◆ 第1回 「うみ」「ふね」おもしろ講演会 ◆
”タイタニック”はなぜ・・・〜その真実と謎を語る
1998.7.5
−講師−
財団法人 海事産業研究所 客員研究員
長塚 誠治氏
<船の科学館>
1912年4月15日に北大西洋で1,500余名の尊い人命を失った
豪華客船”タイタニック”の海難に関する実態と疑問についての検証
<はじめに>
私どもの海事産業研究所には、約35000冊の蔵書があり、
その中にTITANICに関する本が20冊あり、
その中に、1912年TITANICが沈んだ秋に発行されたものがあって、
表紙の裏に万年筆で「My Dear Daughter BETH
(我が愛するベスにお父さんからクリスマスに捧げる)」
と書いてあった。
なぜこの本を娘さんに差し上げたのか。
読んでいくうちに、後で申し上げるが、
いろんな意味で人間性という話に結びつくので、
冒頭にこんな話をしたのです。
T.なぜ氷山に衝突したのか
「状況」
1.情報「流氷→他船情報→無線軽視」
2.運航「高速維持→ブル−リボン記録」
3.技術「最新の大型旅客船→不沈船」
15ヶ所の水密隔壁
二重構造
<原因>
環境判断のミス
ビジネス優先
安全過信
タイタニック号が出航したのは、4/10。事故があったのは4/14。
サウザンプトンからパリのシェルブ−ルへ、
さらにクィ−ンズ・タウンを経て、ニュ−ヨ−クへ。
乗っていた人というのは、アメリカでもけっこう成功した人。
富豪も金持ちもいたし、成功した人達もいた。
同時に移民ですね。ヨ−ロッパからアメリカに行って、
一旗揚げようという人達がこの船に乗っていたわけです。
ホワイト・スタ−ラインの汽船では、3等船客の独身の男性は船首よりで、
女性は船尾よりだったのがおもしろい。
この時代は階級意識があって、金持ちは金持ち、
移民のような3等船客の人達に対してはかなり差別化があった。
各階層別に柵があって、仕切っていた。
映画「TITANIC」をみてわかる通り、3等船客が逃げるときに、
FからD、Cデッキへとこの間を通りながら非難したが、
途中途中に、柵があって入らせなかった。
船室の番号は、右舷側は奇数番号、左舷側は偶数番号である。
B52・54・56の3部屋分のスイ−トル−ムにイズメイが入っていたが、
映画ではロ−ズと許嫁が入っていて、一番贅沢な部屋で、
ジャックにスケッチをしてもらっていた。
そして3等船客であるジャックの船室はG60となっていたが、
実際にはF60はあるがGはない。
U.なぜ沈没したのか
1.衝突「氷山の水面下の張り出し部に船側衝突」
2.浸水「水面かの船側外板に亀裂,No1〜5区画へ浸水」
3.折損「折損は未確認であるが船首から逆立ちして沈没」
<原因>
予想しなかった被害
浸水区画の拡大
金儲けの為にとか、早く走らなければならないというのも
あったけれども、必ずしもそうではない。
そのころ常識ではいろんな十数隻の客船があり、
だいたい22ノットで走れる船もあるし、25ノットで走れる船もあった。
状況によっては、必ずしも減速しなければいけない理由はなかった。
問題は「技術→世界最大の豪華客船」それが全て技術革新である。
いまの時代にも言えるが、船が大きくなると絶対安心というイメ−ジがある。
確かに今の技術と昔の技術は全然違うし、今の客船は十分安全だが、
特にその頃はそういう大事故がなかった。
だから、船自身が「大きな救命艇」だと思ってしまったのだ。
「婦女子優先」というのは「船に対する安心感」があったからだ。
そういう状況下で、事故は日曜から月曜にかけて起こった。
ニュ−ヨ−クでは火曜日に着くと思ってパ−ティ−の準備をして待っている。
22ノットで走れば少し早くなるし、
あるいは、ボイラ−をめいっぱい焚けば24ノットで走れる。
したがって、7,8隻の船から無線で氷山の警告を受けていた
にもかかわらず、22ノットで走り続けていた。
(このころはモ−ルス信号しかなかった。
ちなみに「SOS」の救難信号は、”トントントン・ツ−ツ−ツ−”の
3伸ばし、3短音”で表された。)
一番タイタニック号の近くにいたカリフォルニアン号は、
氷山の為に身動きが取れなくなったので、タイタニック号の通信士に知らせるが、
乗客の私信通信依頼に忙殺されているので、
最後の通告にも「うるさい!」と言い返し、情報を無視してしまう。
