同行したのは、
梅野正義 先生(工学博士・名古屋工業大学名誉教授・元中部大学教授・シーズテクノ㈱取締役)、
ネパール人 中部大学研究員 Mr.Ghimire Dilip(博士課程修了)、Mr.Sudip Adhikari(博士課程修了)、
インド人 中部大学大学院留学生 Mr.Golap Kalita(博士課程)
直前の2008年11月27日 ムンバイ(旧ボンベイ)でインド同時テロ:死者171人…どうなることかと思いました…;
INDEX | 1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 7日目 | 8日目 | 9日目 | 10日目 | 11日目 | 12日目 |
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第一日目
2009年1月17日(土曜日)
(岐阜0℃・晴)
05:00 日本では寒い寒い朝に早起き
家族車により一宮駅まで送って頂きました。
06:28 名鉄快速特急:豊川稲荷行で名古屋駅へ
06:35 大きい旅行カバンを持った人が散見する名古屋駅に到着
携帯電話で連絡を取る寸前に、遠方の梅野先生を雰囲気で察知して、合流。
名鉄空港特急ミュースカイ:中部国際空港駅行に乗車。
07:29 中部国際空港到着 「(゚o゚) ここが噂の新空港…!(2005年2月17日開港)
・荷物検査で、筆箱内のハサミを没収された…
・空港の職員は皆、複数ヶ国語が堪能ですな〜
07:30〜09:00 朝食が超早かったのでセントレアで補完食の後、構内を散策
09:40 SINGAPORE AIRLINE発進
滑走路内をゆっくり走行後、一気に加速して上空へ。
快感…♪
① 綿菓子のような雲を突き抜けて、ぐんぐん上昇。太平洋は霧霞模様。
相当高い所を飛んでいるようで、洋上に見える船は木の葉のよう…この地球の大きさに比べたらほんの塵芥に過ぎない人間が、欲求のままに、他種を駆逐したり、環境に深刻なダメージを与えたりして、地球から仕返しされても仕方ないかも…
② 外は穏やかな天候でも、景色の変化は見ていて飽きません。
③ 機内サービスで「CAFE or TEA?」と問われ、どちらでもいいけれど熱いのは勘弁と思って「HOT or ICE?」と問い返したら、梅野先生に「外国にはアイスコーヒーはないよ(^_^)/」と突っ込まれました;
15:40 シンガポール Changi International Airport(チャンギ国際空港)到着
(日本時間16:40)
着陸は不快…; 地球上を「重力の井戸の底」と表現するスペースノイド(宇宙市民(宇宙世紀の話))の気持ちが分かったような気がします…
・気温30℃(日本では真夏日といいます) ここで冬着は脱衣。
・空港は活気があるものの、平日であるためか、騒々しさは感じませんでした。
19:00 同じ飛行機でチャンギ国際空港発
20:35 インド Kolkata(旧カルカッタ)Netaji Subhash Chandra Bose International Airport(国際空港)到着
(日本時間0:05)
数少ない信号で、車線を無視してひしめく自動車。 そして、それをすり抜けてゆく歩行者・自転車…!
5. ほとんどの車がクラクションを鳴らしまくり、たまに鳴らしっぱなしで、行き交っています。
(旅行中に見かけた自動車は、日本では旧型車といえる丸ランプばかり、半数が日本車で、計測するとスズキ>イスズ>トヨタ≫ニッサン,ミツビシ でした)
6. ゴラップさんの交渉により、空港での予約より1000ルピーも安いタクシー(トヨタ車)に6人が乗り込み、地元運転手の手腕で渋滞を走り抜けて、ITCホテルへ。
2009/01/ インド通貨:1ルピー=約1.83円 |
7. 途中、どう見ても救急車らしき車両に遭遇したのに、それが優先されているようには見えませんでした…
ITC HOTEL THE SONAR KOLKATA に到着
さすがに、当職員は恭しい英語でした。
18Fの部屋に入って、真っ先に電源を確認すると、予想通り、日本のコンセントとは形状が異なっており、これに対応したプラグ変換器を持ってきたもんね〜 (^ ^)とほくそ笑んでいたところ、
電源対策は完敗かと思われたものの、後日、思い切って115Vでシェーバーを充電してみたら、ちゃんと充電できました。 偉いぞ日本製!
