「デザイン&マーケティングを考える」

− 下記の仮説と自らの体験をもとに、クラフト/工芸独特の課題を考えてみます。 −
 「マーケティングが作り手と使い手の間の双方向コミュニケーションであるとしたら、デザインへの姿勢とそのあり様がこれを規定し、更にマーケティングの一つの成果であるブランド構築にも影響する要素になる。」

クラフト・デザイン考
クラフト・マーケティング論


「クラフト・デザイン考」

<物・事にソフトを載せてモノ・コトに変身させること>
 一般にデザインというと、プロダクトの量産モデル作りの過程で行われるものであると認識されることが多いが、近年「都市デザイン」のような概念が出て来た。都市や地域更にはコミュニティのデザインにおいては、当然一品ものになる。一方、美術工芸品に近いような一品ものにおいても、作風やスタイルのデザインに関わる概念が出てきている。このように量産品でなくともデザインが重要と言われるのは何故か。心の中のイメージのままに、また制作の過程でのインスピレーションや情熱のおもむくまま創り出していく細部過程にデザインの要素は入りにくいことは確かである。 しかし、環境との共生を図ることがより重要になってきた時代、更には地域文化に如何に貢献すべきかまで考えるべき時代を迎えた今、一品ものであろうとデザインの要素を抜きにして「もの」と対峙することは困難になっている、と理解すべきことを示している。その一つの例が「サステイナブル・デザイン(エコ・デザイン的なもの)」である。モノづくりの観点からこれを具体的に考えると、
  ・環境保全を考えて再生可能な材料を使い、材料を使ったら補充する。(植樹する)
  ・ロスを少なくした形と材料の活用、作業手順や道具の工夫を行う。
  ・長く使え飽きが来なく修理が可能なモノづくりは、エネルギー問題の解でもある。
  ・作り手が長くモノをつくり続けられるためのコスト低減と付加価値づくり。
  ・使い手の気持ちを汲み取り幸せにする、作り手の主張を手で作り込むデザイン。
  ・作り手(産業)と使い手(生活)の顔の見える関係は、デザインであり文化である。
  ・モノづくりは、文化を核にした地域デザインに関わるものである。
  ・スモール、スロー、スマートを織り込んだ環境共生文化を市場化するデザイン。
という様な、循環型社会の考え方に立つことである。また、アメニティ・デザインなる概念も重要である。これらを考えると、河北秀也が提唱するところの"デザイン論"の原理は注目に値する。これに付記するならば、関係の調整過程によって"人間の幸せ"を追求する文化の構築に導き、関係性の構築の中で意識の改革や態度の変容に至るべきことに言及することが、極めて重要であると考える。
−河北のデザイン原論−
 「"デザイン"とは、人間の創造力、構想力をもって生活、産業、環境に働きかけ、その改善を図る営みと要約できる。つまり、人間の幸せという目的のもとに、創造力、構想力を駆使し、私達の周囲に働きかけ、様々な関係を調整する行為を総称して"デザイン"と呼ぶ

 21世紀は、「環境汚染者支払い原則」の社会を構築していくべき時代との指摘がされている。手作りの工芸品を愛する人は、農的くらしのある生活や食にも同じ様な眼差しを向けて欲しいものである。食と器更にインテリアなどの良い関係、人と環境を守る安全な農・食、再生可能な器の材料を生み出す農林業。サステイナブル・デザインは、このような資源循環型産業を再興していく原動力として重要な概念になっている。更に、文化的な成果を体現できる、「アメニティ溢れる空間」の創出にも大きな貢献を期待したいものである。