事故当夜。
メインマストでは2人の監視員が目を皿のようにしていた。
この日は空は綺麗な星空で、この年の水面状況というのは、
ものすごい大凪であった。(北大西洋というのは普通荒波。)
500メ−タ−先のもやがかかったところに、急に氷山が出てきたので、
操縦席(ブリッジ)に連絡。
しかし、「全速前進」で走っている時に(タイタニック号の場合は)
止まるまでに1000m弱かかってしまう。
すぐに左に舵をとって、結果直接ぶつからずに、右舷側の亀裂が入る。
わずか1インチくらいの幅の切れ目が5ヶ所くらい出来て、そこから水が入った。
水密区画は合計16区画あって、1〜4区画まで水が入っても浮いていられる。
現在の水密隔壁は最上層までいっているが、このころの船は、
ここまで船が沈んだことがなかったので、
隔壁が5分(ぶ)くらいまでしか造られていなかっのだ。
さらに映画の中では船体が真っ二つに折れたといっていた。
査問委員会では誰もそう証言していなかったが、
1985年に潜水艇で潜って初めて船体が3つに別れていたと判明したが、
沈没している「最中」は誰も見ていない。
V.なぜ全員救助されなかったのか
1.救命ボ−ト「乗船者全員に対して46%の収容能力不足」
2.搭乗制限「救命ボ−トへの人数制限」
3.救助率「旅客:男性18%、女性74%、子供52%、計499名
乗組員:男性22%、女性87%、計212名(総乗船者数2,201名)」
<原因>
イギリス政府の規則の不備
訓練不足
本船の沈没に対して楽観
沈没後、零下2゜C海水での凍死
1912年頃の時代では、あまり大型船で事故がなかったために、
船の救命ボ−トの数が
(タイタニック号には2200人乗っていたが、)
実際の1000人分くらいの数でも規則的には問題がなかった。
それはイギリスの規則であるが、アメリカの規則では
人数分の倍の数用意されていなければならなかった。
国によってある意味では英国の安全に対する規則が遅かったといえる。
映画の中で、ハ−トランド&ウルフ社のト−マス・アンドリュ−スという常務が
「もっと丈夫な船を造ればよかった」と言っていたが、
そんなことを言うわけがない。言っていられるわけがない。
疑問に思ったので、私は20世紀フォックスにその点の調査を依頼したほどである。
タイタニック号を造った1912年当時の造船技術は世界最大であるのです。
そういうところで造った船に自信がなかったわけがない。
本来は64隻のボ−トを載せる予定だったが、
イズメイたちが外観が悪いということで、
40→32→20隻に減らされた。
それでも規則的には十分満たしていた。
なので、アンドリュ−スが後悔しているとすれば
「64隻載せるはずだったものが20隻になってしまった」ことに対してだろう。
W.なぜ救命ボ−トへの搭乗を婦女子優先にしたのか
1.英雄的行為「夫婦離別、妻の離船拒否」
2.差別化「1等船客と3等船客」
<原因>
西欧人の気質
社会習慣
タイタニック号のスミス船長は英国では英雄視されていて、
非常に経験豊かで落ち着いていて、ベテランであった。
だが「全員を救命ボ−トに載せろ」という命令の順序は1等船客が先であった。
左舷側の救助率は厳しい。ほとんど完全に女性子供だけ。
右舷側は男性も余裕があれば乗せたので、男性で助かった人が圧倒的に多い。
冒頭で話したベスという少女にプレゼントされた、
ヘンリ−・ヴァン・ダイクというアメリカの牧師が書いた
「Great TITANIC Disaster」という本がある。
その中に、「もしタイタニック号が中国の船ならば、最初に男性を助けただろう、
次に子供、最後に女性を助けただろう。」とある。
それには、アングロ・サクソン(英語をしゃべれる人)というものは、
女性を庇う。強いものは女性を庇うのは当然という考えが
根強く残っているからではないか。もちろん宗教的というのも若干ある。
さらに、考え方としては、”タイタニック号は絶対安全・・・15もの壁を設けました。
船底は2重構造。水密扉を設けました。
同時に最新のマルコ−ニの無線も載っている。
安全に関してはかなり考慮している船。
出来る前から「不沈船」という安心感がある。
だから男性も急がなかった。”というのが挙げられる。
さらに問題点で氷山の警告があっても減速しなかったというのもあるが、