この夜は爆睡しました。 この日、最も堪えたのは、日本の寒さでした…
第二日目
1月18日(日曜日)
この旅行期間中、毎日04:30〜05:30(日本時間08:00〜09:00)には目を覚ましてしまいました。
室内の時計・自分の腕時計も不備で、現地時刻が不明なので、目が覚めた時点でTVを点け、62chもある番組の中から、時刻を表示しているものを探し出しました。
ところで、部屋の窓を閉じておかないと、街の空気が悪い…排気ガスで空が霞んで見える…
08:30 皆がホテルの食堂に揃って、朝食のインド料理バイキング開始
1ラウンド目には得体の知れないオカズと、何となく雰囲気が違う手巻寿司を手に取り、2ラウンド目には得体は知れないものの間違いなくデザートであるものを取って、とりあえず満足な量の朝食を摂りました。
この日は結局昼食にあり付けなかったので、量的には丁度いい具合でした。
その計画に沿って見学したのは、
① Indian Museum:インドの地質・昆虫や魚類も含む動植物・古代から現代に至るまでの歴史・美術・建築を全網羅した、インド博物館
日本の浮世絵みたいな絵もあり、インド文化の奥深さを感じました。 もっと時間をかけて見学したいものです。
② Mother Teresa Mission of Charity:マザーテレサが亡くなった所という、マザーテレサの教会
彼女の遺品に口付ける女性もいて、いまだに敬慕されているのを感じました。
そこの出口の外で、初めて本当に物乞いされました。子供だったのですが、申し訳ないことに、インドルピーは持ち合わせていませんでした…
③ Victoria Memorial Hall:イギリスが作らせたという、ビクトリア記念堂
王朝の気風があふれていました。
④ Haora橋:意外と大河であるハグリ川に架かる吊り橋で、コルカタの新名所らしい
有料道路に直結していたのはどうかと思います…
インドにおいて、少なくとも街中では、コブラ遣いやターバンを巻いた男は見掛けませんでした。 また、ネクタイ・スーツ姿以外の男性は随分適当な格好で、ほとんどの女性はサリーを巻いていました。
ホテルに帰ってから、TV番組でNHK(ch57)を発見…!
しかし、この“NHK海外”について、他のみんなは御存知でした。
その後、車がひしめいているのに横断歩道が見当たらない、危険な道路を横断して、明日のPVSEC18の会場を下見しました。
会場は、ITCホテルの道路対面にある「SCIENCE CITY」の会議室です。
そしてそこは、会議の前日だというのに、準備の工事の真っ最中でした。
夕食まで時間があったので、留学生の皆さんと共にホテル内を探検すると、プールとジムを発見しました。
「外国での入浴には必要」というのを目にしたので用意してきた海パンと、寝巻用に用意してきたジャージが役に立つ♪
夕涼みの中、よせばいいのにギミレさんがプールに入ったところ、やはり寒いらしい…インドの夜はぐっと冷えます。
ジムに設置してあった器具は、オーソドックスな物ばかり…というか、器具の説明書は英語でも、その挿絵は、馴染みの昭和スポーツセンターの器具のと同じでした。
⑥ 夕食は、やはり同目的で同ホテルに宿泊している、産業総合研究所の皆さんやSLOVAKIAのヴィラミール先生等合計9人で、インド料理バイキング。
ビールがあったこともあり、英語によるスロバキア話を中心に、夜遅くまで盛り上がりました。
※スロバキア 1. 首都ブラチスラヴァ、人口は500万人くらい。 2. '92年チェコと分離した。 3. 宗教上の、平和な分離だったらしい。 4. 言語はスロバキア語で、チェコ語とは少しだけ異なるものらしい。 しかも彼は他にもロシア語、ドイツ語、英語、フランス語を理解するらしい。 それで日本語を勧めたら、日本語は難しいから勘弁してほしいそうな… 5. 機械工業が唯一の取り柄で、ヨーロッパでも有数の自動車生産地である。 しかし彼の車はスズキだとか…しかもお気に入り… |
第三日目
1月19日(月曜日)
