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−問題を発見する;漆芸から工芸を見据えて− 日本で使われる漆の99%以上が、主として中国からの輸入に頼っている。幾つかの産地があり、近年その質も向上している様子である。しかし、経済発展の著しい中国で、いつまで生産が保証されるのか。我が国の歴史を振り返れば極めて脆弱な発想と言える。日本では、漆の樹が減っていると同時に漆を掻く人も減っており、私を含め危機感を覚える人も多い。道具類も同様であり、例えば漆塗りの刷毛を作れる人は、日本に1,2人しかいない。一方、漆芸を教える学校は結構あるが、卒業してその分野で就職出来る人はほんの一握りという。
「漆工芸」は、伝統工芸、日展、クラフトと大きく3つの宗派(あえてこう呼ばせて戴く)に分れているらしい。アマの世界からは想像し辛いが、お互いの交流は少ないと聞く。宗派的な考え方は、むしろ変革を起すべき大学にも引き継がれているらしい。顧客から見た宗派の区別なのかは不明であるが、閉鎖的なムラ社会内部の派閥争いだけではなく、その道の独自性を貫くプロとしての主張が根底にあることは確かであろう。しかし、だからお互いに協力出来ないのは、その主張の根拠そのものが世の批判に耐える強固なものではなく、かえって脆弱なものである疑いを持たせる。素人の方がこだわりなくおつき合い頂けるのかもしれない。素人がこんなことを書くと、反発をくらうのが閉鎖社会であるが、怖いモノは何も無いので敢えて言わせてもらう。プロ同志の交流が困難なら、プロ・アマ連携の中からもう少し自由なおつき合いを始めてみたいとの思いがする。 グローカル(グローバル・ニッチ)市場を考えた場合、環境の時代にどの様な工芸品のブランドを構築するのか。工芸家一人ひとりの問題であり、また各業界の課題でもある。縄文時代から続く日本の自然共生型デザインとこれを基盤とする文化は、日本発の文化商品と文化ブランドを考える上で極めて重要と思える。明治以降花開いた日本の高質な大量生産力が、日本の「現代化」を支えてきたのは確かである。しかし、この力も縄文から江戸時代にかけて綿々と培って来た物作りの技能・技術という文化資本の裏付けがあってこそ始めて可能になったものである。江戸時代に発達した庶民の寺子屋もしかり。燈火用の菜種油の発明が文化の向上に大きな役割を果たしたという記述を見かけたことがある。 日本の21世紀を主導する「脱現代化」を支えるのはどの様な産業文化であるか。脱石油文化であると共に、使い手を巻き込んだものであるとの思いがする。質に厳しい日本人の気質を活かし、「作り手と使い手の双方向交流」とエコ・デザインに基づくものに高めることは出来ないのだろうか。これが可能なら、手技の品は、地域性を背負った文化ブランド化が進み、先進国を中心に発展するアジア地域までを対象にしたグローカルな市場性を満たすものとなるに違いない。作家、職人、マニアックな趣味人を問わず、物に思いを乗せるデザインとこれを実現する技をのせた文化的なモノとして、拘って創って行きたいものである。その国、その地域固有の価値を認め合うことから触合いが生まれ、地域ブランドからグローバルな価値の交換が生まれて来る可能性に賭けたい。 神の啓示;年金を使ってでも良い、道楽から始めよ! |
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−問題解決の糸口− 歴史的な展開の中で培った日本の得意技を更に磨くに際して、伝統工業と現代工業の両者を視野に入れた方法論が必要なのではないかと考える。E.F.シュマッハーが提唱した"スモール"発想は、まだ生きていると考えたい。数の多いアマが活動し易い環境を創れば、プロの力が活かせる適正な技術の在り方が明らかになり、道も開けてくる。"手技のゆりかご"はこの様な価値観に沿うもので、「手仕事に関わる道楽を追求する人この手に止まれ!」ということになる。日本の伝統と文化に自信を持ちたい。日本人は個人として優れた素質を持っているが、社会システム全体としてのパフォーマンスを発揮しているのかどうか。それが、世界でどの程度評価されているのか。手仕事の効率と効果という観点から、材料と工芸或いは農林業と工芸のつながりを考えてみたい。材料は山ほど存在する。木・竹・和紙などの「木の文化」、縄文から続く「里山文化」、更に稲まで含めた「植物文明」など、多くの識者が指摘ところである。
檜と杉でモノカルチャー化(画一化)した林業や広い畑を確保し単品を農薬漬けで機械的に生産する農業に未来はあるのか疑問である。農業人口、林業人工が減り続けている現実を見据える強さを持つ気持ちが欲しい。増え続ける人口を支える量は必要である。しかし、緑が多くあるというだけのモノカルチャーな農林業は、多様化する人々の気持ちに応えることや食の安全性更には生物多様性の維持を約束出来るのか。目先の効率から文化的な意味までを幅広く考える農林業或いは農的暮しへの挑戦はもう始まっている。土地生産性を高めながら多様性や安全性に対応する農林業に「アグロフォレストリー;林間農業」がある。熱帯地方での地域開発を想定しながら発展してきたが、近年温帯地域でも注目され、我が国も含め多くの国で実験が推進されている。
"手技のゆりかご"では、サスティナブル(持続可能性)とデザインの意味を少し広義に考えており、これは言葉の解釈に関する提言を踏まえた実行でもある。この考え方は、参考に掲げた川北と柳・出川の考え方に触発されたものである。日頃のモノづくり活動の中で取り入れることに努力している部分であり、直ちに100%賛成して頂けるとは思っていない。しかし、反対と言われると、この指止まれとはならない性格のものである。
<サステイナブル・デザインとは> |
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−活動の方向性− 出会いの場と実験や学びを結び付ける活動、"うるわしの森"を中心とした工芸・クラフト及び林間農業の実験、そして"森のくらしの郷"への還元サイクルを柱とした経済的な活動を行っていく。工芸に携わるプロの作家や職人、関心が高い趣味人・セミプロばかりでなく、会員や郷へのゲスト訪問者や地域の住民がいる。若者がいてシニアもいる。学生や福祉団体の人達も多く訪れる。プロにとって、オープンな環境の中で多様な人との関わりを持つことが益々重要になって来ると言える。 "森のくらしの郷"という創造力を大いに刺激する環境・知的空間において、相互に触発される良い関係性を構築できる場を提供出来ることを願っている。還暦を越えた年金生活者である私にとって、"手技のゆりかご"を社会への還元とボランティアの場として楽しみながら、元気に自然と人に触れ合って行ければ幸いである。”持続可能な社会の構築”は、想像力と創造性豊かな若手のプロの貢献に期待するところ大である。シニアはこれを支える側に回るとしよう。 |
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−参考− "川北のデザイン論" 「"デザイン"とは、人間の創造力、構想力をもって生活、産業、環境に働きかけ、その改善を図る営みと要約できる。つまり、人間の幸せという目的のもとに、創造力、構想力を駆使し、私達の周囲に働きかけ、様々な関係を調整する行為を総称して"デザイン"と呼ぶ」(川北秀也(1989)、『デザイン原論』新曜社より)
"柳宗悦の「用の美」論"
"出川直樹の工芸論" |