と「ステラ〜」。すごい演奏だよなあ・・。「フォア・アンド・モア」は本当は「ソー・ホワット」と次の「ウォーキン」を続けて聴きたいところだった。中山康樹は「死人の1人や2人出てもおかしくない迫力」と書いているが全く同感。
 「ステラ〜」のバラードがまたすごい〜。メンバー間の即興的な音楽的交流のみごとなこと。大学でジャズを演奏するようになった頃このマイルス・コンボを聴くとプロ・ミュージシャンになろうとはとうてい思えなかった。だってこんな演奏はどんなに練習したって無理だもの。

さていよいよ1965年の「黄金のクインテット」を紹介する。テナーにウエイン・ショーターが参加してからのスタジオ録音から「E.S.P.」、「プリンス・オブ・ダークネス」、「ネフェルティティ」の三曲を聴いてもらった。
どれもショーターの作品で印象深いメロディーの曲。「ネフェルティティ」のホーンがテーマ・メロディーをひたすら反復する中、リズムセクション特にトニーが自由に即興するって言う発想がすごいしアルバムの冒頭に置くっていうのも大したものだと思う。

ここまででもう後残り時間も少しになった。実はここからが60年代マイルスの肝なんだけどなあ・・。「キリマンジャロの娘」「マイルス・イン・ザ・スカイ」や「ロスト・クインテット」のライブなどは残念ながら割愛して「イン・ア・サイレント・ウエイ」に行く。
うーん、泣く泣く途中まで。このマイルスのソロが良いのだけど仕方ない。
しかしこの「イン・ア・サイレント・ウエイ」は決して「ビッチェズ・ブリュー」の試作品ではなく、独立し完成したマイルスの試みの1つだと思う。

次の「ビッチェズ・ブリュー」はどの曲も好きなのだけど「ファラオズ・ダンス」を紹介した。マイルス、ショーター(ss)、モウピン(bcl)の3人のホーンに10人の「リズムセクション」が絡んで何とも不思議な世界をつくる。ああいいなあ〜。冒頭のマイルスのソロの途中まで聴いてもらう。

駆け足で申し訳ないけど、「アット・フィルモア」まではぜひ紹介したかった。1970年の「アット・フィルモア」、スティーブ・グロスマン(ss)のソロはほとんど編集でカットされているので、ほぼマイルスのワンホ−ンで激しいソロが素晴らしい。キーボードはチック・コリアとキース・ジャレットがゆがんだ音でのたうち回るし、デイブ・ホランドはマイルスに説得されたのかついにエレベを弾くし(持ち替えてウッドになるとこも格好良い)、アイアート・モレイラのパーカッションがまたすごいんだ。ドラムはジャック・デジョネットでトニーと対照的な重量級で叩きまくる。
ほんのサワリのみで時間が来てしまった。

マイルスの1960年代、一気に変貌していくバンドのスタイルが本当に面白い。あらためて確認できて楽しかった。
 さて来年のテーマは何にしようかな・・・。



2011.8.6. シェップ、ブレイ、コルトレーン
ジャズ講座三回目。
1960年代の演奏家から僕の好みで選択している今年の講座。
今回はアーチー・シェップ、ポール・ブレイ、ジョン・コルトレーン。

1960年代の「熱いジャズ」を紹介したかった。シェップとコルトレーンはその代表格だ。初めはここにアルバート・アイラーを含めるつもりだったけど、あまりに暑苦しい感じなのでアイラーとブレイを入れ替えた。

まずはシェップの「ワン・フォア・ザ・トレーン」。
ドイツのドナウエッシンゲン音楽祭のライブで3ヶ月前に亡くなったコルトレーンへ捧げた演奏だ。50分くらいあるので後半部から聴く。
 曲の冒頭のジミー・ギャリソンの10分にもわたるベース・ソロが格好良くて、僕は昔よく真似したのだけど今回はカット。後半のシェップの無伴奏ソロの部分から。
キャッチーなラテン風リフからトロンボーン2本とフリー合戦になり、ノー・リズムになって「いそしぎ」のテーマが始まる。

ホーキンスやウエブスターのようなテナーサックス、ラテン、ポップスの要素などをうまくフリー・ジャズにぶち込んだ「熱い」演奏だ。
 でも今回、準備のために何度も聴いているとなんか「上手くつくったなー」っていう感じがしてきた。アイラーやコルトレーンの、ひたすら自己の奥から湧き出る何かをひたすら発露する演奏に比べると、作為的な感じを受けて昔ほど感動できなくなったのは確かではある。

ここでポール・ブレイに登場願った。
僕の一番好きなピアニスト。カナダ出身で初めはビ・バップ・ピアノだった。なにせカナダでオスカー・ピーターソンの後釜で老舗ジャズクラブの専属ピアニストになったくらいだ。
 このことに関して、日本のジャズ評論家がオスカー・ピーターソンにブレイのことを訊いたら、ピーターソンは急に不機嫌になって以後一切ブレイについては話さなかったっていうエピソードが好きなのだけど・・わかりにくかったかな。

トリオで3曲紹介した。カーラ・ブレイ、オーネット・コールマン、アーネット・ピーコックの作品。
ブレイは1950年代末にオーネットと出会い、カーラと出会い、自己のスタイルを確立した。60年代に演奏したこの三人の曲を現在まで50年以上繰り返し演奏し録音し続けているっていうのもめずらしい。
 ブレイの話ではやはり女性関係が興味深い。カーラと別れてからベースのゲーリー・ピーコックの奥さんだったアーネットと結婚し、また別れるのだけど、この元奥さん2人の曲をずーっと演奏し続けている。さらにトリオ演奏の一曲目で紹介した曲でベースを弾いているスティーブ・スワロウは現在カーラ・ブレイの公私にわたるパートナーとなっている。

次にカーラの作品「猫の目」と「アイダ・ルピノ」。
前者はペデルセンのベースとデュオ、後者はソロで、ポール・ブレイの凄さが実によくわかる。ああ・いいなあ〜

さて、最後はジョン・コルトレーンのコーナーである。

選曲は迷ったけど、1959年の「ジャイアント・ステップス」からはじめて、1960年の「夜は千の目をもつ」、1963年「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」、1965年の「トラディション」「ディァ・ロード」、1967年の「サン・スター」「ステラー・レリジョン」という構成にした。

