第1章 在宅人工呼吸療法(HMV)を始めるにあたり

 筋ジストロフィーでは四肢(手足)の筋肉のみならず,呼吸に関係する筋肉(呼吸筋と言います)も侵されます.私たちの身体は無数の細胞から成り立っており,その細胞の機能維持や増殖にはエネルギーが必要です.すなわち,私たちが生きていくためにはエネルギーが必要なのです.筋ジストロフィーの患者さんでは,呼吸筋の筋力は止まることなく低下しますので,やがてエネルギーを産生するために必要な酸素量を大気から吸い込むことができなくなります.このような状態を呼吸不全と呼びます.したがって,呼吸不全に適切な対応がなければ,患者さんの生命は維持されなくなります.それゆえ医師は呼吸不全に陥った筋ジストロフィーの患者さんや家族の方に,病状や治療に関する詳しい説明することになります.医師の説明には,次のような事項が含まれています.
1)呼吸不全症状とその成り立ち
2)呼吸管理は生命維持のため必要であるが,決して筋ジストロフィーそのものを根治できないこと
3)呼吸管理を実施しなければどのような経過をたどるか,また実施した場合の予後
4)呼吸管理した後の生活や行動範囲
5)在宅人工呼吸療法を可能になるためにの条件
 呼吸管理を実施するか否かの決定は,医師や看護婦ではなく患者自身が行います.医師や看護婦は,患者さんの決定(あるいは承諾)に沿って医療や看護を実践するのです.呼吸苦の中で重大な決定を求められのですから,とても大変だと想像しますが,患者や家族の皆さんは担当医の説明をよく聞いて呼吸管理を行うか否かを決定して下さい.
 通常,呼吸管理実施の承諾は,承諾能力がある患者さんの場合には本人が,承諾能力がない患者さんの場合には法定代理人(親権者,後見人)など代諾権者が行うことになっています(イギリスでは成人−日本とは異なり18歳です−より2歳下の患者さんの医療に関する承諾は,成人とそれと同様に扱われます).
 患者さんが呼吸不全状態を脱するために積極的な方法を選択された時,人工呼吸器を用いての治療が始まります.
 従来,呼吸管理を受けている患者さんは在宅で療養できないと考えられていました.しかし,20年前頃から在宅で呼吸管理を受ける患者さんが現れました.現在,在宅人工呼吸療法(英語ではHome mechanical ventilation,略してHMVと言います)は保険診療で認知された治療法になっています.
 HMVは人工呼吸器による治療が奏功し,呼吸状態が安定になった患者さんが在宅での療養を希望された時に実施されます.一昔前まではHMVの患者さんはごく僅かでしたが,現在では約2800名を数えるようになりました.その約60%が神経筋疾患の患者さんであると推定されています.HMVを実施している筋ジストロフィー患者さんはおそらく200名を超えているでしょう.
 HMVを始めるにあたり,患者さんや家族の方にしっかりと理解していただきたいポイントを挙げておきます.
1)まずHMVについて担当医と充分に話し合って下さい.呼吸機能や心機能が安定してから始めて下さい.身体状況を余り考慮せず,QOLの向上のみを目指して強引にHMVを考える患者さんも時に見受けますが,くれぐれも担当医の説明に耳を傾けて下さい.
2)HMV患者さんは,人工呼吸器を貸与している医療機関に月一回外来受診することになっています.この再診頻度は必ず守って下さい.人工呼吸器を貸与する医療機関の勤務医が患者さんの主治医であることが多いのですが,簡単な合併症を治療してくれる家庭医(かかりつけ医)緊急時に対応してくれる医療機関も確保するようにしましょう.医療機関の連携を主治医に依頼しましょう.訪問看護や種々の福祉制度も大いに活用しましょう.
3)人工呼吸器に関する疑問点は,担当医やレンタル業者に尋ね,早目に解消しておきましょう.また病状変化で呼吸器の設定条件の変更が必要と思われたら,患者さんや家族の方が独断で設定条件を変更しないで担当医に設定条件を調整し直して貰って下さい.
4)HMV患者さんが在宅療養を続ける上で介護力の確保は極めて大切です.多くの患者さんにとって介護者は身近にいる家族です.患者さんは介護者の疲労にも気を配り,時には専門医療施設へのショートステイも考慮して下さい.
5)外出,特に旅行されるときは病状記録を持参して下さい.病状が変化し緊急受診した医療機関の医師が治療する際,大いに役立ちます.またこの冊子を携え移動することを勧めます.
     (姜 進)

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