<モノづくりとデザイン>
 モノづくりにおいて工芸・クラフト・民芸など純美術から離れるほど、作る量と関係者の数が多くなり、デザインの重要性が増してくる。例えば民芸であるが、商業主義によって量産的な土産物化してしまい、その地で作られない、甚だしい場合海外で生産されているものまで出現している。その地域から離れたものに地域振興の力があるかどうか。まがい物を淘汰する力を持ち伝統と地域に根ざした本物(地元産)の、生活工芸レベルの土産物をどうデザインしていくのか。産地主導の「持続可能な発展」にどう迫るのか、土産を貰う人や使う人が求める「生活と情緒の快適さ」にどう応えるのか。工業化時代を越えるポストモダン時代の手技の在り方が、河北が指摘したような広義のデザインという過程を中心として問われている。ここで、伝統的な食を地域の文化として残そうとしているEUの制度的な取り組みに目を向けておく必要がある。伝統的な工芸や民芸の世界でも、同じ様に文化の問題にまで掘り下げていくことが重要である。食は必需品、生活工芸は贅沢品などとの区別は真の人間性を理解していない区分になる。「人間はパンのみにて生きるにあらず」という言葉がある。環境と文化を目的として一括で捉える見方を導入したい。 工芸品(生活工芸、クラフト、民芸含む)が、自分を含めたプレゼントとして用いられる場合を掘り下げると、そこには物語性の存在が貴重になってくる。高価な物に意味があった時代から質を、更に好みで評価する時代に移行する中で、モノの意味が変化している。伝統文化の中で時間を経て培われた物語性や、作る側と使う側の顔が見える"個人相対"関係の中で語られる物語の意味が重要になるのである。更に、新しい現代文化(ポストモダン)を構築して行く上で、自然や文化を考慮する対環境性を背景として先人が議論してきた3つの価値観、これらは空間・時間・関係性の各軸を代表する事柄でもあるが、
  ・スモール・イズ・ビューティフル
  ・スローライフ(スローフードから展開)
  ・スマートグロース/スマートコミュニティ(外向きの賢さのネットワーク)
を体現する物語性の組み込みの重要性も指摘出来る。作り手と使い手、更には運び手それぞれの生き方の現われでもある。物を「モノ」に変身させる物語性とデザイン、そしてこれを実現する技術と技能及び材料の吟味など、工芸を"百工"と称した昔の人の知恵を思い起こすことが、情報化時代における「物にソフトを乗せるモノづくり」とこれに関する「交換」という経済活動の課題である。この課題は、産業構造の変革までも要求する極めて重いものと理解したい。

「クラフト・マーケティング論」

<マーケティングとデザインの関係>
 物とこれに乗せる各種ソフトなもの(デザイン、材料や仕上げの選択、技術、物語性、信頼・好感と責任など)との接点(インタフェース)をマーケティングと関連させて見ておきたい。特に、産地と密着した工芸や地場産業から地域振興を考えるとき、まずマーケティングとデザインの関係を見極めておく必要がある。より良いまちをつくるという切磋琢磨的な地域間競争の時代、「地域ブランド」の確立が急務と言われる。ブランド・デザインにおいても、媒介となる個々の商品やサービスのデザインと、市場や顧客との会話的なコミュニケーションを図るマーケティングとを複合的・融合的に考えていくべき時代が来ているのである。創り出されるモノの側から見ると、デザインとの接点(インタフェース)は、少なくとも
  1)新しい価値の実現技術と関連する「クリエイティブ・インタフェース
  2)地域や顧客の生活や情緒を満たす「アメニティ・インタフェース
  3)作り手と使い手の顔の見える関係を担保する「マーケティング・インタフェース
を備えるべきと言える。

 マーケティング・インタフェースをもう少し掘り下げておく。 柳宗悦は無名性を支持したが、工芸品に作者名をうつのは、上記の様な接点としての必要性があると理解した方が良いと考える。また、1)や2)など作品を見ただけでは理解出来ないソフトがあり得るが、これらを3)の要素でもあると考え説明書などで補う工夫も必要になる。工芸品は作り手による手仕事或いは手技の賜であることを考えると、使い手との”顔の見える関係”を担保する運び手の存在や市場の在り方が重要になってくる。普通の空間で考えると、Face to faceということになる。しかし、必ずしも唾が飛んでくる距離にいる必要があるのかどうか。その作品の後ろに作者の顔が見えることが、まずは必要条件となる。使い手の意図や意思が作り手に正確に伝わる双方向性を求めるとなると、面と向かい合うことが重要になる。そして、そこには更なるマーケティング・チャンスが生まれてくる。作り手はこれを逃しては勿体ないことになる。量と対比した質の時代への意識的な差違対応が重要である。更に、好みという情緒に関わる要素は、相対でしか感知することが難しいのではないだろうか。