つまり、コード分解によるアドリブの極限→モードによる自由化→ひたすら熱いバラード→コルトレーン・モードの完成とフリーへの踏み出し→強烈なフリー・ジャズからコルトレーン式スピリチュアル・ミュージックへ、という流れで紹介したのだけどどうだったかなあ・・・。
「トラディション」は、講座で60年代やコルトレーンに触れるときは必ず紹介してきたので今回は別の曲にしようと思っていたのだけど、選曲していたらやはり自分が一番好きで聴くたびに鳥肌が立つこれを紹介しないんじゃ僕が講師をやる意味ないなあ・・と思って結局聴いてもらった。

講座の感想を読むと、ブレイとコルトレーンは評判よかったようで一安心。
来週は最後だ。60年代のマイルス、をやる。さあどの曲を紹介しようかな。



2011.7.30. オーネット、ドルフィー、アイラー
ジャズ講座二回目は「ジャズの革命」。
1960年代のジャズがテーマとなればフリー・ジャズのことに触れないわけにはいかない。
オーネット・コールマン、エリック・ドルフィー、アルバート・アイラーの三人に絞って紹介することにした。

まず、オーネットの「ロンリー・ウーマン」1959。
印象的なテーマメロディーが何回も繰り返され、オーネットの摩訶不思議なソロがでてくる。
ドラムは一定のリズムを刻み続けるし、テーマメロディーは魅力的。ベースは低音を支えながらの高音部で効果音的なパッセージがおもしろい。
つまり、フリー・ジャズって言ってもアドリブソロの部分の自由度が増したということで従来のジャズのやり方とそんなに断絶はないのだって説明した。

オーネットはまず作曲家としてMJQのジョン・ルイスに認められた。ルイスはよっぽど気に入ったんだろうなあ、MJQでも「ロンリー・ウーマン」演奏してるくらいだし。

二曲目に「フリー・ジャズ」1960、を聴いてもらった。
これはオーネット(as)、ドルフィー(bcl)、ドン・チェリー、フレディ・ハバード(tp)、チャーリー・ヘイデン、スコット・ラファロ(b)、エド・ブラックウェル、ビリー・ヒギンズ(ds)というダブル・クインテットによる演奏。

フリーなアンサンブルから始まり、ドルフィーのバスクラのソロ、ハバードのソロ、オーネットのソロがアンサンブルをはさんで続く。ソロのバックにも管楽器は自由に合いの手を入れ、ドラムは一定のリズムをキープするけどラファロのベースは倍テンポで刻む、といういきなり聴くと混沌として訳が分からないのではないか・・という心配があったので、じっくり解説してから紹介した。感想に初めはこりゃ何だ?と思ったけどだんだん演奏に入り込めた、って書いてくれた人がいて一安心。

三曲目は「ゴールデン・サークル」から冒頭の一曲。
これはアルト、ベース、ドラム、のトリオだから聴きやすいと思う。

次はドルフィー。「アウト・ゼアー」からタイトル曲を紹介。
ピアノレスでロン・カーターが弓弾きでチェロをやっている。ドルフィーのアルトはチャーリー・パーカーの進化形であることがよく分かる演奏である、って説明したのだけどどんなもんか・・。

講座では言わなかったけど、僕は学生時代にパーカーとドルフィーを聴いていて、フィル・ウッズ(のヨーロピアン・リズムマシーンとのレコード)を聴いたときに、「そうか、パーカーとドルフィーのあいだにこのウッズを入れるとパーカー→ドルフィーがよく理解できる!!って思ったなあ。

ドルフィー二枚目は「イン・ヨーロッパ」からゴッド・ブレス・ザ・チャイルドを紹介した。これはバスクラの無伴奏ソロ。意外と好評だった。
しかし、バスクラをここまでソロ楽器として使った人は他にいないよなあ・・・驚きではある。

ドルフィーは若くして亡くなったけど、録音はかなり残されている。多くのスタジオセッションやビッグ・バンドでの吹き込みがある。オーネットやアイラーがビッグ・バンドのサックスセクションに座るなんて想像できないが、ドルフィーはそこが違う。なんて話をした。

ドルフィー晩年の「アウト・トゥ・ランチ」「ラスト・デイト」を紹介する。「アウト・トゥ・ランチ」のトニー・ウイリアムスの鋭さが凄いって紹介したらみんなわかってくれてうれしかった。

「ラスト・デイト」では「あなたは恋を知らない」のフルートの凄さったらない。今回一番受けた・・予想通りではありますけど。

さて、最後はアルバート・アイラー。紹介しようかどうしようか迷ったのだけど、1960年代のジャズで僕が一番好きなプレイヤーの一人なのでカットするわけにはいかない。
いきなり演奏に行ったら拒否反応を起こす人がいるのではないか?ってコワかったので、ニューオリンズジャズの伝統からじっくり解説。ここに至って即興演奏はメロディーというか音程の正確な変化や一定のテンポを逸脱した表現になり、この演奏は20世紀に発表されたすべての音楽の中でも永遠に残されるべき大名演であり、決して「怒っている」「ぶち壊せ」って叫んでるのではないから、温かい音色の変化に注目して下さいなどとじっくりお話ししてから「スピリチュアル・ユニティ」の「ゴースト2ndvar.」を聴いた。

よく聴いてくれてよかった。時間が来たので終了しようとしたら、せっかくだから資料にある「ラストレコーディング」の曲も聴きたい、といってくれた人がいて時間をオーバーして紹介。誰も帰らなかったので気に入ってくれたのかな。

1970年のフランスでのライブ。アイラーがニューヨークの川で謎の死を遂げる少し前の録音だ。ここから一曲なら僕は「トゥルース・イズ・マーティング・イン」だ。これは素晴らしい。バラードで始まり(感想に「上を向いて歩こう」に似ているけどこれが元なの?って訊かれて絶句した・・)、チンドンヤ風アンサンブルから、超絶的フリークトーンの即興になり不意に終わる、何度聴いても実に感動的な演奏だ。

講座では昔「スイングジャーナル」に載ったこのライブを見た児山紀芳氏の「・・アイラーのサックスの先端から無数の金色の糸が空中に広がっていくような錯覚が起こり、私の心臓は破裂した」というレポートを紹介した。

