日記 index

Night&Day index

11月1日(月)
▼鈴木清剛「男の子女の子」と角田光代「東京ゲスト・ハウス」
 「文芸」99年秋季号に同時に掲載され、同じく河出書房新社から出版されたからってことはないだろうけど、ずいぶん空気が似通っている。
 さしたる恋愛とも友情とも呼べない、だけどその場だけの切実な思いと、一緒になにかをすることで得られる高揚感で、ひとつ屋根の下での共同生活。あっけらかんとした性の匂いと、それ以上に感じる切なさに敏感になりつつ、最後は音も立てずに霧散して、飢渇のみが残っていく。それでも現実との折り合いをつけていく義務にかられながら生きる彼、あるいは彼ら。
▼9時に会社を出て銀座へ。

11月2日(火)
▼昨日よりはちょっと早めに出て銀座へ。山下さんと久方ぶりの邂逅。容貌から少々お疲れのご様子。こちらはインドネシア風炒飯の付け合わせの辛さに酒が進んでしまった。

11月3日(祝)
▼Jim Spider「With a Ghost」ブランキー・ジェット・シティのベーシスト照井利幸のソロアルバム。文字どおり歌から楽器からほとんど一人でこなしている。あの風貌から想像しにくいが、マックを駆使して打ち込み作業をこなしているそうで。
 このアルバム、歌詞カードのブックレットらしきものが付いていると思いきや、単なる写真集で、歌詞が掲載されていない。歌詞は聞き取るしかないという。
 浅井健一のソロと比較するとよくわかるのだが、この人の音楽性はブランキーの”退廃性”を担っていると思った。ベースという楽器のせいか。浅井健一が前に前にとつんのめるように走っていくような音楽を作るのに対し、彼の音楽は、いつまでも同じ場所で踊り続けるような音。
▼夜は銀座へ。

11月4日(木)
▼「A面B面」(阿久悠・和田誠/ちくま文庫)買う。
▼賞に当選した。この時点で賞品が手に入ったわけじゃないけど。何が当たったのかは内緒。

11月5日(金)
トライセラトップス「if」グレイプバイン「羽根/JIVE」買う。
▼「香西かおりと天童よしみ(あ、一発変換された)」が同じように聞こえるということが、演歌好きにとってナンセンスであり、「チャイコフスキーとシューベルト」が同じように聞こえるということが、クラシック好きにとってナンセンスであるのと同様にして、「トライセラトップスとグレイプバイン」が同じように聞こえるということが、ロックファンにとってはナンセンスである、んだと。
 いや、俺の耳にとってみても同じには聞こえない。ただし、同じに聞こえてしまう人たちに、よくわかるように説明する、というのも困難だ。
 トライセラは軽快でバインは重厚――とかなんとか抽象名詞でごまかしたようなことを書いてみても、ロックが好きな人の間では異論あるだろうし。
 かくて、芸術に対する解説とは困難極まれり。

11月6日(土)
「Windows95/98対応不要なファイルの見分け方安全な削り方」(武井一巳/日本文芸社)「君の鳥は歌を歌える」(枡野浩一/マガジンハウス)「ダディ」(郷ひろみ/幻冬舎)「本屋でぼくの本を見た」(渡辺淳一ほか/角川書店)「HAPPYENDでふられたい」(吉元由美/角川文庫)
▼夕方から銀座へ。
▼「ダディ」(郷ひろみ/幻冬舎)
 おそらく書評ページを持たれる方々が、まず購入しようだの、書評のお題に挙げることはないだろうと思われるこの本、大真面目に取り組んでみたりする。
「売り物にするべく文章」からかなり逸脱した内容であることは疑いもなく、うっかりすると毒舌なぎ倒しにまとめてしまいそうになる。(もっとも、その方が楽なのだが)でもそれも、文章のプロが書いたわけではないんだし――と、目をつぶる。(ほんとはその辺に関しては、数限りない文例を挙げることができるんだが)
「第一章 信賞必罰」はかなり改行が多く、この部分には改行しなくてもいいんじゃないの、と首をかしげる個所が多数見られる。編集者はあえて、原文の通りにして、手を入れることはなかったんじゃないだろうか。
 文章を書き慣れていない人が、何を書いたらいいのか迷っている時、あるいは書くことがなくて、とりあえず原稿用紙の桝目を埋める作業に徹したい時は、ことさらに改行が多くなる。筆者本人の筆が乗らず、苦行しているさま、あるいは書きたくないのだけど書かざるをえない状況に追い込んでいるさまがよくわかる。
 筆者の書きたい部分は「第十章 愛される理由 別れる理由」で妻のことを、「第十一章 娘たちへ」であり、あとはあってもなくても構わないが、本という体裁上、どうしても書かなければならなかった、本人にとっても不本意なことが、書くという行為によって贖罪されることを願っていた部分があるようだ。
「成功するということはある意味社会に喧嘩を売るのと同じ」などと、筆者のような人物が言うからこそうなずける意見も多く、教育論や恋愛に対する一家言(この部分、「ダディ」というより「オヤジ」と言いたくなるくらい説教色が強いんだけど、よくよく考えれば現在40代だしね)そして芸能界という因果な商売の真っ只中に身を置いていることの孤独が、ありありと記されている。実はこの段階での文章は、極端に改行が少なくなっている。
▼ところで、角川書店や幻冬舎以外の出版社から出た芸能人の告白本というのは、どうして図書館に入らないのだろう。こないだの葉月里緒奈のやつとか最近の広末涼子のやつとか。下手な私小説よりずっと面白いのだが。