<マーケティングの原理>
 "マーケティング"とは、製品を作ってから考える販売促進や営業とは根本的に異なり、事業計画や製品計画の段階で行うものであること、そしてそれ故に極めて重要な作業であると理解しておく必要がある。マーケティングの主要な要素は4Pであるという基本原理が存在する。しかし、工芸品の現状を見ると、「2P+4P+P」を最低考えておくべきであることを強調しなくてはならない。ここで、フェーズ分けしてごく簡単に記せば、

 ・最初の2P
@Person(誰に);市場が個衆化する時代、好みでモノを選ぶ時代には、最初に定義することが重要。
APerception,Profile/Protocol
 特に新しい分野では、市場の受容(Perception)と注視を得るために以下を組み込む必要がある。
  -受容を意識した取り組み、使い手が受信可能な物語性やコンセプトの表現形式;Protocol、
  -競合状況などから製品計画の段階で把握した使い手の価値を製品で訴求する枠組み。
 製品(Product)に集約されていく要素が多いが、作り手の全体像(Profile)を示す事柄でもある。
 ・真ん中の4P
一般的な理論で定義される4Pであり、最も基本となる共通的な要素。
@Product(製品の仕様・品質)、APrice(価格)、BPlace(販売チャネル)
CPromotion(広義の販売促進;市場調査、広告、宣伝)
 ・後ろのP;Presence/Prestige/Preferance
「ブランド構築」に関連するPで、市場や社会に存在感(Presence)を示す地位(Prestige)や
好感度(Preferance)を得て、リピートを生む。

   二昔ほど前、工業製品のマーケティングの管理業務に携わっていた時代は、真ん中の4Pが主役であった。これは、ある程度世の中に受容された製品であったことによる。それでも、まだ普及率が低かったので、「最初のP」をかなり意識したものである。工芸品ではなかったが、共通する事柄であった。また、名前の通った大企業においてと、個人の作家や個業、中小企業では「後ろのP」に関する意味や重要度が少し異なってくる。当然工芸品では、多くは後者のケースになるので、かなり多面的な努力をしないと「後ろのP」は確立出来ない。勿論、最初の「P+4P」が基本になるが、個展や展示会あるいはコンクールなどを通して自分の特徴やスタイルをアピールしながら、独自の地位を築いていくことになる。特定の分野のファンや追っかけを増やすということになる。量的に多くは作れないので、試行錯誤を繰り返す中で、自分の作品を訴求する対象を絞っていくことが極めて重要であり、それのみが生き残る道である。現にその様な取り組みをしている人を見かけることもある。

 私の趣味である漆芸の分野でも、「P+4P+P」を実現する取り組みをして実績を上げている人の名前を示すことが出来るが、残念ながらその数は片手で済んでしまう感じがする。そこに、市場を意識した外向きの取り組みの困難さが見てとれる。職人や作家から良い意味での事業家への変身が求められ、またそうすれば実績が出せる時代になってきた。また、特定の人だけでなく、普通の人でもそれに向けて努力出来る環境を創っていくべき時代になってきたとも言える。「後ろのP」を確立したヨーロッパのブランド品はどうか。量産的なものと、特別に手作りをしたものを上手く組み合わせているケースを多く見かける。本物志向に関して、どこからが該当するのか。作り手の見識と使い手への訴求方法が相まって、歴史の流の中できちんと立場を確立してきたと考えられる。

 そこには2つの秘密があり、1つ「最初のP」にその謎は隠されている様な気がする。もう1つは個人の自立の問題で、外向きの姿勢と自律的な行動である。個と社会システムの関係への意識の問題でもある。ヨ−ロッパでは「個」が確立されているということである。「誰かがやってくれる」、「役所のせい」、「今のままで良い」、「世の中が悪い」など、自分以外の理由にしている内に環境が変化し、自分が置いてきぼりをくったことに気がつかない。「気づき」は大切である。これに基づいて自発的な行動を起すことのみがサバイバルの道である。逆に、2極化は時代錯誤な強力な抑圧も含めて、ここから生まれて来ると言えよう。社会の水準が高まっているので、待ちの姿勢では対応不可能である。イギリスでは工芸(クラフト)関係に関するマーケティングのテキストを何冊か見かけた。Web上でも詳細なテキストが公開されている。社会の基軸と上層に、個を核にした工芸が認められている事を物語っている。そして、個の意図しない弱さへの理解と、創造的な役割への認識に関しても然りである。