実は僕はこの演奏から連想するのがあって、フルトベングラーがバイロイト祝祭管弦楽団と1951年に演奏したライブのベートーベンの第九交響曲。
この第九の終楽章のコーダはとてつもなく速いテンポで最後はかき消すように不意に終わるのだけど、アイラーの「トゥルース・イズ・マーティング・イン」を聴くとこっちも聴きたくなる。



2011.7.29. 小松左京も・・・
とうとう小松左京も亡くなってしまった。

中高校生時代、僕の人格形成に一番影響を与えた作家だ。

「日本アパッチ族」「果てしなき流れの果てに」「神への長い道」・・ どれも強く印象に残っている。
小説はもちろんエッセイも実に面白かったなあ。

星新一、野田昌宏、につづいて日本SF界の重鎮がいなくなっていく。
さびしい。

ご冥福を祈ります。



2011.7.22. クラゲ
ようやく仕事が一段落。やれやれ。
今日は休みを取って新江ノ島水族館へ行った。

旧水族館はよく行ったのだけど、新しくなってからははじめてだ。
ゾウアザラシがいなくなったて残念だけど水族館はやっぱりいいなあ。

イルカのショーはプールが狭いのが難点だけど楽しい。
魚類では大水槽ができてなかなかすごい。
でもなんと言っても江ノ島水族館といえば昔から<クラゲ>だ。

いろんなクラゲがいっぱいいる。
生まれたばっかりのエフィラが実にかわいい。
昔あったストロビラの展示がなかったのが残念。
・・ミズクラゲの一生は、成体→受精卵→ポリプ→ストロビラ→エフィラ→成体、となるんです。

江ノ島に渡ってサザエの壺焼きを食べようと思っていたのだけど、 疲れたのでやめました・・。うーん歳取ったなあ〜



2011.7.19. エバンス、ゲッツ、コニッツ
今年のジャズ講座は1960年代の巨匠たちってことで、一回目は三人の白人プレイヤー、ビル・エバンス、スタン・ゲッツ、リー・コニッツを紹介した。

まず、ビル・エバンス。初期のトリオも素晴らしいのだけど、やはりスコット・ラファロの参加している4枚のレコードから始める。
"Portrait in Jazz"の「枯葉」。やっぱりすごいなあ。
1年ぶりの講座なので出足はいつもあせってしまう。「枯葉」もモノラル・テイクの方をかけてしまった。まあどちらも甲乙つけがたい演奏だからいいのだけど、僕はステレオ・テイクのベース・ソロの後のエバンスのフレーズがたまらなく好きなのでそっちにしたかった・・。

二曲目は"Sunday at the Village Vanguard"から「不思議の国のアリス」。
この2枚あるライブ盤、「ワルツ・フォア・デビー」の方が有名だけど、僕は昔から「サンデイ・アット〜」が好み。ラファロの死の11日前の演奏。なんと惜しい人を亡くしたことか。

次は、"Under Current"から「マイ・ファニー・バレンタイン」と「スケーティング・イン・セントラルパーク」を聴く。ジム・ホールとのデュオ。なんて格好良いんだろう。学生時代はこれに入れ込んで「マイ・ファニー〜」は速いテンポでしか演奏しなかった・・若気の至り。

そして"Trio 64"から「リトル・ルル」と「サンタが街にやってくる」。このレコードも大好きだった。唯一のエバンスとゲーリー・ピーコックの共演。ピーコックのベースの鋭いことと言ったら・・。
エバンスのヘンなユーモア感覚の話をして、珍品「エバンス弾き語りのサンタが街にやってくる」を紹介する。結構うけた。上機嫌でマット・デニスばりに歌うエバンスも格好良いなあ。

続いて、"At Town Hall"と"At Montreux Jazz Festival"の2枚のライブ盤を紹介。モントルーのエディー・ゴメスのベース。はじめて聴いたときはびっくりしたなあ・・でもピーコックの方がもっと凄いんだよなあ・・。

エバンス最後は"What's New"のジェレミー・スタイグとの共演を聴く。このフルートにも驚いた思い出がある。結構熱い演奏だ。

ここでスタン・ゲッツ編となるのだが、僕は学生時代はゲッツはあまり興味なくてもっているリーダーLPは「キャプテン・マーベル」1枚だけだ。
わりと最近になってゲッツの良さが解ってきた気がする。
"Stan Getz & Bill Evans"から「グランドファザーズ・ワルツ」。
これがいいんだなあ〜。このところ耳について離れない。
エバンスとゲッツの共演はほとんどない。このレコードも1964年に録音されたときは発売されず、10年後になぜか発表された。1974年にも二人は共演していて"But Beautiful"ってレコードがあるのだけど、これがまた素晴らしく、最近の愛聴盤になっている。1964年のセッションでやっている「グランドファザーズ〜」など同じ曲を何曲か演奏している。ゲッツの音色とメロディーの美しさに涙腺がゆるむ気がするほどだ。

ゲッツはやはり40年代50年代の演奏が最高ではあるので"West Coast Jazz"と"Stan Getz Plays"から一曲ずつ紹介した。

60年代のゲッツといえばボサ・ノヴァの話は抜かせないので、"Getz/Gilberto"から二曲。いやー、これ最近やっと聴いたのだけど実にいいなあ・・。

で、僕が昔から大好きなリー・コニッツを紹介する時間がほとんどなくなってしまった。60年代のコニッツといえば"Motion"1961なのだけど、学生時代からこのレコードは「コニッツの代表作というほど素晴らしいか?」という疑問があった。もちろん良い演奏に決まっているのだけど、40年代50年代のもの凄い演奏に比べたら・・・。
というわけで、"Motion"はカットして僕の一番好きなコニッツ"The Real Lee Konitz"から一曲"Straightaway"を紹介した。ああ・いいなあ〜。