船内の通信というと、メガホンしかなかったという点もある。
まず金持ちの2,3人には船長自ら知らせにいき、他はオフィサ−が。
どういう状況かというのはあまり詳しく言わなかったが、逆によかった。
もしこれが「これから1時間半後に船が沈みますよ。
海水はマイナス2度ですよ。入ったら死にますよ」などと言ったら
パニックになってしまったことだろう。
そして38人もの夫婦が離別している。
妻がボ−トに乗っていても、再び船に戻って夫と共に残ってしまう。
人生の縮図が、人間社会の縮図がここで展開されたのである。
バックグラウンドには、不沈船ということで、
あとで助けの船が来るだろうという別れ方している人達もいる。
そういうことによって、慌てずに楽士の演奏する
音楽を聞きながら安心して待っている。
沈没し始める。
船長は無電を出すよう、照明を維持するように指示を出す。
船尾の後ろのほうに発電気室がある。
しかし第6と第5ボイラ−に浸水。
第1、2、3の発電機室にまでパイプが通っているので、
25名の火夫に、ボイラ−を焚かせて電源を絶やさないようにする。
無電も出力が弱いので500Km付近までしか届かないから
極力蒸気を送って電気を送る。
その甲斐あって照明も沈没2分くらい前まで付いていた。
その結果火夫は亡くなっている。
亡くなられて貢献した火夫もいるし、演奏する人もいるし、
船長ももちろん亡くなっているし、オフィサ−も婦女子を優先にして
載せていて、若干争いもあったりした。
しかし、映画で拳銃で乗客を撃っているシ−ンがあったけれども、
あれは本当ではない。無理して入ってくる人を撃っていたけれど、
現実ではそんなことはなくて、撃ったオフィサ−の出身地が
20世紀フォックス社に対して「事実無根である」と訴えて、
20世紀フォックス社は謝罪と寄付をしている。
必ずしも船員が相手を撃ち殺すことはなかったと思う。
ああいう状況で、誰がどうなったかというのは難しいし、
どなたも亡くなっているので、わからないけれど、
日本人としては、細野正文氏という人がいて、
2等船客としてタイタニックに乗船していた。
沈没時、10号救命艇に乗っていたのに、
「13号艇に、人を押しのけて乗った日本人がいる」と
やはり2等船客であるロ−レンス・ビ−ズレ−が自身の手記に
書いていたので、帰国後非難され不遇の晩年を送る。
救助に向かったカルパチア号の船長は誉められた人で、
遙か彼方に離れていたにもかかわらず、
全てを投げうってすぐに救助に向かった。
4時間強かかるところを予想もしなかった
すごいスピ−ドで3時間半で辿り着いてしまう。
自分を犠牲にしても助けなければならない「使命感」のなせる技である。
救助された人の為に、毛布や食べ物などのいろんな準備もしていた。
ニュ−ヨ−クに着いた後の船長のコメントが、
「私は無線の通信範囲にいたことと、
そして、難破船の救助に間に合ったことを、
神に感謝する」というもので、そのくらい理性のある人だった。
カルパチア号は助けたあとのタイタニック号の救命ボ−トも全て載せて
(万が一カルパチア号まで沈没してしてまったら、
救命ボ−トが足りなくなるから)、そのままニュ−ヨ−クに戻る。
もう一つ、前述のカリフォルニアン号。
氷山の手前で止まって、警告を発したもの、
逆に「うるさい」と怒鳴られてしまった為、
そのまま無線士もすぐに寝てしまう。
20,30マイルの付近にいたので、照明弾が見えたはずだが、
それがタイタニック号が遭難しかけているとは気がつかない。
夜になると、船体の灯りを全て消す習慣があったので
全然意識していなかったうえに、カリフォルニアン号自体が
タイタニック号の船体の後ろに位置していたために、
死角となりタイタニック号の電気が見えなくなっていた。
朝になってあわてて救助にいったが、カルパチア号が救助し終わった後だった。
結果、カルパチア号の船長は英雄扱いだが、
カリフォルニアン号の船長は査問会で非難囂々だった。
ほかにもオリンピック号というタイタニック号の姉妹船が
真南に位置していたので救助に行こうとしたが、カルパチア号の船長は
「タイタニック号とうり二つの船が来てしまうと、
タイタニック号を思い出すから、来なくて良い」と言っている。
その後、1500人余りの凍死者の遺体を、
ハリファックスからの2隻の電線敷設船が、氷と棺桶を用意して、
