「人間復興の工芸を考察する」


−課題の在り方を考える−  漆工芸や木工・木彫の趣味が段々深みにはまっていく中で、クラフトを含めた工芸品関係の産業としての位置づけや日本文化そして和風の復活など、環境問題と密接に関係しながら自然回帰の潮流が起こり始めたことに気をよくしている。この流が本物になり、付加価値経済の活性化でデフレの歯止めになり得るかどうか。

 自らが手の技でモノを創り出す喜びはあっても、工芸に携わる人達の生活は必ずしも恵まれていないのを目の当たりにして、文化と産業の関係に関して考えさせられることが多い。長年に亘って自動化機器の開発に従事した経験を背景にして工芸界を見ると、柳宗悦が著わした『手仕事の日本』を思い出す。更にこれを越えるべく『人間復興の工芸』を表わした出川直樹が提唱する如く、人間の在り方そのものにも目が向いてしまう。日本の高度成長期を共に生きた、同世代のシニア/団塊世代の方々と手を携えて考えて行きたいと思う課題である。

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−経済と文化−
 文化人の一部に経済のことを嫌う風潮がある。しかし、例えば全国アンケート結果で自治体の文化政策を分析すると、経済的な面つまり産業振興策を視野に入れていないところでは、芸術・文化に関わるパフォーマンスが出づらいとの結論が得られている。更に、地域社会の文化環境にまで政策対象を広げているところでは、文化的な成果も高いという結果が得られている。文化の産業化が必要とされる所以であり、この点でも産学官民の連携が重要になってきた。工芸という切り口ではプロとアマの連携が重要であり、作り手と使い手更に運び手という世界も含めてこの連携を広げる必要を感じる。若手の工芸家でこの様なアプローチを採る人が増えていて、成功しているケースを見ると、この感が強い。
 一方、行政或いは大学や専修学校は、道具や雇用のことをどの様に考えて行動しているのであろうか。工芸品のお客を創ることに、どの程度重きを置いているのか。業界とそこに関わる人の雇用の持続性に誰も責任はないのであろうか。産業振興は文化政策の一環として研究・策定し、人材も育成していく必要があると考える。このことに関連して、工芸品に関するマーケティングの本が教科書として存在するのかどうか。見かけたことが無い。

 イギリスでは、思いがけずマーケティング関係の2冊のテキストに出会ったが、肝心の日本では見たことがない。英文ではインターネット上でも詳しいテキストが出ている。最近、産官学連携が言われているが、この種の連携も「経済と文化」の複合的な観点から視野に入れる必要があると考え、なんとかチャンスを創って行きたい。

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−モノづくりの継承−  近年DIYなる言葉が一般的になり、素人が手仕事をすることが増えてきた。欧米では、30年以上前から常識であり、このための地下室が各戸に作り込まれている。残念ながら我が国でDIY用の部屋が標準仕様に組み込まれた話は聞かない。何故かを考えていても始まらない。少数派は、自分で考えて組み込むしかない。我が家では、漆工部屋、陶芸部屋、木工小屋を改装で組み込んだ。

 一方で、プロの職人が減って来た。大工仕事でも、まともに道具が使えない職人が増えているらしい。機械が加工してくれるので、一般的な仕事では技量を必要としなくなった。結果として、極めて高い技量を必要とする宮大工は皆無に近くなったという。後継者を必要とする事業があっても、これを継ぐ若者がいなくて廃業するケースもある。一方で、個業の家業を継ぎたいという若者もあるが、仕事量を考えて躊躇するオヤジもいる。業態を現代化しながら、夫婦2人が或いは親子が個業を発展的に継承している姿もある。現代的な職人像の確立が急がれるのではないだろうか。工芸を開かれた世界に引き出し、関係者が連携しながら個々の事情に合わせて柔軟に連携していく姿を一つのモデルとして考えて行きたい。

 「ものづくり大学」が出来たが、工業化社会のそれに終始していないかどうか。大量生産の時代は終わったという話をよく聞くが、全て不要になった訳ではない。手仕事や本物の素材を使った環境に優しいモノづくりが本流になった訳でもない。手間の掛る作業はコストが高くなり、安い物が溢れる中でそれ程売れる様子もない。しかし、一部に高価な海外ブランドに目の色を変える風潮もある。デザインの良さはあるが、持つことがステータスである世界が存在する証でもある。価値観が多様化しているのは確かであり、環境をキーワードにした「手仕事の日本」がそれに相応しい地域から外に向かって発信されれば、一つのステータスとなる時代が近づいているかもしれない。縄文時代から繋がるモノつくりの日本文化を継承する事を活動の糧にしたい。

 いつの世にも本物の良さを判ってくれる人は多い。作り手と使い手の顔の見える関係を好ましいとする人も徐々に増えている気がする。しかし、気持ちは温かくても必ずしも懐が暖かいとは限らない。良いモノをリーゾナブルな価格にしないと数が出ない。これらの事実は日本だけのことではなく、イギリス滞在時に彼の地の工芸家からも耳にした。産業界ではコストを下げるための熟練化を期して分業を進めてきた。しかしこれは数を基本にしている。
 個業においては数量が出ないので、コストを下げかつ付加価値を増やすために分業をやめる傾向が出ている。このためには、多能工的なスキルが必要であり、作家、職人を問わずプロのリカーレント教育;再訓練の必要性が出てくる。手間は掛るが、創る楽しみは増してくる。この楽しさを使い手と分かち合えると良いのであるが、と願わずにはいられない。しかし、伝統的な閉鎖社会では、おいそれと別の世界の先生に就く訳にはいかない。また、個業では借金すると大変である。借金の固定費を賄うだけの数の作品を売るのは至難の業である。

 作り手と使い手の顔の見える関係を追求していくと、プロとアマの交流に始まり更に連携を視野に入れた活動と、そのための場づくりが求められる。使い手の文化享受力の向上もそこから育まれてくる。"森のくらしの郷"は福祉活動を行う里山セラピーの場でもある。"手技のゆりかご"は、「手仕事の日本」への関わりに加え、生物多様性のある森と人々の交流の環にシニア・ボランティアに加わって頂き、学生や青年層との連携の中で経験と知恵を活かした活動を展開して行きたいと考えている。

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