開設一周年記念 全翼機の世界特別編


5. 秋水/秋草
 秋水については、今更ご紹介するまでもない有名機ですので、ここでは蛇足事項を述べていきたいと思います。

5.1 秋水始動
 昭和19年3月ドイツ航空省からの技術譲渡によりもたらされたMe262とMe163の資料は、シンガポールまでの潜水艦を用いた苦難の旅を終え、7月にようやく日本に到着しました。 が、多くの資料を積んだ潜水艦はシンガポールを発った後に行方不明となり、日本に到着する事ができたのは、一足先に飛行機でもたらされた機体、エンジンの設計説明書と簡単な図面、ロケット推進薬組成説明書、翼型の各断面における座標などでした。 この資料だけでの未経験なロケット機開発は賛否両論あったようですが、昭和19年8月に陸海軍協同による開発が決定、海軍略譜号J8M、陸軍略譜号キ200が与えられました。
 アウトラインはMe163に似ていますが、搭載機器の違いから翼幅が片翼で10cmほど増加している他、無線機を積むために胴体前端が僅かに前に延びています。 またキャノピーデザインも日本での製造に合わせて変更されています。
30mm機関銃2門を持ち、高度10,000mでの最大速度800km/h以上、その高度10,000mまでの上昇時間 3分30秒という驚異的な性能予定で、1号機を海軍、2号機を陸軍が領収する予定でした。

5.2 秋水の概要
 『航空技術の全貌(上)』で巌谷英一氏(氏がドイツから技術資料を持ち帰っています)は、秋水をこう記しています。 (漢字の旧使いが多く若干読みにくいですが、そのまま引用します)
 機体の試作は先ずMe163B型の大きな後退角を持った先細翼の再生から始められた。これを担当したのは空技廠科学部の越野長次郎技術中佐であった。
同中佐はA・リピッシュ教授がMe社で高速無尾翼機用として設計した翼型の坐標を基に精密な風洞模型を作製し、風洞で吹かせながら修正し、半ヶ月を 出でずして完全に原型の主翼を得ることが出来た。(この再生が完全であったことは後に「秋水」滑空機の性能はあら略々推定出来た。)
そして、機体の特徴として、次を記述しています。
(1)無尾翼中翼単葉単座で、主翼は大きなテーパーと後退翼を有し、木製単桁合板外被構造、補助翼は昇降舵を兼ね、左右翼附根後縁にフラップに似た前後修整舵があり、着陸用フラップは主翼主桁の下縁材後縁に取附けたスプリットフラップ、外翼前縁に固定スロットがある。 翼端に向け捩り下げを附け翼端失速を防いでいる。垂直鰭方向舵は木製。

(2)胴体は円型断面ヂュラルミン・モノコック構造、前端は防禦鋼板円錘型覆、主翼後縁附近より後方胴体は動力点検手入交換のため装脱可能。

(3)主車輪は離陸後主橇を引込めると同時に落下する構造、着陸は再び橇を卸して行う。尾輪は主橇と同時に左往する引き込み式。凡て油圧作動方式で 作動筒は緩衝器を兼ねる。

(4)胴体中部に甲液(濃度80パーセントの過酸化水素)翼内に四個の乙液(水化ヒドラルジン)を搭載するアルミニュームタンクを収納

(5)上昇力は極めて大きいが、航続力は又極めて貧弱。

(6)離昇にはRATOを使用する。

5.3 滑空機
 このようなかつてない戦闘機の運用に対して操縦性、安定性研究と乗員訓練のため、軽滑空機、重滑空機の両種が製作されました。

(1)軽滑空機

 軽滑空機は空技廠で試作され、昭和19年12月に完成、MXY8「秋草」と命名されました。 機体は木製で秋水と同じ全幅、全長を、翼面積を持ち、12月26日に海軍三一二航空隊の犬塚大尉により初飛行、秋水の練習機として使えると判定され、更に2機が製作、 その内の1機は陸軍審査部の荒蒔少佐により陸軍審査にも合格しています。 陸軍名称はク13ということです。
 「秋草」は部隊訓練用として日本各地の小規模メーカーにより生産が開始されます。 主なだったことろでは、前田航研(九州)、横井航空(京都)、松田航空(奈良)、呉羽航空(富山)、大日本滑空(仙台)などですが、終戦までに完成したのは1機でした。
尚、「秋草」という名称は、陸海軍とも実施部隊ではほとんど使われなかったようです。