そのうち150体を収容した。
X.主な対策
●船の構造「水密隔壁の数、強度など」
●救命ボ−ト「乗船者全員の2倍以上収容可能の救命ボ−ト数」
●救難信号「SOS発信と常時受信」
●その他
造船や海運にとっての一番共通な問題は、
1912年、タイタニック号の事故以降、
救命設備については片舷に全員乗れる救命艇を
設置するということである。
水密隔壁や救命艇の考え方についても、
タイタニック号の事故で1500人もの犠牲が出たが、
そのお陰でそれ以後、船の安全が本当に変わっていった。
現在の船は、単なる水密隔壁というだけでなく、耐火隔壁になっていて、
燃えないような、燃えても害のない素材を使っている。
無線以外にも、航海衛星が固定されているので、
自動車のナビゲ−タ−と同じ働きをしていて、
航路の管理や、氷山の状況も把握できるようになっている。
余談だが、ホワイト・スタ−・ライン社は、沈没した2:20AM以降、
船員に対する給料を差し止めてしまったが、
カルパチア号所有のキュ−ナ−ド社は、救助にかかった際の
費用等の請求は一切しなかった。
船に対する、安全に対する考え方も、会社によってずいぶん違うものである。
タイタニック号の表と裏側について話しましたが、
過去100年間、こういう大事故はほとんど起きていません。
その後、本船の事故を契機に1929年、
世界的に船舶の人名安全についての船体構造や
救命ボ−トや無線通信などを含めた国際条約が施行され、
抜本的な対策が確立された。
Y.質疑応答
★大きい船でも全員が乗れる救命艇がついているのですか?
最近の船は、乗客・乗組員を含めて全員が助かるように
救命艇を片舷ずつ全員分常備している。
というのは、船というのは、片側に傾く場合もあるので
必ず片舷で全員を救助できるようになっている。
★氷山があの時期たまたまあっただけなのか?
北大西洋は非常に荒れる海として有名である。
このころはご存じのように流氷は北の方から流れてこなかったのである。
4月ではなくて、もう少し後だと溶けだしてくるが、
この時期はもうすこし少ないと思っていただろうが、
実際、事故後明けて4/15、25個以上、
最大では30mもある氷山が多数浮いていたのである。
★タイタニック号が左に曲がらないで、そのままぶつかったらどうなったのか?
査問委員会でも問題になったことである。
ロシアの学者が正面衝突した場合、
200人の犠牲で済んだはずだろうという説を3月に発表している。
船というのは真正面に対しては強い。
そのまま止まって、氷山の上にのし上がってくれればさらに大丈夫。
(氷山は1/9は水面下にあって、その下は、見えている部分の8倍。)
そのほうが、長時間、おそらく10時間くらい持ったであろう。
例え沈没したとしても、救助の船は間に合ったはずである。
★スクリュ−のモ−タ−が足りなくて、曲がりきれなかったみたいですが?
いわゆる3軸といって、プロペラが右・左にあって、
真ん中はスチ−ムタ−ビンで動く。
右のプロペラは、後ろから見て時計回りに動き、左は反対、
真ん中は時計方向に廻る。
全速前進を止めて、急に後進してもこれは絶対
後進はしていなかっただろう。
エンジンを止めることが精一杯。
エンジンを止めてもプロペラは止まるけれど、
タ−ビンは急激に止まることは出来ない。
左に旋回しようとして後で右に旋回しようとしたが、
エンジンは止まっていなかったと思われる。
★タイタニック号の進水式は??
いかなる英国の船でも洗礼式というのはやっているが、
ホワイト・スタ−
・ライン社は、ユダヤ系の経営者であるので、
「洗礼」という意味での進水式をやっていなかった。
タイタニック号は進水式をやっていないただ一つの船である。
★ R.M.S TITANIC ★
主要目
全長:268.0m
最大型幅:28.2m
型深:19.6m
喫水:10.5m
総トン数:46,328GT
主機関:四気筒三段膨張蒸気往復機関X2基(各15,000馬力)
低圧蒸気タ−ビンX1基(16,000馬力)
合計46,000馬力
ボイラ−:29基
推進器:直径7.1m4枚翼X2
直径5.0m3枚翼x1
航海速力:22ノット(最大25ノット)
旅客最大収容人員:約2,435名
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