<悪魔の市場と天使の市場>   手技による工芸品の市場を工業製品と同じ形でグローバルな方向にもっていこうとすると、生産量の矛盾と価格競争の問題が出て来て悪魔の誘惑に負けるはめになる。例えば、プラスティック器胎の漆器の様な無惨な結末となり、漆器全体のイメージ低下という悲しい結果を生むことになり勝ちである。一方、何百万円もする美術工芸品を売ろうとすると、極めてローカルな特定の層を相手にした市場に頼ることになる。特に高価なものの取引には、鑑賞眼と鑑定眼の両方が必要になるが、簡単なことではない。市場があっても鑑定眼がないと取引は成立しない。従って、取引には閉じた世界における悪魔のささやきが必要に成り勝ちである。必ずしも文化レベルが高いと言えない、これは明治以降日本文化を捨てて来た国家戦略のなせる業かもしれない。その様な状況においては、個人との交換を意図した開かれたオークション市場も確立されていない。最近、インターネット・オークションが開かれているが、適切な水準の美術工芸品を扱うには課題が多い。美術工芸品は、実物を見ないと評価出来ないので、誰もが参加出来る通常のオークションが必要である。

 グローバルもローカルもだめとすると、両者を融合したグローカル市場はどうであろうか。グローバル・ニッチとも呼べるものである。特定な地域の産出としてのクラフトや民芸を含む工芸品を、グローバルな視点で特定な地域の特定なテイストを持ったローカルな層に売っていくことが出来る市場を構築する。これを「天使の市場」と呼んでおきたい。そこには、作り手と使い手の心を結ぶ天使の役割をする人達つまり運び手が存在しなければならない。現代の運び手は、情報や思いを運ぶ役割が重要になっている。作り手か使い手がその役割を担う場合もあり得る。日本でもその様な志向を持った人が、私が関心を持っている漆器や陶芸の世界で出てきている。しかし、まだナショナル・レベル(国内)である。インターナショナルに海外までをカバー出来ている事例は希である。海外に居住する日本人や親日家のクラフト・エージェントやデザイナがこの分野に感心を深めてくると、事情が変わってくるかもしれない。誠実な作り手と享受力やスポンサーシップを合わせ持つ賢い使い手を結びつける天使役には、例えばギャラリーや展示会コーディネータなどがあるが、作り手を見る目には厳しいものがある。このとき、自分の好みを中心に、作り手としての生き方の評価も含め、使い手の側に立って篩にかけることが重要である。その結果、特定の使い手集団に認められ、ファンが出来る。個展のオープン当日、時間前から行列が出来るようになったら一人前である。

 地価の高い都市においては、新しく投資を要求される場合は例え志(こころざし)があっても、設立は結構困難である。固定費が大きくなると、量が少ない工芸品をリーズナブルな価格で提供しても経費が回収出来ないことになる。文化的な活動をする志のある愛のキューピッドに安くビルの一室を貸す様な大家さんが出て来るか、自宅をリフォームしてスタートするか、余り選択肢は多くない。現在行っているビジネス用店舗の中で、展示用のスペースを工夫して生み出すケースも出ており、有望で意欲のある若い人を応援する動きとして評価出来る。これらの志ある個人が中心になって自主的に行動している活動を、行政が地域振興のために応援するケースも少しは出てきている。しかし、例え運び手としての愛のキューピッドが努力しても、行政の側に官が個業を支援出来ないとする精神構造の持ち主も多くいる。もう少し制度的な視点での取り組みを行うことで、文化を軸にしたグローカル市場構築の運動にしていく必要があると言えよう。「工芸家よ地方を目指せ!」などというキャンペーンが張られる時代がくるのかもしれない。目先の利く人は、農と食までを組み合わせながら、既に行動しているようである。