機体の試作は先ずMe163B型の大きな後退角を持った先細翼の再生から始められた。これを担当したのは空技廠科学部の越野長次郎技術中佐であった。そして、機体の特徴として、次を記述しています。
同中佐はA・リピッシュ教授がMe社で高速無尾翼機用として設計した翼型の坐標を基に精密な風洞模型を作製し、風洞で吹かせながら修正し、半ヶ月を 出でずして完全に原型の主翼を得ることが出来た。(この再生が完全であったことは後に「秋水」滑空機の性能はあら略々推定出来た。)
(1)無尾翼中翼単葉単座で、主翼は大きなテーパーと後退翼を有し、木製単桁合板外被構造、補助翼は昇降舵を兼ね、左右翼附根後縁にフラップに似た前後修整舵があり、着陸用フラップは主翼主桁の下縁材後縁に取附けたスプリットフラップ、外翼前縁に固定スロットがある。 翼端に向け捩り下げを附け翼端失速を防いでいる。垂直鰭方向舵は木製。
(2)胴体は円型断面ヂュラルミン・モノコック構造、前端は防禦鋼板円錘型覆、主翼後縁附近より後方胴体は動力点検手入交換のため装脱可能。
(3)主車輪は離陸後主橇を引込めると同時に落下する構造、着陸は再び橇を卸して行う。尾輪は主橇と同時に左往する引き込み式。凡て油圧作動方式で 作動筒は緩衝器を兼ねる。
(4)胴体中部に甲液(濃度80パーセントの過酸化水素)翼内に四個の乙液(水化ヒドラルジン)を搭載するアルミニュームタンクを収納
(5)上昇力は極めて大きいが、航続力は又極めて貧弱。
(6)離昇にはRATOを使用する。
1945年(昭和20年)3月、陸軍の特兵隊長荒蒔少佐から、今度陸軍でも秋水を試験することになったから、手伝って欲しいと依頼された。秋水は無尾翼機で、その飛行特性に未知な部分が多いので、前に萱場式で一応無尾翼機に経験のある私の知識が少しでもお役に立てばと思い、さっそく承諾した。 試験は千葉県の柏飛行場で行われ、私は終戦まで、近くの野田市に下宿して飛行場へ通った。「秋水をはじめて見た時、私の設計とあまりよく似ているので愉快になった」そうです。
使用/参考文献
・航空技術の全貌(上)、岡村 純(元海軍技術少将)他、昭和28年、興洋社
・航空情報 1966年1月号
・わがヒコーキ人生、木村秀政、1972、日本経済新聞社
・日本航空機総集 第一巻 三菱編、野沢 正、1981(改訂新版)、出版協同社
・WINGED WONDERS THE Story of Flying Wings、1983、 National Air & Space MuseumE. T. Wooldridge
・日本軍用航空戦全史(第五巻)、秋元 実、1995、グリーンアロー出版社
・「秋水」と日本陸海軍ジェット、ロケット機、、1998、モデルアート社
・航空ファン 1999 1月号、2月号、太平洋戦争史 異端の空 第一話 「秋水一閃」、渡辺洋二、文林堂
使用した写真は、WINGED WONDERSからのものです。
弊ページをご覧頂いた方から、秋水の写真を提供頂きました。
提供者の百瀬博明氏(後列右から3人目)は、特兵隊として航空審査部から柏に派遣されておられた方で、撮影は昭和20年7月31日。
機体の色をお尋ねしたところ「ベージュか、グレイ系では」の回答を頂き、「これは実機と呼ばれていて、エンジンを搭載すれば飛行できると聞かされておりました」とのことです。
陸軍における秋水(または滑空機)の大変貴重な写真です。
機体やキャノピーの形状から軽滑空機「秋草」ではなく、重滑空機か秋水2号機(?)だと思われます。
陸軍用の秋水(2号機)が軍に引き渡されていたかは明確にはなっておらず、可能性的には重滑空機なのではと思われます。
陸軍に引き渡された重滑空機は1号機とされ(渡辺洋二氏の『異端の空』)、百瀬氏が記憶されている色は、試作機色(橙黄)が退色したように思わせます。
但し、
各位からの情報をお待ちしております。