09:30 今回の目的である、「PVSEC18」(18th PHOTOVOLTAIC SCIENCE and ENGINEERING CONFERENCE & EXHIBITION, January 19th-23th, 2009 SCIENCE CITY CONVENTION CENER, KOLKATA, India)(第18回 光起電力科学技術会議・展示会)開幕
冒頭の代表者挨拶といい、展示物といい、太陽電池の未来は明るい…いや、太陽電池で未来は明るい…
確かに、明るくないと太陽電池は機能しないけれど…
午後は専門的な会合らしいので、先にホテルへ帰投。
TVでまた、「つるピカハゲ丸くん」と「ド根性カエル」を発見。
さらに、またクリケットの番組を見付け、屈強な身体の選手達がプレーをしているのを見ると、当国におけるクリケットの人気を感じます。
16:00 プールは貸し切り同然
でもやっぱり水は冷たい…だから誰もいないのか…
19:30 今夜はPVSECの会食…やはり同ホテルで野外バイキング
スイーツも存分に提供され、当地でしか味わえないであろう珍味の数々を堪能しました。
ところで空港といい、ホテルといい、毎回厳重に身体検査…
ホテル内は、ルームキーを持ち歩かないと、エレベーターの行き先すら選べません。
第四日目
1月20日(火曜日)
08:00 朝食のインド料理バイキング
他の皆さんはPVSECでランチが用意されているようですが、僕はただのオブザーバーにつきランチは不備なので、昼食分も食い溜めました。 しかしスディープさんによると、そのランチは危ないから嫌なんだそうで、かえって良かったかも…; 危ないって!?
10:00 ホテルのジムでトレーニング
15:00 ホテルのプールで水泳
相変わらず冷たい水…!
20:00 今日もPVSECの会食
タクシーで渋滞を越えた先のホテルで野外バイキング。
インド料理って、辛いか酸っぱいか、稀に甘いのね… 甘いといっても、果実ごちゃ混ぜの甘さなんですけれど…
当会場で、日本語も達者なインドネシアの先生にインドネシア話を聞くと、インドネシアのメジャースポーツはサッカーなんだそうな。
締めとして、ゴラップさんおススメ:panというデザートを食しました。
外身は葉っぱで包まれている親指大のデザートで、口に含んで少しずつ噛み締めていくと、不思議な味が少しずつ染み出してきました。
酸っぱいというか甘いというか…
ホテル帰投後、TVでは米国バラク=オバマ大統領就任式のニュースが多く取り上げられていました。
“Yes, we can change !”って言ったって、実際どうだか…アメリカは、京都議定書も無視して、環境保全のためには、ガソリンをバイオエタノールで薄めて使うことしかできていないじゃない…
その点、知恵と技術を集め太陽電池を発展させて、完全にガソリン燃料と取り替えることこそが、人類の英知による、究極のエコロジーだ…!
当夜も爆睡。
ジムの器具の荷重がポンド表示なので、荷重の加減を間違えたのか、体が張っている…
第五日目
1月21日(水曜日)
08:10 朝食のインド料理バイキング…日本の食事が恋しい…
11:30〜13:30 うち15分がスディープさんの発表「SYNTHESIS OF SINGLE WALLCARBON NANOTUBES FOR PHOTOVOLTAIC DEVICES」
ITCホテルに帰投
15:00 ゴラップさんと共に、梅野先生の発表データの編集作業
17:30 今夕食のインド料理バイキングは、体調も思わしくないので、デザートを中心にしました。
ゴラップさんのおススメ:ミスティドヒとかいうデザートを実食…ヤクルト味のヨーグルトみたい。
筋トレで体が張っているのではなくて、胃腸が悪いのね…当地の料理に順応できず、お腹が…
第六日目
1月22日(木曜日)
当日はストライキとかで、交通量が比較的少なかったです。
07:30 梅野先生の発表準備のために、早めに朝食
インド料理バイキングは、フルーツとコーヒーだけにしておきました。
食後、ゴラップさんと共に、梅野先生の発表資料の修正作業。 WindowsVISTA版PowerPointって、厄介…!
