2、政治思想史の政治からの離脱 − 歴史像・思想像・イデオロギ− −
本来、政治学(Political Theory)は政治思想史(History of Thought)の研究と離れて別個のものとして自己の学問的意義を完結することができるのであろうか。政治学の学問としての説得力を保ち得るのであろうか。また逆に、政治思想史は、現実の政治過程に分析を加えたり将来の社会変動を展望する能力を求めることなしに、その歴史研究に意味と可能性を与えることができるのであろうか。
政治学を政治思想史から分離独立させようとしてきた人々の論理と心理については、それとなく理解することができる。そこには学問的と言うよりも、むしろ相当に露骨な政治的意図が存在する。そこに見えるのは、日本の政治学を丸山政治学の囲みから解放させようと執拗に尽力してきた一団の人々の姿である。一団の人々の言い分は、学問としての政治学を特定の価値観なり思想的立場なりから引き離して、中立でフラットな位置に置かなければならないという尤もらしい主張であったが、その言い分を熱心に支持し後押ししていたのは自民党という特定の政治的立場の人々であった。そして、結果的にその試みはある程度成功してきたと言えるのかも知れない。
一方、政治思想史を政治学から分離しようとする思想史家たちの意図については、今一つよく理解できないところがある。それは一体どのような意図として捉えることができるのであろうか。政治思想史を政治学から分離することに何の意味があるのであろうか。
例えばここに平石直昭氏による放送大学編「日本政治思想史」がある。近世日本の政治思想史(儒学・国学)について非常に分かりやすく書かれた素晴らしい概説書である。私がこれを見て真っ先に思ったのは「学生時代にこういう本があれば本当によかったのに」という感慨であった。われわれの学生の頃はこういう便利な概説書はなく、いきなりあの旧字旧仮名の「日本政治思想史研究」が待っていて、まるで柔道や剣道の道場に入った新参者が初日から師範の胸を借りて乱取り稽古をさせられるように、徒手空拳でそこに飛び込んで行かなくてはならなかった。丸山真男の旧字旧仮名とヘ−ゲル哲学を前にして、ヘビに睨まれたカエルのように呆然と立ち竦んでいた哀れな自分を、今でもよく覚えている。
そして幾度となく疑問に思ったのは、思想史を勉強するのに、何故にこれほど方法、方法と口うるさく方法論の話ばかり根詰めてしなければならないのだろうということであった。ヘ−ゲルやマンハイムなどのドイツ哲学が、安藤昌益や本居宣長の思想を理解するのにどういう関係性があるのか、意味があるのか、無理に意味があるように解釈しなければならないのかという不審であった。この思想史学の相手はマンハイムなのか宣長なのか、一体どっちなんだというわだかまりを絶えず引き摺りながら旧字旧仮名のペ−ジを捲っていたのだった。
そして今、平石直昭氏の「日本政治思想史」を読みつつ思うのは、学生時代とは全く逆のこと − 何だ思想史の方法論が弱いじゃないか、これじゃ一寸物足りないな − という不足感、歯応えの無さである。人間とは全く都合のいい生き物だと我ながら呆れてしまうのだが、そうしてそこまで対象に接近して仁斎や宣長の実像を写生したところで、果たしてわれわれに何が残るのだろう、日本人の自己認識の問題としてどのような新しい成果や展望が得られたのだろうかというような素朴な疑問が、正直なところムクムクと頭をもたげて来ざるを得ないのである。
その思想家たちの歴史が、ただ一巻の絵巻物のようにシ−ケンシャルに解説・解読されてゆく政治思想史ではなく、もっと彫りの深いト−タルなグランドデザインがベースとしてあり、そしてそれが立体的な三次元グラフィックとして縦横無尽に表現されるようなダイナミックな政治思想史をわれわれは研究者に求めるのである。さらにその設計図のみならず、それを描画するCADのエンジンについてまで精密に解き明かしてくれる、つまり「方法論オリエンテッドな」政治思想史研究でなければ満腹感を得られないように、われわれ日本の政治思想史の読者の胃袋は出来上がってしまっているのである。丸山真男のせいで。
ハルトゥ−ニアンはそれを「歴史からの離脱」であると言って丸山真男を攻撃した。「近代的思惟」の抽出を焦る若い丸山真男の主観がマンハイムとボルケナウを間借りして近世日本思想史世界にアレゴリ−の体系を構築してしまったという「日本政治思想史研究」批判である。その批判に説得力を感じないわけではない。しかしながら政治思想史とは、常に「事実」ではなくて「意味」を問う学問である。さらに言えば歴史的な過程から「意味的なもの」を抽出、創造、構築してゆく学問である。したがってそれは当然に、ある構築された「意味的なもの」を破壊する知的営みでもある。創造は同時に破壊でもある。すなわちある特定の歴史像なり思想像を破壊し、同時に新しくもう一つの歴史像・思想像を構築するのが政治思想史家のワ−クとなる筈である。
現実の生きた政治過程と無縁な、没交渉な政治思想史研究などあり得ない。それは政治思想史研究と呼ぶよりも寧ろ政治思想史料研究と呼ぶべきである。そしてそこでの研究者の知的成果は、intelligenceではなくてinformationと言うべきであろう。informationの発掘と生産に厳密に徹するのが歴史学としての思想史研究であり、intelligenceの開発と生産に携わるのが政治学としての思想史研究である。両者の研究はその目的を異にする。そして、政治する主体的人間に思想を、Grand Theoryを提供するのが、政治学者としての政治思想史家の責務である。
さてそれでは丸山真男以外に、一人でもそうした歴史像の創造破壊を政治に提供することに成功した政治思想史家が今の日本に存在するのか。アカデミ−の政治思想史家たちは口を尖らしてそう私に迫るかも知れない。一人いるではないか。例えば梅原猛がそうである。ポストモダン主義者にして日本主義者である哲学者の梅原猛、彼の強力なイデオロギ−とデモ−ニッシュな政治行動が八○年代以降の日本の思想状況を決定的に方向づけた、とは言えないか。私から見て、それは見事なほどサクセスフルなイデオロギ−の勝利の光景である。そのことを理解・承認できない政治オンチの政治思想史家は、早々に法学部を去ってinformationの生産に徹するべきである。イデオロギ−というものの実体としての底知れぬ恐ろしさを、われわれはマルクス・レ−ニンだけでなく、日本人の思想家である梅原猛から存分に学びとることができる。
こうしてイデオロギ−という言葉もやはり依然として有効である。その言葉の社会科学的な意味・有効性も決して失われてはいない。そして、そのイデオロギ−という、人間のあらゆる営みの中でも最も高度で困難な範疇に迫ることができる知識こそ、政治思想史という学問であり、政治思想史の方法であると言えるのである。
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