最後は"The Lee Konitz Duets"というマニアックなレコード。これは当時の最先端のプレイヤー達を集めてコニッツとデュオをやる、という企画でかなり前衛的な表現やいろんな楽器(コニッツは電気サックスまで吹く)をつかっているのだけど、コニッツの「昔の巨匠たちへのオマージュ」が楽しいんだ。
コニッツは昔からレスター・ヤングやチャーリー・パーカーのアドリブを再現することをやていたけど、このレコードの一曲目はなんとトロンボーンとデュオで1925年のルイ・アームストロングの「バーベキュー料理で踊ろう」をやっている。これと、もう一曲1938年のベイシー楽団の「ティックル・トウ」のレスターのソロを再現しているのを紹介した。
どちらもオリジナルを知っていれば、モダンなデュオによる即興から「あのソロ」の旋律が立ち上がってくるとき感激の涙が溢れるのを止めることは不可能である・・・。

講座のオマケはちょっと生演奏。参加してくれた方々が楽しんでくれたようで、よかったなあ。

講座内容の反省をしているとき、ジャズの初心者が「ジャズって難しい・・」っていうのをどう説明すればいいだろうかという話になって、「リズム・セクションの概念」がキーワードになるのではないか、という指摘がなされた。エバンスとホールのデュオとか最後のコニッツのデュオなんか、「リズム・セクション」がいないけれど「リズムの概念」はあるから面白いのだけど、そこが解らないと「ただ二人で勝手に演奏してるの?」ってことになる。うん、おもしろい。その辺をもう少し考えよう。



2011.7.11. ゴーヤ
真夏になった〜・・暑い・・
暑いのは苦手だ・・。
自転車通勤であっという間に日焼けした。

今年はグリーンカーテンってことでゴーヤを栽培した。
この暑さでみるみる成長して昨日見たらもう実がなっていた。

もう一つ二つ実ったらゴーヤチャンプルーにしよう。



2011.7.8. ジャンプ問題
我が家では現在、「少年ジャンプ」をどう入手するか。
という問題が発生している。

妻は「NARUTO」の大ファン(テレビアニメは必ず見る。映画も一人でさっさと見に行く)なので、かつては職場の友達の息子が読み終わったジャンプをもらってきていた。

その友人の息子が遠方に就職したのでジャンプ供給が絶たれた。
しばらくして、うまいことにうちの末娘に彼氏が出来て、その彼が読み終わったジャンプをデートのたびに娘が持ち帰るようになってしばらくは安定したジャンプ供給が保たれていた。

なのに、つい2ヶ月ほど前である。娘が就職して彼氏と別れてしまったのである。ジャンプ供給が再び絶たれた。
娘は就職先で新しい彼氏を見つけてうきうきしているが、ジャンプを読まない彼氏らしく僕と妻は困ってしまった。

ジャンプぐらい自分で買えばいいじゃない!ってお思いでしょうが、そこにも問題がある。

妻は昔から雑誌の定期購入は絶対しない主義だけど、僕はマンガ雑誌マニアと言っても過言でない。現在買っているのは「スピリッツ」と「ビッグ」だけだから買えないことはない。

しかし、僕は自分でお金を出したマンガ雑誌は「隅々まで全部読む」主義なのである。嫌いなマンガも気に入らないマンガもとにかく全部読まないと気が済まない。
例えば「スピリッツ」の「竹光侍」。松本大洋は「鉄コン筋クリート」「ピンポン」などは好きだったのだが「竹光侍」は合わなかった。でも読み通したぞ。

小学校低学年の頃、貸本屋に通ってマンガ雑誌をむさぼり読んでいた頃、貸本屋のおばあさんに「読むの速いねえ〜好きなんだね」って言われたことがあった。そのとき貸本屋の娘さんに「今の子は好きなマンガだけさっと読むだけなんだよね!」って言われてすごくショックだったことを覚えている。
自分で借りた雑誌は柱ネタから編集後記まで読んだ上で好きなマンガは2度3度繰り返して読んだし皆がそうしていると思っていたのだ。

と言うわけで、ジャンプを買うのは簡単だが、今まで読んでいなかったジャンプの王道作品をいまから読むのは抵抗がある。
僕が読みたいのは「いぬまるだし!」「こち亀」「スケット団」「めだかボックス」「銀魂」「バクマン」・・くらいなのである。

さあどうしよう・・・ジャンプ供給問題は深刻である。



2011.7.3. 昔見た映画
中学生の頃、友達と怪獣映画を見に行くのが楽しみだった。
「怪獣大戦争」1965。ゴジラ・ラドン・キングギドラの共演で面白かったなあ〜。
「フランケンシュタイン対地底怪獣」1965。第二次世界大戦末期に秘密兵器として作られた人造人間が主役でリアルで印象的だった。今思えば満州731部隊のような戦時中の陰惨な事実を連想させる。

で、それらの併映作品が加山雄三の「若大将シリーズ」だった。
先日数十年ぶりに見たくなってDVDを買った。

「怪獣大戦争」の併映が「エレキの若大将」。懐かしいなあ〜
当時は「エレキ・ブーム」。
僕の中学1年の頃、一部の生徒の中でビートルズとベンチャーズがヒーローだった。でも大多数の生徒は白い目で見るし、教師はエレキは不良の音楽って決めつけていた。
教師をうまく言いこめたのか、上級生が教室でベンチャーズバンドをやっていたことがあって、なんて格好良いんだ!(実際上手だった)、なんてデカイ音なんだ!(自分はクラシックギターしか触ったことがなかった)と思った。

映画では寺内タケシ(なんと出前持ちの役)と若大将がエレキバンドを作るのだけど、そのときリズムギターは2.3人欲しいなってセリフを覚えていた。当時も「そんなにいらないだろ〜」と思ったんだ。(初期のエレキバンドはムダにサイドギターが多かった)。

「フランケンシュタイン対地底怪獣」の併映は「アルプスの若大将」だと思い込んでいた。一昨日DVDを見て、アレっ?全然覚えてない・・と思って調べたら併映は「海の若大将」だった。妻に一緒に見ない?って誘ったら「加山雄三は好きじゃないからいい!」だって。知らなかったなあ。
この映画、僕が加山雄三の曲で一番好きな「夕日赤く」が歌われるのだけど、今回見てたらこの曲ビートルズの「アンド・アイ・ラブ・ハー」そっくりだと初めて気がついた(パクリとは言わないが明らかに影響受けてる)。

とにかく「若大将シリーズ」は面白いと思うんだけどなあ。
ストーリーはどれも同じ(笑)
スポーツ万能で性格良くて歌が上手い、すき焼き屋老舗のボンボンでお祖母ちゃん子の大学生若大将と、金持ちで性格悪いが憎めない青大将(田中邦衛)が、ヒロイン(星百里子)を好きになり、スポーツの大会があり歌があり・・なんだかんだでハッピーエンド。

今見ると、ヒロインが本命(若大将)を追っかけるために、寄ってくる男(青大将)を利用するだけして冷たく突き放すところがカリカチュアライズされているとはいえ、なんかリアル。女性って・・・と思ったりしたりなんかして・・

今日テレビのCMで加山雄三が74歳です〜って言っているのを見た。
うーん、あの映画はもう半世紀も前なのか−!
信じられません・・

そのうち「海の若大将」も手に入れよう〜



2011.7.1. 本日のライブ
PMSジャズオーケストラat大崎。無事終了!