サイエンスシティに到着したところで、ゴラップさんと親しく挨拶する人がいました。 Srikant Kawaleさんといって、高名なシャロン先生の研究室での同期なんだそうな。 ゴラップさんも顔が広い…!
10:00 梅野先生のPrenary Talk(基調講演)「APPLICATION OF CARBON NANOMATERIALS FOR SOLAR CELLS」
堂々とした英語で、カーボン系太陽電池の研究の、現状における成果と今後の展望について発表しました。
梅野先生の偉大さを再認識した思いです。
そして講演の締めに、太陽電池の高性能化について、私の夢でもあると言いつつ、「Yes, we can !」で締めると、会場がどよめきました…!
梅野先生の茶目っ気も再認識しました…
17:30〜:45 ギミレさんの発表「Nitrogen, Boron, Flourine and Silicon doped a-C films from MW SPW CVD」
ギミレさんの発表後、スディープさん・ギミレさんと共に、ホテルの外に食事に行きました。
スラム街にある店に行くそうで、タクシーに乗って渋滞を突破。
事故をしないのが不思議なぐらいの爆走でしたが、結局、旅行中に事故に遭わなかっただけでなく、目撃もしませんでした。
事故の跡はそこら中に…
ところで、他のタクシーも含めて、インドの運転手は、よく怒鳴るし、すぐ車外に唾を吐くし、感じ悪いなあ…
着いた店は…またカレーか…;
2009/01/ インド通貨:1ルピー=約1.83円 ネパール通貨:1ルピー=約1.15円 |
店を出てから、どう見ても日本でいう駄菓子屋で、panとかいう小デザートを販売していました。
日本を出発する前に薬を用意したところ、掛かり付けのお医者さんに8種類以上10日分も頂いて、こんなに要るものかな…と思ったものの、結局この日の夜までに、インド人であるゴラップさんを除く全員が、いずれかの薬のお世話になりました…!
第七日目
1月23日(金曜日)PVSEC18最終日
07:40 朝食のインド料理バイキング
焼きモノだけにしておきました…
09:30 PVSEC18 梅野先生による座長挨拶
12:45〜13:00 ゴラップさんの発表「HYBRID AND ORGANIC SOLAR CELL INCORPORATING CARBON NANOMATERIALS」
これでコルカタでの予定は終了、ゴラップさんはコルカタから100km:寝台列車で20時間かかるという自宅へ帰省しました。 PVSECの役員でもある梅野先生を除く我々は一時自由行動を取りました。
16:00 スディープさんとギミレさんの提案で、この時間からホテル外の食事に出発
1. SCIENCE CITY前でタクシーを拾ったところ、異様に若い運転手でした。高速道路を走っているものとばかり思っていたら、信号があったりしました;
この国のほとんどの車が信号でエンジンを止めることに感心したものの、信号が少ないうえに、切り替わる時間が相当長いからか…それより、どの車も本当に紙一重で他車・人をかわして、よくも接触すらしないものだ…
3. やっとHowrah駅に着きました。
その周辺には、小さな屋台…靴・フルーツ・肉・カバン屋等が並んでいて、幼い頃の記憶の中の岐阜柳ヶ瀬商店街はこんな印象だったかな…
4. ところが、アテが外れたらしく、引き返すことになりました。 ITCホテルまでと言うと、「金持ち=ボッタクリ対象」となってしまって、運賃が高く付くので、サイエンスシティまでと依頼しました。
5. 当運転手君(20歳らしい)は、やたら同業者や道行く人にモノを尋ねていると思ったら、どうやら道順をよく知らないようで、目的地から随分遠い所で彼をあきらめて、他のタクシーに乗り替えました。
6. 次のタクシーは三輪自動車…日本でも昔存在していた車両で、側面が剥き出しです;
大部分を占めるクラシックカーの他にも、馬車はある、人力車も人を乗せている、オートバイや自転車が駆け抜ける、日本の100年の交通を凝縮したらそのまま大渋滞しちゃったというくらいの、あり得ない光景でした…
7. 三輪タクシーに、狭い後部座席に3人掛けで、コルカタの風をダイレクトに浴びて走行していました。
8. そこへ、途中で乗り込んできた男が、ホントに便乗してきました…びっくり…!