(2)重滑空機
 一方の重滑空機は「秋水」からタンク、エンジン、兵器等を除いた機体で、2機完成した模様です。
本機は「秋草」から秋水に移る際の中間練習機を目的としていましたが、試験飛行の結果「軽滑空機と良く似た飛行特性であり重滑空機の製作を急ぐ必要はない」とされ、秋水完成を急ぐべしと製造が中止されました。 滑空速度は軽滑空機の2倍も早い約300km/h、機体重量約1トン(秋水は約1.4トン強)のようです。

5.4 「秋水」そのあれこれ

(1)秋水、飛ぶ
 昭和19年7月7日の夕刻、前述の犬塚大尉により、横須賀の海軍追浜基地で秋水は初の動力飛行を行いましたが、惜しくも上昇中にエンジンが停止、沈下に勝てずに飛行場へ戻る際に滑走路手前の物置小屋と接触、墜落大破していました。
飛行時間わずか1分弱。日本初のロケット機の飛行でしたが、同時に日本初の無尾翼機による動力飛行でもあり、最後の飛行でもあるのです。

(2)木村技師、再び
 秋水の機体は主として海軍によって開発が進められました(陸軍はエンジン中心)が、2号機を貰い受けた陸軍でも、福生の審査部(前述の荒蒔氏が直前まで所属)と柏の七〇飛行戦隊(戦闘、二式単戦「鐘馗」装備)が特兵隊(荒蒔氏が隊長に就任)として指定され、戦力化を目指していました。 この時、萱場シリーズで指導にあたった木村技師が再び登場します。
 1945年(昭和20年)3月、陸軍の特兵隊長荒蒔少佐から、今度陸軍でも秋水を試験することになったから、手伝って欲しいと依頼された。秋水は無尾翼機で、その飛行特性に未知な部分が多いので、前に萱場式で一応無尾翼機に経験のある私の知識が少しでもお役に立てばと思い、さっそく承諾した。 試験は千葉県の柏飛行場で行われ、私は終戦まで、近くの野田市に下宿して飛行場へ通った。
「秋水をはじめて見た時、私の設計とあまりよく似ているので愉快になった」そうです。
結局、秋水重滑空機による試験飛行中に担当操縦員であった伊藤大尉が墜落して重傷を負ったこともあり、陸軍に引き渡された(とも言われる)秋水2号機は飛ぶことなく終りました。

(3)その言葉の意味
 頼山陽の詩「・・・、腰間秋水鉄可断、・・・」にもあるように、秋水には「研ぎ澄ました刀」の意味があります。
戦闘機という用法からも「秋水」の意味はこれかと思われますが、「澄んだ秋の水」の意味もあり、こちらの方が第一意として辞書に出ていますし、この意味で秋の季語にもなっています。
 日本機に造詣が深いR.C.ミケシュ氏はジョンソン基地(現入間基地)に在任中、木村秀政氏への手紙の中で『局地戦には、紫電、雷電など気象関係の名が多いので、「澄んだ秋の水」の意味ではないか』とその意見を述べています。
 蛇足ですが、ミケシュ氏の手紙の本旨はこの秋水の意味ではなく、桜花と秋草のMXY番号は、逆なのでは?というものでした。 当時、秋草がMKY-7、桜花がMXY8と言われていたようですが、スミソニアンに残る桜花のネームプレートから現在のような桜花がMXY-7ではというのが氏の指摘で、木村氏も所蔵資料からMXY8という識別子を確認されています。
「航空技術の全貌」には秋草(MXY8)となっているのですが、米軍資料の間違い等から逆になっていた時期があったようです。