スナックパブ?のような場所にビッグバンドが乗り込んでのライブ。
平日の夜、しかも昼間の暑くてくたくたになった仕事帰り。
いやー疲れたけどかなり楽しいライブでした。

ビッグバンドなのにコンボのりで曲はその場で決めるし、べしシーものから ボーカルあり歌謡曲ありサンバにポップスにソロ回しのコンボあり・・。
PMSジャズの真骨頂でしたね。

私ははじめてMCまでやらされました〜
まあ適当なことをしゃべり続ける仕事を長年やってるのでやれと言われればやりますけどね〜

ステージの暑いこと。汗で譜面は見えないし
熱中症になるかと思いました

たまにはこういうのはいいなあ・・
。 打ち上げでちょっと飲めたけど、帰宅しても飲まずにはいられない気分でした。



2011.9.19. 初夏の気配
梅雨空が続いて鬱陶しいが、
庭の枇杷の実が大きくなって
山椒の葉にはアゲハの幼虫が育っている。

うーん、もうすぐ夏なんだな・・・



2011.6.1. 日々の泡沫
毎日通勤で杉並の古い住宅地を自転車で通っているのだけど、
最近、古い家が壊されて更地になるところが目立つ。

今週から解体が始まった大きなお屋敷は、杉の大木がたくさんあった。
解体途中の家を見ると家の中を杉の木が貫通していた。杉の木を囲むように建て増ししていったみたいだ。大切にしていたのだなあ・・。

今日は少し離れた場所の古い平屋の解体も始まっていた。
1年ほど前まで、夏の夕刻になるといつもおばあさんが家の前に腰掛けて下校途中の小中学生に声をかけていた家だ。
僕もパイプをくわえて自転車に乗っていたら「あら〜」って言われてそれから会うと会釈するようになったっけ。
あの杉の木の家もおばあさんの家も、代替わりして更地になってしまうんだな・・。

税金だとか跡継ぎだとかいろいろあって古い家は更地になり、土地は分割されて小さな家がぼこぼこ建っていくのだろう。
しかたないけど、残念ではあるなあ。



2011.5.7. マンガ漫画まんが・・・
文藝別冊「総特集 吾妻ひでお」を読む。
僕はマンガ家吾妻ひでおが大好きだ。
巻末の作品リストを見ていたらほとんどすべて持っていることが判明。
1970年代からリアルタイムで読んできた。

初めて吾妻作品を意識した時と場所もはっきり覚えている。
1971年三鷹むらさき橋近くにあった喫茶店アイリス。高校生の時だ。
同級生のスバル360でよく学校帰りに気の合う友人たちと寄った場所(なんと当時の都立校はバイクや自動車通学もOKだった)。
そこにあった「週刊少年チャンピオン」にデビュー間もない吾妻ひでおの「エイト・ビート」が連載されていた。
手塚治虫、石森章太郎直系の丸っこい絵柄で、女の子はかわいいし石森の「テレビ小僧」のようなスピード感あるギャグセンスの漫画。一気にファンになった。

「少年チャンピオン」はその後空前の全盛期を迎え、「ブラックジャック」「ドカベン」「750ライダー」「ガキデカ」「マカロニほうれん荘」などで少年誌のトップになる(そう長くは続かなかったけど)。 その中で吾妻ひでおは「ふたりと5人」を書いていた。

少年誌の編集部の規制が嫌だったという吾妻ひでおは、活躍の中心をマイナーな男性誌に移してどんどんマニアックな作品を発表するようになった。
「プレイコミック」はメジャーとマイナーの中間のような位置にあった男性漫画誌だった。僕は宮谷一彦が載るので買っていたけど、そこでの吾妻ひでおの「やけくそ天使」はすごかった。
マニアックなSFネタが炸裂。僕の好み直撃でした。

「総特集 吾妻ひでお」は本人をはじめいろいろな人のインタビューやトリビュートマンガがのっているけど、印象的なのは「とり みき」。この人も僕は大好きで、デビュー当時は吾妻ひでおそっくりのマンガを描いていてしだいにユニークなそれこそマニアックなワンアンド・オンリーなマンガ家になっていったと思うのだが、トリビュートマンガで「僕はマンガ家になりたいのではなくて吾妻ひでおになりたかった」と描いているのに感動した。

吾妻ひでおは僕の三つ年上、とり みきは僕の五つ下の年齢だ。二人ともマンガとSFに夢中になって上京し、SFファンの集まり(ファンダム)でやっと安住の地を見つけたと書いている。
僕も単にマンガ好きの友人はいたけれど、吾妻ひでおやとり みきのようなディープなSFネタマンガを語り合える友人はいなかったしSFファンダムに接触しようという気は全くなかった。一人自室でマニアックなSFとマンガと音楽に浸っていた青春?かなり変人だったかも。
もし高校生の頃に僕がSFファンダムに入っていたら人生変わっていたかもとも思うなあ。別にあの頃に戻りたいとは思わないけど。

そういえば、高校生の頃夢中になっていたマンガ家の一人が「宮谷一彦」なんだけど、彼の初めての単行本「性蝕期」が発売される日、つきあっていた女の子(今の女房ですが)とたまたま待ち合わせていて、「今日は出るんだよ−!!!性蝕期!セイショクキがー!!」と叫びながらデートそっちのけで本屋につきあわせたのを思い出した・・よくガマンしてくれたよなあ。

