みねおのれきし
S44/2/16 
自宅で生まれた。                        
S49  5歳  当時の写真
筋ジスが良くなったと新聞で報じられそれを見て福岡医大で 注射して貰う。その後その注射を近くの病院に取り寄せて貰 い半年ほど注射したがしこりが出来てその後止めた。効果見られず。
S50/4  6歳  当時の写真 
普通小学校入学。この頃、膀胱炎になる。
S52/8/1  8歳  
国立療養所再春荘に入院。

S52/9 当時の写真
再春荘の養護学校に通う。
S57/2  13歳  当時の写真
病棟の殆どの患者が流感インフルエンザにやられ養護学校も休みになるほどだ った。
S57/8  13歳 当時の写真
家族旅行に行った。場所は甲子園、四日市、東京、北海道。甲子園では熊工対 福井商の試合を見て大阪で一泊。四日市で一泊。東京で一泊。北海道で二泊。
S58年頃  14歳 当時の写真
重度の膀胱炎になり出血がひどかった。
S59/6/14  15歳 当時の写真  
アマチュア無線免許取得
S60/1  16歳 
家族で台湾4泊旅行に行った。2日目ワインを飲み過ぎて大量にゲロして調子 を崩し2週間ほど食欲が出なくなり半病人。
毎日ごちそうだったのに全く食べられなかった。
S62/8/20  18歳  
国立療養所再春荘病院を退院。

S62/8/22 
神戸に移り住む。この日から自宅で療養。
H1年春  20歳  
通信が出来るワープロを購入。しかし通信費用が高いと思いこみ通信はお預け 。
H3年秋  22歳
夏ばてからか風邪に似ているが風邪ではなく喉に閊えたような気がしてきた。 近くの病院に行き診察するが風邪薬を貰うのみ。それではよくならず薬店から風 邪薬を買って飲む。その頃食欲減退していて飲み込むのもうまく飲み込めなくな っていたので錠剤を砕いて飲んだ。しかし噎せてしまい気管に少し入ったような 気がした。錠剤の欠片が引っかかって取れないと思い出してからますます様態は 悪くなっていった。
H4/1/7 もうすぐ23歳
しばらく入院するつもりで甲南病院に行くが今から思えばこの時血液ガス検査 をしていたら早めに入院していたかも知れない。この時も息苦しさがあったが薬 を貰い帰った。

H4/1/7以降
その後殆ど食事が喉を通らなくなり水分も噎せてあまり飲めなくなった。尿の 色も黒くなり普通の状態では無くなった。一番近い病院から点滴をしに来て貰っ た。尿の検査をして甲南病院あたりにいかれてはと勧められたが何処の病院もし ばらくようすを見て下さい。なのでいつまで様子 を見るのかと思ってしまう。 今思うのだが病気が筋ジスなだけに敬遠されたのかもしれない。この頃からいつ も左向きに寝ていたのが左向きだと息が出来ないようになってきていた。しかし 上向きも右向きも首や肩が痛く1時間も向いて寝れない。

H4/1/19もう 顔色も紫になってきた。特に耳の色は悪くなっていた。この頃は苦しさで殆ど眠 れなくなっていた。入院出来る病院も探せばあっただろうが10年の病院生活を して少し病院嫌いにもなっていたせいもある。

H4/1/21
夜中苦しさが限度を超えた。息をしてもしても間に合わない。もう「今夜こせ そうにない」といった。それで救急車を呼び甲南病院に行く救急処置室でアンビ ューで空気を吸わせる処置がされ病室が決まるまで救急病室にて酸素吸入をして いた。酸素吸入をするが少し楽になる程度でしかなかった。今度は即入院となっ た。レントゲン等の検査が終わり4階の病室に移された。後で聞いた話だがその 年に入れたばかりの新しい人工呼吸器をして貰う。思った以上にカテーテルの気 管内送管はきつかったこれで随分楽になったが度々痰がカテーテルに詰まるので 吸引をしなくてはいけない。入院した日から2週間点滴を24時間打ちっ放しで 、もちろん食事は無し。

H4/1/2?
点滴をするが尿の出が悪く体中浮腫んだのには驚いた。何故なら殆ど目が開か ず瞬きが出来なかったからだ。この日尿の出がよくなったが体に溜まった余分な 水分を出そうと体がしているらしく30分おきに200tずつして何と2000 t以上もしてしまった。蓄尿の袋に入り切らなくなるようになった。

H4/1/2?
カテーテルが詰まり顔色が変わり急変。しかし自分では苦しいのが分からなか った。周りだけが慌てていて自分ではまだ余裕が感じられたが、感覚が麻痺して いたのかも知れない。

H4/1/2?
主治医に両親が呼ばれてこれからの方針などの話があった。気管切開をした方 が本人も楽と思いますので・・・という話だったそうだが両親が息子は筋ジスの 病院に入院して何でも知ってますので息子と話してください。息子も大人ですの で自分で判断します。という話だったそうだ。

H4/2/5
ようやく流動食が出来るようになり腹にたまる感触が味わえるようになった。 たしかこの日から点滴も随分減ったと思う。

H4/5/18
呼吸器を外す練習を始めていたのでもっと優れた呼吸器を使って練習して見ま せんかという話になり新しい呼吸器を使うために設備の整った東3階に移った。 4階の看護婦さん達もやっと慣れてきた時期に移るのには不安があった。

H4/6
カテーテル脱管。心配されていた痰も抜いたと同時に止まった。

H4/7/2
その後、順調に呼吸が出来るので甲南病院を退院。

H4/8/8
腹痛と血尿のため甲南病院に入院した。数日後、尿に混ざって血の固まりが出 た。それが石だったようだ。

H4/8/16
痛みも止まり、尿も元に戻ったので甲南病院を退院。

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