20:00 長い冒険を経て、ようやく中華料理店で食事を摂ることになりました。
メニューが全部英語なのは当然として、チキン料理がやたら多いのと、chili-が付く料理がさらに多いことが印象的です。 オーダーはネパールの御二人に任せました。
1. 一品目は、普通のチキン料理…少し辛いや…
2. 二品目は、生野菜:ゴーヤとトマトとタマネギの輪切り
インドでは、サラダにもデザートにもゴーヤが入っています…
3. 三品目も、チキンのフライ…か‥辛い辛い…!
4. 締めは、チャーハンとヤキソバ
米は細長いインディカ米…パサパサしてら…こんなものを主食とする民族は考えにくい…日本の米はふっくらとしていて、本当に美味…ヤキソバは、間違いなく麺の炒めものだけれど、麺の色は素のまま…ソースが入っていない…そして、辛さのみ強調したものが、インドにおける中華料理でした;
第八日目
1月24日(土曜日)
ネパールではほとんど、土曜日が完全に休日
07:30 最後のインド料理バイキング朝食
まだ味見していない品が多いけれど、胃腸が耐えられないからしょうがないですな…
10:00 ITCホテルを出発
11:00 スバースチャンドラボース国際空港にて、Nepal:Kathmanduへの渡航手続
意外と複雑で厳重でした。
12:00 手続後、カトマンドゥ便をロビーで待機
この際、空港からチャイ/コーヒー・サンドイッチ・パンケーキのサービスでランチを摂取。
13:00 飛行機発進が遅延
理由は教えてくれませんでした。
随分経ってから、INDIAN AIRLINE機発進。
…水平線が見える?何でインド洋上なの?と思ったら、それは雲による地平線…雲平線とでもいうべきものでした。
その向こうに、長い長いヒマラヤ山脈が見えました。
その雄姿は、自宅から見える養老山脈の比ではないです。
17:00 ネパール Tribhuvan空港到着
(標高1300m・13℃)
ここがネパールかぁ…空気はうまいし、涼しい♪
しかし、例年は、この時季はかなり寒いらしく、地球温暖化の影響が顕著に表れているそうです…!
1. 空港には、3年前まで日本へ留学していたスニルさん(Mr.Sunil Adhikary:スディープさんの兄・現在現地大学教員)のお出迎え
2. 軽い入国手続の後、タクシーで、スニルさんが手配してくれたHotel Annnapurnaへ移動
ネパールの人達の服装は、インドとそんなに変わらなくて、違いといえば、多少着込んでいることくらいかな?
やっぱりネパールも車が多い…インド程ではないけれど…しかし石畳の道や山道が多いため、渋滞の程度はインドといい勝負でした。
そして、スピードおよびクラクションはそれほどでもないけれど、行き交う自動車とバイクと自転車と歩行者が、やっぱり紙一重で避けている…レンガ造りの建物と、時折見掛ける宮殿、町並みと往来する人々の姿までは想像通りでしたが、それを掻き分けて疾走する自動車は想像外でした。
休日だけに、交通量は少ない方なんだそうですが…
ホテルに到着すると、山荘を思わせる造りのホテルの2Fと3Fに部屋が取られました。 そこで遅れ馳せながら、スニルさんに両手を合わせて「ナマステ」と会釈する正式な挨拶をすると、スニルさんも大ウケでした。
当地はソフトバンク携帯に電波が届いていないの?ホテルのプラグはインドと同様かな…と部屋内の探検をするうちに、梅野先生が、ダイヤルロック金庫を手順通りに閉めたのに開かない!と色めき立っていました。 まあそれは食後にしましょうということにしました。
現地人であるネパールの御二人がホテル外の食事に誘うので、ホテルから歩いて少しの所にある中華料理店に行きました。