吾妻ひでおの作品にも宮谷一彦のマンガが引用されることがあって、ああ、わかってるなーと安心する。
「総特集 吾妻ひでお」に本人と吉田秋生の対談が載っていて、吾妻ひでおのイラストは説明なしに手塚治虫作品の一シーンのパロディだった。
そ、そのシーンは・・僕が手塚治虫作品で一番好きな「フィルムは生きている」ではないですか。しかも団松磨監督が瀕死の状態で演出にだめ出しする場面じゃないですか。わかります。わかりますよ・・と感動した。

「総特集 吾妻ひでお」からもう一つ。山本直樹の「日本のマンガは手塚治虫とつげ義春とでつくられた。この両方を引き継いだ吾妻ひでおは、異端ではなく日本マンガの正統なのである」という指摘は極論とはいえ実に納得できる。吾妻ひでおの異境の夢のような作品はつげ義春の進化形という見方もできる(筒井康隆の夢から着想を得た作品群からの影響も考えられるが)。山本直樹さすが早稲田ダンモ研の後輩だ(会ったことはないけど)。

吾妻ひでおの作品、ディープなSFネタの「不条理日記」「メチル・メタフィジーク」、少年誌少女誌に載った「チョッキン」「オリンポスのポロン」、元祖ロリコン(僕は吾妻作品はいわゆる「ロリコン」とは同一視できない独特なものだと思うけど)純文学風の「日射し」、大いに話題になった「失踪日記」、自伝風の「地を這う魚」・・・どれも一貫して吾妻ひでおタッチは揺るがない。なんて面白いんだ。 そしてプレイコミック連載の「やけくそ天使」と「スクラップ学園」。いいなあ。「スクラップ学園」のヒロイン美亜のキャラクター・・・。

なんかとりとめもなく書いてしまいました。今日明日は休日出勤もないしバンドもなし。昨日届いたスティーヴン・キング「アンダー・ザ・ドーム」を読むことにしよう。



2011.5.3. ヤモリだー
玄関外の壁にヤモリ発見。今年初めてだ。
小さな赤ちゃんヤモリ。
目が大きくてカワイイ。
ストロボに驚いたのか鳴き始めた。驚かしてごめん



2011.4.16. 新緑
今日は休日出勤。自転車で走ると汗をかくような陽気だった。
桜も散り終わっていないのにもう新緑の季節か。
あっという間に四月も後半だけどすでにいろいろあったなあ。
今年は激動の年のようだ。



2011.4.10. 桜の力
昨日は井の頭公園をバンド仲間と一周した。
昨年の足の踏み場もない混雑ぶりとちがう穏やかさ。

今日は近所のICUへ。
今年もみごとに咲いたなあ。

帰り道、三鷹第二小学校校庭の桜も見た。
僕が小学生の時と同じように校庭の真ん中で咲いている。

井の頭もICUも二小も桜はみんな老木になったけど、すごい生命力だ。

都知事選は石原慎太郎圧勝か。
もう78歳だっけ、いい方向に枯れてくれることを願う。
神奈川県知事は黒岩くんだ。
早稲田ミュージカル研究会出身の知事!



2011.4.1. 春なんだー
つい先日正月だったのに、早くも四月。

今年もまた両親を連れて先祖の墓参りに世田谷医王寺へ行った。
例によってつくしを摘んで夕食に卵とじにして食べた。
今年のつくしは特に美味かったような気がした。
両親はまだ元気とはいえ、さすがに年老いて来年も来られるのかちょっと不安。

桜新町の桜並木を通る。今年はまだつぼみばかり。
四月になってほとんど咲かないのは近年なかったなあ・・。
震災のせい?



2011.3.29. 猫日記
ついにプルトニウム検出が報道された。
PLUTO・・冥王星・・地上最大のロボット・・半減期2万4千年。
チェルノブイリ級ってことか。

でも、僕は東京(江戸)に居着いて7代目だ。
東京から離れるわけにはいかない。
来年の桜も無事に見られるといいなあ。

椿が膝に乗ってるところを撮ってみました。
うーん、なかなかカワイイじゃないか。



2011.3.18. 一週間
「あれ」から一週間。
だんだん落ち着いてくるかと思えば、まるで逆。
じわじわと不安が増してくるなあ。

三鷹のビッグバンドは練習施設が夜間閉鎖となり春のコンサートは中止。
家族に愚痴ったら、娘に大学の卒業式が中止になったんだからそのくらい当然よ!っていわれた。晴れ着の袴を予約してたのでキャンセルできず、平服でって言われている卒業証書をもらう日にみんなで袴を着ていくのだそうだ。

職場では年度末で慌ただしい日々の上、2、3日後の予定も立たず明日のことは今日決めるという有り様。 4月からの新年度の用意を進めるが、あの原発の状況でいったい来年度はあるのか?!とさえ思ってしまう。

第二次大戦後、この国特に関東では全国規模の戦争や大災害がなかった。
これは人類の歴史上すごく稀なことではないか。
現生人類は、すべてホモ・サピエンスとして地球に誕生してから何十万年もの間他種の動物や人類どうしの争いと大災害のストレスの中を生き延びてきた人たちの子孫なのだから、今回の危機もなんとか乗り切っていくと思いたい。
なんてちょっと思ったりして。



2011.3.10. 見たことのある顔が・・
神奈川県知事選挙のニュースで見覚えのある顔が出ていて驚いた。
元フジテレビキャスター国際医療福祉大学教授黒岩裕治氏・・・って、
僕の学生時代に早稲田ミュージカル研究会で歌って踊っていた彼じゃないか。

僕はミュージカル研究会のバック・ミュージシャンで公演毎に4年ほどベースを 弾いていたのだけど、黒岩氏が入会して幹部になっていった時期とちょうど重なる。

彼の1、2年上にラサール石井がいて、ミュージカルのバックをやるのは実に楽しい経験だったなあ。

黒岩くんは歌や踊りは飛び抜けて上手い訳ではなかったけど、熱心で面倒見が良かったような印象がある。

うーん、キャスターになったのは知ってたけどいまや大学教授から県知事になるようなヒトになったのか。感無量。



2011.2.27. インフルエンザ
昨日から久々に熱が出た。
土曜のグッドマンライブも衣山さんに丸投げした。
・・衣山さんすみませんでした。
日曜も仕事で出張だったのだがキャンセル。
ずーと寝ていたのだけど今日になってもひどくなるばかり。