(以上 航空情報1966-1 「晴天乱流」木村秀政 より)

(4)機体緒元
 多くの本に載っていますので、ここでは載せませんでした。特に、モデルアート社から出ている本に、かなりの図面とともに機体緒元が掲載されています。 秋水の機体資料としては、一番ではないでしょうか。(サH真の解説には誤りまたはかなり怪しいのが多いですが)
 秋草の詳しい緒元を記載した本は持っていませが、日本航空機総集 第二巻 愛知編にわずかな記載があります。 手元の本では全幅9.5m(同 秋水 9.5m)、全長6.0m(5.9m)、全高2.7m(2.7m)、翼面積17.7u(17.7u)となっています。

(5)その意義
 大抵の本の結語にあることですが、本国ドイツの例を見ても、この種のロケット機の運用はかなり困難であったと予想されます。
ベースがあったとは言え開発開始から約1年で初飛行まで漕ぎ着けたのには感動すら覚えますが、仮に機体ができたとしても、その実用化や戦力になったとは思えず、また肝心の燃料生産設備が出来ていなかったことからも、他のことに努力を廻すべきであったかもしれません。
 ともかく、この「秋水」で日本の無尾翼機開発は終焉を迎えたのでした。
 
 

使用/参考文献
  ・航空技術の全貌(上)、岡村 純(元海軍技術少将)他、昭和28年、興洋社
  ・航空情報 1966年1月号   ・わがヒコーキ人生、木村秀政、1972、日本経済新聞社
  ・日本航空機総集 第一巻 三菱編、野沢 正、1981(改訂新版)、出版協同社
  ・WINGED WONDERS THE Story of Flying Wings、1983、 National Air & Space MuseumE. T. Wooldridge
  ・日本軍用航空戦全史(第五巻)、秋元 実、1995、グリーンアロー出版社
  ・「秋水」と日本陸海軍ジェット、ロケット機、、1998、モデルアート社
  ・航空ファン 1999 1月号、2月号、太平洋戦争史 異端の空 第一話 「秋水一閃」、渡辺洋二、文林堂

 使用した写真は、WINGED WONDERSからのものです。



 弊ページをご覧頂いた方から、秋水の写真を提供頂きました。

 提供者の百瀬博明氏(後列右から3人目)は、特兵隊として航空審査部から柏に派遣されておられた方で、撮影は昭和20年7月31日。
機体の色をお尋ねしたところ「ベージュか、グレイ系では」の回答を頂き、「これは実機と呼ばれていて、エンジンを搭載すれば飛行できると聞かされておりました」とのことです。
陸軍における秋水(または滑空機)の大変貴重な写真です。

 機体やキャノピーの形状から軽滑空機「秋草」ではなく、重滑空機か秋水2号機(?)だと思われます。
陸軍用の秋水(2号機)が軍に引き渡されていたかは明確にはなっておらず、可能性的には重滑空機なのではと思われます。 陸軍に引き渡された重滑空機は1号機とされ(渡辺洋二氏の『異端の空』)、百瀬氏が記憶されている色は、試作機色(橙黄)が退色したように思わせます。
但し、

  • 本機にアンテナがある(数少ない重滑空機(とされる)の写真には、アンテナが見当たらない)
  • 日本飛行機(秋水の海軍側機生産予定会社)OBの方の回想録に、「山形実機」(山形工場で生産されたエンジン付き機)という記載があり、滑空機との区別が「実機」という呼び方だった可能性がある
  • 機銃搭載位置のカバーが開いている(機銃は積んでいないが、カバー等は重滑空機でも同じ(変えていない)と思われ、それを重滑空機で開けるかどうか)

  • から、秋水2号機の可能性もあります。

     各位からの情報をお待ちしております。



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