「LOHASは縄文から」


 LOHASというポストモダンなマーケティング手法と、一万年以上昔に遡る日本の基層文化とも言うべき縄文文化とがどう結びつくのでしょうか。

 その答えは私達の行動、つまり白州(”森のくらしの郷”)で行われる縄文プロジェクトにある、というのをこの場の答えとしたいと思います。

→あなたがアクティブ故に、答えがちょっと気になる、という方はこちら@をご覧下さい!)

「シニアワーキングキャンプ;『縄文プロジェクト』のこと」
               →プロジェクトの意味はこちらAに詳しく触れました!

−ビジョン:縄文のこころを継承することが21世紀の日本を創る−
   「元気なシニアは自給自作で遊ぶ」
...自分で食べるもの&使うものを自分で作るスタイル

   「若者に文化を継承し道楽を仕事に変える!」
  ...ご先祖様が残してくれたものを絶やさないで、次の時代に伝えて行く暮らし

<プロジェクトに関わる幾つかのテーマ>
・ 縄文の茶室
・ 食彩・食卓・食器
・ 生業が生む暮しと文化
・ 世界観・自然観&未来感
・ 縄文文化産業ネットワーク;『海幸・山幸』

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@縄文土器の力

 縄文土器が主張してきた表現力。それは、縄文文化の奥にある精神性、つまり世界観や自然感などに基づく、人とひとの関係、集団間の往来ルール、遠地との交易の原理などを現代に伝えるものです。そのこころは、これから展開される21世紀そして新ミレニアム時代の日本人のくらしに彩りを添えるもの。そして、この時代への強力なメッセージ力を持つが故に世界に通用し国際社会に貢献し、新しい日本文化の原動力になるものである、と考えられます。縄文の土器に始まる暮しのあり方に迫り、その意味を見つけて行くのは結構楽しいことかも知れません。
 縄文の衣・食・住、そして遊・職・学。一歩づつ再現しながら手仕事、手技に関わる行動の共有を通して世代間の交流を図り、文化の継承を試みて行きたいのです。縄文時代は、集団のリーダーはいても階層社会ではなかったそうです。長老が指導し、暮しの技や文化を伝えていく社会でした。世代の継承は女系であり、女性が暮らしの文化をリードした社会でした。祭りや交易を通したネットワークが、地域で重要な役割を果たした時代でもありました。勝ち組、負け組というジャーナリスティックな捉え方よりも、Win-Winをハッピーに感じる人。縄文に学ぶべき事柄の多さを見るひと。食料の獲得を採集・栽培・農耕へと繋いで来た先人の知恵と日本の風土にこれからの日本の力を見つけていければと思うものです。



A縄文の里山、そして手技に見る文化の独自性

 土器を発明し、育てて使う文化を手に入れた人達がいました。その文化の基を創った人、それを受け継いで発展させたひと、手仕事に拠って連綿と続けてきた人間の営みこそが文化ではないでしょうか。照葉樹、落葉広葉樹、針葉樹と多様性を誇る森と里山。恵まれて風土があればこそ、縄文文化が花開き、今があります。勿論そこには、アジア大陸の東側に居た人達との交流や人の往来が数多くありました。島国であるからこそ多くの文化が交じり合い解け合って、地域性を加味した多様々な地域文化をつくってきました。江戸時代に、更に流域性が加わって200以上の藩にに分れていたのは、極めて自然な成り行きであったのかも知れません。地域化により、手技が極限にまで精密化し近代化の礎としても有効に働きました。
 道州性が云々されていますが、方向としては社会をミスリードしてきた画一性を離れ、より活力のある様々な活動を誘起する望ましい方向にあると考えます。多様化の基底にに流れる基本原理に迫ることで、国際社会において一つの国としての日本のアイデンティティの確立を目指し、くらしの中で統一的なものを追求する姿勢を貫くことが、一層大切になっている時代と言えます。