しかたなく日赤に行って救急外来で検査してもらうと みごとにインフルエンザA型陽性と出た。

発熱といっても最高38.6くらいだから死ぬほど辛いというほどではない。
でもインフルエンザとなると仕事に出られないぞ。まいったなあああ〜
年度末でやることが山積みなのですけど。
まあインフルエンザならしかたないや。



2011.2.19. ウーパー誕生日
誕生日が本日かどうかはわからないけど、1999年の2月に孵化したウーパールーパー(アホ・ロートル)は12歳にして体長20センチにもなり元気です。

職場で飼っているので結構若い衆のアイドルになってますが寿命はどのくらいなんだろう?
ネットで調べたら飼育下5〜8年だそうですが、野生では20〜30年という説もあるようで、まだまだいけそうだなあ〜



2011.2.13. 夕焼け富士山その2
自宅の外壁と屋根をリフォーム中なので家の周りに足場が組んである。
この家が出来て30年くらいになるけど初めて屋根の上に出た。

今日は昨日までの雪やみぞれが空気の汚れを流したせいか富士山がよく見えた。

高い所は怖いんだけど、実に良い眺めだった〜。



2011.2.8. 痛っ!
手早くお餅を食べる時は電子レンジでチンするのだけど、膨らんだ熱い餅を素手で取り出そうとしたら指に張り付いた。
熱ちちちっ・・・
急いで冷やしたのだけど見る間にでっかい水泡が出来た。

数分後から激痛。保冷剤で冷やしていないとたまらない。
これはかなわん。と医者に行こうとしたら妻に鼻で笑われた。
「それくらい私や子供が何度もやってるじゃないの。冷やしておけば治るの!今まで何を見てたのよ!」だって。
三時間ほど冷やし続けてどうにか痛みは治まった。

右手薬指なので演奏は大丈夫なのが幸いだった。



2011.1.31. 夕焼け富士山
職場から夕焼けをバックに富士山が見えた。
今日の夕方は雲一つない晴天で風もないが空気は乾燥しとても寒かった。
東京三多摩の冬。って気がする。

真冬に富士山が見えると小学生の頃の朝を思い出す。
冬の朝はいつも真っ白な富士山を見ながら登校していたような気がするなあ。



2011.1.16. ボロ市散策
昨年初めて行って面白かったので今年も「世田谷ボロ市」に行ってみた。
最終日で日曜の午後なのでそれはすごい人出。

今回は残念ながら掘り出し物は見つからなかったけど、どう見てもガラクタとしか思えないものまで売っている出店が延々と続いているのをゆっくり眺めて歩くのは楽しいなあ。
数十年前まで繊維関係の工場で大量に使われていた木製の糸巻きが「ワイン置き」用として複数の店で売られているのが面白かった。

写真は外人さんたちが昔の商店の前掛けをじっくり選んでいるところ。この後何枚か買ってました。



2011.1.9. ギターでバッハを
このところ実に久しぶりに毎日J.S.Bachの音楽を聴いてる。
今日はスコアを見ながら「音楽の捧物」(このトリオソナタは大好きだ)と「フーガの技法」(の一部)。

小学校低学年の頃、親が買ってくれたソノシート(死語)が付いてる「世界音楽全集」に入っていた「フーガト短調(小フーガ)」がなぜか気に入って繰り返し聴いたのがバッハ初体験。

小学校高学年からビートルズ、ベンチャーズに夢中になり、中学後半からジミ・ヘンドリックス、クリームなど即興性の強いブルース、ロックを経てジャズに行き、クラシカルな音楽は学校だけで聞く音楽になった。

高校生になって、さてギターを弾ける部活はないかと探すが今はともかく当時は学校の部活でエレキ?ロック?なんてとても考えられない時代である(文化祭はハレの日なんで特別)。
音楽部ギター班っていうのがあった。クラシック・ギターを弾くサークルなんだけど、ギターが弾けるならもうなんでもいいと思った。

ところがこのサークルは面白かった。クラシック・ギターのアンサンブルなのだけど、指導に来てくれていたのがOBでプロのギタリストになり立ての稲岡満男さんていう人。
この人がすごかった。もうずいぶんお会いしていないが現在でもギタリストとしてその筋では高名だ。当時はやたらにギターと指揮の上手い細身で口の悪い(酒乱の!)変な先輩とおもってたけど。

たまたま僕の前後の代は熱心な部員が揃ったので稲岡さんも燃えたようで、かなり高度な曲を用意してくれた。その一つはビヴァルディのバイオリンコンチェルト・イ短調でバイオリンの初心者が必ずやる曲なんで聞けばあの曲って思うはず。ただテンポ設定が速いので実に格好いいんだ。

勉強よりギターって、3年生になっても部活を続けるやつが僕を含めて男3人女3人残った。稲岡さんはそれぞれの持ち曲(合奏の時のソリスト)を決めてくれた。僕はバッハの管弦楽組曲2番(の抜粋)。あの独奏フルートのパートを弾く。楽しかったなあ。

その精鋭男子3人はよく部室で3重奏をして遊んだ。お気に入りはギター用に編曲されたバッハの三声のフーガ集を初見で演奏すること。
3人ともメロディーなので誰かが譜面を読み違えると同時に終わらない(笑)

複数の声部が同時に魅力的な異なる旋律を奏でて、全体としてきれいにまとまる、というバッハの音楽が実に面白かった。
同時にジャズにものめりこんでいたのだけどこの頃はジャズとバッハのレコードは同じくらい集めていた。器楽曲は(膨大なオルガン曲以外)ほとんど聴いた。声楽曲は全部は到底不可能だけど「マタイ」とカンタータ140「目覚めよと呼ぶ声す」は大好きだった。

聴くのもいいけれどバッハの曲は演奏するのが楽しい。当時からギターでずっと愛奏しているのは「無伴奏バイオリン・パルティータとソナタ」。特にシャコンヌはほんと飽きない。まあ人にお聴かせするレベルじゃないけど。

10年くらい前に初めてチェロを借りて練習したとき、バッハの無伴奏チェロをやってみた。第一番なんかギターで弾くと指使いが変に難しいところが出てくるのだけど、チェロで弾くと調弦がギターと違うので指使いが第一番のプレリュードなんて実に簡単に弾けるようになっている(もちろん音を出すだけなら)のでびっくりした。なんてうまく出来ているんだ、と思った。