また中華か…;
どうやらネパールにおける中華料理チェーン店でした。
「O将」(TM)か!?(もちろん違います)
昨夜のこともあり、不安を胸に、実食開始。
当旅館の部屋割りでは梅野先生と同室となり、日本人同士だということで、シャワーではなくて、浅いけれど湯舟に湯を張って入ってもらいました。 湯を張り替えて僕も入浴、やっぱり日本人にとって、お風呂はこれでなくちゃ♪
第九日目
1月25日(日曜日)
午前:ヒマラヤ遊覧、午後:お釈迦様の生誕地Lumbiniに参拝の予定
山道が多いというよりもほとんど山道であるカトマンドゥ盆地を陸路で移動するのは並大抵のことではないので、ネパール国内の移動は飛行機に限るのに、霧のカトマンドゥ
06:30 やっぱりバイキング!? しかしソフトな味のものばかりでした。
08:00 ヒマラヤへのMountain Flightのために、梅野先生と2人でトゥリーブヴァン空港へ来たものの、
① 霧のために全線DELAY
:
② しばらく待ったものの、午前中に出発する目処が立たないため、残念ながらマウンテンフライトはキャンセルしてホテルに帰投
③ ネパールの御二人も加わって、午後からルンビニに行くために、同空港へ
④ 案の定、いまだにほとんどDELAY
:
待ちくたびれていると、ギミレさんが、日本に来たことのある政治家が空港のVIPルームに居るから挨拶しておこうと催促するので、
⑤ VIPルームに行くと、ネパールの第二党と第三党の要員がみえたので、挨拶に次いで、梅野先生とスディープさんの構想「ネパールに太陽電池を」というのを売り込むと、大変好意的でした。
カトマンドゥ到着直後から当日当時に至るまでの間にもしょっちゅう停電(毎日16時間くらい)する程、ネパールの電源は不安定です。 もともと水力発電のみの発電量のところへ、最近の発展で、PC等の電化製品を使う人が激増したためです。 資源が乏しい当国で、太陽電池を利用しない手はありません。
17:00 結局全便欠航
ヒマラヤもルンビニも中止!?と地団駄を踏んでいると、電話先のスニルさんも含むネパールの御三人が相談して、明日の梅野先生の会議前に観光地を回り切るという、埋め合わせコースを考えてくれました。
明日はハードだろうな…
さらに御三人は、夕食に和食を設けてくれました。
スニルさんの奥さん(Indo Adhikary)は、日本に留学していた時から現在に至ってもしょっちゅう自分で作る程の“和食通”で、ホテルから約3kmの所に、彼女のオススメの店があるとか。
ガイド本にも載っていないので、期待と不安半々で、梅野先生およびスディープさん・ギミレさんと共に来店。
ネパールの御二人も和食は大好きです。
こてつ KOTETU |
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第十日目
1月26日(月曜日)
またしても霧のカトマンドゥ
昨日の埋め合わせをしつつ梅野先生を会議に届けるツアーを開始。
霧のカトマンドゥ盆地を抜けて、タクシーが山道を登っていきました。
カーブミラーは一切存在しないので、見通しの悪いカーブではクラクションを鳴らしながら、前を走っている車が遅かったら遠慮なく追い越しながら、山道を降りてくる対向車も同様に追い越しをかけたので紙一重で避けながら走行。
「交通ルールを守りましょう」じゃなくて「隙があったら早く行きましょう」という標語でもありそうな交通状況です…
11:00 標高2100m以上のNAGARKOT(高地)に到着
下界を見下ろすと、霧のカトマンドゥというより、雲の中のカトマンドゥでした…!