<LOHAS>
 人と人或いは国と国のコミュニケーションの在り方という次元のコンテクストを思い起せば、LOHASと縄文は結構繋がってくるのが判ります。勿論、全ての物事に対処するオールマイティなマジックとしてではありません。自分の置かれている立場、自分を取り巻く環境をきちんと認識し理解するために、アクティブに動く人達を結びつける関係性のコアとしての存在、つまりアイデンティティの根拠としてその意味を主張しているのです。
 LOHASには2つのタイプがあると思います。受身のLOHASとアクティブなLOHAS。後者はどちらかと言えば若者に多い。しかし、シニアや団塊の世代にも希に見かけるから、こらを貴重品(失礼)と呼ばせて戴けるかもしれません。「シニアワーキングキャンプ」は、この様なスタイルを選んだあなたが、先祖から受け継いだ日本の文化を次世代に伝えることを通して、21世紀の日本の未来を確かなものにしていく事に汗を流す場を一緒に造っていくものです。

<スロー>
 スローフードやスローライフという地域文化に焦点をあてた社会の重視、農的な暮しや定年帰農など農とリンクした新しいライフスタイルの提案、LOHASというマーケティング手法の流行、地産地消や自給自足など食に関わる政策の見直し、など等。地球温暖化や自然環境破壊の進展に伴って、経済一辺倒の過去を反省して地球と人に優しい方向を目指す多くの動きが出てきています。これら動きに加え、日本という国が、経済面だけではなく社会的活動の総合的な面で、国際社会における地位を再構築し貢献していく行動が求められる時代になっています。そこでは、日本が独自性のあるアイデンティティを持った国としてグローバルな行動をすることが重要になっています。
 歴史を紐解けば、幸いにも日本の文化は縄文文化の恩恵を受け継いでいます。水田稲作が普及した弥生時代を基層と考える人もいますが、この文化は既に画一化に流れていることを考えると、経済の行き過ぎを示す現代に繋がるものです。一方、最近国際的に評価されてきた「もったいない」という発想は、縄文文化にまで遡るものではないでしょうか。日本の文化に根付いた発展を実現しつつ21世紀の地球環境と国際平和に貢献する世界観・自然観を国民の一人ひとりが持つことが必要です。縄文時代の人達は金属を知らなかったので、石器を使って木を切り食料を得て来ました。しかし、例えば朱のうるしで塗った櫛を使う縄文文化を調べていくと、手仕事・手技の水準が思ったより高かったことが分ってきます。おそらく、個人ベースで衣食住に関わる知恵比べをやれば、文明の利器を取り上げられたときの現代人のひ弱さが明らかになることと思われます。無人島のサバイバルゲームで負けるのは想定内と言うことです。
 日本の文化は米文化に基づいた弥生時代に始まるとの認識が大きいようです。しかし、その基層にあるのは縄文文化であり、「森の文明」が長年続いてきた結果今日の日本社会があるとの指摘が増えています。考古学とその関連分野の調査・研究の成果が、これを裏付けています。里山の景観が日本の原風景と言われています。これは、単に田圃だけでなりたっていません。周辺の里山から落ち葉を得て肥料にしたり、木の枝を燃料にする。多様な野菜を畑で育てて食卓を飾り、うるしや山菜を採集して副業にする。祭りも、田の神と山の神の両方を祀るなど、複合的な里山文化こそが原風景となっています。日本人がこの風景に浸るとほっとするのは、DNAのなせる技かも知れません。
 縄文から続く日本食が健康食であると世界中が注目しているニュースも見聞されます。日本では、古代からスルーフードが当たり前であったことを意味します。この様なことがアイデンティティの根幹をなすもので、縄文時代から続く「もったいない」という感覚、自然と共生してきたライフスタイル、「森の文明」の恵みで命の営みを維持して来た世界観などに集約しながら、新しいスタイルを構築していく機会が生まれていると思います。

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