30代の頃MTR(多重録音器)に凝ったころはバッハの曲をやって遊んだのを思い出して昔のテープを発掘してみた。
おお懐かしい・・。現存する三曲のバイオリンコンチェルト(第一楽章だけだけど)のカラオケをシンセで作って独奏パートをギターで弾いて録音した。
うーん、今はとても弾けないなあ。



2011.1.8. 「捕食者なき世界」など
1月前半はライブも飲み会もなく、いい天気だけど寒いので自室の穴蔵に籠もって読書など。

「捕食者なき世界」ウィリアム・ソウルゼンバーグ
・・最も大きく最も恐ろしい肉食動物は、いることよりもいなくなる方がはるかに危険である・・というテーマで生態学の現在がよくわかった。
 1960年に発表された「緑の世界」仮説・・世界が緑の植物に覆われているのは捕食動物が草食動物の数を抑制しているからである・・当たり前のようだが、具体的な証拠がなかった。その証拠を求めて若い生物学者たちが世界中でフィールドワークを行う。この詳細が実におもしろかった。
 シアトルの海岸のヒトデとウニと海藻、アリューシャン列島のラッコ、ベネズエラの人工湖にできた島のホエザル、アメリカのシカ害、アフリカのライオンとヒョウ・・などなど。
 19世紀のアメリカにおけるオオカミ根絶のすさまじさとそれ以降のシカの激増による植生の破壊。ついにオオカミを再びカナダから連れ戻したらたった5年で植生が回復したという。
  1万数千年前の更新世末期、大量の大型動物が絶滅した。人類が石器文化を得たからである。ヒトがこれだけ増えているのだからもう元通りにするわけにはいかない。
 最初に見つかったアウストラロピテクスの化石の眼窩にはタカのくちばしの跡がある。ヒトは多くの捕食者に捕食されながら進化してきたんだ。
暗い夜道でオオカミやヒグマに誰だって会いたくはない。
しかし、ヒトではない大型肉食動物によって地球生物の多様性は保たれてきた。ヒトは増え放題のまま地球生物の多様性を保っていくのは無理なのかもしれない。

「マリアビートル」伊坂幸太郎
伊坂幸太郎、久しぶりに読んだ。東北新幹線で東京から盛岡までの車内が舞台。変人奇人天才の殺し屋や中学生や老人が入り乱れて右往左往する。いやー、面白い。

「虐殺器官」伊藤計劃
2009年に34歳で夭折したSF作家の処女作。この人の作品は初めて読んだが、これは良いなあ。主人公は近未来のアメリカの特殊戦闘員。言語学的アイデアからなぜヒトは戦争するのかって考察が面白く最後に世界は破滅していく。

「悪の教典」貴志祐介
前作「新世界から」が実に良いSFだったのでぜひ読みたかった。
 今回は、天才的頭脳をもつが感情というものが一切ない人間が一般市民の日常に現れたらどうなるか、というSFだ。
舞台が都内の私立高校で一クラス全員の生徒が担任に惨殺されるというドギツイ設定なのでだいぶ話題になった作品。
夕方から読み始めたら止まらない。上下二巻の分厚い本だが明け方までかかって読了。 ただ「新世界から」のようなSF世界のほうが僕は好きだなあ。



2011.1.4. アンジェラ・カートライト
テレビで映画「サウンド・オブ・ミュージック」をやってたのでつい見てしまった。

前にも書いたけどこの映画は僕が今まで繰り返し見た映画の第三位(1位と2位はもちろんビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ」だけど)。

映画そのものはもちろん大好きだけど、むしろ中学の時に見て以来三女ブリギッタ役のアンジェラ・カートライトが大好きで彼女の姿を見るために繰り返し映画を見たような気がするな。
当時テレビでアメリカのテレビドラマ「宇宙家族ロビンソン」が放映されていてそこではヒロイン役、毎週楽しみにしていた。

ブロマイド(死語?)を買ったし、映画雑誌に載った写真を切り抜き、中学校では友人とマンガの描きっこをしてたけど僕のマンガにはかならず彼女が登場した。

中1の時の同級生によく似た女の子がいて話も合うので当然のこと夢中になった。
といってもクラスが別れてしまえば優柔不断な僕にはいかんともできませんでしたが。(数十年後に同窓会で再会してからはいい茶飲み友達になったんですけどね)

アンジェラ・カートライトの近影はどうなんだろ?ってネットで調べた。
歳は僕の一つ上のはず。
うーん、見ない方が良かったかな(笑)

あと「サウンド・オブ・ミュージック」を見て中学生の時は全く気にならなかったけど、この歳になって気になるのはトラップ大佐が婚約者の男爵夫人ではなくヒロインのマリアが好きになって婚約を解消するシーン。

婚約者が結婚式は新婚旅行はどうのこうのとまくし立てるのを遮るように、「もうやめよう。君には悪いと思うが・・」って言うと婚約者は素直に引き下がる。
うーん、これは修羅場になるところだよなあ・・。男には都合が良いけど、女性が見たら怒るんじゃないか?

というのが長年の疑問なんで、一緒に見ていた妻に「ああいうのアリ?」って聞いてみたら・・
「あの男爵夫人はプライドがあって財産もあるのよ。自分から心の離れた男なんてもういらない!ってすぐ別れるの当然。ああいう田舎娘の方があなたにはお似合いよって考えるの。プライドの高い女性は別れないでなんて絶対言わないの!」

・・なるほど。



2011.1.1. 元旦
なんと2011年だ。

昔、正月に祖父母の家に行くと母方父方とも「お屠蘇」があった。
屠蘇散って漢方薬を溶かしたどろっとした甘くて薬臭いやつ。

今年は数十年ぶりにあれを味わってみたくなって「屠蘇散」を買ってきた。
日本酒に味醂を足してティーパックみたいな屠蘇散を一晩浸す。

おおっ!懐かしい味と香りだ。まあ特に美味しいわけではないけど。

昔飲んだのはもっと甘くてどろっとしていたから、味醂と砂糖が足りなかったかな?



メールはこちら mail: masa-y@mvc.biglobe.ne.jp

BACK