11月7日(日)
▼「ダディ」の話を続ける。
「何を読んでいるの?」と読書中に話しかけられ、当の本を見せたら、質問者の表情が微妙に変化するのがおかしい。(婉曲表現)
 いつもなら、「知らない名前(作者orタイトル)だ」などとつまらなそうに返されてそのままなんだが、これはたとえ読んだことがなくとも、作者もタイトルも有名であり、なおかつ読んだから威張れるってもんでもない。(そもそも、本を読むという行為が寝食と同じくらい当たり前になっている人間なもんだから)
 この本、何十万部か売れたらしいけど、ここまできちんと読んだという人もいないんじゃないか。少なくとも私は、日本で「ダディ」をちゃんと読んだ人間の中で100人のうちの一人に入るんじゃないか。(などと思っていたら、知人で一人いました、最後まで読んだ方が)
▼「本の売り上げ」を語る時の盲点が「買った人間すべてがその本を最後まできちんと読んだとは言えない」ってことだわさ。
 映画ならまだわかる。動員数イコール「最後まできちんと観た人の数」とみなしてもいいと思われる。チケット代を払った人間が、二時間ぐらい、ひとつの場所に拘束されながら規定の時間を過ごしたわけだから。(とはいえ、上映途中で出ていった人や、寝てしまった人や、観ているふりをして痴漢を働いた人ってのもいなくもないか)
 本はわからんだろうなあ。買ったからって最後までよむ義務なんてもんはありゃしないし。愛読者カードってのもあるが、あれがイコール読んだ人の数とはならんし(私も二、三回ぐらいしか出したことがないが)

11月8日(月)
▼今週の「ぴあ」――すごいぞ及川ヒロミチ。
 上原多香子に割烹着を着せるとは。
 いまどきドリフのコントでいかりや長介だって着ないであろう、(最近の「ドリフ大爆笑」観てないから適当に言ってますが)日本から失われた装束のひとつが蘇っている。
 そうか、彼女は10代にして「おっかさん」顔だったのか。

11月9日(火)
▼7時半に会社を出て銀座へ。
▼「渡辺美里って聴いたことないんですよ。名前だけは知っているんだけど」
 えええええ、そりゃまあ、最近はアルバムを出すのは二〜三年に一枚ぐらいのペースになってきたとはいえ……う〜ん、確かに俺と君は、年齢ひとまわりぐらいちがうし……。  渡辺美里がいなかったら、安室奈美江も華原朋美も鈴木あみも、まったくスタイルがちがったと思うのだが。(大げさか)
 例えばこんな話も通じないのだな。「文化祭の時、男はたいていBOφWYのコピーバンドやって、女の子はレベッカ、プリプリで……」

11月10日(水)
ロザリオス「世界地図は血の雨」
 ブランキー・ジェット・シティのドラマー中村達也のソロアルバム。これでブランキーのソロは全部そろえた。
 71分の中に溢れるリズム、そしてギターがベースがシンセがトランペットが叩きつける音の洪水。

日記 index

Night&Day index