太陽電池を設置するとしたら、当地のような、雲が掛かりようのない山の上に限ります。
そこから見えるヒマラヤ山脈は絶景、7000m級の山が並んでおり、端に遠くエベレストが見えました。 まだ1000kmは離れているそうな。
次の目的地:トゥリーブヴァン大学に向けて出発。 山道は下山の方が怖いなあ…
途中、昨夜の「こてつ」で昼食。 今日は皆、味噌汁+ラーメン。 やっぱりいい味です♪
16:00 Tribhuvan大学到着
ネパール留学生達の母校である当校は、学部ごとにキャンパスが散開していて、スニルさんの現在の職場も別の場所だそうな。
その中で、INSTITUTE OF SCIENCE AND TECHNOLOGY(工科学科)の会議に梅野先生と留学生2人と共に出頭し、太陽電池の有効性・ネパールにおける太陽電池の有利性・日本の協力体勢等を力説したところ、学科長Prof. Bidur Prasad Upadhyan (Ph.D)、学部長Prof. Dr. Bina R. Ghimire、副部長Dr. Nanda Bahadur Maharjan さん等は、大変熱心に聞き入っていました。
この後、梅野先生はホテルに戻って休憩。 僕はネパールの御三人と共に、昨日の代わりとかいう所へ出向きました。
① ルンビニではないけれど、近くに有名な寺院があるとか。 「日本(名古屋)でいうなら、京都旅行はキャンセルして熱田神宮に行くようなもの?」と尋ねると、「まさにその通り」だということらしい。
② 狭い道を抜けて辿り着いたSwoyambhunath寺院には、多数の猿が闊歩していました…!参拝もそこそこに、猿に見とれてしまいました。 熱田神宮というより、犬山遊園地に来た気分です。
③ そこからカトマンドゥ市街を一望できました。
④ ネパール土産は当寺院で買い込みました。(→)
(こういう物を飛行機内に持ち込むことはご法度です。)
第十一日目
1月27日(火曜日)
07:30 最後のネパール朝食バイキング
味付けは、日本人にも親しみやすいものでした。
ホテルの従業員に、「オハヨゴザイマス」と挨拶してくる人がいました。
08:30 トゥリーブヴァン大学の地質学校舎:スニルさんの研究室を訪問
梅野先生とスニルさんは、ネパールの現在、太陽電池の必要性、ネパール産業の可能性を討論しました。
10:00 ホテルに戻り、まとめておいた荷物を持ってタクシーでトゥリーブヴァン空港へ
よく見ると、街中には働いている子供が多いなあ…
空港での出国手続:入国時よりも念入りだったような…この手続も手伝ってくれたネパールの御三人とは、ここで暫しのお別れ。 篤く御礼を述べると共に、日本での再会と、ネパールへの再来を約束しました。
13:05 ネパール トゥリーブヴァン空港発
機内ランチで、また「‥Toast ? or Fried Fish ?」と問われ、梅野先生と同様に魚料理を選択。
20:15 シンガポール チャンギ国際空港到着
(25℃)
夕食に和食処を探したものの、和食らしきものは、Sushi店2軒のみ。
海外の寿司は敬遠して、次善のNoodle(麺類)を選択。
Wang Tang Noodleのサンプルの肉の色が妖しいので、やはり敬遠して、無難と思われるFishboll Noodleを注文。
ダシが感じられないスープだったので、フィッシュボール(カマボコ)が入っていなかったら、大変イマイチだったろうな…
第十二日目
1月28日(水曜日)
01:00 チャンギ国際空港発
(日本時間02:00)
07:00 機内食で再び魚料理を選択すると、煮魚の定食が提供されて、日本に近い所にいることを実感する一方、お米がそれほど旨く炊けていないのと、ご飯と一緒にパン・バターを添えているところなんて、まだまだ日本とは距離があるかな…と思っていたら、もう日本領空。
08:15 名古屋国際空港到着
(名古屋6℃)
「家に帰るまでが旅行」とはいうものの、無事に日本に帰り着きました。
旅行の総括は、日本の交通の整然としたところ、食物・水の美味しさ・安全性など、物価を除く何もかもがありがたいものであることを思い知りました。
インドでは、雑多ではあるけれど底知れないエネルギーを感じ、もし日本並に教育が行き届いたら、3000年以上の歴史を持つ当国は、日本の近年のアドバンテージを軽く超えて発展するだろうな…教育が行き届くのはどれだけ先になるか分からないけれど…
ネパールは、ベストな観光旅行地といえます。 ネパールの人々は、とても親和的です。
自分としての意義は、密度の濃い時間を過ごして、数ヶ年分の記憶喪失というビハインドを取り返した気分です。
備品まとめ: 《不要》 方位磁針・十得ナイフ ⇔ 《有用》 携帯枕・爪切り